ゼクソンとの国境にある城塞は、両国を結ぶ街道のすぐ脇、街道南側の丘陵突端に築かれており、常時二千程のウェヌス国軍東方辺境師団が駐屯している。
街道をそのまま東に進むと、少し先に両側から山がせり出している地点があり、そこを抜けるともうそこはゼクソン領だ。
国境の最前線。それがエステスト城塞、侵攻軍の集結地点だ。
城塞がある丘の麓の稜線部分には、数え切れないほどの天幕が張られており、先行していた国軍の野営地となっていた。ハーリー千人将率いる騎士団第一大隊も、到着してすぐに野営の準備を始めている。
行軍を始めて、すでに二か月近く。
作業を行う者たちもすっかり慣れた様子だ。そんな中でグレンたちはというと、あっという間に二つの天幕を組み上げて休憩に入っていた。
特別手際が良いというわけではない。七人で作業をしているから早いだけだ。
「思ったよりも小さいな」
丘の上をぼんやりと眺めていたグレンが呟いた。
「城塞ですか?」
その呟きを聞いて、隣に座っていたジャスティンが問いかけてきた。
「そう。すぐ先は他国と考えるともう少し大きな城塞なのだと思っていた」
「そうですね」
丘の上に建つ城塞は攻めづらそうではあるが、確かに規模としてはそれほどでもない。ただ、これは国境の砦を初めて見るグレンたちだから感じることだ。
「近すぎるのかな?」
「ゼクソンとの国境ですか?」
「そう。大きな城塞を築く余裕がないのかも」
「ああ、そうですね。普通は邪魔しますね」
「そうか。それで後方に大きな城塞があったのか。ここが先鋒で後ろの城が本陣って感じだな」
この場所から西に三日程、街道を戻っていくと、エステスト城塞の倍以上の規模を持つ城塞が平地にある。グレンはそれを思い出した。
「往復で六日。急げば四日か。これを遠いと言うのか近いと言うのか」
「何の話ですか?」
「この場所を攻められたとして、援軍を要請する使者が後方に着くのに二日。援軍の準備に一日として、それから急行して又、二日。五日間を耐えれば良いのかと思って」
「五日。長いような短いような」
「そう思うだろ? 籠城戦とすれば五日は短いのだろうけど、そんな経験ないからな。五日攻められ続けると思うと大丈夫かと不安になる」
「そうですね」
「あっ、自分は少し知っています」
ここでカイルが会話に入ってきた。
「何を?」
「エステスト城塞って難攻不落って言われているそうです」
自慢げに話を始めるカイル。自分の知識を話せるのが嬉しいようだ。
「そうなのか?」
「城塞に続く道はあの斜めに走っている道がそうです。傾斜がきつすぎて真っ直ぐに進めないそうで、広さもない」
「……なるほどな。ひたすら守るための城塞なのか。でも、無視されたら」
「そこがエステスト城塞の凄いところで、中には遠距離攻撃兵器がいくつも備え付けてあるそうです」
「……城塞にこもったまま、投石機とかで攻撃するわけか。無視しようとしても無傷ではいられない」
「そういう事ですね」
これだけでなく、後方に敵軍を置いたまま侵攻しては補給路が危険にさらされるだけだ。難攻不落と呼ばれていようが攻めるか、そうでなくても砦の軍が出撃出来ないように、それなりの数を張り付かせておく必要がある。
「なるほどな。さすがは国境にある城塞だ」
これからの戦争とはあまり関係のない話題で会話を続けるグレンたち。ただの暇つぶしであるが、あえて関係ない話をしているところもある。明日には同盟国とはいえ、他国領に踏み込むのだ。グレンも従卒たちも、消えない不安が高まっていた。
そんなグレンたちの下に、一人の騎士がやってきた。勇者親衛隊の騎士だ。
「これから会議を始める。グレン殿にも参加しろとのことだ」
「自分が?」
また何か言い掛かりをつけられるのかと思って身構えていた七人だったが、用件は普通に軍務だった。
「ケン様の補佐役。参加するのは当然だと思うが?」
「なるほど。忘れていました」
健太郎の補佐役がグレンの仕事。これをグレンは本気で忘れていた。
「……とにかく、早く来てくれ。ケン様はもう向かっている」
「はい」
騎士に連れられてその場を離れるグレン。向かった先は野営地にある一際大きな天幕。先軍の本営となる天幕だ。
「グレン殿をお連れしました」
「ああ、入ってください」
入り口に立っていた歩哨役の騎士に促されて、グレンは天幕に入った。
天幕の中は広い。二十人は座れるテーブルが中央に置かれていて、そこには既に各部隊の隊長たちが座っていた。中央奥には先軍を率いるハーリー千人将が座している。
「始める。すぐに座ってくれ」
「はい」
ハーリー千人将の指示に従い席に座るグレン。隣の騎士がなんとも言えない目で見ていた。
「何か?」
「グレン殿はそこではないのではないか?」
「ここが末席だと思いましたが?」
「いや、勇者の補佐の立場ですので、席は勇者の隣ではないかと」
「……ああ」
いるのは分かっていたが、わざと視線を避けていた健太郎がグレンに向かって手招きをしていた。仕方なく席を立つと、グレンは空けられていた健太郎の隣に座る。
座ってからも居心地悪そうに何度も座り直すグレン。椅子の具合が悪いわけではない。グレンの席は健太郎の左側。ハーリー千人将から見ると、右斜め前の一番近い席なのだ。
かなり上席と言っても良い場所だ。
そんなグレンを見て、わずかに片唇をあげてハーリー千人将は皮肉そうな笑みを浮かべたが、すぐにそれをおさめて口を開いた。
「いよいよ明日、ゼクソン領に進軍する。それにあたって一人紹介する将がいる。ケーグル殿、ご挨拶を」
「はっ」
ハーリー千人将の言葉にグレンの正面に座っていた男が立ちあがった。
「ゼクソン国軍荒鷲兵団、団長のファルコム・ケーグルであります」
男の紹介に将たちからどよめきがあがる。怪訝そうな顔をしている者、やや蔑みの目で見ている者、表情は様々だ。
「……寝返りですか?」
一人の将がハーリー千人将に問いを発した。その表情には蔑みの色が浮かんでいる。
「違う。そうだった。まずは先に説明するべきだったな。ケーグル殿、失礼した」
「いえ」
ケーグルと名乗ったゼクソンの将は、とくに表情を変えることなく、そのまま席に座った。
「では説明しよう。我が軍の侵攻先はゼクソンではなく、アシュラムだ」
今度のどよめきはそれ程大きなものではない。以前から薄々感づいていた者、ゼクソンの将がいることで今気が付いた者は結構いるからだ。
「我が軍はこのまま街道を東に進み、そこから北上。国境を越えて、アシュラムの城塞を奪取する。ちなみに中軍もほぼ同じ動きをして、我が軍の目標の西方に位置する別の城塞の奪取に向かう事になっている」
「二拠点への同時攻撃となるわけですか」
「そうだ。奪取後は、そこを拠点にさらに深く進攻、もしくは籠城となる」
「進攻は分かりますが籠城と言うのは?」
「アシュラム軍を引き付ける。我が軍と中軍のどちらにアシュラムが軍を向けるかは今の時点では分からない。向けられなかった側が進攻という事だ」
「両方にとなった場合は?」
実際には質問している将もアシュラム軍の兵数などは把握している。質問しているのは、分からない者に向けた説明の為だ。
「均等に軍を向けられたとしてアシュラム軍は五千、我が軍は六千を超える。両方で撃破するだけだ」
「そうですね」
なるほどね。こんな声がグレンの隣から聞こえてくる。この席にいるもので、分かっていなかった者がいたとすれば、健太郎と、グレンの反対に座っている親衛隊の副官くらいだろう。
「アシュラムへの侵攻はぎりぎりまで悟られたくない。行軍路はアシュラムの監視の目を避けてということになる。そこでケーグル殿の部隊に我が軍の道案内の役目を担って頂く」
「なるほど」
「進軍はすでに伝えてあるように明朝、四の正刻に出立。ケーグル殿の部隊を先頭に、騎士団大隊、国軍の順に進む。国軍は大隊番号順だ。実際の城塞奪取の戦術については、ゼクソン領内、北上する手前で最終摺合せを行う予定だ」
「はい」
「説明は以上だ。ここまでのところで何か質問はあるか?」
こういってハーリー千人将はテーブルに座る将校たちをぐるりと眺める。
「目標に到達するのはいつ頃ですか?」
一人の将が行程を尋ねてきた。
「三日目に北上を開始する。そこからは……」
ハーリー千人将の視線がケーグルに向いた。説明を求める意味だ。
「街道を北上して、すぐに山中に入ります。天候の具合にもよりますが、十日程ではないかと」
「山中ですか……馬は?」
ケーグルの答えに質問した騎士が、苦い顔で更に問いを重ねた。
「途中何か所も降りなければ進めない場所があります。そうですね。半分は徒歩だと考えてください」
「そうですか。野営地は確保できるのですか?」
「……全てとは申せません。山中ですので、開けた場所はそれほど多くありません」
「なるほど。中々大変そうだ」
行軍の苦労を考えて質問した騎士の顔が一層渋いものになる。それは他の騎士たちも同じだった。
「他にあるか?」
ハーリー千人将の問いに応える者はいなかった。ただ一人、グレンが居心地悪そうにモジモジと動いた以外は。
「……言いたいことがあれば言ったらどうだ?」
「自分ですか? いえ、自分は補佐の立場ですから」
「では、ケンに助言したらどうだ?」
「助言?」
「ケンを通じて質問すれば良いと言っている」
「なるほど……結構です」
健太郎の顔を見てグレンはすぐにそれを拒否した。まず質問の内容を健太郎に理解させるのが面倒。そんな気持ちだ。
「……では、直接話せ。軍議の場だ。自由な発言を許す」
「……怒られそうなので結構です」
「話せ! 命令だ!」
話さなくてもハーリー千人将に怒鳴られることになった。
「……はい。では……何故、道案内に部隊を派遣したのですか? ちなみに部隊の規模は?」
「……私にですか?」
渋々話し始めたグレンの質問は、ゼクソン王国のケーグルに向けたものだった。
「はい。ケーグル殿にお聞きしています」
「……まず兵団の人数は千名です。部隊を派遣したのは、貴国からの要請です」
「案内人は依頼しましたが、案内部隊は依頼していないはずです」
グレンの言葉を聞いて、ハーリー千人将の片眉が吊り上がった。グレンが何故、ここまでの情報を知っているのかを疑問に思ったのだ。
まさかトルーマン元帥がここまでの細かい情報をグレンに伝えていたとは、ハーリー千人将は思ってもいない。
「そう言われても私には分かりません。私は命に従っただけです」
「では誰が変更を説明されたのですか?」
「説明とは?」
「計画では貴国の同行人数は五名以内となっていました。計画とは異なる人数が、それも戦闘部隊が貴国から派遣されてきたわけですから、説明は求められたはずです」
グレンは情報を知っていることを隠すつもりはない。それよりも、疑問を解決することを優先していた。
「ああ、失念しておりました。説明は私がしました。部隊を派遣した理由は同盟国としての誠意をお見せしたいという我が国の意志です」
「誠意ですか?」
「はい。わずかながらでも戦いに助力する事で、貴国の信頼が得られるのではないかと」
「ああ、それで納得したわけですね。でも、誠意であれば同盟交渉の段階でそうおっしゃれば良かったのに」
笑みを浮かべてグレンはケーグルに更に質問をする。好意からの笑みではない。獲物を見つけた獣のそれと同じようなものだ。
「……さすがにそれは私には」
「それもそうですね。次に」
「まだ?」
グレンの質問は一つで終わりではない。嫌々始めたことであっても、やるからには最後まで突き詰めるのがグレンの性格だ。
「はい。そんな多くはありません」
「分かりました。何でしょう?」
「山中を進まずに、街道を進んだ場合は目的地まではどれくらいで着きますか?」
「……それは」
「何日ですか? 軍で言うと急進で」
答えを躊躇う様子を見せたゲーグルに、グレンは問いを重ねた。
「五日程かと」
「近いのですね?」
「狭まった場所ですから。それと元々は、もう少し距離があったのですが」
「アシュラムに奪われたわけですか。あえて倍の日数を掛けて山中を進む意味は何でしょうか?」
グレンの質問は止まらない。
「……それはアシュラム軍に気付かれないようにという貴国の希望で」
「侵攻対象の城塞へ援軍が派遣されるとすれば、それはどこからで、どれ位の日数が掛かりますか?」
「……申し訳ないが、その情報は持っていない」
「他国との国境であるのに?」
グレンは不思議そうな顔をして、わざとらしく首を傾げて見せる。
「私がという意味です。国では把握しているでしょう」
「……そうですか。では最後です。予定されている行軍路はどうやって調べたのですか?」
「それは他国との国境部分です。それなりの調べは行っております」
「ずっと前から貴国では用意されていたと?」
「そうなります」
グレンの問いに同意するゲーグル。満足な答えが得られて、グレンは嬉しそうだ。
「確実にアシュラムに見つからない行軍路を知っていながら、自国でそれを利用しようとは思わなかったのですか? 奪われた領土を取り返そうとは?」
「先ほど、最後と」
「ああ、これが本当に最後です」
「……アシュラムとの戦争の機会はありませんでしたので」
「友好的な関係だったわけですね?」
「……貴殿は我が国を疑っているのか?」
ケーグルはとうとう怒気を表して、これを口にしてきた。完全に問い詰める形になっている。真偽は別にして怒るのは当然だ。
「そう聞こえましたか?」
「聞こえないはずがない」
「ご安心を。疑っているのは自分個人としてですから」
また顔に笑みを浮かべて、グレンは言葉を返す。自分の疑心を隠すつもりは全くない。
「それを疑っていると言うのだ!」
「ほら、やっぱり怒らせた。だから結構だと言ったのです」
ケーグルの怒りを軽く流して、グレンはハーリー千人将に話しを向けた。
「ケーグル殿、失礼をお詫びします」
話を向けられたハーリー千人将はケーグルに向けて謝罪の言葉を口にする。グレンを庇っているわけではない。この軍の代表者として行動しているだけだ。
「その将は何者なのですか? さきほど勇者殿の補佐と申されておりましたが」
「そのままです。グレンは勇者ケンの補佐役」
「……勇者殿の部隊を率いているのですか?」
「いえ。部隊は持っておりません」
「持っていない?」
「グレンは客将の身分。我が国の軍籍は正式にはありません」
「他国から?」
グレンの立場は事情を知らない者には簡単に理解出来るものではない。
「いえ、我が国の者です。この辺は説明するとややこしいので、そういうものだとご理解ください」
ハーリー千人将も説明は諦めた。
「……そうですか」
「とにかく、計画に変更はない。これ以上の質問がなければ、軍議は解散だ」
「「「はっ!」」」
ハーリー千人将の終了の言葉に将たちが席を立つ。その多くの顔に不安の色が浮かんでいる。
「グレン!」
「はい?」
まっさきに席を立って天幕の出入り口にいたグレンが、ハーリー千人将の制止の声に足を止めて振り返った。
「残れ。先程の非礼は目に余る。お前にはきちんとその辺を言い聞かせる必要がある」
「……はい」
がっくりと肩を落として、グレンは席に戻る。自分が言えといったくせに、そんな文句を小さく呟きながら。
グレンを残して将たちが天幕の外に出て行く。残ったのは、グレンとハーリー千人将の二人だけになった。
「…………」
「…………」
「……話せ」
「はっ?」
「思っていることを全て話せと言っている」
「ご自身の命令で言わせておいて、叱責というのはどうかと思います」
グレンの口から出てきたのはハーリー千人将に対する文句だ。だが、ハーリー千人将が求めているのは、こういうことではない。
「……違う。ゼクソンについてだ」
「ああ、そのことですか」
「裏切ると思っているのか?」
「分かりません。そして絶対に裏切らないかも分かりません」
「それはそうだな」
絶対ということなど存在しない。それはハーリー千人将も分かっている。
「裏切った場合の対処は考えられているのですか?」
絶対ではなくてもリスクに対しては、それに備えるべきだとグレンは思っている。
「考えてある。後軍はゼクソン国境に入って、我が軍が北上する地点に陣を張る。その地と、この場所の間をゼクソンに塞がれることがないようにな。後軍は一万を超える。ゼクソンが全軍で出てきても同数だ。十分に対応は出来る」
そして、当然、軍も考えていないわけではない。
「先軍と中軍はどうするのですか?」
「速やかに退却して、街道まで南下する。そこまでくれば帰還は容易だ。その為に後軍を置いているのだからな」
「全体としては分かりますが、先軍と中軍が裏切りを受けた場合の対応にはなりません。目標を先軍と中軍にされてアシュラムとゼクソン連合に襲われた場合は? そうされた場合、いわゆる各個撃破という形になりませんか?」
退路を奪われない為の備えは分かった。だが、それでは自分が所属する先軍を奇襲された場合の備えにはならない。
「……なるほど」
グレンの指摘にハーリー千人将も納得だ。
「そして位置的に狙われるのは前に出ている先軍となります」
「そうだな」
「それへの備えは?」
「ない」
「……そうでしょうね。まさかゼクソンの大隊千名が同行するなんて思いませんから」
「そういうことだ」
軍が想定していたのは後方でのゼクソン王国の裏切り。前線にゼクソン王国軍が同行し、そこで裏切ることは想定されていない。
「では、せいぜい注意喚起をするくらいですか?」
「…………」
「まさかしないのですか? ハーリー千人将も疑っているから自分を呼びとめたのですよね?」
「証拠もなく同盟国を貶めるような進言は出来ない。もし間違いであれば、責任を問われることになるからな」
「……この状況で」
ハーリー千人将が言っているのは保身だ。この状況で保身を優先する考えがグレンには理解出来ない。
「何とでも言え。私は栄達したいのだ。躓くような真似は出来ない」
「負けたら栄達もなにもなくなります」
「だから、思っていることを全て話せと言っている」
この台詞で、ハーリー千人将が何を考えているのかグレンにも分かった。
「……自分の意見として総大将に。そういうつもりですか?」
「お前が閣下に気に入られていることは誰もが知っている。無下にはされないだろう。そして間違いであっても、お前は困らないはずだ」
「……さすが、というところですか?」
責任をグレンに押し付けて、リスクに備える。とっさのことであるはずなのに、よく思いつくものだとグレンは感心した。
「何とでも言えと言った」
「……では、言いましょう。怪しさの第一は言うまでもありませんね。道案内に大隊を派遣してきたことです。誠意などと言っていましたが、それであれば外交の時点で言うはずです。そうでなくても、もっと早い段階で告げてくるはずです。共同で戦うとなれば、我が国の計画も変わることになると分かっているはずですから」
「そうだな」
「悪意で考えれば、先に言えば断られると思ったからです。自分であれば自軍に完全に信用出来ない千人もの部隊を入れようとは思いません」
「私もだ」
「だから、いきなり部隊を送りつけてきた。王都に伺いを立てる時間はない。断ると印象を悪くするという遠慮もある。受け入れる可能性は高い。そして我が軍は実際に受け入れた」
「……なるほど」
今度はハーリー千人将がグレンに感心する番だ。ゼクソン王国の考えを細かいところまで読んだ上で、グレンが発言していたことが分かった。
「そして怪しいのは逆に一大隊しか派遣しないと言うことです。本気で誠意を見せるなら、もっと多くの軍勢を派遣してくれば良い。アシュラムから領土を奪う機会だと大軍で攻め込んでも良い。逆に我が国を疑っていて監視のつもりだとしても、一大隊では少ないと思います」
「……そうだな」
グレンの説明は論理的で、それを聞いているとハーリー千人将の中で疑いが確信に変わっていっている。
「アシュラムと本気で戦う気はない。であれば部隊を送る必要はない。それなのに大隊を派遣した。裏切りから守るのは難しくても裏切る側であれば一大隊で十分です。全軍の六分の一が裏切る事になるのですから」
「ああ」
「そして」
グレンがゼクソン王国を疑う理由はまだある。
「まだあるのか?」
「はい。山中を進むという行軍路です。アシュラムに見つからずに国境を越えられる行軍路を知っていて、落とすべき国境の城塞にどれだけの援軍が、どれくらいの期間で送られてくるのかを知らない。そんなことがあり得るでしょうか?」
「ふむ」
「五日で行ける所を十日かけて進軍します。でも援軍が来るのに、実は五日かかるのだとしたら? 街道を進んでも五日攻める時間が我が軍に与えられるのに、それを捨てることになります」
「それは? もう少し分かりやすく説明してもらえるか?」
グレンの説明の意味がハーリー千人将にはすぐに理解出来なかった。
「アシュラムが我が軍の侵攻を知るとしたら、進路を北に変えた時です。軍勢ではないので城塞に報告するのに五日はかからないでしょう。そこから援軍要請を派遣して、到着まで五日。……ちょっと計算間違えました。でも、数日の余裕があるのは確かです」
「確かに」
数日のずれがあろうと、援軍前に砦を攻めることが出来るのは、間違いない。
「山中を進んだ場合も必要ですか?」
ゼクソンが裏切っていなくても、隣国を敵対国が攻めるのに、アシュラムがそれを監視しないわけがない。侵攻先がアシュラムであるというのは、北へ進路を変えた途端に知れることになる。奇襲になどならない。
「……それでも兵数は五分だ。裏切りを警戒さえしておけば勝てる」
「何故、五分と思うのですか?」
「アシュラム全軍の半数の五千。それとゼクソンの千。違うのか?」
「中軍も十日とは限りません。もっと掛かるかもしれませんが?」
「……さらに到着を送らせて、時間差を作るということか」
「まずは先軍をアシュラム全軍の一万。倍近い数で破っておいて中軍に向かう。理想的な各個撃破です」
「…………」
ハーリー千人将の顔に驚きが広がっていく。グレンがこの短時間でここまで考えていたとは思っていなかったのだ。
ただ、これは勘違いだ。グレンはこの場で全てを考えたわけではない。漠然と考えていたゼクソンの裏切り方の一つを、ケーグルから情報を引き出すことで検証しただけだ。
「さて、実際の状況はもっと酷い可能性があります」
「何だと?」
「今の話はゼクソンがアシュラムに対して、消極的な協力を行った場合です。もし全面的に手を組んでいた場合は、明日にも我が軍の進軍がアシュラムに知れ、行軍路は全て把握されていて、どこで待ち伏せされるか分からないという状況になります。しかもアシュラムとゼクソンの連合軍によって」
「…………」
わざわざ両国は砦で待ち構える必要はない。自分たちに都合の良い場所を選んで、奇襲すれば良いのだ。
「それでも侵攻は止めることは出来ない。罠があると分かっても進まなければいけないのですね?」
「……そうだ」
「では、せめて全軍の中隊長以上には注意喚起を。混乱を防げるだけでかなり違います」
「そうだな。しかし……なるほどな」
ハーリー千人将は納得の言葉を口にして、グレンに笑みを向けている。
「どうされました?」
笑うような話をした覚えのないグレンは、ハーリー千人将の笑みに少し戸惑いを感じている。
「閣下がお前を手元に置こうとするわけだ」
「…………」
「閣下はそう遠くないうちに退役される。その後は私の下で働かないか?」
「それは出来ません」
ハーリー千人将の誘いに、すぐにグレンは拒否を返した。
「何故だ? いずれは元帥まで。私はそう思っている。付いて来るのは悪いことではないと思うが」
「自分は遅くても閣下の退役までには軍を離れる予定です。軍籍という意味ではなく、軍との関わりを絶つという意味です。ハーリー千人将が、将軍はともかく大将軍になられるまでもいられないでしょう。それに、そもそも軍での立身を望んでいません」
トルーマン元帥が退役するのであれば、グレンもお役御免だ。そういう約束をトルーマン元帥としている。
「何故だ? 認めるのは癪だが、お前には軍事の才能がある。それを活かそうとは思わないのか?」
「戦いが嫌いだからです。嫌いなことをずっと続けようとは思いません」
「……そうか」
「一通りはお話しました。まだ何かありますか?」
「いや、無い」
「では、自分もこれで失礼いたします」
さっと席を立ってグレンは天幕を出て行く。その背中を見送ってハーリー千人将は、小さく呟いた。
「喜んで良いのか、悲しむべきなのか……喜ぶべきか。私は人の下にいるのは我慢出来ないからな」