アリシアはほぼ毎日、ジークフリートと一緒にいる。タイラー、クレイグ、キャリナローズが一緒にいることがほとんどだが、そうでない日も多くある。
夏休みの間に二人の関係が一気に進展した、というわけではない。ジークフリートはそのつもりかもしれないが、アリシアが他のメンバーがいなくても会っているのは鍛錬の為だ。アルデバラン王国最強とされている王国騎士団から指導を受けられる機会を、ふいにするわけにはいかないと考えているのだ。
「アリシアは凄いね。高いレベルの鍛錬を行うと、それに応じて強くなる。私も怠けていられないな」
「教えてくれる人たちのおかげです。王国騎士団の人たちは強いだけでなく、指導も上手なのですね?」
アリシアも手応えを感じている。学院に入学する前は、レグルスとは色々話し合っていたものの、ほぼ独学。指導に慣れた騎士に教わると、とても勉強になる。
「百年の時をかけて確立した指導法だからね。最強騎士団を維持し続けるというのは大変なことだと思うよ」
百年は比喩だが、長い年月を経て確立した指導法であることは間違いない。
「……戦術についてはどうなのですか? 日々、研究を重ねて、優れたものに変えているのですよね?」
「アリシアは戦術にも興味があるのかい? アリシアほどの実力があれば、一軍を率いてもおかしくないか」
「いえ、私なんてまだまだです。それで、戦術研究は?」
戦術についての話を持ち出したのは、王国騎士団のそれが硬直化していることを知っているから。実際の戦術がどのようなものであるかは知らないが、ゲームではそういうことになっていた。それが王国に混乱をもたらす原因のひとつとされていたのだ。
「長く戦争を経験し、勝ち続けてきた戦術だからね。優れたものだよ」
だがジークフリートにはそんなことは分からない。王国騎士団がそうであるように、王子であるジークフリートも王国騎士団の戦術レベルは、他国に比べて優れたものだと思っている。
「……戦術にも才能って存在するのでしょうか? 一人の天才によって、これまでの戦術が通用しなくなるくらいの変化が起きることってないのですか?」
戦争の天才は存在する。だがアリシアが言いたいのはそういうことではない。ジークフリートに自分の危機感を、なんとかして伝えられないかと思って、こんなことを言い出したのだ。
「天才……三代国王のアレキスがそう評価されているね。まだ小国であったアルデバラン王国を侵略から守り抜いた英雄だ」
「……辺境伯家にもそういう人がいるのですか?」
「……それは、まあ。でも評価としてはアレキス王が一番じゃないかな?」
辺境伯家にも戦争の天才と呼ばれた人はいる。四方の国境を守り抜くだけでなく、他国を打ち破って領土を広げた功績は、辺境伯家軍にある。四方にそれぞれ天才、もしくはそれに準ずる評価の優秀な指揮官を置けたという奇跡が、アルデバラン王国を今のような大国にしたのだ。
だがそれは、ジークフリートにとって自慢するものではない。王家が一番でなければならないのだ。
「王国騎士団は優れた戦術も持っているのですね。許されるのであれば学びたいです」
遠回しに話してもジークフリートには通じそうにない。だからといって、王国騎士団の戦術は古いと言っても、やはり伝えたいことは伝わらないとアリシアは思う。今は諦めて、どのようなものか知るくらいで満足するしかないと考えた。
「戦術の講義か……じゃあ、私が教わる時に誘ってあげるよ」
「よろしくお願いします」
ジークフリートにしてみれば、アリシアを誘う、それも彼女だけを誘う口実が増えた。実に都合の良いことだ。
「戦術の講義も良いけど、今度はまた違った仲間たちと鍛錬しないか?」
さらにジークフリートは、アリシアを誘う機会を作ろうとする。
「……違った仲間というのは、どのような人たちですか?」
ただ、これにはアリシアはすぐに前向きになれない。彼女がこうして城に来ているのは、優れた指導を受けられるから。その違った仲間という人たちが王国騎士団、そこまででなくてもタイラーやクレイグたちよりも良い鍛錬が出来る相手でなければ、困るのだ。
「若い騎士、まだ従士だね。従士の中でも優秀とされる者たちを集めた。行く行くはもっと数を増やして、私が率いる部隊にしたいと思っている」
「ジークの部隊ですか……」
そんな設定あっただろうか。考えてみたが、アリシアは思い出せなかった。
「優秀だよ。その優秀な仲間たちを鍛えるのに、アリシアにも協力して欲しいと思っている」
「私が指導するのですか? それは無理です」
「一方的な指導ではなく教え合うってこと。アリシアには、そうだな……たとえば魔力の鍛錬方法なんて良いかな?」
ジークフリートはアリシア独自の魔力の鍛錬方法を、その従士たちに伝えたいのだ。それが成功すれば、強力な部隊に育てられると期待しているのだ。
「魔力ですか……それなら」
自分にとっても悪い話ではないとアリシアは思った。レグルスを止める。それは自分一人の力だけでは出来ないかもしれない。レグルスは個の力だけでなく、組織の力で王国に災いをもたらす存在。王国騎士団はその組織相手に最初は負けてしまうのだ。
だが、初期段階からレグルスを止められるだけの組織があればどうか。そういう部隊が存在することで、レグルスを思いとどまらせることも出来るかもしれない。
この先の展開がどうなるかアリシアには分からない。ゲームストーリーは知っているが、その通りにするわけにはいかないと思っているのだ。最低でもレグルスの命を救う。それを実現する為に役立つ可能性があるなら、協力を惜しむわけにはいかない。
ジークフリートが国王への道を進むのを助ける白金騎士団は、こうして出来上がることになる。
◆◆◆
その酒場は、裏中央通りの大広場を北に向かって進んだ二つ目の交差点を右に折れた通りにある。ワ組の非合法売春宿があった場所の近くだ。人通りがあまりない通りにある隠れ家的なお店、なんてものはこの世界では流行っていない。通りを歩く人が少なければ、それに比例して客も少ない。いつかは潰れてしまうだろうと、近所の人たちが思っている酒場だ。
今夜はその酒場に珍しく複数人の客が入っている。店主も大喜び、とはなっていないが、とにかく店に人がいるのだ。客の数は五人。商人の護衛を生業としている者たち。そう、見た人が思う恰好をしている。
「マロイの奴、呼び出しておいて遅れるなんて、規律がなっていませんね?」
「そうだな。だが、今日に限っては、ただの遅刻であったほうが良いな」
客がこの店に来たのは仲間に呼び出されたから。その呼び出した人間はまだ店に現れていない。
「……まさか、本当に花街に遊びにいったのではないだろうな?」
「教皇の孫を抱きにか? それを本当にやっていたら、とんでもないな」
彼らの服装は偽装。本当の素性は教会騎士だ。それもレグルスたちを襲った教会騎士たちだった。
「おい。軽々しく口にするのではない」
「……申し訳ありません。でも、団長。この件はいつまで秘密にするのですか?」
「自ら身を引けば公表はしない。教会の恥は晒すと後々、面倒だからな」
この場には教会騎士団長もいる。それだけ重要な情報がもたらされる予定なのだ。
「そうですか……教皇の孫を抱けるなんて良い宣伝になったでしょうに」
また騎士の一人が口にしてはいけないことを口にする。
「引退しないで粘らせるか? そうなれば事実は公になる。だが、それをすれば人気が出過ぎて、お前らが遊べなくなるぞ?」
「それは困りますね」
一度は発言を諫めた教会騎士団長だが、今度は話に乗った。酒が入って気持ちが緩んでいるという点が少しは影響しているとしても、元々こういう人物なのだ。そうであることを、この場にいる教会騎士たちは知っているのだ。
「でも実際に遊べるのは団長くらいではないですか? かなりお高いという話を聞いています」
「もっと大金を払えば自分だけの物に出来るそうだ。いっそのことそうして、お前たちがいつでも遊べるようにしてやろうか?」
「おお、それは良い! 是非、お願いしますよ!」「私もお願いします!」「自分も!」
酒が入って上機嫌な教会騎士たち。重要な情報を入手した騎士から、緊急会議の必要があると伝えられて集まったことなど忘れているようだ。
問題はない。緊急会議など嘘なのだから。
「……貴方たちがそういう下種な男たちで良かった」
そこに、盛り上がっている教会騎士たちを非難する声が割って入って来た。。
「何者だ!?」
当然現れた男に、警戒の目を向ける教会騎士たち。聞かれてはいけない話を聞かれた、そう思っているのだ。
「……殺れ」
教会騎士団長はすぐに決断した。部外者に秘密を知られるわけにはいかない。知られたのであれば口封じをしなければならないのだ。
一斉に騎士たちが動き出す、はずだったのだが。
「なっ!?」
「灯りが?」
「どうした!? 何が起きた!?」
いきなり店内が真っ暗になってしまって、動くことが出来なくなった。
「逃がすな! 出口を塞げ!」
さすがに騎士団長は冷静だ。すぐに対応を指示した。命令が発せられたことで、騎士たちも冷静さを取り戻し、すぐに行動に移る。
二人が出口に向かい、残りの二人が警戒しながら見えなくなった男を探っている。
「がっ……」
「ぐあっ」
暗闇の中、聞こえてきたのは短いうめき声。何が起きたのかと身構える教会騎士たちを、戻った店の灯りが照らした。
「はあ、馬鹿な部下を持つと苦労する。だまし討ちだって言ったのに、どうして姿を晒す?」
「しかし……」
さらに灯りは新たな人物の存在を教会騎士たちに教えた。出口に向かった味方二人が床に倒れていることも。
「……貴様、何者だ?」
相手の言葉通りであれば、自分たちは騙されてこの店に集められたということになる。そのような真似を誰が行ったのか、騎士団長は分かっていない。
「さすが、お偉いさんは違う。自分たちが殺そうとした相手も分からないなんて」
「……貴様、なんとか屋の」
「それ、わざとか? 店の名も覚えていない小物だと馬鹿にしようとしているのか?」
大物ぶっている、とはレグルスは思っていない。相手が何者かも分からないまま暗殺を実行しようとした教会騎士団長は、やはり愚者だと思っているだけだ。
「自ら姿を現すとは……今回は逃がさないからな。殺せ」
「「はっ!」」
明るくなってしまえば、不覚を取るようなことはない。騎士たちはレグルスとオーウェンに向かって、駆け出した。
「責任取れよ」
「分かっております」
それを迎え撃つ二人。教会騎士が振るってきた剣を、自らの剣で受け止めると、体をずらして、それを流す。さらに攻撃を仕掛けてくる教会騎士。防戦一方の二人だが。
「ジュード、代われ」
「……騙し討ち」
レグルスに呼ばれたジュードが、不満そうな顔で姿を現した。二人を攻撃している教会騎士を、伏兵役のジュードが殺す。本来はこういう段取りだったはずなのだ。
「思っていたより、こいつら弱い」
「何だと!? 商人風情が我ら教会騎士を愚弄するな!」
「なっ? 商人風情なんてまだ言っていることで分かるだろ?」
普通の商人が騎士の攻撃を防げるはずがない。防戦一方であろうと守り続けているだけで、ただの商人ではないことは明らかなはずだ。だが、レグルスが騎士たちを弱いと評価するのはそれだけではない。実際に手応えがないのだ。
「稽古相手に丁度良いはずだ。稽古しかしたことがない相手みたいだからな」
「なるほどね。人を殺したことのない張りぼて騎士か」
相手をしている教会騎士に実戦経験はないとレグルスは判断した。だから弱いということでもない。実戦を経験する予定のない騎士の実力など、この程度かと考えたのだ。
「貴様ら……殺してやる!」
推測は正解。図星をさされた騎士は顔を真っ赤にして襲い掛かって来た。その剣を受け止めたのはジュード。言われた通りに、レグルスと替わったのだ。
「あまりに弱すぎると殺すからね? そうじゃなくても殺すけど」
「……舐めるな!」
舐めているわけではない。これくらいのことは教会騎士にも分かった。鋭い殺気を感じ取れるくらいは鍛えているのだ。
「さて、これで三対三と」
ジュードに相手を任せたレグルスは、少し下がったところで戦いの様子を眺めていた教会騎士団長に向き合っている。
「……マロイは?」
「それは、貴方たちをここに呼び出した人のこと? その人だったら生きている。今はまだ」
「……そうか。仕方ない。まずはお前たちを殺してから、探してやるとしよう」
ゆっくりと剣を抜く騎士団長。部下たちとは落ち着きが違う。騎士団長まで上り詰めた人物だ。その経験は部下たちとは比べものにならない。当然、実力も。
「戦神マスカルポーネ……」
呟きの声は魔法の詠唱。騎士団長の体が薄っすらと光を帯びた。
「一太刀で終わらせてやる」
右足を踏み込んだと見えた瞬間、騎士団長の体が揺らぐ。次の瞬間には、レグルスの体を真っ二つに切り裂いていた、はずだった。
「一太刀?」
「貴様……うぉおおおおっ!!」
雄たけびをあげてレグルスに襲い掛かる騎士団長。その素早い太刀筋は常人の目では追えないほど。閃光が宙を走っているようにしか見えない。
その剣を、レグルスはなんとか受け、避けている。だが騎士団長の剣は止まらない。すでにレグルスの実力は認めている。油断することなく、全力で倒そうとしているのだ。
「うぉおおおおおっ!!」
雄たけびと共に振るわれる剣。その勢いはさらに一段、上がっている。なんとか剣を遭わせて防いだレグルスだが、勢いに押されて大きく吹き飛ぶことになる。
テーブルと椅子がひっくり返る大きな音が酒場に響いた。
「レグルス様!」
さすがにこれはまずい。オーウェンの目にはそう映った。
「うるさい! 名前まで呼びやがって。自分の戦いに集中しろ!」
オーウェンに向かって怒鳴りながら、レグルスは一気に騎士団長との間合いを詰める。
「なっ!?」
騎士団長にとっては、まさかの反撃。そんな余裕が相手にあるとは思っていなかった。だがその反撃も騎士団長の体には届かない。咄嗟に体を逸らしてそれを避けた騎士団長は、一度、大きく間合いを取った。
「貴様……何者だ!?」
「それをお前に教える義理はない!」
さらにレグルスは攻撃を続ける。踏み込んだ足が床にめり込む。黒い影をまとったレグルスは、一瞬で騎士団長の懐に飛び込んだ。
「させるか!」
間合いに飛び込んできたレグルスに向かって、剣を振るレグルス。またレグルスは堪えきれず後ろに、今度は自らだが、跳ぶことになった。
「……まだまだだな。稽古始めたばかりだから当然といえば当然だけど……」
相手の攻撃を受け止め、もしくは流し、防衛範囲を歪めない。舞術における円の守りの基本だが、教会騎士団長を相手に、レグルスはそれが出ていない。
「……これ以上、無駄な時間を使っている暇はない。死ねぇええええっ!」
戦っているの騎士団長だけではない。部下二人もオーウェンとジュードと戦っている。明らかに劣勢な様子で。それに気付いた騎士団長から余裕が消えた。思っていたよりも遥かに手ごわいレグルス。それにさらに部下を倒して、二人が加わってきては、自分も危ういの考えたのだ。
「ば、馬鹿な……ど、どうして?」
だが、騎士団長の剣はレグルスに届かなかった。届くどころか、剣を握ったまま肘から先が床に落ちた。レグルスの剣が切断したのだ。
「どうして腕が思うように動かなかった? その答えは……しびれ薬を飲まされていたから。なかなか効かないから失敗したかと思った」
絶対に相手を殺せる準備。騙して店に集める。不意打ちを行う。その程度で安心するレグルスではない。この店に呼び出したことにも意味はあったのだ。
「……ひ、卑怯な」
「人の秘密を調べて、脅しているお前は文句を言える立場か?」
「……まさか……げ、猊下が……」
「お前が知る必要はない。それにお前は聞く側ではなく、聞かれる側だ」
レグルスの拳が、教皇の差し金だと勝手に考えて呆然としている騎士団長の顔に叩き込まれる。黒影をまとっていない、手加減された攻撃だ。
「終わったか? 終わったら、こいつの手当を頼む」
その頃にはオーウェンとジュードも自分の戦いを終わらせていた。残るは、後片付けだ。
剣を持ったまま酒場のカウンターに向かうレグルス。そこに隠れている店主がいることをレグルスは知っている。
「……残りの金だ。それで、どうする? このまま、ここで働くか、王都を出るか、どっち?」
「……本当に俺は、無事でいられるのですか?」
「殺す気なら今殺す。どうせなら、一緒に片づけたほうが楽だろ?」
死体の片付けについては、何でも屋の使用人たちが手伝うことになっている。見つからない場所に運んで、埋められることになる。
「……働きます」
店主は店に残ることを決めた。儲からないのに頑張って続けてきた店だ。去るのは惜しかった。それに、店主はレグルスが何者かを知っている。だから、暗殺の場として提供するだけでなく、店そのものを譲ることを受け入れたのだ。
形は特殊だが、北方辺境伯家の使用人という立場になれると思っているのだ。
「店の持ち主が変わったことは話さないこと。北方辺境伯家と関りがあることを匂わすのも駄目。今日のことも含めて、この店で見聞きしたことは全て秘密。これを守れば、ずっと働けて、給料も手に入れられる。分かった?」
「分かりました」
「約束を破った時のことは説明する必要ないよな?」
「……はい」
どうなるかは明らか。店の床に転がっている騎士たちと同じ目に遭うのだ。北方辺境伯家の使用人と死体。死体を選ぶ人間なんていない。
「……はあ。まだまだ弱いな。もっと頑張らないと」
しびれ薬を盛っていなければ教会騎士団長には勝てなかった。最初から勝てるとは思っていなかったが、実際に戦ってみて、自分の実力不足を思い知らされた。戦いを終えて、レグルスが思ったのはこれだ。
残りの夏休みは、稽古だけに集中しようとレグルスは心に決めた。