月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #62 非道

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 王城の奥にひっそりと立つ離れの塔。行き交う人はほとんどいない。その塔の中に豪奢な家具で彩られた一室がある。国王の妃であるエリザベートの寝室だ。
 本来であれば男子禁制であるその場所にアレックスはもう何度も通っている。この事実が表沙汰になれば間違いなく死罪。それが分かっていても、彼はそれを止めることが出来ない。それとは別に逃れられない過ちを犯してしまっているのだ。それでも口に出して言わざるを得ない。もう止めようと。

「エリザベート様、もう、こういったことは控えたほうが……」

「おや、どうしてですか?」

「これが公になれば私は、そしてエリザベート様もただでは済みませんよ」

「何を言っているのです? そなたはもう王に背いている。いまさら王に忠誠を戻しても手遅れですよ?」

 アレックスの忠告を聞き入れる様子はエリザベートにはまったくない。彼女はアレックス以上に国王を裏切っているのだ。裏切りと表現することは彼女は納得しないだろうが。

「それは分かっております。私が心配しているのは、このようなことで計画がとん挫してはならない。このことでございます」

「……その計画ですが、どのような状況なのです?」

「国内の魔族討伐はもうすぐ決着がつきます。それが終われば、いよいよ魔王領への侵攻です」

「……そうですか。そうなるとそなたもいよいよ出征ですね。長く王都を離れることになる。では尚更、それまで妾を楽しませておくれ」

「しかし」

「気の小さい男ですね。王になろうという者がそんなことでどうするのです? 良いですか? そなたはこの大陸を統べる王になるのですよ」

「大陸を統べる?」

 エリザベートが口にした言葉に戸惑うアレックス。大陸制覇など計画の中にはない。これまで話題にあがったこともないのだ。

「そうです。王になり、妾をないがしろにした貴族共を討ち滅ぼし、パルスをひとつにするのです。それが成った暁には、次は大陸制覇です」

「……そんなことは考えておりません」

「おや、パルスの王になるとはそういうことでしょう? かつてパルスはこの大陸の全てを統治していた」

「全てではございません。ドワーフの国も、それ以外にもいくつかの小国がございました。そもそもエリザベート様の母国も独立した国であったはずです」

「細かいことを……それに等しい栄華を誇っていたのは事実でしょう。パルスに逆らえる国など他になかった。それは全てを統治していると同じことです」

「そうかもしれませんが……」

「その栄華を取り戻すのです。他ならぬ、そなたの力で」

「私の力で?」

「そうです。それを行ってこそ、そなたはローズマリーの夫に相応しい」

「しかし私はそのローズマリー様も……」

 アレックスはそのローズマリーも裏切っている。彼女の母とこんな関係になってしまっているのだ。今更ながら自分が犯してしまった罪がアレックスは恐ろしい。

「今だけです。王になれば妾との関係も終わり。そのあとは、我が娘ローズマリーの良き夫として、良き王として励むのです」

「……はい」

「おや? 妾との関係を終わらすのは嫌ですか?」

「…………」

 答える言葉など出てこない。どう答えれば良いかアレックスには分からないのだ。
 嫌といえばこの先ずっとローズマリーを裏切り続けることになる。そんなことはないと言えば、エリザベートは自分を恨む。そういう人だとアレックスは考えている。娘よりも自分が大切なのだと。

「そなたが望むのであれば私はかまいませんよ。でも、それだとローズマリーが少し可哀そうですね」

 娘が可哀そうと言いながら、エリザベートはそっとアレックスにしなだれかかってくる。全身に漂うエリザベートの色香。とてもそれは娘を気にする母のそれではない。
 そしてそれに逆らえないアレックスがいる。魔性の女。彼女以上にこの言葉が相応しい女性は他にいない。そう思う。

「私は……」

「別に今それを考える必要はありませんね。勇者が戻ってくるのはいつ頃ですか?」

「……順調に行けば、あと半年ほどです」

「そうですか。その時の準備は出来ていますね?」

「はい。仲間の同意は既に取れています。しかし、本当に良いのでしょうか?」

「元々そなたも考えていたことでしょう? あの者は邪魔だと。そしていざという時の材料も手に入れた。何度も同じ言葉を繰り返すのは妾の趣味ではないが、今更ですよ」

 エリザベートが言うあの者とはグランのこと。グランは邪魔な存在だ。アレックスもそう思っていた。
 グランは、アレックスがローズマリーを娶って、王になることを決して認めようとしない。グランは計画通り、あくまでも勇者を王として立てようとするはずだ。
 そうなればアレックスとグランは対立する。それを防ぐためには、グランを計画から除くしかない。そしてその準備もすでに出来ている。
 勇者と共にグランが王都に戻れば、それはすぐに実行される。それももう半年以内のことだ。アレックスはまた一人裏切ろうとしているのだ。

「勇者と共にグラン殿が戻った時点で、彼を拘束します」

「それで良い」

「王は? 計画がうまく進んだとして王は果たして私を認めてくれるのでしょうか?」

 グランを拘束した後の計画も既に出来上がっている。その中でやはり最大の問題はアレックスとローズマリーの結婚を国王が認めるのかということ。いくらアレックスが魔王を倒した功績を持って国王に願い出たとしても、そんな簡単に認められるはずはない。下手をすれば国王は計画の裏を見抜くかもしれない。そうなればアレックスたちは破滅だ。

「それは妾に任せるようにと言ったはずですよ」

「しかし……」

 任せろと言われてもエリザベートに何が出来るのか。国王とエリザベートの関係は冷え込んでいる。エリザベートが嫁いだ時からそうなのだ。国王の気持ちはずっと亡くなったソフィアに向けられている。これは王城で仕えている者ではあれば誰でも知っている事実だ。

「妾は任せろと言いました。その妾の言葉を疑うのですか?」

「いえ、そのようなことは」

「ふん。そなたが先ほどから、あまりに情けないことばかり言うから妾の気持ちは削がれました。もう今日は帰るが良い」

「はっ」

 エリザベートの言葉にほっとするアレックス。魔性に魅入られた自分が時々道化のように思えることがある。この女性に操られ、踊らされているだけの存在だと。
 そんなはずはない。例えそうだとしても、それは王になるまでの我慢だ。王になってしまえば、この国は自分の物。他の者に自由にさせるつもりはない。その度にこんな風に否定する。
 部屋を出るときに、かすかに聞こえたエリザベートのつぶやき。「兄者であれば……」、たしかにそう聞こえた。
エリザベートには三人の兄がいる。何故、今その兄が出てくるのか。「兄者であれば」とはどういう意味なのか。
答えが出ないその問いがアレックスの頭に浮かぶ。何故かそれに無性に心が騒いだのだ。

◆◆◆

 応接のソファーに座り、お茶のカップを手にしながら、報告の中身をおさらいしてみる。
 ユート・キリュウ。年齢は二十歳前後。背が高く端正な顔立ち。その外見と人柄で国民からの人気は絶大。魔法はやや苦手とのことだが、それはあくまでも本人にとってであって、その魔力は一般人を遙かに凌駕する。剣の腕は抜群。実戦をこなす中で今ではパルス最高の剣士と言われる近衛第一大隊長のアレックスを超えているのではとの話だ。この世界に来てわずか二年と少し。そんな短期間でパルス最強と言われるまでに成長を遂げたそれは、さすがに勇者ということか。

(……気分が悪いな。顔立ちくらいは互角かもしれない。でもそんなものは何の意味もない)

 ユーロンで求められるのは力。剣も魔法も、彼が喉から手が出るくらいに欲しがっていた才能というものを勇者は持っている。
 一緒にいる聖女。ミリア・サイジョウも同じ。ただそれについてはあまり気にしない。女性がどれだけ頑張っても、ユーロン王国で認められることはない。彼の嫉妬の対象にはならない。

(嫉妬か……いったい僕は何人に嫉妬すれば良いのだろうな)

 ユーロン王家に生まれながら剣も魔法もさっぱり。長兄と次兄がそれぞれ優秀であることも周りの彼への蔑みに拍車をかけた。ユーロン王家の落ちこぼれ。お情けで領土を分けてもらってそこの国王になっているが、ユーロン王国の正式名称は今も変わらずユーロン双王国。長兄と次兄の治める国ということだ。実際には父王がその上に立って統治しているので、長兄と次兄も完全な王というわけではないが、それでも彼一人が蚊帳の外であることは間違いない。
 彼の領土は二人が治める領土の三分の一、全体の三分の一ではない。長兄の国、次兄の国、それぞれの領土と比較して三分の一なのだ。

(ユーロン王家は優れた者だけが王を継ぐ資格がある。それは立派な考えだ。でもね、父上。剣と魔法だけが全てじゃない。それを僕が分からせてあげるよ)

「……様」

(完璧無比に見える勇者に見えるただ一つの傷。さてこれをどう扱えばいいのかな)

「……ロ様。ネロ様」

「ん?」

 自分の名を呼ぶ声で、ネロは深い思考から引き戻された。

「あの聞いておられますか?」

「ああ、ごめん。少し考え事をしていた。君の報告についてね」

 ネロの名を呼んだ相手は、勇者についての情報を持ってきた者、ユーロン双国の貴族だ。

「そうですか。いかがでしょう。ネロ様のお役に立てそうですか?」

「そうだね……ねえ、この勇者は心が弱いってのは具体的にどういう事かな?」

「ああ、それですね。その件は私の手の者が苦労して手に入れた情報です」

「そう。それはありがとう。それで?」

 実際に苦労したかなど分からない。単に自分の持ち込んだ情報の価値を高める為の嘘かもしれないが、そんなことを追及する必要はない。相手を喜ばせることが今は必要なのだ。

「はい。魔族との戦いの中で何度か勇者におかしな様子が見られたとの事です」

「具体的には?」

「戦いの後に一人で落ち込んでいたり、言動にも少しおかしな点があったと」

「……あまり具体的じゃないね」

 この説明では何も分からない。さすがにこれを褒めるわけにはいかない。

「すみません。ひとつひとつの言動までは……ただ、そうですね、戦いに初めて出た者がよく起こす症状に似ていると」

「実際、勇者も戦いの経験はそんなにないでしょ?」

「兵の多くは何度かの戦いを経験する中でそれを克服していきます。でも勇者の様子はとても克服しているとは思えないものがあると。それどころか最近では戦いの後にほとんど姿を見せる事はなくなったようです」

「……そう。戦いに向いていないのかな?」

「そうかもしれません」

「勇者なのに?」

「まあ、勇者なんて呼ばれていますが、何処の誰ともしれない異世界人ですから」

「そうだね」

 力はあっても性格が戦いに向いていない。その可能性はあるかもしれない。ただ問題はそれをどう利用するかだ。
 心の弱さをどう攻めるか。その結果、どうなるか。上手く行き過ぎれば、壊れてしまう可能性もある。そうなった人をネロは知っている。
 それでは魔王との戦いはどうなってしまうのか。どうでも良いとネロは判断した。彼は魔族に脅威を感じていないのだ。

「うん、ありがとう。良い報告だった」

「そうですか!? それで私の娘は?」

「そうだね。この情報はすごく有用かもしれない。僕の役に立つ結果になれば、王妃の座にかなり近づいたかな?」

 相手がネロの為に行動しているのはこの為だ。本人はまったく満足していなくても王は王。その妻は王妃なのだ。

「本当ですか!? いや、でも……本当に私程度の爵位の家の娘が王妃になれるのでしょうか?」

 彼の爵位は男爵。最下級の爵位だ。

「嫌だな。何度も言っているじゃないか。僕は剣も魔法もさっぱり、王家の落ちこぼれだ」

「いえ、そんなことは……」

「いいんだよ。そのことは僕が一番分かっている。そんな僕の伴侶は優秀な家の者じゃなきゃならない。僕を支えてくれるだけの力がある家だね。だから家柄なんて関係なしに一番貢献してくれた家から王妃を選ぼうと思っているんだ」

「では本当に我が家の娘が?」

「そうだね。有力候補であるのは確か。でもすぐにという訳にはいかないよ。父王の許しを得ないと。まったく、親っていうのはそんなに末っ子が可愛いのかな? 僕もいい年なのに今だに王妃を認めてくれないなんて」

 これは嘘だ。父王がネロに甘いはずがない。そうであればもっと待遇は良くなるはずだ。だが、こんなことも相手は分からない。分からないから利用されるのだ。

「まあ、そんなものです。私自身も末っ子にはどうしても甘くなってしまいます」

「そうなんだ。僕も早くそういう気持ちを知りたいものだ。その為にも頑張ってね」

「はい。これからもネロ様のお役に立つよう一族をあげて頑張ります」

 そしてこういう言葉をネロに向ける小貴族はこの男だけではない。他にもいるのだ。これもこの男は分かっていない。

「ネロ様……例の件が済みました」

 応接室に侍女が現れて、ネロにこう告げる。これだけでネロには何のことか分かる。

「さて、次の予定があるみたいだ。すまないが、僕はこれで失礼するよ。君、男爵を玄関までお送りして」

「承知いたしました」

 話を終わらせるには良い機会だ。そう考えてネロは予定があることにして、男爵を追い返した。

 

◆◆◆

 部屋の外から足音が聞こえてくる。人族の皮をかぶった化け物がここへと続く階段を下りている音。二度と顔などあわせたくない。でも、それは許されない。両手両足、首にまでつながれた鎖。それが彼女の自由を奪っている。
 やがて足音は部屋の前で止まり、ゆっくりと扉が開かれた。

「やあ、無事に生まれたみたいだね」

「…………」

「無視はひどいな。これでも心配してたんだよ。僕たちの子供が無事に生まれてくるか」

「化け物に親としての気持ちなどないだろう?」

「相変わらず口が悪いな。君と僕との間には……何人だっけ? とにかく何人もの子供がいるんだよ? もうそろそろ打ち解けてくれてもいいのじゃないかな? ……それで何人だっけ?」

「……十人」

「そう。もうそんなになったのか。じゃあ名前は二の十だから、ニジだね。僕たちの新しい子供の名前はニジだ」

「何が名前だ……」

 二は彼女のことで十はただ生まれた順番。二の十でニジ、ただ番号を縮めているに過ぎない。

「あれ? 気に入らなかった? じゃあ、好きな名前をと言いたいところだけど、覚えられなくなるから、それは駄目」

「なんと名付けても覚えていないくせに」

「……まあね。沢山いすぎて顔と名前なんて一致しないよ。でもそれは子供たちに悪いな。そうだな、今度から名札を付けることにしよう。そうすれば覚えてなくても呼ぶことは出来る」

「妾の子供を返せ」

「僕の子供でもある」

「子供などと思っていないくせに」

「思っているよ。彼等は僕を裏切らない。何といっても実の父親だからね。そういう存在は僕にとってはすごく大事だ。僕には、そういう人ほとんどいないから」

 ネロにとって子供の価値は裏切らないということだけ。ただこれは彼本人の問題だ。彼は他人を信用していない。だから他人でない存在を求めるのだ。

「子供たちをどうするつもりだ?」

「またそれ? 何度、同じことを聞けば気が済むのかな? 大切に育てるつもりだよ。彼等は皆、僕とは違って優れた魔力を持っている。僕にとっては大切な戦力だ」

「それは子供を戦の道具にするってことだ」

「戦いに使う頃にはもう少し大人になっているよ。君たちの血を引いているせいか、成長が早いからね」

「化け物」

「またそれかい? 良い加減にしないといくら温和な僕でも怒るよ。そもそも化け物は君たちじゃないか。僕は人族、淫魔である君たちの方が僕からみたら化け物だ」

 ネロの子供を産んだ彼女は人族ではない。淫魔と呼ばれる魔族だ。

「その淫魔を孕ませるお主は、化け物じゃなくて何なのだ?」

「あれ? そこは感謝するところでしょ。生殖機能のないはずの君たちに腹を痛めて子供を産ませてやってるんだよ。実際、君の妹は涙を流して喜んでた」

 ネロの言う通り、本来淫魔である彼女に子供を産む能力はない。無いはずなのに、ネロが相手だと何故か子供が出来てしまう。
 それに対して、当初は確かに喜んだ。淫魔などと呼ばれていても、それは普通に子孫を残す為の行為。だがその淫魔の行為は一般には、ただ精をむさぼる為、欲に溺れさせて人を堕落させる為のものと考えられている。それが彼女、彼等には屈辱だった。
 そんな自分たちでも子を産めると分かった時、彼女の妹が子供を孕んで、そして実際に子供が生まれた時、彼女たちは歓喜に包まれた。
 だがその喜びは長くは続かなかった。
 ネロは自分の子供を産ませた淫魔を騙し、仲間たちを次々と拘束していった。淫魔の長である彼女もその中の一人。淫魔としての能力が一切通じないネロは彼女たちにとってまさに天敵だった。
 かなりの淫魔がすでにただネロの子供を産むだけの道具にされている。そして生まれた子供たちも、さきほどの話では戦いの道具に使われることになる。
 一族の望みであった自ら腹を痛めて生んだ子供たちが、憎いネロの道具として使われる。それがどんなに許しがたいことであっても、彼女にはそれを防ぐことが出来ない。

「感謝などしておらん」

「でも君の妹は……」

「妾に妹などおらん!」

 一族を裏切った仲間のことなどもう妹とは思っていない。そもそも淫魔には特定の者への血の繋がりなどない。淫魔全てが他人であり、淫魔全てが家族と言える。妹はただ力の序列で妹と呼ばれていただけなのだ。そう彼女は割り切ろうとしている。

「いるでしょ? 血を分けたって言えるか知らないけど妹が。そう言えば僕にも妹がいるんだ。妹って可愛いんだよね」

「何が可愛いだ。化け物の妹は所詮化け物だ」

「……さすがに妹を化け物呼ばわりされるのは許せないな。妹は兄妹の中で唯一僕に優しくしてくれた。それが嬉しくて僕も妹を可愛がってあげてたんだよ。僕にとって、この世の中で唯一信じられる者がいるとしたら妹がそれなんだよ」

「可愛がる? ああ、妹にも手を出していたのだったな。まさにケダモノの所業だな」

「……何で知っている?」

「はっ! まさか本当に妹を犯したのか?」

「……君、殺されたいの?」

「殺したければ殺せ」

「……はぁん。そういうことか。わざと僕を怒らせて殺させようとしているね? そんなことは許さないよ。君にはまだまだ僕の子供を産んでもらわないと」

 この状況から解放される為に、彼女は死を望んでいる。そうネロは考えた。だがこれは勘違いだ。わざわざ殺される必要はない。彼女はもう間もなく死ぬ。
 子供を産んだ時に何かがごっそりと抜け落ちたのが分かった。初めての感覚ではない。子供を産むたびに命が失われていく。そして今回で最後だ。
 死は恐くない。解放される喜びのほうが大きい。このまま続けば、やがて淫魔はネロによって死滅することになるかもしれない。もともと子孫を残す術を持たない彼女たち。それが他種族を苦しめて、生きながらえてきたのだ。その罪が自分たちを滅ぼすのだと思えば、素直にそれを受け入れることができる。
 唯一の心残りは残される子供たちのこと。彼等の身に平穏な死が訪れることを望むくらしか彼女には出来ない。

「さて、じゃあ早速始めようか。次の子供を産んでもらわないとね」

「…………」

「……あれ? どうした? ほら精を与えてやるんだよ。元気になれるだろ?」

 それは普通の相手であればの話、ネロのそれは毒でしかない。

「なあ? おい? 何か話せよ」

「…………」

「おい!?」

 彼女は望み通り、息を引き取った。最後に願ったのは妹にも死が訪れること。安らかである必要はない。一日も早い死が、それだけ仲間の命を救うのだ。