この先、クリスティーナ王女に対する策略はもっと分かりやすい形で動き出す。こう予想していたグレンではあったが、実際に起きた動きは意外なものだった。大勢の義勇兵が駐留していたハムスの街から消えたのだ。もっとも消えたと思っているのはクリスティーナ王女とその周辺の騎士たち。グレンはその動きに気が付き、部下に街を出た義勇兵たちの後を追わせている。
「仕方のないことだと思います」
この事態にクリスティーナ王女は諦め顔。自分が指揮官であることに納得出来なくて義勇兵は逃げ出したのだと考えているのだ。
「強制しては義勇兵ではなく徴兵であるからな。ただ逃げ出すという行為は、我には納得いかない」
クリスティーナ王女の言葉に応えたのはジョシュア。義勇兵たちの行動を卑怯と考え、怒りを露わにしている。
「ジョン殿のお話を聞いても、にわかに気持ちが変わるものではありませんわ」
義勇兵が逃げ出したのは自分の容姿が理由。これを話すクリスティーナ王女は寂しそうだ。
「そういう問題ではないと我は思う。彼等は何の為に集ったのか。国を守るという一番大事な目的を私情で放棄するような真似は、やはり卑怯だと思うのだ」
その寂しげな雰囲気が、ますますジョシュアの逃げた義勇兵への怒りを燃え上がらせる。
「いえ、やはり私がいたらないのです」
「その判断はまだ早い。戦いはまだこれから。何かを為してから判断するべきだと我は思う」
「……ありがとうございます」
落ち込んでいるクリスティーナ王女を慰めているジョシュア。そのこと自体は悪いことではないのだが。
「……ジョン殿。クリスティーナ様が王女であることを忘れないように」
その態度を、現れたグレンにたしなめられることになった。
「ん?」
「聞いていて、少し馴れ馴れしいと感じました」
本当は偉そうだと言いたいのだが、それをこの場で言ってしまうとそれが事実として全員に認識されてしまう。ジョシュアは商人の息子。王女殿下に偉そうな態度を向けて良い身分ではないのだ。
ちょっと目を離した隙にこの行動。追い返してしまえば良かったと思ってしまう。
「……おっ、そうだった。これは失礼いたしました」
クリスティーナ王女に向かって頭を下げるジョシュア。その所作もまた見事なものだ。それはそうだ。彼は大国ウェヌス王国の元国王なのだから。
「……それとお二人が思われているような事情ではないようです」
立ち居振る舞いが優雅過ぎるなんてことを注意するわけにはいかない。グレンは話題を変える為に情報を提供することにした。もともと隠してはおけない情報。事前に内部での情報共有を省くだけのことだ。
「「それはどういうことですか(なのだ)?」」
「……脱走した義勇兵はまとめて南に向かっています。王女殿下の臣下であるブル殿に率いられて」
ジョシュアにはもう一度、きっちりと言い聞かせておかなければならない。こう思いながらグレンは話を先に進めた。
「な、なんですって?」
「目的地にお心当たりはございますか?」
グレンにはある。ブルも行動を共にしているとなれば、これはただの脱走ではない。クリスティーナ王女に無断で何かしらの行動を起こそうとしているのだ。
「……次の討伐目標とされている村だと思うわ」
「その場所も盗賊のアジトなのですか?」
「いえ、違うわ。叔父を支持する人たちが密かに集まっているのよ。盗賊相手とは訳が違うと思って、安易に攻めることには反対したのに……」
そうであれば、相手がどの程度の勢力かは分からないが、本番の戦い。クリスティーナ王女が戦いを躊躇うのも当然だとグレンは思う。
「そんな場所に、せいぜい二百で攻め込むつもりですか……ブル殿には勝つ自信があるのですね?」
ブルは死を覚悟して戦いに臨んでいる、とはグレンには思えない。勝算があって行動を起こしたはずだ。ではその勝算はどこから生まれるのか。
「必ず勝てると言い張っていましたが、その根拠は分かりません。軍事には素人の私でも無謀だと思うのですけど……」
「……どうなさいますか?」
「どうとは?」
「止めるのであればご命令を。放置されるおつもりであれば、そう言っていただければこの件についてはこれで終わりです」
これを決めるのは指揮官であるクリスティーナ王女だ。雇われの身である銀狼傭兵団は指示通りに動くだけ。表向きは。
「貴方であればどうしますか?」
「……意見であれば団長に」
「いえ、私は貴方の意見が聞きたいのです」
じっとグレンを見つめるクリスティーナ王女。その視線の意味はどこまでのことなのか。人の心を読み取る術を持たないグレンには、それは分からない。分かるのは下手な惚け方をしても無駄だということだ。
「……まだ情報が足りません。私であれば判断出来る情報が得られた時に、すぐに動ける準備をしておきます」
「つまり?」
「後を追います」
「ではそうしましょう。数はどれほどを連れて行けば良いですか?」
「銀狼傭兵団だけで。失礼ですが他の方々は、王女殿下も含めて、足手まといとなります」
後を追う、という点だけでも足手まといだ。クリスティーナ王女の行軍に合わせていては、追いつくことも出来ないかもしれない。
「……では先陣は任せます。私は後を追いますので、何かあったら伝えて下さい」
だがクリスティーナ王女は同行を諦めなかった。銀狼傭兵団の邪魔をしないように付いていくついていくつもりだ。
「……承知しました」
さすがにそれまで拒否は出来ない。それにクリスティーナ王女の決断が必要な事態が発生する可能性もある。真実を知った彼女がどうするか知る必要が。
◇◇◇
ブルが率いる義勇兵の足は遅い。銀狼傭兵団の人たちからみれば、半人前にも満たない兵士たちなのだ。追跡は難しくなく、後から出発した銀狼傭兵団本隊もすぐに追いつくことが出来た。
苦労したのは追いついてから。あまり近づき過ぎてもいけない。さらに後ろから付いてきているクリスティーナ王女率いる義勇軍の本隊の状況も確認しなければならない。思うように動けないことを焦れったく感じる日々が続くことになる。
ただ無駄な時を過ごしているわけではない。ブルの目的地は分かっているので、そこに向けての偵察も送ることが出来た。情報収集という点では有用な時間だ。国王が何を企んでいるのか分かったのだから。
「……もう一度、説明をお願いします」
イェーガーの報告を聞いたクリスティーナ王女は、もう一度説明を求めた。報告内容が分からないのではない。言葉の意味は分かるが、それを信じたくないのだ。
「ブル殿が攻めようとしているのは王弟派のアジトではありません、ただの村です」
「それは分かりました。それが何故……その、父上が私を罠に嵌めようとしていることに繋がるのですか?」
父親が自分を罠に嵌めようとしている。イェーガーが伝えてきたこの報告をクリスティーナ王女は信じられない。
「無辜の民を虐殺した。この噂が広がれば、人々はどう思うでしょうか?」
「それは……怒りを覚えるでしょう」
イェーガーが何を聞きたいのかクリスティーナ王女は分からない。思い付いた答えをただ口にした。
「それが王女である貴女が為したことだと知ればどうでしょう? 貴女を、貴女の父である国王陛下を人々はどう感じると思いますか?」
「……私は恨まれ、王家の信頼は失墜する、でしょうか?」
「ではそれが実は王弟の策略であったと知られれば?」
「えっ……?」
「貴女が父である王弟の命令で無辜の民を虐殺したと知れば、多くの人々は王弟を悪。それを討とうとしている国王を正義だと見るでしょう。国民の支持は国王に集まります」
実際にどこまでの効果があるかは疑問だ。人々はその現場を見るわけではない。あくまでも話で伝え聞くだけだ。そうであれば王弟にも言い訳のしようがある。ねつ造であり、実際に虐殺を行ったのは国王の側だと言い張れる。その程度の策なのだ。
「……だから私を指揮官に」
嫌われているはずの自分が義勇軍を率いることを許された理由。望んではいないが、辻褄は合ってしまう。
「そういうことです」
「ち、ちょっと待て! 証拠はあるのか!? 証拠は!?」
クリスティーナ王女に仕えている騎士が口を挟んでいた。国王がクリスティーナ王女を謀略の道具に使おうとしている。そんなことは認めるわけにはいかない。国王は彼等にとって主君であるというだけでなく、それではクリスティーナ王女が不憫過ぎる。
「証言者がおります」
「それは誰だ?」
「策謀に加担している義勇兵の一人。その者が白状致しました」
白状させたが正しい。この時点で誘拐、拷問を躊躇う理由はグレンにはないのだ。
「……義勇兵の証言だけでは」
「義勇兵を名乗っておりますが、その者は貴国の騎士です。これついての証拠も揃っております」
「そんな……」
ブルだけで謀略が動かせるはずがない。義勇兵の中にも真実を知る者がいるはず。そう考えて、長い時間をかけて調べた結果だ。
「報告は以上となりますが、どうなさいますか?」
報告を終わらせてイェーガーは決断を求めた。クリスティーナ王女と騎士たちの納得を得る必要は銀狼傭兵団にはない。グレンがどうするか。それが全てなのだ。
「……私は駄目ですね。また教えてください。貴方であればどうしますか?」
クリスティーナ王女の視線はイェーガーの隣にいるグレンに向いている。
「そんなもの聞くまでもない。村人を守る。これしかないではないか」
だが答えを返したのはグレンではなく、イェーガーでもない。クリスティーナ王女に同行してきたジョシュアだった。
「私に父上に刃向かえと言うのですか?」
「貴方がどうするかは貴女が決めること。我はグレンがどうするべきかを言っているのだ」
グレン、そしてジョシュアと同じくクリスティーナ王女に同行してきたマリアのため息が聞こえる。銀狼傭兵団の他の人々もため息こそ漏らさないが呆れ顔だ。
クリスティーナ王女は当然それとは異なる反応を見せる。驚きではなく納得だ。
「……やはり貴方がグレン殿なのですね?」
「それを確認する意味がありますか?」
「あります。ゼクソン王国の英雄。ゼクソン王国とアシュラム王国の二国を統べる貴方が何故、傭兵の振りをして我が国にいるのですか?」
「いくつか訂正を。傭兵の振りをしているのではなく実際に傭兵です。ゼクソン王国の国王はヴィクトル王であり、アシュラム王国の国王はウォーレン王。私が治めているわけではありません」
ルート王国の存在を知らないクリスティーナ王女に、全てを教える必要はない。
「それは……いえ、そうだとしても貴方は」
「国を飛び出した身。どこで何をしようと自由です」
「…………」
グレンの話をそのまま受け取るつもりはクリスティーナ王女にはない。だが何をどう話せば良いかもすぐには思い付かない。
「貴方の問いに答えるつもりは俺にはありません。貴女がどうするかは貴女が決めること。決めて、それに従って行動すれば良いと思います」
「私は……」
決断を求められてもすぐに出来るものではない。父親に裏切られていたという事実もまだ整理出来ていないのだ。
「焦って決断する必要はありません。それで間違った判断を下して後悔するのは貴女ですから」
これが優しさからの言葉ではないことを銀狼傭兵団の人々は知っている。グレンは勝手にしろと突き放しているのだ。
「団長、そろそろ」
それに合わせてイェーガーが声を掛けてきた。
「ああ、分かった。では我々は戻ります」
引き止める間を与えることなくグレンはクリスティーナ王女に背を向けて歩き出している。他の団員、そしてマリアも同じだ。唯一、それから遅れたのはジョシュアだった。
「……お主が正しい選択を行えばグレンと共に行動することになるだろう」
「グレン殿はこの国で何をしようとしているのですか?」
「それは我が話して良いことではない。だが一つ教えておく。グレンは王になりたくてなったのではない。人々がグレンに王になって欲しいと願った結果そうなったのだ」
クリスティーナ王女はグレンの野心を警戒している。そう思ってジョシュアはこれを話した。
「人々が望んで……」
「もしグレンがモンタナ王国の玉座を手にするとすれば、それはモンタナ王国の民が望んだ結果……言葉で何を言っても伝わらないか。いずれ分かるのだ。グレンが何故、英雄と呼ばれるかは」
クリスティーナ王女に背を向けてグレンたちの後を追うジョシュア。その背中を見つめながらクリスティーナ王女は懸命に考えている。自分はどうすれば良いのか。自分はどうしたいのかを。
「お、お~い! 我を置いていかないでくれぇ!」
そのクリスティーナ王女の思考を邪魔する情けない声が聞こえてきた。
「秘密を守れなかった罰よ!」
「ば、罰って! マリア! 我もそこまで馬鹿ではない! あれは彼女が可哀想だと思って、わざと!」
「そんな権限は兄上にはないわ!」
「権限の問題ではない! 我はグレンであれば彼女を正しく導けると信じているのだ!」
「それが余計なの! 変なことになると私が二人に怒られるのよ!」
「そ、それは別の問題では……」
兄妹喧嘩の声。それも徐々に薄れてくる。本当にジョシュアを置き去りにするわけにはいかない。モンタナ王国に来てから何かとミスが多い兄に反省を促そうというマリアなりの説教なのだ。
「……つまりあの方はグレン殿の奥方の兄」
二人の会話からこれが分かる。ここから導き出される真実は。
「……嘘? あの人が……ある意味、噂通りなのかしら? 善人は時に愚か者と評価されるものね。善人か……」
グレンは憧れの存在ではなるが、モンタナ王国を渡したいとは思わない。もしそれをグレンが目指しているのであれば、それを許す気はない。
だがジョシュアはグレンに野心はないと言った。その言葉は信じられるのではないか。そうであれば自分はどうするべきなのかクリスティーナ王女は考えてみる。
ジョシュアは、そしてジョシュアが言うグレンも民を見ている。そうであれば自分も民を見るべき。その民は自分の国の民なのだ。
「……私も行きます」
「クリスティーナ様……」
国王の裏切りを知ったクリスティーナ王女が、どういう決断を出したのか。騎士たちにとっては難しい問題だ。
「正直、私も気持ちを決めきれていません。でも彼等の話が事実であれば、私にはもう居場所がありません」
「…………」
「貴方たちは違う。だから自由にしてください。私は、この先の私はモンタナ王国の王女ではなく、ただの人として動くことになるかもしれないのですから」
「……ではそれが分かるまで、ご一緒します。クリスティーナ様が何をなさるか。それを知ってから判断しても遅くないはずです」
「……そうね。ありがとう」
国に背くことになるかもしれない。それが分かっていてギリギリまで行動を共にしようという騎士の気持ちがありがたかった。そうしてくれる人たちが自分の周りにいることが嬉しかった。この国にはまだ自分の居場所があるのかもしれない。そんな期待がクリスティーナ王女の胸に広がっていく。