国王と王弟との争いが本格化している中、クリスティーナ王女は第三勢力を作りあげた。作りあげたといってもその勢力は小さなものだ。活動を支える金銭や物資などは周辺貴族たちの支援のおかげで困ることはない状況であるが、肝心の戦力は銀狼傭兵団百名のみ。他にクリスティーナ王女の側近たちと義勇兵がいるが訓練不足で、まだまだ使い物にならない状態だ。これで王国軍の大半を保有する国王派、そしてウェヌス王国の支援を受けている王弟派に敵うはずがない。
こう思うクリスティーナ王女と側近たちが普通なのであって、この状況から事態をひっくり返そうというグレンが異常なのだ。
「王都内での情報流布は終わりました。とくに働きかけを行わなくても、人々の話題に上るようにはなっております」
ヤツの部下がモンタナ王国王都での工作活動の状況について報告を行った。それを聞いたクリスティーナ王女の顔色は良いとは言えない。王都にまで銀狼傭兵団の手が伸びていることを今始めて知り、驚いているのだ。
「城内にも噂は届いているのか?」
クリスティーナ王女の顔色など気にすることなく、グレンは話を進める。彼女が不安を持ったとしても、それを和らげるのはジョシュアの役目。そう考えているのだ。
「もちろんです」
「軍の反応はどこまで探れている?」
「一般兵が動揺しているのは間違いありませんが、上層部の考えはまだ掴めておりません」
「そうか……見込みのありそうな人については?」
「現時点ではおりません。内乱について否定的な考えを持つ将はおりますが、それはあくまでも混乱を避けたいからであって国を変えることまでは考えておりません。そういう気持ちを持つ者はすでに王弟派に移ったものだと考えております」
「……将ごと軍を引き抜くのは難しいか」
モンタナ王国の正規軍をクリスティーナ王女派に寝返らせることをグレンは考えている。だがこれは簡単ではなさそうだ。なんといっても今のクリスティーナ王女派には野心を刺激する力がない。忠誠を引き寄せる大義名分もないのだ。
「国王の評判を落としたからといって……それだけでは難しいというのが長の考えです」
間者の視線が一瞬、クリスティーナ王女に向いたのをグレンは見逃さなかった。
国王の評判を落としたからといってクリスティーナ王女に期待が集まるわけではない。これを言葉にするのを躊躇ったのだと理解した。
「力を認めさせることが必要か……国軍をこちらに向かわせる方法を考えた方がいいな」
クリスティーナ王女に国をまとめる力があることを、ウェヌス王国軍を追い払う力があることを示す必要がある。考えていたよりも早い段階で戦闘を始めなくてはならないこととをグレンは覚悟した。
「……あの、ひとつ聞いて良いですか?」
ここでクリスティーナ王女の側近の騎士が問い掛けてきた。すでにグレンの素性を知っている今は以前のような態度は、グレン本人は気にしなくても、向けられない。
「どうぞ」
「陛下と戦うことは決まりなのですか?」
「はっ? 戦わないで国を譲ってもらえるとでも思っているのですか?」
「あっ、いえ、そういうことではなく。王弟と戦うという考えはないのですか?」
グレンと間者の会話はモンタナ国王と戦うことを前提に行われている。だが王弟もまたクリスティーナ王女が戦うべき相手。その王弟と戦うという選択肢を考えないことに騎士は疑問を持っている。
「ありません」
「何故ですか?」
「モンタナ王国軍よりもウェヌス王国軍のほうが遙かに強いと考えているからです。それに万一ウェヌス王国軍を撤退させることが出来たとしても、それによって利を得るのは国王です」
「……漁夫の利というものですか?」
「まあ、そんな感じです。ウェヌス王国軍の支援がなければ王弟派は国王派に勝てません。今、王弟に従っている貴族も裏切るかもしれない。結果、モンタナ王国は国王の下で一つにまとまることになります」
クリスティーナ王女が割り込む隙間はないとグレンは考えている。今、クリスティーナ王女に協力している貴族も目の前の危機、銀狼傭兵団に討たれるのを回避する為に仕方なくというのがほとんどなのだ。
「……そうなりますか?」
「まず間違いなく……ああ、でも漁夫の利か……ちょっと危険だけど今の状況では仕方ないかな?」
「あの……?」
「……詳しいことはもう少し考えて、実現出来ると判断したら説明します。今日の会議は終わり。皆さんは訓練に励んで下さい。次の実戦は正規軍を相手にしたものなりそうですから」
詳しい説明を行う頃には、すでに銀狼傭兵団は動いている。クリスティーナ王女とその側近を蔑ろにするつもりはグレンにはない。ただ影の動きは全て話せるものではないのだ。特に銀鷹傭兵団に触れる話題は。
「……分かりました」
クリスティーナ王女が軽く頷くのを見て騎士は会議の終了を受け入れた。そうなるといつまでもこの場に残ってはいられない。騎士たちは皆、訓練の必要性を強く感じているのだ。
部屋を出て行く騎士たち。それにクリスティーナ王女も続く。本当はグレンと話をしたいのだが、先に間者との話を始めてしまったのを見て諦めたのだ。
「……グレンに不安を感じる前に、自国を憂うべきではありませんか?」
「マリア様……」
そのクリスティーナ王女にマリアが話しかけてきた。クリスティーナ王女が心に抱くグレンへの不安を感じそれを和らげようと思った、のではなく不満を告げたくなったのだ。
「グレンはその力の十分の一も使っていませんわ。それでモンタナ王国がグレンに奪われるとしたら、その程度の国だということ。グレンがそうしなくてもウェヌス王国に奪われるだけですわ」
そもそもグレンにモンタナ王国を我が物にしようという意思はない。そうであるのにそれを疑うクリスティーナ王女とその側近たちがマリアは気に入らない。グレンが何もしなければウェヌス王国がモンタナ王国を従えるだけ。その危機感がないのかと、逆に疑ってしまう。
「それは分かっているのですが……いえ、グレン殿を疑っているわけではないのです。自分の力のなさを情けなく思っているのだけで……」
「……それは誰もが思っていることですわ。私もそう」
「マリア様が?」
「彼の力になりたいと思う。でも実際に何が出来るのかと考えると、何も持たない自分が情けなくなりますわ」
マリアには戦う力も謀略を考える能力もない。当たり前だ。マリアをこんな気持ちにさせる理由は別にあるのだ。ソフィアはルート王国の、ヴィクトリアはゼクソン王国の王ではないが王母として責任を背負う立場にある。マリアだけが公式の地位はなく、こうしてグレンの側にいられる。それに引け目を感じ、二人の分もグレンの為に何かをという想いがあるのだ。
「……側にいてくれるだけで俺は感謝しているけど?」
「えっ?」
「あっ……いや、聞こえてしまって」
クリスティーナ王女の目の前で恥ずかしい台詞を口にしてしまった。そう考えて照れているグレン。
「……優しいのね?」
「慰めているわけじゃない……何があっても俺を認め、受け入れてくれる。そういう人がいると思えるだけで、俺には救いだってこと」
母が犯した罪。自分が犯した罪。それを許し、受け入れてくれる人。そうしてくれると信じられる人。マリアだけでなくソフィアも、ヴィクトリアもそうだとグレンは信じられる。
「……ありがとう」
グレンの支えになれている。そう思える言葉を与えてくれたグレンにマリアは感謝している。
「今の流れだと御礼を言うのは俺の方だと思うけど?」
「それでも、ありがとう」
「……打ち合わせ終わったから、お茶でも飲む?」
指で頬をかきながら、恥ずかしそうにマリアをお茶に誘うグレン。こういう照れが二人の間にはある。
「そうね。そうしましょう」
笑みを見せてグレンの誘いに応じるマリア。グレンに歩み寄ると、そのまま並んで自分たちの部屋に向かって歩き出す。
「……我が妹ながら……少し羨ましいな」
その様子を見てジョシュアが呟いた。
「あのような顔も見せるのですね?」
クリスティーナ王女は羨ましく思うよりも、初めて見たグレンの素の表情に驚いている。
「英雄は常に英雄であらねばならんか?」
「えっ?」
「英雄ではない我には分からない苦悩がきっとグレンにはある。一国の王に求める以上のことを求められているのではないかな?」
常に勝利を、大きな成果を求められる。多くの人がそれを実現する苦労を知らずに、悪気なくグレンであれば何とかしてくれると期待する。
その期待を受ける側の苦悩をジョシュアは知らない。大国の王としてそれなりに苦労はしていても、自分は分かっていないと思う。
「……私は……駄目ですね」
グレンに頼っておきながら、その真意を疑う。自分の不誠実さをクリスティーナ王女はジョシュアによって知らされた。
「諦めてはいけない。それでは我と同じようになってしまう。この国を良くしたいと思うなら、とにかく自分が出来る全てを行うべきだ」
「……ジョシュア様は……後悔されているのですね?」
クリスティーナ王女は、自分に助言するジョシュアの表情に寂しさを感じた。
「後悔は数え切れないほどある。だが我が今もっとも後悔しているのは自ら舞台を降りたことだ。無能であった我でも舞台に立ち続けることで出来たことはあった。それなのに……」
無能な自分が王であるよりは、エドワードに任せたほうが良い。暗殺を試みられた恨みはあったが、そう考えてジョシュアは身を引いた。
だが今はそれを後悔している。自分が王であれば、決してグレンを敵に回すような真似はしなかった。ウェヌス王国を間違った方向に導くことはしなかった。
実際にそれが出来たかは微妙だが、結果論だと分かっているが、ジョシュアはそう思ってしまう。
「……よろしければお茶でも飲みながら、もう少し楽しいお話をしませんか?」
「ん?」
「私も気分を晴らしたいと思いまして……いかがですか?」
「お、おう。喜んで」
部屋に向かって歩き出す二人。それを見て、「羨ましい」と呟く人はいなかった――今はまだ。
◇◇◇
フローラの暮らしは以前と比べるとかなり自由になっている。それはエドワード王にとっての彼女の価値が低下したから、と考えるのは国王に対して悪意を持つ人くらい。多くの人は逆にフローラの価値を認めたからこそと考えている。フローラの存在が王都を明るくしてくれる。それが分かったからだと。
その期待に応えているつもりはないが、フローラは頻繁に城の外に出ている。主な目的は裏町に行き、味方と信じられる人々から大公領にいた間の話を聞くため。さらに、多くの人にフローラを知って欲しいというギルバート宰相たちの思惑も外出する機会を増やしている。
後者については結果として、周囲の期待に応えていることになっている。ただ常に良いことばかりがあるわけではない。
「……フローラ。そろそろ戻らないか?」
ずっとこの場から離れようとしないフローラに健太郎が声を掛ける。それにフローラは応えることをしない。
ここは王都にある墓地。その墓地に立つ戦没者慰霊碑の前だ。その慰霊碑に刻まれている人名をフローラは目で追い続けている。何百と書かれている戦没者の名を一つ一つ確かめているのだ。
「君が悪いわけじゃない。グレンが悪いわけでもない。悪いのは戦争だよ」
刻まれている名前はゼクソン王国との戦いで、グレンが敵に回った後の戦いで亡くなった兵士たちの名前。フローラはその存在を知らされて、ここにやってきていた。
「……いや、悪いのは僕だ。僕が変な考えを起こさなければ、グレンが敵に回ることはなかった」
「……そうだね」
「えっ……いや、そうだけど……」
責任は感じているが、ここで肯定されるとは思っていなかった。フローラを慰めるつもりで発した言葉なのだ。
「でも、どんな言い訳をしても家族の人たちの気持ちは収まらないよ。家族の人たちにとっては父親を、息子さんを殺したのはお兄ちゃんだから」
家族を殺された恨みはそう簡単には消えない。フローラ自身がそうであるから、よく分かっていたことだ。
だがいざ実際に恨みをぶつけられると、やはり酷く心が傷ついてしまう。「裏切り者の妹」「人殺しの妹」。今日、フローラはこの言葉を投げつけられた。フローラが何者か人々に知られていく中で、そういう人がとうとう現れてしまったのだ。
「……でも僕も多くの人を殺した。敵も味方も。僕だけじゃない。他の将軍もそうだ。フローラだけが責められるのは間違っている」
「正論だね」
「正論では慰めにならないかな?」
「……慰めてくれるのは嬉しいけど……正論では気持ちは晴れない。何でも気持ちは晴れないか」
「いや、僕だからだね。グレンがこの場にいれば、きっとフローラの気持ちは変わった」
「……どうだろう?」
グレンが側にいれば落ち込むことはないのか。そんなことはないとフローラは思う。自分もグレンも当事者なのだ。お互いに相手を慰めることは出来ないように思う。
「僕にもっと力があればと思う。今もまだ大将軍であれば……いや、無理か。僕はただの飾り物だったからな」
今もウェヌス王国はグレンと戦う方向に進んでいる。そうなればさらにフローラを恨む人が増えてしまうかもしれない。それを自分が止められたらと健太郎は考えたが、今も大将軍だった時もそんな力はない。
「……どうすれば戦争は止まるの?」
「その答えを僕は持ってない。グレンがウェヌス王国に臣従すれば戦争は止まる。でもそれによって次の戦争が始まることになる。ウェヌス王国の野心は止まらない」
「それは誰の意見?」
「……皆の」
「そう……陛下の気持ち次第ということだね?」
どうすればエドワード王の野心を止められるか。自分に何が出来るかをフローラは考えようとしている。
「ウェヌス王国の野心が止まっても、他国の野心は止まらない。世界平和なんて簡単じゃない。一時、平和が続くことはあってもやがてまた争いが始まる。それでも、その一時を求めて人々は戦うのさ」
「それも皆の意見だね?」
「ち、違うよ! これは僕の考え!」
「…………」
ジト目で健太郎を見つめるフローラ。たとえジト目であっても彼女に見つめられることで健太郎は胸を高鳴らせていたりするのだが。
「ぼ、僕が生まれた世界もそうだった。常に世界のどこかで戦争が行われていた。永遠の平和なんて理想だよ。その理想を追うことは諦めるべきではないと思うけど……」
「……そうだね」
フローラの視線が別の慰霊碑に向く。この場所にはいくつもの戦没者慰霊碑が建っている。これは何の為なのか。戦争の悲惨さを忘れない為ではないのか。そうであるのに何故、この国は戦いを止めようとしないのか。それとも戦いを終わらせる為の戦いのつもりなのか。
「彼によって救われた人も大勢います。この碑に名前を刻まれることを免れた人々も大勢いるのです」
「……カルロさん」
「慰めているのではなく、事実を言っているだけです。俺たち兵士にとって戦争は恐怖でしかない。極端に言えば、自分と仲間が生き残れれば勝ち負けなんてどうでも良いんです」
何かの間違いで手柄を立てても軍を率いる将軍になれるわけではない。次の戦いではまた前線で死を覚悟して戦うことになる。入隊当初は戦争を立身出世の機会と考えて、はりきっていた兵士も、現実を知るにつれてそんな気持ちは失っていくのだ。
「……守りたい人が誰かは人それぞれ。その為に他人を殺すのですから、それに正義なんてない。求めても辛くなるだけですよ」
「お兄ちゃんは私の為に……」
カルロの言葉を聞いて、またフローラの罪の意識が強くなる。
「それを悔やむのではなく、守られる必要のない強さを身につける努力をするべきだと俺は思います」
「守られる必要のない強さ……」
確かに自分にはないものだ。グレンにずっと守られてきた。彼から離れている今も大勢の人が自分を気に掛け、大切にしてくれている。これは甘えなのか。フローラはそう思った。
「大丈夫! フローラは僕が守る!」
「そうじゃないから……」