憧れていたグレンの成り上がり英雄譚。それが自分の思っていたようなものではなかったことをクリスティーナ王女は思い知らされた。勝者の反対側には敗者がいる。勝者側の英雄は敗者の側から見れば大悪人だということを彼女は知った。
クリスティーナ王女が決断出来ないままに動き出した銀狼傭兵団。まず初めに取り掛かったのは策略の道具にされたレジスの村人たちを取り込むこと。元々領主に対する反発心が強かった村の人々だ。モンタナ王国が自分たちを虐殺しようとした事実を知り、それから守ってくれたクリスティーナ王女に協力することはすぐに了承してくれた。クリスティーナ王女本人が知らないうちに。
その彼等を使ってグレンが行ったのはレジス村襲撃の事実を広めること。村人たちは近隣の村や街に出かけて行っては「国王の命令で村人が皆殺しにされそうだった。何とか助かったがまた軍が送られてくる可能性が高いので逃げてきた」という話を広めていった。
話を聞いてもそれを疑う人は少なくない。国王が何故、罪のない村人を殺さなければならないのか。その理由は聞かされていないのだ。だが、そういった人たちの疑いは徐々に晴れていくことになる。レジスの村の周りには多くの死体が遺棄されたままになっている。実際にそれを見た人たちにより、その情報が広げられていくに従って、
虐殺が図られたのは事実だった。そう認識する人が圧倒的多数になる。そうなると噂が流れるのは庶民の間だけではなくなる。この地を治める領主の耳にも届くことになった。領主は虐殺に間接的ではあるが関わっている。噂を放置しておくわけにはいかない。
レジスの村人、噂を広めている人々を捕らえようと領主軍が動き出した。もともと素行の良くない領主だ。そのやり方は苛烈。領内のあちこちの村や街で暴力によって人々を押さえつけようとする領主軍の騎士たちの姿が見られるようになった。
当然、領主はレジスの村にも軍を送ってきた。国王が失敗した虐殺の後始末をつける為に。
その領主軍は銀狼傭兵団によって完膚なきまでに叩きのめされることになる。さらにそんな領主の仕打ちに反発したレジスの村人とその協力者、であるかのように装った銀狼傭兵団のメンバーが、抗議の声をあげながら領主館がある街ホワイトストーンに向かう。領主に不満を持っていたのはレジス村の人だけではない。他の街や村にも同じような思いを抱えている人たちはいる。事情を知った人々は怒りを燃え上がらせて、一部は燃え上がらされて、抗議の集団に加わっていく。
あとは鎮圧に動いた領主軍を返り討ちにして、ホワイトストーンを攻略。領主は討たれ、その領地は反乱軍が制圧するところとなった。
「さて、そろそろ気持ちは固まりましたか?」
接収した領主館の一室でクリスティーナ王女に覚悟が決まったかを尋ねるグレン。
「…………」
その問いにクリスティーナ王女は答えを返せない。自分が覚悟を決める以前に、あれよあれよという間に貴族領を一つ奪ってしまったグレンの手際に恐れを抱いているのだ。
「あれ、まだですか? 第三勢力をつくる上での地盤となる土地を手に入れられたので、さすがにその気になったと思っていたのですけど」
「……私は必要ですか?」
自分はモンタナ王国を奪う為の道具にされるのではないか。クリスティーナ王女の恐れはこれだ。
「必要……それを聞く意味が分かりません。貴女がどうしたいかを俺は聞いているのですけど?」
「私がいなくても貴方はモンタナ王国を手に入れられるのではないですか?」
「ああ、そういうこと? えっ? 俺がモンタナ王国を手に入れようと考えていたとして、どうして貴女に決断を求めると考えるのですか?」
クリスティーナ王女が迷っている原因は分かったが、何故それで迷うことになるのかグレンには分からない。モンタナ王国を手に入れようと考えているのであれば、クリスティーナ王女がどう考えようと関係ない。自分が一番良いと思える方法を選んでグレンは動いている。
「ではどうして貴方はモンタナ王国に来て、不利な状況で戦おうとしているのです?」
「……理由はありますけど話したくありません」
「話せない理由は何ですか?」
「身内の話ですから。そして貴女は身内ではない」
グレンがここにいるのは母の謀略を、それがあるのであれば、止める為。エドワード王が無用な野心を抱くのを防ぐ為。クリスティーナ王女には関係のないことだ。
そうであるのにクリスティーナ王女に決断を求めているのは彼女が協力を求めたから。それに応えたのは彼女の為ではなく、罪のない人々が殺されるのを防ぐ為であり、ジョシュアを筆頭に周囲が強くそれを求めたからだ。
「……私には自信がありません」
「そうですか。では――」
「自信がなくて当然なのだ。自信満々のほうが困ると我は思うな」
決断出来ないクリスティーナ王女をグレンは切り捨てようとしている。そう考えたジョシュアはグレンの言葉を遮って、会話に割り込んできた。
それにグレンは苦笑い。ジョシュアによってどう話が展開するかを見守ることにした。
「それはどういう意味ですか?」
「クリスティーナ王女は国を治めることなどやったことがない。学んだこともないのではないか? そんな素人が自分には何でも出来ると思い込んで好き勝手にやっては国が乱れてしまう」
「……それはそうかもしれません。でも国を治める力のない者が王になっても国は乱れます」
「すでに国は乱れている。それにその考えは正しいようで間違っている。本人に力がないのであれば力のある者に任せれば良い。分からないことがあれば分かる人に聞けば良い。我はそう思う」
上に立つ者が万能である必要はない。適材適所。出来る人に任せれば良いのだ。ただこれは簡単なことではない。
「ジョシュア様はそうなされていたのですね?」
ジョシュアがウェヌス王国の元国王であったことは、もう明らかになっている。クリスティーナ王女は、ジョシュアは自分自身のやり方を教えているのだと考えた、のだが。
「いや、我には出来なかった」
「えっ?」
「我には任せられる者がいなかった。能力を持った者はいた。だが我はその者の忠誠を得ることが出来なかった。その者の能力を活かしてやることが出来なかった」
自分の言うことを聞かなかった、背いた臣下たちが悪い。かつて胸に抱いていたその思いは、もうジョシュアの心から消えている。自分を裏切ったアルビンはアシュラム王国でその能力を活かそうとしている。国を良くする為に働こうとしている。ジョシュアはそれを知ってしまったのだ。
「……私にも出来ません」
「クリスティーナ王女はまだやってみてもいない。出来ないかどうかはやってみないと分からない」
「ジョシュア様……」
「我のように後悔して欲しくない。貴女はまだこれからなのだ。これから周囲に信頼され、自分が信頼出来る人を増やし、その人に全てを任せる覚悟を定めれば良いのだ。それで失敗しても、やらなかった後悔よりマシだと我は思うな」
孤軍奮闘。頑張っていたつもりだった。自分に優れた能力はなかったが、それでも出来ることは全てやっていたつもりだった。だがそんなジョシュアも怠っていたことがある。味方を作ることだ。自分に忠誠を向けてくれる臣下などいない。アルビンは、その周囲の人たちは敵。そう決めつけて国内で味方を作る努力を行わなかった。
今のクリスティーナ王女も自分と同じだとジョシュアは思った。容姿のせいで自分の下に人が集まるはずがないと考えている。そう考えて何もしないまま諦めようとしている。そうさせたくなかった。
「……分かりました。まずはやってみます」
「そうか。それは良かった」
ジョシュアの思いはクリスティーナ王女に伝わった。どう伝わったかは彼女にしか分からないが。
「ジョシュア様……これからも私を助けていただけますか?」
「おっ、おう。我に出来ることであれば何でも言ってくれ」
つい先ほどまでの凜々しい表情を消し去って、照れ笑いを浮かべているジョシュア。それを見たクリスティーナ王女の顔にも笑みが浮かんだ。
そんな二人のやり取りを見ていたグレンの心には惜しいという気持ちが湧いている。ジョシュアを知れば知るほど、乱世には向かないかもしれないが、人の上に立つべき人だと思う。
いつかそんな日が来るのか。ただ待っているだけでは無理だろうことは分かる。
◇◇◇
モンタナ王国内に入ったウェヌス王国軍は何の抵抗を受けることもなく、王弟の支配地域に辿り着いた。モンタナ王国南部は王弟に従うことを選んだのだ。そのつもりがなかった貴族もウェヌス王国軍と単独で戦う気にはならない。内心は複雑な思いを抱きながらも王弟に臣従の姿勢をみせるしかなかったのだ。
このままの勢いで一気にモンタナ王国制圧を実現する、ということには今のところなっていない。
「……国王派が分裂している? それと進軍を止めることに何の関係があるのですか?」
不満そうな表情のハーリー大将軍。ここからいよいよ戦いが始まると気合いを入れていたところに進軍は待てという話だ。納得がいくはずがない。
「分裂が激しくなれば戦わずして勝てるかもしれない。そこまでいかなくても国王派は弱体化する。それを待つべきだと言っているのだ」
北東部の貴族家が国王に反旗を翻した。王弟の下にこの情報が届いた。そういった貴族家がさらに増えそうだという情報も。それが王弟に進軍を躊躇わせている。
「敵が混乱しているのであれば、そこを突いて一気に勝敗を決めるべきではありませんか?」
ハーリー大将軍はそういう状況だからこそ、戦いを急ぐべきだと考えている。
「それを行うことでまた国王派がまとまるのは避けたい」
「……きちんと事情を話してもらえますか?」
王弟が何を恐れているのかハーリー大将軍には分からない。もともと分裂する前の国王派と戦おうとしていたのだ。
「分裂した勢力は我が方に付こうと考えている」
「……それはそうでしょう」
国王に背いたのであれば、対抗勢力である王弟派に寝返ろうと考えるのは当たり前のことだ。
「ただ……あくまでも私に従うのであってな……」
「なるほど。我が国に臣従するつもりはないと」
「……まあ、そうだ」
王弟がウェヌス王国の侵略を助けているのであれば、それは許せない。断固として戦う。この意思も王弟に伝わっている。これが王弟を躊躇わせているのだ。
国王には間違いなく勝てる。王弟の意識はすでに自分が国王になった後のことに向いている。自分が国王になる国を戦争で荒廃させたくない。戦う力は残しておきたいと。
「……さてそれは我が国との約束を破るということですか?」
「いや、そういうことではない。寝返ろうとしている勢力を納得させる時間が欲しいだけだ」
「それはどれくらいの期間ですか?」
「……今はまだ」
どれだけの勢力が寝返ろうとしているのかも、まだ分かっていない。説得する相手が分かっていないのだから、それに必要な期間など分かるはずがない。
「……東部の制圧は急いでもらいたいのですが?」
モンタナ王国全土の制圧はそれがいつになろうとどうでもいい。そこまで付き合うつもりはウェヌス王国にはないのだ。ウェヌス王国が求めているのはアシュラム王国への侵攻路。その確保を急いでいる。
「分かった。東部との交渉は急ごう」
「我が軍が制圧に向かうことは許されないのですか?」
「その東部がもっとも激しく国王と争っているのだ。貴国の軍に向かわれては困る」
「……分かりましたとは言えません。こちらにもこちらで考えてきた戦略があります」
王弟の為に戦いに来ているのではない。ウェヌス王国軍は自国の利益の為に動いているのだ。王弟支援が建前であっても、全ての指示には従えない。ハーリー大将軍は回答を保留した。
「しかし貴国への反発が強まり、それが我が方の味方に波及するようなことは避けてもらわないと」
「そうであれば初めから我が国の支援を求めるべきではありませんでした」
「そうだとしても今更帰ってくれとは言えない。それとも言ったら帰るのか?」
これはまだ本気で言っているのではない。国王派の混乱はウェヌス王国軍がいてこそ。帰国を望む事態になるには寝返りが明確になり、後戻りが出来ない状態になってからだ。さすがにそれは都合が良すぎると王弟も思っているが。
「……それへの回答は国元に確認する必要があります。それまで待っていただけますか?」
「い、いや、今のは冗談だ。我等は貴国を頼りにしている。戻られては困る」
ハーリー大将軍の言葉は脅し。王弟はそう受け取った。正しい判断だ。国力だけを考えればウェヌス王国は国王と王弟をまとめて葬り去ることも出来る。エドワード王を本気で怒らせるような真似は王弟には出来ない。
「新しい情報が入ったら逐一報告してください。こちらでも情報収集を行いますので、分かったことがあれば報告します」
「ああ、分かった」
モンタナ王国の情勢が考えていたものから変わっている。戦術の見直しを行うにしても、まずはより多くの、そして正確な情報を入手すること。そうハーリー大将軍は考えた。現地について予定外のことが起きる。それはハーリー大将軍にゼクソン王国との戦いを思い出させ、嫌な気持ちにさせるものだ。
慎重であることは間違いとは言えない。しかし、それは常に正しいものでもない。どちらであるかは今のハーリー大将軍には分からない。