戦況は一変した。道の拡張と砦の建設工事。その場はローゼンガルテン王国軍にとっては奇襲に怯える場所ではなく、敵を罠にかける場所に変わっているのだ。奇襲を狙って森に潜んでいる魔人軍に対して、ジグルス率いるリリエンベルク公国軍は片端から襲撃を行っていった。
最初の頃は実戦に慣れていない面もあり、かなり怪我人を出していたが、途中からはそれほど無理な戦いではなくなった。襲撃を行い反撃に出てきた魔人軍を、エカードたちの部隊が待っている場所まで引き込めばジグルスたちの役目は終わり。強敵は全て彼等が倒してくれるのだ。
効率があがるとそれだけ襲撃回数は増えていく。増大する被害を恐れ、魔人軍が奇襲を仕掛けるのを諦めればそれはそれでローゼンガルテン王国軍にとってはありがたい。邪魔されることなく砦が建設出来るのだ。
すでに砦の建設は二つ目に移っている。一つ目の砦も拡張工事が引き続き行われている。万の魔人軍に襲われても守り切れるだけの砦、それが出来たら次は二つの砦を連結してさらに多くの魔人軍に攻められても守り切れる砦、最終的には十万の魔人軍に攻められても守り切れる砦にしようとしているのだ。ただ実際にそこまで行うかは別で、魔人軍にそう思わせるだけの工事をしているということだ。
「後方の砦の建設も進めています。とりあえずの形はそう時を掛けずに出来るでしょう」
ローゼンガルテン王国軍の目は後方にも向くようになっている。それが出来るだけの余裕が生まれたということだ。
「では物資の搬入を始めます」
「それは構いませんが……この軍の物資は潤沢というわけでは」
その物資はどこから運ばれるのか。砦の構築を決めたのは最近だ。それからすぐに手配を始めても現地に届くにはまだまだ時間がかかるはず。タバートはこの軍の物資を当てにしているのだとラードルフ総指揮官は考えた。
「良い調達先が見つかりました。輸送も速い」
タバートが言う調達先の輸送力は恐らくはローゼンガルテン王国内で最速。そこを紹介したのはジグルス、ではなくリーゼロッテを通してだ。
「そうですか……結構です」
「飛竜の展開はどのような状況ですか?」
「……徐々に捜索範囲を広げています。かなりの範囲を回れると思いますので、奇襲を受ける心配はなくなるでしょう」
飛竜は戦闘に投入するのではなく、偵察専用とすることになった。前面の魔人軍ではなく、後方に現れるかもしれない魔人軍への対応だ。奇襲を許さなければ、包囲されることはまずない。万一、接近を許した時も後方に築いている砦で包囲の穴を作ることを考えている。
「後方の砦、飛竜の配備が整ったところで軍の一部を後方に下げようと考えています」
「後方、ですか?」
後方は、後方の築いた砦のことではない。そうであればわざわざ伝えてくることではないのだ。
「北部からの侵攻に対してはまだ何の対処も出来ておりません。それに回します」
包囲を回避する為の方策は今まさに進めており、そう遠くないうちに整う。だが当初考えていた反対側、北東部からの侵攻に対しては何の策も打てていないのだ。
「……どれほどの数を?」
「半分です」
「……半分ですか……戦術を見直す必要が出てくるかもしれませんが、まあ、可能でしょう」
ラヴェンデル公国軍の半分となる六千。それだけの数が減るのは痛い。ただ、今現在、目の前の戦いで必要なのは数ではない。そういう状況ではなくなっているのだ。それよりも北東部の危険を少しでも軽減するほうが良い。ラードルフ総指揮官はそう判断した。
「リリエンベルク公国軍も一緒に」
「なんですって!?」
だがリリエンベルク公国軍までこの戦場を去るとなると話は違ってくる。今の戦況を作ったのはリリエンベルク公国軍。これを否定出来る者は、この軍には一人もいない。
「前面の魔人軍を殲滅することは不可能です。そうなるとこの先の方針は一つ。敵を減らし、減らした分、自軍もこの戦場から離脱する」
魔人軍を殲滅することはまず不可能。敵の総大将といえる魔人を討てれば違うのかもしれないが、まったく姿を見せない、どこにいるかも分からない相手を討つのにどれだけの年月が必要になるのか。さらにそれが成功したからといって魔人軍が去る保証はないのだ。
「……それでラヴェンデル公国はよろしいのですか?」
戦いが長期化すれば戦場となっているラヴェンデル公国が一番不利益を被ることになる。それを確認したラードルフ総指揮官だが。
「では、良くないと言えば王国軍はずっとこの地で戦い続けてくれるのですか?」
「…………」
タバートの返しに何も言えなくなった。
「確認させてもらいたいのですが、まさか王国軍は兵力の温存を図っているのではないでしょうね?」
「兵力の損耗は避けなければなりません」
「そうではありません。私が聞きたいのは、この地、いえ、ラヴェンデル公国内での戦いを王国軍は本気で戦う気はあるのかということです」
「……その言い方は失礼ではありませんか? 我々も多くの犠牲を出してここまで戦ってきました」
ラードルフ総指揮官の表情には怒気が浮かんでいる。だがそれで引っ込むくらいならタバートも初めからこんな話は切り出さない。
「犠牲者の多寡について議論するつもりはありません。私が聞きたいのは、何故、王国軍の援軍は来ないのか。これはこの地だけの話ではありません」
ローゼンガルテン王国軍の一万二千がラヴェンデル公国軍の領地に近い場所に配置されている。魔人軍のさらなる侵攻に備えてであるが、そこから先に進もうとはしていない。そういう報告をタバートは受けていない。
「……速やかに動く準備は出来ています」
「ですが、あくまでも魔人軍の侵攻を待とうとしています。防ごうとはしていません」
「……貴国だけを優遇するわけにはいかないのです」
これは、ローゼンガルテン王国軍は事が起きてから行動を起こそうと考えていることを認めたも同じ。
「公国を平等に、ですか。戦時にそんなことを考える必要があるのでしょうか?」
すでに戦いが起きているというのに、他の公国に配慮して軍を送るのを躊躇うなど馬鹿げているとタバートは思う。そもそも魔人との戦いはローゼンガルテン王国全体での戦いなのだ。王国、四公国の区別などしている場合ではない。
「それについては同感です。しかし、我々には戦略を決める権限などないのです」
ラードルフ総指揮官は西部方面の総指揮官に過ぎない。しかもラヴェンデル公国全体に戦いが広がれば、その地位は別の者に移る可能性だってある。率いている一万二千の現場指揮官に過ぎないのだ。
「……戦争の決着はどうつけるつもりなのです?」
「分かりません。ただ騎士団長が敵本拠地での決戦以外にないと考えているのは知っています」
「敵本拠地……この戦場はその為の予行演習ですか?」
森林地帯にこもる敵をいかにして制圧するか。それを今まさに行っているのだ。
「初めから意図したものではありません。結果としてそのような形になっているだけです」
「……経験を積んだ部隊を温存しろという命令が?」
予行演習を行えても、そのノウハウを持った軍が本番に参加しなければ意味はない。その為にローゼンガルテン王国軍は犠牲を出さないような戦い方を行おうとしているとタバートは考えている。
「温存してどうなるのです? 今、戦況を優位に進められているのはリリエンベルク公国軍がいてこそです」
「では、そのリリエンベルク公国軍と同じ戦い方が出来るようなったらどうなります?」
「……本拠地へ攻め込む時に役立つでしょう。多くの部隊が同じ戦い方が出来るようになれば、勝利の確率は高くなります」
本拠地を襲い、少なくとももう二度と戦争は起こさないと思うくらいの損害を敵に与えなければ終わらない。騎士団長と同じ考えをラードルフ総指揮官も持っているのだ。
「……では本拠地に攻め込むのはいつですか? どういう状況になれば、王国軍はそれを決断するのですか?」
「……私には分かりません」
これは事実だ。ラードルフ総指揮官には王国軍が、騎士団長が何を待っているのか分からない。ただ分かるのは、その答えを聞いてもタバートが納得することはないだろうということ。ラヴェンデル公国にとって、きっと良い条件ではないということだ。
◆◆◆
タバートがラードルフ総指揮官と話し合いを行っている間、リリエンベルク公国軍でも今後の戦況の予想については打ち合わせが行われていた。今後あり得る動きを全員で共有しておこうという考えから行われている打ち合わせだ。
その打ち合わせを主導しているのはジグルス。この類いの話となるとジグルスが中心になるのはいつものことだ。
「……ラヴェンデル公国以外で戦いが起こる可能性?」
いきなり予想外の話が出て、リーゼロッテは驚いている。これまでの話では出てこなかった内容なのだ。
「はい。もともとあった話ですけど、今はより可能性が高まったのではないかと個人的に考えています」
「理由は?」
「魔人軍の動きが鈍すぎます。ラヴェンデル公国に王国の戦力を集中させるのであれば、とっくに動いていないとおかしいと思います」
今目の前の戦況はローゼンガルテン王国側が優勢だ。さらなる援軍が来る可能性は少ない。ではラヴェンデル公国の別の場所で新たな戦いを起こすのかとなるのだが、それにしても動きがなさ過ぎるとジグルスは考えている。
「どうして魔人軍は動かないのかしら?」
「ローゼンガルテン王国軍が動かないからではないですか?」
「……動かす為に動くのではないの?」
魔人軍がラヴェンデル公国内でさらなる軍を動かせば、王国軍も動かざるを得なくなる。最初からそういう意図を持っていたのだとリーゼロッテは考えていた。
「動かす為に動いても思うように動かないのであれば動けません」
「……はい?」
「すみません。少しふざけました。これもまたあくまでも可能性ですが、王国は公国の犠牲を覚悟している。そう相手に思われたのではないかと」
「……実際にそうなの?」
「分かりません。可能性の話であれば、無というもののほうが少ないのではありませんか?」
多くのことは百パーセント否定出来ない。ただジグルスが「分からない」の言葉のあとに、あえて可能性の話をするのは、有りのほうをより思っているからだ。
「……魔人軍を分散させたところで、守りの薄くなった本拠地に攻め込むということね?」
「普通にあり得る戦い方です」
敵の戦力を決戦の場から引き離して戦いを有利にする。魔人軍が王国軍を引き寄せようとしたのと同じことだ。
「公国の人間としては納得出来ない部分はあるけど、勝つ為には仕方がない作戦なのね?」
「勝てるであれば」
「ジーク……」
リリエンベルク公爵家の人間として公国に犠牲を強いるという考えは受け入れがたい。それでも勝利の為と割り切ろうとしているのに、勝てる可能性はないような言い方をされては気持ちの整理がつかなくなる。
「可能性の話です」
「……結局、どういうことなの?」
「判断材料が少なすぎます。魔人軍の総兵力も分かっていないのに、勝てるなんて思えません。総兵力は千万かもしれないのです」
「えっ……」
総兵力千万。リーゼロッテにはまったく想像出来ない数だ。
「まずないですけど」
「ジーク……」
「いや、少しは自分で考えて頂かないと。これはその為の会議です」
この会議はジグルスが一方的に話す場ではない。いつものようにそれぞれが考えて、意識を統一する為の会議なのだ。
「そうね……ごめんなさい。ジークの話がいきなり飛んだこともあってつい……」
リーゼロッテの言い訳に周囲も同意の頷きを見せている。ラヴェンデル公国内だけの戦いを考えていたところに、いきなりローゼンガルテン王国全土に思考の範囲を広げられたのだ。自分の考えなど出てこなかった。
「ああ、話の展開が悪かったですか。思考が固定されるのは良くないと考えて、わざとだったのですけど」
「いえ、ジークが悪いわけではないわ。貴方の言う通り、ラヴェンデル公国のことしか考えていなかったのが悪いの」
「そう言って貰えると助かります。さて話を戻します。とにかく敵の情報が少なすぎるのです。もしかすると俺たちは勝ち目のない戦いを挑んでいるのかもしれません」
「そんなことないわ!」
「はい?」
割り込んできた声。それは会議の参加者ではない人物、ユリアーナの声だった。
「私たちは勝てる!」
「……訓練の相手をお願いしていたはずですが?」
この場にユリアーナがいることはおかしくない。本当に今日もリリエンベルク公国軍の陣地を訪れてきたユリアーナに、ジグルスは兵士の訓練の相手を頼んでいたのだ。対魔人戦の訓練だ。相手としては申し分ない。
「ちゃんと相手したわよ」
「……そのようですね」
ユリアーナの向こう側で苦しそうに息を切らしている兵士たちの姿が見える。順番に百人の相手をしていたはずのユリアーナは平気な顔をしているというのに。
「えっと……ああ、勝てるという話ですね。その通りです」
「えっ……」
「そういう反応をされると困るのですけど? 魔人との戦いに勝てる、で良いですよね?」
「……根拠とかは良いの?」
根拠を求められてもユリアーナには答えられない。その答えられないことでエカードたちはまともに話を聞いてくれなくなったのだ。
「根拠があろうとなかろうと俺たちは勝つしかありません。勝たなければ未来はないのです」
「……そうよね」
「ただその可能性を高める為には情報が必要で、それに基づく戦略、戦術が必要になります。その肝心の情報がない」
ジグルスも最後に勝つことは知っている。ただジグルスの場合はただ勝つだけでなく、出来るだけ犠牲を少なくして勝ちたいのだ。
「……魔人軍の総戦力は百万よ」
「百万……魔人の数は?」
「……分からない」
詳しい情報をユリアーナは知らない。ただゲームのどこかで魔人軍百万という説明があったことを覚えているだけなのだ。
「……これまでの相手だと一人の魔人に三千くらいの魔物が従っている感じですね。その前提だと百万に対して魔人の数は三百ちょっと……少なすぎますね」
「でも……」
「やはり目の前の魔人軍は味方を誘うことだけが目的の弱兵ということですか」
「えっ……?」
「……あの、さっきから何ですか?」
自分の発言にいちいちおかしな反応を示すユリアーナ。ジグルスには意味が分からない。
「べ、別に。色々なことを考えつくなって感心しただけだわ」
本当は違う。ジグルスが自分の意見を無条件で、実際は無条件ではないのだが、受け入れてくれることに驚いているのだ。
「それが仕事ですから。仮に魔人の割合が一割だとして十万か……さすがに多すぎるかな?」
「魔人と一括りに言っても、その実力には大きな差があるわ」
「魔物と大差ない魔人もいる……そのほうが多い。そうなると十万は多いと言えないか……」
ジグルスの思考は戦争に勝つという前提。主人公たちが倒せる魔人の数はどれくらいだろうという計算だ。完全に感覚だけであるが、何もないよりはマシだと考えているのだ。
「十万の魔人……えっと……リーゼロッテ様は何を怒っているのですか?」
「……怒っていないわ」
「いや、怒っていますよね?」
ジグルスの言う通り、リーゼロッテは明らかに不機嫌だ。怒っていないと言いながら、その頬は子供のように膨れている。ジグルスが自分を放っておいて、ユリアーナとずっと話しているのが気に入らないのだ。
そんなリーゼロッテの気持ちが分からずに戸惑い、とにかく宥めようとしているジグルス。
ユリアーナが初めて出くわす場面だ。いかにも有力貴族家のご令嬢という感じで、高慢ちきな態度を見せていたリーゼロッテ。ユリアーナにとってはそういう存在だったはずなのだが、今目の前で自分の感情を素直に表しているリーゼロッテは純情で、可愛らしい女の子だ。
それはジグルスに対してだけ見せるリーゼロッテの顔。そうなのだろうとユリアーナは思った。それを思って、また少しリーゼロッテが憎らしくなった。