実技授業の時間は、少しだけだが、以前とは様子が違ってきた。レグルスは、タイラーとの立ち合いを当たり前に受け入れるようになった。そうなるとキャリナローズも、それを見ているだけでは済まなくなる。レグルス、だけではなく、オーウェンやジュードとの立ち合いを行うようになった。二人との立ち合いはレグルスの要望だ。
鍛錬を一段上に進めた今は、手の内が知れた仲間内だけでなく、それ以外の、それも異なるタイプの相手との立ち合いを増やさなければならない。そう考えて、タイラーとキャリナローズを受け入れているのだ。なんといっても二人は同学年の中でも実力者。申し分のない相手だ。
「速い! 何なのよ、貴方は!?」
「何のよって……文句を言っている暇があったら、もっと動けよ」
「言われなくても、そうするわよ!」
動きの速さにおいて、キャリナローズはレグルスに及ばない。単純な力でも同じ結果だ。立ち合いでは、かなり苦戦することになる。
攻撃を避けようにも避けきれない。剣で受けると力で押し込まれる。勝ち目が見つからない。それでもキャリナローズが、レグルスとの立ち合いを続けるのは。
「動きだけでなく、予測能力の問題もある」
「分かっているわよ。どこで間違った?」
「それを自分で見つけるのが鍛錬だろ? それに今のは分かり易い。フェイントに引っかかったところで、リズムが崩れた」
こうしてレグルスが悪いところを教えてくれるからだ。実力者同士で立ち合い、自分を高めるということは以前から行ってきた。意識してのことではなく、アリシアの繋がりで守護家の公子が集まった結果、そうなったのだ。だが、相手の欠点を指摘し合い、改善点を一緒に考えるなどということまでは行っていない。共に鍛錬を行うということだけで奇跡的だと思っていたのだ。それ以上はお互いに踏み込まなかった。
「貴方が読みにくいのよ」
「また言い訳。まさかと思うけど、少しくらい当たっても大丈夫なんて思ってる?」
「……硬化のことを言っているの?」
ホワイトロック家の得意能力は硬化。剣を通さないくらいに体を固くする能力だ。もちろん、それを超える攻撃力が相手にあれば、防ぎきれない。タイラーのディクソン家の猛撃とは天敵のような関係だ。
「そう」
「そんなわけないでしょ? 能力に限界があることくらい分かっているわ」
硬化が万能でないことはキャリナローズも良く分かっている。それどころか他家に比べて劣るとまで思っている。実際に受けてみないと防げるかどうか分からない、というのがその理由だ。
「硬化か……抱き心地悪そうだな」
「殺されたいの?」
「あっ、ツンのほうか。まあ、ツンがあってこそのデレだからな」
「殺す!」
こんな感じで時にじゃれ合いながら、本人たちにそのつもりはないのだが、立ち合いを続けているレグルスとキャリナローズ。
タイラーのほうは、本人の性格もあって、常に真剣勝負だ。
「うむ……かなり付いてこられるようになってきたな。逆に俺のほうが進歩していないのか」
さらに本来の、面倒見の良い性格も表に出て来ている、自分より、まだあらゆる点で劣る相手との鍛錬は、自家の従士を相手にする時くらいしかなかったのだ。
「いえ、何度も焦る場面がありました。ただ……その……」
「レグルスには及ばないか」
「申し訳ございません」
ラクランはずっとレグルスに相手をしてもらってきた。レグルスの動きは、タイラーと比べて、かなり変則的。正面からの直線的な動きとフェイントを織り交ぜた複雑な動きが混ざり合って、予測困難なのだ。
「謝らなくて良い。俺自身、あいつの動きに付いて行けないからな。いつまでもそうであるつもりはないが、追いつくのは簡単でないことは分かっている」
「はい。本気になられるとまったく追えませんから」
「高い目標だな。こう言っては君に失礼だと思うが、ここまでの高みを目指すタイプとは思わなかった」
レグルスの動きに付いて行けるようになるというだけで、かなりの技量が必要になる。学年どころか、学院でも上位クラスの実力と認められるはずだ。ラクランは、あまり知っていたわけではないが、そういうトップを目指すような性格ではないとタイラーは思っていた。
「いえ、まだ基礎訓練も満足に出来ていませんから」
「基礎訓練? それはどういうものだ?」
レグルスが考えたであろう訓練方法であれば、是非知りたいとタイラーは思う。レグルスは様々な工夫をして自分を鍛えてきたとアリシアからも聞いていたが、実際に一緒に鍛錬を行うようになって、それが事実だと分かって来た。
「今、タイラー様に相手して頂いたのがそうです」
「これが基礎訓練? では、応用はどのようなものなのだ?」
「本当は魔法で防がなければならないのです。ですが、僕はまだ魔法を思う通りに操れなくて……今はまだ剣を動かすほうが速いので……」
人を傷つけるのが嫌なら、とにかく守れ。レグルスはこれを実践させようと思っている。防御だけを徹底的に鍛え、それをラクランの得意にさせようとしているのだ。
「魔法で防ぐというのは……体を固くしてか?」
タイラーが思い浮かべたのは、キャリナローズのホワイトロック家が得意とする能力「硬化」。
「いえ、盾のようにして防ぐものです」
「魔法の盾……確かにあるが……それは接近戦では使えないのではないか?」
魔法や矢などの中長距離攻撃に対する防御として大きな壁を展開する魔法はタイラーも知っている。かなりの魔力を必要とする魔法で、それだけ長い詠唱が必要になる。接近戦では使い物にならない魔法のはずなのだ。
「そうなのです。もっと速く、思うところに展開しないと駄目で……僕はまだまだです。レグルス様のように出来るようになるのに、どれだけかかるのか……永遠に出来ないかもしれません」
だがラクランが目指す形はそういうものではない。魔法防御の瞬時展開。詠唱など必要としないものだ。
「……レグルスは出来る?」
「はい。レグルス様は凄いです。僕も頑張れば出来るようになると言われたのですけど、とてもあのレベルは無理だと思っています」
「あの野郎……」
レグルスにはまだ奥があった。レグルスが見せた実力は、動きと反応の速さくらい。まだまだ奥があることはタイラーも分かっていたつもりだったが、ラクランの話は予想していた以上のものだった。
「ぼ、僕、何か間違いましたか?」
タイラーの呟きを聞いたラクランは焦ってしまう。タイラーを怒らせることを言ってしまったと思ったのだ。その通りだが、”怒る”の中身は違っている。
「ああ、すまない。あいつには驚かされてばかりで。底が見えないところが、幼馴染として憎たらしくてな。一応、言っておくが、本当に憎んでいるわけではないからな」
「僕にとってはただただ憧れる存在です」
「憧れか……どうして君はレグルスと鍛錬するようになったのだ?」
ラクランは気弱な性格で、目立つタイプではない。レグルスと馬が合う性格とは思えない。だが、レグルスが自分の従士以外で、一緒に鍛錬を行うことを受け入れた最初の学院生はラクランなのだ。タイラーとキャリナローズは特別だとすれば、雄一の学院生とも言える。
「……底が見えないというのは僕も同じ思いです。ただ、そんな僕でも分かることがあります。レグルス様は人の可能性を大切にする人です」
「人の可能性とは、どういうものだろう?」
「僕は、自分ではそう思っていないのですけど、才能があるとレグルス様は言ってくれます。その才能を無駄にしてはならないと言われます。レグルス様は、僕が信じられない僕の可能性を信じてくれています」
努力は才能を凌駕する。これはレグルスのモットー、というよりは希望だ。自分には才能がないと思っているレグルスは、そうであって欲しいと願っているのだ。
ではレグルスは才能を否定するのかといえば、そうではない。否定するようなことを言うことはあっても、実際の行動がそうではないことを示している。
かなり相手を選ぶところはあるが、持っている才能を磨かないでおくのは勿体ないと思って、その手助けをしようとするのだ。
「そうか……そういう奴か」
ではレグルスは、自分の可能性についてどう考えているのか。ブラックバーン家の後継者の座を追われた自分の未来をどのように見ているのか。
レグルスが見ているものが、自分には見えない。レグルスとの一番の差はそれではないかとタイラーは思った。
◆◆◆
タイラーとキャリナローズが鍛錬の相手をしてもらえているのなら自分も、という風にアリシアは出来ない。以前であれば迷うことなく、二人に合流したアリシアだが、今はそれが出来なくなっている。レグルスとキャリナローズが仲良く、などと言えば二人は全力で否定するだろうが、立ち合いをしているところに、元婚約者である自分が割り込んでいくという状況を周りがどう見るか。こんなことを気にしてしまうのだ。
レグルスとの溝は、彼が意識して作ったものではあるが、アリシアにも原因がある。婚約解消は既定のこととレグルスは受け止めているのだが、同じ結果を知っていたはずのアリシアが、特別なことだと考えてしまっている。レグルスがそうなる未来を知っていたことなど知らないアリシアは、「なる様になっただけ」とレグルスが考えていることなど分からない。婚約解消は二人がかつての関係ではなくなった証とまで思ってしまっている。
この先に待つのはレグルスとの対立。敵味方に分かれてしまう。アリシアは早々にそれを覚悟してしまったのだ。
「ジークは、どう思っていますか?」
「どうって、何をかな?」
「レグルス様に勝てると思いますか?」
敵に回ったレグルスを倒せるか。それを行うのは自分の役目だと考えているアリシアだが、今は自信がない。ジークフリート第二王子がどう考えているかで、レグルスの実力を測ろうとしてしまう。
「……勝てると断言するのは、少し傲慢かな? その時の状況次第というのが実際のところだと思うよ」
「状況ですか……」
「私と彼の相性も今は分からないからね。少し見ただけだと速さだけでなく、ある程度、力も強い感じかな? でも、これだけの情報では全然足りないよね?」
見えているのは基礎能力。そこに魔力を上乗せした時にどうなるのかは分からない。レグルスだけでなく、ジークフリート第二王子にも上乗せされる力がある。勝敗を推察するには情報が足りないのだ。
「そうですね。情報が足りなさ過ぎる」
レグルス・ブラックバーンの情報は持っている。謀略に長けている。戦闘指揮能力もかなり優れている。だが、個人の戦闘能力についてはほぼ情報はないに等しい。ゲーム知識としては、そうなのだ。
では、アリシアが実際に知るレグルスはどうなのか。これも今現在の情報はほとんどない。強いことは分かっているが、アリシアの知る情報はジークフリート第二王子のそれと変わらない程度なのだ。
この状況でレグルスとの関係性は壊れてしまった。しかも現実は、ゲームストーリーとは異なる展開となっている。アリシアの心の中にある不安は膨らむばかりだ。
「あまり他人を気にしても仕方がないのではないかな? 誰かと比較するのではなく、自分が納得出来るまで強くなる。納得出来る時なんて来ないだろうけど、そう考えて頑張り続けるしかないと思うよ?」
「……そうですね。頑張るしかないですね」
実際にはジークフリート第二王子の言う通り。レグルスの実力について悩んでも意味はない。それが思っているよりも低いものであったとしても、それは今そうだというだけのことだ。レグルスとの戦いは、どのような形になるか、もう分からなくなっているが、まだ先のこと。学院を卒業したあとのことだ。その時の実力がどれほどのものかなど、今分かるはずがない。
「それにもう彼を気にする必要はなくなった」
「えっ?」
「だって……もう婚約者ではないわけだから……違うかな?」
「あっ……え、ええ。そうですね。気にするのはおかしいですね? 婚約者でもないのに」
ジークフリート第二王子の言葉の意味を誤解したアリシア。それが分かって、慌てて話を合わせた。
その言葉はアリシアにまた新たな疑問を与えることになる。レグルスはブラックバーン家の跡継ぎではなくなった。このことがこの先の展開にどういう影響を与えるのか、という疑問だ。
(……そういえば、サマンサアンとの関係はどうなっているのかしら?)
アリシアは、キャリナローズとの関係ばかりを気にして、一番重要な相手であるキャリナローズとレグルスがどのような状態にあるのかを考えることを忘れていた。サマンサアンの存在自体を忘れていたと言っても良いほどだ。それほどサマンサアンは表舞台に出てこない。悪役令嬢としての役目を果たしていない。
自分が思っているよりも、ずっと前からこの世界の物語は変わっていたのかもしれない。もしかすると自分とレグルスが出会った瞬間から。アリシアはこんなことを考えた。ようやく、その可能性を思いついた。