月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

逢魔が時に龍が舞う 第38話 洗脳

異世界ファンタジー 逢魔が時に龍が舞う

 静寂の中、キーボードを叩く音だけが部屋に響いている。その音にまでオペレーターの緊張を感じ取ってしまうのは、恐らくは聞く側の気持ちのせい。感情を聞き取れるような鋭敏な耳を持っている人は、この場にはいない。
 白衣を着た人々は精霊科学研究所の職員。その中でも重要な研究に携わっている人々だ。だからこそ、これから行おうとしていることに対して、恐れを感じてしまうのだ。

「……始めよう」

 それは月見望も同じ。より詳しい情報を知っている望は、他の人よりもずっと緊張しているかもしれない。

「始動します」

 望の指示を受けて、オペレーターがモニター上のスイッチをタッチする。それで装置は動き出す。

「……対象に変化なし」

 部屋の壁に据えられているモニターを見ている研究員が報告をしてきた。モニターに映っているのは、おかっぱ頭の女の子。部屋の椅子に座って、微動だにしていない桜だ。

「出力五〇パーセント……脳波反応ありました」

 続けてオペレーターの報告。彼の視線はモニターに映っている数値に釘付けだ。

「……微弱だな。出力をあげよう」

 オペレーターの報告を受けて、モニターをのぞき込んだ望。不満そうな顔で、また指示を出す。

「七五パーセントまであげます」

 指示を受けて操作パネル上の手を動かすオペレーター。

「……反応は?」

「反応値、上昇しています。確認してみますか?」

「……いや、まだ早い。もう少し続けよう」

 こう言って望は、桜が映っているモニターに目を移す。椅子に座っている桜に動きはない。その様子を見るだけでは成功するかなど分からないのだが、大人しくしていることについては一安心。その気持ちが望にため息をつかせた。

「効果がありそうだな?」

 その望に声をかけてきたのは、ここまで黙って眺めているだけだった斑尾教授だ。

「問題は、どの程度まで効果があるかです」

「そうだな。だが、この洗脳実験が成功すれば、我々は最強の兵器を手に入れることが出来る。夢に大きく近づくことになるのだ」

「……ええ。そうですね」

 嬉しそうに語る斑尾教授。その斑尾教授に、我々ではなく俺の夢だ、なんて言葉を告げる必要はない。告げたとしても、あとでどうとでもなるが、この場にいる全員に対処するのは面倒だ。

「しかし……このような研究を進めていたとは。しかも、短期間で成果を出すとは、さすがは月見くんだな」

「いえ、たまたまです」

 短期間で成果を出したわけではない。十年近い月日をかけて、何度も実験を重ねて、得られた成果だ。

「鬼である彼女に有効となれば、普通の人相手でも間違いなく効果はある。そうなると……」

「教授、少し黙っていてもらえませんか?」

「……すまない」

 浮かれた様子の斑尾教授に苛立ちを覚えた望。その言葉に斑尾教授は、素直に従った。これで教授はしばらく口を開くことはない。望の命令なのだ。
 ただ斑尾教授は命令とは受け取っていない。それを考えることは許されていない。彼こそが望の最初の実験体。個の精霊力だけでなく、精霊科学による洗脳実験を受けた人物なのだから。

「……確認してみよう。装置を止めてくれ」

 斑尾教授を黙らせたところで、望は実験に戻る。オペレーターに洗脳装置の停止を指示して、椅子に座る。

「……停止しました」

「ありがとう。じゃあ、始めるか」

 目の前にある小さなレバーを押し倒し、マイクのスイッチをオンにする。

「……桜。僕だ。分かるかな?」

 マイクに向かって、桜に話しかける望。

『……お兄ちゃん?』

 スピーカーを通して聞こえてきた桜の答えは、望を満足させるものだった。

「そうだよ。お兄ちゃんだ」

『……どうしたの? どうして、お部屋に来て話さないの?』

「お兄ちゃんは今、遠くにいるんだ。でも桜と話したいから、こうして遠くにいても話せるようにしてもらった」

 桜の問いに、適当な答えを返す。兄は部屋まで会いに来る、という認識は残っている。それは分かった。

『……会って話さないと、つまらないよ』

「そうだけど……会いに行くのを邪魔する奴がいて」

 一歩踏み込んでみる望。ここから先が、実験としては本番だ。

『えっ? そんな人いるの?』

「……尊って奴。そいつが邪魔するんだ」

『……その人……桜も知っている人?』

 この答えを聞いた望は、大きく息を吐いた。尊の名を出しても、桜の記憶は元に戻らなかった。とりあえずだが一つ山を越えたというところだ。

「……ああ、知っている。僕たちを裏切った男だ」

『ひどい……そんな人、殺してしまえば良いのに』

「殺したいのだけど、かなり強くて」

『じゃあ、桜が……桜が……その人、本当に殺して良い人なのかな?』

「大丈夫だから! 桜は気にしなくて平気だ!」

 殺すということを考えたことで、桜の反応がおかしくなった。そう判断した望は慌てて、その思考を止めようとした。

『……大丈夫って、何が大丈夫なの?』

「桜が危ない真似する必要はない。僕に任せておいて」

『……でも、かなり強いって』

「そうだけど方法はある。それを成功させる為に、桜に教えて欲しいことがあるんだ」

 これが次の山場。これで成果を得られれば、今日のところは目的を果たしたことになる。

『……何?』

「そいつは凄い剣を持っている。それを取り上げてしまえば余裕で勝てるのだけど、どこに隠しているか分からなくて。桜、知っているかな?」

『剣……ああ、剣』

「知っているのか!?」

 期待していた通り、桜は剣を知っている。それが分かった望は、思わず大声を出してしまう。

『お兄ちゃん、うるさいよ』

「あっ、ああ、ごめん……それで、剣は」

『……体の中かな?』

「体の中?」

 予想していなかった答えに、戸惑う望。残念ながら求める答えを得るには、もう少し洗脳が必要かと考えたのだが。

『剣って、そういうものだよね? その人を倒して剣を得た人が、この国を統べる』

「……そういうことか」

 続く桜の説明で納得した。尊を討ち、その体から取り出した剣を得た者が、この国の新たな歴史を作るのだと。

『……お兄ちゃん。なんか頭が痛い』

「ああ……少し休むと良いよ。お話の続きは、また今度しよう」

『……分かった』

 ここまでの成果を得られるとは、望は思っていなかった。マイクのスイッチを切って、心の興奮を収めようと一度、大きく深呼吸をする。それでも沸き立つ気持ちは抑えきれない。あまりに順調過ぎる状況に疑問を持つこともない。

「特殊戦術部隊の百武指揮官に、古志乃尊を研究所に連れてくるように伝えてくれ」

「分かりました」

「それと急いで洗脳装置の移設を」

「えっ? 実験は続けないのですか?」

 移設は簡単ではない。桜の部屋に備えられた洗脳装置は、かなり大規模なもの。普通の人に使う物とは違うのだ。小規模な装置の存在など、この職員は知らないが。

「被験者を古志乃尊に代えて行う。それほど期間は必要ないだろうから、また移設することになる。そのつもりで移設をしてくれ」

 尊は完全に洗脳する必要はない。必要なことを聞き出したあとは殺す。そうでなければ求める剣は手に入らないのだから。
 だが、事はそう上手くはいかない。筋書きを描いているのは望ではないのだ。そして、その筋書きを描いている存在は。

(お兄ちゃん、ごめんね。でも、大丈夫。お兄ちゃんなら簡単には殺されないものね?)

 尊が死ぬことまでは望んでいない。使命を果たそうという強い意志はあっても、兄を思う気持ちは消えていない。兄だけが生き残れば、それで良いと思っているのだ。

 

◇◇◇

 拘束されていた特殊戦術部隊の拠点から連れ出された尊。護衛兵士、ではなく逃亡を防ぐ目的でつけられた兵士たちが同乗する、これもまた指揮車両ではなく護送車に乗せられて、移動している。
 行く先は教えられなかった尊だが、精霊科学研究所に向かっていることは途中で分かった。富士の樹海の、研究所に行く度に強くなっていた、気配は、尊には容易に感じられるのだ。
 では何の為に自分は精霊科学研究所に連れて行かれるのか。それを考えても答えは出ない。分かるのは月一回の桜との面会の約束を守る為ではないことだけ。それ以外の用であれば、ろくな事ではない。
 桜の思惑とは関係なく、尊に殺されるつもりはない。すでに相手側が敵意を露わにしている状況で、危地に飛び込む必要などないのだ。

(……潮時だね)

 事は佳境に入っている。諦めることは残念ではあるが、無謀な真似をして命を落とすようなことになれば、全てが終わってしまう。尊はそう判断した。
 両手を拘束されたままで、護送車の床に鎖で繋がれている尊。さらに護送車の前後は、完全武装の兵士が乗った装甲車に挟まれている。かなり警戒厳重だが、そんなものは尊には関係ない。

「……聞いて良いですか?」

「えっ? 何だ?」

 いきなり尊に話しかけられて戸惑う兵士。それでも話を聞く姿勢は見せた。

「貴方たちは悪い人ですか?」

「はっ?」

「精霊科学研究所が、望が何をしようとしているか分かっていて、協力しているのですか?」

「……言っている意味が分からない。精霊科学研究所が何の為の研究機関かくらいは知っているが、それを知っていることでどうして悪い人になる?」

 尊の意味不明な問いに真面目に対応する兵士。たまたまなのか、本来の性格なのかは分からないが、この態度は本人、そして同乗している他の人々にとって幸いだった。

「知らないってことか……じゃあ、殺さなくて良いかな?」

「おい、君。一体、何を考えている?」

「怪我、しないでね?」

「なっ!?」

 ただ軽く腕を振っただけ。兵士たちにはそう見えた。だが尊を護送車に繋いでいて鎖は、その腕の振りだけで断ち切られ、兵士たちがそれに気付いた時には、彼が護送車の後方に移動するのを許していた。

「動くな!」
「撃つぞ!」

 慌てて尊に向けて銃を構える兵士たち。

『何があった!?』

 無線から聞こえてきた声。前を走る装甲車に乗っている百武指揮官の声だ。

「移送対象が、逃走しようとしております!」

『撃て!』

 尊が逃走しようとしていると聞いて、間髪入れずに攻撃の指示を出す百武指揮官。だが、それは一拍遅かった。再度振られた尊の腕。今度は手に持っている剣がはっきりと見えている。頑丈な護送車の車体を、簡単に切り裂いてしまう剣が。

「うっ、うわぁああああっ!」

 尊の立っている場所から、真っ二つに割れた護送車。車体を引きずり、火花を散らしながら進む前の方に残れた兵士たちは幸いだった。
 尊のいた後方は、後ろを走っていた装甲車に跳ね飛ばされ、その破片が道路上を舞っている。

『確保しろ! 急げ!』

 無線の声が響く。それに反応出来たのは前後を走っていた装甲車の兵士たちだ。急停車した装甲車から降りてくる兵士たち。周囲を警戒しながら、道路に転がっている護送車の破片の近くに倒れている人影を囲む。さらにその中から二人が、前に出て破片に近づいていく。

「……違う! 味方だ!」

 地面に倒れていたのは護送車に乗っていた兵士の一人。尊ではなかった。

「探せ! 近くにいるはずだ!」

「熱探知反応は!?」

 装甲車に装備されている探知装置の反応を尋ねる百武指揮官。だが、その問いに返ってきたのは。

『……それ何?』

「なっ!?」

 尊と思われる声だった。装甲車の一台が、運転席に残っていた兵士を振り落として、走り出す。

「逃がすか!」

 尊が乗っていると思われる装甲車に向かって、腕を伸ばす百武指揮官。その指先から飛び出したのは新型スピリット弾。
 放たれた四発のスピリット弾は勢いを増して、装甲車に向かっていくのだが――装甲車の手前で大きく逸れてしまった。走り去っていく装甲車。

「……外した?」

 信じられないという顔で呟く百武指揮官。

「指揮官! 早く乗ってください!」

 その彼にもう一台の装甲車が近づいて来た。

「分かった! ヘリの出動も要請しろ! 急げ!」

 装甲車に乗って逃走する尊を追う百武指揮官。だが彼が目的を達成することはなかった。