ルート王国は勇者軍との戦いに向けて着々と準備を進めている。勇者軍も行軍を隠す段階ではなくなっていて、かなりの勢いでルーテイジに近づいていた。その情報は逐一グレンの下に届けられる。出動した勇者軍は五千。率いているのは健太郎。大量の攻城兵器と戦車があるのはアシュラム王国との戦いの時と一緒。これもほぼ予想通りだ。
そんなグレンではあったがさすがに全てを見通せているわけではない。予期していない出来事がその夜、グレンの身に降りかかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
グレンの目の前で泣きじゃくって、ただ謝罪を繰り返しているのはアンナだった。
「泣いてないで、こんなことをした理由を教えてもらえるかな?」
「……ごめんなさい」
嫌がるグレンにそれが自分の仕事だからと無理矢理着替えを手伝い始めたアンナ。だがそれは口実。服に袖を通したグレンの腕には、かつてその場所に嵌まっていた腕輪があった。
「アンナ、謝らなくて良いから理由を」
グレンはアンナがそんなことをした動機が気になる。何の理由もなくグレンを裏切るようなアンナではないと考えてのことだ。
「……ジャスティンが」
「捕まったのか?」
「……うん」
アンナの動機はジャスティンの為。グレンも納得の理由だ。
「それで俺にこの腕輪をつけろと脅された?」
「……ごめんなさい」
「だから謝らなくて良いから。それは誰に脅された?」
「……知らない人」
「どうしてジャスティンが捕まったと分かった?」
「えっ?」
グレンの意外な質問にアンナは戸惑いを見せている。その反応でグレンは確たる証拠はないのだと判断した。
「あのな、王都にいるのはジャスティンだけじゃないから。誰かに何かあれば、その情報は他の人から俺に伝わる。俺のところにはジャスティンに何かあったなんて情報は来ていない」
「えっ……?」
それなりの危険な任務だ。お互いにお互いの無事を確かめ合うようにされている。何日も連絡が取れないような状況が続けば、必ずそれはグレンに伝わるはずなのだ。
「行動を起こす前に相談して欲しかったな。俺は信用出来ないか?」
「ごめんなさい」
「成功したことはどうやって知らせる段取りになっている?」
「必要ないって」
「そんな段取りじゃあ、どうやって人質は解放される?」
目的を果たしたと分からない状況で人質を解放するはずがない。その目的を果たしたかどうかを知らせる必要がないということは、人質を解放する気が相手にはないということだ。
「そんな……」
「だから捕まってないから。成功しても失敗しても構わないってことか。そうなるといよいよ行動を起こすわけだ。それもそうだな。ここで何もしなければ潜入した意味がない」
「レン兄?」
「では、こちらも行動を起こすことにしよう。ああ、その前に念のためウェヌス王都に伝令を。通じていることが割れた可能性がある。身辺に気を付けろと」
「御意」
二人しかいないはずの部屋で男の声が聞こえてきた。アンナはそれに驚いて目を丸くしている。アンナは知らないのだ。グレンの周りには常に間者が潜んでいることを。
「さてと、これで良しと。シュナイダーを呼んできてもらえるかな?」
「私?」
「他に誰が?」
「でも私はレン兄を裏切って」
何らかの罰を受けることをアンナは覚悟している。グレンは一国の王だ。幼なじみだからといって、それで全てが許されると思うほどアンナは子供ではない。
「ジャスティンの為だろ? それにこんなの裏切りにならない。ああ、そうだ。やっぱり少し謹慎してもらおう。それで成功したと知れるはずだ」
だがグレンのほうに王という自覚がない。ジャスティンの為だからと聞いただけで許す気になっている。
「……分かった」
それでも謹慎と聞いて落ち込むアンナ。
「シュナイダーを呼んでからな」
「……えっ?」
「だから俺は何とも思っていないから。謹慎は相手を騙す為。俺に悪いと思ったら、せいぜい演技してくれ」
「……分かった」
結局、その夜の出来事は多くの者が、何があったのかを知らないままに過ぎることになる。グレンに呼ばれたシュナイダーが命じられたことも各門の封鎖だけだった。
事が動き出すのはもう間もなく。勇者軍はすでにルーテイジまで三日の距離に迫っていた。
◆◆◆
ルーテイジの北方に展開した勇者軍五千。それをグレンたちは城壁の上から眺めていた。ルート王国軍もすでに全軍が配置についており、迎撃の準備は整っている。この場にいる主だった者はグレンとシュナイダー、ミルコとガルくらいだ。
「シュナイダー、数は?」
「合っています」
「分かった。じゃあ、仕事を進めくれ」
「はっ」
これだけの指示でシュナイダーはこの場を去って行った。次にグレンはミルコに目を向ける。
「では旗をあげよう」
「はっ。旗を上げろ!」
グレンの指示を受けてミルコが号令を発する。その号令を受けて、国都の中央にある屋敷と城壁の二箇所に新たな旗があがる。中央に剣、その剣に巻き付いている蔓の先には葉が描かれている。
「……あの旗は何だ?」
「あれ? ガルは知らないのか?」
「いや、そういうことではなく何故、あの旗が上がるのかと」
掲げられた旗はエイトフォリウム帝国旗。滅び去った帝国の国旗を掲げる理由がガルには分からない。
「ここは帝国なのだから、その国旗があがるのは当然だろ?」
「しかし、ここはルート王国では?」
「そんな真面目に聞き返されても。策の類に決まっている。これで、ここに攻め込めば勇者軍は王国に無断で他国に侵攻したことになる」
「何と?」
エイトフォリウム帝国は滅びた。だがそれはルート王国の建国と同様に他国に正式に通告されたものではない。多くの国の公式記録では、各国で勝手に滅びたとしない限り、エイトフォリウム帝国は存続しているはずなのだ。
「ただ問題はこの旗が何か知っている者がいるかだな。知らなければ戦闘は回避出来ない」
「恐らく知らないのでは?」
「やっぱり。まあ、これは勇者を罪に落とす策だから攻めこんでもらったほうが良いな」
「それも勝ってこそでは?」
「もちろん、勝つ。その為に準備をしてきたのだからな。しかし、まだあれを使うのか」
いよいよ勇者軍の前衛が動き出した。それを見たグレンは緊張するどころか呆れた様子だ。前に進み出てきたのは十名ほどの兵士を荷台に乗せた大きな箱が五十台ほど。
「ああ、戦車ですか」
「……よく知っているな? 俺、話したか?」
「はっ?」
「戦車のこと。あれはアシュラムとの戦いで初めて勇者が投入した新兵器だ。それをよく知っているなと」
「陛下から聞いたと思いますが?」
「えっ? 俺この年で物忘れ? ちょっとあれだな」
ガルの話を聞いてグレンは落ち込んだ様子を見せている。
「忙しすぎるのだから、そういうこともあるかと」
そんなグレンにガルは慰めの言葉をかけた。
「……それを気にしている場合じゃないか。本格的に動き出したようだ」
勇者軍の前面に展開している戦車部隊。それが右翼側から大きく回りこむようにして、前進してきた。
「あれ意味があるのか?」
それを見たグレンは不思議そうな顔をしている。
「何がですか?」
「回りこむ意味。遠回りしているだけだ」
「そうですな」
何かを迂回するように進んでくる戦車部隊に向かって、城壁の右側の投石器が放った石の雨が降り注ぐ。荷台に乗っている兵士の何人かがその直撃を受けて戦車から落ちていった。
「ほら、迂回なんてしているから余計に命中した」
「…………」
「更に次弾と。これは近づく前に全部止められるかもな」
仮に城壁に近づいてきても、さらに弩弓などの攻撃が待っている。ルーテイジは簡単に落ちるような城ではない。
「……俺もそろそろ配置に」
「どこに? ガルの配置なんて無いだろ?」
「それは……」
ガルに率いる部隊はない。あるとしてもそれは最後の最後。住民たちも戦わなければならない事態になってからだ。
「一人だとまんま独り言になるだろ? 横で聞いていてくれ」
「……はい」
「さらにここからは、地面に散らばった石で動きが制限されたところに我軍の騎馬が襲いかかると」
グレンの言うとおりルート王国側の騎馬の三分の一程が戦車部隊に向かっていった。
「……しかし、あれを騎馬でどう攻めると」
戦車はもともと対騎馬部隊用の兵器だ。それを騎馬隊で攻めようというグレンの意図がガルには読めない。
「見ていれば分かる。無駄な怪我するなよ」
ルート王国軍の騎馬隊は戦車に向かって何かを投げつけているが、特に変化は見られない。それが何を意味しているのか分かったのは、次の騎馬部隊が前進を開始してからだ。
片手に松明を持った騎馬部隊。それを見れば何をしようとしているかすぐに分かる。勇者軍側も察しの良い兵士は、戦車から転がり落ちるようにして地面に降りていた。次々と戦車に向かって投げつけられる松明。それがあたった瞬間に戦車は一気に炎に包まれた。
「……何と」
「切り札は最後まで取っておかないとな。まあ、これが最後だと限らないか」
「最初からこれを?」
「勇者軍があれを作っていることはとっくの昔に知っていた。知っていれば、当然その対策も考える。心配は改良がどの程度かってことだったけど、さすがに全てを鉄ってわけにはいかないようだ」
「…………」
まだ健太郎が個人的に考えている時点で戦車の情報はグレンに漏れていた。アンナがもたらした情報だ。そこからさらに詳細な情報を入手して戦車対策は考えられていた。第二次アシュラム戦役で使われた戦車の足を止める策もその一つだ。
「さてこれで戦車を使うことは出来ないだろう。次は何で来るか」
「何で来ると?」
「順当に攻城兵器だろうな。俺からしたら何故いきなり戦車を出してきたのかが分からない。どうしてだ?」
「それは俺には……」
「それもそうか。相変わらず数はあるな。こちらの方が射程は長いが」
勇者軍から攻城兵器が押し出されてくる。それが配置に着く前にルート王国側の攻撃は開始されているが、何と言っても数が多い。いずれは勇者軍側もルーテイジを射程内に捉えることになる。
そう思われた矢先に、思わぬ方向から勇者軍の攻城兵器に向かって石や弩が襲いかかった。
「何と!?」
「防衛兵器は西の山の斜面にも設置してある。そこからの攻撃だ」
「……そんなものは知らされていなかった」
「そうなのか? でも知る必要ないだろ?」
「…………」
「ああ、向きを変えようとしている。馬鹿だな、そんな時間があったらこっちを攻撃すれば良いのに。ほら、その間にまた数が減った」
二方向からの攻撃を受けて勇者軍の攻城兵器は為す術もなく打ち壊されていく。どうせ壊されるのだから、それまでに少しでも攻撃をしておけばいいというのがグレンの考えだ。
「……機嫌がよろしいですな?」
「そうか? まあ、そうだろうな。ずっと我慢していたことがこれで終わるからな」
「我慢? 勇者と戦うことですか?」
「いや、両親の仇を討つことだ」
「…………」
ずっとグレンの態度に不自然さを感じていたガル。その理由がグレンのこの言葉で分かった。
「さて、もう嬲るのにも飽きた。やっていて面白いものでもなかったな」
「何のことですか? 俺にはさっぱり」
「惚けても無駄だ。お前だろ? 俺の両親を殺したのは」
とくに睨み付けることもなく、無表情ともいえる顔をグレンはガルに向けている。それがかえってガルに恐怖を感じさせる。ガルが初めてみるグレンの影の顔だ。
「それは誤解だ。俺は名を利用されただけで」
「まだそんなことを言う。お前のことはずっと監視していた。色々やってたな。情報を流してみたり仲間を忍び込ませる手引をしてみたり」
「知らない。俺はそんなことはしていない」
「ちなみにお前の仲間は今頃、全員が捕らえられている。右側の攻撃が止まらなかったのはそのせいだ」
「…………」
戦いが始まってすぐにガルの手の者たちが右翼側の攻城兵器を使わせないように襲撃するはずだった。それを止めたのはシュナイダー率いる警護隊だ。
「勇者軍が回り込んだのは、そちらからの攻撃が来ないと思っていたから。直前にここを出た仲間がもたらした情報だな。確か、抜けだしたのは三人だったな」
「……俺はいつ失敗した?」
自分たちの動きは全てグレンに見通されていた。それが分かったガルは惚けることを諦めた。
「最初からだな」
「嘘をつけ」
「嘘なんて言っていない。お前のことは初めから信用していない。いや、初めから仇だと思っていただな」
「それはない。そんな俺を側に近づけるはずがない」
「お前は餌だ。他の銀鷹をおびき寄せる為の餌。お前は見事にその役目を果たしてくれた」
ガルを見張っていれば、紛れ込んできた銀鷹傭兵団の関係者をあぶり出せる。それに更に見張りをつければその先にいる者たちも。
その中の何人かは、戦いが始まる前から罪を犯したという理由でシュナイダーによって拘束されている。残りの者たちも今まさに拘束されているところだ。
「……俺は確かにお前を裏切った。だがジンを殺すなんて」
ここにきてもガルはグレンの父親の暗殺については認めようとしない。グレンにとってはそれが最も重要なことだと分かっているからだ。
「ここで粘るか。意外としぶといな。では謎解きが必要か?」
「それは間違いだ。謎解きなど出来ない」
グレンのかまかけを躱したつもりのガルだが、そんなことで逃げ切れるはずがない。
「じゃあ試してみよう。お前は自分が用意したのは菓子だけで、それを渡すことも他人に頼んだと言った」
「ああ」
「お前は信用していない人間に信用している人間からだと言われて、それを信用するのか?」
「…………」
「あれ? 分かりにくかったか?」
「……いや意味は分かった」
信用していない人間に何を言われても信用出来るはずがない。「ガルに頼まれた」はグレンの父親が騙された理由にはならない。
「そういうことだ。両親が受け取るとしたら信用している相手からだけ。その相手が誰かと考えれば何度も家に呼んでいるお前しかいない。つまり何かを仕込んだ酒を持ってきたのはお前だ」
「俺も騙されたのだ」
ガルは、自分は酒に痺れ薬が仕込まれていたことを知らないと主張してきた。
「それも考えた。でもその可能性は少ないな」
「何故だ?」
「酒好きだろ? 目の前に酒があれば帰れと言われても帰らない。そんな場面を俺は何度も見ている。その大好きな酒を口にすることなく渡すだけで帰った。おかしいだろ?」
「……たまたま大切な用があった」
グレンの言うとおり。酒には目がないガルだが、それを素直に認めるわけにはいかない。
「いや、お前は帰っていない。家にはいなかったが近くにはいた」
「何故そう思う?」
「王都に向かう時に俺たちに近づいてきた男は銀鷹だな?」
「そうだ」
「何故、俺たちの顔を知っていた?」
「……会ったことがある人間だった」
この言い訳には無理がある。会ったことがあるのであれば、グレンにも相手が何者か分かる。
「俺に会った記憶はない。そして、俺は物覚えが良い方だ」
「それは他に会ったことがある人間がいて……それは俺でなくて……」
「では何故、その人間が来ない? 何故、俺達が警戒しない相手が来ない?」
そうでなくても相手は何故、父親の知り合いだと名乗らなかったのだという疑問が残る。この件に関して誤魔化すのは無理なのだ。
「…………」
ガルもそれが分かって黙るしかなくなった。
「他にも色々とある。俺の父親と仲が良かったのに何故、俺達に会いに来なかったのか? 王都に入れないなんて言うなよ? あそこの大将も銀鷹の一員だ。その大将が堂々と住んでいる場所に来れないはずがない」
「…………」
「まだ言おうか? 初めは俺に価値がないと思っていたが、途中で取り込むことを考え始めた」
「それはジンの意思を尊重しようと」
「違うな。勇者である父親には遠く及ばない俺の実力を知っていたからだ。そしてそれを知っているのは、両親以外で俺の鍛錬の相手をしたことがあるお前だけだ」
「…………」
「ゼクソンで会った時は、父親の意思を尊重するなど忘れていたな。ああ、それとも仲間に引き込んでから殺すつもりだったのか」
「…………」
「怪しいところをあげれば、きりがない。疑うには十分だろ?」
「クレインだって同じだ」
それでもまだガルは粘りを見せる。ここで諦めれば待っているのは死だ。だからといってグレンを誤魔化せると思っているわけではない。ガルが待っているのはグレンの隙。隙を見つけてグレンを殺すという本来の目的をガルは果たそうとしていた。
「ちょっと違うところがあるな」
「何だ?」
「クレインは天井裏の部屋を知っていた」
「天井裏の部屋?」
「俺達が住んでいた家にあった部屋だ。両親が殺された時、俺とフローラはそこに隠れていた」
「それだったら俺だって知っている」
「そうか。それは驚きだ。そんなものはないのに」
「なっ!?」
最後の最後にグレンのかまかけにガルは引っかかった。グレンにとってはどうでも良いことだ。あまりにガルが粘るのでトドメをさそうとしただけのこと。
「俺たちが隠れていたのは地下室だ。それをお前は知らなかった。だから、外にいると思って探しに出た。そんなところか」
「……クレインは知っていたのか?」
「母から教わったそうだ。俺の母はクレインを信用し、お前は信用していなかったということだ」
もしクレインが両親の暗殺に関わっていたなら、地下室にいたグレンたちを見つけ出したはず。これが、グレンがガルを疑いながらクレインを信じた理由の一つだ。
「……その母親だって酒を飲んだ」
「死にたかったのじゃないか?」
「何だと?」
「俺の母親には自分が狂っている自覚があった。狂っている自分を止めて欲しかったのかもしれない。まっ、これは全く根拠のない想像だ。子供を置いて自分は死のうなんて親は普通いない……いや待てよ。俺の母親は普通じゃないか……やっぱり、あの鬼婆は最低だな……」
「…………」
母親への文句を呟くグレンをガルは、じっと見つめている。隙を探っているのだが、そんな状態でもガルには隙は見えなかった。
「……さて俺にも分からないことがある」
「何だ?」
「何故、両親を殺した? 俺とフローラをどうしようと思っていた?」
「……殺したのは二人があまりに危険だからだ。特にセシルはやり過ぎた。役立つからと放置しておけないくらいに」
ガルは惚けるのを完全に止めている。今は話を長引かせて隙を作らせる方が良策だと考えた結果だ。
「俺たちは?」
「最初はそのまま攫っていくつもりだったのだが、お前たちを見つけられなかった。失敗したと思って諦めていたところでお前たちを見つけた。だが周囲の目がある中で拉致は困難。そう思って王都の鷹の爪亭に連れて行ってから攫おうと思った」
「でも俺たちは何事もなく、そこで生活していた」
「隠しておくにはもってこいの場所だと分かったからだ。無理矢理攫えば逃げようとするだろう。逃がすつもりはないが万が一はある。ついでに教えてやると鷹の爪亭に寄りつかなかったのは、俺に会えば別の場所に行きたいと言い出すと思ったからだ」
「本人たちには捕らわれている自覚がないから逃げることはないか。確かにな。これで大体のところは分かった」
謎だった部分も随分と明らかになった。グレンにはこれ以上、ガルと話すことはない。
「……俺をどうするつもりだ?」
「それ聞く必要あるか?」
「そうだな……」
腰につるしていた剣を抜いてグレンに向けるガル。もう隙が出来るのを待っていられない。正面から戦って勝つしかないないのだ。
勝ち目はある。今のグレンは本来の力を発揮できないはず、だった。
「そうだ。お前にもう一つ秘密を教えてやろう」
「……何だ?」
「俺が小さい頃からつけられていた腕輪のこと」
「…………」
その腕輪は今、グレンの腕にはめられているはず。それがガルの勝ち目なのだ。
「あれは多分、俺の母親が考えた鍛錬道具だと思う。俺を鍛える為のものだ」
「……な、何だって?」
グレンがつけている腕輪は力を抑え込む魔道具。そうガルは聞かされている。
「どう言えば分かるかな? 重いものを身に付けて鍛錬すると普通に鍛錬するよりも鍛えられると思わないか?」
「それは、そうかもしれないが……」
負荷をかけた状態で鍛えることはガルもやったことがある。だがグレンの腕輪がそれと同じであっては困るのだ。
「ただ鬼婆はやることが普通じゃないからな。俺は物心ついた時からずっとそんな状態に置かれていたわけだ。それで強くならなかったらどうするつもりだったのか。まあ、あの鬼婆のことだから実験のつもりだったかもしれない」
「……それで今は?」
「もう役に立たないみたいだ。だからほら、昔はどうしても外れなかった腕輪がこの通り」
こう言ってグレンは懐から腕輪を取り出してガルに見せた。
「…………」
グレンの腕には腕輪ははまっていない。そもそも腕輪ではグレンの力は抑えられない。それが分かったガルの顔は、血の気が引いて真っ青になっている。
「幸いにも俺は強くなれた。子供の頃とは違う」
「ぐあっ……」
グレンは目にも止まらぬ速さで剣を一閃。ガルは動くことも出来ずにそれを体で受けることになった。
「だろ?」
地面に倒れるガルに向かって、冷たい視線をグレンは送る。
「……あっ……し、死に……たく、ない」
「その頼みは聞けない。お前は死ぬ。お前が仕込んだ薬のせいで抵抗も出来ずに死んでいった俺の両親と同じように、何も出来ないままに」
「ぐあぁああああっ!」
グレンによって腹にねじ込まれた剣。その痛みに耐えられなくてガルは叫び声をあげる。
「……良かった。どうやら俺には人をなぶり殺しにして喜ぶ趣味はないようだ。もう良い。ひと思いに死ね」
なんてことを言いながらもグレンが選んだガルの息の根を止める手段は。
「や、や、めて。お、落とさないで、くれ」
グレンに片足を持ち上げられた状態で城壁の上に吊されたガル。この先、何が待っているかなど明らかだ。涙を流しながらグレンに懇願するガルだが。
「じゃあな。これで最後だ」
グレンは容赦なくその手を離した。城壁の下に落ちていくガル。ほんの数秒でその体は地面に叩きつけられた。
この戦いでの一つの目的は果たされた。あとは勇者軍を追い払うだけだ。それも今の状況では問題ない。勇者軍の攻城兵器は次々と破壊されていく、戦車も使えない。兵を前進させるしかないのだが、それを行えばルート王国側の防衛兵器が牙を向くだけだ。
どう出てくるか。そう思ってみていたグレンの目に、白馬に乗り、真っ白な鎧兜に身を固めた健太郎が進み出てくるのが見えた。
『敵の総大将! 僕は勇者! ウェヌス王国の大将軍だ! 正々堂々と僕と勝負しろ!』
「……相変わらず馬鹿だ。この状況でどうして一対一で戦う必要がある?」
『聞こえているのか!? 聞こえているなら出てこい! 誰であろうと僕は勝つ!』
「……あれ? もしかしてあの馬鹿、分かっていないのか?」
そう呟いて、グレンは城壁の階段をゆっくりと降りていった。
◆◆◆
「えっと……」
目の前に現れたグレンを見て、健太郎は戸惑っている。グレンの思った通り、健太郎は何も分かっていないままに戦っていたのだ。
「出てこいというから出てきてやった」
「……ここって叛乱勢力のアジトじゃないのか?」
「違う」
「じゃあ、何?」
「知りたいか?」
「あっ、ちょっと待って……どうしよう……知らないままのほうが良いかな?」
健太郎にも知恵がついてきて、グレンがこういう言い方をする時はろくな内容ではないと分かってきた。
「そう思うがいずれは分かることだ。問題を先送りするだけだな」
「……じゃあ、教えてくれ」
「ここはエイトフォリウム帝国。お前は知らないと思うが、かつてはこの大陸全土を支配していた国だ」
「えっ!?」
「もっともそれは過去の栄光で、今はこんな辺境で細々と続いている名前だけの国。それでも国であることに違いはない。この意味分かるか?」
「……僕は他国に攻め入ったってこと?」
「おっ、正解。ではこの先に待っているのは?」
「まずいことだよね?」
「そうだな。無断で他国に攻め込んだのだから、かなりの問題だと思う」
「……どうしよう?」
「それを俺に聞くな。それでどうする? 戦い続けるか。残っているはもうお前だけだけど」
勇者軍は健太郎を置き去りにして退却に移っている。戦争は終わりだ。あとは健太郎個人がどうするかだけ。
「帰ってもいいのか?」
「帰りたいのであれば。今、お前を殺す気にはならない」
重ねて自軍に見捨てられた健太郎。さすがのグレンも少し同情の念が湧いている。何も知らないで利用された健太郎を殺すことは、ランカスター侯爵家の策略に嵌まることになるのではという思いもあってのことだ。
「じゃあ、引き上げる。今はまだグレンとは戦えない。まだまだ時間が掛かりそうだ」
「……それまで待つ義理はないが、まあ、今回は下がれ」
「ああ。じゃあ、また今度」
「……また?」
自軍を追って退却していく健太郎。その背中をグレンは首をかしげながら見ている。
「なんか調子狂うな」
こんなことを呟きながら。
最後はなんだか締まらない展開ではあったが、ルート王国にとって初めての対外戦は圧勝という形で終わった。グレンにとっても一つの大きな区切り。今回の戦いによって、さらなる犠牲を出した銀鷹傭兵団は壊滅状態に陥ることになる。