モンタナ王国の西に連なる山々の麓を北に伸びる街道。主要街道ではないその道を、通常であえばあり得ない大人数が移動している。ニュールンの街が戦場になると聞いて、災禍を逃れようと移動している人々の群れだ。だがクリスティーナ王女にとっては、まったく物足りない人数。逃げる決断をしてくれた人々はせいぜい二割ほど。残りの圧倒的多数はクリスティーナ王女の説得を受け入れることなく、街に残る決断をしてしまったのだ。
自分の人望のなさを情けなく思う。もっと以前から、争いが起きる前から何か出来ることはなかったのか。これまで何度も頭に浮かんだ後悔の想いが、今もクリスティーナ王女の頭の中を占めている。
ただこれは少し自分を責めすぎ。ニュールンには国王側の守備部隊がいた。住人たちの説得を行う為にその部隊を排除することになったのだが、それはクリスティーナ王女自身がニュールンを奪いに来たと思われてしまう行動。説得を難しくした原因だ。だがそれを理由に今の状況に納得するクリスティーナ王女ではない。
「街に戻って、もう一度人々を説得します」
残った人々にもう一度逃げるように訴えようと考えたクリスティーナ王女。
「もう時間がありません。今から戻れば、戦いに巻き込まれる可能性があります」
騎士のウォルターはその考えを否定した。今の状況は住人たちを、ぎりぎりまで説得した結果。王弟派の軍勢はもう間近に迫っているのだ。その王弟派の軍への奇襲を狙っているモンタナ王国軍も。
「私たちまで戦いから逃げて良いのですか?」
「それは……」
今回の事態は自分が招いたこと。後始末は自分たちでつけるとグレンは言って、義勇軍が戦いに参加することを受け入れなかった。逃げる人々の保護が義勇軍の仕事になったのだ。
「銀狼傭兵団はわずか百人。それでも私たちよりも強いのは分かっていますが、敵はその何十倍もいるのです」
「……では我々だけで戻ります。王女殿下は住民たちの保護を」
ウォルターも思いはクリスティーナ王女と同じ。銀狼傭兵団だけに苦しい戦いをさせることに納得していない。だからといってクリスティーナ王女を危険な戦場に向かわせることも躊躇われる。その折衷案として騎士だけでニュールンの街に戻ることを考えた。
「ウォルター。戦いの場から逃げる私を、誰が信頼してくれますか?」
「しかし……」
「この戦いは私たちの国で起きている戦いです。私たちの戦いです。グレン殿や銀狼傭兵団の人々に頼り切りで、それでたとえ国に平和が訪れたとして、私たちは胸を張って勝ったと言えるでしょうか?」
ここまではグレンと銀狼傭兵団に頼り切りだった。この先も同じで良いはずがない。戦うに充分な力があるとは思っていない。それでも戦場に立つことを避けてはいけない。自分たちは守られるだけの存在であってはならないとクリスティーナ王女は思う。
「……分かりました。では」
『前方に軍勢!』
ニュールンに戻ることを受け入れようとしたウォルターの言葉を遮る警告。
「なんですって!?」
それを聞いて、驚きの声をあげるクリスティーナ王女。こんな場所で軍勢に遭遇するなど想定外のことなのだ。
「住人たちを一か所に集めろ! 義勇軍、前方に集結! 急げ!」
ウォルターが義勇軍に指示を出す。すぐに長く伸びていた住人たちの列がまとまっていく。軍勢が現れたことを知り、ウォルターの指示を聞いた住人たちが自ら動き出したのだ。
それと同時に義勇軍の騎士たちが軍勢が現れた前方に集まっていく。クリスティーナ王女もそこに向かった。
「騎馬部隊です。かなりの数だと思います」
軍勢を発見した騎士が報告をしてくる。それを聞かなくても、すでにクリスティーナ王女にも近づいてくる軍勢が見えている。騎馬の群れ。正確な数は分からないが、味方よりも遥かに多いことは明らかだ。
「半数で陣形を組みなさい。残りの半数は住人たちを連れて逃げて」
「王女殿下は?」
「私は残ります」
「しかし」
とても防ぎきれる状況ではない。残った者たちに命の保証はない。逃げたからといって無事でいられるとは限らないが。
「議論をしている時間はありません! 急ぎなさい!」
「は、はっ!」
クリスティーナ王女に叱責されて、慌てて住人たちのもとに向かう部下たち。
「ここで終わりになるかもしれません。よろしいのですか?」
この場に残ったウォルターは引き続き、クリスティーナ王女を説得しようとしている。
「私が逃げれば、敵は追い続けてくることになりませんか?」
クリスティーナ王女がこの場で捕らえられるか、死ぬかすれば、敵は満足して住人たちを見逃すかもしれない。そうであれば、この場に残るべきだとクリスティーナ王女は考えている。
「……構え! 敵の突撃に備えろ!」
クリスティーナ王女の問いに答えることなく、ウォルターは残った義勇軍に命令を発した。説得を諦めたということだ。
「来るぞ!」
騎馬の部隊はもう目の前。その勢いに義勇軍の騎士や兵士たちに怯えが広がる。
「私たちは民の楯! 一騎たりとも突破させることは許しません!」
「お、おう!!」
クリスティーナ王女の鼓舞に応える義勇軍。一騎の突破も許さないなど出来るはずがない。そんなことは分かっている。だが民の楯としての役目を、諦めることなく果たそうと覚悟を決めた。
もう騎馬の群れは目の前。群れと呼ぶのは不適切に思えるくらいに、まったく隊列を乱すことなく等間隔のまま疾走している騎馬隊。騎乗の騎士たちの顔がはっきりと見えるくらいに近づいたその部隊は、これもまた見事な方向転換を見せて、義勇軍の横を通り抜けていく。
「あれは……?」
「銀狼傭兵団でしょう。初めて見る旗印でしたが、図柄が銀狼でした」
横を抜けていく騎馬隊が掲げていた旗。駆ける騎馬の後方にたなびく旗の図柄は、短い時間であったが、はっきりと見えた。
「まだあれだけの軍勢がいたのですね?」
「およそ千騎というところでしょうか? ウェヌス王国軍の実力は分かりませんが、モンタナ王国軍、まして貴族家軍であれば十倍であっても勝てるのではないでしょうか?」
義勇軍に合流していた銀狼傭兵団、百名の実力はすでに知っている。今駆け抜けていった軍勢が、その百名に比べて、実力で極端に劣るとは思えない。そんなことをグレンが許すはずがない。
「……移動しましょう」
「はい。それが正解のようです」
ニュールンの戦いに自分たちの出番はない。その場にいても何もすることなく、ただ見ているだけで終わる。そうであるなら、自分たちが出来ることをするべきだ。クリスティーナ王女はそう思えた。
◆◆◆
城内の執務室で一人、エドワード王は考えに耽っている。頭の中に様々な思いが巡り、それに苛立ち、焦り、恐れまで抱くことになっている。どれだけ時間が経っても考えはまとまらない。まとまるはずがない。エドワード王は、答えの出ない問いの答えを求めているのだ。
何故こうなった。本当にそうなのか。問いばかりが頭に浮かんでくる。その答えを持つはずの者がいつまで経っても現れない。それにまた苛立ち、焦り、不安を感じ、様々な思いが頭の中を行き交うことになる。
自分は間違ったのか。受け入れ難い問いが頭に浮かんでくる。こんなはずではなかった。こんな思いをもたらしたのはスパロウの言葉だった。
「なんだって? もう一度、言ってもらえるかな?」
あまりに小さな声なので、エドワード王はスパロウが何を言ったか聞き取れなかった。
「……人質を奪われました」
「人質って……」
フローラではない。フローラであればスパロウ以外の者から、この情報はもたらされるはずだ。
「ルート王国に送り込んだ者の妻です」
「ああ、それは失態だね? でも、その事実をその男が知ることはないね?」
ルート帝国に送り込んだ者たちのことなど、エドワード王は重く考えていない。成功するば良し。失敗したとしても、顔も名も知らない者たちが死ぬだけだ。
「人質が奪われたのです!」
事の重大さを理解していないエドワード王に苛立つスパロウ。
「声が大きい……いや……奪われた? どうやって?」
スパロウの苛立ちを見て、エドワード王も問題が何であるかに気が付いた。
「監禁していた場所を襲撃されて」
「その場所がどうして知られたか……人質の存在を知ったということは……生きている可能性があるのか」
襲撃者は監禁場所をどうやって知ったのか。問題はこれだけではなく、人質の存在を知られたということは失敗しても成功しても死ぬはずだった暗殺実行者が生きているということもある。
「生きて捕らえられる可能性は想定していたはずです。銀鷹傭兵団の仕業であることを知られても構わない。そういう話でした」
スパロウは暗殺実行者が捕らえられたことを、それほど問題視していない。絶対に成功するなんて自信はなかった。そうなった時にエドワード王に責められることのないように、計画段階で話をしていることなのだ。
「そうだったね。そうなると監禁場所をどうやって調べられたか……送り込んだ者たちは誰も知らなかったのだろうね?」
「知りません。監禁場所は……極限られた者たちしか知らないはずです」
「……その、極限られた者たちというのは?」
答えはすでに分かっている。ようやく、本当の意味でエドワード王を起きた問題を認識した。
「傭兵団の中核にいる者たちです。しかも監禁場所は今回新たに確保した場所。計画に関わった者しか知らないはずの場所です」
ルート帝国には、かつて使っていた銀鷹傭兵団の隠しアジトの多くを知るクレインがいる。そうであるので銀鷹傭兵団は、エドワード王に仕えるようになってから新たな拠点を増やしている。さらに監禁場所は今回の計画の為だけに用意された場所だ。
「裏切り者が今もいるのだね?」
「その可能性は高いと考えます」
「……その疑いがある者は、どこまでの情報を知っているのかな?」
銀鷹傭兵団の情報はルート帝国に、グレンに筒抜けだった。エドワード王が、ウェヌス王国の重臣たちにも隠して進めていた陰謀の数々をグレンは知っているかもしれない。すでにジョシュア暗殺を知られているはずだから今更だ、なんて風にはエドワード王は思えなかった。
「多くのことを。傭兵団の主要メンバーなのですから」
エドワード王との窓口はスパロウ一人。だからといって多くの情報を秘匿したままではいられない。ほとんどの物事を動かすのはスパロウではなく、他のメンバーなのだ。
「すぐに処置を」
「すでに動いています」
「では結果を持ってこい! 当然、良い結果だ! すぐに!」
「……はい」
うなだれたまま、隠し部屋の中に消えるスパロウ。そのまま隠し通路を利用して、城の奥から離れることが出来るのだ。
部屋に残ったエドワード王はこれから起こりうる事態について考えている。銀鷹傭兵団と自分との繋がりを示す決定的な証拠をグレンは持っている。それをどう使ってくるのか。それを公にされたとして、どう反論出来るのか。なんであろうと反論するしかない。だがそれを周囲が信じるか。灰色のままであれば自分の地位は揺らぐことはない。はたしてそう言えるのか。スパロウの勘違いであって欲しい。そんな都合の良い話はない。でも、でも、でも。
交差する思いがエドワード王の思考を濁らす。何の結論も出ていない。するべきことはまだ分からない。そうであるのにエドワード王は立ち上がった。フラフラとした足取りで歩きだした。
◆◆◆
フローラは自分の部屋で机に向かっている。目の前に広げられた紙には、びっしりと文字が書き込まれている。グレンに宛てた手紙だ。最初に書いた手紙の返事は来ていない。グレンとエドワード王が会うことになったという話もまったくない。それでもフローラはまた手紙を書こうと思った。今度は自分の言葉で。
記憶喪失を装うことなく、素の自分の思いを自分の言葉でグレンに届けようと考えた。そうでなくては気持ちは伝わらない。そう考えたのだ。
書きあがった手紙はまとまりのないものだ。王都での人々との触れ合い、人々の想い、それを知った自分の想い。そんなものを思いつくままに書き殴ったものだ。
ウェヌス王国の人々は優しい人たちだ。ギルバート宰相を始めとした政治に関わる人たちも良い人たちだ。自分に優しくしてくれる、大切な人たちと争って欲しくない。そんな想いをフローラはグレンに伝えたかった。政治など関係ない。駆け引きなんて必要ない。ただ、自分の想いを知ってもらいたかった。
「……届くかな? 届いてくれると良いな」
はたしてグレンにこの想いが届くのか。それは分からない。きっとこれは自分のわがまま。それはフローラも分かっている。それでも知って欲しかった。グレンは自分の想いを無にしない。そう信じたかった。
「……とにかく、やってみないと」
自分の想いを無視されたら。そんな不安もある。グレンは多くの人の想いをすでに背負っているはず。その人たちの想いこそ、無に出来ないだろうとも思う。だがフローラにはこんなことしか出来ないのだ。
窓の外に視線を向ける。雲がかかっていて月は見えそうもない。
「……フローラ」
「えっ?」
突然、かけられた声に驚いて振り返ったフローラの目に映ったのは。
「……陛下」
入り口に立っているエドワード王だった。
「今、少し良いかな?」
「……はい」
エドワード王とこうして二人きりになるのは久しぶり。かつてはまったくなかった緊張をフローラは感じている。
「何をしていたのかな?」
「えっと……兄に手紙を書いていました」
エドワード王の問いに正直にフローラは答えた。この機会にエドワード王にも自分の想いを伝えるべきだと考えたのだ。
「手紙……それはもう良いよ」
「良くない。兄にはもう一度、きちんと私の想いを伝えます。戦争は良くないことだって。ウェヌス王国の人たちを傷つけて欲しくないって」
「……そんなことをしても無駄だよ」
そんな手紙を書いても戦いが止まるとはエドワード王は思わない。事はそんな単純ではない。
「そんなことない。兄はきっと分かってくれます。陛下も……陛下も平和な世の中を望んでいると分かれば、きっと話し合いに応じてくれる」
「平和な世の中……そうだね。僕もそれを強く望んでいる」
平和な世の中はエドワード王も望んでいる。だがその形はフローラが思うようなものではない。間違いなくグレンとも異なるものだ。
「じゃあ、陛下も自分の想いを兄に伝えてください。手紙を書いて一緒に」
「でもね、僕の望む平和な世界は僕によって造られる世界だ。君の兄、グレンによって造られる世界じゃない」
「……そんなの」
世界は誰のものでもない。そこで生きる全ての人々のもの。綺麗ごとであってもフローラはそれを望む。
「君の兄は、僕から何から何まで奪おうとする。だからせめて、僕は君を彼から奪うことにしよう」
「えっ……」
「僕は君の命の恩人。これまで大切に育ててきた。それくらいの権利はあるよね?」
笑みを浮かべてフローラに近づくエドワード王。その笑顔は、フローラがこれまで見たことのな薄気味悪いものだった。
「……い、いや」
「抵抗しても無駄だよ。君を助けてくれる大切な兄は、今回も君の側にはいない。役に立たない兄を恨むんだね?」
逃げようとするフローラの肩を掴み、そのまま床に放り投げるエドワード王。
「嫌! 助けて! 誰か助けて!」
震える足。恐怖に体が強張る。それでもフローラは助けを呼びながら、出口に向かって這って進もうとする。エドワード王はそんな彼女のドレスの裾を踏みつけて動きを止めると、彼女の上に圧し掛かっていく。
「助けて! 助けてぇええええ!」
「叫んでも無駄だ! ここは僕の城! 僕に逆らうことは誰にも出来ない!」
護衛の騎士は部屋に入る前に遠ざけている。仮にフローラの叫び声を聞いたとしても、騎士に何が出来るのか。エドワードはこの国の王なのだ。そのはずだった。
「フローラ! 大丈夫か!?」
部屋に飛び込んできた黒髪の男。
「お兄ちゃん! ……じゃない」
グレンがこの場に現れるはずがない。彼は今、遠く離れたモンタナ王国にいるのだ。部屋に飛び込んできた黒髪の男は。
「はっ? 陛下?」
健太郎だった。
「……君はどうしてここにいるのかな?」
エドワード王にとっても意外な人物の登場。それが彼の心を少し落ち着かせた。
「どうしてって……僕はフローラの近衛だから。近衛は常に守るべき人の近くにいるべきだ。これ、陛下の言葉だけど?」
「……そうだった」
健太郎を懐柔して、したつもりになって、フローラの監視役にした。監視役として常に近くにいるように部屋を用意することを命じたのはエドワード王自身だ。
「それで……何を?」
「……何もない。大丈夫だ。君は部屋に戻って良い」
「……フローラはそれを望んでいない」
自分を見つめるフローラの瞳。それが訴えているものを健太郎は正しく受け取った。
「私はこの国の王。君が仕える相手だよ?」
不機嫌そうな表情で自分の命令に従うように告げるエドワード王。すっかり気持ちは削がれているが、それでも健太郎に邪魔をされた形で、この場を終わらせたくない。フローラと二人きりの場で、なんとか失態を取り繕いたいのだ。
「僕は……フローラの近衛だ。彼女を守る責任がある。それが誰からであっても」
「では、その近衛の役を解任しようか?」
「そうなれば僕は何者にも従う必要はない。自分がやるべきことをやるだけだ」
「……そうだね。それが正しい選択だ。君にフローラの護衛を任せたのは間違いではなかった。これからも誰に遠慮することなく、自分の職務を全うするように」
融通の利かない健太郎の説得は諦めて、エドワード王は誤魔化しに入った。まったく誤魔化されることにはならないだろうが、こんな収め方しか思いつかなかったのだ。
「……あ、ああ」
「では私はこれで。フローラ、驚かせてすまなかった。このお詫びは何らかの形でするよ」
自分の言いたいことを言って、部屋を出ていくエドワード王。フローラに反論されても困るのだ。
「……あの……大丈夫?」
「……平気」
最悪の事態は回避された。だがエドワード王にあんな真似をされたことは、フローラの気持ちを大きく傷つけている。自分の知らないエドワード王の一面。王都に戻ってからなんとなく感じていた暗い一面が事実であると知ってしまったのだ。
「平気には見えない。僕なんかじゃあ、頼りにならないかもしれないけど、出来ることは何でもするから」
「……じゃあ、お兄ちゃんに会わせて」
健太郎に頼ることなどない。彼もかつてフローラに同じことをしようとしたのだ。それを考えたフローラは、不可能なことを要求した。
「分かった。会わせる」
だが健太郎はその要求に「会わせる」と即答した。
「出来ないくせに」
健太郎がたまに発するいい加減な言葉。これもそれだと考えたフローラの視線がきつくなる。こんな時に自分を飾ろうとする健太郎に苛立ちを覚えたのだ。
「すぐに会わせることは出来ない。でも、グレンとの再会の日が来るまで、フローラを守ることは出来る」
「えっ?」
だが健太郎は出来ないことを約束したのではない。自分が出来ることをしようとしているだけだ。
「僕が何もしなくても、フローラとグレンは必ず再会出来るよ。二人がもう二度と会えないなんてあり得ない。いつか必ずその日は来る。だから僕はその日までフローラを守る。君が誰にも傷つけられることのないように、グレンと笑顔で再会できるように君を守るから」
「…………」
この人は何故、こんな言葉を口に出来るのだろうとフローラは思う。根拠のない自信、という感じではない。そんな風には受け取れない。
「これはお願いだ。グレンの代わりとして、僕に君を守らせて欲しい。僕は君の勇者になりたいんだ」
「私の勇者……?」
「変かな? 変だよね? でも……僕は今、心から勇者になりたいと思っている。君を全てのものから守れる強い男になりたいと思っている。これが僕がこの世界に来た意味であって欲しいと思っている。どうかお願いだ。僕にこの世界での生き甲斐を与えてくれないか?」
自分は何の為にこの世界に転移してきたのか。健太郎にはそれが見えなくなっている。この国に悪影響を与えているだけ。そういう役回りで終わるのでは悲し過ぎる。何でも良いから人の為になりたい。それがフローラの為であるなら全てをかける価値がある。そんな風に思っている。
「……必ず私を守ってくれる?」
「僕の全てを……えっと、こういう時って確か……」
フローラの前で片膝立ちになる健太郎。
「我が剣は貴女の敵全てを斬り払い、我が盾はあらゆる災厄から貴女を守る。我、健太郎は貴方の勇者。全身全霊をもって貴女に尽くします。もし我に貴女の勇者としての資格なしと思うなら、どうかこの剣で我の心臓を突き刺してください」
こう言って、剣の柄をフローラに差し出す健太郎。何かで見た、うろ覚えの騎士の誓い。それを健太郎はフローラに向かって、やってみせたのだ。
「……突き刺せば良いの?」
「い、いや、出来れば剣を受け取って、かるく口づけをして返して欲しいな……」
「……分かった。そうしてあげる」
差し出された剣の柄を握り、軽く口を当てて、健太郎に返す。これで騎士、ではなく勇者の誓いは成立だ。健太郎はフローラの勇者として認められたのだ。
だがこれはまだ、以前と同じく、形だけのもの。健太郎は勇者としての第一歩を踏み出したばかりだ。