トゥレイス第二皇子の周囲が騒がしい。そう思っているのはトゥレイス第二皇子本人くらいで、実際の動きは、まだ小さなものだ。だが、これまで立場的に大きな期待を向けられていなかった身としては、手のひら返しに思えるような周囲の反応が煩わしく思えてしまうのだ。
反ルイミラ勢力の旗印、という立場については完全に拒否するものではない。自分が旗印になることで反ルイミラ勢力がその勢いを増し、帝国中枢からルイミラの影響力を排除できるというのであれば、喜んでその立場を受け入れるだろう。
だが周囲は必ずしもそれだけを目的としてトゥレイス第二皇子に近づいてきているのではない。ルイミラが力を失った後、誰が権力を握るのか。それはトゥレイス第二皇子であり、その彼を支持した自分たちであることを望んでいるのだ。
それでは継承権争いだ。トゥレイス第二皇子はそのような状況になることを望んでいない。
「ということで、兄上。どうにかしてください」
トゥレイス第二皇子が今の状況について相談する相手として選んだのは、兄のフォルナシス皇太子。自分には野心はないということを伝える意味もある。
「どうにかしろと言われても……お前の行動がもたらした結果。言わば自業自得だ」
フォルナシス皇太子も、相談を受ける前から今の状況は把握していた。側近たちが、警告として、伝えていたのだ。つまり、フォルナシス皇太子陣営はすでにトゥレイス第二皇子を敵視し始めているということだ。
「それは兄上が動かないから」
トゥレイス第二皇子としては、フォルナシス皇太子が何もしないから仕方なく動いているつもりだ。それも構想があってのことではない。とにかくルイミラに好き勝手はさせないという思いだけで、動いているだけなのだ。
「時期を見ていることは前から伝えている。それを見誤って迂闊に動いてしまうと、状況はもっと悪くなる。それが何故、分からない?」
フォルナシス皇太子とトゥレイス第二皇子の考え方の違いはその立場に原因がある。皇太子の座にいるフォルナシスには、今の地位を失うわけにはいかないという思いがある。確実に成功するという保証がないと動けないのだ。
一方でトゥレイス第二皇子には失うものはない、わけではないのだが、本人はそう思っている。勝敗が決するような事柄でなくても、ルイミラのとにかく邪魔をしなければならない。こう考えているのだ。
「……時が過ぎるのを許していては、取り返しがつかない事態になりかねない」
さらにトゥレイス第二皇子には事を急がなければならないと考える理由がある。
「取り返しがつかないこと?」
「弟が出来たらどうする?」
「それか……」
ルイミラが子供を、それも男児を生む可能性。フォルナシス皇太子も考えていないわけではない。
「皇太子の座を奪われても良いのか?」
男児が生まれればルイミラは絶対に自分の子を皇太子に、次の皇帝にしようとする。現皇帝もそれを後押しする可能性が高いとトゥレイス第二皇子は考えているのだ。
「……私もお前も陛下の実の子だ」
「それが理由で守られるのであれば、兄上だって時期を待つなんて言わないはずだ」
実の子だからといって皇帝は守ってくれない。子供である自分たちよりもルイミラのほうが大切。こう思っているはずだとトゥレイス第二皇子は考えている。フォルナシス皇太子も同じ考えであるはずだと。
「……それでも今は無理だ。彼女の影響力が強すぎる」
「そうなることを許してきた結果だ。兄上、兄上はきちんと足下を固めているのか? その為の働きかけを怠っていないか?」
帝国中枢にはルイミラの息がかかった者たちが多くいる。前宰相を筆頭に多くの重臣たちがその地位を追われ、代わりにその座に就いた者たちだ。
結果、ルイミラの影響力はますます強くなった。対する反ルイミラ勢力はその影響力を大きく削がれた。
「私にはそれが出来ていないと言うのか?」
「出来ていないと決めつけるつもりはない。ただ……不安に思うこともある。たとえば、イザール侯爵家もそのひとつだ」
「イザール侯爵家との関係は……まさか、末弟のことを言っているのか?」
イザール侯爵家との関係は悪くない。フォルナシス皇太子にはその自信がある。だがトゥレイス第二皇子が不安に思う要素はある。それをフォルナシス皇太子も知っている。
「そうだ。少し調べた。末弟のローレルは家族との折り合いが悪い。庶子の妹もそうだ。付け入る隙はある」
本当に”少し”調べただけで分かった。イザール侯爵領内で聞き込みを行えば、すぐに分かることなのだ。ルイミラも自分と同じ情報を得ていることをトゥレイス第二皇子は考えている。だからローレルに近づいたのだと。
「アネモイ四家が守護神の加護を捨てると? そんな真似が出来るはずがない」
アネモイ四家の当主を誰にするかは、帝国にも口出し出来ることではない。守護神の加護を得られた者がなる。ローレルにはその資格はないのだ。守護神の加護を得られていない者を当主にすれば、それはもうアネモイ四家ではない。そんな事態をイザール侯爵家の人たちが受け入れるはずがないというのが、フォルナシス皇太子の考えだ。
「イザール侯爵家が二つに割れるような事態になれば、それは兄上を支持する勢力の弱体化に繋がる。ルイミラはそこまで考えているのかもしれない」
実際にそうであるかはトゥレイス第二皇子も分からない。そうだと言い切れる自信もない。それでもこれをフォルナシス皇太子に話したのは危機感を煽る為。もっと現状を深刻に受け止め、行動に移って欲しいのだ。
「末弟の評判は少しは知っている。付いて行く家臣など一人もいないだろう」
アネモイ四家の子弟についてはフォルナシス皇太子も知識がある。幼い頃から何度か会ってもいる。その中でもローレルは特別だ。彼ほど周囲の評価が低い人間はいないのだ。
「その評判が良くなろうとしている。帝国騎士養成学校など、兄上は興味ないのだろうが、些細な情報も今は耳に入れておくべきだと思う」
「……体育祭の件か?」
「そうだ。彼の周りには多くの騎士候補生が集まっている。同じ学年には彼以外にもアネモイ四家の人間がいるというのに、人々は彼の周りに集まっている」
トゥレイス第二皇子の目にはこう映るのだ。一年ガンマ組の中心は、もっとも実家の爵位が高いローレル。そうであることが当たり前で、それ以外の可能性を考えることなどしないのだ。
気さくさを売りにしているトゥレイス第二皇子だが、所詮はポーズ。皇子として育ってきた彼にとって身分はその人の価値を示すもの。こういう考えが植え付けられているのだ。
「……そうか。意外だな」
「あの女は兄上の味方を切り崩そうとしているかもしれない。油断していては駄目だ」
「分かった。忠告は胆に銘じておく。ただトゥレイス。私も何もしていないわけではない。詳しいことは話せないが、時期を待つにはそうする理由があるのだ。それは理解しておいてくれ」
「……分かった」
フォルナシス皇太子も手をこまねいているわけではない。それは分かっても、何をしているか教えてはもらえないことへの不満は残る。兄は自分を信用していないのではないか。こんな不安も胸に湧き上がる。
兄との話し合いはトゥレイス第二皇子が納得する結果にはならなかった。
◆◆◆
帝国の現状を憂いているのは皇子二人だけではない。今を良しとしているのは皇帝とルイミラ、あとはこの二人に地位を与えられ、それ以前はなかった利を得られるようになった者たちくらいだろう。帝国から見て反抗勢力とされている者たちも現状を憂い、変化を求める人たちなのだ。
「帝国を変えなければならない。それは皆、分かっているはずなのにな」
前宰相であるヴィシャスも帝国を変えようとしている一人。今や反抗勢力の中でも最大勢力のひとつと見られるようになっている。
「皇帝に弓引けば反逆者の汚名を着せられることになる。それを恐れているだけなのだと思います」
ただ実態は、まだまだ帝国に対抗できるだけの勢力にはなっていない。味方と信じられる数は、ヴィシャスが求めているよりも少ないのだ。
「体面を気にして、行動を躊躇うか……それはもう仲間にすべき相手ではないな」
交渉だけで仲間を増やす時期は過ぎた。ここから先は、力を示すことで味方を増やさなければならない状況になった。ヴィシャスはそう考えた。
「いっそのこと、真実を伝えるのはいかがですか? 今は味方となるのを躊躇っている者たちもきっと同調してくれるはずです」
「それは良案ではないな。多くが知れば、それはもう秘密ではなくなる。知られてはならない相手にも伝わってしまう」
「そうですか……そうなると、いよいよ決起ですか?」
「焦ってはならない。立ち上がるにしてもタイミングがある。その時の為に準備を始めるということだ」
決起となると、それもまた良いタイミングを見計らなければならない。反抗勢力はヴィシャスの勢力だけではない。動くタイミングを間違えれば、競争相手を利するだけになるかもしれないのだ。
「では、いつ?」
「具体的な時期については、もう少し情報を集めてから判断する。それまで軽挙妄動はしないように」
「分かりました。お伝えしておきます」
相手はその伝える相手のところに戻る為に部屋を出て行く。急ぎの遠距離移動だ。無駄な時間を過ごしている余裕などない。
「……いつまであのような者を飼っておくつもりなのですか?」
それと入れ替わりに、別の扉から男が入ってきた。一目見て武人と分かる男。実力ある者が見れば、その高い戦闘力も見抜くかもしれない。
「飼っているつもりはない。勝手に尻尾を振って近づいてくるだけだ」
つい先ほどまで話していた相手もヴィシャスにとっては、仲間ではないのだ。
「意外とああいう者が厄介事を引き寄せるものです。後で後悔しないように、さっさと始末しておくことをお勧めします」
「まだその時期ではない。それにああいう者にこそ、思い知らせてやりたいという思いがある」
「あのような小物に恨みが?」
帝国を倒そうというヴィシャスが気にするような相手ではない。男はそう思った。
「あれは典型なのだ。私が戦っている時も地獄に落とされそうになった時も見て見ぬふりをしていたくせに、いざ私が生き残り、少し力を持つと善人面して寄ってくる。そういう者たちの代表だ」
ヴィシャスを動かすものは恨み。最初からそうだったわけではないのだが、時が経つにつれ、様々な者と接する度に、そういう思いが強くなっていった。自分は安全な場所にいて、リスクは全てヴィシャスに負わせようという者たちが許せなかった。
「……だが世の中の多くの奴らは日和見。勝つ側に付きたいと思っているのでは? 貴方はそんな者たちの上に立とうとしているのです」
「分かっている。だからこそだ。愚者たちには導き手が必要だ。私はその導き手になる」
誰かの踏み台になるなど真っ平ごめん。もっともリスクを負った者がもっとも多くを得るべき。ヴィシャスはこう考えた。もっとも多く、帝国の頂点の座に座るのは自分だと決めた。
「なるほど……それはお任せします。自分はそんな立派な存在にはまったく興味はありませんので」
「帝国騎士団長。この地位で良いのだろ?」
「ええ。それで十分。ただし、私はただで貰った物に価値は見い出せません」
この男が協力の代償として求めるのは帝国騎士団長の地位。だがただ帝国騎士団長になれれば良いというのではない。
「分かっている。ワイズマンに勝って、自分こそがその地位に相応しいと証明してもらおう」
「お任せください」
男の望みは現帝国騎士団長ワイズマンとの戦い。帝国最強と評される男に勝って、自分こそが最強であることを証明すること。その為にこの男はヴィシャスの野望実現に協力している。
フューネラル騎士団団長フォティア。この男も乱世で輝く為に生まれてきた一人なのだ。