いつもの様に暗いうちに起きて、裏庭で鍛錬を始めていたグレン。
ふと気配を感じて剣を振る手を止める。振り向いた先には、ローズが壁に寄り掛かる様にして立っていた。
「早起きですね?」
「君が物音を立てるからよ。お蔭で起きてしまったわ」
「フローラは全く気が付かないのにですか?」
部屋の中にまで聞こえる様な音を立てているつもりはグレンにはない。実際に、剣を振る音と地面を摺る足の音くらいだ。
「……私は物音に敏感なの」
「そうですか。それはすみません。ローズさんって、独特ですね?」
「何が?」
グレンの問いの意味がローズには分からなかった。
「何だろう? たまに俺が反応出来るくらいの何かを発しています」
ローズの気配を感じたのはこれで二度目。これがグレンには不思議だった。
「私の熱い視線に気付いてくれてありがとう」
「違うと思います」
気配が熱い視線であったとしても、ローズが言っている意味ではない。
「小石投げてあげようか?」
「……それは良いです」
明らかにローズが話を変えてきたのは、グレンにも分かったのだが、これ以上の追求は止めておいた。それはそれで面倒なことになりそうだからだ。
「どうしてよ?」
「あれは騎士の剣であって、兵士の剣ではありません。兵士は一撃で切り殺す必要はない。とにかく敵を動けなくすれば良いのです。こう教わりました」
グレンは兵士だ。そして、生き残ることを何よりも重視している。教わったことを忠実に守ろうと考えていた。
「せっかく教えてあげたのに」
「全てを否定する訳ではありません。小石に当てるというのは意味があると思います」
「良く分からないわ」
否定されたり、肯定されたり。剣の心得がないローズにはグレンの話は理解出来ない。
「当たらないということは、自分の思った所に剣を振れていないってこと。それと動く的を見極められていないってことです。これは出来るようにならないと」
混戦であれば尚更、これが必要になるとグレンは考えていた。強くなれる、生き残る可能性が少しでも上がるのであれば、グレンは何でも身に付けたいのだ。
「熱心ね。そんなに強くなってどうするの?」
「死にたくないだけです。それに……」
もう一つの理由をグレンは口にしなかった。
「妹を守る力が欲しい?」
「まあ」
これも理由の一つではある。
「それは個人の力でどうにか出来ることなのかしら?」
ローズの問いが又、怪しいものに変わっている。
「……どういう意味ですか?」
それを感じたグレンの心に警戒心が湧き上がってくる。
「例えば……国と関係なく、誰にも見つからずに、それでいてある程度の力を持てるとしたら。そういうものに興味ある?」
一つ一つ言葉を選びながら話すローズの説明は分かりにくい。わざと分かりづらい言葉を選んでいるのだから仕方がない。
「……漠然としていますね。どうですかね? 興味はありますけど必要とはしません」
漠然としていると言いながらも、グレンは不要だと断言した。
「どうしてよ? それで妹さんを守れるなら考えても良くない?」
「だからです。ローズさんが何を指して言っているのかは分かりません。でも何となく日陰暮らしな感じがしました。俺はそれで良いのですが、フローラには日向を歩いて欲しいです」
汚れるのは自分だけ。グレンは妹のフローラには清らかで居て欲しいのだ。
「そういうことね」
「そういうことです」
納得の言葉をローズは口にした。それは、グレンの感じた通りのものだと認めたということだ。
「君は日陰暮らしでも良いの?」
「俺はもう日陰を歩いています」
「……ねえ、君ってさ。何を隠しているの?」
国軍兵士は日陰を歩く仕事ではない。グレンがこう言うからに他に理由があるはずだと、ローズは考えた。。
「そうですね。ローズさんが隠しているくらいのことは、隠しているかもしれません」
「隠しているのは君への思いだけよ」
内心の動揺を隠しながら、見当外れの答えを返すローズ。だが、今回はグレンはこれに乗らなかった。ローズはやり過ぎたのだ。
「少なくとも、盗賊に攫われた身ではないと分かっています」
グレンの追求が始まった。
「……どうして?」
「ローズさんって肌綺麗ですね?」
「あっ、ありがとう。君の口からこんな言葉が出るなんて意外。嬉しいわ。少しは私の魅力が分かった?」
ローズが戯けて見せても、グレンの表情は変わらない。真っ直ぐにローズを見据えて、次の言葉を続けた。
「他の女の人たちはそうじゃなかった」
「……そう」
グレンの指摘にローズは心当たりがある。
「暴力によるものと思われる傷跡や痣が体中にありました。少なくともローズさんは盗賊たちから暴力は受けていない」
「諦めて大人しくしていたのよ」
「そうかもしれませんね。でも多くの場合、そういう女性にも盗賊は暴力を振るいます。まずは恐怖で相手を支配する。逆らう気持ちを奪い取る為に、そうするそうです」
言い訳をしても、グレンはやはり追求を止めない。
「……詳しいわね?」
「一応これでも盗賊退治はそれなりに経験がありまして。殺したのは初めてですけど、保護した女性の面倒はいつも俺がみていました」
「どうして?」
ローズの知らなかった事実だ。女性の扱いが上手とは思えないグレンに、どうして、そんな役割が与えられたのかローズは不思議だった。
「俺が若いからです。それに童顔なのが尚更良いそうです。盗賊に酷い目に合わされた女性は、例え国軍兵士であっても、それが男である以上、怯えてしまいます。だから男をあまり感じさせない俺は適任だそうです」
「……知らなかったわ」
ローズはそうではなかった。調子に乗って、グレンを挑発していた自分の失敗をローズは知った。
「傷もない、男に怯えるどころか、解放されて直ぐに挑発する為に近づいてくる。あり得ませんね」
グレンの顔にかすかに笑みが浮かぶ。普段の温厚そうな笑みではなく、どこか人を馬鹿にしたような笑みだ。
「……それが分かっていて、どうして助けたの?」
グレンの態度に少し怯えながらも、ローズは問いを発した。
「助けるつもりはありませんでしたよ」
「えっ?」
「情報を入手出来るかなと思って。でも盗賊を全て退治する必要はないと知りまして、それで見逃すことにしました。他にも気付いている人は居るはずで、その人たちも何も言いませんでしたからね」
「私を盗賊と決めつけているのね?」
「ええ。さっきの話で確信しました。あれって、俺に盗賊になれって言ったのですよね?」
「……話を急ぎ過ぎたわね」
更に自分の失敗を悟るローズ。ローズはグレンを完全に見損なっていた。真面目そうな仮面の裏に隠れた本当の顔に気付いていなかったのだ。
「急ぎ過ぎではなく、真っ直ぐ過ぎです。もう少し遠回しに話さないと」
グレンの顔にはもう明らかな冷笑が浮かんでいる。
「そう。次からは気をつけるわ……それで私はどうなるのかしら?」
次があるかどうかは、グレンの気持ち次第だ。
「別に盗賊だと分かったからって何もしません。そう言っているじゃありませんか」
「でも弱みを握られたわ」
悪人に弱みを握られたまま生きるということは、時に死ぬよりも辛いことがある。
「そんな風には思っていません」
「口止めの為に私の体をあげるわ。好きにして」
懲りずにいつもの様に挑発の台詞を口にするローズだったが。
「大して経験ないくせに強がらないでください。いや、未経験ですよね?」
今のグレンには全く通用しない。かえって冷めた目で見つめられるだけだった。
「……自分はあるような言い方ね?」
「ありません。この辺りの娼婦の人にはそれでよくからかわれます。ローズさんの様に、腕を絡ませて密着してくるなんていつもですね」
「でも経験ないのでしょ?」
「密着です。太ももが当たろうが胸が当たろうが彼女たちは気にしません。いや、わざと押し付けてくるかな?」
「…………」
これもローズとは違う。自分の挑発が形だけのものだと初めから見抜かれていたという事実にローズは羞恥と怒りが入り混じった複雑な思いを感じている。
「でもローズさんは挑発しているくせに躊躇いがある。それと」
「もう良いわ!」
ローズは声を荒げて、グレンの言葉を遮った。これ以上、詳しく説明されても、恥辱を感じるだけだ。
「そう」
「……君って見かけによらず、油断ならないわね?」
「見かけがこうだから、油断してもらえるのです」
自分の見かけも利用している。ローズが思っていた以上の強かさだった。この若さで、どうしてこうなのか、ローズは気になってしまう。好奇心の強さもここまで来ると、もう病気に近い。
「日陰を歩いていると言ったわ」
「これ以上は深入りしないでください。見逃せなくなります。あえて盗賊と見抜いていることを話したのは、はっきり言って脅しです」
「……怖いわ。やっぱり、盗賊にならない? それに盗賊といっても」
「フローラが幸せになるのを確認するまではあり得ません。いえ、違いますね。絶対にあり得ません。兄が盗賊になんてなったらフローラは肩身が狭い思いをします」
「でも人には言えない隠し事がある」
「隠したまま消えれば良い。それだけのことです。もう質問は止めてください。俺が口を滑らせて困るのはローズさんです」
隠している事実を知れば生かしてはおかない。これも脅しだ。
「……最後に一つだけ。どうして妹さんのことをそこまで」
「たった一人の家族です。当然ですよね?」
「そう」
後はもうローズがそこにいることを忘れたかの様に、グレンは剣を振り始めた。しばらくは、それを見ていたローズだったが、グレンにもう何も話す気がないとみて、諦めて食堂に向かった。
「ねえ、彼って何者?」
「客人。馴れ馴れしく話しかけないでくれるか」
「……貴方のお仲間?」
「違う。これだけは教えておこう。後はもう構うな。痛い目を見ると思うぞ。俺も奴にどんな秘密があるか知らん。だが、あの年で奴の目の奥には暗い影が見える。それはここに来た時に既にそうだった」
「彼がここに来たのは何才の時かしら?」
「四年前。十二か十三か」
「その年で人を殺しているのね?」
人を殺したことがある人間には、不思議と目に影が宿る。これをローズは知っていた。
「……知らんな」
「そう。さてと、もう一度寝直そっと」
わざとらしく伸びをしてローズは階段を昇って部屋に戻っていく。食堂に残ったのは、仕込みを続ける親父さんの姿だけだった。
◇◇◇
調練場に向かうと直ぐにドーン中隊長によって招集がかかった。集められたのは中隊の全小隊長。滅多に使わない会議室に全員が集められた。
何事かと緊張していた面々だったが、ドーン中隊長が説明を始めると、一気にその緊張は解けた。調練についての話だったのだ。但し。
「合同演習って何をするのですか?」
グレンにとっては初めて聞く調練だ。まずは、どんな調練か聞かないと、この先の話も分からないと思って、真っ先に質問をした。
「三軍全体での調練となる。当然、騎士団も参加だ」
「そんな規模の調練なのですか?」
三軍全体。つまり国軍中央全体での調練だ。中隊での調練までしか経験していないグレンには想像がつかない規模の大きさだった。
「もちろん全ての部隊が一度に参加する訳ではない。何回かに分けて行われるし、任務に就いている部隊は除外だ」
「それに自分たちもですね?」
口を挟んできたのはボリス小隊長だ。今いる小隊長の中では、古参のボリスだけが合同演習を知っている。
「いや、それが今回は第三軍にも招集がかかった。だから、こうして集まってもらったのだ」
「まさか?」
ボリス小隊長の口から驚きの声が漏れる。
「あの、何を驚いているのですか?」
ボリス小隊長が驚く理由がグレンには分からなかった。
「合同演習は前回はいつだ? とにかく思い出せないくらい前に行われたが、その時は第三軍は参加していない」
「どうしてですか?」
「騎士団との調練などやったことがないだろう? 全隊調練は、魔導部隊を除く、全ての部隊が編成されて行われるが、第三軍には他の兵種との調練経験がない。連携など取れるはずがない」
「やるだけ無駄ということですか?」
「そういうことだ。国軍と言っても第三軍の扱いは地方軍と同じなのだ。全く、どうしてこうなったものか。他の中隊も慌てているだろうな」
「それはいつ行われるのですか?」
ここで今度はウォーレス小隊長が質問をしてきた。ウォーレスは第六小隊の隊長だ。
「三ヶ月後だ」
「では、それまでに連携調練は行われるのではありませんか?」
「あるかもしれんが、今のところ、その予定は聞いていないな」
「……無駄な調練ですね」
ドーン中隊長の説明を聞いて、ウォーレス小隊長は一気に不機嫌になる。連携調練もないままで合同演習に参加しても恥をかくだけだ。
「まあ、命令である以上、仕方がない。やれることをするしかないな」
ウォーレス小隊長の気持ちが分かって、ドーン中隊長は宥めの言葉を口にした。本音はドーン中隊長もウンザリしているのだが。
「あ、あの」
そして又、グレンが少し遠慮がちに声を出す。
「何だ?」
「それは特別手当なんて?」
手当の有無は、グレンのやる気に大きく影響する。国軍全体での調練ともなれば尚更だ。零か百、このどちらかを選択することになる。
「調練だぞ? 出るわけが……ああ出るか。戦功第一等と認められれば報奨金が出る」
「おっ?」
まさかの報奨金の存在にグレンの胸が高鳴る。
「だが諦めろ。それこそ、お前が知っている決戦兵種。騎士にしか機会はない」
一番手柄だ。勝利を決めた者が手にするに決まっている。
「……残念です」
「目指してみるか?」
落ち込んだ様子のグレンに、ドーン中隊長が思いがけない言葉を掛けてきた。
「方法があるのですか?」
ドーン中隊長の言葉に期待を膨らませたグレンだったが。
「敵方の大将の所に一番乗り出来れば可能性はある」
「それ無理です」
人の足ではどんなに頑張って走っても馬に敵うはずがない。
「まあ、そうだ。だが、可能性は全く無い訳ではない。千回に一回の確率であってもな」
「……無くはない」
ドーン中隊長の言葉を受けて、グレンは考え込む様子を見せている。
「おい、グレン。本気か?」
それを見て、ボリス小隊長が心配そうに尋ねてきた。
「あっ、いえ」
「構わんぞ。なんなら、お前の小隊には行動の自由を許す」
ボリス小隊長の問いに否定で返したグレンに対し、又、ドーン中隊長は煽るようなことを言ってくる。
「中隊長。そんな勝手を許せば中隊全体の統率が乱れます」
ボリス小隊長が慌てて、ドーン中隊長に注意するが。
「では、グレンの言う通りに中隊全体を動かすか?」
ドーン中隊長は更に無茶を言ってきた。これを聞いたボリス小隊長は、その視線を真っ直ぐにドーン中隊長に向けたまま固まっている。
「……本気ですか? 万一ということがあったら」
「万に一だ」
「……そうですか」
納得した様な言葉をボリス小隊長は口にする。
「あの、どういうことですか?」
二人のやり取りの意味がグレンには全く分からない。
「やりたいように、やれということだ」
「はあ」
気の抜けた返事をするグレンだが、これで合同調練での中隊の指揮は、グレンに任されたことになった。
「では、そういうことで。後、わざわざ集まってもらったのには、もう一つ訳がある」
合同調練の話を終わりにして、ドーン中隊長は別の話題に移ろうとしている。
「俺は退役だ。三ヶ月後。合同演習が終わった後だな」
「どういうことですか!?」
真っ先に声をあげたのは、やはりボリス小隊長。ドーン中隊長との付き合いはこの中ではもっとも長い。ショックは他の者より大きいのだろう。
「どうやら不正がバレた。いや、バレそうなのだな」
「「「そんな!?」」」
小隊長全員がこの事実に驚きの声を上げる。声を上げていないのはグレンくらいだ。
「驚かないのか?」
そんなグレンに視線を向けて、ドーン中隊長が問いかけてきた。
「驚いています」
「何を?」
「……中隊長が辞められることをです」
少し間を空けてグレンは答えを返した。返事を迷ったのだが、ドーン中隊長が自ら不正の話をしたので、恍ける必要はないと考えてのことだ。
「やはりそうか。気が付いていたのだな? いつからだ?」
「最近です。小隊長になって色々とお手伝いすることがありましたから」
字が書け、計算も出来るグレンは、事務仕事をやたらと手伝わされていた。
「なるほど」
「正直マズイかなとは思っていました。自分が気付くくらいですから」
「誰かに話したか?」
「申し訳ありません。フランクに聞いてしまいました」
「グレン! 貴様!」
グレンの言葉を聞いて、ボリス小隊長が声を荒げる。
「待て! グレンは聞いたと言ったのだ。どういうことだ?」
それを制してドーン中隊長がグレンに問い掛ける。
「計算が合わなくて。フランクは裏方の仕事に詳しそうなので、聞いてしまいました。申し訳ありません。フランクがそういうことを調べに来ているのだと知らなくて」
「フランクが監察官だと?」
グレンの言葉は、フランクの正体を知っていることを意味する。
「分かったのは今です。フランクは前歴がはっきりしませんでした。怪しいと思ってはいたのですが……軽率でした」
「……部下の前歴を調べていたのか?」
そんなことをする小隊長など居ない。居るとすれば自分たちの様に後ろ暗いところがあるからだ。ドーン中隊長の胸にグレンへの疑念が広がっていった。
「たまたまです」
「お前……」
ドーン中隊長の内心を知ってか知らずか、グレンは何食わぬ顔で答えた。
「ちなみに、監察が入るのがいつかは分かっているのですか?」
「……恐らくは三ヶ月後だ」
「そんな先ですか」
「中隊長の俺が不正で捕まれば、それは軍の不祥事になる。退役した後であれば、不祥事には違いないが、処分を軍内に通達する必要はなくなる。知る者は極限られた人数になるので、軍の傷は最小限に押さえられる。そんなところだろうな」
「姑息ですね?」
「それが組織というものだ」
組織はそれに属する者たちの強い連帯感を育てる。それが正しい方向に向かえば大きな成果を生み出し、悪い方向に向かえば、組織防衛の為の、不祥事の偽装や隠蔽という不正を生む。短い言葉だが、多くの意味を含んでいる。
「そうですか……それでどうするのですか?」
ただ、今のグレンには響かない。もっと興味を引くことがあった。
「どうするとは?」
「大人しくその日を待たれるのかと思いまして」
グレンの質問の意味。これを考えて、ドーン中隊長は顔をしかめる。
「……何を考えている?」
「隠蔽」
グレンのこれは組織防衛の為ではない。
「出来るわけがない。自分でも分かると言ったではないか?」
「それを分からないようにすれば良いのではないですか?」
「……出来るとは思えん」
相手は監査部だ。少々手を加えたくらいで誤魔化せるとは、ドーン中隊長には思えない。
「では勝手にやってもよろしいですか?」
ドーン中隊長が何を言おうと、グレンに諦めるつもりはない。
「出来るのか?」
「自信はありません。でも何もしないよりはマシかなと」
「……お前も関わっていると思われるぞ?」
隠蔽に動いたことが監察部に知られれば、グレンも罪に問われることになる。
「ですから、その分を危険手当ということで」
グレンの目的は金だ。一気に大金を手に入れられる機会だと思っているのだ。
「危険手当?」
「これまでに溜めた中から、自分にも分け前を頂きたいと思います。捕まる危険を冒すのですから、それなりの」
「……お前」
これまでグレンが見せなかった姿。グレンが見た目通りの人間ではないことが、ドーン中隊長も、そして周りで話を聞いている小隊長たちにもはっきりと分かった。
「どうされました?」
「意外に悪党だな?」
「真面目だと公言した記憶はありませんが?」
確かに周囲が勝手にグレンは真面目だと思っていただけだ。だがそれは、そう思わせるようにグレンが振舞っていたからだ。
「……いくらだ?」
「それが幾ら溜まっているのかまでは分からなく」
「……俺の分の半分をやろう」
「自腹を切るわけですか?」
これを偉いとグレンは思っていない。危険手当として物足りないだけだ。
「元々は怪我で働けなくなって退役する仲間へ渡すための金なのだ。全てを俺たちが自由にして良い金ではない」
「……何故、そんなことを?」
「軍を辞め、しかも他の仕事も出来ないでは生きていけないからな」
戦闘での怪我だ。腕や足の一本がなくなる様な酷い怪我もある。そうなると兵士は勿論、他の仕事も難しくなる。
「それなりの理由があったのですね?」
「まあな。これがあれば兵士は少しは安心して戦える。そして、そのことが部隊を強くする。結局は部隊全体の為になるのだ」
「……国がそれをやれば良いのに」
軍が強くなるのであれば、それは国軍全体、つまり国の仕事だ。グレンは考えを素直に口にした。
「おい。それは他所で話すなよ」
「あっ、そうですね」
直ぐにドーン中隊長がグレンをたしなめた。聞く相手によっては、国政批判と取られかねないからだ。
「渡す金額では一生働かないで暮らせるとは言えない。家族二人で慎ましく暮らしも、まあ二年が良いところだな」
「働かないで暮らすつもりはありませんし、贅沢するつもりもありません」
「それなのに巻き込まれる危険を冒すのか?」
危険の割には得るものは少ない。これでも隠蔽を行おうとするグレンの気持ちがドーン中隊長には分からない。
「自分は静かに暮らしたいのですが、勝手に周りが騒がしくなりまして。軍にも、王都にも長くは居られないかなと」
「……気が付いていたのか?」
グレンの周りを騒がしているものに、ドーン中隊長は心当たりがあり過ぎる程ある。
「色々と質問をされる。宿の周りに見た顔が隠れて立っている。これで怪しまない方がおかしいかと。試しに口を滑らせてみれば、目の色を変えて話に食いついてきました」
「……油断のならない男だ」
探っているつもりが探られていた。これを知って、何人かの小隊長の顔が青ざめてきている。
「理由は?」
「不正の件がある。新任のお前が小隊長に相応しいか、悪い意味でだがな。それを確かめる必要があった」
「今となっては分かります。本当にそれだけかと思うところはありますが」
目的以上に探りを入れている部分がある。これはボリス小隊長の独断が引き起こしたことだ。だが、これを敢えてグレンに教える必要はない。
「それだけだ。そして今のお前を知れば、これ以上、探る必要もない。だが、敢えて一つだけ聞きたい」
「何ですか?」
「両親が何をやっていたのか、本当に知らないのか?」
「知りません。そういう言い方をすると言うことは、もしかして知っているのですか? そうでしたら教えてもらいたいくらいですね」
「いや、悪いが知らん。ただ、お前の両親も只者ではないような気がしてな」
「……そうですか。まあ良いです。それよりも、さっきの話は本当に良いですか?」
ドーン中隊長は何かを隠している。グレンには分かっているが。追求するのは止めておいた。今は良い関係を保つ時だ。
「さっきのとは?」
「報奨金です」
「俺は構わん。だが、他の小隊長の意見は聞いた方が良いかもしれんな。協力がなければ、幾らお前が頑張ってもうまく行かない」
「そうですね」
ドーン中隊長に納得した様子のグレン。その視線がボリス小隊長に向く。
「俺は問題ない」
「自分も。今のままでは、どうせ失敗する。だったら無駄足掻きだとしても同じことだ」
ボリス小隊長の同意をきっかけに、他の小隊長も同意していく。全員が賛成したことを確認したところで、グレンはドーン中隊長に向き直った。
「では、自由にさせて頂きます」
「ああ、構わない。さて、俺の話はこんなところだ。解散にしよう」
ドーン中隊長の解散の声を受けて、小隊長が順々に部屋を出て行く。グレン以外の小隊長に躊躇いが見えるのは、グレンが何者か気になっているからだ。
ドーン中隊長とボリス小隊長の思わせぶりな話を全員が覚えていた。それでもグレンの手前、二人に聞くことは出来ずに、部屋を出て行くことになった。
残ったのはボリス小隊長だけだ。
「中隊長……」
「知らないのであろう。そう思えるものがあった。根拠はないがな」
「だとしてもグレンは」
普通ではない。しかも、成人しているといっても、グレンはまだ十六なのだ。
「どうやら、とんでもない奴を抱え込んでいたようだ。何が小悪党だ。あの年で完全に俺たちの上を行っているではないか」
「誤魔化せるのでしょうか?」
「どうだろうな? だが、失敗しても元々だ。何をするのか黙って見ていようと思う」
「はい」
グレンのもう一つの顔。それを知ったドーン中隊長の胸には不安と、それに負けないくらいの期待が湧き上がっていた。