ローゼンガルテン王国との国境にある城砦。スヴェーア王国はその場所に自国軍を詰め込めるだけ詰め込んだ。数が多ければ多いだけ守るのは容易になる、というわけでもないのだが、そうしないではいられなかったのだ。
今、国境に近づいてきている敵軍は魔人の軍隊。いよいよ魔人が自国に牙を向いて来たのだ。初めて戦う魔人。その実力は、スヴェーア王国にとっては未知数だが、リリエンベルグ公国の中心都市シュバルツリーリエを落とすなど、ローゼンガルテン王国でも苦戦している相手。小国であるスヴェーア王国ではまともに戦って、勝てるとは思えない。こうスヴェーア王国の人たちは考えた。
「……本当に援軍は来てくれるのか?」
不安そうに尋ねてきたのはスヴェーア王国軍の総大将であるエドモンド王子。国の一大事ということで王家の人間が総大将を務めているのだ。
スヴェーア王国の頼みの綱はリリエンベルグ公国からの援軍だ。すでにリリエンベルグ公国という国ではなくなったことは聞いているのだが、建前としてそういうことにされているのだ。
「敵に気付かれないように遠回りをしている分、少し遅れているだけです」
エドモンド王子の問いに笑みを浮かべて応えるアルウィン。彼はアイネマンシャフト王国との窓口役として、この場にいる。
「大丈夫なのだろうな?」
「それは何を心配してのことですか? 魔人の侵攻を防げるかは戦ってみなければ分かりません。戦争の勝敗を商人である私が判断しても、王子殿下は安心されないでしょう。アイネマンシャフト王国を信じて大丈夫かという心配であれば、絶対に大丈夫だと答えます」
「大丈夫と言い切れる根拠は?」
エドモンド王子が心配していたのはアイネマンシャフト王国を信じて良いのかという点。敵の敵は味方というだけでは、魔人の国を信用することが出来ないのだ。
「アイネマンシャフト王国の国王は私の親友ですから」
「親友? 魔人の王が友だと言うのか?」
アルウィンが初めて伝えた情報。ただこれを聞いてもエドモンド王子は、アルウィンの話が信用出来ない。
「はい。ローゼンガルテン王国の王都にあるローゼンバッツ王立学院で学んでいた時からの親友です。その時は彼に魔人の血が流れているなんて知りませんでしたが、そんなことは関係ありません。彼は今も変わらず、信頼出来る人物です」
「……男爵家の子として育ったのだったな」
ジグルスの経歴もおおよそのところは聞かされている。前魔王とエルフ族の息子というだけでは、聞く耳を持ってもらえないと考えたアルウィンが説明したのだ。
「エルフ族を母に持ちますので少し変わったところはありますが、人族の義父を持つ彼の価値観は人族のものです。だからこそ、多種族を統べる王になれたのです」
「それで魔人が従うのが不思議なのだ」
「魔人にも共通する価値観があります。この戦争も子や孫の代の為に起こしたこと。彼らが引き起こした戦争を肯定していただく必要はまったくありませんが、理解は出来るのではありませんか?」
「……確かに」
自国の未来の為に。こう言い変えればエドモンド王子にも同じ想いはある。その為に他種族を攻めるのはどうかと思うが、では人族が他国を攻めるのはどうなのかと問われれば、同じことだと答えることになる。
「少なくともアイネマンシャフト王国の王は争いを終わらせようとしています。敵を殲滅するのではなく、共存出来る相手とは共存する形で。彼の求めるものは臣従ではなく共存です。それを貴国も望めば、彼は共存共栄の道を必死に考えるでしょう。そういう男なのです」
「うむ……」
実際にアルウィンのウィン・ランド商会を通じて行われた交易は、スヴェーア王国に利をもたらした。それについてはスヴェーア王国として高く評価している。だが、それ以上の関係となると決断は難しい。魔人の国と友好関係にある国など、どこにもないのだ。
「殿下! 敵が!」
「なんと!? もう来たのか?」
話をしている間に敵が接近してきていた。まずは陣を組んで、などということをせず、いきなり攻めかかってきたのだ。
「援軍がまだ……」
「いえ、もう到着しています。あれがその証です」
アルウィンが指さす先には空を飛ぶ飛竜の群れ。援軍を運んできた飛竜輸送部隊だ。
「敵はもう目の前だ。間に合うのか?」
飛竜も近づいてきているが、それよりも敵のほうが速いようにエドモンド王子には思える。到着してもすぐに迎撃に加われない。その間は自国軍だけで戦わなくてはならない。そう考えたのだが。
「……いや、あれは空ですね」
「なんだって!?」
「援軍が到着していないという意味ではなく、もうどこかにいるということです。ただ……どこでしょう? 軍事は専門ではないので」
援軍は飛竜を降りて、どこかに布陣している。だがそのどこかがアルウィンには分からない。アルウィンたちは防壁の上、高い場所にいるのだが、発見出来ないのだ。
援軍の姿が見えないことに焦るエドモンド王子。だが、安堵の時はすぐに訪れた。
「いた!」
アルウィンが援軍の姿を確認したのとほぼ同時に、攻め寄せてくる敵の側面で爆発が巻き起こる。多くが吹き飛ばされ、混乱する敵の軍勢。その敵に襲い掛かったのは、雲の影と見間違うような巨大な漆黒の大鎌。なで斬りにされた敵が次々と地に倒れていく。
元から陣形は整っていなかったが、さらにズタズタになった敵に騎馬隊、だとスヴェーア王国軍が思っているケントール族部隊が突撃をかける。縦横無尽に駆け巡るケントール族部隊。奇襲から立ち直れないまま混乱が続く敵、アース族軍は一方的に攻められている。
「……強い」
同じ魔人の軍勢を、遥かに少ない数で、一方的に叩き続けているアイネマンシャフト王国軍。その強さを目の当たりにして、エドモンド王子は喜びよりも驚きが強く、呆然としている。
「あれは敵が弱いのです。魔王軍であればここまで圧倒することは出来ないと思います」
正直にアース族軍が一段下であることを話すアルウィン。敵の弱さに安心され過ぎても困る。アイネマンシャフト王国軍の強さをひどく恐れられても困る。こう考えたからだ。
「それでも……強いな」
「並みの鍛え方ではありませんから。人族の戦術と各種族の強みを融合させると、ああいう軍になるそうです。素人の私には分かりませんが」
「融合か……なるほど」
軍事以外でも人族と魔族、エルフ族それぞれの得意を融合させれば驚くべき成果が得られる。アルウィンが伝えたかったことは、きちんとエドモンド王子に届いた。
まずはこれで良い。共同で何かをしてみたいと思わせること。それが第一歩だ。それが実現すれば結果はついてくる。アイネマンシャフト王国がそれを証明している。この先も証明しつづける。あくまでも、共存可能な相手に限った話だが。
◆◆◆
廃墟となっていたブラオリーリエから南に進路を取ったブルーメンリッター。その行軍は相変わらず、ゆっくりだ。斥候を進行方向に先行させ、安全を確認してから本隊が前進する。それだけではない。左右、そして後方の警戒も怠っていない。本隊からいくつもの斥候部隊が出ていったり、戻ってきたりしている。ブラオリーリエで救出した生存者の証言が事実であれば、彼らは敵のど真ん中に突入したことになる。どこから敵が襲ってくるか分からない状況だと、改めて認識した結果だ。
「素直に知っていることを全て話したらどうだい?」
リリエンベルグ公国の裏切りを信じ、追及しようとしているレオポルドも、この状況には不安を感じている。その不安を少しでも
薄れさせる情報が欲しいのだ。自分がこの状況を作り上げた一因であると知らないで。
「自分が望むことを話せの間違いではないか? そうであれば好きに話を作れば良い」
「そういう反抗的な態度も証拠の一つだ」
「リリエンベルグ公国の騎士とキルシュバオム公国の新人騎士。どちらが偉いのだ? どちらが反抗的なのだ?」
レオポルドは格上の相手ではない。恭しい態度を見せる必要はない。騎士の態度を反抗的と言うのは無理がある。
「……貴方には裏切りの嫌疑がかけられている。その相手に尋問することの何がおかしい?」
「なるほど。自分は容疑者だった。それでは尋問官殿、お求めの情報はどのようなものですか?」
「……軍の拠点はどこだ?」
騎士の挑発に乗ることなく、レオポルドは欲しい情報を求めた。敵軍の拠点はどこにあるのか。情報によっては進路を変える必要がある。少しでも安全な進路を選びたいのだ。
「西に。グラスルーツにもいる」
「それ以外の場所だ!?」
結局、挑発に乗って、声を荒らげてしまう。いつ敵が攻めてくるかと強い不安を感じ、心に余裕がない今は冷静さを保つのも容易ではないのだ。
「……そこら中。こう言えば満足ですか?」
「……それでは分からない」
満足するはずがない。より不安が強まるだけだ。敵はこれまで戦っていた魔人の軍ではない。リーゼロッテが、ジグルスもいるかもしれない軍。そう考えるレオポルドは自分で自分を追い込んでいるのだ。それに巻き込まれたエカードたち、他のメンバーも。
「何を知りたいのか分かりませんが、私よりも先に尋問する相手がいるのではないですか?」
「……それは悪あがきというものだな」
「人の話をまともに聞こうとしない貴方は尋問官には相応しくない。それで真実を見極められるはずがない」
「また侮辱するつもりか?」
侮辱ではなく事実を教えてもらえているのだ。まともに聞く気のない者には、伝わらないだろうが。
「それは誰のことを指しているのですか?」
「エカード!?」
「良いから聞け。誰か聞いて、それで判断すれば良い」
エカードにはまだ聞く耳がある。何が何だか分からなくなっていて、とにかく縋れる何かを求めているだけとも言えるが。
「……尋問すべき相手とは?」
「証言者。まず最初に彼の証言に信憑性があるかを確かめるべきではないですか?」
「その為にお前を尋問している」
「自分が何を仕出かしているか分からないのだな。平時であれば、こんな真似をしていたか。リリエンベルグ公国には叛意があると、誰とも分からない者が証言したら、ローゼンガルテン王国はリリエンベルグ公を尋問したのか?」
さすがに騎士のほうも冷静でいられなくなってきた。レオポルドは自分だけでなく、仲間たちの命を危険に晒そうとしている。今ここでアイネマンシャフト王国と敵対するということはそういうことだと彼は考えているのだ。そのレオポルドが見せている態度。愚者以外の何者でもない。
「……今は戦時だ」
「話にならん。いつ、リリエンベルグ公国はローゼンガルテン王国に宣戦布告した? 逆でも同じだ。事実がないのに戦時だと決めつけるお前は何者だ?」
「もう良い。レオポルド、下がれ」
エカードもレオポルドの態度は間違っていると思っていた。リリエンベルグ公国は裏切ったと決めつけて、まともに騎士の話を聞こうとしない。そんなレオポルドにこれ以上、尋問させるわけにはいかない。何も得るものがない結果が見えている。
「……分かった。すまない」
エカードに否定されると、さすがにレオポルドも冷静になる、というより気持ちが沈む。自分は何を焦っているのだという思いも湧いてくる。
「レオポルドが失礼した。ただ証言の真偽を確かめる為に、貴方への尋問が必要なのは確かだ」
「では聞く内容を間違っている」
「何を聞けば良い?」
とにかく騎士に話をさせること。その中で見えてくるものがあるかもしれないとエカードは考えている。
「証言者への質問。自分であればまずこう聞く。お前はどこで暮らしていたのだと」
「何?」
「証言者はどこから逃げてきた? 魔人の目を逃れて、ブラオリーリエまでどうやって逃げてきたのだと聞いてみれば良い。得られるものは大きい。今も我々の近くを飛んでいる魔人の目を逃れる方法を証言者は知っているのだからな」
騎士がずっと考えてきた証言者の矛盾。真実をエカードたちに知られることなく、彼の証言はおかしいと理解させるにはどうすれば良いか。思いついたことを、今ここで使うことにしたのだ。
「……五千の軍勢とたった一人では違うのでは?」
エカードは騎士の疑問をまったく受け入れていないわけではない。わざと否定的なことを言って、それに騎士がどう反論するかを確かめているのだ。
「そうかもしれない。彼は身を隠すのが得意なのかもしれない。だが何故、ブラオリーリエなのだ? 何故、彼はブラオリーリエにいれば助かると思ったのだろう? それともブラオリーリエには多くの食料が残されていたのかな?」
「それは……なかったはずだ」
食料が貯蓄されていたのであればエカードに報告があるはず。放置しておくか運ぶか、その決断をするのはエカードなのだ。
「弱っているようには見えなかった。ブラオリーリエに到着したばかりだったのだろうか? 廃墟になったブラオリーリエであれば見つからないと思ったのかもしれない。ただ、彼はどうやって生きていくつもりだったのだろう? 魔王への臣従よりも死を選ぶ。忠義厚き民なのか。ただ私であればシュバルツリーリエを死に場所に選ぶ。公が亡くなった場所だからな」
自問自答してきたことを全て吐き出す。ずっと考えてきたが証言者の行動には疑問が多い。当然だ。彼が嘘をついているのは事実。だがエカードたちは事実だと分からない。騎士が考える必要のないことを考えさせなければならないのだ。
「……彼が虚偽の証言をしているとして、それは何故だと思いますか?」
幸いにもエカードは疑問を持った。証言者を疑う気持ちが強くなった。
「分からない。分からないが、騙した相手の為になることではないはずだ」
「……レオポルド、証言者をここに連れてきてくれ」
ついにエカードは証言者に対して、尋問を行うことを決めた。疑いの気持ちを強く持った尋問だ。疑いはさらに強くなるのは間違いないはず、なのだが。
「良い判断だが……手遅れかもしれない」
「どういうことですか?」
「……すぐに分かる」
耳に届く鳥の鳴き声。正しくは、鳥の鳴き声のように聞こえる声だ。その意味を騎士は知っている。西の拠点でも何度か聞いた。偵察部隊の鳥人族が敵の接近を知らせる警告の声なのだ。
「敵襲!」
ブルーメンリッターも敵の接近を認識した。そこまで敵の接近を許したということだ。問題は敵の数、そして質。防衛線の内側に侵入してきたことから魔王軍である可能性が高い。質は悪くない。そうなると問題は数だ。
「左翼! い、いや、右翼からも敵!」
「数は!?」
「五百! いや、千! 違う、二千か……」
敵の数がはっきりしない。ここはそれほど見通しの良い場所ではない。そういう場所であるから敵は襲撃場所に選んだのだ。
「正方陣! 防御体勢をとれ!」
両翼からの襲撃。どの方向からの攻撃にも対応できるようにエカードは方陣を指示した。
「懲りないな」
「えっ?」
だがその指示に案内役だった騎士は納得していない。
「散会しろ! 投石が来る!!」
巻き添えをくらって、この場で死ぬことなど納得出来ない。少なくともこの戦場から逃げ出す隙を作る為に、ブルーメンリッターには頑張ってもらわなければならないのだ。
投石攻撃への警告を発する騎士。鳥人族からの警告を、ある意味、翻訳しているようなものなのだが、そんなことは他の人たちには分からない。
(……もしかして、敵を引き出す囮になったのか? いや、これだけの数を掃討するのは、かなり大変だな)
騎士は掃討出来るものと考えているが、この考えは少し甘い。防衛圏内に侵入した敵との戦いに戦力を集中出来るのであれば、彼の考えはそれほどズレていない。だが、そうはならない。ほぼ同時期に防衛線上の拠点も魔王軍の攻撃を受けることになる。そして、なによりジグルスがいない。スヴェーア王国の防衛戦に参加していて、すぐに戻って来られないのだ。
魔王軍の大攻勢。それはブルーメンリッターをも巻き込んで、さらなる混戦状態を作り上げることになった。