ニガータ防衛戦の勝利を祝っての宴、は今回開かれなかった。本隊を率いていた王国騎士兵団長が望まなかった事、そして、それに誰も文句を言わなかったからだ。
マリアたちは王国騎士兵団長と同様に勝利の喜びよりも、リオンに出し抜かれた事への悔しさの方が強く、宴なんて気分にはとてもなれない。出し抜いたほうのリオンは、宴の席などハナから出る気はない。開かれる事が無ければ、言い訳を考える手間が省けると大喜びだ。
それでもニガータの酒場はそれなりに賑わいを見せている。上の方がどう考えていようと、兵たちは勝った、というより生き残れた、幸せを祝いたいのだ。
そして、祝う気にはなれない者たちも、やはり集まって食事くらいはする。それはマリアたちも同じだ。
マリアたちの場合は、さすがに街の酒場というわけにはいかないし、そうするつもりも最初からない。領主館の食堂で、豪華な料理を前に並べて、静かに食事をしていた。
「……このままでは駄目よ」
しばらく沈黙が続いていた後、不意にマリアがこんな事を呟いた。誰もが心に思っていた事を、最初に口にしたのがマリアだったというだけだ。
「分かっている。魔人との戦いはこれで終わりではない。次こそは何とか活躍して」
「そうじゃないの。私たちが活躍するしないの問題じゃないの」
「どういう事だ?」
このままでは駄目という気持ちは同じはずなのだが、マリアはランスロットの言葉を否定してきた。
「このままでは魔神が復活してしまうかもしれない」
「……何だって?」
ランスロットは自分の耳を疑った。魔神の復活は王国の滅亡を意味する。そんな事にならない為にマリアはこの世界に来たはずなのだ。
「ストーリーが間違った方向に進んでいると思うの。リオンが活躍しても、私たちには何の力にもならないわ。これで先に進んでは、倒せる魔人も倒せなくなるかもしれない」
結局は自分が活躍しなくては、なのだ。最初にそれを否定したのは、それを自ら口にする事に抵抗があったからにすぎない。
「それは大問題ではないか?」
大問題という言葉を使うほど、ランスロットは脅威を感じている訳ではない。マリアの言葉を聞いて、逆に落ち着いたくらいだ。マリアの本心が、単にリオンを活躍させない事にあるのだと分かって、話を合わせる為に大袈裟にしているだけだ。この場にはアーノルド王太子も居る。ランスロットの態度は、アーノルド王太子へのポーズだった。
「そうなの。何とかして、ストーリーを元の流れに戻さないといけない。その方法を考えないと」
このマリアの言葉もアーノルド王太子を意識しての事だ。自分が活躍する為にと言えば、今のアーノルド王太子は協力してくれない。それはマリアにも分かっている。
「領地に戻せば良いだけではないか?」
「それだけで平気かな?」
魔人との戦いからリオンを外す。これはそれほど難しい事ではない。アーノルド王太子は反対するかもしれないが、そもそも一地方領主であるリオンを参戦させている方がおかしいのだ。
リオンを外すことには、王国騎士兵団長もまず間違いなく賛成する。そして他にも、これ以上、リオン一人に名を成さしめる事を良しとしない者たちが居るはずだ。
だが、この案にマリアは否定的な言葉を返した。そうしなければならない事情があるのだ。
「何か懸念があるのか?」
「領地に戻っても勝手に討伐しないかな?」
「いや、それはないだろう? 勝手に領地外に軍を出すことは禁じられている」
この時点でランスロットは、マリアが何を考えているのか分かっていない。当たり前の事として、マリアの不安を否定した。
「でも、他の領地が助けてって言ったら?」
「それは……まあ、出来るだろうな」
出来たとしても、それは隣の領地だけだ。討伐を必要としていない貴族が、王国の指示もなしに、他領の軍の通過を許す事はまずない。ランスロットは分かっているが、マリアがこれだけ拘るには何かあるのだと、完全に否定する事は止めておいた。こういう点で二人は見事に通じ合っている。
「ストーリーを変えないようにするには、彼には完全に戦いから引いてもらわないと」
「バンドゥ領主の座から外れると良いのだが」
ここでランスロットがとんでもない事を言い出した。普通の人の感覚ではだが。
「ランスロット、馬鹿な事を言うな」
そして、今のアーノルド王太子は普通の感覚を持っている。
「いや、俺だって出来ないとは分かっている。マリアに何かないかと言われても、何も思いつかないから、何も考えずに口にしただけだ」
何も考えていないわけではない。今のアーノルド王太子には、以前の様な非常識なやり方は通じないという事は、ランスロットは確かめられた。
「口にするのも問題だ。戦功をあげた者に報奨を与えるどころか、領地を取り上げるというのだ。王国の常識を問われる事になってしまうぞ」
「分かっている。他の人が居る前では、こんな馬鹿な事は言わない」
「そもそも、どうしてリオンを外す必要があるのだ? 彼のおかげで魔人討伐はうまく行っている。問題ないではないか」
「それはマリアが、このままでは不味いと」
ランスロットはまだリオンを外す良い口実を思いついていなかった。
「マリア?」
「それは……少し、いえ、かなりおかしいのよ」
マリアも同じ。リオンを追いやる決定的な理由は頭に浮かんでいない。仕方なく、問題点を説明する事にした。それについては、いくつか心当たりがある。
「おかしい?」
「今回の戦いでジェネラルクラスの魔物が出て来たわ。でも、そんな強い魔物が、この段階で現れるはずがないの」
魔物の最上位クラスが、この序盤で出て来た事には、事実、マリアは焦っている。
「だが、問題なく魔人は討ち取った」
「今回はそうよ。でもこの次は? 魔人も魔物も徐々に強くなっていくの。今回、ギリギリ勝てたとしても次は危ないわ」
「……リオンもまだ強くなりそうだが」
勝利に終わった今回の戦いにも、リオンは不満そうだった。自分の指揮、部隊の動きなど、まだまだ改善する点は多くあるとリオンは考えている。これをアーノルド王太子は知っている。
個人としてもそうだ。リオンの剣技はアーノルド王太子の目から見ても拙い。拙いが、才能がある事もまた分かる。実際に、リオンは行軍中の鍛錬でも確実に上達していた。
指揮官としても一人の武人としても、リオンはまだまだ成長するとアーノルド王太子は考えている。
「そういう問題じゃないのよ。強くならなければならないのは私たちなの」
「それはそうだ。一緒に強くなっていけば良い」
「だから、強くなる為には魔人を私たちが倒す必要があるの」
「……マリア。お前の言葉の意味が俺には分からない」
「最後の魔人を倒すには四属性の強力な魔法とそれを束ねる力を持つ者が必要なの。それが私たちなのよ」
いわゆるラスボス戦において、必須とされる条件が四属性の魔法を使える仲間が揃っている事だ。魔神の力を与えられた魔人は、飛び抜けた魔力を持っていて、各属性の最大魔法でもダメージを十分には与えられない。
そこで必要となるのが、最終奥義である究極魔法『フュージョン』だ。逆に言えば、それがあればラスボス戦は勝利間違いなし。当然、あくまでもゲームの上での話だ。
自分とアーノルド王太子、そして三侯の五人が活躍しなければならない。そう訴える為に、マリアはこの事実を知らせたのだが、それを受けたアーノルド王太子は別の可能性を考える事になった。
「魔法を束ねるというのはどういう意味だ?」
「奥義を身につけると、複数の属性を混ぜて、威力を高めたり、性質を変えたり出来るのよ。もちろん、誰にでも出来るものではないわ」
マリアは、自分しか出来ない、という事を知らせるつもりだったのだが、アーノルド王太子から予想外の言葉が返ってくる事になる。
「……それは、もしかしてリオンの魔法と同じようなものなのか?」
「えっ?」
墓穴を掘るとはこういう事を言うのだろう。マリアは、リオンの戦いを間近で見た事がない。複数属性を使える事は知っていても、リオンが属性を融合させている事まで知らなかったのだ。
「リオンの魔法は独特のものだ。水と火の複数属性を使えるという事では終わらずに、二つの属性を作用させて氷を作ってみせる。エアリエルの風属性魔法とも結びつけていたな。あれは威力を高めるという例か」
「……嘘」
マリアにとっては衝撃の事実だ。現時点でマリアは『フュージョン』を使えない。それを身につけるには、この先のいくつかのイベントをクリアする必要があった。
「束ねるとはあれの事なのか?」
「それは……」
マリアは何も答える事が出来ない。そうだと言えば、自分の存在価値が無くなってしまう。否定しようにも、では何が違うのかと聞かれれば、何も説明出来ない。
「マリアは四属性の全てを束ねると言ったのだ。仮に同じものだとしても、威力が違うのではないか?」
ここでランスロットが口を挟んできた。状況が悪い方向に進んでいるのを何とか止めようと考えての事だ。
「だが、もしシャルロットの魔法も融合出来れば、それで四属性だ」
つまり、この場に居る者が誰一人いなくても最後の魔人は倒せる事になる。これにはマリアだけでなく、ランスロットもエルウィンも内心で大焦りだ。
「……アーノルド。お前はそれで良いのか? それではお前も魔人討伐では無用の存在となってしまう」
「それがどうした? 結果として魔人を倒すことが出来れば良いのではないか?」
「それは、そうだが……」
アーノルド王太子の嫉妬心に火をつけようとしたランスロットだが、それは失敗に終わった。学院時代のアーノルド王太子とは違うのだ。
ヴィンセントの一件で、アーノルド王太子の評判は地に落ちた。英明であると称えられるどころか、将来の王国を心配する声まで出るような状況になったのだ。
その事で、当初はひどく落ち込んで自暴自棄になりかけたアーノルド王太子だったが、ある日、ふと、もう英明な王太子であろうと背伸びする必要がなくなったのだと気が付いた。それに気が付いた途端に力が抜け、視界が開けたような気持ちにまでなった。アーノルド王太子が混迷から抜けだせたきっかけがこれだ。
今のアーノルド王太子には自分が、という気持ちはない。自分より優れている者は素直に認めて、それを活かそうと考える心の余裕がある。
これは施政者としてあるべき心持ち、アーノルド王太子はやはり英明なのだ。
「魔人の脅威は国の大事だ。総力をあげて取り組むべきではないか?」
総力と言っているが、リオンに全てを任せれば良いくらいに、アーノルド王太子が考えている事は、もう誰もが分かっている。それは三人には決して認められない事だ。
「王太子殿下のそのお気持ちが伝われば良いのですが」
ずっと黙っていたエルウィンがここで口を開いた。何とか、リオンを排除する糸口を掴もうという所だ。
「……どういう事だ?」
「少々、失礼な物言いとなりますがよろしいですか?」
「構わない」
「では。フレイ男爵夫妻は王太子殿下を恨んでいないのでしょうか? 恨んでいて、いつか復讐をという思いは無いでしょうか?」
「それは……」
恨まれている自覚はアーノルド王太子には思いっきりある。最初は口を利くことさえ避けられていたくらいなのだ。
「その様な者の側に、王太子殿下がおられる事を、私は心配しております。そうでなくても、戦功をあげたからと余計な力を与えれば、その力を何のために使う事か」
アーノルド王太子の反応が上々と見て、エルウィンは更に言葉を重ねた。リオンの危険性を訴える事で、退けようという考えだ。
「…………」
エルウィンの言葉をアーノルド王太子は否定出来ない。恨んでいるのであれば、復讐を考えるのは当然。実際に自分はそうされるだけの事をした自覚がある。
「やはり、あの二人は危険なのです。辺境領主というのは、ヴィンセントの件の世間の不満を和らげる意味もありながら、それでいて力を持たせないという、考えに考えられた処遇なのではないかと私は思っております」
事実は全く違うのだが、この場合はどうでも良いことだ。エルウィンは、ただアーノルド王太子の危機感を煽るために、それらしい理由をつけているに過ぎない。
「エルウィンの言う通りだ。俺もあの男は危険だと思う」
形勢が一気に有利に傾いたとみて、ランスロットもエルウィンの話に乗っかってきた。リオンたちが恨んでいる事は間違いないのだから、この口実には、それなりに説得力がある。
「……そうだな」
「では?」
「やはり、触れないままで居るのは間違っていた。きちんと話し合うべきだった」
「アーノルド?」
ランスロットの求めた答えとは異なる言葉がアーノルド王太子の口から出て来た。
「すぐに解決する問題ではないが、だからといって逃げてはいけない。少しずつ話をしていかないと」
「……話すって」
引き離すつもりが、アーノルド王太子とリオンの距離を近づけてしまう結果になりそうだ。
「何処に居るかは、シャルロットに聞いている。すまないが、俺はこれで失礼する」
しかも、アーノルド王太子はすぐに行動を起こそうとしている。自分たちとの食事を切り上げてだ。
「い、いや、それは」
まさかの事態に戸惑うランスロットをその場に残して、アーノルド王太子は食堂から出て行ってしまった。アーノルド王太子とリオンの間には溝がある。だが、その幅は思っていたよりも、ずっと狭かった事を、ランスロットたちは思い知った。
「……大失敗です」
「お前が言うな。お前がリオンの事を危険だなどと言うから」
「ランスロットさんも乗っかりませんでしたか?」
「まさか、アーノルドがあんなことを言い出すとは思わなかった」
「行軍中に何かありましたか。だから言ったのです。我々も同行するべきだと」
目を離す事の危険性をエルウィンは訴えていた。それを退けたのは、ランスロットとマリアだ。エルウィンからしてみれば、ほら見たことか、という思いだ。
「同行していれば、活躍出来ていたというのか?」
「それは分かりません」
「では間違っていたとは言えないな」
「では、王太子殿下はどうするつもりなのですか? 王太子殿下があの男の味方につくような事になれば、我らはどうなるのです?」
「我らではなく、お前はだ」
「何ですって?」
「リオンとアーノルドが結びついて、一番困るのはお前だ。ウィンヒール侯家の次代はお前を飛ばして、二人の子になるかもしれないからな」
「…………」
エルウィンが恐れている事をランスロットは口にした。何の解決にもならないというのに。ランスロットも恐れているのだ。アーノルド王太子との関係がなくなれば、自分の次期侯爵の地位も危うくなる。この恐れを誤魔化すために、エルウィンにあたっているだけだ。
「喧嘩なんてしないで、何とかしないと」
マリアが仲裁に入ってきた。実際に喧嘩などしている場合ではない。状況はマリアにとって最悪に向かっている。王妃の夢が絶たれる大事だ。
「何とかと言っても、アーノルドがあの調子では」
「アーノルド様に頼る事が全てではないわ。他にも方法があるはずよ」
「アーノルド以外で? 一体誰を動かすというのだ?」
侯家の嫡子と言っても、ランスロットに他に伝手はない。実家を動かすにも、一度、失敗した身では次は許されない。ランスロットとしては慎重にならざるをえない。
「リオンに戦いの場にいてほしくない人は他にも大勢居るもの。そういう人たちと話し合えば良いわ」
「それは分かっている。だが、マリアがそれだけでは駄目だというから」
「ただ領地に戻すだけでは駄目だと言ったの。戦う力を奪った上で領地に戻す必要があるのよ」
「戦う力とは?」
「軍勢に決っているじゃない。バンドゥ領地軍を奪うの」
「そんな事は出来ない」
「それは、やってみないと分からないわよ。考えてみて。別にリオンが凄い訳じゃないの。彼の命令で戦う軍が強いのよ。その軍をリオンから奪って、私たちのものにするの。そうすれば、これからの戦いで私たちの活躍は間違いなしね」
「……それは」
マリアが初めて見せた、本質である悪女の姿。それにランスロットは呆気に取られている。マリアにはもう、そうしなければならない程、余裕がないという事だ。
「だって、あの軍勢はどう考えても私たちのものよ。鎧の色は四属性を表しているじゃない。それぞれが、自分の属性にあった色の軍を率いるの。どう、格好良いでしょ?」
「あ、ああ。だが、それには、やはりアーノルドを何とかしないと」
「それは平気。彼は王太子という身分に縛られているもの。自分の感情だけで行動する事は許されていないの。問題はシャルロットね。あの女こそ何とかしないと」
「……アーノルドがこちらに付けば」
「それでは面白くないわね。彼女、兄か弟はいないの? この際だから、彼女には引っ込んでもらって、跡継ぎを味方に引き入れましょう」
「それは無理だ。弟はまだ子供で、戦いに出す事なんてない」
「そう……。じゃあ、仕方がない。使いたくなかったけど、奥の手を使うわ」
「奥の手?」
「彼女には秘密があるの。あんな真面目ぶっている裏側で結構酷い事をしているのよ」
マリアの奥の手は自分を虐めていたという事実だ。ただ大人しく虐められていただけで、マリアがいるはずがないのだ。
「……そうか」
奥の手は気になるところだが、なんとなく怖くて、ランスロットは聞くことを止めておいた。ある意味正解だ。マリアはエアリエルが黒幕ではないと知っていながら、全員を騙したという事になる。
もっとも、すでに本性を現したマリアを見た後では、納得して終わるだけかもしれない。
「リオンは目立ち過ぎている。出る杭は打たれるのよ。目障りと思っている人物を利用して、魔人討伐から外させる。領地軍は、経験が必要だとでも言えば良いわ。リオンが困れば、理由なんて何でも良いという人物を利用するのだから」
「ああ」
「エルウィンくんも分かった? 頭で考えているだけじゃなくて、君も行動して」
「……はい」
マリアが二人に本性を見せたのは、そうしても、二人はもう引けないところまで来ていると思っているからだ。実際にそうだ。ランスロットもエルウィンも、マリアがどんな女であろうと、協力を拒む事は出来ない。それどころか、マリアの策を実現させる為に、積極的に動く事になる。