月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #128 密やかな再始動

異世界ファンタジー 勇者の影で生まれた英雄

 他国への無断侵攻の責任を取って大将軍を辞め、一近衛騎士となった健太郎ではあるが、それはあくまでも軍部内での地位に限ってのこと。爵位はそのままになっている。
 健太郎を処分する目的は軍部からランカスター侯爵家の影響力を排除する為。その目的が会議の場で、あっさりと果たされた為に、誰も爵位をどうするかにまで頭が回らなかったのだ。
 もちろん、誰一人として気付いていないというわけではない。ただ子爵位であれば、何の影響力もない上に、トキオを失ってしまえば健太郎には領地といえるものは何もない。肩書きと、都にある小さな屋敷を残すだけであれば、問題はないと判断されたのだ。
 その残された財産である屋敷に健太郎は住んでいる。近衛騎士であれば、大将軍の時とは比べものにならないくらいに狭くなるが、騎士団官舎に部屋を用意されてもおかしくない。実際に用意はされていたのだが、それは取り上げられてしまった。
 健太郎にフローラの部屋の周りをうろつかせない為。少しでも引き離そうという意図があってのことだ。
 それでも健太郎は諦めない。健太郎らしい、ある意味ではらしくない方法で、なんとかしようとしていた。

「……どうしましょう。まさか、貴方とこんなことになるなんて」

 体に巻き付けているシーツを引き上げて、顔を隠す女性。言葉通り、恥ずかしそうに顔を赤らめている。

「ごめん。君があまりに魅力的過ぎるから。でも言い訳をさせて。僕は決して最初からこんなことをする為に君に近づいたわけではない……いや、これは嘘だね。初めて会った時から、君に惹かれていたのは事実だ」

 シーツを引き上げたことで露わになった女性の素足。その足に健太郎は手を伸ばし、やさしくなで上げる。

「……嘘。私、貴方にきつい態度をとったわ」

 女性はフローラ付きの侍女だ。フローラの部屋の前をうろうろしていた健太郎を、厳しい態度で追い払った侍女。

「それが君の仕事だからだ。気にしていないよ。それどころか、真面目な人だなって感心していた。僕は君のああいうところにも惹かれたのさ」

 足を撫でている手を、少しずつシーツをまくりながら、上にあげていく健太郎。その手が、どこに向かうかは明らかだが、女性は為されるがままだ。

「……そうやって私を騙そうとしている。私は貴方が相手にするような容姿ではないわ」

 本人が言うように、彼女は決して美形とは言えない容姿。だがこんな疑いの言葉を口にしながらも、彼女は健太郎を受け容れてしまった。

「怒らないで聞いて欲しいのだけど」

「……何?」

 健太郎が発した前置きを聞いて、女性の表情に警戒が浮かぶ。やはり何か目的があって、健太郎は自分に近づいたのだ。そう思った。

「僕は、色々な女性とお付き合いをした。君よりも外見の美しい女性も大勢いた」

「……そう」

 落ち込んだ様子の女性。思っていたのとは違う内容でも、これはこれで傷つく話だ。

「そんな僕だから外見は気にしない。君が美しくないと言っているわけではないよ。鏡に映る姿がどれだけ美しくても、生身の表情には敵わない。僕はそう思う」

「…………」

「言っている意味、分からなかった? ごめん。僕は説明が下手だから」

「……いえ。意味は分かったわ」

 ただ整っているだけの美形には興味はない。健太郎は、感情豊かな女性の表情が好きなのだと、女性は理解した。

「良かった」

 笑みを浮かべて、女性に顔を近づける健太郎。そのまま、瞳を閉じた女性の唇に、自分のそれを重ねていく。

「……ケンタロウ殿」

「ケンで良いよ。僕も君をミーシアと呼び捨てにして良いかな?」

「……ええ、良いわ……ケン」

「ただし、二人だけの時間限定。お城では今まで通りの君でいて。そういう君が僕は好きなんだ」

「わ、分かったわ。ケ、ケン」

 健太郎の手が目的地に到達した。それに反応を見せるミーシア。さらに健太郎はミーシアの耳元に、首筋に舌を這わせていく。

「……もう少し、二人の時間が欲しい。良いよね?」

「……私も」

 健太郎の愛撫に身を任せるミーシア。彼女の反応を一つ一つ確かめながら健太郎は、優しく、どこまでも優しく愛撫を続けていく。胸の奥に湧く罪悪感を誤魔化す為に。償いにならない償いの意味を込めて。

 

◇◇◇

 ――自分以外は誰もいない食堂。そこで健太郎は一人、グラスを傾けている。健太郎に晩酌の習慣はない。そもそも酒はあまり好きではない。酒に酔う時間があれば、女性に酔いたい。以前は、こんな恥ずかしい台詞を堂々と口にしていたものだ。
 その健太郎が酒を飲んでいる理由はストレート。酔いたいから。心の中にある鬱屈した思いを、少しでも払えないかと思ったから。

(……結局、僕は女性を傷つけることしか出来ない)

 心の中で自嘲的な思いを言葉にする健太郎。その一方で、そんなことを考えている自分に驚いてもいる。

(何を今更。散々、酷いことしてきたじゃないか)

 女性を泣かせたことは一度や二度ではない。相手の心を弄び、体も弄び、それに飽きたら、あっさりと捨てた。そんなことを平気で行ってきた。

(……そうだよな。僕はそれに対して、何の罪滅しもしていない。今の状況が、多くの人を傷つけたことへの報いだとしたら、まだ優しいほうか)

 責任をとって大将軍を辞任した途端に、多くの人が自分から離れていった。アシュラム王国との戦いで、自分の人望のなさを思い知っていたはずだったが、それでもやはり、人が去って行くのは辛かった。

(それでまた女性を傷つけることしか出来ないなんて……僕って本当にどうしようもないな)

 これまでは、結果として女性を傷つけてきたが、最初から狙ってのことではない。口説いている時は、本気で相手を好きなつもりだった。たとえ一晩しか保たない好意であっても。
 だが今回は違う。最初からミーシアが傷つくことは分かっている。その目的で彼女に近づき、今日、狙い通りにものにした。その成功を喜ぶ気持ちは湧いてこない。ただただ落ち込むだけだ。

(……それでもやらなければいけない。彼女を傷つけても、僕は真実を知りたい。フローラがグレン以外の人を好きになるはずがないんだ)

 健太郎がミーシアに近づいたのは、フローラの情報を入手する為。あわよくば接触する為。
 フローラがエドワード王と愛し合っていて、いずれ結婚する予定だという噂を聞いて、健太郎は、こんな行動を起こしたのだ。そんなことはあり得ないと信じて。

(……悪事だと分かっていても、やらなければならない。大切な人の為に)

 ミーシアへの罪悪感を少しでも薄れさせようと、自分で自分を納得させている健太郎。だが、そんなことで気持ちが安らぐなら、酒を飲む必要はない。いくら頭で考えても気持ちの整理が付かないから、酒に頼っているのだ。

(グレン。君はどう思うかな? 僕のしていることは、やっぱり間違っているよね?)

 ようやく回ってきた酔いのおかげ、というべきか、意味のないことが頭に浮かんでくる。
グレンであれば、こんな陳腐な策を実行することはない。実際に、グレンにこの問いを投げれば、蔑みの目で見られるだけだと健太郎は思っている。
 それでも酔った健太郎はグレンに問いたかった。フローラの為であれば許す。その言葉が欲しかった。

(……やるしかない。僕はフローラに償わなければならない。そうでなければ僕は……その為であれば僕は……)

 これが過去の清算になるかは分からない。それでもやるしかない。どんな形でもフローラの許しを得なければ、正面からグレンとは向き合えない。グレンに見てもらえない。自分は変われない。そう健太郎は思い込んでいる。
 健太郎の悪事は、グレンのそれと比較出来るものではない。女性の心を傷つけることは大きな罪であるが、それでも多くの人の命を奪うこととは比べものにならない。
 そうであっても、悪事だと分かっていて、それを実行することは同じ。比べものにならないとしても、健太郎はグレンと同じ種類の思いを味わっている。

 

◇◇◇

 王都の裏町で『鷹の爪亭』は変わらず営業を続けている。銀鷹傭兵団の末端の拠点の多くがそうであるように。ただ『鷹の爪亭』は本当に何も理解していない末端の構成員が運営している拠点ではない。宿屋の主人である親父さんは、自分が銀鷹傭兵団の構成員であることを自覚しているだけでなく、元は傭兵として戦いに出ていた人物。主要メンバーの一人だった人物だ。
 そんな人物が任されていた『鷹の爪亭』は、グレンとフローラを、本人たちが気付かないままに、捕らえていた場所というだけでなく、ウェヌス王国の王都の拠点であるという点で、重要拠点の一つだったのだ。
 そして、ランカスター侯爵家が滅びた後も存続している銀鷹傭兵団にとっても、『鷹の爪亭』は重要拠点。かつてよりもより重要性が増したといえる状況なのだが。 

「……ど、どうしてお前がここに?」

 銀鷹傭兵団の構成員であるイーグルは、立ち寄った『鷹の爪亭』でまさかの人物に出会って、驚いている。

「くっ、くっ、くっ。それを聞きたいのはこちらですよ。ウェヌス王国にとってお尋ね者であるはずの君がどうして、こんな場所に?」

 イーグルを出迎えたのはクレインだ。クレインも元は銀鷹傭兵団。お尋ね者ということでは変わらないはずだが、それはどうでも良いことだ。クレインは本気で聞いているのではない。ただ嫌味を言っているだけだ。

「……お前こそ」

「私は君を待っていました。別に君に限った話ではありませんけどね」

「……貴様、裏切ったな?」

 クレインに向けた言葉ではない。店のカウンターに立っている、この宿の主人である親父さんに向けられた言葉だ。銀鷹傭兵団を裏切ったクレインが、この場にいることが親父さんの裏切りの証。そうイーグルは思っている。

「裏切ったのはどちらですか? ジンを裏切っていたのは」

「……違う。裏切ったのはジンのほうだ」

「仮にそうだとしても、銀鷹傭兵団の団長はジン。君は銀鷹に所属したままランカスター侯爵家に付き、さらにそれを見捨てて、ウェヌス王国に付いた。これを裏切りと言わずに、何と言うのですか?」

「……人々の暮らしを良くする為だ」

 クレインの問いに言い訳を返すイーグル。まったくの嘘ではない。イーグルはもともと世の中を憂いて、銀鷹傭兵団に加わった人物だ。

「ほう。エドワード王は人々の暮らしを良くする人物ですか」

「それは……以前の王よりは、遙かにマシな人物だ」

「そういう噂が流れているだけでは? それとも実際に、その為人を確認したのですか?」

「……会ってはいない」

 王都に来ても、エドワード王に拝謁することはない。会えるのはスパロウ、ただ一人。イーグルは、そのスパロウから命令を伝え聞くだけの立場だ。

「それでどうして暮らしを良くしてくれると分かるのですか?」

「違うというのか?」

「いえ。私もエドワード王を知りませんから」

 クレインも当たり前だが、エドワード王に会ったことはない。そうである以上は、イーグルの問いに肯定を返せない。

「……お前は何を言いたいのだ?」

「私はエドワード王を知りませんが、エドワード王より優れているだろう人物を知っています」

「……ジンの息子か」

 クレインがグレンの下にいることくらい、イーグルは当然、知っている。そのクレインが言う優れた人物だ。グレンに決まっている。

「その言い方は少し違いますね。彼はセシルの息子ですよ」

「……そのようだな」

 グレンは、ただ強かっただけのジンとは違う。その性質はセシルの方により似ているとイーグルも思う。

「ただ実はこの言い方も少し違います」

「お前は何を言いたいのだ!?」

 中々、本題に入らないクレインに、イーグルが焦れて、大声をあげた。

「彼はセシルとは違います。彼の謀略は人を救います」

「……それは、どちらの立場から見るかによる」

 グレンが何をしたかはイーグルだって知っている。確かにグレンはゼクソン王国と、アシュラム王国を救った。だが、ウェヌス王国から見れば、グレンは多くの人命を奪った災厄だ。

「その通りですね。それが分かっていて、どうして君は被害を受けるほうの立場にいるのですか?」

「なっ……!?」

 ようやくクレインが何を言いたいのか分かった。それと同時に、予想外のことに驚いた。

「君はジンに幻滅した。セシルの悪行が許せなかった。君の裏切りには、私にも納得出来るところがある。感情は別にして、ですよ?」

 ジンは世の中を良くしようと戦っていたのではない。ウェヌス王国への恨みを晴らす為に戦っていただけだ。それにイーグルは幻滅した。
 セシルは自分が考えた謀略で、多くの人を不幸にした。イーグルはそれを許せなかった。
 世の中を憂い、その世の中を少しでも良く出来ないかと戦いに身を投じたイーグルにとって、二人は世を乱す悪だった。
 セシルの暗殺に加担したイーグルは許せないが、その個人的な感情を抜きにすれば、彼の気持ちはクレインにも分からなくはない。

「お前が納得しても……」

 グレンが許すはずがない。グレンの両親の敵であるガルは殺された。他にも多くの銀鷹傭兵団員が、グレンによって殺されたのだ。

「私が団長の許しなく、こんなことをすると思いますか?」

「団長?」

「私は今、銀狼傭兵団の一員です。団長とはその傭兵団の団長ですよ」

「まだ傭兵の振りをしているのか?」

 銀狼傭兵団はイーグルも知っている。ランカスター侯爵家を攻める為に、傭兵団の振りをして暴動を引き起こしたことも。

「それは間違いですね。これから本格的に傭兵団として活動するのですよ」

「……つまり、あれか? 俺をその傭兵団に引き抜こうとしているのか?」

「それ以外に何があるのです?」

「信じられない。そんなことを言って、俺を誘い込んで殺すつもりじゃないのか?」

 グレンであれば、それくらいは平気で行う。確かにそうであるが、イーグルはまだ理解していない。

「どうして、わざわざ、そんな面倒なことを? 殺すつもりであれば、今、ここで殺せますよ?」

「お前の腕で……いや、そういうことか」

 敵はクレイン一人ではない。そうでなければ一対一では負けるに決まっているクレインが、そんなことを言うはずがない。
 事実、これまで気付かなかった気配を、イーグルは感じている。警告の為に、わざと発せられたであろう殺気だ。

「結論は急ぎません。ゆっくりと考えるのですね」

「……俺がこの件を仲間に話さないと思っているのか?」

「別に話しても構いません。その仲間と相談するのも良いと思いますよ。どんな反応を示すかは、その相手次第でしょうけどね」

「……そういうこと……いや、どっちだ?」

 他にも勧誘している相手がいる。クレインの言葉は、それを示している。だが本当にそうなのか。そう思わせて、銀鷹傭兵団の内部を混乱させようとしているだけではないのか。その可能性にイーグルは気付いた。気付いた時点で、クレインの策にまんまと嵌まっている。

「では返事をお待ちしていますよ。その気になったら、ここに来て下さい」

「ここ、だと?」

 『鷹の爪亭』は銀狼傭兵団の拠点と化している。親父さんが寝返ったのであれば、そうであるのも当然だが、それをまだ味方になると決まっていない自分に教える意味が、イーグルには分からない。

「ここ以外の拠点を教えろと? そこまで私はお人好しじゃありませんよ」

「……そうか」

 この場所は切り捨てても構わない拠点。そういうことなのだとイーグルは理解した。

「では、出来れば良い形で再会出来ることを願っていますよ」

 これを言って、クレインは宿の奥に引っ込んでいく。このまま、ここに泊まるほど、クレインは不用心ではないはずだ。裏口から出て行くのだとイーグルは理解した。

「……本当にこれで良いのか?」

 イーグルは変わらずカウンターに立っている親父さんに問い掛けた。クレインの策で、危険に身を晒すことになるのは、親父さんなのだ。

「心配は無用だ。詳しく話すことは出来ないが、備えはある」

「本当に?」

「嘘であれば俺は死ぬ。それだけのことだ」

 その備えについて親父さんは詳細を聞かされていない。親父さんはまだ信頼を得ているわけではないのだ。

「……親父さんはどうして寝返りを決めた」

「俺はあの兄妹をずっと見てきた。騙しているのが、ずっと心苦しかった」

「そうか……子供の時からだからな。情も移るか」

「……情だけじゃない。奴はジンとは違う。セシルとも違う。奴の周りには笑顔があった。それが妹であるフローラのおかげだとしても、そうであれば尚更、なんとかしてやりたいと思う」

 グレンは、常に陰鬱さを感じさせた両親とは違い、明るさを持っている。そのグレンであれば明るい世の中を作れるはずだ。
 その為にフローラが必要だというのなら、何とかしなければならない。世の中を良くしたいのであれば。
 これが、二人の成長を見守っていた親父さんの思い。

「……会ってみたいな」

「会いに行けば良い。それで納得出来なければ、それを正直に話せば良い」

「それで無事でいられると?」

 命を賭けるほどの思いではない。死んでしまえば何も出来ない。イーグルは何事かを為したいから、裏切りも厭わなかったのだ。

「絶対とは言わない。だが一つ、気休めを教えてやろう」

「それは何だ?」

「グレンはジンとセシルが嫌いだ。お前と一緒だな」

「何の気休めにもならないぞ?」

 両親を嫌いだからと言って、暗殺に関与した相手を許すはずがない。親父さんの冗談だとしても、イーグルの気持ちは、まったく軽くならなかった。

「じゃあ、もう一つ。これは気休めじゃないがな。俺たちは過ちを犯した。ジンとセシルの過ちを、過ちで正そうとした。それで世の中が良くなると思うか?」

「……そうだな」

「もしグレンの奴が間違っているなら、今度は正しい方法で、それを正すべきだ。偉そうに聞こえるかもしれないが、俺はそう思った」

「なんだ。やっぱり、情じゃないか」

 親父さんの言葉をイーグルは親心だと受け取った。子供の過ちを正すのは親の責任。そんな思いだと。

「お前も二人に少しでも接していればな。俺の気持ちが分かっただろうに」

「何を言っている? 忘れたのか? 二人をここに連れてきたのは俺だぞ」

「ああ、そうだった……なんだ、じゃあ、もう結論は出ているじゃないか」

「……そうだな」