新大魔将軍ブラギ率いる魔王軍に対峙しているアイネマンシャフト王国軍。その編成は、ジグルスの直率で、セントール族とエルフ族の混合部隊である近衛機動部隊が二中隊二百騎、熊人族を中心とした重装歩兵部隊が一大隊一千名、犬人族を中心とした機動歩兵部隊一大隊一千名、そして鬼人族を中心とした遊撃歩兵部隊二大隊二千名だ。総勢四千四百名。国王であるジグルスが率いる軍として、それ以前に敵およそ一万がこもる砦を攻めるには少ない数だ。
敵を甘く見ているわけではない。アイネマンシャフト王国の都とブラオリーリエは決して敵に奪われてはならない場所。守りに多くの戦闘員を置いているのだ。
数では劣るアイネマンシャフト王国軍。だが当然ジグルスは勝つつもりで戦っている。数で劣るのであれば、他のところで敵を上回れば良い。その一つが軍の質だ。
魔王軍との戦いが行われていない間は、見張りは別にして、休憩か鍛錬。元気な人たちは鍛錬を怠らない。これまでとは違う戦い方に慣れなければならないという理由が大きいが、個人の武を高めることに喜びを感じてもいる。努力と工夫次第で更に強くなれる。アイネマンシャフト王国では多くの魔人がそれを知ってしまったのだ。
「凄いな……あの男は本当に人族なのか?」
少し先で行われている立ち合いを見て、セントール族のグルトップが驚いている。
「……ああ、彼。そうね。彼の力は人間離れしているかもしれないわね」
グルトップの問いにリーゼロッテが答える。二人も鍛錬中だ。リーゼロッテはジグルスと共に戦う時はグルトップの背に乗って戦うことになる。通常の馬とは異なる騎乗での動きにもっと慣れる必要があった。
「そうだとしても熊人族と五分で渡り合えるとは……」
熊人族と立ち合いを行っているのはウッドストック。魔族の中でも力が強い熊人族とウッドストックが正面から力を比べをしているのがグルトップには信じられない。
「人族にも強い人はいる。それは分かっているのではなくて?」
「確かに……頭で分かっているだけでなく、実際に見てもいるのに……俺はまだまだだ」
グルトップは、ジグルスに何度も人族を過小評価しないように言い聞かされているだけでなく、実際に強い人族を見たことがある。ジグルスの養父、ハワード・クロニクスがそうだ。ただ義理とはいえジグルスの父であるという事実がハワードを特別な人だと思わせていた。ウッドストックも特別な人なので間違った認識ではない。
「あれならウッドストックの言うことにも従ってくれるかしら?」
ウッドストックは獣人族で編成されている重装歩兵部隊の指導教官になる予定だ。個々の剛力を活かしながらも部隊として戦う方法を教えるようにジグルスに頼まれている。
「まあ、言いたくないが魔族は単純だから」
強い者を認めるという点において、良くも悪くも魔族は単純だ。
「……その点ではジークはもう少し頑張らなければいけないのかしら?」
リーゼロッテの視線がウッドストックたちの立ち合いから離れて、別の場所に向く。
「てめえ! 剣は素人だったはずだろ!?」
「才能の差というやつだな!」
文句を言うジグルスと自慢げな鬼人族のグウェイ。二人も立ち合い中だ。剣を使っての。
鬼人族の基本的な戦い方は素手。長く伸びる爪を武器として戦うのが一般的なのだが、ジグルスは試しに剣術を学ばせてみることにした。槍や剣などの武器を持つ人族との戦いにおいて、いくら身体能力で勝っているといっても素手は不利。そう考えたからだ。
「なにが才能だ! 俺は努力の才能以外は認めん!」
「王がそう思おうと事実は変わらん!」
その結果は目の前の状況。ジグルスはグウェイにかなり苦戦している。強くなったのだから、試みとしては成功だ。
「……王の心配は無用」
「そうね。ジークの凄いところは武ではないわね」
力で劣っていてもジグルスにはそれを補って余りある能力がある。王として認められたのはその別の能力だとリーゼロッテは思っている。
「そうではない」
「……どういうことかしら?」
だがグルトップはリーゼロッテの考えを否定した。その意味がリーゼロッテは分からない。
「強さが全てではない。その王妃の考えは間違っていないが、だからといって王が弱いわけではない」
「それは……魔族の中でも普通以上に強いということ?」
ジグルスは決して弱くない。地道な努力の成果だけでなく、母親によって封印されていた魔人としての能力も開放されている。ブルーメンリッターのメンバーなど一部の特別な戦士を除けば、人族相手に一対一で負けることはないとリーゼロッテも思っている。だが魔族であるグルトップから出た言葉だ。その基準は人族であるはずがない。
「強い。本当の実力が出せれば。そういう意味では、心配は無用は嘘か。王はどうして本当の力を発揮出来ないのかという心配はある」
「えっと……それはどうして分かるのかしら?」
何故、ジグルスに本当の力があると分かるのか。リーゼロッテは疑問に思った。
「魔族は血の影響を強く受ける。バルドス殿とヘル殿の子である王の力が、あの程度であるはずがない」
生まれた時の力が全て。魔族がそう考える理由は両親の力を色濃く受け継ぐから。強い魔人からは強い子が生まれる。これは紛れもない事実なのだ。
「……混血だから普通とは違うということはないの?」
ジグルスはアース族であるバルドスとエルフ族であるヘルの息子。異なる種族の血が混ざっていることで単純に力を受け継げなかった可能性をリーゼロッテは考えた。
「それは否定出来ない。しかし……王は強い。俺だけではなく、皆がそう感じているのだ」
魔人の強さは魔力の強さとも言える。魔人たちは皆、ジグルスから強い魔力を感じているのだ。
「そう……」
ジグルスには何か問題がある。それを知ってしまうとなんとか出来ないかと考えないではいられない。だが人族である自分で何とか出来るものなのかという思いもリーゼロッテにはある。
「……終わった。どうやら駄目だったようだ」
ジグルスとグウェイの立ち合いが終わっている。グルトップの言葉から、立ち合いはジグルスに本気を出させる為の試みでもあることをリーゼロッテは知った。
立ち合いを終えて、リーゼロッテのいる場所に向かって歩いてくるジグルス。だがそのジグルスよりも先にグウェイがかなり急ぎ足で近づいてくる。
「王妃」
少し先から、それでも声を潜めて語りかけてくるグウェイ。
「……どうしたの?」
「ちょっと聞きたい。王には何か戦いを厭う理由があるのか?」
「えっ?」
「王は……この表現が正しいか分からないが、何かを恐れているように感じる。以前から王を知っている王妃には心当たりはないか?」
グウェイが急ぎ足で来たのはリーゼロッテにこれを尋ねる為。ジグルスのいない場でリーゼロッテと話す機会はまずない。仕方なく、ジグルスに怪しまれるのを承知でこの手をとったのだ。
「戦いは嫌っているとは思うわ。でも恐れるというのは違うような……」
戦いを嫌っているのは間違いない。戦争なんてないほうが良いとリーゼロッテも思っている。だがそれは恐れとは違う。
「そうか……」
「おい? 何、コソコソと話している?」
ジグルスが追いついてきて、文句を言ってきた。
「王が落ち込んでいると困るから、あとで慰めるてくれるように王妃に頼んでいた」
「立ち合いで苦戦したくらいで落ち込むか!?」
「なら良い。それと技術であれば王妃のほうが上ではないかと聞いた。どうせなら優れた剣術を身につけたいからな」
慰めてくれるように頼んでいた、だけではジグルスの不審は消えないと考えて、さらに嘘をつくグウェイ。
「ああ……どうだろう? 俺の剣は……いや、一応はローゼンガルテン王国の正統な剣術だと思うけどな」
「ええ、私もそう思ったわ。ジークのお父上は元王国騎士ですもの。そのお父様から習った剣であれば王国の騎士が会得する剣術だと思うわ」
リーゼロッテもグウェイに話をあわせる。
「そうか。なら良い」
納得した様子で、振りだが、その場から離れていグウェイ。
「……思っていた以上に熱心だな」
わざわざリーゼロッテに剣術について訪ねに来るグウェイの熱心さにジグルスは驚いている。うまく誤魔化せたということだ。
「ジークも気を抜いていられないわね?」
「気を抜いているつもりはない……けど、鍛錬の時間は十分とは言えないか……」
「それは仕方がないわ。ジークにはやらなければならないことが沢山ある。少しでも負担を減らしてあげたいのだけど、私もまだまだわ」
ジグルスの様子を探りながらこれを言うリーゼロッテ。言葉だけであれば強くなりたいという思いはジグルスにはある。ではグウェイやグルトップが気にしているのは何なのか。今のリーゼロッテには思いつかない。
「文官を必要とする時期に来たかな。そうだとしても簡単には見つからないか」
アイネマンシャフト王国の政治のほぼ全てをジグルス一人で考えている。リーゼロッテがそれを補佐する役だがそれでも二人。しかも戦いの前線に出ながらだ。
「それなら兄上に相談してみるわ。リリエンベルク公国領全体を見ていた時に比べれば、今は仕事が減っているはず。こちらに人を回す余裕があると思うわ」
「そうか……そうだな。じゃあ、お願い」
少し考えてリーゼロッテにお願いしたジグルス。リリエンベルク公国で働いていた文官であれば能力は問題ないはず。だがアイネマンシャフト王国の文官としての適正があるかどうかは分からない。それだけでなく、軍事は魔族とエルフ族、政治は人族という形になるのも嫌なのだ。
そうであっても人材不足であることは事実であり、魔族やエルフ族から文官を選ぶにしても学べる相手はいてくれたほうが良い。そう考えて、リーゼロッテの提案を受け入れることにしたのだ。
「ふむふむ」
グルトップのわざとらしい声。
「……何だ?」
「いや、ずいぶんと夫婦らしくなったと思って。最初の頃の二人はどちらが王か分からなかったからな」
「よ、余計なお世話だ」
グルトップの言う通り。リーゼロッテに対して敬語を使わないで話すことにもようやく慣れた。意識しなくてもタメ口で話せるようになったのだ。
「そういう王の素直な感情も見られるようになった。王妃が来てくれて良かった」
「……ありがとう」
自分は魔族やエルフ族に王妃として受け入れてもらえるのか。その点をかなり不安に思っていたリーゼロッテにとって、グルトップの言葉はとても嬉しいものだった。
「あとは戦いに勝つだけだ。そうすればアイネマンシャフト王国はもっと良い国になれる」
リーゼロッテたちの合流は王国に波風を立てることがなかった。アイネマンシャフト王国の和は少しも乱れていない。あとは戦争が終われば。そうなれば、もっと国の発展の為に人々が動ける。国民が、特に魔族が求める安心して暮らせる国を造り上げることに注力出来るのだ。
戦いを終わらせなければならない。ジグルスは改めてそう思った。
◆◆◆
両陣営から放たれる太陽の光を陰らすほどの大量の石。アーベントゾンネでのローゼンガルテン王国軍と魔王軍との戦いは投石機による石の打ち合いになっている。
そうはいっても両軍の目的は異なる。ローゼンガルテン王国軍が狙うのはアーベントゾンネの手前に構築されている魔王軍の陣地。もっといえば地面に掘られや堀だ。ローゼンガルテン王国軍は大量の石を放つことによって堀を埋めようとしている。攻撃の障害となっているのは深く掘られた、まるで迷路のような堀。まずはそれを無効化しようという作戦だ。
堀が埋まってしまえばその間に作られている陣地もその有効性が失われる。深い堀に守れているからこそ、陣地からの遠距離攻撃が有効なのだ。堀が埋まり容易に接近出来るようになってしまえば、少数がこもるだけの陣地などひとたまりもない。
それが分かっている魔王軍はローゼンガルテン王国軍の投石機の破壊を目的として攻撃を行っている。ただそれは容易ではない。とにかく辺り一面に石を放てば良いローゼンガルテン王国軍に比べて、魔王軍は敵投石機に石を直撃させなければならない。難易度が全然違っている。
「……よし、いける。突撃隊の準備を」
味方から放たれる石は確実に堀を埋めていっている。すでに手前の堀では投石機が放った石が見えてきている。地面の高さまで石が積み上がっている証だ。
それを見てエカードは突撃隊に準備を命じた。名前の通り、突撃する隊。堀が埋まって駆けていくことが出来るようになった敵陣地を攻撃する隊だ。
「全投石機の目標を奥にずらせ」
さらに味方を攻撃してしまわないように投石機の目標を奥にずらすように命じる。それが終われば、いよいよ突撃だ。
「……行け! 突撃だ!」
突撃を命じるエカード。それを受けて突撃隊は、二十名を一隊として敵陣地に向かって一斉に駆け出していった。
堀を埋めたといってもそれは石によって。決して楽に駆け抜けられるものではないが、突撃隊はなんとか不安定な石の上を超えて、敵陣地に向かっていく。
先頭を進んでいた隊が敵陣地に到達。周りを囲んでいる壁を乗り越えて、中にいる敵に襲いかかろうとした、のだが。
「なっ!?」
隊員たちは全身を炎に包まれて、地に倒れてのたうち回っている。
「魔人がこもっていたのか?」
敵陣にこもっているのは魔物。そう考えていたのだがそれは誤りだった。
「突撃隊はその場で待機! ブルーメンリッター! 突撃だ! 前線にいる魔人を討つ!」
それを知ったエカードは迷うことなく、精鋭部隊であるブルーメンリッターに突撃の指示を出す。突撃隊の隊員の犠牲はあるものの、前線に魔人がいるのは好都合。魔人の数を減らせばそれだけ戦いは有利になるのだ。
突撃隊のあとを追って、前線に向かうブルーメンリッターの面々。彼らもいくつかの小隊に分かれて敵陣地に向かっていく。最初の到達敵陣地は突撃隊と同じ場所。地面に倒れている死体から目を背けて、ブルーメンリッターの騎士たちは敵陣地に攻撃を仕掛けた。陣地の壁の中に飛び込んでいくいくつもの魔法。さらにそのすぐ後を剣を抜いた騎士たちが追っていく。
まっさきに壁に足をかけた騎士。その騎士の膝から下が宙に舞った。
「敵だ! 油断するな!」
足を斬られた騎士も油断していたわけではない。だが魔法の攻撃によってダメージを受けることなく、反撃してくる敵がいただけだ。
「来るぞ!」
壁の上に現れた影。陣地にいた敵が姿を現した。
「おーほっほっほっ! 貴方たち、まさかと思うけど、本気で私を倒せると思っているの?」
高らかな笑いを共に姿を現したのはユリアーナだった。
「……そんな馬鹿な」
数え切れないほどの投石が飛び交う最前線の陣地に、ユリアーナが潜んでいる。この可能性はエカードの頭にはなかったものだ。
「エカード! 指示を!」
ユリアーナの言う通り、今のメンバーではユリアーナを倒せないかもしれない。そう考えてレオポルドはエカードに指示を仰いだ。自分たちも前線に向かうべきだと言いたいのだ。
「行くぞ!」
「行くぞ」の一言だけを発して駆け出していくエカード。そのあとをレオポルドとマリアンネ、そして親衛隊と呼ばれている騎士たちが続いていく。これがエカードが前線に出る時に付き従うメンバーだ。
「他の陣地は良い! ユリアーナを逃がすな!」
駆けながらすでに前線にいるブルーメンリッターの騎士たちにエカードは指示を出す。戦いの序盤にユリアーナを討つ絶好の機会を得られた。この機会を逃すわけにはいかない。
他の陣地に向かっていた騎士たちが方向を変えて駆けている。ユリアーナがいる陣地の周りを囲もうと意図だ。
「ばーか」
その騎士たちを嘲弄するユリアーナ。彼女がそうする理由は。
「うわぁああああっ!」
「大丈夫か!?」
「敵だ! 討て!」
ユリアーナの周りに向かおうとする騎士たちに、背後から襲いかかっている魔人。それに気付いて二十名ほどの騎士が足を止めて、その魔人を討とうと動き出した、のだが。
「ぐぁああああっ……」
「なっ!? 強いぞ! 油断、あっああああっ!」
足を止めた騎士たちは次々とその魔人に殺されていった。
「……あの魔人」
エカードはその魔人に見覚えがある。
「あの魔人! ユリアーナと互角に戦っていた奴だ!」
見覚えがあるのはエカードだけではない。レオポルドも、他のブルーメンリッターの騎士たちの何人かもその魔人、フェンを知っている。キルシュバウム公爵領での戦いでフェンと当時はまだブルーメンリッターの一員だったユリアーナは何度も一対一で戦っているのだ。
ユリアーナと同等の力を持つと思われるフェンが前線に現れた。
「エカード! どうする!?」
「……レオポルドは皆を率いて魔人に向かってくれ! ユリアーナは、俺が討つ!」
「いや、それは……」
エカードの頼もしい言葉。だがでは任せるとはレオポルドは言えない。ユリアーナの強さ、そしてエカードの強さもレオポルドは知っている。一対一では勝てるとは言い切れないことを。
「行け! これは命令だ!」
だがエカードはレオポルドの不安を無視して、一人で行こうとする。ユリアーナとの戦いが厳しいことはエカードも分かっている。だがここは無理をしてでも味方の犠牲を押さえ、出来ればフェンを討ち取りたい。それによってこの先の戦いの難易度は大きく変わるのだ。
「……分かった。すぐに俺たちも行くから!」
エカードの思いを汲み取って、レオポルドはフェンの所へ向かうことを受け入れた。戦い序盤でいきなり最大の山場、を迎えることにはならない。ユリアーナはもっと狡猾なのだ。
「ばーか」というエカードたちを嘲弄する声は聞こえない。それはそうだ。ユリアーナはすでに陣地にはいないのだから。止んでいた魔王軍の投石攻撃が再開された。ユリアーナがいた陣地の周辺に向かって。
「……逃げろ……に、逃げろぉおおおおっ!」
敵の意図をエカードは正確に読み取った。投石の狙いはユリアーナを包囲しようとしていたブルーメンリッターの騎士たち。ユリアーナを囮に使って味方を罠にはめたのだと。
エカードの叫びも虚しくブルーメンリッターの騎士たちの頭上に投石が降り注ぐ。魔王軍が保有する投石機の全て、そして巨人族から放たれた投石が。