月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

災厄の神の落し子 第61話 お忍び、その二

異世界ファンタジー 災厄の神の落し子

 アークトゥルス帝国に国教はない。宗教団体が存在していないわけではない。だが、いくつかある宗教団体のどれもが帝国政治に影響を与えるほどの勢力を持っていないのだ。帝国も特定の宗教団体に肩入れする理由がない、というか出来ない。
 帝国統治下となった土地の人々は元から多神信仰。様々な神の存在が信じられていた。さらに帝国はその国土を広げていく中で、信教を制限することをしなかった。皇家の守護神は帝国建国以前はまったくの無名。人々に知られていない神を、明日から主神として祀れと命じるのは、まだ帝国の権威が確立していない状況では、無理があった。さらに忠臣である現アネモイ四家も別の守護神を戴いているのだ。多神信仰を捨てさせるなんて選択肢は帝国にはなかった。
 それで特別困ることもない。国教が存在する他国を滅ぼした時も、それを否定することなく、また新たな神が信仰対象として加えられる。元々多神信仰である人々はそれを簡単に受け入れる。信仰は帝国統治に利をもたらすこともないが、害にもならない。人々の心の支えとして存在するだけだ。

「いや、さすがにそれくらいは知っています。俺だって帝国臣民なのですから。俺だけではなく、ここにいる全員が分かっていることではないですか?」

 昼休みの食堂。宗教についてローレルに説明を受けたリルだが、その内容に目新しいものはなかった。宗教についてきちんと考えたことなどないが、ほとんど分かっていることだ。

「まだ話は終わっていない。これからが本題だ」

「はあ」

 望んで宗教に関する説明を受けているのではない。ローレルが何故かいきなり話を始めたのだ。興味のない話なのだが、本題はこれからだとローレルは言う。リルは、リルと同じように興味を持てない同級生たちは困り顔だ。

「特別何かをするわけではなくても、それぞれ信仰する神がいるはずだ」

「えっ、そうなのですか?」

 これはリルにとって初耳。この説明に驚くリルは自分が信仰する神を知らない、のではなく、忘れているのだ。

「ここで驚かれるとは思わなかった。リルは、リルの家族は神を祀っていなかったのか?」

「……ああ、祀っていました。戦神カムイです」

 リルは家に祭壇があったことを思い出した。祀られていた神の名も。年に数回、父親が仕事に向かう時は必ずお祈りをしていたので覚えていたのだ。

「えっ……皇家と同じではないか」

「珍しいのですか?」

「いや、俺の家も同じだ。騎士の家であれば戦神を祀るのは普通ではないかな?」

 シュライクの家の信仰対象も戦神カムイだ。ローレルは驚いたが騎士、戦いを生業とする人々が戦いの神を祀るのは普通のこと。他の職業の人も同じだ。農家であれば豊作に関わる神、商家であればお金儲けに繋がる神というように信仰する神を選ぶ。職業が変われば信仰する神も変えることは当たり前に行われている。

「そういうことか……それは良かったな」

「良かった?」

 どうしてこの会話の流れで「良かった」という言葉が出てくるのか。リルには分からなかった。他の同級生も同じだ。

「神には相性がある。貴族の結婚は信仰する神の相性も条件になる、ということを教えたかったのだ」

「結婚の条件になる? どうしてそんなことを気にするのですか?」

 信仰する神を忘れていたくらいだ。リルの信仰心はかなり薄い。そんなリルにとっては結婚において神の相性を気にするという事実は理解出来なかった。

「生まれてくる子供が加護を失うからだ」

「はっ?」

 さらに理由は生まれてくる子供に悪影響があるから。リルにはまったく理解出来ない考え方だ。

「お前はそういう反応だろうけど、アネモイ四家にとっては大問題だからな。守護神の加護を失えば、アネモイ四家と呼ばれる資格を失う」

 自家の守護神と相性の悪い神を信仰する妻を娶っては、生まれてくる子は守護神の加護を得られなくなる。嫌いな神に繋がる人間に加護を与えるはずがないという考えだ。ローレルの言う通り、アネモイ四家にとっては絶対に無視できない結婚の条件になるのだ。

「……えっと?」

「当然、私の家もそうよ。たとえば……嵐の神とかは駄目ね」

 トゥインクルのネッカル家は豊穣の神ゼピュロスを守護神として祀っている。作物の実りを邪魔するような神は受け入れられないのだ。

「でも守護神獣は砂嵐の大熊だ」

 だが豊穣の神ゼピュロスの守護神獣は砂嵐の大熊。この矛盾をローレルは伝えた。幼い頃、トゥインクルに口喧嘩で負けそうになると使っていたことだ。

「えっ?」

「それは守護神が嵐を従えているの。豊作の邪魔をさせないように。他の嵐を防ぐ力にもなるわ」

 幼い頃とは違いトゥインクルは「何故、守護獣が砂嵐の大熊なのか」という理由を知っている。何度かローレルにこれで反撃され、口喧嘩に負けそうになったので調べたのだ。

「なるほど……アネモイ四家同士の相性は良いのですね?」

 はっきりとした理由があるわけではない。だが三百年続いている四家の相性が悪いはずがない。神の相性というものを完全に信じているわけではないリルだが、こう思った。

「悪くはない。アネモイ四家だけであればな」

「どういう意味ですか?」

 ローレルはわざわざ「アネモイ四家だけであれば」という条件を付けた。それは他には相性が悪い家があるということだ。それもアネモイ四家と並べられる家で。

「実は皇家と四家との相性は微妙なのだ。四家のうち三家は収穫に関わる神。戦争との相性はな。守護神獣ははっきりしていて、ムフリド家は暴流の大蛇、セギヌス家は氷結の白馬で水の力だ。皇家の黒炎の竜、炎とは相性が良くない」

「そういう考えですか……ん? 良かった?」

 リルの家が信仰していた神は皇家と同じ。アネモイ四家と相性が悪い守護神を信仰していることが「良かった」と言われる理由が分からない。あるとすれば一つだが。

「あ、違う。別にあれだ。邪魔するつもりはない。たとえば我が家の守護神は南風の神と呼ばれている。守護神獣も旋風の大鷲。風と炎は相性が良い」

 ローレルは慌ててそれを否定する。リルとプリムローズの相性は良い。その理由を説明した。咄嗟に考えたことではなく、こちらの考えで「良かった」と言ったのだ。

「ネッカル家の守護神も西風の神と呼ばれているわ。守護神獣の嵐も。嵐って強い風よね」

「はっ?」「えっ?」

 自分もリルとの相性は良い。トゥインクルの言葉はこれを主張しているように受け取れる。

「……リル。貴様、凝りもせず」

 実際に同級生たちはそう受け取った。彼らにとっての二大アイドルであるプリムローズとトゥインクルを独り占めなど許せることではなかった。

「ち、違う……今のは俺、何もしていない!」

「「「問答無用だ!!」」」

 どこかで見た光景が食堂で再現された。それを見ているトゥインクルの笑顔も、その時と同じだ。

「……わざとだろ?」

「悪い?」

「……いや。トゥインクルがそんな風に笑えることが悪いはず……えっ? 嘘!?」

 同級生の視線が自分に集まっていることに気付くローレル。そしてこの先も以前と同じ展開になる。食堂は、何が起きているのかと驚いている周囲も含めて、大盛り上がりとなった。

 

 

◆◆◆

 週末、エセリアル子爵家は、まさかの来客を迎えることになった。皇帝が来訪したのだ。下位貴族の屋敷に皇帝が訪れるなど過去の記録にないこと。エセリアル子爵家は大混乱だ。
 ただ実際には前例がないわけではない。公式訪問としては認められないことなので、記録に残されていないだけだ。今回も同じ非公式。つまり前触れなく、いきなり訪れたのだ。エセリアル子爵家が大混乱に陥るのも当然のことだ。

「だから、もてなしは無用だと言っておる」

「し、しかし……」

「では、こう言おう。形式ばったもてなしが朕は嫌いだ。気楽に臣下と接したいのだ。それなのにお主は、朕が嫌がることを選ぶというのか?」

「い、いえ。そのようなことは……」

 皇帝にこのように言われてしまえば、エセリアル子爵は何も出来ない。皇帝の望む通り、何もしない。

「急な訪問は私の我儘なのです。迷惑をかけてしまったことをお詫びするわ」

「い、いえ、迷惑だなんて。訪れて頂いたことは当家にとってこの上ない誉れ。感謝しております」

 さらにルイミラに謝罪されて、エセリアル子爵は大混乱。この状況をどう受け取れば良いのか分からなくなる。皇帝の来訪は、本当に光栄なことだと思っている。だがルイミラが同行してきたことには不安しかない。不安に感じてるところでの謝罪だ。何が何だか分からなくなった。

「ただ……こんなに大勢いるのは予想外だったわ」

 エセリアル子爵以上に何が何だか分からなくなっている人たちがいる。一年ガンマ組の騎士候補生たちだ。彼らは週末も一緒に鍛錬する為にエセリアル子爵屋敷を訪れていたのだ。

「全員が帝国騎士養成学校の学生たちか?」

「そう聞いております」

「……ローレル、答えよ」

 エセリアル子爵の答えは曖昧。皇帝は聞く相手を間違えたことに気が付いた。正確な答えを持っているのはローレル。こう考えて彼に問いを向けた。

「いえ、全員が養成学校の騎士候補生ではありません。同級生の父親が団長をしている騎士団の従士の方たちもおります」

「……その騎士団は、いわゆる私設騎士団と呼ばれている騎士団だな?」

「……はい。その通りでございます」

「何故、私設騎士団の者が一緒に訓練を行っておるのだ? 所属している騎士団でも訓練はされているのであろう?」

 普通に考えれば、私設騎士団の従士たちが指導役。騎士候補生は従士以下、一年生では従士見習いにもなれない身なのだ。
 だが皇帝はこうは考えていない。従士たちは自らを鍛える為にここにいるのだと考えている。

「……お互いの為になるからです。学び合うことで自分を高めることが出来ます」

 ローレルは無難な答えを選んだ。嘘をついたわけではない。すでに実戦を、従士の身では魔獣討伐くらいまでだが、経験している従士たちから学ぶことは少なくない。従士たちも騎士養成学校の授業内容を知ることは為になるのだ。

「なるほど。ただ……それは帝国の為になるのか?」

「それは……なると思っております」

「ふむ……リル。真実を話せ」

「えっ……?」

 皇帝はリルに問いを向けた。このような場ではあるはずのないことだ。リルは平民であり、公式な立場もイザール侯爵家の家臣。陪臣に皇帝と直接話すことは許されていない。非公式の訪問だとしても、多くの目がある中で行われて良いことではない。

「これは公式の場ではない。それでもローレル。お主は真実を話しづらいであろう?」

「それは……い、いえ、そのようなことは……」

 肯定は帝国の為にはならないことを認めるのと同じ。ローレルはどう返して良いか分からなかった。

「リルと朕が直接話をするなどあり得ないこと。あり得ないことの中で何を話されていても、それは何もないと同じだ」

「しかし……」

 実際はすでに直接話をしている。その結果、エセリアル子爵は帝都に残ることになり、ローレルたちはこの屋敷にいるのだ。何もないことにはなっていない。

「咎める者は誰もおらん。朕も何を言われても咎めることはない。リル、答えよ」

「……恐れながら……帝国の為になるかどうかは、帝国次第だと考えます」

「リ、リル!?」

 直答しただけでなく、その内容もあってはならないもの。リルの答えをローレルはそう受け取った。味方になるか敵になるかは帝国、つまり皇帝次第、と言っていると考えたのだ。

「……帝国次第とは? もう少し詳しく話せ」

「私も全てを知っているわけではありませんが、私設騎士団も様々だと考えております。私欲を優先し悪事を行う私設騎士団もあれば、民の為になる仕事を行っている私設騎士団もあります。それを帝国は理解されているのでしょうか?」

 リルは躊躇うことなく皇帝の問いに答えた。咎められることを恐れていない、というよりは、ここで建前で答えては逆に皇帝を怒らせると考えた結果だ。

「……理解しているものと考えておる」

「そうであれば良き私設騎士団には、よりやりがいのある仕事を与えるべきです。悪事を行う私設騎士団は討伐すべきです。結果、帝都の人々は安心して暮らせるようになり、それは帝国の為と同じです」

「帝国はそれを怠っているか……そうかもしれんな」

「これもまた全てを知っているわけではありませんが、帝国騎士団は人手不足と聞いております。行いたくても出来ないということではないかと考えます」

 「帝国は」が「帝国騎士団は」に置き換えられる可能性がある。そう考え、リルは帝国騎士団を庇う説明を追加した。人手不足は正しい知識だが、本当の理由は「帝国騎士団は皇帝の命がないと動けない」だ。

「人手不足か……それは一朝一夕に解消するものではないな。それでも放置はいかんか……考えておこう」

「あ、ありがとうございます」

 まさか皇帝の口から「考えておこう」なんて言葉が発せられるとはリルは思っていなかった。この場だけの言葉である可能性は高い。そうであっても驚きだった。

「リル。貴方は帝国騎士団に進むつもりですか?」

 ここでルイミラが割り込んできた。話の流れとしてはおかしくはない。帝国騎士団が人手不足であれば、ここにいる騎士候補生は皆、帝国騎士団に進むべきだと考えるのは当然だ。

「……まだ決めておりません」

「それは……イザール侯爵家の騎士団に残らないという意味ですか?」

 「決めていない」ということは選択肢があるということ。イザール侯爵家に仕え続ける必要がないということになる。

「私はもとよりノトス騎士団の団員ではありません。ローレル様の専従従士という立場で、契約期間は三年と決まっております」

 ここまで話す必要はない、とも思ったが、ここで話を誤魔化しても追及されるだけだとリルは考えた。特別隠さなければならない理由もない。

「契約が終われば自由の身ですか……だからといって戦場に働く場を求める必要はないのではありませんか?」

「あ、あの……申し訳ございません。正確には帝国騎士団公安部を考えております。ローレル様と同じ進路です」

「公安部……そうでしたか。公安部も人員が足りないのは同じですね。それに先ほど貴方が話した帝都の人々の為になる仕事です」

「はい。そうなれると良いと思います」

 実際は帝都の人々の為に公安部を選択肢に入れているわけではない。公安部にはリルが求めるものがあるかもしれない。今はなくても自ら集められるかもしれない。こう考えてのことだ。

「……二人とだけ話していては勿体ないわね? 従士の方というのはどなたかしら? いつもどのような仕事をしているか聞いてみたいわ」

「えっ……?」

「二度と会えないかもしれない。いえ、その可能性のほうが高いわ。私はこういう縁を大切にしたいのです」

「……承知しました」

 従士たちがどう思うかは関係なく、ここで拒絶は出来ない。死ねというわけではなく、ただ話をしたいというだけなのだ。拒絶するほうが間違っている。間違ってしまえば、どのような咎めを受けても文句は言えなくなる。
 リルの言葉に絶句している従士たち。ただ数分後にはリルに感謝、とまでは言わないが、文句を言う気にはならなくなる。傾国の美女と陰口を叩かれるルイミラだが、美女は美女。その魅力は若い従士たちを惑わすのに充分以上だったのだ。

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