ウェヌス王都にあるランカスター侯爵家の屋敷。ランカスター侯爵は冷たい目で列席者を見つめていた。それでもレスリーからの報告を受けた時よりは随分と落ち着いた様子だ。過ぎた失敗をいつまでも悔やんではいられない。それくらいの分別はウェヌス王国の大貴族であるランカスター侯爵にはある。
今、この場にいるのはランカスター侯爵家の人たちだけではない。いかにも傭兵といった格好をした男がランカスター侯爵の前に立っていた。銀鷹傭兵団のスパロウだ。
「分かったことは?」
「はい。情報を集めた結果分かったことは、アシュラム王国によるゼクソン王国への宣戦布告は擬態です。確かに軍を動かしましたが、その軍の矛先はヘロン将軍が率いる自国軍に向かっておりました」
「確か、銀鷹の者だったな」
「はい。ヘロン将軍はほとんど抵抗も出来ず、捕らわれました。結果としてアシュラム王国軍は無傷で残っております」
「……それをゼクソンに突き付けて、非を問うことは?」
「それを行っても認めるわけがありません。それにこの情報はアシュラムにいる我が手の者によりもたらされたもの。公式には宣戦布告は為されていて、両国は戦争状態にありました。アシュラムも戦いの前に不穏分子を始末したなどと主張するだけでしょう」
「どうだ?」
傭兵程度の発言では納得できないとばかりに、ランカスター侯爵は息子であるウェヌス王国宰相アルビン・ランカスターに問いを向けた。
「その通りです。非を問うには証拠が少なすぎます。仮にそれを積み重ねたとしても、それで何になるでしょう? ゼクソンは宣戦布告されたから軍を進めた。相手に戦う気がないなど分かるわけがない。そう言うだけです」
「ゼクソン側の共謀の証拠はないのか?」
「銀鷹はすでにゼクソン内でまともな活動は出来ない状態です。何も手に入りません」
「そうか……続けろ」
アルビンの説明を聞いてランカスター侯爵は、渋々ではあるが納得してスパロウに話を先に進めるように促した。
「アシュラム軍はウェヌスとの国境の守りに半数の軍を割きました。残りの軍はゼクソンとの交戦を行ったことになっていますが、それを証明するものはありません。逆に戦っていないという証拠もない」
「半数を国境の守りにか。しかし、ゼクソン軍が城砦を押さえたのではないのか?」
「それも偽装でしょう。ゼクソンによる王都陥落という事実を作り上げるまでの時間稼ぎと思われます。それが済んだところでゼクソンが城砦を落としたことにした。それで城砦の所有権をゼクソンは主張出来るようになります」
「……勇者が領内に攻め込んだのは?」
砦の攻防でさえ周到に準備されたもの。そうなると勇者軍の侵入を許したのも怪しく感じられる。
「他の状況を考えると、何らかの策である可能性はありますが……そこまで読めるものでしょうか?」
健太郎の行動は常識外れのもの。それを策に組み込めるとはスパロウには思えない。
「……どうせ切り捨てるのであれば暴走させておけば良かったかな」
今回の一件でランカスター侯爵は健太郎に見切りをつけている。勇者の力を利用しようと健太郎を厚遇してきたつもりだったが、結局は何の役にも立っていない。それどころかお荷物になっていた。
「暴走させても結果は変わりません。犠牲者が増えるだけでしょう」
「勝てないか」
将としての能力では健太郎はグレンに遠く及ばないことはランカスター侯爵も分かっている。
「グレンが相手では一対一でも怪しいものです」
「何?」
だがスパロウは将だけではなく個の力でも健太郎はグレンに劣ると言ってきた。
「グレンは勇者と同等かそれ以上の力を持っていると思います」
「そんな話は初めて聞いた」
「巧妙に隠されていました」
「それは聞いているが、ずっと観察していて見抜けなかったのか?」
グレンが鷹の爪亭に住んでいたことをランカスター侯爵は知っている。鷹の爪亭が銀鷹傭兵団の拠点であることも。
「隠し方が特殊でして」
「どういうことだ?」
「グレンが何故、急に驚くような力を見せるようになったか。その理由が分かりました。セシルの魔道具によるものです」
「何と?」
ここでまた死んだセシルの名が出てきたことにランカスター侯爵は驚いた。どこまでも自分たちの邪魔をするセシルに改めて忌ま忌ましさを感じている。
「グレンは幼い頃から腕に魔道具を嵌められていました。解析は出来ていませんが、恐らくは力を押さえ込む魔道具です」
「何故、それが分かる」
「現物を解析した結果です。今言った通り、完全に解析は出来ていませんが、体内の魔力に干渉する魔道術式であることは確かなようです」
「……解析は出来ないか」
それが出来れば色々と使い道はありそうだとランカスター侯爵は考えている。ろくな使い方ではない。
「鷹の爪亭の裏庭に埋まっていた物を掘り出して手に入れました」
「……埋まっていた?」
「勇者に切り落とされた腕に嵌っていた物です」
「つまり、力が解放されたのは勇者のせいだと?」
「そうなります」
「……つくづく邪魔をしてくれる馬鹿者だな」
グレンの力が覚醒したのは健太郎のせい。グレンがゼクソン王国についたのも健太郎のせい。ランカスター侯爵家の策謀を潰すきっかけは、全て健太郎が作っていると言えなくもない。
「馬鹿だから使えるのでは?」
「程度による。それで、それは使えるのか?」
「どうもグレン専用のようです。他の者で試そうとしましたが、何の反応もしません。恐らく解析できない理由もそれではないかと。グレン本人の何かも術式の一部なのだろうというのが、解析した者の見解です」
「本人であればか」
「かなりの切り札となります。問題はそれをどう嵌めるかですが、そこはどうとでもやり様はあります」
グレンの力を封じ込める腕輪。それは銀鷹傭兵団の切り札のひとつ。グレン暗殺の準備は着々と進んでいる。
「そうなるといつルート王国に戻るかだな。今はどこにいる?」
「行方不明です」
「何だと?」
「こちらが所在を掴めないだけです。身内のごく一部は把握しているようです」
銀鷹傭兵団はグレンの所在を見失っていた。
「それを調べられないとは、銀鷹も落ちたものだな」
「その通りです」
「何?」
ランカスター侯爵の嫌みをスパロウは素直に認めてしまう。今の銀鷹傭兵団は強がりを言えるような状況ではないのだ。
「少なくともアシュラムではこれ以上は動けない。当初グレンはアシュラム領内を精力的に動き回っていましたが、それは罠でした」
「……どういうことだ?」
「それに釣られてこちらが動くと、その動きを掴まれてしまう。銀鷹のアシュラム内の拠点はすでにほとんどが潰されています」
「ヘロン将軍とやらが漏らしたのではないのか?」
銀鷹傭兵団の重要人物であるヘロン。そのヘロンが捕らえられたことをランカスター侯爵は知っている。
「それもあるかもしれませんが、銀鷹は系統を複数に分けています。ヘロンが知らないはずの系統まで暴かれているのです」
誰か一人が捕まっても銀鷹傭兵団の全貌が暴かれることはない。全員が組織の一部しか知らされていないのだ。
「……それで残っているのは?」
「反ゼクソン王国勢力の領地にわずかに残るのみです」
「それでは殲滅されたも同じではないか?」
自勢力の中に拠点があっても何の情報も得られない。それでは全く意味はない。
「もちろん末端は残っています。しかし、そこに接触すれば恐らくは」
末端から辿られてその先の存在が暴かれるだけ。銀鷹傭兵団は全く動きが取れなくなっている。
「ゼクソンでもアシュラムでも銀鷹は役に立たない。そのような状況で、よく顔を見せられたものだ」
「こちらだって危機感を抱いている。だから、なんとしてもグレンの暗殺は成功させなければならない。軍は動かせるのですか?」
グレン暗殺は戦争の最中に行うことになっている。その戦争を作り出すのはランカスター侯爵家の役目だ。
「……動かせても、肝心の対象がどこにいるか分からないのではな」
「それは分かっている。だがルート王国に現れたから軍を出すようでは間に合うとは思えません。すぐにまた、いなくなるかもしれない」
ルート王国とゼクソン王国を行ったり来たりだったグレン。それにさらにアシュラム王国が加わった。ルート王国に長く留まることはまずない。
「確かにそれは悩みの種だ。アルビン、結局のところどうなのだ?」
ランカスター侯爵はアルビンに意見を求めた。実際に軍を動かす為の工作は宰相であるアルビンが行うことになるのだ。
「結論から言いますとグレン・ルートがいようといまいと攻めるべき、となります」
「……理由は?」
「まずルート王国の存在は未だに公になっておりません。ですがこの状況となるといつ公にしてくるか分かりません。ゼクソンとアシュラムの二国を従えた宗主国。国そのものは小さくても、それは他国も無視できないでしょう」
小さいといえるのはウェヌス王国だからだ。ウェヌス王国とウエストミンシア王国の二大国以外から見れば、すでに無視出来ない規模の国となっている。
「それによって攻め込まれる可能性が出る」
「はい。一方で、更に従う国が出る可能性もあります」
「……本気か?」
さらにグレンに従う国が出る可能性をランカスター侯爵は考えていなかった。全く考えなかったわけではなかったが、まだそこまでではないと判断していたのだ。
「充分に考えた結果です。ウェヌス北方の小国で危機感を抱いている国は多いでしょう。東方制覇に失敗した我が国の目が、次に北に向くのではと考えてのことです。これは正しい。東に向けない以上は北を向くしかないのです」
「そうだな」
西にはウエストミンシア王国がある。ウエストミンシア王国との戦いは最後の最後。その時の為にウェヌス王国は東と北の小国を制圧して、国力を高めようとしていたのだ。今回の件で東の攻略はすぐには難しくなった。そうなれば北に向くしかない。
「グレン・ルートはその我が国の侵攻を跳ね返した王です。それに頼りたいと思ってもおかしくありません」
「…………」
グレンを中心とした第三勢力の台頭。この可能性がランカスター侯爵にも具体的にイメージ出来てきた。
「もちろんグレン・ルートにとって、事は簡単ではありません。それを認めれば我が国だけでなく、ウエストミンシア王国にも危険視されることになるからです」
「そうだな」
「二大国が協力して向かって来る。それは避けるはずです。そうなると次は我が家にとって更に難しい状況になります」
「グレンは我が国ではなく、ウエストミンシア王国に付くと」
二大国を同時に敵に回すのを避けようと思えば、どちらかに付くしかない。ウェヌス王国とウエストミンシア王国のどちらと考えれば、今の状況でウエストミンシア王国となる。
「恐らくはそうなります。そしてそれにより我が家は最後の手段を奪われます」
「……天秤に掛けられても負けるか」
「それと我が国に付かれても我が家は困ります。政争であれば簡単には負けないと思わなくもないですが、我が家を追い落とす為にグレンに味方する者は多いでしょう」
「そうだな……」
ランカスター侯爵家はウェヌス王国内でもっとも力ある貴族家。そうであるからこそ敵視している貴族家、目障りに感じている貴族家は少なくない。政争となればそういった者たちはグレンの側に回ることは想像に難くない。
「ルート王国の存在はそれを他国に知られないうちに消すべきです。理想はグレンを捕え、その名の下に他国を従えること。それが無理であれば、やはり皇家の血を利用すること。それが無理であればルート王国をとにかく手に入れること」
「最後は必要か?」
「ウェヌス王国にも知られぬままに手に入れることが出来れば。グレンが行おうとしているようにそこで密かに軍を養い、富を貯めて、しかるべき時に役に立てることが出来ます」
「……なるほど悪くない」
ルート王国の復興の様子もランカスター侯爵は知っている。そこにランカスター侯爵家の力が加われば更に発展させることが可能だと考えた。
「ただ問題は誰に攻めさせるかです。選択肢は勇者しかないのですが……」
「無理だと思います。ケンはしばらく、グレン王と戦うことはしないでしょう」
ここでレスリーが意見を述べてきた。その内容は以前話していたことと正反対だ。
「何故だ? 勇者のグレン王への嫉妬心を利用すれば操るのは簡単だと言っていたではないか?」
ランカスター侯爵はすぐにその違いを指摘してきた。安易に前言を翻すような真似はランカスター侯爵の好むところではないのだ。
「その嫉妬心ですがもとは強烈な憧れから来ていたのだと分かりました」
「憧れだと?」
「ケンはグレン王に恐らくは自分でも気付かないうちに強い憧れを抱いていた。ですが、ケンには自分は勇者だという思いがある。勇者である自分がグレン王に負けていると認めるわけにはいかない。それが嫉妬心となって現れたのではないかと」
新たな事実を説明している、つもりのレスリーではあるが、中身は前に話したことが間違いであったということ。前言を翻しているということだ。
「……随分と勇者の気持ちがよく分かるな」
それに嫌味で返すランカスター侯爵。
「自分で認めていますから」
ただレスリーには通じない。
「何だと?」
「アシュラム王国から戻ってきてからケンは人が変わったように真面目に鍛錬に取り組んでいます。自分がグレン王に追いつける可能性があるとすれば剣しかないと言って」
「そうか……」
健太郎の口から追いつける可能性などという言葉が出ている。それは、今はグレンに負けていると認めていることになる。面識のないランカスター侯爵でも、これまで聞いていた健太郎とは明らかに違っていると分かる。
「ケンはもう使えません。今後の処遇をどうするか考えるべきですね」
「……それは後で考えるとして、ルート王国攻めはどうする?」
「その下の者たちを使えば良いのではないですか?」
「大将軍である勇者を無視して軍を動かすなど奴らに出来るのか?」
勇者軍にいる上級将校たちがどれも利権と保身ばかり考えるろくでなしだとランカスター侯爵も知っている。そういう者たちなので利用することも簡単なのだ。
「それをしなければ彼らは敵前逃亡で軍法会議に掛けられることになる。それが避けられると知れば喜んでやるのではないでしょうか?」
アシュラム王国内で健太郎を置き去りにして逃げたことをレスリーは脅しに使うつもりだ。敵前逃亡は重罪。自分の身、可愛さに逃げ出すような彼らには有効だ。
「ふむ。勇者がいなくても作戦には問題ないのか?」
「勇者がいてもいなくても変わりません。違いますか?」
「……そうだな。ではその方向で動くことにしよう。今度こそ失敗は許されん。心して掛かるのだ。良いな」
「「「はい!!」」」
ランカスター侯爵家の陰謀がまた動き出す。次はグレン暗殺という直接的な陰謀だ。ようやくランカスター侯爵家は自分たちが為すべきことに気が付いたと言える。やや手遅れとも言えなくはないが、それもグレン暗殺に成功すれば充分に取り戻せる。暗殺に成功すれば。
◆◆◆
グレン不在が長く続くルート王国ではあるが、国政は変わらずに動いている。それは少しずつあり様を変えているが、グレンが目指す形であることには変わりはない。
「国民の数は結果として、五百ほどの増員となっております」
「それは順調なのかしら?」
ハーバード宰相の報告にソフィアが問いを返す。グレンがいない間はソフィアが国王代理だ。といっても今はまだ国王代理見習いといったところではあるが。
「そう言えます。数よりも技術を持った者が帰還したことが大きい。質の面では人材能力は大きく向上したと言えます」
「具体的にはどういう人が増えたの?」
「一番大きいのは医師や薬師です。特に薬師が戻ってきたことは幸いでした」
「そうね。よく戻ってきたわね」
薬師の能力があればどこでも食べていける。そうであるのにわざわざルート王国に戻ってきてくれたことが、感謝してはいるが、不思議でもあった。
「周辺の薬草の存在が大きいようです。自身の知識はこの地の薬草があってこそ。そう思う者が少なくなかったようで」
「そう。それ以外は?」
「あいかわらず数は少ないですが山師も。祖父の代から山師をしていた者がいて、その知識はもしかすると多大な利をもたらすかもしれません」
「どうして?」
「探索中だった場所が何か所かあります。全くの無から探すわけではありませんので、何かを見つける可能性が高いのではないかと」
「何か?」
「今はまだ何かとして言えません」
「そう。とにかく順調ということね。何か問題はないの?」
人材の流入。それは嬉しいことではあるが、良いことばかりではないとソフィアは分かっている。そうでなければずっと前にグレンは帝国旧臣に声を掛けることをしていたはずだ。
「それについては私から報告させて頂いてよろしいでしょうか?」
発言を求めてきたのはシュナイダーだった。
「構わないわよ。あまり良い話ではなさそうね」
「はい。人が増えた分、都内の治安は悪化しております」
「そう……そうなるのね」
流入してくるのは優れた人材だけではない。まともな暮らしが出来ないでいた人たちも、良い思いが出来るのではないかと勝手な期待をして集まってきていた。
「仕方ないとは言えますが、放置しておけばそれは一層の悪化を招くことになります。ここは厳しく対処すべきかと」
「そうね。それは警護の責任者である貴方に任せるわ」
「はっ。では」
「ちょっと待ってくれ」
警護の強化についてシュナイダーに一任されたところでガルが割り込んでくる。その顔は明らかに不満顔だ。
「何でしょうか?」
「すでに厳しすぎるくらいに厳しくしているようだ」
「当然です。私は陛下に都内の治安維持を任されております。その期待に背くわけにはいきません」
「程度があるということだ。些細なことで拘束されている者も多いと聞いている」
「それは誰からですか?」
「色々なところからだ」
「しかし罪を犯したわけですから、それを罰するのは当然のことです。先ほど申し上げた通り、ここで規律を緩めては取り返しのつかないことに成りかねません」
シュナイダーには警備の手を緩める気持ちは微塵もない。徹底的に取り締まるつもりだ。
「それで民の反発を招いては、それこそ取り返しのつかないことになる」
「どういう意味でしょう?」
「こんなことは言いたくはないが、ただでさえお前を見る周りの目を冷たい。何と言っても反乱の首謀者だからな」
「だから?」
以前であれば、反乱の件に触れられると動揺を見せていたシュナイダーであったが、今は全く動じる様子がない。
「そのお前が陛下の威光をかさに、横暴を極めているという噂がある」
「それは心外です。私は自分の務めを果たしているだけです」
「本人はそう思っていても、そう受け取らない者もいる」
「では、その方にきちんと説明しましょう。それは誰が言っているのですか?」
「そういうことではない」
嫌われるのが自分の仕事。シュナイダーはグレンに命じられた自分の役割をきっちりと果たそうとしている。ガルが何を言おうと無駄なのだ。
「では何ですか?」
「やたらと拘束するような真似は控えたらどうだと言っている。ちょっとしたことであれば注意すれば済むことだろう」
「それは少し認識が異なります」
「認識?」
「その罪を犯している者の多くは新しく王国に来た者たちです。そういった方たちこそ、元からいる人たちからは冷たいとは言いませんが、厳しい視線にさらされているのです」
「それは……」
これにはガルも反論出来ない。罪を犯すような者たちは、ここに来てすぐに美味しい思いをしようと考えている者たちばかりだ。それをこの街を苦労して育ててきた人々が許すはずがない。
「それを罰しなければ甘やかしていると受け取る者もいるでしょう。それが結果として元からいた人々と新しく来た人たちとの間に溝を作ることになりませんか?」
「しかし、新しく来た者から見れば」
「ちゃんと真面目にやられている方たちは何とも思っていません。真面目に働けば報われる。これは私の担当ではありませんが、国としてそれが為されていれば不満など出ないはずです。違いますか?」
シュナイダーは新参の人々に対して厳しくしているわけではない。あくまでも罪を犯すような者たちに厳しく対処しているのであって、それが新しく来た人々の中に多く紛れ込んでいるだけだ。
「それはそうだが」
「では、逆に私からガル殿に意見を言わせて頂きたい」
「意見だと?」
「はい。ガル殿の担当は領民たちにいざという時に備えて戦い方を教えることであったかと。そしてそれはあくまでも人々の仕事の合間に行うという約束ではなかったですか?」
「……何を言いたい?」
これを聞くガルはすでにシュナイダーが何を言おうとしているか分かっている。
「働きもせずに、ただ鍛錬だけを行っている者がいる様です。それは陛下が求められることとは違います」
「それは……」
「ちょっと、それ本当なの?」
ガルが言い訳を口にする前にソフィアが事実かを確かめてきた。
「部下から報告を受けましたので、ガル殿には失礼ですが、調べさせていただきました。確かに仕事もせずにずっとガル殿と行動を共にしている者たちがいます」
事実であるに決まっている。ここで虚偽を述べてガルを貶めなければならない理由はシュナイダーにはない。
「シュナイダーはこう言っているけど?」
「確かにそういう者は数人います。しかし、それは俺の助手のような者で。教える相手が増えれば一人では手が回らない」
ソフィアに問われてガルは事実であると認めた。
「でも、その人たちはどうやって暮らしているの?」
「それは俺が……」
「養っているのね。それはちょっとグレンの指示を逸脱しているわね」
「いや、しかし、役目をきちんと果たすには」
ガルは役目を果たすことに必要なのだと訴えている。
「その気持ちは分かるわよ。でも、そうであるなら人手を増やしたいとまず言うべきね。きちんと許可を取ってであれば良いけど、今の状態はグレンに隠れて、自分の手下を増やしているみたい」
「そんなことはない!」
「分かってるわよ。ただ組織である以上、約束事は守らないと」
ソフィアが問題にしているのは組織としての規律だ。個人の感情で勝手な行動を取ってしまっては、国政は上手く回らない。グレンがいない今はそういうところは徹底しなければならないとソフィアは考えている。
「……はい」
「皆もね。グレンに甘えないで。グレンは親しいからといって特別扱いはしないわよ。まして血の繋がりなんて何とも思わないから」
「……あの方のことですか?」
血の繋がりと言う言葉をソフィアが口にしたことで、ガルは自分のことを言っているのではないと分かった。グレンのことは幼い頃から知っているが、ガルに血のつながりなどない。
「そうよ。さすがにグレンが戻るのを待ってからだけど、私にはもう結果は見えているわね」
「はい。それで陛下はいつ?」
「アシュラムの事が片付いたら戻ってくるわ。もう少しじゃない?」
「ゼクソンとアシュラムの二国を統べたこの国はやはり帝国の再来ですな」
「いやだ。アシュラムはゼクソンの属国よ。この国には関係ないわ」
「……しかし全ての国で陛下は王であり、陛下にとって本国と言えるのはこのルート王国ではないのですか?」
ルート王国の王であるグレンがゼクソン王国とアシュラム王国を属国にした。ガルでなくてもこう考える。それが普通なのだ。
「今は。いずれはそうではなくなるわよ」
「……本気だったのですか?」
「本気?」
「ゼクソンの王権を息子に返したら、ゼクソンからは手を引くということ」
確かにグレンはこう言っていた。だがそれが本音だとはガルには思えなかったのだ。これもガルが特別なのではない。グレンの考えが異常なのだ。
「当たり前。そういう約束よね」
「…………」
「嫌だ、ガルは信じていなかったの?」
「……では何の為にここまでのことを?」
「何の為……守りたいものを守る為ね。ただグレンはああいう性格だから守りたいものの範囲が狭いのよ」
「……そんな馬鹿な」
ゼクソン王国とアシュラム王国の二国を支配下に置いておいて、それを平気で捨てられるなどガルにとって理解出来ることではなかった。
「それグレンの前で言わない方が良いわね」
「……しかし、それで良いのですか? それではここにいる者達は報われない」
「そうなの? 少なくとも私は問題ないわよ」
ソフィアもグレンと似たようなものだ。王妃などの地位など有り難くもなんともない。グレンの側にいる為には必要だからそれを受け入れているだけだ。
「王妃様はそうだとしても」
「……ガル。教えておくわね。この国はグレンの国なの」
「それは分かっています」
「いえ、分かっていないわね。グレンが国王だから私は王妃なんてやっているの。グレンが国王だからシュナイダーたちはここで働いているの。グレンが国王だからポールもセインも皆この国に仕えているの」
「……どういうことなのか俺には」
ソフィアの言う「グレンの国」の意味をガルは理解出来ていない。そうであるからグレンやソフィアに仕える人たちの考えも理解出来ない。
「グレンが王でなくなれば、ゼクソンから来た人たちはゼクソンに帰るわね。ウェヌスから来た人たちはウェヌスに帰るか、ゼクソンに行くか。帝国の国民だった人たちも自分の行きたい場所に行くと思うわよ」
「何故?」
「どんなに否定しても私はセントフォーリア皇家の皇女なの。私たちがどんなに否定してもこの国は元帝国なの。それを利用させない為よ。グレンがいなくなった途端にこの国は国としての形を消し去るのよ。帝国であった痕跡を全て消し去ってね」
「…………」
「それが私達の覚悟なのよ。ガルも分かっていたと思っていたわ」
「……申し訳ありません」
「ちゃんと話をしていなかったものね。でも今話したわよ。その上で考えて。もし、この国で立身なんて望んでいるならそれは無駄よ。今すぐここを出た方が良いわね」
グレンであればこの国はどこまでも大きくなるとはソフィアは考えない。王であることはグレンにとって仮初め。いつその座を捨ててもおかしくないとソフィアは考えていた。
「いや、俺はあくまでもジンの息子である陛下の手助けの為にいるので」
「そう。では、これからもお願いね。あっ、この話はグレンには内緒ね。私たちがこんなことを考えていると知ったらグレンは重荷に感じるわ。私は自分をグレンを縛る鎖にはしたくないの」
「はい……」
◇◇◇
自分の国であるルート王国で、そんな重い会話が為されている頃。当のグレンはエステスト城砦の前の街道で真新しいウェヌス王国の騎士服に身を固めた二人を見送っていた。見送るのはその二人だけではない。後ろにも多くの騎士が並んでいる。
「では、これで。もう会わないことを祈っています」
「それは?」
「俺とお二人が出会うということはウェヌスに何か起った、それもあまり良くない何かが起った時でしょうから」
「……そうか」
「全てが終わった後であれば、そんなことを気にせずに会えるかもしれませんが、それはまだ先の話でその日が来るかも分かりません」
グレンの復讐はまだ道半ば。それを成し遂げられるかも分かっていない。
「最後に一つだけ聞かせて欲しい」
「何でしょうか?」
「ウェヌスを奪うつもりは本当に無いのだな?」
「俺がそれをしてどうします? 厄介事を背負うだけです」
「しかしな」
「それが心配であれば、それを防ぐ算段をすれば良い。それが出来る地位に登るのが御二人の役目です。言っておきますが目指すは将軍ではなく大将軍ですから。分かっていますよね?」
「お前にそれを言われるとは」
「おい、エリック。相手は一国の王だ。お前呼ばわりはない」
「……そうだった。失礼したグレン王」
「御二人にそう呼ばれる方が恥かしいです。では、ハーリー千人将、カー千人将、お元気で」
「ああ。私からは最後にもう一度、礼を言わせてもらう。虜囚の身から救ってくれてありがとう。だが感謝はこれで最後だ。もしグレン王がウェヌス王家に害をなすとなれば、私は遠慮なくその前に立つ」
「はい。それで構いません」
「では、さらばだ」
グレンに背を向けて、街道を西に進んでいくウェヌス王国騎士団の面々。それは全てアシュラム王国で、それも密かに捕らわれていた騎士たちだった。グレンがゼクソン王国で経験したよりも遙かに厳しい環境に落とされ、それでも生き延びていた人たち。それがウェヌス王国への帰還を果たすことになる。真の敵は誰か。それを胸に刻み付けて。