モンタナ王国の内戦は三つ巴の戦い。そう見られているが、実際には国王軍だけが王弟派とクリスティーナ王女派の両方を相手に戦っている状況。数では両派に勝るモンタナ王国軍ではあるが、さすがにこの状況は厳しい。主戦場と定めている中央街道の東街道側には厚く軍を配置しているが、それ以外の前線への軍の配備は十分とは言えない。クリスティーナ王女派の戦力を正しく把握していれば、そう判断するはずだ。
だがモンタナ王国軍にはそれが分からない。真実に近づき、自軍の不備を分かっている者もいるが、その声は軍の配置に影響を与えられない。たとえオズボーン将軍であっても。
グレンが味方している確たる証拠もないのに、ウェヌス王国軍が支援する王弟派との最前線の守りを薄くするわけにはいかないのだ。
だがオズボーン将軍もようやく証拠を掴めそうになっている。それを求めて、わざわざ北部の最前線まで視察に来ただけのことはあった、と思っている。
「これが……銀狼傭兵団か?」
規模としては小競り合い程度のもの。だが、その戦いでモンタナ王国軍は敵軍に完全に押されている。
「確かに軍旗の図柄は狼ですが……あれは銀色なのでしょうか? 私が知る情報は銀狼兵団のものですが、黒地に銀色の狼の図柄と聞いております」
オズボーン将軍の問いに対して、部下ははっきりと肯定を返さなかった。強敵であればグレン率いる銀狼傭兵団に違いない、と言いたいところだが、敵軍に翻っている旗は図柄こそ狼であるが、色は銀色には見えない。遠目で見た感じでは白。しかも旗の地色は赤だ。
「銀狼傭兵団でなければ、どこの部隊だ?」
「傭兵でなければ正規軍、いえ、正規軍という表現は不適切ですか。クリスティーナ王女に仕える軍ではありませんか?」
「同行したのは若い見習い騎士ばかりであったと記憶しているが?」
義勇軍を立ち上げようとしたクリスティーナ王女に付き従ったのは、若い未熟な騎士ばかり。今、目の前で行われているような戦いが出来る者たちではないとオズボーン将軍は考えている。
「その通りでありますが、私が知るある方は、罪人たちを鍛え上げてウェヌス王国軍と戦ったと聞いております。しかも、勝ちました」
「……私もその話は知っている。つまり、我々は見習い騎士を一人前に育て上げる時間を与えてしまったということか」
ゼクソン王国でグレンが育て上げた銀狼兵団は、ウェヌス王国戦で多大な戦功をあげた最強部隊。クリスティーナ王女に従っていた若い騎士たちも同じように鍛え上げられた可能性は高いとオズボーン将軍は考えた。
正しい認識だ。まだまだ銀狼兵団には及ばないが、若い騎士たち、そして義勇兵たちはずっと厳しい鍛錬を続けてきた。その成果は確実に現れている。
「……相手がその気になれば、いつでも我がほうの陣を突破出来る。こう見る私の目は狂っておりますでしょうか?」
味方はかなり押されている状況ながら、ぎりぎりで堪えている。だがそれは味方の奮闘ではなく、敵があえて決着を先延ばしにしているからのように見える。こんなことを言うべきではないと思いながらも、部下は問いを口にしてしまった。
「お前の目が狂っているのであれば、私の目もそうだということだ。私としてはまだ衰えてはいないと思いたいが」
「閣下にもそう見えますか……訓練のつもりでしょうか?」
決着を引き延ばしているのは実戦訓練を行いたいから。部下はこう考えた。
「その可能性は高い。だが……」
そんな分かりやすい理由だろうかとオズボーン将軍は思った。噂に聞くグレンという人間は、そんな単純ではないという思いもあるのだ。
「あれは……王女殿下ではありませんか?」
「王女殿下が前線に?」
敵軍の中から進み出てきた人影。見覚えのあるその人影はクリスティーナ王女としか思えない。だが、王女自ら戦場に立つ必要があるとは二人には思えない。目の前で繰り広げられている戦いは、王女殿下が自ら戦場に立たなければならにほど、重要なものではないのだ。
『武器を置きなさい! 私は貴方たちを死なせたくありません! 貴方たちもまた新たな国の為に力になれる人たちだから!』
前に出てきたクリスティーナ王女は降伏勧告を始めた。意外にもその声は良く通る。オズボーン将軍が知る気弱さはまったく感じられない。
『貴方たちは私たちの力を知ったはず! 私たちに戦う力があることは分かったはず! この国を活力ある国に作り直す力があることを理解したはずです!』
国王に成り代われる力があるとクリスティーナ王女は言っている。小競り合い程度の戦いで圧勝しているくらいで、なにを思い上がっているのだ、とは実際に戦った者たちの多くは思わない。彼らにとって、この戦場での結果が全て。クリスティーナ王女が率いる軍は確かに自分たちより実力は上。王国軍である自分たちを超える力がクリスティーナ王女派にはあるのだ。
『滅びゆく国に殉じるのではなく! 新たに生まれる国の為に生きるのです! 私、クリスティーナは未来を信じる貴方たちを、いつでも迎え入れる用意があります!』
降伏しなさいではなく、迎え入れる用意がある。クリスティーナ王女はその言葉を選んだ。敵味方に分かれている時ではない。志ある人たちが一つになって新しい国を造り上げるのだ。こんな思いを込めて、選んだのだ。
「……あれだけで投降者が出ることはないと思います」
「……今はな」
今、この戦場には王国軍の頂点に立つオズボーン将軍がいる。クリスティーナ王女の話を聞いて、雪崩を打ったように王女派に寝返る騎士や兵士が出るということにはなり難い。
だが、戦場からオズボーン将軍が去ったあとはどうか。この戦場ではなく、他の場所ではどうなのか。クリスティーナ王女の言葉は、他の場所にも伝わっていく。これは間違いことだ。これまでも、伝わるはずのない情報が伝わることがあった。意図的に噂を流している者、組織がいることは、すでに分かっている。
同数では戦場で勝ち目はない。情報戦でも負けていると考えるべきだ。あとはどうなのか。国としてモンタナ王国は、クリスティーナ王女を旗頭とする集団に、領土の広さと人口の多さ以外の何を勝っているのか。
オズボーン将軍は、その部下も、こんなことを考えてしまった。冷静に考えれば、明らかに過大評価。そんな異常な考えが頭に浮かんでしまうのは、英雄グレンの幻影のせいか、それとも。
◆◆◆
クリスティーナ王女の支配下地域にある街。もとは無名の小さな村であったその場所は、支配下地域の中央に位置することで、行政の中心地となった、小さな村が行政の中心なんて役割を担えるのか、と普通は思うが、現実にはまったく問題ない。行政を担うのは、公式にはラルクスタン男爵の他、五人の貴族たちだけ。大きな建物など必要ないのだ。 元は農家の納屋だった場所で政治の話をしているのは、さすがにどうかと言う者もいるが、当事者たちが気にしていないのだから、問題ないということだ。
「人口は確実に増え続けている。今のところは受け入れも問題なしだね」
会議の仕切りはラルクスタン男爵。爵位などは関係ない。もっとも早くクリスティーナ王女に仕えているので、それだけ状況を良く把握しているということで、その立場を努めているのだ。
「だが、いずれ受け入れきれなくなる」
ただ人が増えれば良いというものではない。住む場所と仕事を用意しなければならない。さらに生活基盤が整うまでの支援も必要だ。
「その通り。でも、そうならない為の準備は進めている。新たな開墾地はいくつか見つけてある。当面の仕事も。たとえば、この場所であれば街の拡張工事の為の人手が必要だ。生活費を稼ぐ機会はある」
「国の仕事で生活費を稼ぐのか。それは分かったが、賃金を払う為の財源はあるのか?」
公共事業で仕事を作り、流入してくる人々の生活を支援する。これは分かるが、支払う賃金をどうするかという問題がある。
「当面はアシュラム王国との交易で得た利益を投入する予定」
「なるほど。それがあるか」
クリスティーナ王女にはグレンが付いている。それはもうこの場にいる人たちは知っている。
「ただし、それだけに頼るわけにはいかない。アシュラム王国も戦時下にある。思うように交易が出来ない状況になる可能性は高いからね」
戦争が始まれば多くの場合、国内は物不足になる。不足している物の輸入は増えるかもしれないが、それがモンタナ王国北部の産物であるとは限らない。他国との交易が増えれば、その分、モンタナ王国とのそれが減る可能性は高い。
「そうなると、かなり厳しいな」
モンタナ王国北東部は王国の中で特別豊かな地域ということではない。まだまだ開発途上、といってもモンタナ王国に地域開発の計画などないが、の地域だ。多くの人が住める場所にしようと思えば、その為のコストが必要になる。かなり多大なコストだ。
そんな資金はクリスティーナ王女にはない。義勇軍立ち上げの為の資金として国王から受け取った資金は手元にあるが、それもかなり使ってしまっている。今は、軍資金を雇っている傭兵団に頼るという、おかしな状況なのだ。
「大商家をこちらの陣営に引き込むのはどうだ?」
「それが出来れば資金面は少し楽になるかもしれないね。でも、どうかな? 今の状況で寝返る大商家なんているかな?」
大商家は王国との繋がりが深い。繋がりが深いから商売を大きく出来たとも言える。クリスティーナ王女の勝ちが見えていない今の状況で、国王を裏切るような真似をするとは思えない。
「……難しいだろうな。それでも何もしないで手をこまねいているよりは、動いたほうが良いのではないか?」
「それはそうだけど……」
無理だと思って諦めているわけではない。はたしてそれを、クリスティーナ王女は許してくれるかもしれないが、グレンが認めるか。ラルクスタン男爵は、自分はまだまだグレンのことを理解出来ていないと思っているが、なんとなくこういうやり方は違うのではないかと感じていた。
「その必要はありません。だからといって手をこまねいているつもりもありません」
正解だ。部屋に入ってきたグレンは、大商家の取り込みを否定した。
「戻っていたのだね?」
「今さっき戻りました。報告があったので、まっすぐここに来たのですけど……盗み聞きみたいになってしまいました」
「いや、全然かまわない。隠すようなことではないからね」
グレンに隠し事などする必要はない。してはいけない。それは信用を失う結果を招くだけだとラルクスタン男爵は分かっている。
「資金力のある商家の取り込みですけど、それを行えば国王にこちらの困窮を知られてしまいます。実際には困窮というほどのものでなくても、そういうことにされてしまう可能性があります」
「……なるほど。国王がどう思おうとかまわないけど、臣下や王国の民が同じように思っては困るね」
クリスティーナ王女派にはモンタナ王国を良い国にする力がある。今は、こう王国の人々に思わせる為の策を進めている最中。逆効果となることを行うわけにはいかない。
「……しかし……それでは……」
資金の問題が解決しない。ということを言いたいのだが、王弟派を離脱して合流したばかりのこの貴族は、グレンに批判的なことを言うことに、まだ躊躇いがある。
「方針を転換する時期かと考えています。ここに来たのは、クリスティーナ王女の御裁可を仰ぐ前に、入手した情報が正しいか確かめる為です」
「情報とは?」
「これを見てください」
グレンがテーブルの上に置いたのは紙、人の名前がいくつも書いてある紙だ。
「これは……王国貴族の名だね?」
「はい。そのリストを見て、気づくことはありますか?」
「……正直、あまり評判の良い人たちとは言えないね? 彼らをどうするつもりなのかな?」
リストに書かれている貴族たちは、ラルクスタン男爵から見て、かなり問題のある人物ばかり。そのような人々をリストアップしたグレンの目的が気になる。
「他の人たちはどうですか? この人は世間に言われているほど悪い人ではないという人はいませんか?」
グレンは、ラルクスタン男爵の問いにすぐに答えずに、他の貴族たちの意見を聞いた。
「……私はラルクスタン殿と同じ意見です」
「私も」
「私も同意見だ」
「私も……あっ、いや、このカーヴィーは、悪人ではなく人が良すぎて、家臣の言いなりになってしまっている人物です。私はそうであることを知っています」
周囲の意見に同調しかけた彼だが、途中で、グレンに対してはこれ以上ないほど誠実にとラルクスタン男爵に忠告されていたことを思い出した。
「それはそれで問題ですけど……まあ、本人の処遇については考慮する余地はありですか。この人くらいですか? 他にいませんか?」
さらに念押しをするグレン。それに対して、評価の訂正を求める声はあがらなかった。
「ではこれで確定とします」
「それで? そのリストの意味は?」
この段階ではラルクスタン男爵も少し状況が分かってきている。リストに載っている人たちが、クリスティーナ王女の敵、討つべき相手と定められたことは。
「近いうちに、この中の誰かが治める領地の人々から、クリスティーナ王女に救いを求める声が届きます。悪政を行っている領主から救ってほしいという歎願です」
「誰かが治める領地ね……当然、王女殿下は民の声に応える」
そんな都合の良い出来事が、このタイミングで起きるはずがない。策謀の類であることは明らかだ。
「当然、応えるでしょう。人々の暮らしを楽にすることは王女殿下の目指すもののひとつですから」
「……ただ、支配下に置くには離れすぎているね?」
悪徳領主を追い出して、クリスティーナ王女の施政下に置く。目的は分かる。分かるが、さすがに都合よく彼らの領地が繋がっているはずがない。領主を追い出しても、その領地を支配し続けるのは難しいのではないかとラルクスタン男爵は考えた。
「点と点を繋げれば線になり、線を繋げれば面になります」
「……王国軍との全面対決に移行すると?」
もしそうであれば事態は急変。モンタナ王国の内戦は一気に状況が変わることになる。
「正しくは、国王との決戦に臨む、です。王国軍とは出来るだけ戦いたくないですね。王国軍の人々も王国の民ですから……と、王女殿下はおっしゃると思います」
「……勝算はあるのだね?」
「どうでしょう? 完璧とは言えませんが、出来ることはしてきました。それでも絶対などありません」
絶対に勝つ、なんて言葉がグレンの口から出ることはない。考えうる全てのことを行って、それでも漏れはないかを考える性格なのだ。
「でもやる」
「すでに時間の経過が我々の味方となる状況ではなくなりました。ここから先は結果の積み重ねが必要です。結果を出すには動かなければなりません……と、王女殿下もそろそろ考えられている頃ではないかと」
「分かった……それで? その後ろの人たちも銀狼傭兵団の人たちかな?」
話に一区切りついたところで、ラルクスタン男爵はグレンの後ろに控えている人たちについて尋ねた。彼が初めて見る顔ばかり。何者なのか気になっていたのだ。
「傭兵団は傭兵団ですけど……」
「我々は、別の傭兵団を辞めて、銀狼傭兵団に入れてもらったばかりだ」
答えを躊躇うグレンに代わって、事情を説明したのはイーグルだ。元銀鷹傭兵団の彼らはようやくグレンのいる場所に辿り着いたのだ。
「別の傭兵団……」
「入団したばかりの彼らに今回は働いてもらいます。まあ、準備はほぼ完了。始まりの合図を伝えるだけですけど」
現地で動くのは銀鷹傭兵団の末端に位置する人たち。すでに銀狼傭兵団の一部になっている人たちも混じっている。グレンは、銀鷹傭兵団が謀略の為にモンタナ王国に根付かせていた人々を、一斉に動かすつもりなのだ。彼らが合流したことで裏切りの心配なく、グレンが百パーセント信用することなどないが、それが可能になったのだ。
「……詳しい事情は聞けるのかな?」
「話すと長くなりますので別の機会に。悪徳領主討伐は銀狼傭兵団が行いますので、忙しくて。王女殿下には概要は伝えておきますので、面倒ですけど王女殿下からお聞きください」
この内乱を裏で糸引いていたと噂されている銀鷹傭兵団が味方についた。これを説明すれば疑う人は必ずいる。グレンこそが黒幕ではないかと。そういう面倒ごとは避けたい。疑われても良いが、行動を邪魔されたくないとグレンは考えている。
結果が出れば、良い結果になれば、どうでも良いことになるはずなのだ。モンタナ王国を自分の物にする気など、グレンにはまったくないのだから。本人は。
グレンにモンタナ王国を奪われることを恐れながらも、その庇護下に入りたいという思いがクリスティーナ王女にはある。そして、ラルクスタン男爵にも。そういう人はこれからさらに増えるはずだ。