投石機の攻撃を受けて以後、偵察部隊と思われる敵軍以外とは遭遇することなくブルーメンリッターは最初の目的地であるブラオリーリエに辿り着いた。それに対する達成感は皆無。期待していた味方がいるどころか、ブラオリーリエはその原型をとどめてもいなかった。周りを囲んでいた防壁は、わずかな残骸を残すのみ。街の中の建物も、その多くが屋根はなく、壁も崩れ、とても人が住める状態ではない。
これは度重なる戦いで損耗が激しく、さらに防衛線を前進させることにより戦略的価値が薄れたブラオリーリエの放棄が決められ、新たに防衛拠点を建築する為の資材として使われたからなのだが、そんなことはエカードたちには分からない。魔人との激しい戦いの結果、一部はそうだが、だと考えて、気持ちを落ち込ませている。
「……ここから一番近い主要都市は?」
「それが軍事的機能を持つ都市について聞かれているのであれば、グラスルーツになります」
ブラオリーリエで敗北したリリエンベルグ公国軍が他の場所で戦いを継続している可能性。それを考えてのエカードの問いだと案内役の騎士は判断した。
「そうですか……」
頭に入っている情報通り。リリエンベルグ公国軍が継戦している可能性は低い。だが、そうであるなら何故、グラスルーツは無事なのか。クラーラが気が付いた疑問は残る。
「私たちはここまで、ちょっとあったけど、無事に移動出来たわ。魔人の支配は完全ではないと考えられないかしら?」
マリアンネも同じ考えだ。彼女のほうがリーゼロッテやジグルスに生きていて欲しいという思いが強い。ブラオリーリエは落ちたとしても、まだ彼女たちが戦い続けている可能性を口にした。
「確かにそうだが……グラスルーツに戻らない理由は何だ?」
ブラオリーリエが陥落したのであればグラスルーツに下がれば良い。自分であればそうするとエカードは思う。
「グラスルーツに籠っていては、外で暮らす人たちを助けられないわ。もし、もともと率いていた部隊だけであれば数百。大きな拠点は必要ないわ」
リーゼロッテは安全な場所で、じっとしていることなど出来ない。領民を助ける為に積極的な行動をとるはずだ。グラスルーツに戻らなくてもおかしくないとマリアンネは思う。
「仮にそうだとして、彼女はどこに? 宛もなく彷徨うわけにはいかない」
「それはそうだけど……」
エカードはリーゼロッテたちの捜索に積極的ではない。なんとなく感じていたことが事実であるとマリアンネは確信した。批判するつもりはない。無理な行動をしてブルーメンリッターの仲間を危険に晒すわけにはいかない。これは彼女も理解出来る。
「宛はないわけではないよ」
二人の会話に割り込んできたのはレオポルド。ブラオリーリエ内の捜索を指揮しているはずのレオポルドが戻ってきていた。
「どういうことだ?」
「生存者を発見した。その彼が貴重な情報を教えてくれたよ」
「生存者がいたのか……」
ブラオリーリエが廃墟になったのは昨日今日ではない。それは少し見ただけで分かる。そうであるのに生存者がいた。エカードはそれを少し疑問に思った。
「廃墟になってからここで隠れ住んでいたらしい」
「廃墟になってから……それでは戦いの様子は分からないな」
「戦いの様子は分からないけど、戦いが終わったあとのことは知っている。それが貴重な情報だ」
レオポルドの視線が一瞬、案内役の騎士に向く。怪訝そうな顔をしている騎士。彼にとってはブラオリーリエに生存者がいるなどあり得ないこと。状況が理解出来ないでいた。
「その貴重な情報というのは?」
案内役の騎士の内心になど気付くはずもなく、エカードは話を進めた。レオポルドが、わざわざ貴重とつける情報がどのようなものか、早く知りたいのだ。
「リリエンベルグ公国は魔王に降伏した」
「……降伏というのは?」
「言葉通りだよ。降伏して、命を助けてもらう代わりに魔王に忠誠を誓った。ここにいた生存者はそれを受け入れることが出来ずに逃げ出してきたそうだ」
「そんなことに……」
有り得ることだとエカードは考えてしまう。戦争に負ければ死か降伏を選択するしかない。リリエンベルグ公国は降伏を選んだのだ。
「その生存者という人に会わせてもらえますか? 自分も直接、話を聞きたいと思います」
生存者は嘘をついている。何故、何者がそんなことをしているのか。案内役の騎士にはかなり気になることだ。
「それは出来ない。君もまた魔王に忠誠を誓った一人だよね?」
「な、なんですって?」
「リリエンベルグ公国が降伏したというのはそういうことだ。ここで暮らす人たちはローゼンガルテン王国を裏切り、魔王に従うことを選んだ。だから殺されることなく暮らしていられる」
魔人が支配する地域で人々が暮らせる理由。死の恐怖に怯えることなく、それを選ぶ理由。西の拠点で戦いは起きていない理由。グラスルーツが攻められない理由。辻褄は合う。
「では裏切りの証拠を示してください。まさか証拠もなく、そのような疑いをかけているわけではないですよね?」
案内役の騎士はすぐに冷静さを取り戻した。レオポルドの言葉はほぼ真実。ローゼンガルテン王国を見切り、アイネマンシャフト王国の王ジグルスに忠誠を誓った。実際にレオポルドたちは敵なのだ。
「証拠はすぐに見つかる。ここからグラスルーツまでにはいくつかの村や町があるはずだ。そこで調べれば良い」
「つまり、今はない。なるほど。これがローゼンガルテン王国のやり方ですか!? 我々を見捨てた上に、さらにその罪から逃れる為に我々を裏切り者扱い! 貴方たちは我々を助ける為に来たのではない! 支配する為に来たのだ!」
「なんだと!?」
騎士の批判に怒りを露わにするレオポルド。だが彼にそんな権利はない。騎士の言う通りなのだ。リリエンベルグ公国が裏切ったというのはローゼンガルテン王国にとって、キルシュバオム公爵家にとって都合が良い。そう考えて、証拠がない状況でありながら、事実であるかのように語っていたのだ。
「貴様らに正義はない! それは誰よりもこの地で暮らす人々が知っている! この地で暮らす人々をローゼンガルテン王国は見捨てた! 助けを求めに行ったマクシミリアン様をローゼンガルテン王国は殺した! さらに我々に罪を着せ! この地の支配者になろうとしている! そんな奴らを我々は認めない! 決して受け入れることはない!」
冷静になったはずが、気持ちが抑えられなくなった。胸に溜まっていた想い。憎い敵を相手に、大人しく案内役を務めていた結果、裏切り者扱いされた。裏切ったのはローゼンガルテン王国であるのに、その罪を押し付けられた。それが我慢ならなかった。
「今の発言が証拠だ! お前はローゼンガルテン王国を裏切っている!」
「それは忠誠を向けられる資格がある者だけに認められる言葉! お前にそれを言う資格はない!」
ましてレオポルドに、キルシュバオム公爵家に繋がるレオポルドには絶対に言われたくはない。
「……貴様」
「キルシュバオム公爵家はローゼンガルテン王国を裏切った! ゾンネンブルーメ公爵家もラヴェンデル公爵家も裏切ろうとしている! 貴様らは誰の為にここに来た!? それをこの場で語ってみろ!」
「黙れぇっ!!」
騎士を黙らせようと剣を抜くレオポルド。剣の技量はレオポルドに遥かに劣る騎士にそれを防ぐ力はない。それが出来るとすれば。
「……落ち着け。証拠もなしに罰することは出来ない。一軍の指揮官に過ぎない俺たちには裁く権利もない」
レオポルドの剣を自らの剣で受け止めたエカード。そのままの体勢で、レオポルドの気持ちを落ち着かせようと声をかける。
「こいつは我々を侮辱した」
「そう思っているのは貴方だけじゃない?」
「マリアンネ? 何を言っている?」
自分に対する否定的な言葉を口にしたマリアンネ。その意味がレオポルドは分からない。興奮して周りが見えていないのだ。
「周りが引いている。部下の忠誠まで失いたいの?」
周囲に聞こえないように声を潜めて、これを伝えるマリアンネ。ブルーメンリッターの中でも前国王弑逆に関わっていない人たち。ローゼンガルテン王国軍の騎士や兵士たちにとって、案内役の騎士は事実を叫んでいただけ。さらに、どうやら助けを求めに行ったリリエンベルグ公国の偉い人まで殺してしまったらしい、という新事実も加わった。彼らが白い目で見ているのはエカードたち、キルシュバオム公爵家の関係者だ。
「……すまない。侮辱されて熱くなり過ぎてしまった。だが彼の拘束は必要だと思う。証拠がなければ無罪放免。その時にはきちんと謝罪する」
周囲の目を意識して、言葉を選ぶレオポルド。今更だ。晒してしまった醜態を消すことは簡単ではない。時をかけて信頼を取り戻すしかない。レオポルドは学院時代に学んだはずのことを忘れていた。教訓として心に刻まれていなかったのだ。
ブルーメンリッターはブラオリーリエを離れて、南下した。その選択をしたことで彼らは謀略から逃れることが出来なくなった。そういう役どころを、当然そんな意識はないが、選んでしまったのだ。
◆◆◆
魔王軍も頻繁に会議を行っている。戦いを八大魔将軍に任せきりであった以前とは大きく変わった点。ヨルムンガンドがそれだけ真剣に戦いに向き合っているということだ。
会議の出席者はヨルムンガンドとフェンとユリアーナ、だけではなく、もう一人の魔将軍ローズルの四人。特に今回はローズルの要請で開かれた会議だ。
「ローゼンガルテン王国とアイネマンシャフト王国が敵対関係に……それは今に始まったことではありませんね?」
「そうではありません。リリエンベルグ公国がローゼンガルテン王国を裏切ったことを伝えました。少し騙す相手に都合の良い嘘を混ぜて伝えた結果、まんまと成功しました」
ブルーメンリッターに嘘の情報を伝えたのはローズルの策。実際に動いたのは人族。脅しと報酬によって、人族に嘘の情報を伝えさせたのだ。
「……それで?」
「すぐにローゼンガルテン王国とアイネマンシャフト王国は衝突します。その隙に我々はアース族を討ち滅ぼし、支配地を確立する。さらにつぶし合って疲弊したアイネマンシャフト王国とローゼンガルテン王国を討てば、この戦争は勝ちです」
「……それは私の方針と違いますね?」
「なんですって?」
ヨルムンガンドの反応はローズルが予想していたものをまったく違っていた。自分が考えた計画に同意し、戦略を変えるとローズルは考えていたのだ。
「味方以外は全て敵。私はこう言ったはずです。忘れたのですか?」
「忘れてはいません。ですが、勝手に敵がつぶし合うのですから」
「それはご自由にですね。だからといって我々がやることは変わりません」
敵同士で戦うことまでヨルムンガンドは否定しない。もともとそういう状態だったのだ。ヨルムンガンドが否定しているのは自分たちの作戦の変更。アース族だけに的を絞って、戦うつもりはないのだ。
「では作戦は実行でよろしいのですか?」
フェンが念押しをしてくる。次の作戦の指揮官はフェンなのだ。
「かまいません。計画通りに進めてください」
「魔王様!」
ローズルは納得出来ない。せっかく成功した自分の策が、まったく無駄になるわけではないが、効果が薄れてしまうのが気に入らないのだ。
「ええ、私は魔王です。魔王である私が決めたことに、貴方は逆らうつもりですか?」
「……分かりました」
分かりましたとは言ったローズルだが、そのまま席を立って会議室を出ていってしまう。不満をまったく抑えきれていない。
「良いのですか?」
「……彼は同族であることで、私への甘えがあるのです。許可を得ることなく策を実行した。成否に関係なく罰せられても文句は言えないと思いませんか?」
ローズルはヨルムンガンドと同じ蛇人族。ただ一人、大魔将軍を解任されることなく、ヨルムンガンドの近衛的な軍を率いているのには理由があるのだ。
「そうですが、悪い策ではありません」
「ええ、私もそう思います。ただ私が望むものとは違う結果を生む可能性があるというだけです」
「……望むものですか?」
ヨルムンガンドが何を望んでいるのか。食料の安定供給ではないことはフェンにも分かる。では戦争の勝利かといえば、それも違う気がする。勝つという目的を達成するだけであれば、ローズルの話した計画通りに進めるべきなのだ。
「これも話したはずですけどね? 真に強い者が勝つ。そういう戦いをすることです」
「……たとえ自分が負けることになっても?」
ヨルムンガンドの言い方はこういうことだ。勝利への拘りがあるように聞こえない。
「真に強い者が他の人であるなら、そうなるでしょうね? 勝てないから真に強いと言えるのです」
「何を考えています?」
フェンにはヨルムンガンドが何を考えているか分からない。彼が言う「真に強い者」という言葉にどのような意味があるのか。たんに強いという意味ではないように思えるが、ではどういう強さなのかと考えても思いつくものがないのだ。
「そうですね……魔人たちの未来、でしょうか?」
「それは……」
また予想から外れた答え。ただこの意味はフェンにも分かる。かつてバルドルが語っていた「魔人たちの未来」と同じであれば。
「じゃあ、彼の父親を殺したのも未来の為?」
「……そう来ますか。だから貴女との会話は面白いのですが、これはフェンの前では答えづらいですね」
ここでこの話題になるとはヨルムンガンドはまったく想定していなかった。ユリアーナにはこういうところがある。それを実はヨルムンガンドは楽しんでいたりする。
「否定しないのね。フェンには理解されないけど、貴方の理屈では未来の為ってこと?」
「……なるほど。そういう言い方がありますか。でもこれについては少し違います。バルドルの死に、私の考えは関係ありません」
「難しい答え。確たる考えはなかったけど、死ぬべきだと思っていた? 死んだ結果、魔人の未来には正しかったと思えた?」
ヨルムンガンドの言葉の意味を読むユリアーナ。言葉にすることで、それを聞くヨルムンガンドの反応を探ってもいる。
「本当に貴女は面白いですね。何気ない言葉から思考を広げられる。才能というものですか」
「私のこれは才能ではないわ。物事を読み取る才能を持っていたのは別の人。私はその人と話しているうちに、少しだけその習慣を身につけたの」
「そうでしたか……その人には敵わないと思っています?」
「ええ、敵わないと思っているわ。でも、これだけでその人と彼を結び付けるのは無理があると思うわ」
ヨルムンガンドの問いは探り。自分とジグルスの関係を探る為の質問だとユリアーナは受け取った。
「私には才能がないようですね。残念ですが、これについては負けを認めることにします」
実際にヨルムンガンドは探りを入れていた。それをユリアーナに見抜かれて、お道化てみせている。そうすることで心の内を誤魔化しているのだ。
「……私は会話に加わることも出来ない」
フェンはまったく二人の会話に付いて行けない。それを素直に言葉にした。
「少しは私の気持ちが分かりましたか?」
「……何のことですか?」
ヨルムンガンドの気持ちが分かるかと聞かれても、フェンには心当たりがなかった。
「貴方とヘルが私を置き去りにして盛り上がっていた時の気持ちです。あれは辛かったですね」
「その話……私をからかって楽しいですか?」
昔話、それもヘルが絡む話はフェンにとって弱点のようなものだ。
「ええ、楽しいですね。私は貴方に割と劣等感を抱いていましたから」
「えっ!? もしかして三角関係だったの!?」
ユリアーナも昔の三人の話は大好物だ。
「その三角の頂点のひとつは私のことを言っていますか?」
「……ああ、じゃあ、四角?」
フェンの想い人であったヘルの相手はバルドル。そこにさらにヨルムンガンドが加わるとなると四角関係だ。どうでも良いことだが。
「それはないですね。ヘルのことは好きでしたが、女性としてではなく人として。恋愛感情ではありません」
「どう違うの?」
「……私たち蛇人族は昔から嫌われ者で。でも彼女は普通に接してくれました。私のことで周りと喧嘩してくれました。簡単に言うと、それだけなのですけどね……」
魔族の中にも他種族に対する差別がある。蛇人族は差別を受けていた側の種族なのだ。
「……周り全てが敵に見える中で、彼女だけが信頼できた?」
「そんな感じです」
「それって恋愛感情だから」
「はい?」
「そういう気持ち、私には良く分かる。自分にとっての唯一無二の存在。たしかに性別は関係ないのかもしれないけど、やっぱり、これって恋愛感情だと思う」
同じ想いをユリアーナは知っている。自分のその想いが恋愛感情であったことも。だからヨルムンガンドの気持ちも自分と同じだと思う。
「……その人とは?」
自分の気持ちについて認めることも、否定することも選ばずに、ヨルムンガンドはユリアーナのその想いの結末を尋ねた。自分自身の気持ちをはっきりさせたくない。恋愛感情だと認めたくないのだ。
「何も。想いを告げる前に殺されちゃったから」
「そうでしたか……」
殺された。この世界の、それも魔人であるヨルムンガンドにとっては特別なことではない。
「なんか暗い話になっちゃった。話を変えよう。じゃあ……フェンはどういうところが好きだったの?」
「……はい?」
「すっごい美人だったのよね? やっぱり、見た目? フェンは面食いなの?」
「……いつから私は君のおもちゃになったのかな?」
ユリアーナは何かあればすぐにフェンをからかってくる。ヨルムンガンドと話す機会が増えてからは尚更だ。
「う~ん……」
「考えなくて良いです。無駄話は止めて、仕事に戻りますよ!」
ブツブツと文句を呟きながら会議室を出ていくフェン。こういう反応がユリアーナを面白がらせているのだが、それを分かっていないのだ。
仕事に、戦場に戻っていく二人。旧リリエンベルグ公国領の戦いは、いよいよ佳境を迎えようとしている。舞台が整うのはもうすぐだ。