第七七四特務部隊の定例会議の場は、重苦しい雰囲気に包まれている。先日発生した遊撃分隊に対する襲撃。それはYOMIとの戦いが本格化したことを示している、と考える参加者は多い。そうであるなら第七七四特務部隊に勝ち目はあるのか。難しいと考えるのが普通だ。劣っているのは数だけではない。質でも負けているのだ。
「敵の拠点の割り出しは終わらないのか?」
「……まだです」
国防省長官の問いに答えたのは国防軍情報部長。聞かれたくない質問を向けられて、その表情は苦い。
「遅い。いつになったら終わるのだ?」
「……正直、現時点では特定は難しいかと」
「なんだって?」
作業が遅れているのではない。結果を出せる見込みがないのだ。
「足取りはまったく掴めておりません。そもそも襲撃地点でも、待ち伏せを探知出来ていないのです」
YOMIのメンバーの足取りを追おうにも、彼等は探知システムに反応しない。これが情報部長の言い訳だ。
「通常システムで調べれば良いではないか」
探知システムは鬼対策のものだけではない。防犯対策という名目で、街のあちこちに監視システムが設置されており、人々の動きは記録されている。
「襲撃地点から半径百メートル内に設置してある監視カメラの記録を解析いたしましたが、それらしき映像は残っておりません」
情報部は馬鹿の集まりではない。当然、その調査は行われている。
「……ではもっと広げろ」
「それで映っていた人物がいたとして、それをYOMIのメンバーだと定めてよろしいのですか?」
範囲を広げれば、映っている人物は必ずいる。だが、その人物とYOMIを結びつける証拠はないのだ。
「……映っていた人物を認識システムに登録して、モニタリングすれば良い。それで証拠は掴める」
監視カメラシステムはただ映像を記録するだけではない。映った人物と登録されている人物情報を瞬時に照合して監視する機能もある。
「では申請をお願い致します」
特定人物の監視は、個人のプライバシーに関わること。自由に行って良いことではない。
「……君のほうで行えば良い」
「ただ監視カメラに映っていただけの人物を認識システムに登録する申請を、情報部から出せと?」
認識システムへの登録には、それなりの理由が必要だ。その理由を情報部長は持っていない。
「テロ対策としておけ。実際には彼等はテロリストだ」
「では、まずはYOMIをテロ組織として認定する手続きをお願いします。それで申請は通りやすくなるでしょう」
「それは……公安調査局の仕事だな」
国防省長官は仕事を公安調査局に振った。間違いではない。ただ国防省長官が仕事を振った理由は、管轄云々とは関係ないと出席者の多くは感じている。
「YOMIの認定手続きは進めます。しかし、それが認められるまでの間はどうするおつもりですか?」
仕事を振られた公安調査局長が口を開いた。テロ組織の認定だって、それなりの期間は必要だ。彼等がテロ行為を働いた、もしくは働こうとしていると証明しなければならないのだから。
「……古志乃尊はどうしている?」
探知システムでは見つけられない相手も、尊であれば探し出せる。そんな期待を持って、尊の様子を国防省長官は尋ねた。
「怪我を負って、入院しております」
「それは分かっている。退院はいつだ?」
「それは――」
「退院までには一月は欲しいところだね」
突然、割り込んできた声。それは会議室の入り口から聞こえてきた。
「斑尾教授……」
現れたのは精霊科学研究所長の斑尾教授。もともと会議に参加予定であったのだから遅刻だ。
「短くとも一ヶ月は入院させたい」
「短くても一ヶ月……命に別状はないと聞いていたが」
国防省長官は一月の入院は長いと感じている。この感覚は、今回は正しい。
「怪我は平気だ。彼については色々と調べたいことがある。その為に必要な期間ということだ」
医師でもない斑尾教授が入院期間について語っているのは、尊の体を調べるという目的がある為。妹の桜に対して行ったのと同様の検査を行う期間が一ヶ月ということだ。
「……その間、YOMIへの対応はどうしろというのだ?」
国防省長官は、つい先ほどまで自分が問われていたことを、斑尾教授に転換した。
「それについては色々と考えてある」
「……例えば?」
「まず新兵器が完成した。これまでとはレベルが違う強力な武器だ」
自慢気に話す斑尾教授。だがどれだけ自慢気に話されても、聞いているほうは嬉しくはない。
「それは結構だが、その新兵器というのはどの程度、供給出来るものなのだ?」
鬼に有効なスピリット弾も、その供給量の少なさから実戦で活用出来ていない。いくら強力な武器を開発しても、実践運用が出来なければ現場では意味がないのだ。
「従来のスピリット弾の十倍、いや、二十倍は供給が可能だ」
「な、なんだと? それは本当か?」
だが斑尾教授の答えは予想外のものだった。
「嘘をついてどうする? もちろん、生産体勢の整備は必要だ。だがそれが整えば、二十倍どころか、もっと増やせるかもしれない」
「……それは本当に従来のものよりも強力なのか?」
もし斑尾教授の説明が全て事実であれば、これまで異能者の支援に回っていた通常兵士たちが、主力になれるかもしれない。それは若い異能者に頼ることを良しとしない軍部の人間には朗報だ。
「だから嘘は言わない。試作品、といっても既に完成だが、はすぐに渡せる」
「……では、すぐに引き渡してもらおう」
「ああ、分かった。手配しよう」
「これで鬼と戦える」
さきほどまでの暗い表情は消え去って、代わりに国防省長官の顔には笑みが浮かんでいる。軍関係者の表情は皆、似たようなものだ。葛城陸将補を除いてだが。
「あと、特務部隊員を研究所に寄越して欲しい」
「……理由は何ですか?」
斑尾教授は、ついでのように言ってきたが、それを軽く受け取る葛城陸将補ではない。そもそも武器と特務部隊員を研究所に行かせることに、何の関係性も見えない。
「特務部隊員を鍛える」
「どのように?」
「鬼に匹敵するくらい、いや、それよりも強くしてやる。それでYOMIなど恐れる必要はなくなる」
「私は強くする方法を聞いているのです」
研究所に行くことで強くなる。それがただの鍛錬であるはずがない。
「ふむ……では教えよう。適合率をあげる方法を発見した。それを特務部隊員に施す」
思っていた通り、普通の鍛錬ではなかった。新たに発見した研究の成果を、特務部隊員に試そうというもの。
「それは……人体実験ということではないのですか?」
そうであるなら、特務部隊を率いる葛城陸将補には受け容れがたい内容だ。
「実験ではない。すでに方法は確立している」
「それもどうやって?」
実験は終わっているというのであれば、その実験はどのようなものであったのか。すでに人道にもとる実験が行われたのではないのか。
「精霊研究の詳細は特機密事項。誰でも知って良いものではない」
「しかし……」
だからといって人体実験が許されているわけではない。
「大切なのは成果だ。その成果をあげてみせると言っているのだ。何の文句がある?」
「その方法が危険なものであるなら、隊員たちに試させるわけにはいきません」
葛城陸将は斑尾教授を信用出来ない。そんな相手に特務部隊員を預けるわけにはいかないのだ。
「それを決めるのは、もっと上の人間だ。そして、その人間はすでに結論を出している」
「なんですって?」
「政治がそれを決めた。君たちにはそれに従う義務があるはずだ」
「馬鹿な……」
国が実験の許可を出した。人道にもとるような内容かもしれないそれを。それが葛城陸将補は信じられない。
「その発言は問題ではないかな?」
葛城陸将補の呟きに文句を言ってきたのは大統領補佐官だ。彼は大統領が許可したことを知っていたのだ。
「どのような実験か確認した上での許可なのですか?」
その大統領補佐官に葛城陸将補は質問を返す。
「国防上、絶対に必要なことだと聞いている」
答えを濁す大統領補佐官。問題のある実験だと分かっていて、許可を出したのだと葛城陸将補は判断した。
「……後々、問題になりませんか?」
事が発覚すれば大問題になる。相手が嫌がりそうなことを指摘したつもりの葛城陸将補であったが。
「責任を取るのが嫌であれば、今のうちに辞任すれば良い」
逆に脅されることになった。「では辞める」とは葛城陸将補は言えない。それでは七七四を見捨てることになる。
「心配は無用だ。精霊研究の様々な分野で、研究は加速している。問題など起こらん」
葛城陸将補を宥めようとする斑尾教授。だが、それは失敗だ。研究の加速は何によるものか。それを考えた葛城陸将補の心の不安を煽るだけになった。
それでも葛城陸将補は、これで以上文句を口に出来ない。大統領補佐官の脅しがきいているのだ。
「すぐに始めて下さい。時間を無駄にする理由はありませんから」
葛城陸将補を沈黙させたところで、大統領補佐官は話を終わらせに入った。参加者の多くにとって、これは望むところだ。七七四以外の部隊でも鬼に対抗出来る。その可能性が示されたのだから。
◇◇◇
湾岸南地区に建つ廃墟となった高層マンションの一室。もとは高級マンションであったそこはかなりの広さだ。その広いダイニングに二十を超える男女が集まっている。テーブルの上に並ぶ数々の料理、の残骸。様々な種類の酒瓶。ビール缶、ワインやウイスキーのボトルは床にも転がっている。
パーティーの後。そんな様子だが、それに参加した人々はまだ解散していない。床に転がっているのは空き缶や空き瓶だけではない。裸の男女も絡み合いながら転がっていた。
多くの男女が、時間を忘れるほど夢中になって体を貪りあっている中――突然、ベランダに通じる扉のガラスが破裂した。
「なんだ!?」
「きゃああああっ!」
「何が起きた!?」
それに驚いた人たち。酔いと性行為によって朦朧としていた意識が、一気に冷めていく。
「あら? もしかしてパーティーの最中だった?」
「……月子」
ベランダから姿を現したのは月子。その顔を見て、多くの人が顔を青ざめさせている。
「これは一体、何のお祝い?」
「そ、それは、そ、その……」
近くにいた男にパーティーを開いている理由を尋ねる月子。それに答える男の声が震えている。月子が知らないはずがない。知っているから、この場に姿を現したのだ。それでもあえて尋ねてくる意味。それを男は理解している。
「私は質問しているの」
「……ぶ、無事に、も、戻れた、ことを」
これは作戦成功、ではなく作戦から無事に帰還出来たことのお祝い。死を覚悟した作戦から生きて戻れたことを、彼等は喜んでいたのだ。
「ふうん……良かったわね? ”貴方たち”は無事で」
「つ、月子……ぼ、僕たちは、命令を、う、受けて」
「命令を受けたから、仕方なくミコトを殺した。そう言いたいの?」
彼等は尊を襲撃した『YOMI』のメンバー。尊に怪我を負わせた、月子は殺したと決めつけているが、作戦に参加したメンバーだ。
「……そうだ」
「ふざけんじゃないわよ!」
「ぐっ……あっ……」
月子の蹴りを腹に受けて、悶絶する男。
「ミコトを殺すことが出来て嬉しい?」
また別の人、今度は女の子だ、に問いを向ける月子。
「つ、月子、さん……」
問われた女の子は、震えながら月子の名を口にするので精一杯。これ以上、何を答えれば良いか彼女には分からない。
「嬉しそうだったわよ? 汚いものを入れてもらって。どうせならミコトと同じように剣を入れてもらえば?」
「…………」
「私が入れてあげようか?」
これを言う月子の手には、漆黒の剣が握られている。
「……や、止めて。お、お願い」
ますます怯える女の子。月子であれば本気でやりかねない。そう思っているのだ。
「少しはミコトの痛みが分かるでしょ!」
「や、やめてぇええええっ!」
叫び声をあげながら、頭を抱えて丸くなる女の子。だが、振り下ろされた月子の剣が、女の子に届くことはなかった。
「もう、やめろ」
「……邪魔しないで」
月子の邪魔をしたのはドモン。岩の壁が、月子の剣が女の子に届くのを阻んでいる。
「彼等を恨むのは間違っている。彼等は命令に従っただけだ」
「拒否すれば良い」
「出来るはずがない。作戦に参加するのは義務だ。それはお前だって分かっているだろ?」
作戦参加は『YOMI』のメンバーに課せられた数少ない義務の一つ。それを守っている限り、彼等は組織に守られる、そして好き勝手が出来る。
「……だからって」
「命令を出したのは幹部だ。その幹部に文句を言え」
「言ったわよ! でも朔兄も蛭子さんも、そんな命令出していないって!」
「えっ?」「なっ?」「そんな?」
月子の叫びには、この場にいるメンバーが驚きだ。これが本当であれば、自分たちは誰の命令で作戦に参加したのか。死を覚悟した作戦に。
「……そうだとしても、いや、そうであれば尚更、彼等は可哀想だ。ミコトを殺せという命令を受けて、彼等がどれだけ恐怖を感じたか分かるだろ?」
「…………」
飛び抜けた力を持つわけではない彼等が、ミコトを殺すことは容易ではない。一対一でそれを行えと言われたら、それは死ねと言われているのと同じなのだ。
「生きて帰ってきたことを喜ぶのは当然だ。彼等は恐怖から解放されて、少し羽目を外しただけだ」
「そんなの……そんなの分かってる」
俯く月子。彼等に責任がないことは月子も理屈では分かっている。だが、向け先のない怒りが、こんな行動を取らせたのだ。
「月子ちゃん、泣くのは少し早いかな?」
「えっ?」
現れたのはミズキ。コウと牙も一緒だ。
「このミズキが情報を入手してきてあげました。どうやらミコト、生きているみたいよ」
自慢気に尊が生きていることを伝えるミズキ。その後ろで、コウが「入手したのは俺たちだ」と呟いているのは無視だ。
「……ほんと?」
「ほんとう」
とミズキが言い切った時には、月子はベランダに駆けだしていた。
「あっ、そうだ。皆、ごめんね! もう邪魔しないからパーティー楽しんでね!」
満面の笑みを浮かべて、これを言う月子。ぶち壊したのはお前だ。という言葉を発する人は誰もいない。それを思いつけないくらいに、皆が呆気にとられている。
「……コウ、牙。止めないと。ミコトがいるのは軍の施設だから」
「はあ……行ってくる」
大きくため息をついてコウは、テーブルの上に転がっていたワインボトルを口に加えていた牙を引きずって、ベランダに出て行った。
尊に会いに行こうとしている月子を止めるという、大変な作戦を実行する為に。
「月子ちゃんは、ああ言ったけど、私はこういう下劣なパーティーは大っ嫌いだから。ああ、気持ち悪い」
「ミズキ。どんなパーティーをしようが彼等の勝手。俺たちが帰れば良いだけだ」
「……分かった。じゃあ、帰ろ。これはサービスね」
月子が割ったガラスが元に戻っていく、ように見えるだけで、実際はガラスのように見える氷が扉を塞いでいるだけ。ミズキの能力だ。
それが完全に塞がれたところで、ミズキとドモンは扉を開けて、ベランダに出て行く。玄関から帰れば良いのに、という誰かの言葉に気付くことなく。