当面、実戦の予定はなかったはずの義勇軍。だが国からもたらされた情報がその予定を変えることになった。ハムスの街からそう遠くない位置にある村が、頻繁に盗賊の襲撃を受けているという情報だ。それを受けたクリスティーナ王女は討伐に出ることを決断した。苦しむ民を放っておけないという理由だ。グレンも反論出来ない理由。仮に出来ても出撃を決めるのは指揮官であるクリスティーナ王女。この件で気持ちが変わることはない。
それが分かっているのでグレンは何も言わず、イェーガーにも何も言わせず、盗賊討伐に向かっているのだが。
「盗賊団の規模はまた五十ほどですか……」
イェーガーが聞いてきた情報に渋い顔をするグレン。
「同じ規模だ……強さも同じだと良いのだが」
前回と同じ程度の戦力であれば、あまり心配はいらない。少々強くても銀狼傭兵団の半分の数だ。負けることはまずないのだが兵が、小さなものであっても怪我をするのがイェーガーは嫌なのだ。前回の任務でグレンがそう言っていたからだが。
「五十となると、まあまあの規模。その規模の盗賊団が二つも暴れていた。不思議ですね?」
「ん?」
だが今回の出撃では、グレンは別のことを気にしていた。
「モンタナ王国に入ったばかりの頃、大規模な盗賊はいないと考えていた。それなのに狭い範囲で二つの盗賊団が暴れている」
声のトーンを落として、グレンは疑問に思っていることを説明した。
アシュラム王国に通じる輸送路と拠点を確保する為に、裏街道とそれを利用している盗賊団のアジトを探したが見つからなかった。そういったものを持つほどの規模の盗賊団がいないから。そう判断したのだが、ハムス周辺には二つも盗賊団が存在していた。これをグレンは疑問に思っている。
「……確かに。罠でしょうか?」
「可能性はある。でも誰が?」
現時点ではほとんど戦力にならない義勇軍をわざわざ罠に嵌めようという理由が分からない。もし義勇軍に脅威を感じるとすれば、それは。
「……我々の存在が敵に知られましたか」
「そうだとすると銀鷹か……でも百を動員して、こちらに情報が入らないなんてあるかな? 銀鷹そのものは数人なのか……それとも情報が遅れているだけか……」
銀鷹傭兵団が大きく動けばそれだけグレンが、クレインが張った情報網にかかる可能性は高くなる。なんといっても銀鷹傭兵団内に情報源がいるのだ。本体から末端まで、広い範囲に。
「前回の盗賊団の中に傭兵がいたようには思えません」
ダニエルが前回任務で感じたことを伝えてきた。素人よりは強いが、戦争を経験した人が持つような凄みはない。実際に戦ったダニエルはそう思っている。
「……じゃあ、数人か。いや、違うな。前回のあれは罠とはいえない。こちらの存在を確かめる為……そんなのハムスの街にくれば分かるか」
少ない情報の中でグレンはあり得る可能性を考えている。だが、やはり情報が少なすぎる。
「泳がせるか、生かして捕らえるか……後者だな。泳がせる時間を王女様が許してくれるとは思えない」
情報が足りないのであれば増やせば良い。とりあえずはこれから討伐に向かう盗賊団から情報を得ることにした。得られる情報は少ないかもしれないが、無いよりはマシだ。
「王女様に今回は我々だけで戦うと伝えて下さい。訓練途上の義勇兵はまだ実戦に投入するべきではない、で通じるでしょう」
「分かった。行ってくる」
グレンの指示を受けて、イェーガーはクリスティーナ王女が乗る馬車に向かった。
結果はグレンの考えた通り。あっさりと許可されることになる。義勇兵を大事にというだけでなく、銀鷹傭兵団の戦いを見たいという欲求がクリスティーナ王女に許可を出させたのだ。ただその欲求は満たされることはなかった。
許可を受けた銀狼傭兵団は集団を離脱。行軍としては異常な速さで目的地に向かっていった。それに付いていく力は残された義勇兵にはない。馬車で後を追うことを考えたクリスティーナ王女であったが、彼等を残して先行することに躊躇いを覚え、結局残ることにした。銀狼傭兵団の行動は戦いの様子を見せたくないから。そうであれば追いかけても得るものは少ない。そう考えたのだ。
◇◇◇
第二回目の盗賊討伐は一人の怪我人も出すことなく終わった。その程度の盗賊だったということだ。それは今回の件が罠ではないことを示している、とはグレンは考えない。何者かの、何らかの意図があってのことだという前提で調査を進めることにした。
まずは捕らえた盗賊たちから得られた情報の整理だ。
「もとから盗賊だったというのは事実のようです」
ヤツの組織の厳しい尋問に耐えられる強い精神力を捕らえた盗賊全員が持っているのでなければ。まずあり得ない可能性だ。
「活動場所は?」
「バラバラです。別々の場所で盗賊をしていた者たちが集まって出来た組織のようです」
「何故そうなったのかは聞けたのか?」
「かなり厳しい盗賊討伐が行われていたようです。それにより従来の活動拠点を追われた盗賊たちが、比較的安全な場所に集まった」
「……それは事実?」
良く出来た話だ。だが良く出来すぎていると、事を疑っているグレンは思う。
「事実ですが、何者かの意思が働いた結果と考えています」
「そう思う理由」
「証言がほぼ同じです。このままでは危険だ。東部は安全らしいからそっちに逃げよう。討伐から逃げ延びた盗賊からこの話を聞いて、拠点を捨てることを決断したと言っております」
別々の場所で活動していた盗賊たちが同じ情報を得て、この周辺に集まってきた。扇動した何者かがいると間者は判断している。
「……ちなみにその盗賊の容姿は確認した?」
「もちろんです。それほど確かな記憶ではありませんので絶対とは言えませんが、せいぜい二人。その二人がいくつもの盗賊のアジトを回っていたことになります」
「まあ、十分かな。二人が三人でも四人でも疑いは消えないから」
確証は得られていなくても「扇動者はいた」という前提で、この先も調査は進めることになる。では次の調査対象はどこになるのか。
「どう考えても国王だよな」
「状況はそれを示しております」
盗賊討伐はモンタナ王国が行ったこと。しかも対象から西部を外しておきながら、アシュラム王国との国境近辺からは盗賊が一掃されている。それはハムスの街周辺に集めたかったからだと考えられる。
では何故、ハムス周辺に盗賊を集めたかったのか。クリスティーナ王女に討伐させたいからに決まっている。
「問題はそこから先だ。人気取りを実現させる為だとすれば、随分と娘想いの父親だ。でも、それはないはず」
「義勇軍の数が増えれば国王派の戦力は強化されます。娘憎しは脇に置いてということではないですか?」
グレンの考えにダニエルが異論を唱えてきた。何もかもグレンの考えが正しい。それではグレンの部下ではいられない。盲目的な追従をグレンは嫌うのだ。自分に対するものであれば尚更。
「そう考えているのであれば義勇軍を鍛えないか? そうであるのに指揮官クラスは実戦経験のない若い騎士、ウェヌス王国なら見習い扱いの騎士ばかりだ」
「もっと数が揃ってから……いや、千か。ウェヌスでも大隊ですね」
ウェヌス王国であれば大隊規模。訓練を始めるのに少ないという数ではない。まして小国における千名だ。
「その千をわざわざ義勇軍にしている。徴兵として正規軍に組み込めば良いのに」
「義勇軍であることに意味がある」
「それか正規軍にしたくないか。老人について何か分かったことはあるか?」
ダニエルとの会話を止めて、グレンは間者にブルについて尋ねた。さらに考えを進めるには必要な情報だと考えたのだ。
「はい。国王からの信頼は厚かったようです。それは他の将軍に比べて、引退時期が遅いことが示しています」
「その国王に信頼されていた将軍が、引退後に国王が憎んでいる娘を支える立場になった。見事に怪しい。怪しすぎて逆に疑う気にならないくらいだ」
ブルは国王の意向を受けて、クリスティーナ王女の側にいる。その意向が何なのか。それが求めている答えだ。
「本人は何も分かっていない可能性もあります」
「……国王に頼まれたからそれに従っているだけ。あり得るな」
ブルを調べて、場合によっては強硬手段をとってでも真実を明らかにする。これは一旦、保留だ。保留は強攻策であって調べるは継続だが。
「長は後からきた二百も怪しむべきだと伝えてきました」
「ヤツが……理由は聞いているか?」
「王女の側近といえるのは常に周囲にいる騎士たちだけ。では何をもって二百の義勇兵を中核にしようとするのかと」
「……それは考えていなかったな」
後から来た二百もまたクリスティーナ王女を支える人々だと思っていた。だから彼等を義勇軍の中核にしようとしているのだと。だがヤツに指摘されて考えてみれば、その二百の中にもクリスティーナ王女の容姿を忌み嫌っている様子を見せる人がいる。訓練の時にその様子をグレンは見ていたはずなのだ。
クリスティーナ王女の口から彼等を中核にして欲しいと頼まれた。実際に口にしたのはブルなのだが、彼女が同席している場での話だったので頼まれたのだと思っていた。それによって目が眩んでいたことをグレンは知った。
「王都で調べを進めておりますが、まだ時間が必要なようです。一人一人の素性を確認するだけでも手間のようでして」
「この場所で調べることは?」
「全員の尋問が許されるのであれば可能です。それ以外は口を滑らすのを待つくらいしか。もちろん、そうさせようとはしておりますが」
中核にしようという義勇兵を尋問にかけるわけにはいかない。それを行う時は義勇軍を離れる時だ。だがその予定は当面ない。
そうなると気長に誰かが情報を漏らすのを待つしかない。
「……なるほど。彼等のモチベーションが分かった気がする」
その二百の多くが厳しい鍛錬に耐えている理由。彼等には逃げ出すことが許されていない。逃げ出した場合に待っているのも死か、そこまででなくても鍛錬以上に辛い何かなのかもしれないとグレンは思った。
「どうしますか?」
イェーガーが問いを発してきた。このまま彼等への指導を続けるのかという問いだ。
「……続けるしかない。お金貰ってしまったからな」
「契約違反になりますか」
「傭兵が契約を破ったらそれで終わり。二度と使われることはない」
「別に……いえ、そうですね」
別にそれでも構わないのではないか、という言葉を発することはグレンの視線が許してくれなかった。モンタナ王国の件が決着してもまだ傭兵を続けるつもりなのかと思って、イェーガーは少し呆れている。
「敵は王弟派なのに、それと戦う以前にこの状況か。そんな国だから狙われたのか、そんな国にさせられたのか……あっ、また気持ちが……」
またと言ったがこれまでの気持ちの重さとは違う。こんな国にしたのは母のセシルではないか。そう思ってしまったのだ。
もしそうであればウェヌス王国の野望を挫くだけで良いのか。そんな思いがグレンの中に浮かんだ。その一方で自分が手出しして良い問題ではないとも思う。
「あの……別の情報があるのですが」
落ち込んでいる様子のグレンに間者が、遠慮がちにまだ報告していない情報があると告げてきた。
「ああ、何?」
「ジョシュア様がこちらに向かっております」
「……えっ? 今なんて?」
まさかの情報にグレンは自分の耳を疑うことになった。
「ジョシュア様が向かってきております。見聞を広めたいとか。他にも様々な理由をつけて出てきたようで」
「……ソフィアは、マリアもどうしてそれを許した?」
ジョシュアが合流しても何の戦力にもならない。足手まといになるだけだ。それはソフィアもマリアも分かっているはず。それなのに何故、国を出ることを許したのかがグレンには分からない。
「ソフィア様が許された理由は分かりません。マリア様は同行しておりますので、ご自身でお尋ね下さい」
「嘘だろ?」
ジョシュアだけでなくマリアまで戦争が始まるこの国に来ようとしている。ジョシュアの我が儘はまだ分かるが、聡明なマリアまでがそんな行動に出たことがグレンには信じられない。
「これは何の情報にも基づかない我々の勝手な推測ですが」
「何?」
「お目付役では? ジョシュア様のではなく狼様の。御三方ともに結局は放っておけないのではないかと思います」
これまで見せなかった笑みを浮かべて、間者は自分の考えを述べた。三妃はグレンの弱点。臣下の誰もが面白がれる弱点だ。そういうことにされている。
「……ありがとう。きっとその推測は正しい」
ソフィアもヴィクトリアも国を動けない。だからマリアなのだとグレンは思った。マリアだけの考えではなく、三人共通の考えに基づく行動なのだと。
「女の勘というやつでしょうか?」
さらにイェーガーまでグレンをからかってくる。クリスティーナ王女のことを言っているのだ。
「……そうだとすれば俺は無実の罪で……駄目だ、これはマリアに怒られる」
裁かれるなんて言えば、マリアが来ることが罰になる。そんなことを口にしたと知られたらマリアは人が変わる。グレンへの厳しさという点では、実はマリアが三人の中で一番なのだ。
「そうですね。マリア様が到着されたら喜ぶべきだと思います」
「そうする。会えることは本当に嬉しいからな」
「…………」
「嘘じゃないからな!」
嘘ではない。グレンは危険な場所にマリアが来ることを心配しているのだ。そんなことは皆分かっている。繰り返すが三妃について、もっといえば女性関係は遠慮なくグレンをからかえる部分。そういうことに、いつの間にかされているのだ。
◇◇◇
グレンたちの話題になっているジョシュアとマリア。その二人はすでにアシュラム王国を抜けて、モンタナ王国に入ろうとしている。もうとっくにモンタナ王国に入っているはずだったのが、二人の足を止める出来事があったのだ。
不機嫌さをこれ以上ないほど表に出して立っているジョシュア。そのジョシュアの前に跪き、頭を垂れているのはアルビン・ランカスターだ。
「……えっと、二人とも何か話したらどうかしら?」
その体勢のままずっと沈黙を続けている二人に焦れて、マリアが話し合いを勧めてきた。
「我から何を言えというのだ?」
「私のほうから語るわけにはまいりません。その資格はありません」
「それじゃあ、いつまで経っても終わらないから。待っている人たちのことを考えてよ」
この場にいるのは三人だけではない。ここまで二人を送ってきたアシュラム王国の騎士たち。モンタナ王国側からジョシュアたちを迎えにきた銀狼傭兵団。そしてアルビンに同行してきたアシュラム王国の国王ウォーレンまでいるのだ。
いつまでも待たせて良い状況ではない。
「……そうだな。我はお主を許す気はない。ランカスター家のせいで命を落とした者たちのことを考えれば、許すことなど出来るはずがない」
「はい。許していただこうとは思っておりません。ただ以前、お伝えできなかったことをお伝え出来ればと思い、ここまでやってまいりました」
「では、さっさと言え」
「……貴方は正しかった。貴方は王になるべくしてなった方でした。だが私には貴方の正しさを理解する心が欠けておりました。その為に貴方を傷つけてしまったことをお詫び致します」
ジョシュアの資質を否定し続けていた自分。その過ちを認め、ジョシュアに謝罪を伝えたかった。その為にアルビンはここまで来た。顔を会わせる資格はないと悩みながらもウォーレン王に、会わなければまた後悔を増やすことになると説得されてやって来たのだ。
「……そうか。我は正しかったか」
「はい。それに気付く力が私に……いえ、我が家はずっと貴方を裏切り続けていた。お側で仕える資格などなかったのです」
もし、を語ることに意味はない。それは言い訳と同じだと考えて、アルビンは途中で言葉を変えた。
「話はそれだけか?」
「はい」
「では我もお主に一つだけ伝えておこう。我はずっとお主を信じていた」
「……申し訳ございません」
その気持ちを裏切っていた。当時は何とも思わなかったことが、今は胸を突き刺すような痛みを感じさせる。
「王子である我に、お主は間違っていることは間違っていると遠慮なく言ってくれた。こんな臣下は他にいないと我は思っていた」
「…………」
「我は今でも信じている。お主の言葉は正しかったと」
「なっ……?」
「いつからお主の心が変質したのか我には分からない。だが幼き頃に語り合った言葉は、間違いなく真実だった。お主は我に言ったのだ。良き王になれ。良き国にしろと。それが我の使命だと」
「私が……そんなことを……」
ジョシュアが語ったのはアルビンの記憶にはない言葉。自分がそんなことを語っていたとすれば、それはどんな気持ちから出た言葉なのか。ランカスター家の野心など理解していなかった子供の自分は、どのような想いを抱いていたのか。それを思い出すことがアルビンは出来ない。
「ひどいな。我はお主の言葉を胸に刻み、良き王になり良き国を作ろうとしていたのだ。自分が間違っても、お主が正してくれると信じて」
「…………」
頬を伝う涙。ジョシュアの言葉に涙を流す日が来るとは夢にも思っていなかった。これもまた自分の不覚。後悔の思いがアルビンの胸を締めつける。
「だがどうやら正しいのは我のほうだった。我は間違っているお主を正すことが出来なかった。だから我はお主にこの言葉を贈ろう」
俯いていた顔を上げて、姿勢を正すアルビン。ジョシュアが送る言葉を受け止める。そんな思いからの動きだ。
「アルビン……良き臣下になれ。良き国を造る為の支えとなれ。良いな?」
「……はい……はい、必ずや」
溢れる涙。後悔の思いが流れ去ることはない。ますます強くなったかもしれない。それでも胸を締めつけていた痛みは消えた。温かい何かが灯った気がした。
「では我は行く」
アルビンに背中を向けて歩き出すジョシュア。
「ジョシュア様!」
その背中に声を掛けたのはウォーレン王だ。だがその声にジョシュアが振り返ることはなかった。震えている肩がその理由を教えてくれている。
「……ありがとうございました」
向けられたままの背中にウォーレン王は深く頭を下げる。
「ア、アルビンを……い、いや、我に、これを言う資格は……」
「……必ずや良い国を造ります。彼と共に」
ジョシュアの願いをウォーレン王は受け取った。もとよりそのつもりではあったが、その決意はより強まった。
目指すべき背中は遠く、そしてその数まで増えてしまった。グレンがいてジョシュアがいる。そんな帝国が大陸を治めなくて、他の誰にその資格があるのだ。ウォーレン王は強く思った。