ローレルとプリムローズが出て行ったあとのイザール侯爵家。厄介者扱いされていた二人がいなくなったことで、イザール侯爵家内の雰囲気もかなり穏やかなもの、にはなっていない。蔑みや虐めの対象、怒りの向け先がいなくなっても、結局はまた別の不満が生まれ、それを露わにされることで周りの雰囲気も悪くなるのだ。そうさせる人物がいなくならない限り、それは変わらない。
「……話に聞きました。騎士養成学校の体育祭でローレルのクラスは頑張ったみたいですね?」
食卓の気まずい雰囲気を変えようと話題を提供した長兄のアイビスだったが。
「何を言っているのです? 私が聞いた話では手柄は全てあの男に持っていかれたそうです。使用人に手柄を奪われるなんて情けない」
無駄な努力だった。母のマリーゴールドはローレルに対する不満を口にする。アイビスは一年ガンマ組が頑張ったと言っているのであって、ローレル一人を褒めたわけではないというのに。
「母上。私はそういう話は聞いておりません。一年生が勝利するのは難しい競技でローレルがいるクラスが勝ったという話だけです」
「それは情報が足りないわ。勝利はあの男のおかげということになっているそうですよ?」
「仮にそうだとしても当家の使用人が評価されているのです。良いことではありませんか」
リルの手柄だという話になっていたとしても、イザール侯爵家は優れた使用人を抱えているということになる。不満を抱く必要はないはずなのだ。
「……私は使用人風情が思い上がらなければ良いと、心配しているのです」
「それはないのではありませんか?」
「そうかしら? そもそも騎士養成学校に通うだけなのに、どうして護衛を雇う必要があるの? それはあの男の仕事でしょう?」
マリーゴールドの文句は護衛を雇っていることに対しても向けられた。以前から思っていたことを、この機会に吐き出しているのだ。
「それは……危険がないように」
「どうしても護衛が必要なのであれば、当家の騎士にやらせれば良いのです。それをわざわざ、どこの馬の骨とも分からない私設騎士団など雇って」
「母上。それは言い過ぎです」
イアールンヴィズ騎士団に気を使っての言葉ではない。護衛を雇うことを決めたのは当主であるイザール侯爵。母親の言葉は父親を批判しているようなものなのだ。
「アイビスだって言っていたでしょう? 護衛の費用は馬鹿にならないって」
「それは……費用がかかっているのは事実ですので」
「半年以上経っても何もないのです。もう護衛はいらないのではないですか?」
これはイザール侯爵に向けた言葉。マリーゴールドは夫に遠慮して批判を止めるような女性ではない。そういう女性であれば、プリムローズは領地を出る必要などない。
実際は虐めや嫌がらせがなくなってもプリムローズはリルとローレルとの同居を望むだろうが。
「……何かあってから後悔しても遅い」
「では当家の騎士と入れ替えましょう。少なくとも無断な出費はなくなりますわ」
「騎士団には他にやるべき仕事がある。帝国が難局を迎えることが予想される今、我が家は我が家の責務を果たさなければならないのだ」
自家の騎士は信用ならない、なんてことは口に出来ない。イザール侯はそれらしい理由を考えた。
「恐れながら父上。鍛錬だけでが騎士団は強くなれません。装備の補充や城の補修など、他にもやるべきことがあります」
それを行うには金がいる。アイビスも実際は、ローレルに護衛をつけることに反対なのだ。
「分かっている。だが当家の騎士団を強くする一番の方法は別にある」
「それは……」
アイビスもその方法を知っている。だがそれについて話をすることを躊躇った。
「成人式の準備はどうだ?」
アイビスの躊躇いに構うことなく、イザール侯はその方法について話を続けた。成人式を行うこと。その結果、守護神獣の力を得るという方法について。
「私の準備は進んでおります」
「そうか。では予定通り、行えるな」
無事に成人式を済ますことが出来れば、守護神の加護を得ることが出来れば、護衛の数を減らすことが出来る。イザール侯は、そうであって欲しくないという思いを持ちながらも、こう考えている。
「……はい」
「兄上、心配は無用だ。兄上が駄目でも私がいる」
成人式を行ったからといって守護神獣の力を必ず得られるわけではない。アイビスの反応が鈍いのは、それを不安に思っているからだと、弟のラークは考えた。彼としては兄の不安が現実のものになることを望んでいる。自分が成人式を迎え、守護神獣の力を得ることが出来れば、兄に代わって次期当主となれると考えているのだ。
「ラーク。そのようなことを言うものではありません。アイビスであれば大丈夫です。必ず、守護神獣の力を得られます」
マリーゴールドはアイビスが守護神獣の力を得ることを強く求めている。それがアイビスに強いプレッシャーを与えていることに気が付いていない。
「そうだと良いのですが……」
「そうなります。ムフリド家にいつまでも大きな顔をさせておくわけにはいきませんわ」
マリーゴールドが、得られないほうが当たり前の守護神獣の力に拘るのはムフリド侯爵家への対抗心からだ。グラキエスはすでに守護神獣の力を得ている。だからといってムフリド侯爵家は、マリーゴールドが言うように、大きな顔をしているわけではないのだが、彼女にはそう思えるのだ。ただの思い込み、僻みだ。
「ムフリド家に関係なく、アイビスには最大級の守護神の加護が与えられて欲しいとは思うな」
「父上……」
父親まで自分にプレッシャーをかけてくる。これはアイビスには意外だった。イザール侯自身、守護神の力を持たない。そうであれば息子の気持ちも分かるだろうと、勝手に考えていたのだ。
「希望だ。帝国の危機に際して、ムフリド家の力だけでは心もとない。四家全てが守護神獣の力を得るべきなのだ」
「……父上、さすがにそれは。それは数百年ないことではないですか?」
ラークも父親の言葉には否定的だ。彼も絶対の自信を持っているわけではない。兄も自分も力を得られない可能性のほうが高いと思っている。イザール侯の言葉はラークにもプレッシャーを与えるものなのだ。
「帝国の危機という数百年なかった事態が起きようとしている。私はムフリド家の件は、これが関係しているのではないかと考えている」
「どういうことですか?」
「守護神獣の力を必要とする時代になった。そういうことではないかと考えているのだ」
ムフリド家のグラキエスは異常だ。彼はまだ成人式を行っていない。儀式を経ていないのに守護神獣の力を得ている。そんな異常事態は、イザール侯が知る限り、過去の歴史にはなかった。
その異常事態は時代が特別な力を必要としているから。戦いの時代には戦う為の力が必要なのだとイザール侯は考えているのだ。
「……ですが父上。肝心の皇家が……」
帝国の頂点、力の象徴である皇帝家が守護神獣の力を得られていない。イザール侯のいう通りだとすれば、皇帝家はもっとも必要な時期に守護神の加護を得られていないということになる。それが意味することをアイビスは考えた。
「……それがどうした? アネモイ四家は帝国守護の為に存在するのだ。為すべきことは為さねばならない」
今の皇帝家は守るに値しない。だから守護神は加護を与えていない。イザール侯もこれは思った。だがそうだとしても、そうであれば尚更、イザール侯爵家は帝国を守る為に力を尽くさなければならない。帝国を守る為の力を持たなければならない。イザール侯はこう考えているのだ。
◆◆◆
帝国騎士団公安部の役割は国内治安維持。そうはいっても実質的な活動範囲は帝都周辺に限られている。情報収集や捜査の為に地方にも公安部の人間が派遣されることはあっても、実際に犯罪があった場合の解決はその地の領主。領主自身が罪を犯している場合は帝国騎士団の方面軍か周辺貴族家の騎士団に対応を委ねることになる。帝国騎士団の方面軍が帝都に戻った今は、全て貴族頼みだ。
公安部は元々、戦場に出るのに向かない帝国騎士団員の受け皿として作られた組織。戦闘能力は乏しいのだ。
「誘拐事件が、未遂も含めて頻発しております。先月は二件。今月はすでに三件発生しています」
定例会議の場で報告しているのはマグノリア公安部副部長。公安部長が周囲にお飾りと評価されている現状で、彼女が実質、現場の最高指揮官なのだ。
「確かに多いな。同一犯によるものか?」
何よりもワイズマン帝国騎士団長が彼女を頼りにしている。公安部長を相手にしていないという言い方も出来るが。
「まだ、はっきりしておりませんが、同一犯ではないと考えております」
「そう考える理由は?」
「手際が違います。未遂に終わった事件はそうなるだけの理由がありました。犯人を洗い出すことも出来ると考えております」
これはつまり、誘拐されてしまった事件については犯人を見つけ出すことが難しいということ。公安部は今のところ、犯人に繋がる手がかりを掴めていないのだ。
「……誘拐のプロということか」
「断定は出来ません。すでに団長もご承知の通り、帝国の治安は急激に悪化しております。そしてその理由のひとつもご承知の通りです」
「私設騎士団か……」
私設騎士団の犯罪集団化。これは急速に進んでいる。元々、帝都周辺で活動している私設騎士団の多くは他の地域では騎士団として活動出来る力がない集団。ろくに戦う力もないのに金を稼ぐ為に騎士団を名乗っている集団が多いのだ。
帝都であれば仕事にありつけるだろうと集まってきたそういった騎士団だが、依頼主だって相手を選ぶ。さらに騎士団の数が過剰となれば、依頼がまったくない騎士団も出てくる。仕方なく犯罪だと分かっている依頼を受けるようになり、やがて裏社会との結びつきが強くなり、騎士団そのものが犯罪集団に成り果てる。これが今の帝都周辺の私設騎士団の状況だ。
「帝都の裏社会は今、いくつかの私設騎士団に牛耳られようとしているようです」
騎士団としては通用しなくても、裏社会の組織に比べれば、戦闘力は高い。そういった私設騎士団は依頼主であった組織を乗っ取り、もしくは成り代わり、裏社会で力を得るようになっている。
「それを止めるのが我が公安部ではないのか?」
周囲にお飾り扱いされていても、本人にそのつもりはない。公安部長が意見を述べて来た。ただその意見は無責任に思われる内容だ。
「……どのようにしてですか? 裏社会の組織は訴え出るような真似はしません。訴えがなければ公安部は動けません」
「それは……地道に捜査をして、証拠を見つければ」
「それはすでに行っております。その結果とは断言出来ませんが、二名が行方不明になっております。部長も当然ご存じだと思いますが」
「…………」
知っているだけではない。これ以上、犠牲者が出すわけにはいかないと公安部長は捜査の中止を命じている。本当に部下の身を案じてのことではない。自分の責任が追及されるのを恐れての命令だ。
「その報告は受けていないな?」
「ま、まだ捜査に関係してのことか分かっておりませんので……もう少し、詳細が分かったとろこで報告するつもりでおりました」
出来れば、握りつぶしたかった。だがそれを許すマグノリアではない。公安部長の考えは甘すぎた。
「そうか。ただこういう場合は、とにかくあった事実を知らせてもらいたいな」
「……以後気をつけます」
「実際に二人も犠牲者が出ているとなると放置しておけないな。部隊を動かすか」
帝国騎士団本体が動けば、帝都周辺で活動している私設騎士団を討つことなど容易いはず。この際、帝都の裏社会そのものを殲滅させてしまうのも有りかとワイズマン帝国騎士団長は考えたのだが。
「栄光ある帝国騎士団が裏社会の組織と争うなど、陛下はお許しになられるでしょうか?」
公安部長が異論を唱えてきた。
「許さないか?」
「陛下のお考えを推察するなど畏れ多いことですが、恐らくは」
「そうか……」
公安部長がこう言うのであれば、実際にそうなる可能性は高い。無能で自己保身しか考えていない公安部長が今の地位にいられるには訳がある。皇帝、その背後にいるルイミラが支えているからだ。恐らくは自分に都合の悪い活動を許さない為に。それをワイズマン帝国騎士団長は知っているのだ。
皇帝は、ルイミラ第三妃は帝国をどうしようとしているのか。いくら考えてもワイズマン帝国騎士団長は答えを得られない。考えが行き着く先はいつも「帝国を滅ぼそうとしている」というあり得ない答えなのだ。