指導教官たちは毎日打合せを行っている。特別なイベントが間近に迫っていない状況であれば、明日の訓練内容を確認して、担当を決めるだけの簡単な打合せ。その担当決めも基本は、順番にローテーションするだけなので話し合うことはほとんどない。打合せの時間は短いものだ。
だが今日の打合せはいつもとは違っている。その原因を作ったのはガスパー教官であり、打合せそのものを長引かせているのは、彼のやり方を批判しているレンブラント教官だ。
「ガスパー殿のやられていることが規則違反であることは明白。ただちに止めることを要求します」
「私はただ見習いたちを鍛えているだけ。それに何の問題があるというのだ?」
「養成所の規則では、指導教官が守護兵士候補と特別な関係を持つことは禁止されております」
指導教官が訓練中の見習い守護兵士を勧誘することは禁止されている。直接的な勧誘でなくても、関係性を深めることで、見習い守護兵士の進路決定に影響を及ぼさせることも同じだ。レンブラント教官はガスパー教官がそれを行っていると批判しているのだ。
「私は誰とも特別な関係にない」
「今はそうでも、いずれそうなる可能性があると申し上げているのです」
「分からない。レンブラント殿は何か勘違いをしているのではないか?」
レンブラント教官の追求をガスパー教官は否定する。
「勘違いではありません。特定のチームを担当し続けています」
レンブラント教官が批判しているのはガスパー教官がクラリスたちチーム月の犬ばかりを指導していること。それを特別な関係を構築しようとしているものとして批判しているのだ。
「……確かレンブラント教官は、厳しすぎる指導を止めるように言っていたと思うが?」
「ええ、ずっとお願いしてきました」
「それで特別な関係になどなるのだろうか? 嫌われることになる可能性は高く、そうなれば懸念されているようなことにはならない」
養成所を出たあとまで、自分の指導を受けたいと思うはずがない。これがガスパー教官が、レンブラント教官の訴えを認めない理由だ。
「問題が起きてからでは遅いのです」
この発言は、レンブラント教官の目的が、ガスパー教官にしごきを止めさせることであることを示している。それを隠す必要はないとレンブラント教官は考えているのだ。
「問題とは何だろう? 戦う力がなければ、戦場で命を失うことになる」
「そうであるから、養成所で死んでも同じだと言うつもりですか?」
「その問いに肯定を返すつもりはない。だが、その問いを同じ指導教官であるレンブラント殿が発するのはおかしいのではないかと私は思う。それともレンブラント教官はこう言いたいのか? 落ちこぼれにも使い道はあると」
「それは……」
使い道があることは良いことだ、とはレンブラント教官は反論しない。ガスパー教官が何を言いたいのか、何故、自分に問いを発する資格がないと言うのか、分かっているのだ。
「納得してもらえたかな?」
「……いいえ、納得出来ません。貴方がどう考えようとそんなことはどうでも良いのです。貴方は特定のチームだけに指導を行っている。それは規則違反ですから、改めてもらいます」
「問題のある行動とは思っていない」
「ですから、それはどうでも良いと申し上げています! よろしいですか!? 本来の貴方の立場がどのようなものであるかなど、養成所では関係ありません! 指導教官は平等な立場なのです!」
指導教官は平等の立場であり、見習い守護兵士たちにも平等に、言い方を変えると均等に接しなければならない。誰か一人が他者よりも多く見習い守護兵士たちに接することは認められない。
「レンブラント殿の意見に同意します。ガスパー殿の指導がどのようなものであろうと、私は文句を言いません。しかし、私が指導する機会を奪われることについては、受け入れられません」
他の指導教官がレンブラント教官に同調してきた。この指導教官は、しごきと受け取られるような厳しい指導が行われることについてはどうでも良いと思っている。その結果、ガスパー教官が見習い守護兵士たちに嫌われ、彼が仕える一族を避けるようになるのであれば好都合だ。指導教官の身元は明らかにされないことになっているが、自分と同じ一族に仕えているかどうかは分かる。他家が自滅してくれるなら、それがどの家であろうが、邪魔する必要はないという考えだ。
ただガスパー教官に関しては、多くの指導教官がその素性を知っている。それなりの有名人なのだ。
「他の方たちはどうですか? ご自身の指導が邪魔されていると感じていませんか?」
レンブラント教官も相手に乗っかった。指導の仕方よりも、これを主張するほうが賛同を得られると考え、論点を少し変えてきた。もともと規則違反を追求しているので、多数決など必要ないのだが、ガスパー教官を黙らせるには味方を増やすべきと考えたのだ。
思惑通り、同意する声が圧倒した。公平、平等などという言葉を使っているが、指導教官の多くは自家の利益を追求している。優秀な兵士を自家に仕えさせることが目的だ。それを邪魔する存在の排除には喜んで協力する。今はガスパー教官が相手だというだけで、他の指導教官が邪魔になれば、また手を組む相手を変えることになるが。
「担当は本来の形であるローテーションに。ただしガスパー殿にはしばらく指導から離れてもらいます。これでよろしいですか?」
賛同者が多く出たことで、レンブラント教官は一気にガスパー教官の謹慎にまで話を持って行った。これも他の指導教官たちには、同じ一族に仕えている指導教官は除いてだが、望む展開。賛同者のほうが多くなる。
結果、ガスパー教官は二週間の指導停止となった。三年間の中の二週間と考えれば、短い処分。自分が同じような状況に追い込まれた時のことを考えて、重すぎる処分は望ましくないと、多くが考えた結果だ。
◆◆◆
座学が終わり、戦闘指導が本格化したことによって、サーベラスたちにとってありがたい変化が生まれている。自由時間が増えたことだ。ただ座学がなくなっただけでの変化ではない。全員が最低限の体力をつけることが出来たと判断された時点で、体づくりの鍛錬もなくなったのだ。共同訓練は優秀な者たちにとっては、効率が悪いという考えだ。守護兵士養成所の目的は優秀な兵士を育てること。当たり前のことであるが、その裏には、付いてこられない者は切り捨てるという、そうされる人たちにとっては非情な考えが隠れているのだ。
サーベラスは切り捨てられる立場であるが、共同訓練の時間が減ったことを喜んでいる。彼にとっても共同訓練は非効率。自主練のほうが、遥かに為になると思っているのだ。
実際にそう。彼は自分に何が足りなくて、それを鍛えるにはどうするべきかを考えることが出来る。それがどれだけ大変なことであっても、やり抜く意思がある。
(……持久力は徐々にあがってきている。ただ、負荷が少ないな。もっときつくしてくれれば良いのに)
そのきつい訓練を行いながら、文句を言っているサーベラス。戦闘指導が本格化したといっても、霊力の使い方を訓練する機会が増えただけ。自分の体を追い込むような訓練は、以前よりも減ったとサーベラスは考えている。その分を、こうして自由時間で補わなければならないのだ。
(教官に教わっているのは僕の戦い方だからね。サーベラスには物足りないだろうね?)
指導を受けているのは霊力を使った戦い方ばかり。サーベラスたちの場合は、それはルーの担当になる。サーベラスも同時に学んでいるが、ルーに任せるほうが、より上に行けると考えているのだ
(どうせならルーにとっての体力づくりも指導してくれれば良いのに)
二人が一番悩んでいるのはルーの霊力。なんとかして今よりも増やしたいと考えているのだが、指導は、霊力は増えないという前提となっている。その為の訓練など存在しないのだ。
(その少ない霊力さえ使いきれていないという感覚もあるけどね?)
ルーは自分の霊力を上手く使えていないという感覚を持っている。練度があがれば、それは薄れていくものだと考えているが、少しでも早く自分の限界を知りたいという思いが強い。これはサーベラスの考えが影響しているもので、限界を知らなければ、その先に必要なものが分からない。先を見通した鍛錬が出来ないという考えだ。
(それだよな……食堂で偉そうに語ったけど、本当のところは理解出来ていないよな?)
(聞いていて僕は自分が恥ずかしくなった)
クラリスたちに偉そうに霊力の圧縮について語ったが、自分たちもきちんと理解しているわけではないことを二人は知っている。本当に理解して、それを実践出来ているのであれば、ルーが使いきれていないなんて感覚を覚えるはずがないと考えていた。
(あの教官は遥かに上手く制御が出来ている。騎士と兵士の差で終わらせたくないな)
ガスパー教官は上手く加減して、攻撃をしてくる。相手の防御力に合わせて、剣に込める霊力を変えているのだ。それはチームメイトに対する指導を見ていれば分かる。自分よりも霊力が強いクラリスやクリフォードの防御も、大怪我させない程度で砕いて見せるのだ。
(器を大きくイメージしても霊力は変わらない。やっぱり、もう限界なのかな?)
(そういう風に簡単に諦めない。自分の感覚を信じろ。余力があると感じているのなら、余力はある。それをどう引き出すのかを考えるんだ)
ルーが自分の能力を過小評価すると、すぐにサーベラスはそれを否定する。それがただの慰めではないことが伝わってくる。ルーにとっては、日々のこういったサーベラスの言葉が励みになっているのだ。
(そうだよね……誰か来た)
(ああ、俺も気づいた)
この時間、邪魔が入ることは滅多にない。広大とはいえない傭兵所施設の敷地の中で、そういう場所をなんとか見つけたのだ。秘密特訓をしているつもりは二人にはない。この場所を見つけるまで、鍛錬中に出合わせた人に変わった鍛錬をしている思われて、しつこく話を聞かれることが多かったので、それを避けているだけだ。
「お前か……熱心だな?」
現れたのはガスパー教官。そうであることも二人は気づいていた。彼の、彼と彼の守護霊の気配は、すでに記憶しているのだ。
「指導教官による勧誘は禁止されているはずですけど?」
「…………」
「どうかしましたか?」
想像していたのとは違った反応。「誰がお前みたいな落ちこぼれを勧誘するか」くらいの答えが返ってくることをサーベラスは予想していたのだ。
「ついさっきまで、それで責められていた」
ガスパー教官の反応は、つい先ほどまで指導教官の会議で責められていたことを、サーベラスが問いかけてきたから。会議の内容をサーベラスが知っているのかと思ったのだ。
「勧誘していたのですか?」
「勧誘された覚えはあるか?」
「ありません」
「では私は無実だ。ただ無実かどうかは関係ない。その疑いをかけられた時点で、結果は決まっていたな」
指導教官の間での駆け引き。それをガスパー教官はここに来るまで、甘く見ていた。指導教官の経験がないわけではない。だが、その時とは情勢が違う。各家は、自家の戦力を高める為であれば、露骨な足の引っ張り合いを平気で行う。それを知ったのだ。
「結果というのは?」
「私は二週間の謹慎となった。その間は指導はしない」
「ええ……陰でこっそりというのは?」
ガスパー教官の謹慎はサーベラスにとって痛い。他の指導教官とは比較にならない厳しいだが、分かりやすくもある。厳しい鍛錬を苦にしないサーベラスにとっては、良い指導教官なのだ。
「お前……悪いがそれには応えられない。決定が下されたからには不満があってもそれに従う。それが軍人だ」
サーベラスは自分の指導を望んでいる。それにガスパー教官は驚いた。嫌われるような指導を行っている自覚があるのだ。
「無理か……謹慎はいつから?」
「……明日ということになるか」
指導を外されるのは明日から。サーベラスの問いの意味をガスパー教官は理解した。その問いを向けられたことに、少し驚いてもいる。
「ちなみに教官は霊力を増やす方法なんて知っていたりしませんか?」
「……悪霊になることだな」
「えっ? あるのですか?」
深刻そうな雰囲気のガスパー教官の心をほぐすための冗談。サーベラスはそのつもりだったのだが、まさかの答えが返ってきた。
「喜ぶところか? 悪霊になって魂を食らうこと……なんの根拠もない話だ。悪霊になると霊力があがる。これは事実なのだが、その理由が説明出来ない。宿霊者への警告の意味も込めて、そういうことにしているのだ。つまり、方法はない」
ガスパー教官の答えも冗談。笑えるような冗談ではないが、ただ「ない」で返すのはつまらないと考えた結果だ。
「しゅくれいしゃ?」
「ああ、ここでは使わないか。霊を宿す者をいう言葉だ」
「そういう言葉があるのですね? どう呼べば良いのか分からなかったので、知れて良かったです。でも悪霊って本当にいるのですね?」
守護霊の扱いを間違えると悪霊になってしまうことがあるとクラリスから警告を受けたことがある。守護騎士であるガスパー教官がその存在を認めたのだから、真実なのだとサーベラスは思った。特に疑っていたわけでもないが。
「……ああ、いる。悪霊討伐も守護戦士の仕事だ。その悪霊に取りつかれた者が、元は何者なのかを考えると気が重くなる仕事だがな」
悪霊に取りつかれるということは宿霊者。守護戦士であったかもしれない人だ。そういった人を任務とはいえ、殺すのは気が重い。命令を受ければその遂行を躊躇うガスパー教官ではないが、人としての心まで捨てられるわけではないのだ。
「討伐任務があるってことは、それなりにいるってことですか……原因は分かっているのですか?」
「いや、原因不明だ。いつ、どのようにそうなるのかも分かっていない。現場を見て、生きて証言した者がこれまで一人もいないのだ」
「そうですか……あとは、普通の剣で霊力の防御は破れますか?」
悪霊については多くの情報を得られない。今、絶対に必要な情報でもない。サーベラスは実用的な質問に変えることにした。
「なるほど……相手次第としか言えない。守護兵士が一般兵相手に無敵というわけではない。そうであれば我が国はもっと強国になれるだろう」
霊力の防御は無敵ではない。その力が弱ければ、普通の剣も防ぎきれない。一撃で粉砕されるということは滅多にないが、何度も攻撃を受け続けていれば、やがて壊れてしまうものなのだ。霊力が強ければ繰り返し再生できるが、それも無限ではない。
「相手の力量次第ですか……それはそうか」
どんな攻撃も防ぐ守りも、どんな守りも打ち破る武器も、この世の中には存在しない。相対的にどちらが上かで結果は決まる。その結果も、得意不得意があり、相手によって勝ち負けは変わるものだ。
「霊力の不足を剣の技で補うつもりか?」
「いえ、あらゆることで補うつもりで、霊力の不足もそのままにするつもりはありません」
「……なるほど。他に聞きたいことはあるか?」
サーベラスには霊力の判定だけでは見えない強さがある。なんとなく感じてきたことが事実であるとガスパー教官は分かった。どのような成長を遂げるかは分からない。成長しないかもしれない。だが、本人が可能性を諦めていない以上は、否定することは出来ない。
「あとは……教官に今から汗を流す気があるかです」
「……その気はない」
予想していた言葉、予想していたからの答えだ。
「残念」
「お前相手に汗をかくことなどないと言っているのだ。準備は良いのか?」
「……いつでも」