あだ名は「お化け」。学校に通うようになってからずっと嫌われ者だった。友達と呼べる存在どころか、近づいてくる同級生も一人もいない。クラス替えで仲良くなれそうな人が出来たと思っても、すぐに自分から離れていった。歪んでいる自覚がある性格も、周囲から疎まれ、ずっと独りぼっちでいたことによるもの。はじめは普通だったはずだ。外見も悪くないと思う。自惚れていると思われるかもしれないけど、何も知らない女の子からは好意を向けられた覚えがある。数人だとしても、いたのは間違いない、はずだ。
じゃあ自分は何故、周囲から嫌われるのか。ずっとそれが分からなかった。勇気を出して周りに聞いてみようと思った時もあったけど、自分が近づくと鬼ごっこのように皆、逃げてしまう。近づかれるのも嫌。そこまで嫌われる理由が分からなかった。
それを教えてくれたのは、少し舌足らずな、可愛い勇者だった。
「ルークンからはなれなたい!」
「ん?」
その女の子が何を言っているのか、はじめは分からなかった。
「はなれなたい!」
「……もしかして、はなれなさい?」
「そう」
いきなり近づいてきて「はなれなさい」と言ってきた女の子。ふわふわした金髪が陽の光を含んで輝いていた。思わず手を伸ばしそうになったが、そういう状況ではないと、幼いながらに思って、我慢した。
「ちかづいてきたのは、きみだよ」
離れなさいと言われても、近づいてきたのは女の子のほうだった。
「ルークンからはなれろ!」
「ちかくには、きみしかいないけど?」
どうやら「はなれろ」は僕に向かっての言葉ではない。言葉の意味は分かったけど、彼女が何を求めているのかは分からなかった。
「わたしだけじゃない。ルークンのうひろにオバケがいる」
「ぼくのうひろ……うしろ?」
「そう」
「ふうん……ええっ?」
いきなり自分の後ろにお化けがいると教えられて、僕はひどく驚いた。女の子が嘘をついていると思わなかったのは、今思えば不思議だ。なんとなくそういう気配を感じていたのかもしれないが、当時のことはよく覚えていない。
「はなれろ! おば……きやぁああああっ!!」
可愛い勇者はあっけなく撃退されてしまった。何が起きたのか、僕にはまったく分からないままに。とにかく、これでその女の子とも最後。二度と話すことはないだろうと、その時は思ったのだが。
「……なに、それ?」
翌日、勇者はまた姿を現した。体中に何かを張って。
「おふだ」
「おふだ……なに、それ?」
お札と言われても、当時の僕には通じなかった。読めない文字が書かれている紙。それを体に張る理由が分からない。
「これをはると、わるいれいがちかづけないの」
「そっか……ぼくのからだにはるんじゃなくて?」
「あっ……」
自分の間違いに気づいた女の子は恥ずかしそうに頬を赤く染めて、自分の体に張ってあったお札を一枚、僕に渡してきた。ちょっと抵抗を感じたが、それを自分の胸に張ってみる。まさか「いらない」とは言えない。子供の僕でもそれくらいの礼儀はあった。
「……いなくなった?」
「いなくなった!」
驚いている女の子。沢山のお札を張って来たが、その効果については女の子も疑問に思っていたということだ。
「いなくなったんだ……」
そもそも僕は自分の近くにお化けがいたことを分かっていない。いなくなったと言われても、何の実感も湧かなかった。
「……よかったね? これで、みんなとなかよくできるよ」
「えっ……?」
「みんながこわがるオバケがいなくなったから、これからはまいにち、たのちいよ」
女の子がお化けを追い払ったのは僕の為。僕が皆から嫌われることがなくなるようにと考えてのことだった。
「どうして、ぼくのために?」
何故、女の子がそんなことをしてくれたのか僕には分からない。その女の子とは、彼女だけが特別ではないが、話した記憶がないのだ。当たり前だが、仲が良いという関係ではない。彼女が、皆が恐れるお化けに立ち向かう理由はないはずだった。
「それは……ルークン、さみちそうだったから」
「そっか……」
考えてみれば女の子は最初から僕のことをルーくんと呼んでいた。そう呼んでくれるくらいには、僕に興味を持っていてくれたのだと思った。そう思った途端、とても胸が温かくなった。
「ともだちできるね?」
「ともだち……きみがなってくれる? ぼくのさいしょのともだちに」
「……うん! なる! ともだちになる!」
女の子の笑顔は輝いていた。とても眩しかった。とても眩しくて、そして可愛かった。生まれて初めて出来た友達。そして僕の初恋の相手。これからの人生は、女の子の言う通り、とても楽しいものになる。心からそう信じられた、のに。
(どうして、僕がお化けになる?)
熱で朦朧としていた意識が正常に戻った時、僕はお化けになっていた。
(お化けじゃなくて守護霊じゃないか? まあ、どっちにしても死んでいることに変わりはないけど)
(お前は誰だ!?)
僕の意識に語りかけてくるこいつは何者なのか。僕にはまったく事情が分かっていない。
(俺? 俺は元お前の守護霊かな?)
(はい?)
(いや、さっきまで俺が今のお前のような存在だったはずなのに……どうやら入れ替わったみたいだ)
入れ替わった。その意味はすぐに分かった。僕には僕が見えている。僕とは関係なく動く僕を。
(返せ……今すぐ僕の体を返せ!)
何者か分からない男に僕は体を乗っ取られた。そんなことは許せない。これからの僕には楽しい人生が待っているのだ。それを奪われるわけにはいかない。
(返せるものなら返したいけど……)
(良いから、さっさそこをどけ! 僕の体を空けろ!)
躊躇う相手にカッとなった。この男は僕の体を奪おうとしている。なんとかして体を奪い返さなければならない。
(空けられるものなら空けたいけど……仮にそれが出来たとして、お前はこの体に入れるのか?)
(入れるに決まっている! それは俺の体だ!)
(そうだけど、お前、死んだからな。死んだ人間が生身の体に戻れるとは思えない)
(でたらめを言うな!)
騙されない。こいつは僕を騙して、体を自分のものにしようとしている。
(少し落ち着け。いいか? お前は原因不明の病気で何年も寝たきりだった。これは覚えているか?)
(……嘘つき)
(こんな嘘をついて俺に何の利がある。良いから考えてみろ。お前は……もう五年も前か。高熱を出して、そのまま意識を失った。そのままずっと寝たきり。いつ死んでもおかしくなかった……寝たきりは覚えていないか。意識がないのだからな)
この男は僕を騙そうとしている。この疑いは消えないが、確かに少しおかしなことがある。僕はかなり大きくなっている。背が伸びただけで体は骨しかないのではないかというくらい細い。僕であることは僕には分かるが、かなりひどい姿だ。
(……それで?)
(色々やってみて、なんとかこれまで生きながらえてきたが限界だった。お前は死んで幽霊になり、なぜか俺はお前の体に吸い込まれて逃げだせなくなった)
(嘘だ)
(信じなくて良いから話を聞け。お前と同じように俺も死ねば元に戻れるかもしれない。だが失敗したら? お前は……どうなるのだろうな? 俺もいきなり守護霊になったから分からない)
男の話に気になることがあった。本当のことを言っているかは分からないが、事実であれば、とても気になることだ。
(いきなり守護霊って?)
(俺も死んでいる。死んで、気が付いたらお前に縛られていた。逃げ出そうと思っても逃げ出せない。離れることは出来るんだ。でも無心になると戻っている)
男も僕と同じで死んでいた。それはそうだ。元は僕の守護霊らしいから。でも何故、男は僕の守護霊にならなければならなかったのか。これについてはまったく思いつくものがない。
(入れ替わりに失敗すれば、俺もお前も存在そのものが消えてしまうかもしれない。そんなことになりたくなければ、正しい方法を調べてから試みるべきだ。お前は信じないかもしれないが、俺だって元に戻って欲しい。人生をやり直したいなんて少しも思っていないし、まだ幼いお前の人生が終わってしまうのは可哀そうだという思いもある)
(……本当、なのか?)
男は嘘をついていない。僕にはなんとなくそれが分かってしまった。男の声を耳で聞いているわけではない。心と心で会話している僕たちはお互いに相手の感情が分かるのかもしれない。きちんと相手の話を聞く気になれば、それが感じ取れるのだと知った。
(体は少し老いてしまうが、今はまだ……何歳だ? たぶん、十二歳くらいか。まだまだ大丈夫。出来れば三年くらいで元に戻りたいけどな)
(どうして三年?)
(十五歳くらいからの数年間は、その先の人生に大きな影響を与える、らしい。楽しいことも辛いこともあって、それに敏感に反応出来る年齢だと聞いている。その大切な時をきちんと経験しないのは良くないことだ)
これを言う男はその世代を経験しているのだと思った。自分自身として。これを思うと、余計なことまで気になってしまう。
(人生をやり直したいと思わないの?)
男がこう思う理由が僕には分からない。男が何歳で死んだのかは分からない。でも少なくとも、男の言う大切な時をもう一度経験出来るのは間違いない。もう一度経験したいと思うのが普通ではないかと思う。
(俺はその大切な時を無駄に、いや、悪く過ごした。良い人生を生きられなかった。人生を繰り返したくない)
(だから、やり直し。次は良い人生にしたいとは思わない?)
(……本当にやり直せるなら。でも俺は俺だ。少し違っても似たような人生になる可能性がある。その可能性を俺は受け入れられない)
ますます男の人生が気になってきた。二度と繰り返したくないという人生とはどのようなものなのか。だがそれを聞くことは躊躇われた。そんな人生であれば、語ることも嫌であることは明らかだ。
(お前の人生はまだ真っ白だ。だからこの体はお前が使うべきだ。その為に失敗は許されない。確実に成功出来る方法を調べるんだ)
(そんなのどうやって調べる?)
(色々なところで。さっきも言っただろ? 体から離れようと思えば離れられる。限界はありそうだけど、それが問題になるのは身近で調べられるところを全て調べてからだ)
どうやら自分自身で調べるようだと分かった。でも、身近で調べられるところがどこかが分からない。自分が持っている本でないことは確かなのだ。
(どこに行けば調べられる?)
(とりあえず城かな? 城の文書は膨大だ。調べ応えがある。お前が寝ている五年の間にかなり調べたけど、それでもまだ十分の一にも届かないはずだ)
(先に調べていてくれたの?)
男はすでに、僕が寝たきりになっていた五年間に、城の文書を調べていた。その事実を知って、僕は少し感動したのだけど。
(そんなはずない。入れ替わりなんて予想出来ていなかったからな。俺が調べていたのはお前を助ける方法。守護霊の俺に何が出来るかと思ったけど、延命させることには成功した)
調べていたのは別のこと。そうであっても僕の為であることに変わりはない。感謝の思いが薄れることはない。
(ありがとう)
(礼はいらない。こうなっては余計な真似だった。入れ替わるのであれば、もっと早く入れ替わったほうが時間に余裕が出来たからな)
どうせ入れ替わるのであればもっと早く、五年という時を経ずに入れ替わったほうが良かった。十五歳までというのを一つの目標にするとすれば、調べる期間はそのほうが多かった。確かに男の言う通りだけど、それを責める気にはまったくならない。
(それでもありがとう。僕も君の為に何か出来れば良いのに)
自分の彼の為に何かしてやれることはないのかと思う。どうやら悪い前世を経験した彼に。
(やってもらうことは山ほどある、多分……でも、まあ、とりあえずは調べものだな。お前が知識を得れば、その知識は俺の物でもある。これは分かるだろ?)
(えっ……あっ、そうか。そういうことか)
病気になった時の僕はまだ七歳。子供で世の中のことなんて、何も知らなった。狭い世界で生きていた。その時から五年以上、寝たきりであったというのに、僕にはその時にはなかったはずの知識がある。それは彼がもたらしてくれたもの。彼が得た知識を僕は共有しているのだ。
(知識を伝える方法をすでにお前は知っている。伝えない方法も。まあ、伝えない方法はそう思えば良いだけなので知るも何もないけどな)
(隠すことなんてない)
(そんなことはない。たとえば……初恋の彼女のこととか?)
(ええっ!? そんなことまで伝わるの!?)
と気持ちを伝えてしまったことが、彼女への想いを伝えること。まだ未熟の僕はそれが分かっていなかった。方法を知っていても、それを使う術を身につけなければ駄目だということだ。
(伝わったのではなくて、側で見ていただけだ。可愛い子だったよな? それに優しい。好きになるのも当然だ、きっと)
(もう終わったけどね)
彼女との思い出は、もう五年以上前のこと。僕にとっては、ほんの数日前の出来事であるのに。
(それはまだ……いや、まずはこの体に戻ることだ。それに初恋は実らないほうが普通と何かに書いてあった。次の恋を上手くやれば良いだけだ。失敗したらその次を。恋の相手はいくらでもいる)
(君がそうだったの?)
(恋愛について俺は……なんて話をする必要はないな)
彼はいつ死んだのか。改めて彼について考えてみたけど、情報は何もなかった。何も伝えられていないということだ。ただそれが十年前であっても、百年前であっても同じこと。彼の体は僕の物。まだ十二歳の少年なのだ。彼が好きだった人がまだ生きていたとしても、どうにもならないだろう。
(君の名前は?)
恋愛について聞くことは避け、名前を尋ねることにした。これは今後の為に知っておかなければならないことだ。
(名前か……死んだ人間の名を使う気にはなれない。それとお前の名にも慣れておいたほうが良さそうだ)
(じゃあ、ルーク?)
良く分からない理由だけど、すでに死んでいる自分の名で呼ばれるのが嫌なのは、なんとなく分かる気がした。彼はきっと過去の自分を忘れたいのだと思った。
(自分の名を呼ぶのは、さすがに変な感じだろ? ルーで良い。これも嫌かもしれないが、慣れてくれ)
(……いや、ルークで大丈夫。僕のことをルーと呼んで。そのほうが呼ばれ慣れている)
両親からはずっとルーと呼ばれていた。学校の友達はいなかっただけど、声をかけてくれる人はルーくんと呼んでいた。彼女も。ルークと呼ぶ人の記憶は、ほとんどないので、抵抗はないのだ。
(ではそうしよう。これからよろしく。ルー)
(こちらこそよろしく。ルーク)
この日から僕たちの奇妙な共同生活?が始まった。この時の僕たちは、もしかすると僕だけだったのかもしれないけど、何も分かっていなかった。僕たちが歩む人生が普通とは決して言えないものになることを。そもそも僕は、僕自身が何者かも分かっていなかったのだ。