幾本もの木々が整然と立ち並ぶ緑豊かなその場所はウェヌス王都の墓地。木々の間には白い墓石が、これもまた整然と並んでいる。
人気のないその場所に一人佇む男の姿があった。漆黒の髪、どこにでもいそうな商人の様な姿をしたその男は、グレンだ。
墓石にフローラが好きだった花を添えて、何度も刻まれた文字をなぞっている。
「……タカノなんだよな。埋めた方が良いかな?」
こんなくだらないことを呟いていても、その瞳には深い悲しみが宿っていた。
王都に来て分かったのは、どうやらフローラが身投げしたらしいという事実。さすがにその理由までは分からなかった。それを知るのはフローラ本人と、恐らく健太郎くらいだろうとは分かっていても、さすがに健太郎に会うことはしなかった。
そもそも城内にいる健太郎に会う術がない。仮にそれがあったとしても、出会った瞬間に剣を合わせることになる。グレンは勇者である健太郎に確実に勝てる自信を持っていない。
一対一で勝てないのであれば、軍事か謀でということになる。それを行う為には、まずはゼクソン王国に戻る必要があった。
何度か訪れたこの場所に来るのも、今日が最後のつもりだ。
城内のことを調べる為にグレンもさすがに動き過ぎた。伝手という伝手を辿って、城内にいる侍女に情報を集めてもらった。口止めはしているが、いつまでも隠しておくことは出来ないだろう。やがてグレンが王都にいることが、知られてはいけない人間に伝わるのは明らかだ。
明日、王都を発ってゼクソンに戻る。こう決めて最後の別れのつもりで、この場に来ていた。
いつまでもこの場にいたい気持ちはあるが、それを無理やりに押し込めて、グレンは墓地の出口へと向かう。
誰もいなかった墓地にいつの間にか別の者がきて、墓石に向かって頭を垂れていた。それにあまり視線を向けない様にして通り過ぎようとしたグレンだったが。
「グレン?」
聞き覚えのある声に足を止めて、振り返った。
赤茶けた髪をした女。深く被った帽子の隙間から、流れる涙が見えた。
「……ローズ?」
「やっぱり、グレンなのね!?」
「生きていたのか!?」
「……それは私の台詞よ。全く君って男は。でも……生きていたのね?」
泣き顔だったローズの顔に苦笑いが浮かんでいる。苦笑いであっても笑いであることには違いない。
「ああ。捕まって捕虜になっていた」
「そう。解放されたの?」
「一時的にというのが正しいのかな?」
「どういうこと?」
「フローラのことを調べにきた」
「……そう、そうよね、だからここにいるのよね?」
フローラの名が出たことで、ローズの表情が陰ってしまう。
「ああ。ローズは?」
「フローラの墓を何度も訪れている人がいるって聞いて。黒髪だから、最初は勇者かと思ったのだけど、そうじゃないって言うから」
「見張っているのか?」
「元々は勇者を張っていて見つけたの。お墓……」
「戻ったんだな?」
ローズの話には手助けする仲間の存在が表れている。その仲間が何者かとなれば、元からの仲間と考えるのが普通だ。
「そう。自分一人の力じゃあ、どうにも出来ないと思って。でも……ごめんなさい。私はフローラを守れなかった……」
「謝るなよ。ローズが懸命に連れて行かれるのに抵抗した話は聞いている。それに、その為に……」
「ちょっとね。もう平気よ」
「そうか……今はどこに?」
深く話す内容ではないと考えてグレンは話題を変えた。
「裏町の別の場所に拠点を設けているの。小さな拠点だけどね。グレンは?」
「俺は宿屋にいた。でも明日、王都を発つつもりだ。ゼクソンに戻らなければならない。必ず戻ると言って解放されたからな。約束は守らないと」
「ゼクソン王国に仕えるの?」
「そうなるかもしれない。でも分からない。そこまでの約束はしていない」
「……ゼクソンで何をする気?」
フローラのことを調べて、それで終わりのはずがない。尋ねていても、ローズにはグレンが何をするつもりか分かっている。
「ウェヌス王国を滅ぼす」
特に気負った様子もなく、グレンはこれを口にした。ローズの思っていた通りの答えだ。
「やっぱり……そうなると思ったわよ」
「ローズも来るだろ?」
「えっ?」
「だってこうして会えたわけだし。それで別れるのはおかしいだろ?」
「でも私は……」
フローラを守れなかった。その負い目がローズにはある。フローラを死なせてしまい、自分だけがグレンの側にいるということへの後ろめたさも。
「ローズ。俺は気にしないから」
「私は約束を守れなかったわ」
「それも気にしない」
「……それも?」
「いや、その、あれだ……ちょっと乱暴されたからって、無理やりだったわけだし、それに一度くらい、そんな事があっても……ほら」
ローズに気を使って言葉を選びすぎていて、ちゃんとした台詞になっていない。
「……何を言っているの?」
「だから……クズ共に無理やり、犯されたからって」
「されてないから!」
グレンの勘違いをローズは全力で否定した。ローズにとっては間違ってもされたくない勘違いだ。
「あれ? でも無理やり乱暴されたって」
「ちょっと違う。乱暴はされた。何度も平手打ちをくらったし拳でも殴られたわよ。でもそこまで」
「……そうか。それは良くないけど良かった。よし、とりあえず、そいつを殺しに行こう」
ホッとした気持ちは一瞬のこと。すぐに怒りがグレンの心を満たした。女性であるローズの顔を殴るような男をグレンは許す気にはならない。
「ちょっと」
「いや、何だか直接聞くと無性に腹が立った。女性を殴るってあり得ないだろ?」
「そうね」
「だから殺そう。そういう奴にはきっちりと落とし前をつけておかないと」
「ああ、平気。もう殺っちゃったから」
「えっ?」
許すはずがないのはローズも同じだった。
「きっちりと闇討ちしておいたから。私がされた何倍もボコボコにした上で、絶対に解けないようにぐるぐる巻きにして川に流したわ。もう川の中で骨になっているんじゃない?」
「……さすが」
グレンも文句の付けようがない見事の復讐方法だ。
「ねえ」
「何?」
「本当に一緒に行って良いの?」
フローラに対する後ろめたさはあっても、やはりグレンと離れたくないという想いは強い。グレンに誘われてはその想いは抑えられなくなってしまう。
「当たり前だろ?」
「えっと……今度はさすがに一人ってわけには」
「ああ、仲間か……盗賊だよな?」
盗賊をゼクソン王国に連れていくのは、さすがにグレンも抵抗がある。
「一応選別したわよ。本当に信頼出来る者が数人。他もそれなりに心意気があって、盗賊に落ち切っていない人たち」
「それなら平気だな。でも、その人たち付いて来るか? 言っておくけど付いてくる以上は俺にも従ってもらうけど」
「それは大丈夫だと思うわよ。なんと言っても資金主だからね」
グレンが聞き捨てならない単語がローズの口から漏れ出した。
「……今、気になること言わなかったか?」
「ごめん。ちょっと使っちゃった」
「まさか、俺が貯めていた金を?」
「だって死んじゃったって一応は聞いたし、そうでなくてもフローラの為に使うのだから良いかなと思って」
「……まあ、仕方がない面はある」
フローラの為に使ったと言われれば、グレンも文句は言えない。そうでなくてもローズであれば余程変な使い方をしていない限り、文句は言わない。
「ていうか、貯めこみ過ぎよ。あれだけのお金があるなら、いつでも逃げられたわよ?」
「そんなにあったか? あっ! まさか、あれを使ったのか?」
「あれって?」
「両親が残してくれたお金」
「分からない。お金の区別なんてつかないもの」
「……赤い袋に入っていたはず」
「あっ、それ」
「やっぱり……フローラが結婚する時の持参金のつもりだった金だ」
「あんなに?」
両親の遺産といえるお金は、ローズが驚くほどの金額だった。
「どんな相手をフローラが選ぼうと恥をかかないだけの持参金を持たせようと思って」
「……大嫌いな貴族にも嫁入りできそうな額だったけど?」
「俺は大嫌いだけど、フローラがどうしてもと言ったら、反対出来ないだろ?」
「シスコンも極まれり」
色々と物入りであった中で、フローラの結婚資金を優先してキープしておく。いくらなんでもやり過ぎだ。
「まだ極めてはいない。妹の仇討で国を滅ぼして始めてそれが言えるな」
「それで滅ぼされるウェヌスって……」
「そのつもりだってだけだ。実際に出来るかは分からない……普通は出来ないな」
「でも君は普通じゃないから、出来てしまうのよね」
「一緒に来るかとは聞いたけど、辛い生活になる」
大国ウェヌスを復讐相手と定めての暮らしだ。穏やかなものになるはずがない。
「それくらいが何よ。忘れたの? 私は君に夢中なのよ」
「……久しぶりに聞いた。やっぱり良いな。それ」
グレンは一歩踏み出して、ローズとの距離を縮めた。
「……グレン。ここでは」
ローズの躊躇いの言葉を無視して、グレンは強引に彼女の腕を引っ張って、近くの木の影に移動する。
「木の陰に隠れたからって……すぐ近くでフローラは眠っているのよ」
「違うから。誰か来た」
「えっ……」
ローズは木の陰からそっと入り口のほうを覗き込む。確かに人が近づいてきている。
黒一色の装いのベールを被った女性。そしてその女性を支えるようにして、隣を歩く侍女の姿をした女性。さらにその周囲には数人の騎士がいる。
その集団に見つからないように木の陰に隠れながら、さらに奥へと移動するグレンたち。
「何者?」
「……多分……メアリー王女だ」
「えっ?」
少し遠目でも、ベールで顔を隠していてもグレンにはその女性がメアリー王女だと分かった。そして隣にいるのがミス・コレットであることも。
時折ふらつき、それをミス・コレットに支えられながら歩くメアリー王女。もともとスリムだった体。それが今は病的に痩せ細っているのが分かった。
「……フローラの」
「しっ。静かに」
メアリー王女が立ち止まったのはフローラの墓の前。頭を垂れて、その場に立ち尽くしているメアリー王女。その口から嗚咽が漏れ始めた。
「……ご、ごめんなさい……私が……私が、しっかりしていたら、こんなことには……」
謝罪と後悔の言葉。その理由がグレンには分からない。
「メアリー様のせいではございません」
「で、でも……私が、支えてあげられれば……彼女は……」
「ご自分を責めないで下さい。傷つかれていたのは貴女様も同じ。私たちはメアリー様が彼女と同じ道を辿ろうとしないか、今も心配しているのですよ?」
ミス・コレットの話を聞いて、グレンの顔が歪められた。メアリー王女が、自殺したフローラと同じくらいに傷ついた原因。それもまたフローラと同じだと分かってしまった。
「もう戻りましょう。これ以上の無理は、お体の毒です」
「…………」
「さっ、帰りますよ」
黙ったままのメアリー王女の腕を無理矢理引いて、ミス・コレットは出口に向かって歩き出す。それにメアリー王女は逆らうことはしない。その気がないのか、それが出来ないくらいに弱っているのか。
「……知らせてあげなくて良いの?」
ローズもメアリー王女が何故、あの様に弱っているのか分かっている。
「……あの方は……ウェヌス王国の王女だ」
「グレンが望めば、きっと誰にも話すことはないわ」
「それをすれば、あの方は臣民を裏切ることになる」
ウェヌス王国はグレンの敵。ウェヌス王国から見れば、グレンは許されざる裏切り者になるはずだ。そうならないようでは、フローラの敵討ちなど出来ない。
その敵の秘密を守るような真似を、メアリー王女にさせたくない。グレンはそう思っている。
「……じゃあ、復讐の第一歩として王国の王女を攫っちゃう?」
「……馬鹿」
「あっ、今、間があった」
「ふざけている時間があったら、もう行こう」
「良いの?」
「だから……」
「そうじゃない。次はいつ来られるか分からないのよ?」
王都を離れれば、次にこの場を訪れられるのはいつになるか分からない。二度と来ることは出来ないかもしれない。その可能性のほうが高いのだ。
フローラとの別れを惜しむ時間。グレンにはもっとその時間が必要なのではないかとローズは思った。
「大丈夫。俺は……泣けないんだ。フローラの死が事実だと知って、すごく悲しくて辛いのに涙が出ない」
フローラの死を悲しめていない。グレンはそんな自分が信じられなかった。
「グレン……」
「俺は冷たい人間なのかもしれない」
そうでないことはグレンの瞳を見れば分かる。時折見せた笑み。表情は笑っていても、その瞳の奥にはずっと暗い影が残ったまま。どこか正気を失っているようにもローズには見える。
悲しみ方が違うだけ。涙が流せないのは、より悲しみが深いから。そうローズは思っている。
「グレン……大丈夫よ。貴方は冷たい人間なんかじゃない」
ローズの手がグレンの頬に伸ばされる。包み込むように両手で頬を挟むと、ローズは顔を近づけてグレンの瞳を見つめた。
「……良いのよ。もう我慢しなくても。ずっと……ご両親が亡くなってから、ずっと耐えてきたのよね?」
グレンには涙が必要だ。フローラの死を悼む気持ちはよく分かる。だがそのせいで、グレンが正気を失うような事態になってはいけない。それをさせないのが、生きている自分の責任だとローズは考えている。
「……ローズ?」
「もう良いの。弱音を吐いても良いの。悲しければ、辛ければ泣いても良いの」
こう言うとローズはグレンの頭を抱きかかえた。
自然と地面に跪く体勢になったグレン。少し躊躇いながらも、その腕をローズの背中に回していく。
「……くっ……ぐっ……んぐっ」
やがて漏れ聞こえてきたグレンのくぐもった声。グレンの瞳から流れる涙がローズの服を濡らしていく。
夕日に伸びる二人の影。それが夕闇で消えるまで、ずっと二人の重なり合う姿は墓地にあり続けた。
◆◆◆
グレンが泊まっていた裏町の宿屋で一晩を過ごして、二人はローズの仲間がいるアジトに向かった。場所はすぐ近くだ。裏町はそれほど広い場所ではない。
まだ早い朝の冷えた空気を吸い込んで、グレンは大きく伸びをした。
「ああ、何だか少し生き返った気分だな」
「私は死にそう。まだ腰が抜けて……もう恥かしいこと言わせないでよ!」
「勝手に口に出したくせに」
「……ケダモノ」
「ちょっと違うけど? 獣じゃなかった?」
「君は優しくしてくれる時と荒々しい時の差が激しいの」
久しぶりの逢瀬は、ローズが文句を言うくらいの激しさだった。
「そんな乱暴だった?」
「昨日は交互。それで、もう私おかしく……言わせないで」
「だから自分で勝手に」
「もう嫌。変なことを口にするようになったわ。昨日の余韻でまだ頭が……だから言わせないで」
「あのさ……」
変なことを口走っているローズ。だが本当に無意識なのかは怪しいとグレンは思っている。
ローズはこんな言い方をしているが、昨夜のグレンは、フローラを失った悲しみをそのままローズにぶつけてしまっていた。悲しみを忘れるためにローズの体に溺れようとしたのだ。
またローズに甘え、傷つけてしまったかもしれない。こんな自分の罪悪感をローズはふざけることで消そうとしているのではないかと。
「しばらく黙っている」
「……それが良いかも。ああ、じゃあ、俺から言っておく」
「何?」
「ローズがいてくれて良かった。フローラも好き、ローズも好きなんて、いい加減な自分に落ち込んだ時もあったけど、今はそれで助かったと思えている」
「それって」
「ローズがいてくれるおかげで、フローラを失った悲しみが半分になった。ちょっと違うか。悲しい気持ちばかりだった俺の中にローズに会えたって喜びが生まれて、一晩過ごして、それが少し大きくなった」
フローラがずっとグレンにとっての救いだった。今、ローズが自分の気持ちを支えてくれている。このことにグレンは感謝している。
「……それは喜んで良いのかな?」
「どうかな? 正直、俺も分からない。フローラを失ったからローズがただ一人の好きな人っていう気持ちには……ごめん」
「ううん。いきなりそう言われたら私が怒るところよ。そういうこと、あんまり考えなくて良いから。君は君がやるべきことをやれば良いの」
「……ありがとう」
ローズの出来た女っぷりにますます嬉しくなるグレンだった。
「さあ、着いた」
「……お店?」
ローズが指し示した建物には雑貨屋を示す看板が吊るされていた。
「振りだけよ。お客なんて、滅多に来ないわ」
「へえ。宿屋とか、普通の家だと思っていた」
「普通の家に何人も出入りしていたら怪しまれるでしょ。宿屋は許可を取るのが難しいの。いかにもって感じでしょ?」
「なるほど」
「さあ、入りましょうか」
そう言いながらも、ローズは入り口の前で、少し躊躇う様子を見せて中の様子を探っている。
「何している?」
「その……無断外泊だから」
「今更?」
「別に平気よ。さあ、入りましょう」
入り口の扉に鍵が掛かっている様子はなく、ローズが手で押すと、そのまま内側に開いた。
足を忍ばせて、建物の中に入ったローズだったが、すぐに中から叱責する声が飛ぶ。
「姫! 何をしていたのですか!?」
「あっ、ちょっと」
「ちょっとではございません! 何かあったのではないかと皆心配しておりました!」
「もう、子供じゃないのよ! 余計な心配よ!」
「心配して何が悪いのです!」
そのやり取りを聞いて、グレンは中に入ることを躊躇ってしまう。ローズが怒られている原因は自分なのだ。
「静かにしてよ。近所迷惑よ」
「……姫が怒らすようなことをなさるからです」
「えっと、人を連れてきたの」
「何と!?」
「入って」
扉から顔を覗かせてローズは入り口の前に立ち尽くしていたグレンを呼んだ。
「姫って?」
「……愛称よ。名前で呼ばないようにしているの」
「ふうん」
「とにかく入って。紹介するから」
「ああ」
グレンが扉を開けて中に入ると、そこには三人の男たちが厳しい目つきをして立っていた。
「……えっと」
「そんな目で見ないで。彼は私達の資金の提供者よ」
「……ああ、そういうことですか。これは初めまして」
少し白髪が混じった髪を綺麗に整えた中年の男が、グレンに向かって丁寧なお辞儀をしてきた。その態度を見て、グレンの疑念は高まっていく。
「……初めまして、グレンと言います」
「何と!?」「銀狼!?」「やはり!?」
三人三様の驚きの声が上がる。グレンとしては銀狼の言葉が気になる。何とも言えない表情でローズに視線を向けた。
「何?」
「銀狼って」
「ああ、だってこの筋ではその名前の方が有名だから」
「……恥ずかしいな」
「名が売れているのは悪いことじゃないわよ。悪い時もあるけど」
「一言余計だから」
「おほん!」
二人の会話に割り込むように、わざとらしい咳払いが聞こえる。最初に挨拶した中年の男だ。男の目線がまた厳しいものに変わっていた。
「つまり昨晩は御二人で過ごされていたわけですな?」
「……ええ」
「なるほど、なるほど。道理で今朝の姫は随分と艶やかな雰囲気だと思いました」
「ちょっと、嫌味を言わないでよ。分かっているわよね? 私はグレンの愛人なの」
「愛人などと……」
「事実だから。ねえ?」
「あのさ、せめて恋人にしないか?」
三人の前でなくても、ローズを愛人呼ばわりするつもりはグレンにはない。
「じゃあ、恋人」
「姫……」
中年の男の態度は、どう見ても仲間のそれではない。それこそお姫様に仕える臣下のそれにグレンには見えてしまう。
「まずは紹介してもらえるか?」
このままでは話が進まないと思って、グレンはローズに三人を紹介してくれるように頼んだ。
「そうね。今、嫌味を言ったのが執事」
「執事?」
「愛称よ。そんな感じでしょ?」
「愛称ね……」
ローズの言うとおり、男は確かに執事だと言われても納得の雰囲気だ。だがその雰囲気はどこで身につけたものなのかという疑問が湧く。
「隣が騎士」
「……騎士ね」
「初めまして。騎士と呼んで下さい」
中年の男の横に立つ、まだ若い男が挨拶をしてきた。グレンもそれに軽く頭を下げることで挨拶を返す。
「その隣が宰相」
「そこまで……」
とうとう宰相まで出てきた。そうなるとローズの姫は、貴族の姫という意味では収まらなくなる。
「愛称よ」
ここまでくれば、ただの愛称というのは無理がある。
「初めてお目に掛かる。宰相だ。変な呼び名だと思っているだろうが、これで頼む」
紹介を受けて壮年の男が挨拶をしてきた。ややくたびれた感はあるが、それなりにきちんとした態度だ。
「他にもいるけど、今、王都にいるのはこの三人だけね」
「姫に執事に騎士に宰相。国でも作る気か?」
「……そんなわけないでしょ?」
わずかに空いた間。グレンに対しては、ローズは誤魔化しが下手だ。故国再興が目的だと以前話したことも忘れてしまっている。
「だと良いけど。それで話をしなくて良いのか? 大事な話だけど」
「あっ、そうね。えっと話があるの」
「何ですかな?」
「王都を出てゼクソンに向かうわ」
「何と? 何故、急にそんなことになるのですかな?」
「グレンがそうするからよ。私はグレンに付いて行く。貴方たちも付いて来て」
「あのさ、そんな説明じゃあ」
付いて来いの一言だけで彼らが決断出来るはずがない、とグレンは思ったのだが。
「仕方ありませんな」
執事はあっさりと受け入れてしまった。
「はあ? それで良いのですか?」
「長である姫が決めたことですから。ただゼクソンに行って何をするのかを教えて頂きたい」
「ウェヌス王国を滅ぼす」
とんでもないことを、グレンはさらりと口にする。
「……ふざけないで頂きたい。そんなことが」
あまりにあっさりと言われたので、執事は冗談を言われたのだと思って、少しムッとした様子を見せている。
「出来るわけがないと思うのは当然です。でもやってみないと分からない。千丈の堤も蟻の一穴より崩れるという言葉もあります」
「それは?」
グレンの発した言葉の意味が執事にはさっぱり分からない。
「えっ、知らないの? ちょっとした油断や、ささいな出来事から大事が起ることもあるって意味で大国だってわずかな油断や何かのきっかけで壊れることもあるって意味で使いました」
「……言葉は知らないが、理解は出来るな。それをやると?」
「そうです」
「貴方にはそれが出来ると?」
「人の話を聞いていました? 出来るかどうかじゃない、俺はやると言いました」
出来るかどうかを真面目に考えてしまっては、グレンだって無理という結論になる。それを考えることなく、突き進むしかないのだ。
「……なるほど。これが姫の見込んだ相手ですか」
わずかに笑みを浮かべて、執事は視線をローズに向けた。
「違うわよ。惚れた相手よ」
「……それは良いとして、これからの予定は?」
執事はまたグレンに視線を戻して、今後の予定を尋ねた。
「ゼクソンに戻ります。その準備を急ぎたい。同行するのは三人だけですか?」
「そういうわけには。他の者たちも連れていきます」
「大勢で移動すれば目立つ。それを避ける算段は付けられますか?」
「……合流地点を決めて、バラバラで移動すれば」
少し考えて執事はグレンの問いに答えた。
「それで隠し切れますか? 沢山に分かれても、三つくらいの集団の移動が見つかれば、目的地は割り出されると思います」
「……探られない様に手配する。集合地点はどこに?」
「ゼクソン方面でどこかアジトは?」
「ある」
「潰しても構わないアジトですか?」
「潰す?」
なぜここで、この問いが出てくるのか執事には分からない。
「そこを中継点にします。最終集合地点をそこで教える」
万一、後を付けられたりした場合は、その場で解散となる。グレンたちの行き先は他の者たちには分からない。グレンであると分かれば、予測は簡単に出来るだろうが。
「なるほど……そこまで警戒を?」
「蟻の一穴を警戒するのはこちらも同じです」
「ほう」
「それと裏切る可能性のある人はいますか?」
後を付けられるより、こちらの可能性のほうをグレンは警戒している。ここから先の自分の行動はウェヌス王国側には一切知られたくないのだ。
「……いないと信じている」
「気持ちとしては分かります。ですが、そういった人間が穴となる。そうは思いませんか?」
「…………」
「ちょっと偉そうでしたね。他人の組織にどうこう言うのは失礼でした。ただ自分がやろうとしていることには、少しの油断も許されません。それは理解して頂きたいと思います」
「いや。我らの考えが甘かった。反省している」
グレンの本気を今更ながら執事は知った。
「協力する前に確認しておくことがありました」
「何だろう?」
「ウェヌスを滅ぼすと言いましたが、自分の目的は妹の仇を討つことで、正確には勇者を殺すのが目的です。ですが勇者はウェヌス軍の頂点に立ちました」
「何と!?」
「知らなかったのですか? 情報は重要だと思いますけど?」
これだけの重要情報を知らなかったことに、グレンは少し呆れている。ローズの言う通り、故国再興を口に出来るような組織ではないのだと判断した。
「すまない」
「まあ良いです。軍の頂点に立った以上、勇者を討つとウェヌス軍を討つは等しくなりました。だから自分はウェヌス王国と戦うのです」
「なるほど。それで確認したいこととは?」
「貴方がたの目的は何ですか?」
「…………」
執事の口からはすぐに答えが返ってこなかった。
「それを隠されると協力は出来ません。自分はローズだけを連れて、ゼクソンに行きます」
「それは……」
「もちろん。ローズがそれを選んでくれたらですけど」
「行くわよ。そんな言い方はしないで」
ローズにとっては夢物語のような仲間の目的より、グレンと共にいるほうが大事。これは随分前から心に決めていたことだ。
「ありがとう。それで目的は?」
「……故国再興」
「それは知っています。でも、貴方がたが言う故国再興とはどういう意味ですか?」
「どういうとは?」
「ウェヌス王国を奪う? それとも元あった国の領土を取り返す? どこでも良いから国を興す? 再興と言っても色々あると思います」
どれを目指しているかで、為すべきことは全然違ってくる。グレンはそれをはっきりとさせたかった。
「……改めて言われると。これまでは国を滅ぼしたウェヌス王国への復讐しか考えていなかった。それでは駄目なのだな」
執事には具体的な考えはなかった。これは他の二人も同じだ。顔を見合わせているだけで何も話そうとしない。
「駄目とは言いません。でも何を持って復讐を遂げたと考えるのかが分かりません。滅ぼすのですか? そうであるなら、先程の諦めたような発言はおかしい」
「……確かに」
グレンがウェヌス王国を滅ぼすと言ったのなら、自分たちの目的もそれと同じだと答えるべきだ。執事はそうではなかった。
「物事を為すには明確な目標が必要だと思います。困難であっても、はっきりとした目標です。それがないと人は困難に耐えられません……また偉そうですね」
「いや。さすがは姫が見込んだ男ですな」
「惚れた男よ」
すかさずローズは執事の言葉を言い直した。
「姫、そこに拘りは」
「必要なの。私はグレンの能力を好きになったのではないの。グレンを好きになったのよ」
ローズの言葉を聞いてグレンの顔に笑みが浮かぶ。ローズのこういう気持ちが何よりもグレンは嬉しく、こうだからこそ心から信頼出来るのだ。
「……これだからローズは」
「何?」
「いや、改めて惚れ直した」
「いやだ」
「おほん!」
また、思いっきりわざとらしい咳をしてきたのは執事だ。見つめ合っていた二人の顔に苦笑いが浮かぶ。
「少し考える時間を頂けますかな。これは三人だけでお答えできる内容ではありません」
「それは構わない。ただ、もう一つだけ聞きたい」
「何ですかな?」
「ローズは何者ですか?」
これまでの話、そして執事の態度を見ていれば、ローズが話してくれた自分の境遇は、かなり控えめな内容にされていると分かる。
「それは……」
「別に何者であっても自分の気持ちは変わりません。一緒に来てほしいと思っていますし、その先も一緒にいたいと思います……多分」
「多分って何よ?」
「いや、何だか。凄い答えが返ってきそうで」
「…………」
言葉に詰まるローズ。これでもうグレンは自分の考えが間違いでないことが分かった。問題はその程度だ。
「それについては私が話しましょう」
「ちょっと!」
「姫、我らは新たな道を進むのです。それにあたって色々とはっきりさせておいたほうが良いと私は考えます」
「そうだけど……」
「姫は、姫の本名はソフィア・ローズ・セントフォーリア。嘗て、この大陸を統べていたエイトフォリウム帝国の皇家の血筋を引く御方です」
執事はグレンに向き直り、ローズの正体を告げた。
「…………」
想像以上の真実にグレンは固まるしかなかった――