ウェヌス王国軍が国境を侵犯した情報がモンタナ王国に届いた。初めはその意図が分からず、王弟に休戦を申し込むなどした国王ではあったが、その答えが拒否、それも王弟派の積極攻勢という形で返されたことで、ようやく事態を理解した。
そうなると国王側の危機感は一気に高まる。王弟がウェヌス王国の支援を受けたとなれば戦力差は逆転、それどころか大きく引き離されることになるのだ。それだけでは事は済まない。国王派の圧倒的な不利を知った貴族たちの寝返りも警戒しなければならなくなる。
そんな、情勢が一気に国王派の劣勢に傾いた中、義勇軍はといえば。
「何故、いつまでも戦おうとしないのですか!?」
内輪で揉めていた。
「それはまだ訓練が十分ではないから……」
出撃しないことに文句を言ってきた義勇兵にその理由を説明し、納得させようとしているが。
「我々が弱いのは初めから分かっているはず! 今は訓練なんて行っている状況ではないのではないか!?」
「王女殿下は皆の命を大切に思っているのだ!」
「死ぬ覚悟は出来ている! だから義勇軍に参加したのだ!」
義勇兵たちは納得しない。彼等にもウェヌス王国の参戦が伝わっており、それに焦っている様子だ。
「お前たちは王女殿下のお気持ちを無用と言うつもりか!?」
「ああ、そうだ! 我々は戦う為に集まった! 王女殿下こそ我等の気持ちを無にしている!」
「無礼なことを言うな!」
クリスティーナ王女を批判する義勇兵。さすがにそれには怒りを覚えた騎士が怒鳴り声を返したが。
「そもそも我等は王女殿下の為に戦いに来たのではない!」
「き、貴様等!」
「どうして王女殿下が指揮官なのだ!? それがおかしいではないか!」
「王女殿下は国を守る為に起ち上がったのだ! これ以上、王女殿下を侮辱すると許さんぞ!」
義勇兵のクリスティーナ王女に対する暴言は止まらない。説得している騎士の側も穏便に済ます気が薄れてきている。
「それが迷惑だと言っている! 命を賭けて戦う我等が何故、不吉の象徴を戴かなければならない!」
「そうだ! そうだ!」
「貴様等! もう許せん! 斬り捨ててくれる!」
王族への侮辱。無礼討ちにしても咎められることはない。国の側からは。
「国の為に戦おうという我々を殺すつもりか!? 我等の志に王女は剣で返すつもりか!?」
無礼討ちにされる側が文句を言わないはずはない。義勇兵の口から次々と不満とクリスティーナ王女の批判が飛び出してくる。このまま義勇軍は崩壊、下手をすれば義勇兵が暴れ出すかもしれない。そんな緊迫した状況の中。
「皆さん! 話を聞いて下さい!」
批判されている本人であるクリスティーナ王女が飛び出してきた。
「クリスティーナ様! お下がりください! 危険です!」
「何が危険なのです!? 何故、味方を恐れる必要があるのです!?」
「それは……しかし……」
暴発するかもしれない義勇兵をクリスティーナ王女は味方と言った。それを否定することは騎士にも出来ないが、それでも危険な状況であるのは事実。
「お願いです。私の話を聞いて下さい」
だがクリスティーナ王女は騎士たちの心配を余所に義勇兵たちと向き合い、話をしようとしている。
「……話を聞いて欲しいのは我々のほうです。我々は戦いを求めているのです」
クリスティーナ王女の登場でやや平静さを取り戻した義勇兵たちだが、それでも素直に話を聞こうとしなかった。
「その気持ちは嬉しく思います。でも私は皆さんに無駄死にして欲しくありません」
「無駄死にとは失礼ではないですか?」
「気に障ったのなら謝ります。でも、今の貴方たちで敵軍に勝てると本当に思っていますか?」
「負けを恐れていて国を救えますか?」
「我々の目的は戦って死ぬことではありません。勝って国を守ることなのです。目的を果たせないままの戦死は、やはり無駄死にだと私は思います。違いますか?」
「それは……」
クリスティーナ王女の言葉にすぐに反論を思いつけなかった義勇兵。他の人たちも声を出す人はいない。本来、王女と直接話すことは畏れ多いこと。文句を言い続けていた義勇兵が特別なのだ。
「では勝てるところとまず戦いましょう」
「……ルイス」
話に割り込んできたルイス・ブル元将軍にクリスティーナ王女は苦い顔だ。
「兵の士気が高まっているのです。今こそ戦うべきだと思います」
「士気だけでは勝利は掴めません」
「ですから勝てる相手と戦おうと申し上げているのです。何が問題なのですかな?」
ブルの行動は説得を邪魔するもの。彼が現れた時からクリスティーナ王女が見せていた苦い顔が、ますますしかめられる。
「そういう相手がいるのですか?」
義勇兵がブルに尋ねてくる。
「ああ、存在する。かなり前から戦う相手として決まっていたのだ。だが王女殿下が中々許可を出されないので」
義勇兵に話すような内容ではない。それを話すブルには悪意がある。それをクリスティーナ王女は感じ取った。
「出撃の判断は指揮官である私が行うことです」
「ですが兵は戦いたがっています。兵の士気を無視するのは指揮官としていかがなものかと」
「その判断も私が行うことです」
ブルの思う通りにはさせない。とにかくそう考えてクリスティーナ王女はブルの意見を否定する。だが。
「……ブル元将軍様が我々を率いれば良いのではないですか?」
義勇兵がとんでもないことを口にしてきた。
「なんですって?」
「元将軍であるブル様が軍を率いるほうが自然です。それに……運も味方してくれるでしょう?」
「…………」
ブル相手であれば強く反発も出来るが、義勇兵相手ではそうもいかない。強く出れば相手の反発が強まるだけ。そういう思いもある。クリスティーナ王女が出てきても事態は解決しなかった。ブルがそれを邪魔した。
その様子を眺めている銀狼傭兵団。彼等にとって議論の勝敗はどうでも良いのだが、話の中身は気になるものだ。
「……クーデターってやつですね?」
状況がブルに傾いたのをみて、グレンが呟いた。このまま事が進めば義勇軍の指揮官はブルになる。公には変わらなくてもクリスティーナ王女は実権を失う。
「モンタナ王国の人々は王女相手に酷いことをするのだな? 我には信じられないのだ」
「ああ、やっぱりそう思いますか?」
「……どうして驚かない?」
グレンの呟きに応えた声。その声が今度は不満そうな声を発した。声の主はジョシュア。グレンの不意をついたつもりが、まったく驚かれなかったことが気に入らないのだ。
「お二人の到着を知らないはずがないでしょう?」
「つまらないのだ」
「いやいや。何かあったらと心配していたからですよ。文句を言わないでください」
「そうかもしれないが……」
グレンがジョシュアとマリアの動向を把握しているのは当然のこと。モンタナ王国は二人にとって、絶対に安全と言える場所ではないのだ。
「それよりも、やっぱりあの態度はおかしいですよね?」
「……そうだな。おおらかな王家だからなのだろうが、あのような態度が出来るとは。それに幸運を手放そうとする気持ちは我には理解出来ない」
「……幸運?」
求めていた答えは前の部分。だが後ろの言葉のほうがグレンには気になった。
「ん? グレ――」
「ロウ。もう忘れたのですか? 俺の名前はロウです」
グレンと呼ぼうとしたジョシュアの言葉を遮って、偽名のロウを告げる。伝えるのは初めてではない。たんにジョシュアがうっかりしていただけだ。
「あ、ああ。ロウは知らないのか? 彼女のような容姿の存在は天の使いとして神聖視されていることを」
「えっ? 不吉な証ではなくて?」
ジョシュアの言っていることはモンタナ王国に来て、聞いたことと正反対だった。
「何を言っているのだ? 白蛇にしても白狼にしても、あとは何があったかな? とにかく聖なる存在と言われているではないか」
「確かに……人だと違うのでしょうか?」
言われてみれば白い獣は神聖な存在とされている。グレンもそれは知っていた。ウェヌス王国では広く伝わっている話だ。
「人……ああ、分かった。そういうことか」
「どういうことですか?」
ジョシュアには心当たりがあるようだ。この博識は、さすがはウェヌス王国の王家の生まれというところかと感心しながらグレンはその内容を尋ねた。
「世の中には聖なる存在として崇めているだけでは済まず、それを自分のものにしようという馬鹿な考えを持つ者も少なくない」
「……自分のものって」
「獣であればまだ良い、なんて言っては罰があたるか。ただそれが人、それも女性となると、どういうことが起こるか分かるであろう?」
「ああ……あまり想像したくないですけど」
女性でかつ身分の低い場合はどのようなことになるか。その女性の身に想像したくない不幸が訪れることになる。
「そこでそういった人々や身内は考えたのだ。そんな悲惨な目に遭うよりも人に避けられるほうが良いとな」
「真逆の不吉な存在ということにすれば良いと。そういうことですか?」
「そうだ。モンタナ王国ではその話だけが伝わっているのだな。うん。それもまた興味深いな。何故だろう? 地理的要因があるのかな?」
ジョシュアの心にまた新しい興味が湧いた。王家に生まれたから、は関係なく個人的にこの手の話が好きなのだ。知識を得られたのは大国ウェヌス王国の王家に生まれたからではあるが。
「あの……その話は本当なのですか?」
割り込んできた声。いつの間にか喧騒は収まり、ジョシュアの話は周囲にも聞こえていた。聞こえたから喧騒が収まったというのが正しいだろう。
「ん? もちろん本当だ。我は……我は?」
問い掛けてきた相手がクリスティーナ王女だと分かって、ジョシュアはどう名乗れば良いか分からなくなった。
「この人はウェヌス王国生まれの大商家の息子で、ジョンといいます」
代わりにグレンがジョシュアを紹介する。
「商人ですか……」
「商人といってもかなりの良家でお城にも出入りしていたそうです。今は勘当の身で俺たちのような者たちとつるんでいますが。さっきの話はお城で聞いた話ですか?」
クリスティーナ王女に辻褄合わせの補足説明をしたあとで、グレンはジョシュアに質問を向ける。
「お、おお。そうだ。聞いただけでなく自分でも図書室に行って調べた」
「そうですか。ウェヌス王国のお城で。そうであれば信用出来る情報ですね?」
大国ウェヌス王国の保有図書から得た知識となれば信用出来る。それはクリスティーナ王女にとって嬉しいことなのだが、興味は別のことに移っている。
「聖なる存在ということがそもそも迷信という話もある。そうであったとしてもお主が不吉な存在でないことは変わらないな」
「ありがとうございます……それで貴女は?」
クリスティーナ王女の知らない顔がいくつかあるが、その中でも気になるのはマリア。傭兵団の中に女性がいれば目立つ。そうでなくてもマリアは目立つ存在だ。
「ああ、彼女は」
今度もまたグレンが紹介しようとしたのだが。
「ロウの妻のマリアですわ。初めまして、クリスティーナ様」
「ええっ……」
マリアが続けて挨拶したことに頭を抱えてしまう。
「なに?」
そのグレンの反応に不満そうな視線を向けるマリア。
「いや、そうじゃなくて……あとで話そう」
グレンが頭を抱えたのは妻と自己紹介したことだけが理由ではない。戦場に傭兵の妻が現れるという設定もどうかと思うが、それ以上にマリアの所作が問題なのだ。
マリアの立ち居振る舞いはとても傭兵の奥さんのそれではない。服装を改めればまず間違いなくクリスティーナ王女以上に優雅に見えてしまうものだ。
「そうですか。団長ではなく貴方の奥方なのですね?」
「……お恥ずかしながら」
明からにクリスティーナ王女に怪しまれているが、それに気付いていない振りをしてグレンは答えた。
「……貴重なお話が聞けて嬉しかったです。貴方たちとはもっと色々な話をしたいわ」
「それは、また別の機会に。うちの奥さんは到着したばかりで疲れているだろうから休ませてあげたくて」
口裏合わせをした後でないとクリスティーナ王女とは話はさせられない。
「……そうね。ではまた別の機会に」
クリスティーナ王女はそれを受け入れた。彼女自身も今は優先すべきことが他にある。騒動は収まったとはいえ、それで義勇兵の不満が消えたわけではないのだ。今はこの問題をなんとかすることが先。銀狼傭兵団については義勇軍にいてくれれば、それで良いのだから。
◇◇◇
街の外の野営地に戻ったグレンたち。早速、ジョシュアとマリアの設定を摺り合わせ、それが終わってもまだ打ち合わせだ。今回の件で色々明らかになったことがある。裏付けはこれからだが、まず間違いはないとグレンは考えている。
「義勇兵のあの態度はおかしい。これは俺だけの意見ではありませんね?」
「我もそう思う。庶民が王族にあんな態度を向ければ、その場で斬り殺されても文句はいえない。あれは殺してくれと言っているようなものなのだ」
一般庶民であれば直接話すことさえ躊躇うはず。だが義勇兵はそれを躊躇うどころか侮辱といえる言葉を口にしていた。普通は出来ないことだ。
「でも彼女がそんな厳しい処罰を下すかしら?」
マリアは二人とは違う意見を持っている。クリスティーナ王女は無礼だからといって死を命じるような人ではない。そう考えているのだ。
「それを知っているなら。でもあの義勇兵はどうやってそれを知ったのだろう?」
「親しい、はずがないわね。彼女の容姿を嫌っているような人が」
「その通り。分かっていてあれをやったのであれば、誰かが教えたということ」
「一人しかいないわね? 私でも分かるわ」
ブルしかいない。義勇兵はブルにとって都合の良い発言をしていた。裏で通じていて、あの事態を引き起こしたと疑うべきだ。
「クリスティーナ王女から義勇軍を奪う為。それだけかな?」
「違うと思っているのね?」
「黒幕は国王だと疑っている。国王は彼女を自分の子だと思っていない。敵である王弟の子だと考えているらしい。その彼女を指揮官にした理由があるはずだ」
指揮官の座を奪うくらいなら最初から与えなければ良い。裏で国王の意向が動いているのなら他に何か理由があるとグレンは考えている。
「……恐いことしようとしているの?」
時にグレンは手段を選ばない。マリアはそれを知っている。今回であれば、情報を入手する為に知っているであろう人を拷問にかけるくらいは平気で行う。
「今はまだ。今日文句を言っていた人に何かあったら疑われるのは王女だ。それは申し訳ない」
「そう」
そうならない状況になればグレンは行動を起こす。それを止めようとはマリアは思わない。同情で止めてもその結果、もっと多くの人が苦しむことになる。そう考えているのだ。
「強引な手を使わなくても見えてくるようになる。今日の行動はきっと焦りからのもの。この先の動きはもっと大きくなるはずだ。ただな……」
モンタナ王国の情勢は大きく動いている。ウェヌス王国の参戦が明らかになったからには戦いは本格化するはずだ。その中でクリスティーナ王女に絡む疑問も明らかになっていくはず。
だがそれはグレンがモンタナ王国に来た目的ではない。グレンが知りたいのは国王の陰謀ではなく銀鷹傭兵団の陰謀、もしかすると自分の母親が考えたかもしれない陰謀の中身なのだ。