怪我を負った尊は、軍の病院に入院させられている。場所が軍管轄の病院というだけで治療に携わっている人間のほとんどは、精霊科学研究所の研究員だ。尊の怪我は激しい運動を控えることと、定期的に薬や包帯を替えれば良いだけで、これ以上、特別な治療は必要ない。今、行われているのは尊の体の検査。尊の力の秘密を暴こうと、様々な実験が行われているだけだ。
そんなことになっているとは、まったく知らない天宮。
「……ごめんなさい」
尊の病室を訪れて、謝罪をしている。
「謝る必要はないと何度も言っているつもりだけど?」
謝罪されている尊はウンザリ顔だ。天宮に謝られるのは、これが初めてではない、天宮は何度もお見舞いに来て、謝罪を繰り返しているのだ。
「そう言われても、僕の気が済まない」
「ああ、自分の為か。じゃあ、勝手にどうぞ」
「……ごめんなさい」
「……ここは怒るところだよね?」
普段とは異なり、挑発に乗ってこない天宮。これには尊も調子が狂ってしまう。
「僕は君に命を助けられた。それなのに君を守ることが出来なかった。文句を言う資格なんてない」
「恩と引け目の両方を感じているってこと?」
「……そう」
「必要ない。僕の仕事は貴女を守ること。貴女を助けるのは当然だ」
「でも……死ぬかもしれなかった……」
何度も聞かされた台詞。だが、まさか自分の身を投げ出すことまでして、守ってくれるとは天宮は考えていなかったのだ。
「……君に死んで欲しくなかった」
「えっ……?」
「君が大切なんだ。自分の命よりも、ずっと」
「えっと……その……わ、私は……」
自分を見つめる尊の視線に耐えられなくなって、俯いてしまう天宮。のぞく首筋は真っ赤に染まっている。
「……気をつけたほうが良いね。将来、悪い男に引っかかるよ」
「えっ?」
顔をあげた天宮が見たのは、嬉しそうに笑っている尊だった。
「告白されることなんて慣れっこだと思っていたのに、もしかして初めてだった?」
「……だ、騙したな」
「騙してはいない。言葉にしたことは本当だ。ただ表情はちょっと作ったけど」
「ふざけるな! 私の気持ちをなんだと……!」
大声で叫ぶ天宮。だが、激高したのはわずかな時間。途中で叫ぶのを止めて、黙り込んだ。
「貴女の気持ちを?」
「……なんでもない」
「気が付いてる? 自分のこと、「私」って言っているの」
「……自分のことをなんて言おうと、僕の勝手だ」
尊の指摘を受けて、天宮の顔が、また赤く染まる。
「まあね……でも、貴女はもっと周りの声に耳を傾けたほうが良い」
「……人とのコミュニケーションは苦手だ」
どうして、こういう話の流れになるのか天宮は分からない。分からないが、素直に答えを返した。
「それは僕も同じだね。僕の場合は苦手というより、どうすれば良いか分からないのだけど」
「同じ。僕も、どういう態度をとるのが正しいのか、よく分からない」
実際には尊の言っていることと天宮のこれは意味が異なるのだが、それは彼女には分からない。
「……それに悩む必要はない、と言ったら怒るのかな?」
「どういう意味?」
「悩むのは人が求める自分に合わせようとするから。それは本当の自分なのかな?」
「……周りが本当の自分を受け入れてくれなければ、それも仕方がない」
尊が心配した怒りの感情など、まったく湧いてこない。逆に心は冷めてしまっている。
「それを言いながら貴女はそれが出来ない。正直なんだ」
「嬉しくない。正直過ぎると周りとは上手くいかない」
「それは周りのほうがおかしい。正直は正しい。正直過ぎるなんて言葉は間違っている」
「……それを言える君が羨ましい。どんなところで育てば、そう思えるの?」
尊の言葉は現実には通用しない。正論は時に相手を怒らせる。気持ちを正直に話せば、人を傷つけてしまうこともある。そして自分が傷つくのは、いつものことだ。
「……嘘の通用しない世界」
「えっ?」
「言葉が全てじゃない。今も貴女の周りには語りかけている存在がいる。彼女は知っているんだ。貴女が正しいことを。彼女は好きなんだ。貴女のことが」
「……それは……もしかして精霊のこと?」
病室には自分と尊しかいないはず。それ以外に誰がと考えた時、天宮には、以前から意思ある存在として尊が話している精霊しか思い付かなかった。
「そう。それなのに貴女は彼女の声を聞こうとしない。ただ従わせようとしている。それでは彼女は本当の力を発揮出来ない」
「……どうすれば、それが出来るの?」
「彼女を信じること。彼女に心を開くこと。余計なことを考える必要はない。彼女には本当の貴女しか見えない。だから取り繕う必要なんてない」
「君は……いえ、それって難しそう」
尊の言う嘘の通用しない世界。天宮は、それがどのような世界なのか分かった気がした。ただそれを確かめる気にはなれなかった。
「……じゃあ、少しだけ僕に心を開いて」
「えっ?」
「信用して。僕は決して、貴女に危害は加えない。貴女にこれを信じてもらえないと彼女にも信用してもらえないから」
「……信じてる」
尊は自分を命がけで守ってくれる。尊がそうする理由はどのようなものであっても、守ってくれるという点を疑う気持ちは天宮にはない。
「大丈夫。僕を信じて。二人を引き離そうなんて考えていない。その逆。もっと二人に仲良くしてもらいたいんだ」
優しく話しかける尊。それが自分に向けたものでないことは、天宮にもすぐに分かった。そして語りかけられた本人は。
「あっ……」
柔らかい光が天宮を包んでいる。それが自分の精霊であることは、はっきりと分かる。尊の呼びかけに、天宮の精霊は応えたのだ。
「もう分かったよね? 精霊には意思がある。それを知った貴女は、きっと上手くやれる」
尊の言っていたことは事実。それが分かっただけで、天宮はこれまでとは違う感覚を得ている。自分を包む光の意思を感じている。
「……貴女は一人じゃない。この先、何があっても貴女の側には彼女がいる。彼女が守ってくれる。だから大丈夫」
尊の言葉は天宮に喜びよりも不安を感じさせた。この先、何があるのか。その時、尊はどこかに行ってしまうのではないか。尊の言葉の意味を、こんな風に感じてしまった。
「あっ……」
その不安に揺れる心を優しく包み込む何か。天宮は、これまで以上にはっきりと精霊の意思を感じた。自分を慰めようとしている精霊の優しさを。
ただそんな精霊の優しさだけでは埋まらない、小さな小さな心の隙間。それは笑みを浮かべて自分を見つめている尊への思い。尊の優しさを知れば知るほど、その隙間は広がっていく。それも天宮は知ってしまった。
◇◇◇
尊の見舞いを終えて、病院を出た天宮。護衛に付いてきていた隊員に無理を言って、桜木学園まで歩いて帰っている。完全に一人になったわけではない。GPSで追跡され、何かあればすぐに駆けつけられるような位置で、護衛隊員は付いてきている。
天宮もそれは分かっているが、不満はない。歩いて帰ろうと思ったのは、すぐに桜木学園に戻りたくなかったから。近くに人がいない落ち着いた時間がもてれば、それで良いのだ。
尊と話をして、少し心が温かくなった。そして少し心が寒くもなった。相反する自分の気持ち。それをもう少し感じていたかった。
尊と出会ってから気持ちが落ち着かない。謎は深まるばかりで、物事はなんだか加速したように動いていく。
自分の力不足を思い知らされ、それを悔しく思った。その一方で守られることを知った。尊のことが苦手だ。嫌いでもあった……と過去形になっていることに気が付いた。
こうして考えているといくらでも時間が過ぎていく。それを寂しく思った。歩む足を止めようかと思った。そして、実際に止まった。
「……これは」
歩道が一歩前で途切れている。底の見えない崖。そんなはずはない。この先も道は続いているはずだ。では目に見えるこれは何なのか。天宮は答えを知っている。
「……戦うつもりはない。今日はね」
この状況を引き起こした相手が姿を現した。月子だ。
「何か用?」
「用がなければ、貴女の前には現れない。ミコトに会ってきたのよね?」
月子は尊の見舞いに行ってきた天宮に用があるのだ。
「さすがにあそこには忍び込めない?」
「そうしようと思ったのに周りが邪魔するから。ミコトの怪我はどう?」
病院とはいえ軍の施設。そこに乗り込もうとした月子をコウと牙、そして遅れてきたミズキとドモンが必死で止めた結果だ。
「退院はまだ先みたいだけど、元気よ」
「そう……良かった」
生きていることは知っていた。だが元気という言葉を聞いて、月子の心に安堵が広がっていく。
「……どうして喜ぶの?」
「えっ?」
「彼を殺そうとしたのは貴女たちよ」
天宮にとっては、月子も尊を殺そうとした相手。月子の反応から、実際には何か事情があることは分かっても、それを受け入れる気にはなれない。
「……あれは私の知らないところで勝手にやられたことよ」
「でも貴女がいる組織がやったのは事実」
「……もう二度と、こんな真似はさせない」
「それを信じる気にはなれない」
「…………」
二人の間の雰囲気が一気に険悪なものに変わる。天宮は最初から喧嘩腰。月子は売られた喧嘩は買ってしまう性格だ。
「はい、そこまで。戦わないって約束だろ?」
その二人の間にコウが割り込んできた。
「……そうね。ミコトが元気だってことが分かれば、この女には用はないわ」
「そういう言い方しない。皆、いつ敵がくるかとドキドキしながら待っているから、早く戻って」
「……分かった」
一緒に戻ろうとしないコウに疑問を感じた月子だが、言われた通りに仲間のところに戻ることにした。
月子が離れるとともに、周囲の風景が普通のものに戻っていく。
「悪い。ミコトのことになると月子はあれだから」
「……別に」
「ここに来る前もミコトを襲った仲間を殺しそうになって。止めるのが大変だった」
「……どうして彼を襲ったの?」
そこまで尊のことを思っていて、どうしてあんな事件が起きたのか。天宮には理解出来ない。
「敵であるお前に話すことかと思うけど、うちは結構バラバラでな。共通点はそっちが言う鬼だってことくらいだから。俺なんて嫌いな奴のほうが多い」
「そう……」
尊と同じ。尊も仲間だけじゃなく敵もいたと言っていた。尊以外にも同じことをいう人がいる『YOMI』とは、そういう組織なのだと天宮は理解した。
「そんな中でミコトは別だ。奴は俺たちにとって本当の仲間、大切な友達だ。どういう事情で奴が敵になったか知らないが、いつか必ず取り戻す。桜子と一緒にな。これを言っておきたかった」
「…………」
敵が来るのを不安に感じながらも、わざわざこれを言う為に、この場に残った相手。この彼も月子と呼ばれている女の子と同じくらいに、尊のことが好きなのだろうと天宮は思った。そして恐らくは、さっき彼が言った、待っている仲間たちも。
『YOMI』には尊のことを大切に思う仲間がいる。特務部隊にはいない仲間が。尊の本当の居場所はどこなのか。それを考えて、天宮は胸が苦しくなった。