月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #113 混乱は続く

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 アイントラハト王国王城内の執務室で、机の上に山と積まれている書類を処理し続けていたヒューガ。その手が止まり、視線が前を向く。
 このところ毎日のようにヒューガの執務室を訪れて、その場に居座り続けている女性。勝手に正面に椅子を置き、それに座って妖艶な笑みを浮かべてヒューガをじっと見つめている。
 ヒューガの視線に気付いて、組み直された足。白い太ももがヒューガの目に入ってくる。

「……エリザベートさんは何をしたいんだ?」

「別に何もしていませんよ。そなたを見ているだけです」

「暇だろ?」

「いいえ。王が働く様子を見ているのは実に面白い。もう少しそばで見させてもらいましょうか」

 ヒューガの返事を待つことなく椅子を動かして、ヒューガの近くに寄ってくるエリザベート。腕を組んだ状態で机の上に両肘を乗せる。
 胸の谷間が強調され、男の欲情を強く刺激する姿であるはずなのだが。

「……そこに腕を置かれると邪魔なんだけど?」

 書類を置くのに邪魔とヒューガは思った。

「……気になるのですね?」

 一方でエリザベートは自分の魅力的な胸が気になって仕事にならないとヒューガは言ったのだと理解した。

「ああ。気になる」

「ふふ。触っても良いのですよ?」

「何に?」

「……そんなことを女性に言わせるものではありません。王は女の扱いになれていないのですね?」

「女の扱い? 何でそんな話になるんだ?」

 ヒューガはエリザベートを女性として意識していないのだが、彼女のほうはそんなヒューガの態度を、女性に慣れていない初心な男が照れて誤魔化しているのだと思っている。
 王であるヒューガを籠絡する。さすがに大森林ではそれをしてどうするという目的など、エリザベートにはないのだが、自分の存在価値をそういう形でしか実感できないのだ。

「妾が教えてあげてもいいのですよ?」

「……今はいい。後で教えてくれ」

 エリザベートが何を教えると言っているのかヒューガは分かっていない。エアリアルの扱いに問題があるとエリザベートは指摘している。こうヒューガは受け取っている。
 そうであるなら年上で経験豊富であろうエリザベートに話を聞くのは悪くない。ただ今は執務中。そんな話は後回しだ。

「そうですね。今はまだ陽も高い。王が落ち着いてからにしましょう」

 そしてエリザベートはヒューガが夜まで待てと言っているのだと理解した。まったくかみ合っていない二人である。

「生活はどうだ? 少しは慣れたか?」

「ええ。最初はどうなることかと思いましたが、王都に来てからは快適ですよ」

「王都に来てから、どれくらい経った?」

「二週間ですね」

「大森林に入ってからは?」

「二ヶ月半ですね」

「二か月で東の拠点を出てきたんだ。王族育ちの割にはちゃんとしてるんだな」

 ヒューガが言っているのは、エリザベートが二か月で東の拠点を出たと言う事実。入国審査を二か月で終える人は多くない。早いというよりは二か月という中途半端な期間で出てくるのが珍しいのだ。
 入国審査を早めに終える人は数週間で東の拠点を出る。もともと偏見というものを持たない人たちだ。一方で偏見を持っている人はなかなかそれを消すことが出来ない。心根とかの問題だけではない。長い年月をかけて心にすり込まれてしまったものを消すには、それ相応の時間が必要なのだ。
 それでも良心がある人はリリス族とある程度接していれば、危害を加える存在どころか彼女たちが相手を思いやる気持ちを持っていると理解する。慣れない自分たちの面倒を見てくれるリリス族に感謝の気持ちを持つとともに、魔族への偏見は薄れていくのだ。
 そんな入国審査をエリザベートがなぜ通過出来たのか。
 それは彼女が誰に対しても高飛車だったからだ。人族であろうと魔族であろうと、奴隷のふりをしてようとしてなかろうと彼女の態度は一切変わらない。そういう意味で彼女には差別というものがなかった。
 では生活態度はどうかというと、それも大きな問題を起こしていない。元々、パルス王国の宮中でも放っておかれることの多かったエリザベートである。他人に関わらずに一人で過ごすことに慣れていた。
 問題があるとすれば何もしないことなのだが、実はそれは入国審査では大して問題視されない。戦うことしか出来ないなど、他では一切役に立たない人は他にもいくらでもいるのだ。

「仕事は? 何か見つかったか?」

「……妾は王族ですよ? 仕事などしたことはありません」

「ここでは何もしないわけにはいかない。何か得意なことはないのか?」

「淑女としての嗜みは一通り身につけていますね」

「淑女の嗜み……もしかしてダンスとか?」

 淑女の嗜みとは何なのかヒューガには分からない。とりあえず思い付いたことを聞いてみた。

「そうですね。ダンスは得意です」

「……残念ながら、この国ではダンスをする機会はないな。ダンスの先生は仕事に出来ない。他には?」

「妾は花を育てるのは好きですね」

「花か……ここ大森林だからな。花は豊富だ。他には?」

「……お茶も」

 ヒューガに問われる度にエリザベートは落ち込んでいく。自分が役立たずと言われているような気がしてきたのだ。
 不要な存在。パルス王国でエリザベートはそう扱われていた。同じ思いをこの場所でも持たされることになる。そう考えると悲しくなってくる。

「お茶か……それってハーブティーとか?」

「……そうですよ」

 これも役に立たないと言われると思っていたエリザベートだったが。

「じゃあ、いれてみて。丁度飲みたいと思ってたんだ」

「えっ……?」

「ハーブティー。あれ? もしかして飲むだけでいれることは出来ないのか?」

「出来ますよ。自分や相手の好みのハーブをブレンドするのは淑女の嗜みです」

「そう。じゃあ……調理場がどこにあるか知ってる?」

「知りません」

「案内させよう。誰か。エリザベートさんを調理場に案内してくれ」

「はっ!」

 ヒューガの執務室の扉の外には、常に文官が数人控えている。誰かを呼んでもらいたい時や書類を取ってきてもらう為だ。
 人手が少ない中で無駄な役目のように思えるが、誰にでも仕事を与えてやりたいというヒューガの考えでそういう担当が置かれている。実直であるということがこの仕事の唯一の条件なのだ。

「ハーブはあるのですか?」

「ここは大森林だ。ハーブの種類は店を開けるくらいに揃ってる」

「そうですか。それは楽しみですね」

 案内の文官のあとついて、執務室を出て行くエリザベート。
 それを見送った後、ヒューガは目の前の書類に向かい合った。とにかくヒューガの仕事は多い。だが自分が仕事を溜めればその分、国の整備は遅れる。そう思っているヒューガはそれを苦にすることなく、毎日熱心に仕事に取り組んでいる。
 やがてエリザベートにハーブティーを頼んだことも忘れて、仕事に没頭していった。

 ――どれくらい時間が経ったのか。仕事に一区切りついて、ヒューガが顔をあげた時には、先程と同じようにエリザベートは椅子に座ってヒューガを見ていた。

「あっ、ごめん。ちょっと夢中になってた」

「いえ、良いのですよ」

「ハーブティー、冷めちゃったな」

「大丈夫ですよ。冷めても良いブレンドにしました」

「……もしかして入れ直した?」

 最初から忘れられる前提でいたはずがない。

「妾が部屋に入ったのも気付かないようでしたので、これは時間がかかるなと思いました」

「……悪いな。ずっと待っていたのか?」

「別にかまいません。王が仕事をする姿を見ていると退屈しないのは本当ですよ」

 これはエリザベートの本心だ。パルス王国の前王の側妃になることが決まった時、エリザベートにはエリザベートなりの想いがあった。側妃とはいえ、エリザベートにとってはただ一人の夫。その夫との楽しい生活を夢見る気持ちがあったのだ。
 仕事をしている夫の横で、じっとその姿を見守る妻としての自分。これもその一つだ。
 だが、そんな想いは一つも実現しなかった。パルス王国の前王にとってエリザベートは、子供を産むだけの存在。夜の関係以外を一切許さない前王の態度によってエリザベートの心は荒んでいった。

「じゃあ、それもらえるか?」

「ええ」

 エリザベートは、ポットに入ったハーブティーをカップに注いでヒューガに差し出す。それを受け取ったヒューガは、香りを確かめた後に一口飲んで、フッと息を吐いた。

「……本当に冷めても美味しんだな。それに香りも良い」

「そうですか。それは良かった。王の口に合うか少し不安だったのですよ?」

「少し甘めだな」

「ハチミツを少しだけ入れてあります。疲れている時には良いですからね? あとは冷めても香りを失わないように、レモングラスなどはっきりした香りのハーブをいくつかブレンドしました。リラックス効果もありますので、仕事疲れの王には良いと思いますよ?」

「へえ、さすがだな。こうなると温かいのも飲みたくなるな」

「ではすぐに入れてきましょう。今度は妾の存在は忘れないでくださいね?」

 こんな風に人に褒められたのは、いつ以来のことなのか。エリザベートは嬉しくなって、まるで子供のようにニコニコと笑いながら、ヒューガにこう言った。

「もちろん、楽しみに待ってるよ」

 次にエリザベートが入れてきたハーブティーもヒューガを満足させた。実はヒューガはハーブティーに特別な想いがある。母が大好きだったのだ。風邪の時は咳をおさえる効果のもの、勉強で疲れた後は疲れを癒すもの、悲しいことがあって泣いたあとは、気持ちを落ち着かせるもの。とにかく事ある毎にハーブティーを飲まされていた。
 そのヒューガにとってエリザベートが入れたハーブティーは、母が亡くなって以来、初めて自分を満足させるもの。飲むのを避けていたという理由もあるのだが、久しぶりに満足出来るハーブティーに出会えて嬉しくなり、それを用意してくれたエリザベートを褒めまくった。
 その日以降、ヒューガの仕事の様子を覗いては、食堂に行ってハーブティーを入れるエリザベートの姿が王城での日々の光景となった。
 まるで侍女のようなのだが、エリザベートは全く気にしていない。自分に対する偏見をまったく持たないヒューガとの会話を楽しみ、その日のヒューガの様子を推察して、それに合ったハーブティーを考える。エリザベートにとって楽しい毎日だ。

「子供から年増まで。恐るべきヒューガのハーレム属性ね」

 これはそれを知った夏の台詞だ。

 

◆◆◆

 東方での戦争はようやく決着をみた。マーセナリー王国によるダクセン王国制圧は、結果としてマーセナリー王国が全ての王族を討ち取ることで終結。その間にマンセル王国はアシャンテ王国を完全に併合した。
 そしてミネルバ王国とマリ王国の争いは、マリ王国がミネルバ王国との決戦に勝利することで終わる。その決戦で主戦力のほとんどを失ったミネルバ王国はマリ王国に降伏したのだ。
 その後、マンセル王国はそのマリ王国とすかさず休戦協定を締結。それを知ったマーセナリー王国もマリ王国と、渋々ながら休戦協定を結ぶことになった。マンセル王国の思惑次第では二国に攻められることになる。傭兵王に他の選択肢はなかった。
 東方六国の争いは、侵攻された側であるマリ王国の勝利は想定外であったにしても、三国が残るという形で収まることになった。
 もっとも、それが一時的な休息であることを各国は知っている。特にマンセル王国に出し抜かれた感のあるマーセナリー王国としては、三国間の力の均衡を崩すために動き出さなければならない。だが、具体的な行動を起こすのはまだ先の話だ。しばらくの間、東方三国は戦後復興に力を注ぐことになる。

 東方が、たとえ仮初のものであろうと一旦落ち着きを取り戻したことで、大陸に平和な時が訪れるはずだったのだが、この世界の混沌はそれを許してくれなかった。
 ユーロン双王国父王の突然の死去。あまりに急なその死は、ユーロン双王国におけるここ数代に渡る暗い歴史を感じさせるものだった。
 末弟王ネロの死により、次代の上王の座は長兄王と次兄王の一騎打ちになった。もともと一騎打ちではあったのだが、形だけでも三人の争いとなっていたことで微妙な均衡は保たれていたのだ。下手に真っ向から争っていて、ネロに漁夫の利を奪われてはたまらない。それくらいのことを考える慎重さは長兄王と次兄王にもあった。
 だが、ネロの死と次兄王がパルスの後ろ盾を得たと考えたことで、その均衡は崩れた。次兄王が有利になったわけではない。実際は逆だった。
 ネロの件では、個人的な感情で彼の処分に積極的に動いた父王ではあったが、その過程で、次兄王の後ろにパルス王国の陰を感じたことで、その悪意は次兄王に向くこととなった。
 父王にしてみればそうなるのは当然のこと。ユーロン双王国とパルス王国は、国力の差はあるにしろ、対等の関係なのだ。その対等な関係を崩すわけにはいかない。対等どころか、いつかパルス王国を凌駕する。それがユーロン双王国の悲願でもある。パルス王国の影響を受ける次兄王を上王とするわけにはいかないのだ。父王は、次代の上王の座を長兄王に譲渡す準備をひっそりと進め始めた。
 その矢先での死だ。次兄王による暗殺という言葉が事情を知る人たちの頭に浮かぶのは当たり前。長兄王は次兄王を非難し、父王暗殺の非を問うとして兵を挙げた。
 次兄王にとっては父王暗殺など身に覚えのないこと。これは長兄王の策略であると反論し、長兄王を迎え撃つべく、兵を挙げた。
 ユーロン双王国内で王位継承をめぐる内戦が勃発したのだ。
 内戦は当初、長兄王に有利に進んだ。なんといっても状況から見れば、次兄王が父王を暗殺したと思われても仕方がない。大義は長兄王の元にあると多くの臣下が考えた。
 ユーロン双王国の過半を味方に付けた長兄王は、その武勇もあって、次兄王の軍を次々と撃破。次兄王はパルス王国との国境付近まで追いやられ、王位継承戦は長兄王の圧勝で終わるはずだった。
 パルス王国が内戦に干渉してこなければ。
 それに驚いたのは長兄王だけではない。内戦に関係ない他国からも、その事実は驚きをもって受け取られた。内戦に対して兵を出す。パルス王国がそんな直接的な手段で他国に干渉するなど、その時はあり得ないと思われていたのだ。
 何故、パルス王国がそんな決断を行ったのか。その理由はいくつかある。
 ひとつは次兄王との密約。エリザベートを処分する為にパルス王国と次兄王は協力した。その内容はいささか狡い策謀の類であり、あまり表沙汰に出来ることではない。自らの不利を途中で知った次兄王は、それを持ち出してパルス王国の直接的な干渉を迫ったのだ。
 もうひとつは東方にはいずれまた戦乱が起きる。その戦乱が収まる時には、東方全てを統べる国の誕生が待っている。東方全てとなれば、それはパルス王国に匹敵する大国になる。パルス王国としては、それを許すわけにはいかない。次の東方での争いにはパルス王国はそれを阻止する為に干渉しなければならない。その時に、西で変な動きがあっては困るのだ。魔族領侵攻戦において、それがエリザベートの策謀によるものであったにしろ、三方に兵を派遣することになった苦い経験がパルス王国にはある。
 その他にも細かな理由はいくつかあった。いずれももっともな理由ではあるが、いずれも決定的な理由ではない。いくつかの理由が重なって判断された。そういうことになるのであるが、結局は大国としてのパルス王国の驕りに過ぎないのであろう。
 これを結果として主導することになったイーストエンド侯爵は気付いていない。自分たちが行っていることが、誰の為にという点を除けば、エリザベートが行った策謀となんら変わりがないことを。
 国王であるアレックスにもう少し力があれば、もう少し経験があれば、これは止められたかもしれない。だが、アレックスには兵を出さなかった時の弊害を解決させる為の案がなかった。地位が不安定になっている国軍中央団長の、この機会になんとか戦功をとの思いを押さえ込む言葉がなかった。愚行でありながら、文武の高官がひとつになって賛成するこの事案を否定する言葉をアレックスは持たなかった。
 結局、ウエストエンド侯領軍を先鋒としてパルス王国はユーロン双王国に攻め入った。
 不意を突かれた形の長兄王は初戦で自軍を大きく損ない。それ以降、じりじりと戦線を次兄王とパルス王国の連合軍に押し込まれている。

 ユーロン双国王都に近い草原地帯。そこに全軍で六万を超える兵が集まっている。長兄王軍二万。次兄王軍三万。そしてパルス王国軍一万五千だ。一時は五千を切っていた次兄王軍は、パルス王国の参戦によって戦況を覆したことで、次々と味方を増やし、今の数になっている。
 一方で長兄王軍は最大四万程であった軍が今は二万にまで減っている。
 戦況は完全に次兄王に傾いているのだが、この二万という数が、実際にどちらが王に相応しいかを示している。次兄王の下からは敗戦濃厚となった時点で、次々と兵が離脱していっていた。だが長兄王の下からあまりそういう兵は出ていない。
 次が最終決戦。これで敗戦が確定すると思われる状況においても依然、二万の兵が長兄王に従っているのだ。もっとも、これにはパルス王国に対する反発もかなり影響している。たとえ次兄王が勝ったとしても、その先の国政は困難を極めるだろう。
 パルス王国への反発は、それを引き込んだ次兄王への反発でもあるのだから。
 だが、次兄王はその事にまったく気が付いていない。夜が明ければ行われるであろう決戦の結果を考えて、うきうきしているのだ。

「眠れない」

 明日の決戦に備えて、早めに休もうと思った次兄王だったが、自分が上王になる時を考えると興奮で眠れなかった。

「参ったな。明日は大事な決戦だというのに」

 誰に話しかけているわけではない。本人としては声を出すことで気分転換をしているつもりなのだ。だが、その独り言に反応する声があった。

「ではワタクシが次兄王様を眠りにお誘いしましょう」

「誰だ!?」

 次兄王は誰何の声をあげる。ベッドの横に立てかけてあった剣を引き寄せるのも忘れていない。

「……物騒なものは必要ありません」

「お前は?」

 暗闇に目が慣れた次兄王の目の前にいたのは、見目麗しい女性だった。

「このような事もあろうかと、言われてきました。次兄王のお気持ちを落ち着かせて来いと」

「……お前のような女が従軍していたのか?」

「戦も長くなれば、ワタクシのような存在も必要になるものです」

「売春婦の類いか?」

「ワタクシのような者が次兄王様のお相手など僭越ではございますけど、他に適した女もいないものですから」

「……うむ」

「お気に召さない様であれば、このまま去ります」

「いや、待て」

 売春婦を相手にするということには抵抗があるものの、目の前の女性の姿形を気に入らないわけではない。それどころか、次兄王にとって理想と言っても良いくらいの女性だ。彼女をこのまま帰らすのは惜しい。次兄王はそう思った。

「ワタクシでかまいませんか?」

「他にいないのであれば仕方ないだろう。ほれ、横に来ないか」

 こう言って、ベッドに女性が入れるスペースを空ける次兄王。

「では」

 それを見て、女性はゆっくりと次兄王のベッドに近づいて、空けられた場所に腰を下ろした。

「しかし、気が利く者もいたものだな?」

「そうですね」

「よし、あとで褒美を遣わそう。誰に言われてきた?」

「ネロという御方に……」

「ネロだと……おい? 本当にその名前なのか?」

 この場で耳にするとは思っていなかった名前だ。沸き立っていた次兄王の心は一気に沈んだ。

「はい。ワタクシが命令を受けた方のお名前はネロです」

「……なんとも複雑だな。亡くなった弟と同じ名か」

「ご本人ですよ。ワタクシは末弟王様からアナタを眠らせろと言われました」

「何だと!?」

「お休みなさいませ」

「ぐっ……」

 どこに隠し持っていたのか、女性は手に持った短剣を次兄王の胸に深々と突き立てた。

「ネロ様も最初からこうしておけば良かったのです。それを余計な策謀になど夢中になるから」

「……き……貴……様」

 口から血を溢れさせて呻く次兄王。だが女性の興味は既に次兄王からは離れていた。
 
 「一応、これはネロ様の敵討ちということになるのでしょうか? 淫魔であるワタクシにそんな感情があったとは驚きです。淫魔が一人の男に狂うなど……狂っていたのですね、ワタクシは。でもそれも終わり。これからは淫魔としての本分に戻るだけですね」

 自分を納得させるように独り言をつぶやくと、血だらけになって倒れている次兄王をまったく顧みる事なく、淫魔族の長である女性はその場から消えた。
 そして翌朝、次兄王の死体が発見された事で、戦場は大混乱に陥ることになる。