キルシュバオム公国南西部。エカードたち花の騎士団が向かった戦場では激しい戦いが行われていた。キルシュバオム公国に侵攻した魔人軍はおよそ五万。それに対してローゼンガルテン王国とキルシュバオム公国の連合軍は三万。数の上で劣勢だ。さらに質の上でも魔人軍はラヴェンデル公国での戦いとは異なるものを見せていた。
「雑魚に気を取られるな! 魔人に集中しろ!」
「魔物を侮るな! 隊列を組み直せ!」
ローゼンガルテン王国軍の指揮官から発せられた命令が戦場を飛び交う。その中身は微妙にずれている。魔物を中心とした部隊の攻撃に気を取られることなく魔人からに気をつけろというもの。それとは逆に魔物の攻撃に気をつけろというもの。どちらも正解ではある。
「完全に混戦だな」
各軍の部隊が入り乱れて戦っている。戦場は混戦状態だとエカードは見ていた。
「……それはどうでしょうか?」
そのエカードの意見にクラーラが異を唱えてくる。
「混戦ではないと?」
「いえ、混戦ではあります。でもこの混戦状態は作られたものだと思います」
「意図的にこういう状況にした、いや、されたか。そうかもしれない」
戦いの初動段階で魔人軍は遮二無二、前に出てきた。それに対して王国軍は防御陣形を整えて迎え撃とうとしたのだが、犠牲を顧みることなく突撃してくる魔人軍の勢いは凄まじく、前衛はわずかな間で崩壊した。
そこからは両軍入り乱れての混戦、とエカードは見ていたのだがクラーラは違う。魔人軍には統制があると見ていた。
「部隊の編成に偏りがあるようです。魔物中心の突撃部隊とその部隊が味方を崩したあとに攻撃してくる魔人比率の多い部隊。上手く連携しています」
これはラヴェンデル公国での戦いでは見られなかったもの。実際はそうではなく、魔人軍の部隊における魔人の数は戦況に応じて変化していたのだが、それにクラーラたちは気付けていなかっただけだ。
森の中での戦いは遭遇戦。出会った敵部隊と戦闘を行うという形であったので敵に連携は見られなかった。連携が出来ないような状況にリリエンベルク公国軍がさせていたのだ。
「味方はそれを見極められていないな」
今は平原での戦い。敵全体の動きは森の中に比べれば遙かに把握しやすい。だからクラーラは気付けたのだが、そういった人々は、王国軍全体の中ではごく小数となっている。
「……それだけではありません。魔物中心の部隊にもかなり強いのがいます」
魔物だと思って油断、まではしていないが、それでも魔人ではないと認識して向き合うと思っていたよりも遙かに強力であったりする。魔人の部隊が近づいていてくることに気を取られていると、逆にその部隊に突き崩されてしまうのだ。
「中隊規模での連携か……」
「まるでジグルスさんの部隊みたいですね?」
中隊間の連携を武器にして戦うのはリリエンベルク公国軍特別遊撃隊と似ている。クラーラはそう思った。
「彼が鍛えた部隊だ。そういう言い方をするのであればリーゼロッテの、もしくはリリエンベルク公爵家の部隊と言うべきだな」
「変な拘りですね?」
「変な……」
「どうしますか? 私たちにはまだあれほどの連携は出来ません。この状況を打開する策を――」
ただ戦況を評論しているだけでは何の意味もない。対抗する戦術を考えてそれを実行し、不利な戦況をひっくり返す。それがエカードたちの役割だ。それを伝えようとしたクラーラだが、その前に。
『左奥にいる敵を討つわ! 皆、付いてきて!』
ユリアーナの声が戦場に響き渡った。
「……左奥? ユリアーナは何をしようとしている?」
「分かりません。でも何だが危険な気がします」
「そうだな。思いつきで無茶なことを考えたに違いない」
ユリアーナの意図がエカードたちには分からない。分かるはずがない。頭で考えて導き出せる答えではないのだ。
『気合いを入れて! ……突撃よ!!』
『『『おおおおおっ!!』』』
ユリアーナの檄に部隊の騎士、兵士たちが雄叫びで応える。彼等の士気は高い。
そこからの動きは凄まじかった。魔物の部隊かと思ってしまうくらいの勢いで混戦状態の戦場を突っ切り、目標の敵部隊に向かって突き進んでいく。
「……あれでは」
その戦い方を見たエカードの心には感心、ではなく不安が湧いていた。
「どれだけの犠牲が出るか分かりません。どこに向かっているか分かりませんが、その前に全滅してしまうのではないですか?」
クラーラも同じ気持ちだ。ユリアーナの戦い方は兵士の犠牲を顧みないデタラメのもの。そう見ている。
「……あとを追う。隊列を整えろ! ユリアーナの部隊の救援に向かう! 急げ!」
エカードは自部隊、花の騎士団における最精鋭部隊を率いて、ユリアーナの部隊のあとに続こうとする。味方の犠牲を放置するわけにはいかないのだ。
固まって前に進むエカードたち。その行く手を遮る敵は、見る見る少なくなっていく。
「何が起こっている!?」
「敵がユリアーナ殿の部隊を追っています!」
敵部隊の多くはエカードたちの部隊を含む王国軍の他部隊を無視して、ユリアーナの部隊を追いかけている。彼女の部隊の突撃を阻止しようとしているのだ。
「馬鹿な……急げ! 少々、乱れても構わない! 急いで追いかける!」
攻撃がユリアーナの部隊に集中しようとしている。当初考えた以上に危険な状況、下手をすれば全滅だ。エカードは兵士たちに足を速めるように命令した。とはいえ、すでに全力で走っている状態で、ほとんど速さは変わらない。
焦るエカード。その耳に届いたのは。
『討ち取ったぁーーー!』
誇らしげなユリアーナの声だった。
「……えっ?」
「誰を討ち取ったのでしょう?」
ユリアーナが敵の誰を、何者を討ち取ったと宣言しているのかエカードとクラーラには分からない。分かったのは、恐らくはその何者かは敵の重要人物であるということ。
ユリアーナの部隊を追うことを止めて、戦場を離れていく魔人軍がそれを教えてくれた。
◆◆◆
後退する魔人軍にローゼンガルテン王国軍は追撃をかけた。敗走する敵にさらなる損害を与えようという試みだが、結果は大失敗。逆に自軍に少なくない犠牲者を出す羽目になってしまった。それは魔人軍はまだ統率が保たれているという証。これから先もまだまだ厳しい戦いが続くということだ。
そうであっても両軍が大きく距離を取ったことで一旦は休戦。もしかすると明日までの短い休戦かもしれないが、そうであるこらこそ次の戦いに向けての準備を急がなければならない。
怪我人の治療もそのひとつだ。
「まったく……こういうところはジークの馬鹿を真似なくて良いのだぞ?」
文句を言いながら忙しそうに働いているのはカロリーネ王女。教護部隊の責任者であり自らも治癒魔法の使い手であるカロリーネ王女は戦いのない時も忙しい。
「真似たつもりはない、ありませんわ」
文句を言われているのはユリアーナだ。ユリアーナの部隊もかなりの怪我人を出している。かなり強引な戦い方を行ったのだ。当然そうなる。
「かなり無理な突撃をかけたと聞いている」
「ああしないと敵に逃げられる、逃げられてしまいますわ。それに他の敵の追撃をさける為にも急がないと駄目だった、でしたから」
周囲から無理な突撃と見られている攻撃は、ユリアーナなりに考えてのものだった。ただその説明よりもカロリーネ王女には気になることがある。
「……良い」
「えっ?」
「敬語が苦手なら無理に使わなくても良い」
ユリアーナの言葉使いだ。ユリアーナが何度も語尾を改めてくるのを煩わしく感じていた。
「ほんと? 良かった」
敬語を使わないで良いとカロリーネ王女に言われて、嬉しそうに笑みを浮かべるユリアーナ。
「……わざと苦手そうにしていたのでもな」
「……バレてる」
言い直していたのはわざと。そうしていればカロリーネ王女が敬語を使わなくて良いと言ってくるとユリアーナは考えたのだ。それはカロリーネ王女にバレていたが、結果としては成功だ。
「妾を馬鹿にするな。お主が普段どう話しているかくらいは知っている」
ユリアーナはタメ口であることが多いが、それを許されない相手にはきちんと敬語を使っていることをカロリーネ王女は知っている。二人の距離が近づいたのは最近だが、ただ側にいるだけであれば学院時代から。かなり長いのだ。
「敬語だと距離が縮まらないから」
「それは同感だ。出来ればその台詞はジークに向かって言って欲しかったな」
ジグルスは親しくなってもカロリーネ王女に敬語を使ってくる。それがカロリーネ王女は不満だった。ただこれは無理な注文だ。カロリーネはローゼンガルテン王国の王女。ジグルスがタメ口を使える相手ではない。そうしようとするユリアーナが異常なのだ。
「確かに……でも彼は時々、タメ口になってるわ。立ち合いの時、話に夢中になっている時もあるかな?」
「知っている。妾相手だとそうあることではないが、まれにそうなったあとで敬語に戻されると一気に距離が出来た気がする」
そういう意味では本当に敬語が苦手なのはジグルスなのかとカロリーネ王女は思った。意識しないと使えないということなのだ。
「ああ、それあるかも。喜んだり寂しく感じたり。そんな風に心を揺らされて、好きになっていくのよね?」
「はい?」
「別に私が好きになったということじゃあ、いえ、好きな人をあげろと言われたら彼かな?」
「……言わなくても知っているはずだがジークには」
リーゼロッテがいる。リーゼロッテはタバートとの結婚が決められているので将来は分からないが、少なくともしばらくは割り込む隙間はないとカロリーネ王女は思う。
「知ってる。誰かの名前をあげろと言われたら彼が一番というだけで、恋愛感情といえるほどではないわ」
「……本当にそうなのか?」
実際には恋愛感情があるのではないかとカロリーネ王女は疑っている。もともと天敵と言える間柄だったユリアーナとジグルス。その彼を「好き」と言うくらいなのだ。ユリアーナには大きな心情の変化があったはずだ。
「本当。私はもう本気で人を……」
「……何かあったのか?」
途中で言葉を止めても、何を言おうとしていたのかは分かる。それはユリアーナからは想像出来ないものだ。自由奔放な恋愛をしている。これが、カロリーネ王女が持つユリアーナの印象なのだ。
「失恋しただけ。その時のショックが強すぎて、もう本気の失恋は経験したくないの。だから絶対に彼に恋愛感情を持つことはないわ」
「……そうか」
それは失恋を恐れて、恋愛感情を否定しているだけではないかとカロリーネ王女は思った。だがこれを口にするつもりはない。その気になられても困る。ジグルスのことでユリアーナを応援するわけにはいかないのだ。
「この話は止め。過去の失恋話を思い出しても楽しくないわ」
「そうだろうな」
ユリアーナに何があったのかは気になるが、ジグルスの話を止めることについてはカロリーネ王女も賛成だ。
「それよりも聞いて。ひどいのよ。エカードにきつく叱られたわ」
「怒られるのはいつものことではないか。まだ慣れないのか?」
「ひどーい。怒られるのに慣れる人なんていないわ。それに今回、私は悪くないもの。私のおかげで勝てたのよ?」
ユリアーナがエカードに怒られたのは今回の戦いについて。無茶な戦い方を行ったことを怒られたのだ。
「私たち」
「えっ?」
「お主は自分の成果をアピールしようとやたら自分、自分と言う悪いくせがある。今回勝てたのはお主と、お主と一緒に戦った仲間たちのおかげ。そうでないと怪我をした者たちは報われんのではないか?」
「……ごめんなさい。私……何をしても人に認めてもらえないから、つい……」
自分でアピールをしなければ他人に認めてもらえない。アピールしても認めてもらえない。
「それは言い訳だ。自分は認められなくても仲間を。こう考えるのが上に立つ者として正しいのではないか?」
「……はい」
愚痴を聞いてもらうつもりが、結局カロリーネ王女にも叱られることになった。
「だが、まあ、怪我人を見舞いに来たのは良い。一度も顔を見せない者たちに比べれば、遙かにマシだ」
これは周囲の兵士たちに聞かせる為の言葉。彼等の前でユリアーナの失敗を指摘した分、こうして持ち上げているのだ。部下にそっぽを向かれてはユリアーナは活躍出来ない。彼女が活躍出来なければ魔人との戦いに勝てなくなるかもしれない。カロリーネ王女はこう考えている。
「ごめんなさい」
ユリアーナの今度の謝罪も怪我をした兵士たちに向けたものだ。カロリーネ王女の言葉でユリアーナはまだ兵士たちに何もしてあげていないことに気が付いた。
「口よりも手を動かせ」
「えっ?」
「治療を手伝えと言っているのだ。包帯を代えるくらいは出来るであろう?」
「……魔法じゃなくて?」
怪我は魔法で治すもの。ユリアーナの知識ではそうだ。助からない怪我人がいるのは当然知っているが、そういう人は重傷で助からない人。何故、包帯が必要な怪我人がいるのかが分からない。
「魔法は万能ではない。全ての怪我を治せるわけではないのだ。傷の深さだけでなく、時間の経過も回復の邪魔をしてしまう。ジークが戦いが継続している中、怪我人を背負ってきたのを見ただろ?」
魔法での治療は完全に治るか、助からないかの二択ではない。魔法を使っても塞ぎきれない怪我を負った兵士たちは大勢いる。では何度も使えば治るのかというとそうではないのだ。
「そういえば……」
ラヴェンデル公国の森の中での戦いで、まだ戦闘中であるのに、ジグルスは大怪我をした仲間を背負ってカロリーネ王女のところにやってきた。そうしなければならないほど重傷だったということだ。
「助かる怪我も放置されている時間が長ければ助からなくなる。今ここにいるのはギリギリ助かった者たちなのだ」
魔法では完全に治せなかった状態の怪我人たち。重傷であった人だけでなく、長く戦場で傷の痛みに苦しみながら放置されていた人もいる。
そのような状況が許される戦場がカロリーネ王女は許せない。戦争なんてものは、どのような理由があろうと、あってはならないものだと思う。
「……手伝うわ」
カロリーネ王女の表情には悲しみが浮かんでいる。それをユリアーナは感じ取った。
「だからそう言っている。ただ包帯を代えるだけでなく、消毒も忘れるな。消毒用のアルコールは、そこの瓶に入っている」
「分かった」
この日からユリアーナは、時間がある時には、カロリーネ王女を手伝うことになった。それにより多くの兵士と接するようになったユリアーナ。それは結果、彼女に魅了させる人々を増やすことになる。本人が意識しようとしまいと、それが彼女の能力。人々の心を捉えてしまうのが主人公というものなのだ。