モンタナ王国東部の街ニュールンでの戦いは大混戦の末、銀狼傭兵団の勝利という形で決着した。王弟派も国王軍も相手の不意を突くつもりでいたところに、想定になかった第三勢力から奇襲を受けて大混乱。その混乱から立ち直ることが出来ないままに三つ巴の戦いとなり、結果、もっとも冷静に対処出来た銀狼傭兵団が勝ったということだ。
ただ、勝ったといってもそれは初戦の勝利に過ぎない。ニュールンの街を守り続けるつもりはグレンにはない。南部から攻めあがる王弟派、それを防ぐ立場であるモンタナ王国軍にとっては重要拠点かもしれないが、銀狼傭兵団、義勇軍にとってはそうではない。わざわざ両勢力にとっての重要拠点に籠って、両勢力と戦い続ける理由はないのだ。
両軍が撤退するとすぐに銀狼傭兵団も街を出た。街のすぐ外で行われた戦いを見て、逃げ出すことを決めた住民たちを連れて。全住民ではないので完璧な形とは言えないかもしれないが、それでグレンは自らの責任を果たしたと割り切ることにした。グレンが何もしなくてもニュールンの街は戦場になった。グレンはそれを少し速め、国王側にそれを伝えて戦いの規模を大きくしただけだ。機会がありながら逃げない選択をした住民の意思は変わらないはずだ。
大勢の住民を連れての撤退。それに危険はなかった。モンタナ王国軍も王弟派も偵察は送ってきた。だが、どちらも相手を警戒し、わざわざ自軍だけが傷つくような選択を行わなかったのだ。
時間はかかったが、銀狼傭兵団は北東部の自勢力範囲に到達することが出来た。
「ニュールンでの戦いはまだ続いています。こちらとしては出来るだけ長く戦い続けてもらえるとありがたいです」
到着するとすぐに会議。これからの方針を確認しなければならないのだ。
「出来るだけ長くですか……」
「これについては諦めてください。俺が言うことではないかもしれませんが、住民たちへの義理は果たしました。危険があっても長く暮らした街を離れたくない。そういう人は必ずいるものです」
死ぬのであれば生まれ育った町で死にたい。そんな想いを抱く人もいる。そういう人たちをグレンは知っている。
「……分かりました」
「それでも王弟派が圧倒的に優勢。もう一度、戦況を膠着させるには一工夫必要です。これについてはこちらに任せてください。我々にしか出来ないことですから。とにかく我々には時間が必要なのです」
「その時間で私たちは何をするのですか?」
「勢力圏を固め、それを広げること。その為に、まずは存在を国中に知らしめましょう。一応、こちらで原案は作ってあります。内容の確認をお願いします」
「私が、ですか?」
何故、自分が確認するのかクリスティーナ王女は分からない。戦いはグレン自身のものになった。自分の思う戦いを行うことにした。そうグレンは言ったのだ。
「クリスティーナ王女の名でばらまくものですから」
「えっ? 私の名前で?」
「やっぱり、俺たちの存在は出来るだけ隠しておいたほうが良いと思います。自分で言うのもアレですけど、ウェヌス王国軍はモンタナ国王よりも俺のほうを脅威に思うでしょうから」
「それはそうでしょう」
グレンの存在を知れば、モンタナ王国軍を二の次にしてでもウェヌス王国軍は義勇軍に攻撃を仕掛けてくるかもしれない。その可能性は高いとグレンは考えている。それでは数で劣る義勇軍は厳しい。それだけでなく今後の戦略も狂ってしまう。
「当面は三つ巴状態にないと。真正面からの戦いになると数で劣るこちらは厳しいので。もう一つの理由は原案を読んでもらえば分かります」
「分かりました」
グレンが差し出した原案に目を通すクリスティーナ王女。そこに書かれているのは混乱する国内事情を憂う気持ち、その混乱をもたらした国王と王弟への非難。その二人に大切な民を任せるわけにはいかない。その為に第三勢力を、国内に独立勢力を作るというもの。賛同するもの、そうでなくても戦火から逃れたい人は北東部に逃げ込めという内容が書かれていた。
「……すみません。私の名でなければならない理由が分かりません」
ただこの内容を読んでも自分の名でなければならない理由が、グレンの存在を隠さなければならない理由が、クリスティーナ王女は分からなかった。
「ああ……これも俺が言うのは、なんというか、大変失礼だと思うのですけど、王女殿下は俺の操り人形のように思われるかもと」
「……そうですね」
悔しくて情けないが、反論は出来ない。自分に英雄王グレンが従っているなんて誰も思うはずがないとクリスティーナ王女自身も思う。
「まずは実績を作ることです。義勇軍がどういう組織か知れば、その働きを知れば、王女殿下と俺はどちらが上か下かなんて関係なく、協力し合っているのだと分かってもらえます」
「そうあって欲しいと思います」
そうなりたいとクリスティーナ王女は思う。グレンの力になっていると思えるようになりたいと。
「そうなります。ということで内容に問題はなかったですか?」
「人々を呼び込むのですね?」
どれだけの人が呼びかけに応えるかは分からない。今の自分ではほとんどいない可能性のほうが高い。だがこの先、戦争が激化すれば、事情は変わる。戦火を逃れたいと思う人は増えていくはずだとクリスティーナ王女は思う。
「その為には北東部を戦火の及ばない安全な場所にしなければなりません。モンタナ王国軍も王弟派も、ウェヌス王国軍も一歩も入れない安全地帯を作らなければなりません」
「どうすればそれが出来るのですか?」
「まずは防衛範囲を決めます。これについてもこちらで案を考えています。絶対防衛拠点として三か所。守り易く攻めにくい場所であることが条件ですので、今の勢力範囲とはちょっと変わっています。見てもらえますか?」
続けてグレンは、実際に手を動かしたのはイェーガーだが、地図をテーブルの上に広げた。モンタナ王国の地図だ。
「赤い印をつけてある場所が今言った絶対防衛拠点です」
「こんなものまで?」
「ああ……かなり前から用意していたものです。それがようやく役に立ちそうです」
義勇軍に合流することなくアシュラム王国国境近くにとどまっていた者たちが考え、作成したものだ。そこでの拠点作りと移動路の開拓を終えた後は、鍛錬と戦略や戦術を考えることしか出来なかった彼ら。これだけでなくいくつもの作戦案が存在している。
「……ウォルター、どう思いますか?」
地図を見てもクリスティーナ王女には判断出来ない。自分よりも詳しいはずのウォルターに振った。
「正直申し上げて私も現地を知りません。ですが、少なくとも二か所は要地であることは知っています」
「外れた一か所はどこですか?」
「南の一か所です。他の二か所は王都に通じる要地。ですが南のこの場所は特に守る場所もない拠点だと思います」
絶対防衛拠点は北部に通じる場所に一か所、中央よりに一か所、そして南に一か所の三か所だ。隘路や大きな川の渡航可能地点を選んでいる。
「そうですね。他の二か所は王都に繋がる場所ですので、元々、防衛地点として想定されている場所。でもモンタナ王国の東は北東部を除いてアシュラム王国とは高い山々で隔てられています。守る必要のない場所なのでしょう」
アシュラム王国から王都に攻める為に通過する場所。要所である中央部から北東部に向かう為に通る場所。この二か所はそれなりに守りに適している。だがモンタナ王国の東部は王都への遠回りになることから、防衛という点であまり力を入れていないのだ。
「かといって、さらに南に下るとですか……」
さらに南に絶対防衛拠点を置くと、早々に王弟派と衝突することになる。だから今の地点が選ばれているのだとウォルターは考えた。
「見直すことは難しいですね。ですから南の拠点の強化は最優先課題の一つです。その為に……そろそろ日和見を許すことは出来なくなります」
「日和見……貴族家ですか?」
北東部を支配地域と言っているが、実態は一貴族領を押さえているだけ。それ以外の地域は、反抗する力のない貴族家が、ただ大人しくしているだけだ。
「絶対防衛圏の内側を完全に自勢力で染め上げなくてはなりません。ただ軍事的にそれを行うのではなく、独自の政治を行うのです」
「モンタナ王国からの独立ですか……」
「いえ、モンタナ王国を作り直すのです。モンタナ王国の未来を北東部の人々に、それ以外の人々にも見せるのです」
軍事的な勝利を得ることだけが目的ではない。クリスティーナ王女の治世がどういうものかを民に示し、支持を集めることも必要だ。
「モンタナ王国の未来……そうですね」
王弟と国王を倒して王権を握る。それでは駄目なのだ。国民に求められて王になる。グレンがそうであったように。クリスティーナ王女は自分もそうあらねばならないと思った。
「政治を行う人材も必要です。様々な分野の人材が。そういった人たちを積極的に求めなければなりません」
「どうすれば良いのでしょう?」
「それを考え、実行するのは貴女たちです。クリスティーナ王女には周辺貴族の説得にあたってもらいます。騎士の方々には書状をもって、絶対防衛圏の外側に行ってもらいます」
「我々が貴族を説得するのですか?」
グレンの説明に驚くウォルター。一騎士の身分で、それも見習い程度の立場で貴族を説得できる自信などない。自分たちは騎士。使者が仕事ではないという思いもある。
「……もう少し、自分の国を信じても良いと思います」
「どういうことですか?」
「国や民を顧みない、私欲にまみれた貴族ばかりではありません。俺も以前はそう思っていましたが、それは間違いだと知りました。国を愛し、国を憂い、なんとかしたいと考えている人は必ずいるはずです」
ゼクソン王国のエルンスト伯爵のような人が。アシュラム王国でもグレンはそういう人に出会った。敵に回った人たちも、私欲ではなく、その人なりに国を想って起こした行動であったことを知った。
「そういった人たちの多くは何かしたくても出来ない立場にいる人です。小領主だからと決して蔑ろにしないように」
「はい」
「中にはすでに諦めてしまった人もいるかもしれません。その人たちを動かすのは、貴方たちの熱意です」
「熱意……ですか?」
グレンの口から出るには意外な言葉。謀略家としての一面しか見てこなかったウォルターはそう思ってしまう。
「冷めてしまった心を再び熱くするには火種が必要です。その火種は貴方たちの気持ちです。貴方たちの国を想う心と、この国を良くしようという強い決意が伝われば、必ず上手く行くと思います。任せて大丈夫ですよね?」
「……はい、出来ます。必ずやり遂げて見せます!」
自分の使命を全うするという強い決意を示したウォルター。声を張り上げるわけでもなく、淡々とした口調で話しているのにグレンは、使者に立つことに難色を示していた彼の熱意に火をつけた。
これが本当のグレン・ルートなのかと、その様子を見て、クリスティーナ王女は思った。グレンには人の心を動かす何かがある。それがグレンが人々に英雄視される最大の理由なのだと。
◆◆◆
モンタナ王国での内乱は、東部の街ニュールンで、これまでで最大規模の戦いが発生することになった。開戦当初にモンタナ王国軍と銀狼傭兵団の両方から不意打ちをくらった王弟派は最も大きな損害を受けている。銀狼傭兵団がそうなるように意図して戦ったという原因もある。
だからといってモンタナ王国軍が一気に攻勢に出るというわけにはいかなかった。銀狼傭兵団、とはこの時点でモンタナ王国は認識出来ておらず、クリスティーナ王女率いる義勇軍を後ろに抱えて、ウェヌス王国軍が控えている王弟派の支配地域に攻め込むことはリスクが高すぎる。モンタナ王国軍はニュールン、そして中央のセントール、そしてその二つを結ぶ中央東街道上に防衛線を張ることになった。
そうなると王弟派はその防衛線を突破することが、当面の目標となる。だが、その動きは鈍い。
「ハーリー大将軍。王弟殿下が面会を求めております」
「出陣の支度で忙しいと伝えろ。これ以上、何の邪魔をするつもりだともな」
寝返ると聞いていた北東部の勢力は、寝返るどころか奇襲をかけてきた。騙されていたのだ。そうであればもう軍を留めておく必要はない。全面攻勢をかけることになったのだが、それが決まったあとも王弟派の動きは鈍い。
我慢に我慢を重ねてきたハーリー大将軍であったが、もう限界だった。停滞はウェヌス王国にとってリスクでしかない。王弟の思惑など無視して、行動に移そうと決めたのだ。
「それが、もう部屋の外まで来ておりまして。それもかなりお怒りの様子です」
ハーリー大将軍の言葉をそのまま伝えることなど出来ない。忙しくて会えないと伝えるだけでも部下は抵抗を覚えている。それくらい王弟は不機嫌なのだ。
「……入ってもらえ」
「はっ」
扉の所に戻る部下。開けるとすぐに王弟ジェームズが部屋に入ってきた。
「ハーリー大将軍! どういうことだ!?」
確かにジェームズは怒っている。だが何に怒っているのかハーリー大将軍には見当もつかない。
「何の話ですか?」
「私の側近であったロビンは、貴国が送り込んだ間者だというではないか!?」
「間者? それを言われても、私には何のことだか分かりません」
ロビンなんて人物をハーリー大将軍は知らない。そんな間者がいるなんて話も聞いていない。
「……銀鷹傭兵団を知っているか?」
「銀鷹!?」
こんなところで銀鷹傭兵団なんて言葉が飛び出してくるとは、ハーリー大将軍は思っていなかった。
「やはり、知っているのだな!? ロビンは銀鷹傭兵団の一員で、この国を手に入れる為にウェヌス王国が送り込んだ間者! こんな話が証拠の品と共に広まっている! そのせいで私は貴国に騙された愚か者にされた! 味方は大いに動揺している!」
「そんな……馬鹿な。銀鷹傭兵団はウェヌス王国の敵です! 我が国の間者などではない!」
銀鷹傭兵団の存在をハーリー大将軍は知っている。ランカスター侯爵の手先となってゼクソン王国、アシュラム王国に謀略を仕掛けた組織。捕虜の身から解放される時、グレンに真の敵として教えられた組織だ。
「だが指示はウェヌス王国から出ている! その証としての書状もある!」
そんなものがあるはずない。間者が証拠となるようなものを残しておくはずがない。こんな風にはジェームズは思わない。実際は間者であるかどうかなど関係ない。味方がそれを聞いて、どう思うかが彼にとって重要なのだ。
「国王の謀略ではないですか? 味方の切り崩しを図っているのです」
「その可能性は大いにある。だが、謀略であろうと何であろうと味方が離れていくのを許すわけにはいかないのだ」
「そうであれば尚更、戦いを急ぐべきです。戦って、勝ってみせれば良いのです。貴族たちは勝つ方に付きます。こちらが勝つとはっきりと分からせれば、問題は解決します」
負けが見えている側に付くような判断をするはずがない。勝利を重ねること。それで貴族たちは、内心どう思っていようと味方で居続ける。ハーリー大将軍はそう考えている。
「……その結果、領土がウェヌス王国のものになることを恐れている者もいる」
「そんなことには……」
今更なにを、という思いもハーリー大将軍にはある。大国の力を利用して勝とうというのだ。何も失わないことなどあり得ない。ウェヌス王国は無償の奉仕を提供しているわけではないのだ。
「とにかく事がもう少し落ち着くまで動くな。国王の謀略であった。これが証明出来ればそれで事は収まるのだ」
ねつ造してでも国王の謀略であったことにする。そういうことだ。
「……分かりました」
「良いな? 私の許可なく動くなよ? 絶対だぞ」
何度も念押ししながら部屋を出ていくジェームズ。彼自身も、自分は騙されたのではないかと、不安に感じているのだ。ウェヌス王国を上手く引き込んだのではなく、侵略の道具にされたのではないかと。
「……よろしいのですか?」
ハーリー大将軍は進軍を停止することを約束してしまった。本当にそうするつもりかを部下が尋ねてきた。
「……至急、王都に伝令を。今の話を伝えるのだ。それとカー大将軍にも。モンタナ王国で……いや、起きている事実だけを伝えてくれ」
「承知しました」
モンタナ王国で何かが起きている。銀鷹傭兵団の名が出てきたことで、ハーリー大将軍はそれを感じた。改めて、これまでの動きを思い返しても、何かおかしい。ことごとく王弟派の動きは裏目に出ている。
それは国王の謀略によるものか。それとも銀鷹傭兵団によるものか。それとも、銀鷹傭兵団と深い関わりを持つ人物によるものか。いよいよその人物が、グレンが動き出したのか。
目も耳も塞がれて、吊り橋の上を歩いている気分。グレンを敵に回して戦うというのはこういうことなのかとハーリー大将軍は思った。