
事が動き始めた。これまで動きがまったくなかったわけではない。その時に向けての準備は進めていた。ただ、今になって思えば、その進みはゆったりしたものだ。人族に比べて我らは長命。時の経過に対する感覚が違う。これもその当時は分からなかったことだった。
動きが加速したのは、この数年のこと。一瞬のごとく感じる者も我が国にはいることだろう。それが、我らより遥かに劣る人族につけ入る隙を与えているとも知らないで。ただこの件で誰かを責めることは出来ない。我もまたその一人だったのだ。あの男を側近に、八芒星王に取り立てるまでは。
あの男は我らとは感覚が違う。これもあの男の荒唐無稽な話を裏付ける事実のひとつだ。異世界から転生したきた人族、ではなく人間。それを聞いた時は、くだらない戯言で我の時を無駄にした罪で殺してしまおうと思った。だが、あの男は見事に現状を言い当ててみせた。我が国のことであれば驚かない。少し調べれば分かることだ。だが、あの男はミネルヴァ王国に勇者が誕生しただけでなく、聖女と呼ばれる女まで生まれたこと、その女の名まで伝えてきた。実際に知らべさせると事実であることが分かった。
そうなると、このままでは魔王国は滅ぼされるという話も無視出来なくなった。ではどうするか。勇者と聖女を殺してしまえば良い。我もそう思った。だがあの男は、その時はすでに八芒星王で夜王の称号を与えていた、その案を否定した。
勇者と聖女を殺しても、その代わりを務める者が現れるに違いない。殺すにしてもそれは戦争を初めてからだと夜王は進言してきた。俄かには信じられない話であったが、歴史の語り部の話を聞いてみると、そんなこともあるかもしれないと思えた。人族の危機に、もしくは我らを追い詰める時に必ず勇者、救世主とも人族は呼ぶようだが、が現れる。先の大戦でもそうだった。魔王国は世界を統べるはずだった。だが最後には負けてしまった。前魔王が愚かだから、ということにしているが、それだけが理由ではないことを我は知っている。
改めてそれを思うと、なんて理不尽な世界だと怒りがこみ上げた。この世は我らに厳しい。劣等種である人族に優しい。もっとも優れた存在である我と我に従う者たちがこの世界を統べるのが正しい形。そうであるのに世界はそれを認めようとしない。世界が認めないのであれば世界を滅ぼしてしまえば良い。夜王はこう言った。危険な男だ。その言葉が他の八芒星王を動かした。我がそれを認めたからではあるが、そのような影響力は臣下には無用のものだ。
ただ今は夜王が必要だ。あの男はわずか数年で事を大きく動かした。動かした結果がどうであるかは、先にならないと分からないが、その動きの速さは他の八芒星王にはないものだ。役に立つ。少なくとも我が世界を統べるまで、夜王には働いてもらわなければならない。代わりはいないのだ。
「魔王様、少しよろしいですか?」
「識王か。かまわん」
八芒星王の一人、識王。夜王が現れる前はこの男が参謀役であった。だが、優秀ではあるが、夜王に及ばないところが多くある。仕事の速さ、そして人族の視点だ。分かるはずがない。我も分からない。だが夜王は分かるようだ。人族の弱点と呼べる事柄が。
「炎竜が戻ってきません」
「……分かっておる。原因は調べたのか?」
戻ってきていないのは分かっている。逆に戻ってくればすぐに分かるのだ。
「殺されたものかと?」
「……事実か?」
あり得ない。真竜である炎竜を殺せる者がライアン族にいるはずがない。空を飛ぶことはもちろん、魔法もろくに使えない種族。空から襲う炎竜を攻撃する術を持たないはずだ。せいぜい矢を放つか石を投げるか。それでは炎竜を傷つけることも出来ないだろう。
「調査に向かわせた者によりますと戦いの跡が残っていたようです。それだけでなく、炎竜の死体の一部と思われるものも見つかっております」
「ライアン族に炎竜を殺す力があると?」
「それが……手違いがあったようです」
「なんだと?」
ミスは許されない。とはいえ、ひとつのミスで八芒星王の地位にいる者を追放するわけにはいかない。それが出来るのは我がもっと力を得てから。それこそ世界の覇者になってからだ。誰も逆らえない力を得る。それが実現した時、八芒星王など無用になる。それまでは辛抱だ。
「ライアン族の隠れ里にミネルヴァ王国の者たちが向かっていたようです。その者たちが炎竜を倒した証はまだございませんが、可能性は完全には否定出来ません」
「ミネルヴァ王国の騎士団か?」
ミネルヴァ王国は騎士団を使って潜伏させていた者共の排除を試みた。作戦は終わったと聞いていたが、それが間違いだったようだ。
「いえ、騎士養成学校の学生たちです」
「勇者ではないな?」
勇者は別の場所にいる。居所は把握している。夜王、そして拳王の二人がそこに向かったのだ。
「はい。違うはずです」
「……あり得ん。炎竜は未熟者たちに倒せるほど弱くはない」
ミネルヴァ王国の騎士養成学校については知っている。所詮は学校で学んでいる者共。騎士になれていない者共だ。そのような者たちに炎竜が倒されるはずがない。我でも正面から戦えば、負けることはなくても、苦戦するほどの力。
「退魔兵団がいたらどうでしょう?」
「その可能性があるのか?」
「養成学校の授業で護衛についたことがあります。それもどうやら、もっとも厄介な者たちが命じられたようです」
「報告でしか知らないが、その者共は本当に強いのか? 炎竜を倒せるほどの強さだと考えているのか?」
識王が言う「もっとも厄介な者たち」についても知っている。退魔兵団が歴代最強と評価されている理由となる者たちのことだ。炎竜を倒したのが事実であれば、正しい評価だろう。
そうであれば、何か対策を考えなければならない。退魔兵団は石ころに過ぎないが、前に進むには邪魔な存在だ。本格的な戦いが始まる前に道はならしておくべきだろう。
「私も報告で知るだけですが、数が揃えば厄介な相手となるでしょう」
「そうか……」
「里に向かっていた者たちについては、いずれ詳しい情報が送られてくるはずです。実際に退魔兵団がいたのか、そうでないのかは、それで分かるでしょう」
こういうところなのだ。情報が届いてから対策を考えようとする。それまで動こうとしない。我々の欠点だ。夜王は違う。いくつかの仮説を考え、それに基づいて策を立て、実行に移す。待つことをしない。知識では上回っているだろう識王が、夜王の次点になるのはこれが理由だ。八芒星王の序列では上でも、我の信頼度の順位では下になる。
「……ライアン族はどうなった?」
「新たに隠れ里とする場所を探して移動しているという報告を受けております」
「そうか……所在が決まれば知らせよ」
「はい」
我への叛意を抱く者共、そこまででなくても前魔王への忠誠を残す者共は戦いが始まる前に粛清しておかなければならない。こう考え、炎竜を送り込んだ。だがその結果は、ライアン族を殲滅出来なかっただけでなく、それなりの手間をかけて従えた炎竜を失うという大失敗。この事実をどう扱うか。
失敗は邪魔者の介入を予見出来なかったから。情報収集に不手際があったからだ。識王には早めに退場してもらうことになるかもしれない。それはそれで構わない。この世界は我の物。我が全ての支配者になる。誰かと分け合うつもりなどない。
戦いの時はもう間もなく。全種族が我にひれ伏す日が訪れるのだ。