投石による攻撃を受けて、陣形を大いに乱したブルーメンリッター。そこに魔王軍は一斉攻撃を仕掛けてきた。いくつもの小部隊に分かれて、陣形の穴をめがけて突撃してくる魔王軍。ブルーメンリッターの兵士たちの動揺は激しくなる一方だ。
エカードたち指揮官がなんとか軍勢を落ち着かせようと大声で指示を出しているが、混乱が収まる様子はない。それだけ魔王軍の攻撃が巧妙だということだが、これがアイネマンシャフト王国軍であればここまで混乱が長引くことはないはずだ。それ以前に奇襲を許さないという点は別にして。
「脆いね。もっと手強い相手だと思っていたけど」
魔王軍を率いているフェンはブルーメンリッターの混乱ぶりを意外に思っている。フェンは、完全な拠点防衛戦であったゾンネンブルーメ公国での戦いを除いても、ブルーメンリッターとは何度も戦っている。その時はもっと手強い印象があったのだ。
「ユリアーナ様がいませんから」
フェンの疑問に答えたのはロゲール・アイヒマン。ユリアーナと共に魔王軍に寝返った元ブルーメンリッターの騎士だ。
「確かに彼女の抜けた穴は大きいだろうけどね」
ユリアーナには、誰よりもフェンが苦労した。戦場で常にユリアーナに、彼女も同じように思っていたが、邪魔されていたのだ。だが個の力だけでは勝てない。ユリアーナやアイヒマンたち、人族の味方がそう言っているのだ。
「常に局面を打開してきたのはユリアーナ様の部隊でした。彼らはユリアーナ様が作った勝機に乗っかっていただけです」
「そうか……」
エカードたちブルーメンリッターの現メンバーに悪印象を持っているはずのアイヒマンルの言葉だ。実際よりも大げさに話しているのだろうとはフェンは思っているが、完全に否定する内容でもない。無謀とも思えるユリアーナの突撃で敗北が決まった戦いは、フェンの記憶にも何度かあるのだ。
「いなくなったのはユリアーナ様と我々だけではありませんし」
ウッドストックもいない。クラーラもこの戦場にはいない。他にもゾンネンブルーメ公国での戦いで、ブルーメンリッターの中核メンバーが何人も戦死している。ブルーメンリッターの本隊は、確実に弱体化しているのだ。
「なるほどね。しかし、そんな状態でここに? 無知というのは恐ろしいね?」
ブルーメンリッターは多くの離脱者を出している。以前よりも弱く感じるのは当然だ。アイヒマンの説明に納得したフェン。だがそうなると、その状態で旧リリエンベルグ公国領に侵攻してきたブルーメンリッターの無謀さに呆れてしまう。
「この戦いの中で唯一、開戦当初よりも弱くなった部隊かもしれません」
自分たちを見下していたブルーメンリッターの幹部たち。いい気味だとアイヒマンは思う。ただ侮辱しているだけではない。アイヒマンたちは凡人なりに、ブルーメンリッターに入団出来ている点で本当の凡人とは言えないのだが、成長する為の努力を、遅ればせながらではあるが、行ってきたつもりだ。厳しい戦いにも逃げずに立ち向かってきたつもりだ。成長した、努力の成果が出ている自信がある。
「人族の軍隊がろくに戦力分析も行わずに……行えなかったということか」
人族の軍隊については、ユリアーナが連れてきたアイヒマンたちから話を聞いている。今のままではアイネマンシャフト王国軍には歯が立たない。そんな思いを抱くほどの完敗を経験したあとのことだが。
それによって得た知識からブルーメンリッターの行動は外れている。自軍の弱体化に気付いていない。もしくはそれでも大丈夫だと敵を過小評価している。どうしてそんなことに、と思ったフェンだが、すぐに理由の一つを思いついた。
魔王軍は過小評価されてもおかしくない戦い方をずっとしていた。戦い方を変えたのはゾンネンブルーメ公国での戦いから。それもユリアーナの軍だけだ。さらにアイネマンシャフト王国軍にいたっては、その存在さえ知られていない。ブルーメンリッターが、ローゼンガルテン王国が旧リリエンベルグ公国領内での戦いを甘く見る理由はないわけではないのだ。
「ただの過信です。彼らは自分たちがユリアーナ様のおまけであったことを理解していない。自分たちが中心だと思いあがっているのです」
エカードたちへの悪感情をむき出しにするアイヒマン。だがこれが、話しているアイヒマン自身も分かっていないが、真実。エカードたちは強い。だが自らの力で物事を大きく変える力はない。他人が作った流れに乗るだけで、そういうことをしてこなかった。そういう役どころではなかったのだ。
「さて、一戦でケリをつけられるか……これも思い上がりだね。確実に行こう」
「では、部隊を動かします」
ブルーメンリッターの混乱は収まるどころから拡大している。戦意を失いかけている兵士も出てきている。ここが勝負所。そう考えてフェン自らが率いる部隊が動き出した。まだまだ目指す高みには届いていないが、アイネマンシャフト王国軍に負けない部隊を作ると考えて新たに編制された部隊。フェンの軍における最精鋭部隊だ。
統制がとれていないブルーメンリッターにその攻撃を跳ね返す力はない。木っ端みじんに砕け散ることになった。
◆◆◆
フェンが率いる魔王軍とブルーメンリッターとの戦いが行われているのとほぼ同時刻。その戦場の北西では、アイネマンシャフト王国の防衛拠点を巡る攻防戦が行われていた。
その戦場でも投石が活用されている。ゾンネンブルーメ公国での戦いを経て、今や巨人族の得意となった投石攻撃。それを使わないという選択はないのだ。宙を飛ぶ多くの投石。投石機で放てる石よりは小ぶりだが、その数が違う。周りに詰まれている石を手に取って投げる。投石機とは比べものにならないくらいに速く、連続で石を放てるのだ。
投石の大量攻撃を受けては頑丈に作られた防壁もひとたまりもない、とはなっていない。投石の多くが防壁に届く前に討ち落とされているのだ。
「ああ、もう! 完全に読まれているじゃない!」
思っていたような成果が出ないことに、やや苛立っているユリアーナ。
「これくらいは想定内です。ブラオリーリエ攻めでも投石攻撃は行われていましたが、最後まで落とすことは出来なかったと聞いたではありませんか」
ユリアーナを宥めているのはニクラス。彼も元ブルーメンリッターの一員で彼女と一緒に魔王軍についた一人だ。
「その時とは状況が違うでしょ?」
「はい。味方の練度はかなり上がっておりますが、敵の備えもその時より上を行っているということです」
巨人族の投石攻撃は以前に比べて、かなり精度があがっている。ゾンネンブルーメ公国での戦いで毎日毎日繰り返されていた単調な攻撃。最初は退屈さを紛らわす目的で始まった命中数競争が、結果として巨人族のやる気を引き出し、効果的な訓練になっていたのだ。
だが、ブラオリーリエ防衛戦で巨人族による投石攻撃を経験したアイネマンシャフト王国側も当時のままではいなかった。防壁上に多数の弩砲を設置。その弩砲と魔法の両方で飛んでくる石を撃ち落としている。防御に徹すると決めた上での戦術だ。
「味方の石と敵の弩のどちらが多いか……どちらだと思う?」
「判断出来ません。なんといっても大森林地帯が近くにありますから。それに少しくらい味方の石の数が多くても、あれを崩すのにどれくらいかかるか……」
全ての投石が討ち落とされているわけではない。だが投石が命中しても防壁に大きなダメージを与えている様子はない。強固に作られているというだけでなく、魔法による補強も施されているのだ。
「魔人同士の、エルフ族かもしれないけど、とにかく魔法をフル活用されると簡単には決着がつかないわね?」
「それが敵の狙いでしょう。野戦でもアイネマンシャフト王国は強い。その彼らがあえて守りを重視するのは軍事だけでなく、内政にも力を入れたいから。そう分析しております」
アイネマンシャフト王国軍の強さはその機動力にあるとニクラスたちは分析している。そうであるのにその機動力を活かせない防衛戦に持ち込もうとする理由。軍事以外にも国力を向けたいことがあるから。それは何かと考えれば、内政しかない。設定した防衛圏内においてアイネマンシャフト王国の政治を実現する為だ。
「その邪魔をする作戦。ヨルムってやっぱり意地悪ね?」
「意地悪というか……敵の国力増大を阻止するのは当然のことではないですか? それと、ヨルム? 魔王とそんな仲良くなったのですか?」
「それが、あれで意外と面白いのよね。エカードたちと話すより、ずっと楽しい。色々、裏がありそうだし」
ゲームシナリオを知っているからといって、ヨルムンガンドの全てを知っているわけではない。彼のヘルへの想い。バルドルを殺した動機などゲームの中には出てこない。そもそもバルドルが魔王だった頃はゲームシナリオ以前のことなのだ。
「裏があると面白いのですか?」
「何、やきもち?」
「そういうわけでは……ただ、騙されていないか心配なだけです」
「……ありがと。でも大丈夫。ヨルムへの興味は好意には結びつかないものだから」
意外と面白い。話すのが楽しくもある。だがそれだけだ。それ以上の好意をユリアーナがヨルムンガンドに抱くことはない。もっと大事な想いが彼女にはあるのだ。
「……どれだけの敵を引きつけられているか。この先、どれだけの敵を引きつけてもらえるか。それ次第ですか」
話題を戦いに戻すニクラス。ユリアーナの本心をニクラスたちは知らない。何か隠し事をしているのは分かっている。だがそれを追及する気にはなれない。触れてはいけないこと。なんとなくだが、そう感じているのだ。
「花の騎士団は枯れちゃうかもね?」
「彼らがどうなろうと戦況には関係ありません。彼らだけが勝ち残るなんてことは、絶対にあり得ませんから」
ブルーメンリッターなど眼中にない。彼らはアイネマンシャフト王国軍除け。防衛圏内に大軍を送り込む隙を作る為に利用しただけだ。ニクラスの個人的な悪感情はあるが、作戦上もこれが事実。数多くの戦いを経験し、ブルーメンリッターとも戦った彼らに、かつてあった劣等感はない。
◆◆◆
ユリアーナ率いる魔王軍と対峙しているアイネマンシャフト王国軍を率いているのはリーゼロッテだ。ジグルスがいないから王妃である彼女が代わりに、ということではない。指揮官としての能力が高いのはもちろん、投石攻撃対策として彼女の魔法、ヘルの形見である魔道具は有効。そう考えられて、拠点防衛戦に参加しているのだ。
実際に、一撃で粉砕するほどの威力はないが、素早く正確に投石を貫き、脆弱にすることで、続く弩砲や他の魔法による攻撃効果を高めている。二撃目で投石を粉砕して防壁に届かせない。それをもっとも早く、効率的に実現するのに役立っているのだ。
だが今、その魔道具による攻撃の頻度は少なくなっている。投石への攻撃以上に重要な対応が必要になったのだ。
「魔王軍が防衛圏内に……予想はしていたけど、上を行かれたわね」
ジグルスは北の戦地に向かった。その事実を魔王軍に掴まれることは予想していた。アース族軍が魔王軍に襲われることなく、北の国境まで無事に辿り着きそうということがそもそも怪しかったのだ。アイネマンシャフト王国軍に対する陽動。その可能性があるからこそ、ジグルスは自ら部隊を率いて北に向かった。放置出来ないのであれば、一刻も早くアース族軍を討ち果たし帰還するのに最適な部隊を送る。ジグルス率いる最強部隊を送るのが最善だと考えた結果だ。
陽動を行った上で魔王軍はどう出てくるか。攻勢をかけてくるに決まっている。おそらくは防衛圏内の内と外の両方で。
「相打ちには、ほど遠い結果に終わりました」
誤算は魔王軍が一万もの大軍を一気に防衛圏内に送り込んできたということ。そしてその一万の魔王軍と衝突したブルーメンリッターが互角にはほど遠い戦いを行い、ほとんど魔王軍を削ることが出来なかったこと。
「同行していた人がいたはずね?」
「運良く戦場を離脱出来、味方に合流しました。その人の話では、魔王軍は謀略も仕掛けていたようです」
「その謀略というのは?」
ブルーメンリッターの帰路を西に向けることは出来なかった。どうやら味方は拘束されているらしい。偵察で分かっていたのはここまでだった。
「リリエンベルグ公国は魔王に降伏し、忠誠を誓ったと信じ込ませようとしたようです。魔王軍の襲撃を受ける直前に、その疑いを弱めることを試みたそうですが、成功しているかは分からないということです」
「……私たちとローゼンガルテン王国軍を衝突させようと考えたのね」
いずれは起きること。それを先延ばししたいとアイネマンシャフト王国は考えていたのだが、その邪魔をされたのだとリーゼロッテは理解した。
「はい。ただ……魔王軍の襲撃を受けたローゼンガルテン王国軍に我々と戦う余力があるかは疑問です」
「どういう状況なのかしら?」
「百人、二百人という小部隊でバラバラに移動しております。そうなるように魔王軍が仕向けていると報告にはありました」
ローゼンガルテン王国軍はいくつもの集団に分かれて、逃げまわっている。魔王軍がまとまる余裕を与えないように攻撃を継続している結果だ。
「……住民たちの避難状況は?」
ローゼンガルテン王国軍と魔王軍は防衛圏内に拡散しようとしている。そうなれば、アイネマンシャフト王国の街や村、もしくは軍の拠点を見つけられる可能性が高くなる。軍の拠点は良い。攻撃を受ければ反撃するだけだ。だが戦う力のない街や村の住民たちの避難は急がなければならない。
「通達は行っておりますが、実際にどれだけが避難出来るか。敵軍が動き回っている中の移動となれば、護衛部隊が必要になりますが、その数が全く足りておりません」
移動中に襲撃を受ける可能性もある。住民たちだけで避難するのは危険だ。だが護衛部隊を付けようにもその数が足りない。自軍を分散させれば、敵に有利になるだけだ。
「結局、数……悔やんでも仕方がないわね。住民たちには申し訳ないけど、敵軍の掃討作戦を優先させましょう。それが結果として住民たちの安全を守ることになるわ」
移動が困難なのであれば。襲ってくる敵を消し去るしかない。あらかじめ考えられていたこと。計画通りに進めることをリーゼロッテは決めた。
「……ウッドストック」
「はっ!」
「私も掃討作戦に回るわ。ローゼンガルテン王国軍相手に無駄な戦いは行いたくないの」
ローゼンガルテン王国軍、ブルーメンリッターとは出来れば戦いたくない。交渉で住民を守ることをリーゼロッテは考えている。いつかは戦う相手だと分かっていても、今はその時ではない。王であるジグルスの命令もまだ発せられていないのだ。
「承知しました。あとはお任せください」
ウッドストックもブルーメンリッター相手の戦いは先送りにしたい。覚悟は決めているつもりだが、それでもやはり躊躇う気持ちは残っている。実際にその時が来た時に、迷うことなく剣を向けられるという確信も、今はまだない。
「……行ってくるわ」
はたしてこの先はどのような状況になるのか。不確定要素はローゼンガルテン王国軍。彼らと対峙して、物事が良い方向に進められるという自信はリーゼロッテにはない。
記憶に残るのは嫌な思い出ばかり。交渉は自軍を無駄に消耗させたくないから行うことで、個人としては気が重い。それでもやらなければならない。アイネマンシャフト王国の王妃として、国にとって、臣民たちにとって、もっとも良い結果を得る為にだ。