#
国王と王弟の争い、それにクリスティーナ王女派が加わったことでモンタナ王国の内乱は三つ巴の戦いになっている。最大の支配地域を有しているのは国王。王弟は支配地域こそ国王に比べると狭いが、ウェヌス王国軍を加えた軍勢の数では最大だ。支配地域の狭さはそれを広げることに拘っていないから。モンタナ王国軍との戦いで決定的な勝利を収めれば、モンタナ王国貴族は全て自分に靡く。そう考えてのことだ。
支配地域の広さでも軍勢の数でも両陣営に劣るクリスティーナ王女派。圧倒的に不利な状況で、かなりの苦戦が予想されたのだが、今のところはそこまでの状況ではない。内乱の最前線はモンタナ王国を南北に区切る中央街道、その中でも東街道沿いだ。クリスティーナ王女派の支配地域からは距離がある。国王と王弟の軍勢が消耗し合う戦線に、わざわざ介入する理由もない。
クリスティーナ王女派としては手に入れた時間を、いかに有効に利用するかを考える時だ。
「……なるほど。では北部には小麦を、東部に鉄を運ぶことにするか」
ヤツの配下の間者から情報を聞き、指示を出すグレン。それを横で聞いているクリスティーナ王女には、まだグレンが何をしようとしているか分からない。
「需要の面ではそうですが、鉄を前線に近いところに持って行って問題ありませんか?」
「軍に接収されることを心配している? それは仕方がない。そうされているから需要があるのだから」
中央東部は今、もっとも盛んに戦いが行われている場所。武器に加工できる鉄の需要は高い。そして、もっとも鉄を必要としているのは国王と王弟派の両軍だ。
「……軍に奪われたら、また運びますか?」
「一回くらいは必要かな?」
「承知しました。ではすぐに手配いたします」
グレンの説明に納得した様子の部下。だが、やはり、横で聞いているクリスティーナ王女には何のことか分からない。
「この状況で商売?」
ラルクスタン男爵はグレンが何を指示したのかは分かっている。だが、その意図までは掴めなかった。
「ええ。国を富ますには資金が必要です。それを稼がないと」
「でも、それだけが目的ではないね?」
「クリスティーナ王女が造る国は良いものだと知らせなければなりません。本当は支配地域を稲でも小麦でも良いから、黄金色に染めて見せられれば良いのですけど、その時間はありません」
クリスティーナ王女が造る国は、今のオルテア王国よりも、王弟が作る国よりも良い国になる。グレンはオルテア王国の民にそれを知らしめようとしている。商売はクリスティーナ王女の支配地域が豊かだと思わせる為なのだ。
「豊かであると見せかける為……期待が大きくなり過ぎれば、逆に問題ではないかな?」
「可能性を見せるだけです。実際に国を豊かにするのは、この国の人々です。そうでなくては良い国とは言えません」
「……これを私が聞くのは間違っていると分かっているけど……豊かになるのかな?」
小国オルテア王国は元々、豊かとはいえない国だ。それをなんとかしようしてきた人々はいる。だが、やはりオルテア王国は小国のままなのだ。
「まさか、ウェヌス王国みたいになるなんて考えています? それは無理です」
「それは分かっているけど」
「豊かさの基準に統一したものはないと俺は思います。豊かか、そうでないかはそこに暮らす人々が決めること。それを他所と比較なんてするから、欲望が膨れ上がるのです」
豊かさには基準がない。基準がないから上ばかり見る人々の欲は膨れ上がる。下だけを見て、現状に満足することもグレンは間違っていると思うが、強欲であるよりはマシだとも。
「その結果、戦争が生まれる」
「そういうことになりますか。でも、その結果、大きくなった国には奪う者と奪われる者が出来るだけ。それが良い国とは思えません」
「……意外、と言ったら怒られるかな?」
平民からゼクソン、アシュラム二国を統べる王になったグレンの言葉とは思えない。グレンは奪う側にいる人物だとラルクスタン男爵は思っていたのだ。
「何がですか?」
「君が性善説の側であること」
奪う側ではなかった、という表現は避けたラルクスタン男爵。ただこれは正しくはない。
「人の本質は善人だという説ですか? それは違います。俺は人に善悪はないと考えています。立場や環境で行動が変わるだけだと」
「立場や環境で行動が変わるか……」
ラルクスタン男爵の視線が、短い間だが、クリスティーナ王女に向けられる。彼女も立場と環境で行動を変えた一人なのか。そんな風に考えたのだ。
「だから、立場は難しいですけど、環境については気を使わなければなりません。人々が良い行動を起こすような環境を整えなければなりません。まあ、あくまでもその国にとってになると思いますけど」
「それが施政者の役目だというのだね?」
「そういう言い方をされると、偉そうに聞こえて嫌ですけど……まあ、そんな感じです」
良い国にするには、一人でも多くのその国で暮らす人々にそうしたいと思わせること。そうしたいと思い、行動に移そうとする人々を助けること。彼らの頑張りを成果に結びつける方法を考えること、その成果を一人でも多くの人に実感させること。それがまた次の行動に繋がる。
そういった良い循環が巡れば良いが、簡単なことではない。小さな問題も見逃すことなく、その解決に動かなければならない。どうにもならない問題に直面した人々が諦めてしまわないように支えなければならない。
「……大国では出来ないことだね?」
「はい。小国の強みです。大国でも、いくつかに分割して、それをきちんと見る人や組織を整えられれば良いですけど……難しいですか。善でも悪でもない人は、善にも悪にもなる」
「それが全て善に向くと考えるのは性善説と同じか……」
そうだとすれば大国に良い国はないということになる。それを認めることにはラルクスタン男爵は抵抗を覚える。モンタナ王国を守る側にいるラルクスタン男爵だが、世界は統一に向かっているという考えも持っている。統一された結果、人々が不幸になるという結末は受け入れたくないのだ。
「なんだか難しい話になりましたね? 要は『今よりは少しマシ』を実現し、それを重ねて行けば良いのです」
これを聞いたグレンの部下たちは、少し呆れた顔を見せている。グレンが求めるものが「少しマシ」という表現とはかけ離れたものであることを知っているのだ。
「それで我々は勝てる?」
良い国を造る、は最終的な目標。その前に、国王と王弟との戦いに勝たなければならないとラルクスタン男爵は考えている。それに向けてのグレンの計画が見えないのが不安であり、不満なのだ。
「少しマシを重ねていければ、多分」
「それは……?」
「国王よりも、王弟よりも少しマシ。これを重ねていくことです。今のところ、それは上手く行っています。相手は少しもマシにしようとしていない。それどころか事態を悪化させていますから」
国王も王弟も軍事だけに目を向けていて、内政を、疎かとまでは言わないが、改善しようとしていない。特に王弟は、国を変えると言いながら、南部の政治にまったく手を付けていない。それが多くの人を失望させている原因のひとつであることに気が付いていない。
「軍事ではなく、内政で国を取る、と?」
「表現が大げさですね。もっと、ちょっとしたことです。たとえばさっきの商売の話。金を稼ぐことだけが目的でないのはラルクスタン男爵が見抜いた通りです。我々は人々が求めている物を提供し、相手は人々が求めて手に入れた物を奪っていく。どちらを頼りにしますか?」
「それは、与える者だね」
奪う者と奪われる者という対義関係だけでなく、与える者と奪う者という対義もある。グレンはそれを意図して作り出そうとしているのだとラルクスタン男爵は知った。
「土地も資金も少ないクリスティーナ王女は、わずかなものしか与えることは出来ません。でも、比較対象がそのわずかな物を奪っていったら? わずかでも与えてくれたクリスティーナ王女のほうがマシになります」
「……それを繰り返していくとどうなるのだろう?」
その結果、多くの民がクリスティーナ王女の支配地域で暮らすことを望んだとしても、与える土地がない。グレンが求める結果は、そういうことではないのだとラルクスタン男爵は思った。
「上手く行くかはまだ分かりませんが、クリスティーナ王女の治政で暮らすことを望む人々は、支配地域を広げる為に侵攻しても、土地を奪いに来たとは思わない。与えに来てくれたと歓迎してくれると大成功だなと思います」
占領地の安定に時間や労力を割く余裕はない。敵は軍だけにして、侵攻するとなったら一気に事を終わらせる。そしてすぐに守りを固める。こういった戦いが、今回は、グレンにとっての理想だ。
「奪いに来た者が与える者になる……それが貴方の戦い方ですか」
「俺ではなくクリスティーナ王女の戦い方です。民を傷つけない。敵に回さない。そんな方針ですので」
「そうでしたか……」
ラルクスタン男爵の視線がクリスティーナ王女に向く。それに対する反応は予想通りのもの。彼女はわずかに顔を横に振って、応えた。自分の方針ではないという意思表示だ。
グレンはやはり奪う者。こうラルクスタン男爵は思った。彼は人の心を奪うのだと。それが彼が英雄と称される、最大の理由なのだと。
◆◆◆
北方辺境師団本部は、総勢一万という数からすると、それほど大きな建物ではない。辺境師団の主要任務は国内治安。ウェヌス王国北部区域全体の治安維持活動を行う為に、通常は北部区域の各地にある拠点に分散配置されているからだ。今回そのうちの、北部区域でも東部に位置する拠点に配置されている部隊に、出動命令が発せられた。エイトフォリウム帝国とゼクソン、アシュラム王国の連合との戦いに参戦することになったのだ。
北部区域のほぼ中央にある北方辺境師団本部からも、かなりの数が東寄りの集結地点に移動することになる。その準備で北方辺境師団本部では、騎士や兵士が忙しそうに出入りを行っている。北方辺境師団が対外戦争に駆り出されるのは、これが初めてのこと。異常事態に少し混乱している面もあるのだ。
そんな中、北方辺境師団の騎士にしては粗野な恰好をした男が、他の人たちとは違い、ゆっくりと建物から出て来た。それを迎える男たちも似たような恰好だ。腰に剣を吊るしているが、騎士には見えない。兵士が支給される装備とも異なる。彼らは北方辺境師団の所属ではない。傭兵だ。銀鷹傭兵団は消滅しているので、現時点では、傭兵と呼ぶのが正しいとは言えないが。
「……話すことは話してきた」
「手応えは?」
スパロウの表情で大成功とは言えない結果であることは分かる。建物の外で待っていたイーグルも予想していた結果だ。
「分からん。考える様子はあった。あとは意地と保身の気持ちのどちらが勝つかだな」
「意地?」
「損得だけの関係ではなかったと俺は思っている」
「なるほど。ただ、それをお前の口から聞かされてもな」
裏切り者と見られる人物が、全て損得だけで動いているわけではない。自分の信念や別の強い想いで行動を選択している人も多くいるのだ。そういう気持ちはイーグルもよく分かっている。ただ、それをスパロウの口から聞かされるのは、納得いかない。
「俺だって個人的な損得で動いたわけじゃない。組織を存続させる為には後ろ盾が必要だと思ったからだ」
「冗談だ。俺たちだって同じ選択をした。お前だけを責めるつもりはない」
イーグルもスパロウと同じ選択をしている。彼と選択するタイミングがずれているだけだ。
「次の選択は正しいと良いけどな」
「その結果が分かるのは先のことだ。とりあえず、会ってみてどうかだな」
「本当にジンの息子に会いに行くのか?」
スパロウたちはグレンに会いに行く予定だ。その途中で、先に出来ることをしておこうと考えて、寄り道をしたのだ。ただスパロウはまだ覚悟が定まっていない。グレンに会うことを恐れている。
「信用されようと思ったら、会わないわけにはいかないだろ? 疑われたままでは良い働きなんて出来ない」
「会った瞬間に殺されないか?」
殺される理由はある。スパロウたちはグレンの両親をずっと裏切っており、その殺害に、程度の差はかなりあるが、関わっているのだ。
「アルビン・ランカスターだって生かされているのだ。大丈夫なはずだ。それに、ヤバそうなら先に会っている親父さんたちが教えてくれる」
グレンが暮らしていた宿屋の主人、を装っていた親父さんとマアサは先に向かっている。彼らもケジメとしてグレンに会おうと考えたのだ。単純に会いたいという気持ちのほうが強いが。
「……分かっている。分かっているけど、なんだか、まだ頭と気持ちの整理が出来なくて」
死か、グレンに従うか。イーグルたちに選択を求められて、スパロウはグレンに従うことを選んだ。選択の余地はない。命をかけるほどの忠誠心はエドワード王に対して持っていないのだ。選択する機会を与えてくれたのは、イーグルたちの好意だということも分かっている。だが自分の立場の変遷に頭と気持ちが付いていっていないのだ。
「狐につままれたような感覚。これって魔女のやり方だな」
黙って話を聞いていたスターリングが、ぼそりと呟いた。何が何だか分からないままに事が決してしまう。これはグレンの母、セシルに嵌められた時の感覚なのだ。
「おい。嫌なことを言うな」
「あり得るだろ? 俺たちはまだ魔女の手の平の上で踊らされている」
「その魔女の息子は母の謀略を止めようとしている。俺たちはその息子に味方しようとしているんだ」
グレンは母セシルの謀略がまだ残っているのであれば、それを止めようと動いている。モンタナ王国に向かったのもそれが理由だとイーグルたちはクレインから聞いている。
「母と息子。どっちが上かな?」
「だから……」
「どっちでも良いだろ? 俺たちにとって良いほうに転べば」
スパロウはセシルの謀略については、あまり気にしていない。
「……お前は魔女にぞっこんだったからな」
「それを言うか?」
つまり、事実だということだ。
「事実だ」
「人の心の傷をえぐるなってことだ。俺はセシルに誑かされていただけだ。あいつはいつも思わせぶりな態度を俺に向けて、それでいて、いざとなるとスルッと逃げてしまう。俺の純情を弄んでいた」
「何が純情だ。欲情の間違いだろ?」
「……良い女だったからな。怖い女だったけど」
そのセシルを殺さなければいけないことになった。スパロウは直接、殺害には関わっていないが、止めることもしなかった。止めようとしても止められなかったが。
心の傷は弄ばれていたことではない。セシルの死が、自分が殺害する側に立っていたという事実が、胸を痛くするのだ。
「まさか……土壇場で裏切っていたのはお前か?」
常に、最後の最後でセシルに状況をひっくり返されていた。その原因はスパロウの裏切りにあるのではないかとイーグルは思った。本気ではない。スパロウをからかっているだけだ。
「馬鹿言え! あの女は裏切っているか分からないままに、それをさせる。そういう女だ」
「それ、可能性認めているから」
「…………」
案外、そうだったかもしれない。スパロウには絶対に自分のせいではないと言い切る自信がない。ただ、これは彼だけではない。魔女に誑かされた男は他にもいる。だから魔女なのだ。
「……なあ」
「今度は何だ?」
またスターリングが割り込んできた。自分をからかう別のネタを言い出すのかと思って、不満そうに答えたスパロウだが。
「……楽しい時もあったよな?」
「…………」
スターリングの問いに心を震わせることになった。
「皆で、本気で笑い合っていた時もあったよな……あの頃も」
「……ああ、あったな」
内部分裂を起こし、仲間の仮面を被りながら、敵味方に分かれて暗闘を行っていた。誰が敵で誰が味方か。皆が疑心暗鬼になりながら、銀鷹傭兵団としての活動を続けていた。
それでも楽しい思い出はある。ずっと思い出すことのなかった仲間の笑顔が、今、頭に浮かんでいる。強い後悔の想いと共に。
「せめて生き残れた俺たちは、仲良くしていかないか? ずっと」
「ああ」「そうだな」