
恋愛ゲームの悪役令嬢糾弾シーン。自分は今、それを見せられている。心の中は違和感でいっぱい。クリスティーナが入学して、まだ半年。こういう場面はエンディング近くで起きるものなのではないのか。そもそもクリスティーナは本当に悪役令嬢なのか。彼女が学校内で悪事を働いたという噂を自分は耳にしたことはない。彼女に虐められている女子学生の噂も聞かない。あの情報通のコルテス君も聞いたことがないと言っていた。エミリーがその人になる可能性を考えていたが、それはないと今は思っている。
(……ああ、この女が悪役令嬢なのか?)
今思いついたこの可能性のほうが納得だ。下級貴族の娘が上級貴族の御令嬢を虐める。これは設定としておかしいが、それでもこの設定のほうがしっくりくる。
「クリスティーナ様、正直に白状されたらいかがですか?」
「何を白状しろと言うのですか? 私にはやましいことは一つもありませんわ」
「貴女が悪魔を使って、私たちを襲わせたのは分かっているのです」
とんでもないことを言い出す女だ。自分が何を言っているの分かっているのだろうか。公爵家の令嬢を「悪魔と繋がりがある」と公衆の面前で訴える。これがどれほど重大なことなのか。冤罪であれば、自分がどうなるのか。考えているのだろうか。
「……私を侮辱するつもりですか? それともアッシュビー公爵家を貶めようという策略ですか?」
さすがにクリスティーナも切れ気味だ。それはそうだろう。彼女が言った通りだ。こんなことが事実だとされれば、アッシュビー公爵家はただでは済まない。お家断絶、なんてものがこの世界にあるか知らないが、そんな結果になってもおかしくない。
事実であればの話だ。
「そのどちらでもない。我々は真実を追求しようとしているだけだ」
エミリーが強気なのは、こいつがいるから。ウォーリック侯爵家のアントン。爵位こそ下だが、その権勢はアッシュビー公爵家を軽く凌駕している。もしウォーリック侯爵家の企みであれば、嘘が事実にされてしまうかもしれない。
「ではそうすれば良いわ。創作ではなく、事実の追及をしてくれるなら私には何の文句もありませんわ」
「今、真実を追及している」
「大声で作り話を語ることが真実の追及……アントン、貴方、冗談も言えるようになったのね? 成長したのかしら?」
「なんだと……?」
アントンとクリスティーナでは、彼女のほうが格上といったところか。そもそも彼女の言う通り、作り話を大声で話している奴らがおかしい。仮に本気で疑っているにしても、まずはしかるべきところに訴えるのが先だ。そこで調査され、事実は明らかになる。そういうことをしないで、学校内で叫んでいても何にもならない。
「そう言うなら証拠を示してください。確かに自分はやっていないという証拠を」
もう一人いた、宰相の息子まで作り話に関わっている。宰相が何をする人か、実際のところ、良く知らないが、こういう不公正な人間に勤まる仕事とは自分には思えない。
「やっていないものはやっていませんわ」
「それでは証拠になりません。私は誰もが分かる明確な証拠を求めているのです」
なんだかムカついてきた。こういう理不尽な要求で人を苦しませようという人間を自分は知っている。そういう奴らにとって真実など、どうでも良いのだ。自分たちが思うことを強引に押し通すだけ。人が苦しむ姿を見たいだけだ。
「……悪魔の証明」
「……君、何か言ったか?」
「そういうのは悪魔の証明というのではありませんか? 証明できるはずのないこと、極めて困難なことを指す言葉です。それに、そもそも証拠は、まず罪を訴える側が提出するべきだと思います」
止せばいいのに、関わってしまった。どうせろくなことにはならない。それは分かっている。それでも口出ししたのは、きっと彼に会ったからだ。瀬名(せな)俊樹(としき)。元同級生で、同じこの世界への転生者。予想はしていたが、やはりいた。自分以外にも転生者はいるのだ。
瀬間俊樹は過去に一度だけ、自分が虐められているのを止めようとした。だが脅されてすぐに引き下がった。それについての嫌味を、つい口にしてしまった。それをした自分が、今、知らぬふりをしているのはどうかと思った。
「それは……」
「下級貴族家の人間が出しゃばるな」
一人を黙らせると、また別の奴が前に出てくる。黙らせた一人だけに言っているつもりはないのだが、相手はそう受け取らないようだ。
「失礼いたしました。では男爵家の私は引き下がりますが……」
「何だ?」
「そちらにも男爵家の人間がいるのではありませんか?」
エミリーの実家も男爵家。爵位であれば、自分のは偽の経歴だが、同じだ。これで公爵家のお坊ちゃまは黙ってくれるか。期待したいところだが、まず無理だろう。
「貴様……ウォーリック侯爵家を敵に回したいのか?」
分かりやすい脅しに出てきた。この先、どういう展開になるのか分からないが、少なくともこれで相手は自分の要求に応えなかったという事実は残った。応えられないことを脅迫で誤魔化そうとした。周囲の人たちに良心というものがあれば、どちらが悪者か分かったはずだ。だからといて味方してくれるわけではないことを、自分は身に染みて分かっている。
「私は見習いですかアッシュビー公爵家の騎士、いや、違うか、騎士候補見習いです」
「それがどうした? アッシュビー公爵家など恐れるに足りん」
「そうではなく、騎士は仕える主の剣となり盾にならなければならないと、ここで最初に教わりました。それを実践しているだけです」
「……貴様」
ようやくアントンを黙らせられそうだ。さすがにこの男も王立騎士養成学校の教えを否定することは出来ないらしい。これは覚えておこう、今度こそ、二度と関わり合いたくないけど。
「それでは君の相手は私がしよう。これ以上、主への侮辱を見逃すわけにはいかないのでね」
また新手が現れた。制服を着ていないということは、恐らくは護衛騎士。騎士には騎士を当ててきたということだ。さすが、ウォーリック侯爵家の騎士は機転が利く。自分にとっては面倒なだけだが。
≪セドリック=ブルーム≫
≪加護:戦神の御使いの加護≫
≪ランクB≫
ランクAの主人を守る為にランクBの騎士が必要なのだろうか。こんな風にも思うが、とにかくランクは自分の二つ上。強敵だ……でも勝てないほどではない。
何故だろう。そう感じる。
「悪いな。少し痛い目にあってもらう」
こう言うと相手はいきなり殴りかかってきた。それほど速い動きではない、というより遅い。この人は加減というものを知っているようだ。
本来は、これを受けて終わりにするべき。と思った時には避けていた。
「ほう……アッシュビー公爵家の騎士もやるものだ」
「騎士ではありません。騎士候補“見習い”です」
相手の表情が険しくなる。事実を言っただけなのに、何故か怒りを買ったようだ。さきほどよりも鋭い動き。拳が右から向かってきたが、これを避ける。続く蹴りも、さらに拳も。
ランクは総合力。この考えが頭に浮かんだ。この騎士は総合力では自分より二ランクも上だが、素手での喧嘩、つまり体術ではそれほどの差がない。もしくは自分よりも下なのだ。剣や槍を持ってこその騎士。そういうことなのかもしれない。騎士ではない自分とは鍛え方が違うのだろう。
さらに殴りかかってきた相手の拳を受け止め、引き寄せてバランスを崩す。足を引っかけて、さらに前のめりになったところで背中から突き飛ばした。椅子やテーブルを巻き込んで、派手に転がるウォーリック侯爵家の騎士。
「……あれ? これ、どうやって収めれば良い?」
タイマンで勝利。かつての自分では経験出来なかった結果。これに浮かれている場合ではない。ウォーリック侯爵家の騎士を倒して、これでどう今の事態が収束出来るのだろうか。
「……き、貴様」
次はご主人様のお出ましか。これ以上はさすがにマズイ気がする。というかランクAに勝てるはずがない。どうするか。一発殴られて終わるのであれば、今度こそ、それで終わらせよう。
「何をしている!?」
「えっ……ウィリアム!?」
そして真打登場、というわけではないだろうが王子様のご登場だ。ただ悪いことではなさそうだ。ウォーリック侯爵家のお坊ちゃまが焦っていることで、それが分かった。
「まさか野外授業の件で揉めているのではないだろうな?」
「揉めているだなんて……少し事情を聞いていただけだ」
「少し、な」
王子様、良く見てください。椅子やテーブルが散らかっています。これが少し事情を聞いただけの状況でしょうか。そうではないことはお分かりになるはずです。
「……クリスティーナ。すまなかった」
「いえ、殿下が悪いわけではありませんわ」
「少し、話をしないか?」
「……承知しました」
なんだか、普通だ。普通という表現は正しくないかもしれないが、ゲームヒロインにとち狂って、一緒になって婚約者を責め立てるということはしないようだ。
そうなるとこの世界にゲームシナリオの強制力はないのか、まだ物語が動いていないだけなのか。どちらにしても、もう彼らには関わり合いたくない。彼か助けて。