アリシアとの婚約破棄、さらにブラックバーン家の跡継ぎから外されるという大事があった後も、基本、レグルスの様子は変わっていない。学院に通い、勉強と鍛錬の日々を過ごしている。変化があるとすれば、その中身。特に実技授業の時間に関しては、外から見ているだけでも、変わっているのが分かる。明らかに動きが違っているのだ。
五校対抗戦で見せたほどではないが、その動きは上位グループの学院生のそれに劣らないもの。突然、実力を隠すことをしなくなったレグルス。その理由を、やはり跡継ぎから外されたことが影響しているのだろうと考える人は多い、のだが。
「単純に鍛錬が次の段階に移っただけみたいよ?」
キャリナローズは、そういうタイラーの考えを否定した。すでに同じ疑問をレグルス本人にぶつけて、答えを得ているのだ。
「次の段階というのは?」
「これまでは基礎の習得。この先は応用。特別なことは聞いていないわ」
「応用……実戦的な鍛錬ということなのか……?」
レグルスは今日もラクランを相手に立ち合いを行っている。素早い動きで四方八方から攻めまくるレグルス。ラクランがそれを受けるという形だ。これまでの、型をなぞるような動きに比べると、明らかに自由に動き回っている。より実戦に近い立ち合いを行っているように見える。
「詳しいことまでは聞いていないわ。でも、従士二人の鍛錬を見れば、そのような感じね?」
「従士……」
レグルスとラクランの二人と、少し離れた場所でオーウェンとジュードも立ち合いを行っている。その様子はレグルスとラクランのそれに似ている。ジュードが一方的に攻め続け、オーウェンがそれを防ぐという形だ。
「しかし……同じ鍛錬を行っていて、どうしてあそこまで動きが違う?」
ジュードの動きは、オーウェンとは明らかに違う。一見、滅茶苦茶。ただ剣を振り回しているだけのように見える。剣術の型通りの動きで、それを防いでいるオーウェンとは大違いだ。
「……あれが、あの彼にとって最上の戦い方ということではなくて?」
「しかし、あれでは……」
これまでの地道な鍛錬は何だったのかとタイラーは思う。学んできたことが全て無駄になってしまう。そんな、やり方だと思えるのだ。
「分からないけど、レグルスが何も言わないということは、あれで良いということなのでしょ?」
「うむ……聞いてくるか」
「貴方も懲りないわね?」
レグルスが相手をしてくれるはずがない。もう何度も試みて、その度に失敗しているのだ。
「君に言われたくない。君が色々とレグルスから話を聞けているのは、懲りることなく、絡み続けているからだろ?」
「絡みって……でも、そうね。貴方の言う通りね」
レグルスには、しつこいくらいでなければならない。少し強引に、それでいて強制的とはあまり感じさせない態度で接するのが効果的だ。キャリナローズは、それを理解しているのだ。ただ実際は、誰でも使える方法ではない。キャリナローズだから通用するのだ。
ではタイラーはどうかというと。
「……何? 何か用か?」
まずは露骨に嫌な顔をされることになる。この時点で、キャリナローズとは違っているのだ。
「ああ、邪魔してすまない。お前の従士たちの立ち合いを見ていて、気になることがあって」
「あの二人が何か?」
だが、質問の内容が良かった。オーウェンとジュードについて何かあると聞けば、レグルスは耳を貸す気になる。立ち合いを見て、気になると言われれば、尚更だ。
「攻めている側だが、あのような型破りの動きで良いのか? どちらかと言うと、お前たちは型に拘っているのだと俺は見ていた」
「ああ、あれ。あれは守りに回っているオーウェンの鍛錬だ。あいつは生真面目で型にはまり過ぎているところがある。今のような攻め方をされると動きに迷いが出てしまう」
「苦手を克服する為か……」
きちんと理由があってのこと。理由があるのだろうと思っていたが、その理由は思っていたよりも真っ当な、納得いくものだった。
「得手不得手を意識する段階に来たからな。得手は伸ばして、不得手は克服する。当たり前のことをしているだけだ」
「それが応用ということか?」
「ん? ああ、キャリナローズさんに聞いたのか。まあ、そういうことだ」
隠すようなことではない。隠したいことは、キャリナローズ相手であっても話さない。
「……たまには俺の相手をしてみないか?」
話の流れとしては強引だとタイラーも思っているが、ここで伝えないと会話そのものが終わってしまうと考えた。もう何度も断られているのだ。ここで拒絶されても何が変わるわけではない。
「……ラクランの相手もしてくれるなら」
「えっ?」
だが、まさかのことにレグルスは、条件つきではあるが、受け入れた。
「立ち合いだろ? えっ? まさか、相手をして欲しいというのは、またフランセスさんとのデートの場を作れってことか?」
「ああ……い、いや、立ち合いだ。立ち合いを求めている」
デートの場も、と言うのは止めておいた。欲張って、ようやく得た立ち合いの機会を失うわけにはいかないのだ。
「ラクランの相手は?」
「ああ、させてもらう」
「じゃあ、やろう」
ラクランに目線を送って後ろに下がってもらうとレグルスは、タイラーとの間合いを取った。その様子に気が付いた何人かの学院生が、驚きの声をあげたが、それは大きなものではない。まだ、気が付いていない人がほとんどなのだ。
向かい合う二人。先手を取ったのはレグルスだった。フェイントも何もなく、まっすぐ最短距離でタイラーの懐に飛び込むレグルス。
「ふん」
短く息を吐いて、それを受け止めるタイラー。予想していたよりも、レグルスの剣が重く、咄嗟に力を込めたのだ。そこからレグルスの剣を押し返そうと、さらに力を込めるタイラー。
だが、レグルスはまともにそれを受けることなく、剣をずらして受け流す。それを察して、大きく横に跳んで間合いを空けるタイラー。
だがレグルスはその動きに付いてきた。
「……参った」
喉元に突き付けられた剣。タイラーは負けを認めるしかない。
「……偉そうで嫌だけど鍛錬だから言わせてもらう。動き大き過ぎ」
「跳んだことか?」
「そう。今のは跳ぶ必要はなかったと思う。仮に跳ぶことを選ぶにしても、絶対に相手がついてこられない距離に離れないと」
これはレグルスも過去に師匠に注意されたこと。舞術の守りは円。守護範囲を定め、その中で大きく動くことなく、敵の攻撃を防ぎきるというのが理想なのだ。
「……攻める側に回って良いか?」
ではレグルスはどのように守るのか。タイラーはそれを実際に見てみたくなった。
「そうしてもらおうと思っていた。じゃあ、攻守交替でもう一度」
また間合いを空けて、タイラーと向き合うレグルス。すでに二人が立ち合っていることを、周囲のほとんどが気が付いている。二戦目が行われると分かって、視線が集まった。
今度はタイラーが先手。間合いを詰めると途切れることのない剣戟を繰り出していく。これがタイラーの基本的な戦い方。息つく間もなく重い剣を受け続けていると、やがてそれに耐えきれなくなる。
守る側の体力、技量がタイラーと同等以下である場合は。
「くっ……」
レグルスはそうではない。タイラーのほうが先に限界を迎えることになった。タイラーの剣の勢いが緩んだ瞬間、レグルスの剣が先を行く。
肩口で止められたレグルスの剣。
「……参った」
タイラーの負けだ。それを見ていた周囲から、うめき声が漏れる。
「全力は厳しいな。七割、いや、最初は五割からにしてもらおう。恐怖心が先に来ると鍛錬にならないからな」
「それは?」
「ラクランの相手。約束しただろ? 今と同じで攻め役。五割くらいの力で、ああ、五割は速さだけ。力は全力で構わないから」
「速さを五割……分かった」
約束を破るわけにはいかない。守らなければ二度とレグルスは相手をしない。それは分かりきっている。タイラーが攻め続け、ラクランが必死で守るという立ち合いが始まる。タイラーにとっては、あまりに実のない立ち合いだ。そう思っていた。
「……ずっと全力なんだな?」
「何?」
ラクランとの立ち合いを終えたあと、レグルスに問いかけられるまでは。
「いや、それじゃあ、疲れるだろうと思って。攻撃に変化も生まれないし」
「…………」
疲れるはともかくとして、攻撃に変化をつけるということをタイラーは考えていなかった。たんに振る角度を変えるだけということを、レグルスは言っているのではないという前提だが。
「あっ、もしかしてそういう鍛錬か? 基礎体力の向上中? だったら余計なお世話だな。忘れてくれ」
「……猛撃は、ああいう攻撃だ」
続けていれば、自然と体力の向上に繋がるかもしれないが、そういうつもりで、全力で剣を振っているわけではない。そういう攻撃技なのだ。
「もうげき……連撃ではなくて?」
「確かに猛爆連撃が正式名称だ」
「……猛爆かな? なんだか物凄そうな名前だな? いつからそう呼ぶようになった?」
「いつから?」
いつから、なんて聞かれても、タイラーは答えを持たない。ずっと昔から、変わらずそうであったはずなのだ。
「ディクソン家に代々伝わっている技のことだよな? だったら昔は連撃と呼ばれていたはずだ」
「……俺は知らない」
「そうなのか? 記録では連撃になっていたけどな?」
守護家に代々伝わる能力や技。それは秘儀というものではない。王家の未来視のように広く知られているものだ。特別な能力や技を伝えている特別な家系。こういう印象を世間に与える為に、隠されていないのだ。隠す前に知られていたということだが。
「調べたのか? 何のために?」
「使えそうな技はないかと思って」
「猛撃はディクソン家の技だ」
「代々伝わっているというだけで、ディクソン家しか使えない、使っては駄目だというものじゃない。技に限ってだが、そのことは他家のも同じだ」
王家の未来視とは異なり、技はお家芸というものであって、その家系でなければ使えないというものではない。家系に伝わる能力が、その技をより一層強力なものにしているので、わざわざ試みようとする人はそういるものではないが。
「……使えると思ったのか?」
「技そのものは。怪力の能力はディクソン家のもので、それに匹敵する身体強化は出来そうにないからな」
猛撃をより強力にするディクソン家の能力が「怪力」。単純に力が強いというだけの能力だが、そういう単純な能力のほうが、属性魔法のように相性がないことで、意外と戦場では役に立ったりするのだ。
「……その技を応用して、変化をつけるということか?」
レグルスは自家の技を進化させようとしている。レグルスの言った通り、技そのものはディクソン家の所有物というわけではないが、それでも気分は悪い。
「もともとそういう技だろ?」
「何?」
「えっ、本当に知らないのか? ディクソン家の技は連撃と呼ばれていた。それはただ力任せに相手を攻撃する技ではなく、力や速さに緩急をつけて、さらにリズムも変えて、攻撃し続けるものだ。そう書いてあった」
だからレグルスは、タイラーが全力で、しかも一定のリズムで攻撃していたことに疑問を持ったのだ。自分から立ち合いを申し込んでおいて、手を抜いたと思って、少し不満だったのだ。
「それは……本当なのか?」
「嘘が書かれていた可能性はある。でも、普通に考えれば俺の言うほうが上だよな? 攻撃のリズムが一定だと守り易いだろ?」
「確かに」
守る側にもリズムが生まれる。自然に体が動きやすくなってしまうのだ。それでは、ただの体力勝負になってしまう。その体力勝負で、タイラーはレグルスに負けたのだ。
「ああ……これを言うとお前は怒るかな? 怒るな」
「何だ? 怒らないから言ってみろ」
「もしかしてだけど……どこかで受け継げなかった人がいたのではないか? 変化をつけるのは苦手で。でも力だけはとんでもなく強い人がいて、そこで変わってしまったとか?」
「そんな馬鹿なことが……」
あるはずがない。タイラーはそう思いたい。
「勝手な想像だからな。でも、能力は血が影響するのかもしれないけど、技そのものは関係ないよな? 血筋に関係なく、正しく受継ぐ才能がある人が受け継ぐべきだ。お前の家の話じゃなく、一般論として」
舞術は結果として、血を引く者だけが継いでいるが、それは他にいなかったから。血筋でなくても、より優れた人物がいれば、その人が最高師範として立つことになる。
ただ、突出した才能を持つ人が常に現れるとは限らず、幼い頃から鍛錬を続けている子や孫の努力が上回ることのほうが多い。さらに道場そのものは代々受け継がれ、才能ある人はまた別に道場を開くという形を取って来たとレグルスは聞いている。そうして増えた道場も、もう残っていないという話と共に。
「……そうかもしれないな」
「まあ、代々受け継がれた技であろうとそうでなかろうと、強くなりたければ、自分のものとして磨き続けなければいけないことに変わりはないからな。どうでも良い話だ」
「ああ、そうだな」
代々続いてきたものの重み。それを軽く見ているかのようなレグルスの話に、普段であればタイラーは反発したかもしれない。だが、この流れでそれを言われると、その通りだと納得してしまう。その重みを必要以上に背負い込み、ただそのまま受け継ぐことしか考えてこなかった自分を反省してしまう。
過去を越えなければならない。レグルスとは違った意味で、タイラーはそれを思った。