月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #70 転機

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 真夜中の貧民区。夜の闇に覆われているはずの貧民区は今、赤々とした光に照らされている。自然の光ではない。何者かが火をつけたのだ。
 その何者かたちの姿は今も貧民区にある。いかにもという感じの黒装束の男たちが、あちこちで駆け回っている。顔は見えないが、それを確認する必要はない。こんな大それた真似を、しかも何もない貧民区を狙って行う者など限られているのだ。
 この事態はもともと予想されていたこと。ただこのタイミングで、というのは夏にとって以外だった。とりあえず段取り通り、決められていた建物に向かう。

「やっと来たか?」

「早いわね?」

 建物の中にはすでにバーバがいた。

「ギゼンが早く気付いたのじゃ。とりあえずお主にはやることがある」

「何よ?」

「この建物の周辺に火が燃え移らないようにせよ。方法は分かるじゃろ?」

「ええ」

 魔法を使えということだ。夏は建物の入り口にそのまま陣取り、周囲の火に向かって水属性の魔法を飛ばしていく。火の勢いを完全に止めるほどではないが、それでも建物との間に距離が出来てきた。

「あまり目立たぬようにな」

「そんな注文があるの? 先に言ってよ」

 そんなことをしている間に、建物の周りに皆が集まってきた。子供たちも全員無事だ。こんなことで不覚を取る子供たちでないのは分かっているが、それでも姿を見るまで、夏には不安があった。

「手伝う?」

 エイプリルが火を消すのを手伝うと言ってきた。

「そうね。皆で分担しましょう。あまり目立たないようにだって」

 夏にとってはありがたい。地味に魔力を使う作業なのだ。

「ちょっとずつ、やれってこと?」

「そういうこと」

「面倒ね。こんなの一気に消しちゃえば良いのに」

「バーバさんには何か考えがあるみたいよ」

「わかったわ」

 不満そうにしながらもエイプリルは言われた通りに、かなり威力を絞った魔法で周囲の火を消していく。それを見たジュン、そしてメイも手伝い始めた。
 魔力を完璧に制御し、正確に火に魔法を当てていく子供たち。それを見た夏は、また子供たちの成長を感じた。

「ほれ、お主らもそろそろ中に入れ」

「はあ? こんな小さな建物に皆で入ってどうするのよ? そもそも……あれ?」

 集まっていた人たちの姿がいつの間にか見えなくなっている。ついさっきまで周りにいたはずなのだ。

「皆はもう中じゃ。外にいるのはお主らだけ。ほれ、説明している時間がもったいない。つべこべ言わずに入るのじゃ」

 バーバの指示に、半信半疑ながらも従って、夏が建物の中に入ると、ポッカリと人一人が丁度通れるくらいの穴が空いていた。

「先に入るぞ。後から一人ずつ付いて来い。ギゼン、後は頼む」

「はっ」

 そう言うとバーバは穴の中に入っていった。夏は子供たちをバーバの後に続かせてから、穴の中に入る。穴はかなり深く掘られていて、かなり先まで続いている様子だ。
 夏はもっと良く見ようと火を灯そうとしたが、それはギゼンに止められた。

「まだだ。光が漏れると困る。もう少し先に行くまで我慢しろ」

「はい」

 仕方なく手探りで穴の中を進んでいく。前を行く子供たちの騒ぐ声。バーバは子供たちが騒ぐたびに「静かにしろ」と怒鳴っている。
 そんな感じで少し進んだ所で、後ろから大きな音が聞こえてきた。
 驚いて振り返ったが何も見えない。ギゼンの「とにかく進め」という声が聞こえて、何が起こったか確認出来ないまま、先に進むことになった。
 やがて奥に光が見えてきた。そこはかなり広がった空間。先に入っていた人たち全員がそこにいた。冬樹も。

「ちょっと冬樹。ひどくない? 私より先に逃げるなんて」

「バーバさんに皆を先導しろって言われたんだよ。万一この場所が気付かれてたら拙いからってな」

「そう。じゃあ仕方ないわね。それでここは何なの?」

「俺も知らない。バーバさん、ここは何?」

「こんな事が起きた時の為の避難場所じゃな。逃走路と言っても良い。この地下通路はこの先も、ずっと続いておるのじゃ。王都の外まで出られる」

「まさか掘ったの?」

 貧民区から王都の外壁まではかなり距離がある。それだけの距離のトンネルを掘るのに、どれだけの労力と時間がかかったのか、夏は想像も出来なかった。

「我等には時間だけは腐るほどあったからの」

「驚いた。世を捨てた振りして、こんな事してたのね?」

「まあの。世を捨てたといっても初めから捨ててたわけではない。いつか御家の再興を。そんな夢を見ていた時期もあったのじゃ。これはその頃の気持ちが作ったもの。といっても途中からはただの道楽じゃな」

 道楽というより惰性だ。バーバが言う通り、御家再興の熱意は失っても、時間は腐るほどあったのだ。

「道楽で作るようなものじゃないでしょ? まあでもその道楽が役に立ったわけだから良いか。とりあえず火が収まるまでここで待つってことね?」

「ふむ」

「違うの?」

 バーバの反応は曖昧だ。ただそれ以外の選択肢が夏には思い付かない。

「悩んでおる。戻ったとして住む所があるかの? 建物などすぐ作れる。元々、適当に廃材を組み合わせただけのものじゃからな。でもそれが出来たとしても」

「ああ、また火をつけられるわね」

「恐らく貧民区が目障りなのじゃろ? きっかけは……まあ、それは良いか」

 きっかけはまず間違いなく炊き出し。勇者が始めた炊き出しは勇者がいなくなったあとも続いた。ローズマリー王女によって。だがそれを喜んでいたのは王女だけ。付き合わされている周りの人々がうんざりした様子なのを夏たちは知っている。
 貧民区を良く思う人などまずいないが、だからといって重罪である放火なんて手段に出るのは、それなりの権力を持つ者たちしかいないはず。罪に問われない、もしくは捕まらない自信があるからこそ、出来ることだ。

「戻らないとしたらどうするのよ?」

「王都を出る。じゃが、出たとしてどこに行くかじゃな」

「行くなら東よね?」

「東という方向しか儂には分かっておらん。あれ以降、全く見えておらんからの」

 日向の居場所として分かっているのは、王都から見て東だということだけ。もしかすると当初の目的地であるレンベルク帝国まで行っている可能性もあるのだ。

「さすがにレンベルクまでは行けないわね?」

「そうじゃな」

 レンベルク帝国は大陸の北東。外れと行っても良い場所だ。そこまで旅するのは容易ではない。身分証を持たない人も大勢いるのだ。

「……実際どこまで行けるのよ? 私達そんな蓄えないわよ」

 ギルドの仕事はかなり抑えていた。目立たないことを優先させた結果だ。それだけではない。鍛錬に取り組もうと思えば、長期の依頼は受けられない。結果、一日以内で終えられる低報酬のものばかりになってしまう。

「蓄え? 資金だけで考えれば、この人数でもレンベルク帝国までは行けるだろうな」

「……はい? なんでそんなに行けるの?」

「我等にも蓄えがある。何十年もかけて、こつこつと貯めた蓄えがな」

「……貧民区に?」

「他の場所にあるはずがない」

「そういうことじゃなくて……」

 何故、貧民区と呼ばれる場所に住んでいる、実際に生きるにギリギリと思われる暮らしをしている人たちが、そんなお金を持っているのか。夏が聞きたいのはこれだ。

「お主の目の前にある箱を開けてみろ」

 バーバに言われて夏は気付いた。空間の隅に箱がいくつも積み重なって置いてあることに。
 言われた通りにその箱を開けてみると、中から出てきたのは剣に鎧、それ以外にも数々の装備。今この場所にいる人数分くらいは軽くある。

「えっと……これは何かな?」

「隠し財産ってとこかの。財産没収などと言われて、『はい、そうですか』なんて素直に従うはずないじゃろ? 持ち出せるだけ持ち出してある」

「なんで武器なのよ?」

「他にも色々とある。武具が多いのは、お家再興を夢みていたからじゃ」

「過激ね。まさか武力で再興しようとしてたの? それって再興というよりクーデターでしょ?」

「クーデター?」

「王家を倒してって意味よ」

「まさか。これは戦功をあげる機会があった時に、戦場に駆けつける時の為のものじゃ。戦功をあげてお家再興を願う。よくある話じゃろ? といってもその戦が起きなかったので宝の持ち腐れになってしもうたがな」

 罪を功によって相殺する。その功を得る絶好の機会は戦争なのだ。庶民以下に落とされたバーバたちには、それ以外になかった。

「それなら分かるわ。といっても納得いかないけど」

「何がじゃ?」

「これを売れば、苦しい暮らししなくても済んだんじゃない?」

「それは違う。金を手に入れて一時良い暮らしを手に入れたからといってそれが何になる? 人は食わねば生きていけん。でもそれだけでは駄目なのじゃ。生き甲斐、生きる希望そんなものがあって初めて、人は生きられるものじゃ」

 これを言えるバーバは未だに気高き人物だ。厳しい暮らしを続けていたバーバだが、その本質は変わることがなかったのだ。

「……そうね。さてじゃあどうするか?」

「一つしかないだろ?」

 割り込んできたのは冬樹の声。実際は冬樹の意見を聞かなくても、夏も分かっている。彼等がこの世界に持つ伝手など、限られているのだ。

「受け入れてくれるかな?」

「彼女なら」

「でも彼女も居候でしょ?」

「あっ、それはあるな。でも全てを世話になる必要はない。自分たちで稼ぐ力はあるからな。王都を離れてしまえば、目立つことを気にする必要はなくなる」

「そうね……じゃあ行きましょうか? ディアちゃんのいる場所へ」

 目的地はクラウディアのいるイーストエンド侯爵領。これ以外の選択肢は、現時点では、ない。

「やはりそうなるのか……」

 バーバに頭の中にもその選択肢はあった。ただそれを自分が言い出すのは違うと思っていたのだ。

「他にないからね? ということで行き先は決まった。これからどうする?」

「それなりの準備はいるだろうな」

「何がいるのよ?」

「それをこの世界でまともに旅した経験のない俺に聞くか?」
 
 王都を離れることはあってもそれはパルス王国軍の見習い兵士としてであったり、傭兵任務をこなす為だ。軍では何も準備する必要などなく、ただ付いていくだけ。傭兵任務の時も身軽なもんだ。

「……ちょっと大人になったと思ったけど、やっぱり冬樹はフーね」

「なんだよ、それ?」

「フーに聞いた私が馬鹿だったってことよ。えっと、ギゼンさんに聞くのが良いのかな?」

「いや、そこにいるタムじゃな。タムは元執事。そう言った雑務全般については良く知っている。博識であること、これも優秀な執事の条件じゃ」

「そう、じゃあ教えて、タムさん」

「そうですな。お金の計算はあとにして、必要と思われる物をまずはあげていきましょう。馬車。これを手に入れる事が出来るかどうかで旅程が大きく変わります。全員がずっと徒歩というのでは、中々厳しいものがあります。馬車があれば前に進みながら交替で休めます。早く旅を進めるには乗合馬車という手もありますが、我等は街に泊まるのは避けたほうが良いでしょう。身分証を持たない者が多い。乗合馬車は街から街を移動する。街に入ったのにわざわざまた街を出て野宿なんてしていたら、それはそれで怪しいですからね。次に野宿をする為の用意ですね。天幕、炊飯器具、雨の備えも必要ですから――」

「出来たら、この紙に必要なものを書いていただけると助かります」

 夏はタムの説明を最後まで聞くことを諦めた。全てを頭に入れる自信がないのだ。

「これが最初で最後になるかもしれない長台詞だったのですが……まあ良いでしょう。書いておきます」

「お願いします」

「あっ、私が書いている間に、箱の中の確認をお願いします。古くなって使えない物もあるかもしれませんし、正直全部は把握しておりません。一度、全てを棚卸しする必要があると思います」

「これ全部?」

 積まれている箱はかなりの数。その中身を全て確認するのは、やる前から大変な作業だと分かる。

「ええ、皆でやれば直ぐです」

「そうよね。私一人でやる必要はないわね。じゃあ皆……皆?」

 その皆がいない。あくまでも夏が思う皆がいないだけであり、まだ周囲には大勢の人がいる。

「子供たちはもう寝てる。何時だと思ってんだ?」

「じゃあ冬樹が手伝ってよ」

「手伝うよ。というか皆でやれば本当にすぐだろ?」

「だって……」

「もしかして人見知りしてるのか? だから頼めない?」

 夏はかなりの人見知りだ。親しい人と話している夏からは想像出来ないが、そうなのだ。冬樹は当然、そんな夏の性格を知っている。

「……ちゃんと話したこともない人に物を頼むのは非常識じゃろ?」

「なんだよ、その口調?」

「バーバさんの真似」

「そのバーバさんに頼めば良いだろ?」

 バーバの指示であれば、皆従う。何も夏が直接頼む必要はない、のだが。

「もう皆、始めておる。遊んでいないでお主らもとっとと手伝え」

「は~い」

 タムの話はバーバも他の人も聞いている。夏がお願いすることに躊躇している間に、すでに動いていた。

 

◆◆◆

 王都内で火事が起きると、鐘が鳴って王都全体に知らせることになっている。それは貧民区で起きた火事でも例外ではない。火元がどこであろうと、隣接する他に地区にも広がる可能性はある。近くに住む人たちは素早く避難、そして国は消火活動を始めなければならない。
 その深夜に鳴り響いた鐘の音は、当然、美理愛の耳にも入った。この世界に来て、鐘が激しくかき鳴らされる音は初めて聞いた。何か大変なことが起きたことはすぐに分かった。
 控えていた侍女に何が起きたか確認させると、王都で火事が発生したとのこと。しかもその場所は貧民区だと分かった。
 美理愛は急いで現場に向おうとしたが、それは許されない。しかたなく夜が明けるのを待って、あらためて許可を取ってから現場に来てみたが、目の前に広がるのは、すっかり焼け野原になった貧民区の姿。
 奥のゴミの山は、まだ火がくすぶっているのか、所々から煙が上がっている。そしてあちこちで呆然と座り込んでいる貧民区の人々。
 その彼等を助けようとする人はいない。兵たちはただ、再度火が起こらないように見回っているだけ。
 何故、この世界の人々は弱い人、貧しい人に冷たいのか。この世界に来てから何度も感じた理不尽に対する悲しみで、美理愛の胸が痛む。
 だがそんな美理愛も何も出来ない。せめて炊き出しの準備くらいしてからここに来れば良かった。そう思って城に戻ろうとした時、奥の方から声が聞こえてきた。

「きったな~い! もう最悪! なんでこんな出口しかないのよ!?」

「文句言うなよ! 仕方ないだろ!」

「もう、入ったところ埋めちゃったからでしょ!」

「俺がやったわけじゃないだろ! やったのは師匠だ!」

「師匠のした事は弟子の責任! 謝りなさいよ!」

「なんで俺が!?」

 言い争う男女の声。何を争っているのかと美理愛がそっと様子を覗いてみると、そこにいたのは見覚えのある顔だった。久しぶりなので少し雰囲気は変わっているが、それでも間違えるはずがない。

「あの……?」

「げっ!」

 美理愛が恐る恐る声をかけると、夏が大きな反応を見せた。何故、そんな反応を、と美理愛が不思議に思うような反応だ。

「夏さん? それと冬樹くんよね?」

「……人違いです」

「えっ? そんなはずないでしょ? 会うのは久しぶりだけど、ちゃんと顔を覚えているのよ? それに黒髪の人なんて、異世界からきた私たち以外会ったことないし」

「……お久しぶり」

 惚けるのは無理。すぐにそう判断して、夏は認めることにした。

「やっぱりそうじゃない。なんで人違いなんて言うの?」

「何となくかな?」

「何となくって……良いわ。ねえ、ここで何をしているのかしら?」

「えーっと、捜し物です」

「捜し物? こんな所で?」

 貧民区、それも火事の後の貧民区で何を探しているのか。美理愛の疑問はますます深まる。美理愛は夏たちが貧民区で暮らしていることを知らないのだ。

「ええ、間違って捨てられちゃったみたいで。ここはゴミの集積所だから、もしかしてあるかなと……」

「そう。良かったわね。見つかって」

「見つかって?」

「冬樹くんが持っている荷物でしょ? 捜し物って」

 後ろにいる冬樹が大きな箱を背負っているのを見て、美理愛は勘違いしている。ただこの勘違いは夏にとって都合が良い。美理愛に気付かれないように冬樹をひと睨みしてから、作り笑いを浮かべる

「ほんと良かったわ。じゃあ、あたしたちは探し物が見つかったから、これで失礼――」

 足早に美理愛の横を通り過ぎようとした夏。

「あの!?」

「……まだ何か?」

 だがその足は美理愛によって止められた。あからさまに嫌そうな顔をして、美理愛に向き直る夏。作り笑いを浮かべたままでは、美理愛は解放してくれないと思ったのだ。

「そんな嫌な顔しないで……少し話さない? 会うのも久しぶりでしょ?」

「……ちょっと行くところがあって」

「じゃあ、その後でもいいわ。どこに行く予定なの?」

「武器、痛てっ!」

 美理愛の問いに答えようとした冬樹。その冬樹の足を夏は一切の手加減なしに蹴飛ばした。手加減する必要はない。夏の蹴り程度で怪我するような鍛え方は、冬樹はしていない。

「……お願い、ちょっとだけで良いの。時間取れないかしら? 武器屋に行くなら私も付いて行くわ。その後で少しだけ。駄目かしら?」

 夏に嫌がられているのは分かっているが、それでも美理愛は話す時間を求めた。色々と落ち込むことの多い日々。この世界の人々との価値観の違いに悩んでいることもあって、同じ世界に生まれ育った夏たちとの時間を持ちたいのだ。

「……本当にちょっと?」

「約束するわ」

「……じゃあ、良い。付いてきて」

 夏は、かなり渋々であるのだが、要求を受け入れることにした。美理愛のこういう態度は以前からのもの。こちらが譲歩するまで粘られるだけだ。そうであれば最低限の譲歩で事を終わらそうと考えたのだ。
 すぐに歩き始める夏。その夏の隣を重そうな荷物を抱えたまま、冬樹は歩いている。
 やがて夏はその荷物を抱えている冬樹にチョッカイを出し始める。最初は指で脇をつつく。それに冬樹が反応しないでいると今度は脇をくすぐり始める。

「危ないだろ!? 止めろよ!」

「これは鍛錬よ! 荷物落とすなよ!」

「何の鍛錬だよ? だから荷物落ちるって。重いんだぞ、これ。怪我したらどうする?」

「弟子よ! 耐えて見せよ! お前なら出来る!」

「誰が弟子だよ? ちょっと夏!」

「ほれほれ!」

「降参! 俺の負けだ! だからもう止めてくれ!」

「勝者、夏! 勝者である夏には負けた冬樹から……何が良いかな? 考えておこっと」

 夏の行動は苛つく気持ちを少し落ち着かせようと、いつも以上に意識してはしゃいでみただけなのだが、そんなことは普段を知らない美理愛には分からない。
 自分と優斗の関係と目の前の二人を比較して、落ち込んでしまっている。優斗とはこんな風にふざけて過ごす時間はない。特に体の関係が出来てからは。
 それを思って、さらに美理愛の落ち込みは酷くなる。優斗は自分のことを恋人だと思ってくれているのか。自分も、優斗がこれまで手を出してきた何人もの女性の一人に過ぎないのではないかと思えてきたのだ。

「到着っと。ほい、冬樹。入って」

「おっ、サンキュー」

 武器屋に着いた。夏は入り口のドアを押さえて、荷物を持った冬樹が店に入るのを助けている。これには美理愛の気持ちも少し温かくなった。ただ「良いな」という思いだけが心に広がったのだ。

「……入りなさいよ。それとも外で待ってる?」

「あっ、入るわ」

 冬樹に続いて美理愛も武器屋に入った。美理愛は武器屋に入るのは初めてだ。武器屋だけではない。この世界に来てから、お店というものに入ったことがない。自分で買いに行かなくても、言えば何でも揃えてもらえたのだ。

「何、キョロキョロしてんの?」

「私は武器屋に入るのは初めてで。武器屋ってこんな風になっているのね?」

「……なるほどね。勇者様はお店で売っている武器なんか使わないか。あたしも他の店は行ったことがないから、他がどんなだか知らないわ。でもそんなに変わらないんじゃない?」

「そう」

 軽い嫌味を言われて、これに関しては夏に自覚はないのだが、美理愛はまた軽く落ち込んだ。

「なんだ。嬢ちゃんも一緒か……えっ、聖女様?」

「あたしは嬢ちゃんで、こっちは様付?」

「おい、嬢ちゃん、聖女様に向かってその言い方はないだろ?」

「良いのよ。あたしにとっては聖女でも何でもなく、ただの顔見知りだから」

「おいおい」

 差別されて夏は軽く膨れているが、美理愛はそんな彼女を羨んでいる。夏はこの世界の人と普通に接している。相手も特別扱いしている様子はない。それが羨ましいのだ。

「もういいから。今日は買い取りのお願い。物はこれ。冬樹」

「ああ」

 夏に促されて、冬樹は持っていた箱をカウンターの上に乗せ、中身を取り出した。中から出てきたのは剣。

「ん? これは?」

「盗品じゃないわよ。知り合いが大事に持ってたの。ちょっとお金に困っててね。売りたいんだって」

「別になんだってかまわん。しかしな……」

「しかし、何よ?」

 店主の反応は良くない。それが夏は気になった。これがお金に換えられないと計画に狂いが生じてしまうのだ。

「あまり高く買い取れんぞ。かなり古い」

「そうだけど、ちゃんと使えるわよ?」

「型が古いとな……武器も見えないところでそれなりに進化している。古いのはどうしても価値が低くなるんだよな」

「……骨董品としての価値は?」

「何百年前とかなら少しはあるだろうが、この程度じゃな」

 夏と冬樹が持ち込んできた剣は、粗悪品ではないが、特別優れたものでもない。実戦で騎士たちが使う為の汎用品だ。骨董品としてだけでなく、それ以外の特別な価値もない。

「ちなみにどれくらい?」

「こんなもんだな」

 店主は紙に数字を書き込んで夏に差し出した。冬樹と一緒にそれを確認した夏。冬樹の反応で、あまり良い値段ではないのだと美理愛にも分かった。

「せめて、これくらいにならない?」

「いやいや、それは無理だろ? おまけしてこれだ」

「もう一声。これでは?」

「嬢ちゃん、これは一声とは言えないだろ。せいぜいこれだな」

 何度かやり取りが続くが、その中身は美理愛には分からない。

「……これ以上は?」

 答えは分かっている。分かっているから夏は、要求金額はそのままで、この問いを店主に向けたのだ。

「無理だな。他を当たってくれって言うしかない」

 店主も夏の気持ちは分かっている。強気な表現を使うことで、手打ちを促した。

「仕方ないわね。それで良いわ」

 商談は成立だ。

「何か買ってくか?」

「今日は良い」

「じゃあ、金を用意する。ちょっと待ってろ」

 こう言うと店主は店の奥に引っ込んで行った。
 交渉に慣れた様子の夏。美理愛たちとは違う異世界生活がそこにあった。もしかすると自分たちにも可能性があった生活だ。実際にはその可能性は無に近いが、美理愛はそう考えた。無い物ねだりのようなものだ。

「ほい。皮袋はおまけ」

 店主は持ってきた皮袋ごと夏に渡した。念のため、中身を確認する夏。何度も取引している相手だから信用して良い、なんてことはない。これは夏の性格ではなく、この世界の人々に教えられたことだ。

「ありがとね。また来るわ。近いうちにね」

「おお、待ってるぞ。では聖女様、このような所に足を運んでいただきありがとうございました。またのご来店――」

「またのご来店なんてあるわけないでしょ? こんな店に」

 かなり無理した様子の店主の丁寧な挨拶を、夏は途中で遮った。

「おい、ひでぇ事を言うな」

「だって、勇者が使うような立派な武器、この店に置いてる?」

「……ないな」

「そういうこと。じゃあね」

「また」

「……失礼します」

 武器屋を出ながら美理愛は思った。優斗と自分は多くの人たちに尊敬されている。そう思えるだけの態度で皆が自分たちに接してくれている。だが尊敬と親しみは全く別物。店主の夏と自分への態度の違いがそれをはっきりと感じさせた。
 自分と優斗が求めていたものはどちらだったのだろう。それさえも忘れてしまっていた自分に美理愛は驚いた。