
どうしてこのような事態になったのか。嘆きの思いが頭に浮かんでくる。いつになく楽な仕事のはずだった。ミネラウヴァ王国の王立騎士養成学校に今年、注目すべき新入生がまとめて入学した。一人はミネラウヴァ王国の第二王子ウィリアム。<勇者の器>という加護を持つ「アニメの主人公か?」と突っ込みたくなる男。実際に主人公なのだろう。さらに、これは噂に過ぎないという話だが、聖女までいる。ここまでの話を聞いたところで仕事の内容は予想出来た。近い将来、魔族の脅威となる存在を殺せということだ。
だが、この予想は完璧な正解ではなかった。二人の他にもミネラウヴァ王国の有力者の子供がいる。その二人も含めた彼ら全員の実力を確かめ、殺せるものなら殺せというのが仕事の内容だった。
下級魔族の俺たちなんかに勇者と聖女を殺せるはずがないと思われたのだろうと思う。そうだとしても使い捨て扱いしないのは珍しいことだ。
どうしてこんなことになったのだろう。どうやら自分が異世界に転生したのだと分かった時は喜んだ。この世界の英雄になれる。こんな風に思った。だが転生した俺は人間、この世界での人族ではなかった。頭から角が生えていた。
それでも期待は消えなかった。鬼人族と呼ばれる種族だからといって、英雄になれないわけではない。自分は転生者。選ばれた存在なのだ。こう思っていた。
だが現実は厳しかった。鬼人族は魔族どころか悪魔と呼ばれる存在だった。人族がそう呼んでいるのではない。カンバリア魔王国の魔族が悪魔と呼ぶのだ。自分たちよりも遥かに劣る下等な存在。魔王に仕える資格のない種族。それが悪魔と呼ばれる自分たちだった。
これは間違った情報だった。今は事実を知っている。悪魔と呼ばれているのはカンバリア魔王国の、要はスパイ。情報収集、破壊工作、暗殺などスパイそのものの活動をする者たちだ。だがその活動はカンバリア魔王国が関与するものではない。この建前を押し通す為に魔族ではなく悪魔だとカンバリア魔王国は呼び、他国にも呼ばせている。
でも俺たち鬼人族は違う。最初に聞いた通り、魔王に仕えることを許されていない。詳しいことは教えてもらっていないが、問題を起こして追放された種族だ。追放されたが、魔王国に戻る為に下働きのような仕事をさせられているのだ。
最悪の転生だ。追放された鬼人族は領地を持たず、稼ぎは悪魔の仕事の下働きで得るしかない。種族全体が苦しい暮らしを強いられている中で、魔王国の奴らは足元を見てわずかな報酬で汚い仕事をさせようとする。逆らえば復帰の道は閉ざされる。不満は山ほどあるが、引き受けるしかない。
罪のない人を殺した。罪悪感で心が病みそうになった。それでもまた新しい仕事が来る。また殺す。また、また、また。罪悪感は心から消えた。心が麻痺した。
こんな自分が英雄になれるはずがない。ただの犯罪者だ。自分の力が飛び抜けたものではないことも知った。鬼人族は身体能力に優れているが、魔法が使えない。これも他の魔族から下等扱いされる原因だ。実際問題として遠距離攻撃能力がないことは痛い。遠目から魔法で袋炊きにされて終わり、とは魔法耐性があるのでならないが、戦いが不利になることは事実だ。
<勇者の器>を持つと聞いた王子様は魔法が使えた。魔法剣といったところか。隣にいた奴も同じだ。後衛にも魔法使いらしき奴、唯一の女子が聖女であるのは明らかだが、いた。
今はまだ彼らも成長途中なのだろう。なんとか戦うことは出来そうだった、だがもっと成長し、強くなったら。彼らこそが英雄なのだ。異世界に転生しても、俺はモブで終わることになる。
「黒炎だ! 逃げろ!」
なんてことを考えている場合ではなかった。すでに今、脅威が迫っていた。ここで俺が死んでしまうかもしれない。
黒炎。これは通り名だ。名前の由来はすぐに分かると聞いた。悪魔が悪魔と呼ぶ男。こんな風にも言われている。かなりヤバい奴らしい。
悪魔、それもカンバリア魔王国に仕えている悪魔、上級魔族であっても単独で戦うことは厳しいと言われている。もちろん、もっと強い魔族はいるだろうが、国の外で働いている魔族にとっては天敵のような存在だ。
その悪魔にとっての悪魔と遭遇してしまった。
目の前に現れたのは、先ほどあった勇者たちと似た服装を着た男、まだ若い。勇者たちと同じか、もっと下に見える。黒い髪。長い前髪に隠れているが灰色の瞳が印象的だ。どうしてこの世界はイケメンばかりなのだ。この状況でこんなことが頭に浮かぶ俺は、やはり、病んでいるのだろう。
仲間が炎に包まれた。熱を感じさせない黒い炎。一瞬、影かと持ったがそうではないことはすぐに分かった。仲間の体が燃え尽きていく様子を見て。
魔法の一撃で仲間が殺された。さっきの奴らとは強さのレベルが違う。これが黒炎。通り名の由来も分かった。
次は自分の番だ。黒炎の視線がそれを示している。灰色の瞳が俺を見つめている。感情を感じさせない冷たい瞳だ。背筋が凍るとはこういうことか。今この瞬間に知った。
「ええっ!?」
感情が見えない、と思っていたのに、いきなり黒炎は驚きの表情に変わった。
「……へえ、そうか……やっぱり、そうなのか」
なにやら一人で納得している。何が起きているのか俺にはさっぱり分からない。
「……良いや。君は一度、助けようとしてくれたことがあったからな。ビビッて逃げたけど、それは忘れて、ここは引くことにする」
「……ひ、引くというのは?」
「こっちに戦う気はないということ。じゃあ……もう会わない方が良いか」
意味の分からないことを言って、黒炎は本当に去って行った。一体何がどうなったのか。悪魔に悪魔と呼ばれる男が、どうして俺たちを見逃したのか。
黒炎は何を言ったか。俺が助けようとしたことがあった。そんな記憶はまったくない。黒炎とは初めて会った。以前、会っていたなら俺は今こうして生きていないはずだ。
勘違いをしてくれたのか。そうであれば、この世界に来て初めての幸運だったかもしれない……違う。そうではない。「ビビッて逃げた」という言葉で思い出した。俺には、助けようとして助けられなかったことがあった。ビビッて逃げたことがあった。この世界ではなく、元の世界で。
虐められていた同級生。俺はわずかな正義感で、それを止めようとした。だが俺は、いじめっ子たちの脅しに屈し、あっさりと引き下がった。悔しくて、情けなくて、自分が惨めで。心から消えない最悪の想い出だ。
(……まさか……久住……お前、なのか?)
この可能性は考えていた。転生したのが俺だけではない可能性だ。もし黒炎が久住であるならば、もう一度会いたい。謝りたい。いや、会いたい理由はそういうことではない。ただ元の世界の知り合いに会い、話したいのだ。