ウェヌス王国軍が出陣した。第一軍と第二軍合わせて二万。ただ目的地は一つではない。主目的であるモンタナ王国で起きている内乱の王弟派支援にエリック・ハーリー大将軍率いる第一軍五千。残りの五千は後備も兼ねてアシュラム王国との国境近くへ、そしてアシュリー・カー大将軍が率いる第二軍一万はゼクソン王国との国境近く、エステスト城塞の後方基地でもあったエスブロック城塞に向かった。その場所でゼクソン王国とルート王国に備える。それがカー大将軍に与えられた任務だ。
「お久しぶりです。アステン将軍」
先にエスブロック城塞に到着していた東部辺境軍を率いるヒューイ・アステン将軍にカー大将軍は姿勢を正して挨拶をした。
「カー大将軍。今は貴方のほうが上位者。そのような挨拶は無用ですな」
「しかし……」
アステン将軍は国軍第三軍の元軍団長でありトルーマン元帥の片腕と、本人は謙遜もあって思っていないが、言われていた人物。カー大将軍にとっては大先輩だ。
「軍組織は規律を重んじる。大将軍である貴方がそれを破るわけにはいきません」
「……分かりました。以後、気をつけます」
気をつけているような態度ではないのだが、それを指摘することをアステン将軍は止めておいた。他に話すことは沢山あるのだ。
「城塞工事の為の資材は集められるだけ集めて、すでに城塞内に運び込んでおります」
「そうですか。工事を行う者たちは一週間ほど遅れて到着する予定です。必要期間は第一次工事だけでも三ヶ月は必要と聞いています」
エスブロック城塞の強化。まずカー大将軍が取り掛かる仕事はこれだ。立地は異なるがエステスト城塞に劣らない強固な要塞に造り替えなければならない。
「三ヶ月……長いか短いかの判断はつきませんな」
「両国の様子は何か分かっていますか?」
長いか短いかは戦いがいつ始まるか次第。それを判断出来る情報がないか、カー大将軍はアステン将軍に尋ねた。
「ゼクソン王国は変わらず入国を受け入れていないようです。ルート王国は砦の工事を続けているのは間違いないようですが、遠巻きに見るだけでは良く分からなかったと報告を受けております」
「遠巻きだとしても見ることは出来るのですか?」
王都では近づくことも出来ないと聞いていた。だがアステン将軍の話しぶりは偵察を送った結果に間違いない。
「中隊程度の偵察部隊を送りました。先ほども申し上げた通り、かなり離れた位置までですが」
「……積極的に攻撃する意思はないということでしょうか?」
「それは分かりませんな。排除するほどの数でも距離でもない。こう判断しただけの場合もあるでしょう」
「そうですね……」
そうであって欲しい。自分の願望を問いにしてしまったことをカー大将軍は恥じた。
「しかし思い切った判断ですな」
「えっ?」
カー大将軍の落ち込みを見て、アステン将軍は話を変えた。両国について報告出来ることは少ない。それよりも優先して話しておくべきと考えていることがあるからだ。
「かなり難しい戦いになるのは明らか。そうであるのに早々に軍を動かしました」
「……早いですか?」
エドワード王が決断するまでに、かなりの時間を必要とした。今回の出兵もモンタナ王国の王弟からの督促に応じる形で決められたことだとカー大将軍は認識している。
「力で三国を崩すのは難しい。そもそも……いや、これは口にしてはいけませんか」
「……席を外してくれ」
カー大将軍のこの言葉は他の将たちに向けたもの。アステン将軍の本音を聞くためには、そうする必要があると考えたのだ。
カー大将軍の指示に従って部下たちが部屋を出て行く。彼等の多くもアステン将軍の有能さは知っている。その意見を聞くことを邪魔する者はいない。
「……お話を聞かせていただけますか?」
二人きりになったところでカー大将軍はアステン将軍に話の続きを促した。
「……そうですな。そもそも何故三国と、いやグレンと戦う必要があるのですかな?」
グレンの側に野心があるとアステン将軍は思っていない。彼が知るグレンはそれとは正反対の気持ちを持っている男だったのだ。
「戦いを望んでいるわけではありません。ただ邪魔をされたくないと考えられているようです」
「邪魔というのは同時に動いているモンタナ王国侵攻作戦のことですかな?」
「そうです。作戦実行中に三国に動かれたくない。その為にこうして守りを固めようとしているのです」
「その必要性を排除しようとは思われなかったのでしょうか? 敵対ではなく協調を考えることは?」
アステン将軍は今回の作戦に反対だ。軍人であるアステン将軍が命令に異を唱えるのはあってはならないことだが、カー大将軍がそれを望んでいると考えて、正直な話をしている。
「相手が受け入れなかったようです。交渉の場を持つことも出来なかったと聞いています」
「……受け入れてもらう努力は為されたのでしょうか?」
「為されていないとアステン将軍はお考えですか?」
「自分が知る限り、彼は簡単に人を信じることをしない。相手に心を開くことはせず、疑ってかかることから始める人物だと思います。その彼と交渉を行おうと思うのであれば、まず信用を得なければならない」
相互に信頼し合っていると見えていたトルーマン元帥にさえ、グレンは本当の意味で全てを晒すことはしていなかった。上司と部下を超えた特別な関係であったのは間違いないと思うが、それでも守るべき一線をグレンは持ち続けていたとアステン将軍は考えている。
「……我が国は信用を得られるような国ではありませんか」
グレンはウェヌス王国を敵として戦っていた。今もその関係は変わらないのだとカー大将軍は思った。
「そうではありません。信用を得ていないのは陛下ですな」
「……アステン将軍」
「黙っていることこそ不忠と考えておりますので話します。陛下は間違っておられる」
このままではウェヌス王国は間違った方向に進んでしまう。それを止めることが忠義。アステン将軍はそう考えて、エドワード王を批判する言葉を口にした。
「……何をでしょう?」
「グレンにとって妹は何よりも大切な存在であることは明らか。そうであるのに何故、妹を人質にとるような真似をされるのか」
「…………」
多くの臣下が心の中で思っていながら、口に出すことをしなかったこと。それをはっきりとアステン将軍に指摘されて、カー大将軍には返す言葉がない。
「まず妹を彼の元に返し、その上で交渉を申し入れるべきだった。だが陛下は人質を手元に置いて交渉を求められた。脅しと受け取られてもおかしくないやり方ですな」
それでグレンが交渉に応じるはずがない。相手を警戒し、決して腹の内を見せようとしない。相手に悪意があるという前提で行動を起こすはずだ。
「そうしていれば事態は変わったでしょうか?」
「絶対とは申しません。ですが今よりはマシでしょう」
「……陛下はグレン殿を臣下にしたいのです。彼の力があれば大陸制覇が実現出来ると考えておられます」
カー大将軍にとっては少し納得出来ないこと。自分たちでは力不足だとエドワード王が考えている証なのだ。
「それもまた誤り。彼の力は決して手に入りません」
「何故、そう思われるのですか?」
「……トルーマン閣下は彼を高く評価しながらも恐れていた。彼がウェヌス王国の枠から飛び出すことを恐れていた。そしてその恐れは現実のものとなった。今の彼はもう……ウェヌス王国にははまりません」
最後の言葉はさすがエドワード王に気を使った。エドワード王ではグレンを従わせることは出来ない。臣下に収めることなど出来ないとアステン将軍は言いたいのだ。
「そうであれば結局は戦うことになるのではないですか?」
「大陸制覇を目指すのであればそうなります。そしてウェヌス王国はそれを目指す。だが今、戦う相手ではないと自分は思います。矛先は東ではなく西に向けるべきだと」
「……ウェストミンシア王国と?」
カー大将軍の頭の中にはなかった選択。西の強国であるウェストミンシア王国との戦いは大陸の覇者を決める最後の戦い。そう考えていた。ウェヌス王国の多くの人たちと同じ考えだ。
「自分はそう考えます。ウェストミンシア王国は着々と国力を拡大させているでしょう。戦いを先送りにすれば、我が国との差は開くばかり。勝ち目は減るばかりになります」
「だから今戦うべきだと……?」
「そうは思えませんか? つまりはカー大将軍もグレンよりウェストミンシア王国を恐れている。しかし、その判断は正しいのでしょうか?」
「グレン殿とウェストミンシア王国? それは……いや、しかし……そういうことですか……」
グレン個人と大国ウェストミンシア王国を比べる。グレンの統治下にあるだろう三国とウェストミンシア王国との国力比較はしていても、個人と国を比べることなどしていない。出来るはずがない。
だが単純にどちらと戦うことが恐ろしいかと考えた時、カー大将軍の答えはグレンになった。
「……閣下がお亡くなりになられたのが悔やまれます」
「えっ……?」
「あの方であればグレンを正しく評価し、いえ、交渉の場を作ることも出来たでしょう。事態は変えられたと思います」
「トルーマン閣下はお亡くなりになられたのですか?」
この事実をカー大将軍は知らない。知らされていない。
「ご存じなかったのですか?」
「はい。退役された後のことは何も……」
「そうですか……自分も実際にどうかは知りません。ただ遺言のような手紙が届いたことと、それを心配して閣下のご自宅に部下を送ったところ、綺麗に整理されていて暮らしている様子がなかったとのことで、そうなのだろうと……」
「そうですか……事実であれば残念なことです」
エドワード王に近かったトルーマンが軍に復帰しないのは本人の意向なのだとカー大将軍は考えていた。まったく間違った考えなのだが、カー大将軍にそれが分かるはずがない。
「……過ぎた過去を悔やむばかりでは何も解決はしませんな」
「そうですね」
「これからのことです。同時作戦のモンタナ王国侵攻作戦が成功すれば、その先にはアシュラム王国侵攻が待っている。この考えは間違いではありませんか?」
計画の全ては辺境将軍の立場であるアステンには知らされていない。それでもアステン将軍はモンタナ王国侵攻後の計画を推察した。
「正式に決定したわけではありませんが、そうなる可能性は高いと思います」
「自分でも分かることをグレンが気付かないはずがありません」
「はい。そうだと思います」
「モンタナ王国にはどれだけの軍勢を? この地に一万、アシュラム王国との国境にも置いたのでしょうから一万から一万五千というところですかな?」
「いえ……五千です」
アステン将軍の言う数の半分以下。彼の聞き方からそれでは駄目なことがカー大将軍には分かった。
「主戦場となるかもしれないモンタナ王国にわずか五千。相手の思うつぼかも知れませんな」
「思うつぼですか?」
「攻め込む側が有利な点は戦場を選べること。それを警戒して我が国は各国境に守りの軍勢を配置したのでしょうが、数が十分とは言えません」
ルート帝国軍二万五千。その全てを一つの戦場に集中させれば、全ての場所でウェヌス王国側を数で上回る。それはルート帝国側の狙い通りだとアステン将軍は考えている。
「……国を空にして出撃してきますか?」
「さすがに空にはしないでしょう。守りは少数で耐える。その為にエステスト城塞が、他の国境にも砦があるのではないですか?」
「……出撃してくるとすれば、守りが薄いであろうモンタナ王国との国境ですか?」
自国が攻め込むに有利と思われた場所。そこを逆に攻めてくる。十分にあり得る話だとカー大将軍は考えた。アステン将軍がモンタナ王国を主戦場になるかもしれない場所と言ったのは、そういうことだとも。
「第三軍は動かせないのですか?」
「第三軍はまだまだ訓練が足りず、それに西に万一があった場合に備える必要もありますので」
「……戦うに必要な備えが整っていない。その状況で決断したわけですな。いや、そうなるように仕向けられましたか」
完全にグレンに、実際は全てがグレンが考えたわけではないのだが、先手をとられている。考えていた以上に厳しい戦いになるかもしれないとアステン将軍は感じた。
「急ぎ王都にこの話を伝えようと思いますが、よろしいですか?」
「それは大将軍のご判断で」
「……分かりました。では失礼します」
伝令を指示する為に一旦部屋を出るカー大将軍。アステン将軍の話を聞けて良かったと思う反面、どうしてそれが今なのかと残念に思っている。
アステン将軍だけではない。敗戦の責任をとらされる形で多くの優秀な将が軍を追われ、もしくは左遷されている。何故、その人たちを呼び戻さなかったのか。恐らくそうであろうという理由は頭の中にある。ゴードン顧問が許さなかったのだろうと。亡くなったトルーマンに近しい人々、自分の派閥に反発していた人々を軍の中枢に戻したくなかったのだろうと。
この期に及んでまだ政治。それを思うとカー大将軍は怒りが湧いてくる。軍だけではない。ウェヌス王国は危機感に乏しい。度重なる敗戦を経験していながら何故そうなのかを考えてみる。
「……目を逸らしているだけなのかもしれない」
グレンを恐れながらも強い敵意を抱いていない。グレンに助けられた人はウェヌス王国軍に多くいる。カー大将軍もその一人で恩を感じている。
だが敵意が向けられないのはそれだけが理由ではないとカー大将軍は気付いた。やはりグレンが恐いのだと。恐いから戦いたくない。戦いたくないから敵としたくない。敵と認めたくないから心のどこかで戦わないままで終わることを期待している。そういうことではないかと。
「エリック。お前はどうなのだ?」
主戦場になるかもしれないモンタナ王国で戦うことになるかもしれないハーリー大将軍に思いを馳せてみる。彼もグレンに救われた一人。だがハーリー大将軍はもともとグレンに敵愾心を抱いていた。その点は自分とは違うとカー大将軍は思う。
自分はまだまだだった。ウェヌス王国軍を背負う力はなかった。大将軍という肩書きを今は恥ずかしく思えてしまう。ハーリー大将軍はそうでないことをカー大将軍は期待するしかない。