第七七四特務部隊に休日の定めはない。鬼が出現し、出動の要請があれば、いつでも現場に向かうことになる。とはいえ、日ごとに分隊の出動優先順が決められていて、それが最下位の分隊員は、割と自由にその日を過ごしている。外出も許可されるのだ。
今日は遊撃分隊がその日。もともと他分隊の支援任務が主で、出動優先順位に組み込まれていなかった遊撃分隊であったが、それが明確に定められるようになった。強化鍛錬によって他の分隊の戦力があがったこと。そして彼等により多く実戦経験を積ませようという軍の意図があってのことだ。
「つまり僕たちは、お役御免ってことかな?」
「それは思っていても、言葉にしないでくれる?」
尊の問いに天宮は苦い顔だ。鬼を倒すことに強い使命感を持っていた天宮だが、最近は出番がない。それを少し寂しくも感じているのだ。
「戦わなくて済むのは良いことです」
「君はそうでしょうね」
では自分はどうか。これまで倒してきた鬼はまだ良い。だが『YOMI』のメンバー、それも尊の仲間と言える人たちを殺せるのかと自分に問うと、心が揺れてしまう。
「着きましたね」
「あっ、そうね」
天宮と尊は珍しく外出している。特に理由はない。あえて理由をあげれば、近頃の桜木学園は天宮にとって気の休まらない場所なので、外に出て気分転換をしようということだ。
路肩に止められた車から降りる二人。少し離れた場所に止められた車からは、私服姿の護衛隊員も、任務は護衛というより監視だが、降りてきた。
「……天宮さんは視力が悪かったのですね?」
「えっ?」
「眼鏡」
車から降りた天宮は、普段とは違い、眼鏡をかけている。細い銀色のフレームの丸眼鏡だ。
「ああ……えっと、これは……」
目が悪いわけではない。伊達眼鏡だ。ただそれを尊に何と説明するか天宮は悩んでしまう。目が悪くないのに眼鏡をかける理由を、どう話せば分かってもらえるか分からないのだ。
「分かった。伊達眼鏡というやつですね?」
「あっ、そう」
説明するまでもなく、尊は伊達眼鏡であることを理解してくれた。それにホッとした天宮だったが。
「……それは自分は可愛いから人にジロジロ見られてしまうので、それを避けようと思ってですか?」
「そんなこと思ってないから」
「……あっ、眼鏡をかけた自分はもっと可愛いだろう。見ろってことですか?」
「違うから!」
「さすがですね。もう注目をあびてます」
天宮の声に驚いて、周囲の人たちが視線を向けている。天宮の外見に惹かれてではない。ただ注目を集めたのは大声だが、いくつもの、主に男の子の、視線を釘付けにしているのは彼女のルックスだ。
「……早く行こうよ」
マフラーを巻き直して口元を隠し、早足で歩き出す天宮。そのあとを尊は、笑みを浮かべながら付いていく。
「目的地はどこですか?」
「特にない」
「えっ? じゃあ、どこに向かって歩いているのですか?」
「とりあえず、新竹下通り」
新都心の商業地区にある商店街の名だ。震災以前に若者たちで賑わっていた原宿の竹下通りを模した場所。そこに天宮は向かおうとしている。
「……竹下さんの家ですか」
「違うから」
「知ってます」
「……僕をからかって面白い?」
後ろを振り返って尊を睨み付ける天宮。視線は厳しいが、ふくらんだ頬が可愛らしさを感じさせる。
「はい。面白くなければからかいません」
言葉通り、尊は楽しそうな笑みを天宮に向ける。それを見て、ますます膨れる天宮の頬。
「ちゃんと前見て歩かないと……あっ」
「えっ?」
尊に両肩を掴まれて引き寄せられた天宮。
「ごめんなさい」
耳元で聞こえた尊の謝罪の言葉。自分に向けてのものでないのは、すぐ目の前に立っている女の子の反応で分かった。
「大丈夫。ぶつかってないから」
「天宮さんも謝って」
軽く後ろから頭を押す尊の手。
「ごめんなさい」
それに素直に従って、天宮は頭を下げた。
「ホント、大丈夫だから。デート、楽しんで」
笑みを浮かべて、目の前で軽く手を振りながら、歩き去って行く女の子。
「良い人でしたね?」
「えっ、ええ」
女性の言葉で、デートをしているように見えるのかと思ってしまった天宮の頬は赤い。何を今更だ。新竹下通りに向かって男女が二人で歩いていれば、ほとんどの人がデートだと思う。
二人とは距離を取って、付いてきている護衛隊員も、自分はデートを監視させられているのかと呆れているくらいなのだから。
「じゃあ、行きましょうか」
「う、うん」
歩き始めたことで出来た尊との距離。天宮は、温もりが遠ざかり、寒さが強くなったような気がした。そんな気持ちになる自分が不思議だった。
新竹下通りに向かって歩く二人。近づくにつれて、人の数はどんどん増えていく。
「……目立ちますね?」
「えっ?」
「貴女じゃなくて隊員の人たち」
「……ああ、ホントね」
人混みの中を歩いている護衛隊員。私服姿とはいえ、若い子たちばかりの中で、屈強な体をした大人の男が二人で歩いている姿はかなり浮いている。
本人たちもそれは自覚しているようで、少し恥ずかしそうだ。
「お腹空きませんか?」
「私はまだ」
朝食をとってすぐに出かける準備をして、学園を出たのだ。移動時間はあったにしても昼にはまだまだ時間がある。空腹を感じるような状態ではない。
「じゃあ、スイーツにしましょう」
「いいけど……何が良いの?」
スイーツといっても色々ある。さらに新竹下通りには、どこが良いか迷うほど沢山の店がある。
「知っている店があるから、そこにしましょう」
「ええっ? そんな店あるの?」
新竹下通りに知っている店がある。まさかのことに天宮は驚いた。
「僕にだって来たことがある街はあります」
「そうだけど……それは誰と来たの?」
「……どうしてそれを聞くのですか?」
「別に……」
理由を聞かれても困る。何も考えずに聞いてしまっただけなのだ。頭の中に、この人だろう、という女の子の姿を浮かべながら。
「友達とです」
「ごまかさなくても良いから」
「ごまかす……」
天宮の言葉を受けて、不思議そうな顔をしている尊。ごまかそうという意図は尊にはないのだ。
「……あっ、違う」
その反応を見た天宮は、恥ずかしい思いをすることになる。
「違う?」
「なんでもない。忘れて」
まるで恋人の浮気を追及しているみたいな自分の対応に。すっかりデート気分になっていた自分に驚いてもいる。
「お店はどの辺りにあるの?」
恥ずかしさを紛らわそうと、話題を変えた天宮。
「ああ、もうすぐそこ。あれです」
その彼女の問いに対して、尊は店の場所を指差した。パステルカラーの外観の、新竹下通りらしいといえばらしい、お店を。
「……はい?」
ただ天宮には、そのお店の外観と尊がマッチしない。尊が一緒に来た相手と思っている月子とも。ただ月子に関しては、出会った時の夜の闇のイメージが強いというだけの理由だ。
「さあ、入りましょう」
「う、うん」
店の中は、外観と同様にパステルカラー。ファンタジーを感じさせる内装で、それに相応しい可愛らしい服装の女の子たちが、これまた色鮮やかなスイーツをテーブルに並べて、談笑している。
そんな店の中を尊は躊躇うことなく歩いて行く。年齢は、外見のだが、周囲と変わらないので、おかしくはないのだが。
「じゃあ、ここで」
「……うん」
店の奥の空いている席を選んで座る尊と天宮。店の外には、中に入るのを躊躇っている護衛隊員の姿が見える。新竹下通りを歩いているだけで浮きまくっている彼等だ。この店に入れば、周囲からどのような目で見られることか。それを気にしたようで護衛隊員たちは店の外にとどまっている。
「さてと……お薦めは何?」
「ち、ちょっと」
尊がお薦めを尋ねたのは隣のテーブルに座る女の子。それに焦って、声をかけた天宮だが。
「そうね……私はベリーベリースイートタルトが好き」
女の子は尊の問いに、普通に答えてきた。
「甘そう……」
その答えを聞いて、顔をしかめる尊。
「大丈夫。ベリーベリーはストロベリーとブルーベリーのことだから。ミコトも好きだと思うよ?」
「えっ……?」
女の子は尊をミコトと呼んだ。それが示すところは明らかだ。
「もう少しにこやかにしてもらえる? 外にいる人たちに怪しまれるから」
「貴女は……」
「だからスマイル。それが出来ないなら、ミコトのほうを向いたまま話して」
これを言う女の子は、天宮に視線を向けていない。目の前に置かれているケーキに、嬉しそうに、フォークを入れながら話をしていた。
「待ち合わせをしていたの?」
天宮も言われた通りに、視線を尊に向けて話をした。ただ、この問いは両方に向けたものだ。
「待ち合わせはしていません。ここに来ることを決めたのは貴女です」
「そうだけど……」
確かに尊の言うとおり、新都心に、そして新竹下通りに来ることを決めたのは天宮だ。だが事実として『YOMI』のメンバーが尊の選んだ店にいて、こうして隣に座っている。
「待ち合わせじゃなくて、待ち伏せね」
隣に座っている女の子が、自分のほうが待っていたのだと説明してきた。だが、そうであっても何故、待ち伏せが出来たのかは疑問だ。
「注文は何?」
天宮が疑問を口にする前に割って入ってきた声。店員が注文を尋ねてきている。店の雰囲気にはそぐわない無愛想な男子だ。
「態度わるっ。そんなんじゃあ、客が逃げちゃうじゃない」
その店員の態度に声をあげたのは女の子だ。
「そう思うなら、サボってないで仕事しろ。ここはミズキの職場だろ?」
「休憩時間だもん。それに、まだ話は終わってないもの。君にとっても大事な話でしょ?」
「……っで? 注文は?」
不満そうな顔を見せながらも、ミズキとの話は切り上げて、また注文を聞いてくる店員。
「…………」
視線を向けられた天宮は、怪訝そうな顔を返している。店員と女の子の会話の意味に悩んでいるのだ。
「注文」
「……私は彼女のお薦めを」
「じゃあ、ベリツータルトとビタチョコパな。飲み物は?」
「……ミルクティーを」
尊の注文を勝手に決める店員。間違いなく彼も『YOMI』のメンバーだろうと天宮は思った。
「了解」
注文を聞き終えて、奥に引っ込んでいく店員。天宮の視線が尊に向く。この店はなんなのかという問いの意味を込めて。
「馬鹿だよね? どのように生まれるか分かっていないのに、脅威は一地域だけの問題だと決めつけている」
天宮の問いに、尊は少し違った答えを返してきた。新都心で、政府の足下で『YOMI』のメンバーは普通に暮らしている。それを分かっていない人々を皮肉ったのだ。
「……新都心でも鬼が?」
「今は平気。この先もずっと平気かは僕には分からない」
「そう……」
分からないということは、生まれる可能性はあるということ。それを考えて天宮の表情は暗くなる。
「……その子、秘密を守れるの?」
そっぽを向いたまま、女の子は尊に問い掛けてきた。
「話されて困るようなことは教えていない」
「ミコトにとってはね。でも、こっちにとっては違うかも」
「どういうこと?」
「ミコトが情報を漏らしていることになってる。そしてミコトの情報源は私たち」
「……もしかして追い詰められてる?」
それが嘘であることは尊が一番知っている。そうであるからには当然、明確な証拠はない。それでもその嘘が事実とされるのは、何者かがそうなるように図っているからだとミコトは考えた。
「そこまでじゃない。今のところはね」
「そう……」
『YOMI』にも何らかの動きが出始めている。それは尊にとって、きっと良くないことだ。
「ミコトは九尾をどう思う?」
「……組織に忠実な人」
「あら、意外? もっと悪い評価だと思ってたのに」
「良い評価でもない。良くも悪くも命令には忠実って意味」
組織の命令であれば、どんな悪逆非道なことでも実行する。そういう人物だと尊は評価しているのだ。そして、もう一つの意味は。
「……命令者がいるってことね」
「そうだね」
九尾は自らの考えでは行動しない。ミズキたちが考えているようなことをしていたとすれば、それを命令した人がいるはずだ。
「私で良かった」
「考えていることが事実であれば、先延ばしにしただけ」
「そうね……」
裏切り者が望であったとなれば、月子はショックを受ける。今がその時にならなくても、事実が判明する時は来る。来なければ、それはそれで尊やミズキたちにとって大問題なのだ。
「あまり目立つ動きはしないほうが良い」
「それは忠告?」
「そう」
「そっか……」
尊がこう言うからには、自分たちで何とか出来る問題ではないのだろうとミズキは思う。そんな問題を目の前にして、自分たちはどうすれば良いのかとも。
「……ミコトを殺しに行ったら怒る?」
組織の疑いを払拭する一つの手だ。ミズキの尊への思いは、月子ほど強いものではない。大切な友人ではあるが、同じかそれ以上に大切な人が周りにいるのだ。
「それが命令なら仕方がない。大人しく殺されてあげられないけど」
「そっか……本気のミコトと戦えるとしたら、ちょっと興味を惹かれるかな?」
「何度かやり合わなかった?」
「あれは喧嘩。殺し合いとは違うもの」
「はあ……」
わざとらしく、ため息をつく尊。ミズキの強さへの拘りを尊は知っている。いざ本当に戦う時が来たら、本気で殺しに来るだろうと思う。ただ、それをため息一つで済ませる尊も変わっている。
事情は良く分かっていないが会話を聞いているだけで、第三者である天宮は、二人とも普通ではないと思った。