従士試験当日。試験は王国騎士団の屋外鍛錬場を開放して行われている。王国騎士団二百騎、さらにそれぞれに十名ほどの従士がつくので騎士団全体としては二千名ほどになるのだが、が同時に鍛錬を行える場所であるので、かなり広い場所あるのだが、会場は多くの人で溢れている。
受験者だけでなく試験の見学を希望する人、さらにその見学者を目当てに開かれている露天、その露天を楽しむ客で賑わっているのだ。娯楽の少ないノートメアシュトラーセ王国では従士試験はちょっとしたお祭り。王都の住民たちの要望を受け入れた結果、このような形になっている。
会場の中央には低い柵で囲まれた対戦場が用意され、その中で受験者は得意の武器を持って一対一で戦っている。対戦は一人二回、相手を代えて行われる。二勝すれば合格だが、負けたからといって不合格となるわけではない。評価は対戦の内容、この先の伸びしろなども考慮されて行われるのだ。
そうなると重要なのは試験官の目、ということになるのだが、それについては誰も文句を言えない人物が選ばれている。ディアーク、ノートメアシュトラーセ国王でありアルカナ傭兵団長が直々に、他者の意見も聞きながら、合否を決めるのだ。
そのディアークとアーテルハード等、王都にいる上級騎士、そして近衛騎士団長、王国騎士団長といった軍部の重鎮たちが勢揃いの試験官たちは元々野外鍛錬場にある謁見席に座って、受験者たちの戦いぶりを見ている。
「……いつもに比べて、受験生の質は高いように私には見えますが」
これを言うアーテルハードの表情は暗い。本来、受験生の質が高いことはアルカナ傭兵団にとって良いことなのだが、それを素直に喜ぶ気にアーテルハードはなれない。何故、今回は質が高いのか、その理由が気になるのだ。
「俺の目から見てもそうだな。この時期に優秀な人材が集まったのは助かる」
ディアークはアーテルハードのとは違い、素直に喜んでいる。大国に怪しい動きがある。それに対処する為には、戦力の増強が必要だと考えているのだ。
「私は助かりません」
「それはどうして?」
異論を唱えてきたのは近衛騎士団長。彼が従士試験に対して文句を言うのは珍しいこと。ディアークはそれに驚きを見せている。
「うちの団員が受験しております」
「ああ……そういえばそうだったな」
今回、近衛騎士団の騎士が従士試験に応募している。近衛騎士団長にしてみれば人材の流出。嘆かわしいことだ。
「その騎士は何故、急に従士になろうなんて思ったのでしょう?」
アーテルハードが理由を訪ねてきた。彼にとってその騎士は怪しい人物の一人なのだ。
「……前近衛騎士団長が育てた子が入団したと聞いたからだ」
「ヴォルフリック目当てですか……」
まさに従士になる目的はヴォルフリックに近づく為。それを近衛騎士団長から知らされて、アーテルハードは難しい顔をしている。良からぬことを企んでいるのであれば、ヴォルフリック目当てであることを公言するか。近衛騎士団長がグルだとしてもこの場でそれを話すのはおかしいと悩んでいるのだ。
「彼は前近衛騎士団長に従士として仕えていて、かなり目をかけてもらっていたからな。強く恩に感じているようだ。まあ、文句は言ってもその頃を知っている私にも彼の気持ちが分かってしまう。だから止められなかった」
「実力は?」
「見てもらえば分かるが、不合格になったらなったで、今度はそれで陛下に向かって文句を口にしてしまいそうな実力だ」
実力は十分。そうであるから近衛騎士団長は傭兵団に移られることを嘆いているのだ。
「そうですか……他にもそういう人はいるのですか? 王国騎士団でも」
近衛騎士団長の話の通りだとすれば、不合格にするのは躊躇われる。実力以外で選考しているとは思われたくない。実害があるかとなると微妙だが、国内融和を考えて、両騎士団との関係についてもアーテルハードは気を使っているのだ。
「他にはいない」
「私はそのような話は聞いていない。前近衛騎士団長にお世話になったとなれば、三十は超えているだろう。その年で従卒からやり直しなど、よほどのことがないと」
傭兵団の従卒に比べれば近衛騎士団、王国騎士団の騎士のほうが待遇は良い、ということではない。個人としての待遇はその通りであるのだが、アルカナ傭兵団の上級騎士に与えられている恩恵の一部を、仕えている従士も得ることが出来る。騎士団の騎士よりも待遇は良いと言える従士もいるのだ。
王国騎士団長が言っているのは従士としての序列の問題。年齢に関係なく新人は一番下。世話を焼かれていた側の騎士には、それは耐えられないだろうということだ。
「アーテルハード。あの受験生は? 若いほうだ」
「えっ? あっ、はい……出身はベルクムント王国となっております。所属はなし。年齢は十六歳、くらい?」
不意のディアークの問いに慌てたアーテルハードだが、すぐに対戦表を調べて受験生の情報を答えた。十分であるかは微妙だが。
「間者の可能性をお疑いですか?」
西の大国ベルクムント王国出身。これまでもまったくいなかったわけではないが、あえてディアークが気にする理由を近衛騎士団長はこういうことだと考えた。
「いや、そうではない。若く見えるのによく鍛えられていると思ってな」
「陛下のお眼鏡にかないましたか。ふむ……」
ディアークが気にするだけの腕前だと知って、これまで以上に集中して対戦の様子を眺めだした近衛騎士団長。それは王国騎士団長、そしてアーテルハードも同じだ。
「あの剣の型は……出身はベルクムント王国?」
すぐに近衛騎士団長は違和感に気づく。ディアークが感じたのと同じ違和感だ。受験生が使っている剣術は近衛騎士団、王国騎士団の正式剣術に良く似ている。ベルクムント王国出身者が何故という思いが湧いていた。
「出身なんてどこでも良いじゃない。彼はまだ荒削りだけど強い。つまり伸びしろも十分ということね」
ずっと黙って、退屈そうに試験の様子を眺めていたルイーサが口を挟んできた。彼女はその受験生を合格させたいのだ。
「そうだな。基準には十分に達している。合格で良いだろう」
それはディアークも同じ。ルイーサの話に同意し、合格を決めてしまった。ベルクムント王国出身でこの国の騎士団が使う剣術を使う人物。アルカナ傭兵団にはすでにそういう人物がいる。受験生の素性は分かったも同じだ。入団を拒むような相手ではない。
この判断は正しい。だがこの場にいる全員がまだ全てを分かっているわけではない。死んだギルベアトが生み出した力は、彼らが思っているよりもずっと大きく育っているのだ。
◆◆◆
一回の対戦時間は十分。長いといえるほどの時間ではないが、受験生の数が多くなればそれだけ試験全体の所要時間は多くなる。そして受験生の数は常に多いのだ。
中央諸国連合で暮らす人々にとってアルカナ傭兵団は自分たちの暮らしを守ってくれる英雄たちの集まり。もちろん中には、戦争で金儲けをしていると捉え、批判的な考えを持つ人もいるが、そういった人々は今のところ少数派。支持者のほうが大多数だ。
そんな英雄たちの一員になりたい。この想いを持って、従士試験に挑戦する人が受験生の数を増やしているのだ。もちろん、そういった人々全てに実力が伴っているわけではない。そうであっても受験は自由。自らの手で国を守るという志と、それに必要な力があればアルカナ傭兵団は誰でも迎え入れる。傭兵団は中央諸国連合全体の為に活動していると思ってもらう為に、あえて広く門戸を開いているのだ。
待ち時間を過ごす為の控室は用意されているが、ずっとその場所にいる受験生は少ない。志だけで試験に挑戦しにきた人は、実力者の対戦を見て、そうそうに合格を諦めることになる。そうなると控室でじっとしているのが馬鹿らしくなり、外に出て、受験生としてでなく見学者として、試験を楽しむことになる。
会場の隅。出店の場所から少し離れた場所で一人立っている赤毛の少年もそんな一人、に周囲からは見える。少年の服装は騎士服に似た動きやすそうなもの。腰に剣も下げている。かといって王国の騎士や従士、傭兵団の従士にも見えない。騎士服に似てはいるが、明らかに制服とは違うのだ。会場のあちこちにいる合格を諦めた受験生の一人。それを気にする人などいない。少年がずっとその場に立ち続けていることに気が付かなければ。
「……ロート、お前まで塀の中に入ったら、誰が俺を助けてくれるんだ?」
その少年に不意にかけられた声。聞いている人がいれば、おかしなセリフだと思うだろう。何故、助けが必要なのか。それもそれを言った人物は傭兵団の制服を来ているのだ。
その意味が分かるとすれば傭兵団の人間。声を掛けてきたのはヴォルフリック。逃げようと思っていてもおかしくない。
「堀の中に入るとしてもブランドだ。奴の合格が先に決まったから俺は棄権した」
「賢い選択だ」
「そもそも必要なのか? 出口はすぐそこだぞ?」
ヴォルフリックが現れるのを待っていたロートだが、実際に姿を見せるとは思っていなかった。街への出口に近いこの場所まで自由に動ける状態だとは考えていなかったのだ。
こうして会えたのならわざわざ人を送り込む必要はない。このまま逃げれば良いだけだ。
「それが、こんなものを付けられている」
足を高くあげて足首に付けられている魔道具を見せるヴォルフリック。
「……鍛錬の道具ではないな」
「ああ。ここから逃げようとすると爆発するらしい。仮に逃げられても足首から先がなくなるのはな」
「……無茶するからだ」
逃げようと思えば逃げられた。そうであるのにヴォルフリックとギルベアトは敵を迎え撃とうとしたのだ。二人の判断は間違いだったとロートは考えている。
「これについては何とかする。それにこれがなくても外に出るつもりはない」
「何故だ?」
「爺の敵はとんでもなく強い。殺すにはもっともっと強くならなければならない。それにはここにいるのが一番らしい」
「……強くなれるのか?」
強くなりたいという願望はロートにもある。ブランドに譲ってしまったことを少し後悔した。
「どうだろう? 上の奴らは馬鹿強いが、一緒に鍛錬している下っ端には今のところ驚くようなのはいないな」
「駄目じゃないか」
「鍛錬はどこでも出来る。ただ一度ここを出てしまったら戻るのは簡単じゃない。少なくとも侵入する方法を見つけるまでは、ここにいなければならない」
「長くなりそうだな」
一国の王が住む、さらに大陸最強の戦闘集団の本部がある城に忍び込む方法を見つけようというのだ。簡単ではないことは考えなくても分かる。
「……そうかもな」
恐らく出会ってから初めて、長く離れ離れになることになる。ロートだけではなく、もうひとりの大切な人とも。
「場合によっては俺たちも中に入ることを考えたほうが良いな。問答無用で殺されないという保証があってのことだが」
「俺、たち?」
俺ではなく俺たち。その違いにヴォルフリックは不穏なものを感じている、までもなく意味は分かっている。
「当然、エマも一緒だ。妹とずっと離れているわけにはいかない」
エマはロートの妹。物心ついた時には両親はおらず、何度も死にそうな目に遭いながら兄妹二人きりで生きてきた。ヴォルフリックに出会うまでは。
「……危険だ」
エマをこの場所に連れてくることにはヴォルフリックはすぐに賛成出来ない。ヴォルフリックにとってエマは守るべき存在。共に危険を犯して戦う相手ではないのだ。
「この世の中に安全なところなんてあるのか?」
「ないから作ろうとしている」
エマが安心して暮らせる場所を作る。その為にヴォルフリックたちは力を欲した。ギルベアトはそれに応えて、彼らに剣を、戦い方を教えたのだ。
「そうだ。つまり、エマにとってもっとも安全な場所は俺たちがいる場所だ。そして安心出来るのはお前がいる場所」
「…………」
ここにとどまることを決めたヴォルフリックにとって、一番の悩みはエマのこと。離れていることに、兄のロートや他にも仲間たちがいるとはいえ、不安を感じていた。
「……自分で言っておいてあれだが、安心出来るのはお前だけというのは、兄としてちょっと寂しいな」
「エマは元気なのか?」
「やっとそれを聞いた。元気であればここに連れてこようなんて俺も言わない。まあ、お前が元気で、こうして話をすることが出来たと知れば、元気になるだろう。ただ元気になったらなったでな」
「あれで気が強いからな」
エマはヴォルフリックとロートにとって庇護すべき対象であるが、本人は大人しく帰りを待っているなんて性格ではない。外見の儚さからは想像出来ない芯の強さを持っているのだ。ロートが言い出さなくても、自らここに来るということは容易に想像がつく。
「中に入らないまでも街に住むというのはあるな。そのほうがお前も便利だろ?」
「そうだけど、こんな小さな街に割り込む隙間なんてあるのか?」
ヴォルフリックたちが暮らしていたのは西の大国ベルクムント王国の都だ。北辺の小国であるノートメアシュトラーセ王国の都とは比べものにならない巨大さ、そして豊かさ。だからこそヴォルフリックとギルベアトが隠れ住むことも、孤児であるロートたち兄妹がギリギリではあっても生きることが出来たのだ。
「それは考える。さて,そうなると忙しくなるな。急いで戻らないと」
これからのことを考えるとやることが沢山ある。それは全てロートが考え、整えていかなければならない。
「次は気をつけろ」
「……どういうことだ?」
「相手がこちらのことを知らないように、こちらも相手のことを分かっていない。化かしあいは今のところ、こちらが優勢だが、それは相手が本気で勝とうとしていないからだ。油断をしていると足元をすくわれることになる」
アルカナ傭兵団の自分に対する悪意の薄さに、ヴォルフリックは気がついている。自分を敵として認識し、それに相応しい対応をしていないのだと。本気になったアルカナ傭兵団にかかれば、自分たちの力など蟻のあがき程度のものかもしれない。今の自分が上級騎士に手も足も出ないように。
「……分かった。お前との接触は最低限。細心の注意を払って行うことにする。俺は止めておいたほうが良いな」
かなり長く話し込んでいる。自分の顔はもう認識されたかもしれない。ヴォルフリックの忠告を受けて、ロートはそう考えるようになった。
「逆にお前だけにするって手もある。ブランドが来れば、外に仲間がいることは知れる。ただお前がマークされると……どうだろう? まあ、こういったことはお前のほうが得意だ。任せる」
争いごとについてはヴォルフリックが、稼ぎを得ることに関してはロートが担当。稼ぎを得るには情報収集や情報操作、その為に仲間を動かすことも入っている。そういった役割分担になっているのだ。
「ああ、任せろ。じゃあ、俺は行く……これをお前に」
ロートがヴォルフリックに差し出したのは持っていた袋、そして腰に挿していた剣だ。
「これは……爺の?」
見覚えのある剣。生活の為にほとんどの物を売ってしまっていたギルベアトだが、武器だけは売ろうとしなかった。身を守る為に必要だからという理由をギルベアトは口にしていたが、それだけでないことをヴォルフリックは感じ取っていた。
国を捨てても騎士であることまで止めたわけではない。武器はその証だと。
「ああ、家に置いてあったのを持ってきた。遺品らしい遺品はこれと槍だけ。悪いが槍は俺が預かっている。爺は俺にとっても……親父のような存在だから」
ロートたち兄妹を苦境から救うきっかけとなったのはヴォルフリックとの出会いだが、実際に守ってくれていたのはギルベアト。ヴォルフリックとロート、そしてエマはいつも一緒。兄弟のように暮らしていた。その彼らの暮らしを守ってくれていたのはギルベアト。彼らにとって父親代わり。顔も知らない実の父親よりも遥かに大切な存在だったのだ。
ギルベアトが年をとり、その分、彼らが成長して守られる立場でなくなってからも、その想いは変わらない。ようやく、これまでの恩返しが出来る。そう考えていた矢先の死だった。
「やろう」
「ああ、やろう」
何を、は言葉にしない。出来るものでもない。ギルベアトの復讐だけを言っているのではない。彼に与えてもらった力を武器に自分たちの望みを叶える。その為にやるべきことをやるのだ。
ヴォルフリックが待っていた時は今日、この瞬間。ようやくその活動は本格化することになる。