国王と王弟の戦いが停滞していることは、クリスティーナ王女率いる義勇軍にとっては望ましい状況だ。本格的な戦いに備えて、若い騎士や義勇兵たちを鍛える時間が出来た。せっかく得られたその貴重な時間を無駄に過ごすことを許すほど、彼らを率いるクリスティーナ王女、ではなくグレンは甘くない。彼らが自ら望んで参加していた時より、一段も二段も上の、厳しい鍛錬を毎日行わせている。
初めはその厳しさに驚いていたクリスティーナ王女も、今苦しむことが結果として彼らの命を救うことになるというグレンの話に納得し、自らもその厳しい鍛錬に身を投じることになった。
「……はぁ」
だからといって、すぐにその成果が表れるわけではない。体力づくりの鍛錬メニューの段階で離脱し、自分の情けなさにため息をつきながら、横で見ていることになった。
「大丈夫ですか?」
「あっ、はい。息は整いました。ただ……」
少し休んで息苦しさは消えた。だが、まだ体に力が入らず、立っているだけで精一杯の状態だった。クリスティーナ王女は落ち込んでいるが、そうなるまで頑張って鍛錬を続けたということだ。
「仕方がありませんわ。いきなり彼らに付いて行くことなど、軍人でも出来ませんから」
「軍人でも?」
「はい。私には詳しいことは分かりませんけど、軍人であっても付いて行くのは厳しい鍛錬のようですね。ゼクソン王国軍の人たちも最初の頃は動けなくなっていたと聞きました」
マリアは実際にその様子を見たわけではない。彼女がグレンの妻となり、共に過ごすようになった時にはルート帝国軍はもちろん、ゼクソン王国軍もかなり鍛え上げられていた。アシュラム王国軍が今、その途上であるが、その様子を見る機会もなかったのだ。
「ゼクソン王国の人たちが……私たちも頑張れば強くなれるのでしょうか?」
ゼクソン王国軍はウェヌス王国の侵攻を跳ね返した。実際はグレン率いる銀狼兵団の活躍にかなり頼ってのことだが、そこまで詳しい事情は知らないクリスティーナ王女は、ゼクソン王国軍全体がかなりの精鋭だと考えている。今となってはこう考えるのは間違いではないが。
「元々グレンはウェヌス王国軍内で落ちこぼれと言われていた小隊の隊長。その彼らを鍛え上げ、さらに中隊長になって中隊を鍛え上げ、それが周りに広がった結果、最弱であったはずの第三軍がウェヌス王国軍最精鋭と呼ばれるまでになったのです。さらにゼクソン王国に行ってからも罪を犯して重労働を課せられていた人たちを一から鍛え上げ、最強兵団を作り上げた。皆、初めから強かったわけではありません」
「そうでしたか……グレン殿は凄いですね?」
「幼い頃からご両親に鍛えられていたそうです。そのご両親が亡くなってからもずっと努力を続けてきた結果だと私は思います」
グレンが抜きん出た力を持つのも努力の結果。何の苦労もなく得たものではないとマリアは言いたいのだが。
「それが凄いと思うのです」
「そうですね」
その努力を続けられてきたことが凄いのだとクリスティーナ王女は言っている。これについてはその通りだとマリアも思う。
「モンタナ王国はその努力を怠ってきました。大国の野心を分かっていながら、それに備えることなく、それどころかその大国の力を自国に引き込もうとしています」
「それでは滅びても仕方がない、なんてことは思っていないのでしょう?」
「はい。生まれ育った国ですから。なんとか良い国にしたい。でも私にはそれを実現する力がありません」
グレンを知る度に、自分の無力さを思い知ることになる。何故もっと、なんでも良いから力を得るための努力をしてこなかったのか、という後悔の思いが湧いてくる。
「……兄は、自分は間違ったとばかり言っていますが、少なくとも一つは正しいことを行ったと私は思っていますわ」
「ジョシュア様が? それは何ですか?」
「戦う決意をしたことです。兄は幼い頃からずっと、周りから愚鈍と思われ、期待されていませんでした。側近だった人たちは皆、兄の為ではなく、ランカスター侯爵家の為に働いていた。信頼出来る人は誰もいませんでした。それでも兄は戦うと決めました」
支持する者がほとんどおらず、ランカスター侯爵家と、その息のかかった者たちが国政における権力の多くを握る中でジョシュアは王になった。勝算などなかった。それでも誰かが戦わなければウェヌス王国は滅びてしまう。そう考えて、戦う覚悟を決めたのだ。
「…………」
自分はどうなのか。戦うと決めた。だがその覚悟はどこまでのものなのか。迷いがまったくないわけではない。それで戦えるのかがクリスティーナ王女は不安だった。
「その結果、兄は信頼出来る人に出会いました。王でなくなった今もその関係は続いています。一度は舞台を降りた兄ですが、それはウェヌス王国を守るという舞台から降りただけ。戦うことを止めたわけではないようです」
ジョシュアは世捨て人になったわけではない。そうでなければここにはいない。何かを為そうと思っている。その何かが何か、まだ本人も分かっていないだろう。だが、グレンと共にいれば分かる時が来る。そう考えているのだとマリアは感じている。
「……私も信頼出来そうな人に出会えました。信頼される人にもなりたいと思います」
「そうですか。そう思い続けていれば、きっとなれますわ」
クリスティーナ王女の言う信頼出来そうな人はグレンなのかジョシュアなのか、二人ともか、実はまったく別の人なのかは分からない。それを確かめるつもりはマリアにはない。どちらでも良いことだ。クリスティーナ王女自身がそう思い、そう決めたのであれば。
「あの……」
「なんでしょうか?」
「マリア様はウェヌス王国と戦うことになることをどう考えているのですか?」
ウェヌス王国はマリアの母国。自分にとってのモンタナ王国と同じだ。このまま戦いが進んでいけば義勇軍は、その主力であるグレンの銀狼兵団はウェヌス王国軍と戦うことになる。それについてマリアがどう思っているかクリスティーナ王女は気になった。自分もこのまま行けば父の、母国の軍と戦うことになる。クリスティーナ王女はまだそれに迷いを感じているのだ。
「……難しい質問ですね……戦いの中でウェヌス王国の人々が傷つき、亡くなってしまうことになると思うと心が痛みます。これについて気持ちが納得することはないと思います」
「それでもグレン殿を止めないのですか?」
マリアも自分と同じ気持ちを持っている。完全に割り切れているわけではないことをクリスティーナ王女は知った。それでも戦いを止めようとしないマリアの気持ちが知りたい。
「……グレンを止められるのは私ではないわ。兄よ」
「ジョシュア様が」
「いえ、もう一人の兄。今のウェヌス王国の王ですわ。グレンがオルタナ王国での戦いを止めたら、ウェヌス王国は侵攻を止めるでしょうか? 止めるはずがありません。ウェヌス王国はこの国にグレンがいるから軍を送ってきたのではありませんから」
エドワード王の目的はモンタナ王国を従属国にすること。それはたんにウェヌス王国の勢力拡大を図るというものではなく、アシュラム王国への侵攻路を確保する意味もある。エドワード王の野心が止まらない限り、戦いは避けられない。
「……そうでした。ウェヌス国王もまたマリア様の」
エドワード王もまたマリアの兄。分かっていたはずのことだが、クリスティーナ王女がそれを意識したのはこれが初めてだった。兄弟、兄妹で敵味方に分かれている。マリアの立場は自分と同じか、それ以上に複雑なのかもしれないとクリスティーナ王女は思った。
「兄は間違っていると思います。それを正してくれるのがグレンだと私は信じています。グレンへの一人の女としての想い、そして、今の私はウェヌス王国とは関わりのない人間ですが、心に残った王女としての想いからも、それがウェヌス王国の為になると私は信じているのです」
「間違いを正すのは国の為……そうですね。王家の人間として私にはその責任があります」
今のモンタナ王国は間違っている。そうであれば王女としてクリスティーナ王女はそれを正さなければならない。国民の為に。たとえ父と、それに従う王国の人々と戦うことになっても。
迷いが完全に吹っ切れたわけではない。この先も思い悩む時は間違いなくある。それでも正しいと思う道を進んでいかなければならない。マリアの話は、こんな想いをクリスティーナ王女の心に生まれさせた。
◆◆◆
ルート帝国の都ルーテイジ。綺麗に整備された通りと街中に広がっている水路によって区切られた土地はそれぞれ、大きく用途が決められており、それにあった建物が立ち並んでいる。中心の区画は城、といってもルーテイジのそれは館というべきものだが、と軍の施設。その周りを住宅区、商業区、娯楽区といった区画が囲み、さらにその外にまた軍事施設が置かれている。かつてのルーテイジの姿しか知らない人たちにとっては信じられない変化。その発展に驚き、帰郷の決断は間違いではなかったと喜ぶことになる。
だが、全ての人がそうであるわけではない。
「どうだ? 良いだろ?」
娯楽区にある食堂。その中の一つのテーブルで一人の男が老婆相手に自慢気な様子で語っている。
「これは……ずいぶんと立派なものだね?」
男がテーブルの上に広げたのは布。ただの布ではない。上質の絹織物を精緻な花の柄の刺繍で彩った、庶民では滅多にお目にかかることのない、その機会があっても手が出せない高級な代物だ。
「まあまあだな。こんな片田舎ではこういう物は手に入らないだろうと思って、お土産として持ってきた」
男はウェヌス王国からずっと離れ離れだった母の下に来たばかり。この場は久しぶりの再会を祝う席だ。
「気持ちはありがたいけど……使い道がないね」
こんな上質な布を使った服など着る機会はない。いつも着ているのは汚れても良い作業着と普段着だけ。せいぜいお祝い事があった時の為に少し小奇麗に見える服が一、二着あるくらいだ。
「それは……まあ、ここではそうかもしれないな。ウェヌス王国では庶民も豊かになって、娯楽を楽しめるようになっている。こういう良い物を着て、遊ぶのが普通になっているのさ」
「贅沢だね?」
「贅沢じゃなくて、それが普通になったのさ。なんたってウェヌスは大国だからな。他の国とは豊かさが違う」
また自慢げに語る男。その声は大きく、他のテーブルにも聞こえるくらいだ。実際に男の話を聞いた人がいて、その中で彼と同じようにウェヌス王国から移ってきた人の中で数人が、同じような話を始めている。
「一時期の没落ぶりと比べたら、ここもかなり立派になったものだ。それには驚いたけど、さすがにウェヌス王国と比べるとまだまだだな」
「それはまだ新しい国だからね」
「それもあるけど、それだけじゃない。もともとの地力が違うってことじゃないか? ここには特産品といえるような物もない。なんとか食う物には困らないようにはなったみたいだけど、それだけだ」
「それだけって……」
そうなるまでにどれだけの努力をしてきたのか。老若男女問わず、皆が皆、朝から晩まで働いて、この国は発展してきたのだ。それだけ、なんて言われ方には納得いかない。
「いや、頑張ってきたのは分かる。それには俺だって素直に感心している。でもな、いつまで頑張り続けるつもりだ?」
「いつまでって……」
「もう若くない。隠居したっていい歳だ。でもこの国ではそれが許されない。働かざる者食うべからずって、働くことが出来なくなったら食えなくなるってことだろ?」
ルート帝国では勤勉であることが求められる。だからといって年老いて働けなくなった人が食べていけなくなるというのは違う。それに、ウェヌス王国だって何か特別な保証があるわけではない。
ただ真実など男にとって、どうでも良いことだ。
「働けなくなった理由が、どうしようもないことだったら食べていけるよ」
「はい?」
どうでも良くない事実を知らないよりは。
「畑仕事が出来なくなってもやれることはある。それも出来なくなっても国が食べさせてくれるよ」
「……そんなわけない。国がそんなことしてくれるはずないだろ?」
「してくれる。その為のお金を払っているからね」
「金を払って?」
男には母親の言っていることが理解出来ない。それはそうだ。こんな制度はウェヌス王国にはない。
「働いた分、お金や食料が貰える。その貰える分を、老後の為の蓄えとして、少し減らすのさ。国に預かってもらうんだよ」
年金制度。グレンは、健太郎と結衣から聞いた異世界の知識の中から有用だと思ったものを、完全には無理だが、この国で実現させてている。これもその一つだ。まだ始めたばかりで成功するかは分からない。だが、今だから出来ることでもある。
「……騙されている。税を多くとられているだけだろ?」
「騙されていない」
「騙されているに決まっている!」
「決まっていない! 王様がわたしらを騙すはずがない! あの方は常にわたしらのことを思っている! わたしらの暮らしがどうすれば良くなるか考えている! あの方はわたしら一人一人の言葉に耳を傾け! 考え! 出来ることは出来る! 出来ないことは出来ないと正直に言って下さる!」
グレンは中々、ルーテイジにとどまっていることは出来なかったが、それが可能な時は出来るだけ時間を作って、街を回って人々の声に耳を傾けていた。よそ者である自分、成り上がりである自分は王という肩書だけでは人々の信頼は得られない。人々の為になって、はじめて王として認められるのだと考えてのことだ。
「……母さん」
「ウェヌス王国の王様はどうだい? あんたの言葉を聞いてくれたかい?」
「そんなの、あるわけない」
あるはずがない。庶民にとって国王は雲の上の存在。その姿を見たことさえない国民は山ほどいる。見たことがある人のほうが少ないくらいだ。
「あんたの言う通り、この国は片田舎の小さな国さ。でもね、わたしらにとってはどこよりも良い国なのさ。この国をもっと良い国にする為であれば、わたしは死ぬまで頑張り続けるよ。わたしらの代だけでは駄目でも若い世代が。それでも駄目ならその子たちが、その孫たちが頑張ってくれるよ……あんたにもその一人になって欲しかったけど……無理だったね?」
「俺は……」
「この国はわたしらのものだ。その大事なものを傷つけるような奴は、息子であっても許さない。この国もわたしらにとっては子供のようなものなのさ。大事に育ててきた子供なんだよ」
「…………」
さきほどまで喧騒が広がっていた食堂を沈黙が包んでいる。この場にいる皆が、老婆の言葉に耳を傾けている。誰もが同じ想いを胸に抱いている。ルート帝国は自分たちが作り、ここまで育て上げた。その自負が、建国当初からこの国で暮らしている人々にはあるのだ。
「その言葉を聞けて、私は幸せだわ。うれし涙を堪えるのが大変」
「ソフィア様!?」
沈黙の中、割り込んできたのはソフィアだった。
「ありがとう。この国の后でいられて、私は幸せだわ」
「……この国の民でいられて、わたしらも幸せですよ」
「俺も!」「私も!」「儂もだ!」
いきなりの登場に驚いた人々も、こうして間近でソフィアに会うことは珍しいことではない。畏まることなく、老婆に続いて次々と、手に持ったグラスを高く掲げて声をあげてくる。ルート帝国に乾杯。こんな気分なのだ。
「おい? どこに行く? 酔っぱらっているのか?」
だがその声の中に他とは異なる言葉が混ざった。席を立って、ソフィアのいる方に向かう若い男。多くの客が酔っ払いが握手でも求めているのかと思ったのだが。
「危ない!」
その男の手にナイフが握られていることに気が付いた人がいた。気付かれたとしった男の動きが速くなる。ナイフを前に突き出した体勢のまま、ソフィアに駆け寄る男。その距離が見る見るうちに縮まった。
食堂に響き渡る悲鳴――
「……素人ですね」
だが、当然、男のナイフがソフィアの体に届くことはなく手前で、武の心得があるとは思えない青白い顔をした華奢な男に取り押さえられていた。クレインだ。
「そう……私、貴方に何か恨まれるようなことをしたかしら?」
「…………」
ソフィアの問いに男は無言のまま。
「個人の恨みでなければ、誰かに頼まれたの?」
「…………」
「銀鷹傭兵団かしら?」
この問いにも答えはない。だが男のハッとした表情が、ソフィアの求める答えを表している。
「貴方は銀鷹傭兵団の一員ではないわね? そうなると動機は何? お金? それとも他の何か?」
「…………」
苦しそうな表情を見せる男。金で雇われたわけではないとソフィアは判断した。
「……この人の関係者はいる? 罪を問うにしても事実が分からないと処分を決められないわ。死罪にさせたくなければ、この人に話をさせてくれないかしら?」
銀鷹傭兵団の正式なメンバーではない。金で雇われたわけでもない。そうであれば動機は同情の余地があるものの可能性が高い。銀鷹傭兵団のやり口は良く分かっている。アンナが騙されたのと同じであれば、実行犯にさせられた彼を問答無用で死罪とするのは忍びない。
「はい。私が」
ソフィアの問いかけに一人の女性が手を挙げた。そのまま立ち上がって近づいてくるその女性。
「貴女は……知らない顔。彼女が本命みたい」
この言葉に反応したのは本命と言われた女性、と天井裏に潜んでいたヤツの部下。女性は隠し持っていたナイフを振るう間を与えられることなく、額に細長い鉄の棒、苦無を打ち込まれて床に倒れていった。
「さてと……これで話せるかしら?」
「俺は……」
ようやく言葉を発した男だが、ここまで。また黙り込んでしまった。
「銀鷹傭兵団が何者か教えてあげる。銀鷹傭兵団はグレンの、陛下のお父上を団長として出来た傭兵団よ」
「えっ……?」
驚きの表情が男の顔に広がっていく。男が命じられたのはソフィアの暗殺。ソフィアの夫であるグレンに関係のある組織が、そんな命令を発する意味が男には分からない。
「でもいつの間にか、本来の志は歪められ、ランカスター侯爵家の野心の道具として使われるようになった。グレンのご両親はランカスター侯爵家の息のかかった者たちに殺された。ゼクオン王国のヴィクトリア様の御父上も、私の父も暗殺された可能性がある」
「そんな……」
ソフィアの父はエイトフォリウム帝国の皇帝。何も為すことのなかった名だけの皇帝であったとしても男にとって祖国の皇帝。その皇帝を暗殺した組織に自分が使われているのだと知って、動揺をみせている。
「でもランカスター侯爵家は滅びた。主を失った銀鷹傭兵団はそのランカスター侯爵家を滅ぼした人物に仕えているわ。それが誰だか分かる?」
「……ウ、ウェヌス王国?」
「正確にはウェヌス国王エドワード」
食堂にどよめき声が広がっていく。ソフィアを殺そうとしたのはエドワード王。それをこの場にいる全員が知ったのだ。
「銀鷹は表に出られる組織ではない。ウェヌス王国でその存在を知っているのはエドワード王だけよ」
暗殺を試みたのはウェヌス王国ではなくエドワード王。敵はエドワード王であるとソフィアは自国の人々にも分からせたいのだ。ウェヌス王国が悪なのではない。エドワード王が悪であるので、ウェヌス王国は間違ったことを行うのだと。
「どうかしら? 何故こんな真似をしたのか教えてもらえる?」
「……つ、妻が」
「人質にされた? そう……じゃあ、奪い返さないとね」
「えっ!?」
予想していなかったソフィアの言葉。暗殺を試みた自分の為に、という思い。そうでなくても無名な一人の民の為に国が動くのかという思い。様々な思いが男を驚かせた。
「出来る?」
「ご命令とあれば、全力をもって行うのですよ」
実際はそれほど困難ではない。居場所さえ分かれば、手はいくらでもある。問題は内通者の存在が知られるだろうことだが、それを気にする段階ではなくなっているという考えなのだ。
「人質の奪回が無事に成功するまでは牢にいてもらうわ。そのあとは奥さんと一緒に考えて。この国に残るか、ウェヌス王国に戻るかを」
「……私は自由になれるのですか?」
「きちんと罪を償ったと思えたら。貴方次第よ」
「……感謝します……感謝いたします! 皇帝陛下!」
跪いた姿勢で深々とソフィアに向かって頭を下げる男。人質を取り返したあとに出すべき結論は半ば決まっている。
「ちょっと間違っているけど、それは奥さんが無事に帰ってきてからね。じゃあ……えっ?」
ソフィアに頭を垂れているのは彼一人ではなかった。食堂にいる全員がソフィアに向かって頭を下げている。自分たちの皇后陛下に、改めて尊敬の念を抱き、それを行動で示しているのだ。
それはルート帝国の人々の心を惑わす目的で銀鷹傭兵団に送り込まれた人たちの多くも同じ。この国はウェヌス王国とは違う。自分たちが語っていた虚偽ではなく、それとは正反対の意味で。ルート帝国は庶民が誇れる国なのだと彼らは知ったのだ。