月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

逢魔が時に龍が舞う 第26話 兄妹喧嘩

異世界ファンタジー小説 逢魔が時に龍が舞う

 尊の入院は予定通り一ヶ月で終わった。精霊科学研究所にとっては納得出来ない退院だ。検査の結果は異常なし。尊が持つ特殊能力の元となるようなものは何も見つけることが出来なかった。かといって入院の延長も出来ない。それ以上、何を検査すれば良いのかも分からない状態だったのだ。
 もちろんそれで斑尾所長が諦めたわけではない。採取した尊の血液や体組織の分析は続けられている。その結果が出るのが、まだ先というだけの話だ。
 それはそれとして、精霊科学研究所には他にも行うことがある。特務部隊員の強化。斑尾所長にとっては尊の検査と同等に大切な研究だ。

「君は良いのか?」

 七七四の隊員たちを連れて、研究所を訪れている葛城陸将補。同行してきた天宮に、強化鍛錬を受けないのかを尋ねている。

「僕はまだ他にやることがあります」

「他に……それが何かを尋ねても構わないか?」

「鍛錬は鍛錬です。それも基礎鍛錬というものです」

「ふむ。まずは基礎からか。それは間違っていないな」

 葛城陸将補はもっと具体的な内容を聞きたかったのだが、それについては諦めることにした。鍛錬の内容はいずれ分かる。桜木学園での隊員たちの様子は、細かく報告されているのだ。

「……今も、その、見えているのか?」

 やや躊躇いながら、葛城陸将補は別の質問を口にした。

「いえ。今は死体には見えません」

 桜のことだ。葛城陸将補と天宮は桜の部屋の前に来ている。尊の面会に付いてきたのだ。

「どちらが正しいのだろう?」

 死体に見えた以前と、そうは見えない今。どちらが桜の真実の姿か、葛城陸将補は気になる。

「……多分、今だと思います」

「死体に見えたのは錯覚だと?」

 逆ではないかと葛城陸将補は思っている。自分の目には二回とも普通の女の子に見えている。それこそが真実の姿を隠しているのだと。

「錯覚という表現が正しいかは分かりません。でも……彼女の印象を簡単に表すとそうなるのかもしれません」

「すまない。もう少し分かりやすく説明してもらえないか」

「……怖いです。何だか、彼女の存在そのものが怖くて」

「なに?」

 そんな感覚は葛城陸将補にはまったくない。天宮から話を聞かされても同じだ。目の前の桜は、ただふくれっ面をしている可愛い女の子にしか見えない。

「……怒ってはいるようだな」

「喧嘩でしょうか?」

 ふくれっ面の桜と困り顔の尊。桜が尊に何かを言い、それに尊が戸惑いながら答えている。そんな光景がガラスの向こうに見えている。

「えっ?」

 その二人の視線が不意に天宮に向いた。

「あれは……呼んでいるのではないか?」

 葛城陸将補の言うとおり、尊が天宮に向かって手招きをしている。天宮にとっては信じがたい、信じたくない状況だ。

「……無理です」

 部屋の中に入っていく勇気が、天宮にはない。だが、そんな天宮の気持ちは中の二人には通じなかった。

「……ごめん。ちょっと来て」

 部屋の扉から尊が顔を出している。天宮を呼びに来たのだ。

「……どうして?」

「桜が怒ってる。何かを誤解しているようなのだけど、それが何故か分からなくて」

「それ、僕が行く必要ある?」

「貴女のことを気にしている。あれは誰って、何度も聞いてきて。一緒に働いている人だと言っているのに信じなくて」

「……どうして、僕のことを気にするの?」

 桜を不機嫌にさせている原因は、どうやら自分。それが分かれば、ますます近づきたくなくなる。せめて詳しい事情を知りたいと思ったのだが。

「それは僕が聞きたい。いや、聞いているのだけど教えてくれなくて」

 尊は求める答えを持っていない。持っているのは怒っている本人だけだ。

「……分かった」

 拒絶したい。部屋の中に入りたくなどないのだが、天宮は了承を口にする。誤解があるのであれば、それは解いておきたい。天宮には桜を怒らす心当たりなどまったくないのだ。
 扉を抜けて、部屋の中に入る天宮。

「ふうん。貴女がね」

「あの、初めまして。天宮杏奈と言います」

 天宮にとって幸いなのは、部屋の中で見る桜からは先ほどまでの恐怖を感じないこと。違和感は残っているが、それでもかなりマシな状況だ。

「お兄ちゃんがいつもお世話になってます。私は妹の桜です」

「いえ、僕は何もしてません」

「えっ? 男の子なの?」

「……いえ。性別は女です」

 かつての尊と同じ反応。兄妹だからと考えるのは違うだろうと天宮は思う。

「女の子なのに僕。変わっているのね?」

「たまに言われます」

「……そんなに怖がらないで。別に採って食べたりしないから」

「べ、別にそんなことは……」

 内心の恐れを見事に見透かされて焦る天宮。ただこれは勘違いだ。

「貴女じゃない」

「えっ?」

「貴女の、お友達? まだ、そこまでではないかな?」

「あっ……」

 桜を酷く恐れていたのは自分の精霊。その気持ちが自分に伝わっていたのだと天宮は分かった。桜が精霊にとって、とても恐ろしい存在であるということと共に。

「それで? 貴女はお兄ちゃんのどこが好きなの?」

「はっ?」

 あまりに唐突な質問。天宮は一瞬、何を言われたか分からなかった。

「だからそれはないって言っているだろ? 天宮さんは仕事仲間ってやつだ」

 桜の疑いを否定する尊。尊が言っていた勘違いは、このことなのだと天宮は分かった。

「そうです。お兄さんには凄く感謝している。でもそれと恋愛感情は別」

「私はどこが好きって聞いたの。友達を好きじゃないの?」

「それは……」

 勝手に恋愛感情のことだと勘違いした。そう思って、頬を赤らめる天宮だが。

「なんてね。貴女って面白い」

「……からかわないで」

「嫌。貴女、からかい甲斐があるもの」

「……やっぱり兄妹ね」

 尊もきっとそう思っているに違いない。そう思って、天宮はきつい視線を尊に向ける。

「……僕は桜みたいなことはしてない」

 視線を向けられた尊はキョトンとしている。それが天宮の気持ちを刺激する。

「自覚がないのはもっと悪いから」

「えっ? そう思われるようなことした?」

「ええ! 沢山!」

 これもまた周囲からはからかわれているようにしか見えないのだが、これに関しては天宮にも自覚はない。 

「仲良いね」

 そんな二人の様子は、桜にはこう見える。桜でなくても同じだ。七七四でも二人の仲は疑われているのだ。

「だから、仕事でいつも一緒にいるからだ」

「お兄ちゃんには聞いてないもの。私は杏奈さんに聞いているの。まだ答えはもらってないけど?」 

 じっと天宮の目を見つめる桜。黒一色の瞳は鬼の特徴だ。それを向けられた天宮は、心の奥底まで見透かされているような気がした。

「……そっか。今はまだ恩を感じているくらい。まだまだ気持ちは育ってないのか」

「えっ……?」

 実際に心を読み取られていた。そう天宮は思った。

「う~ん。喜ぶべきか、残念に思うべきか。ちょっと複雑」

 腕を組んで首を傾けている桜。悩んでいる様子が、白々しく思えるほど、よく分かる。

「あの……」

「杏奈さんって、あれだね。ちょっと自意識過剰。それがかえって心を鈍感にしている」

「……どういう意味?」

 自意識過剰なんて言われて、天宮は不満そうだ。同じようなことを尊に言われたことも思い出している。

「他人の目を気にしてる。で、それを常に否定的に受け取っている。どうして?」

「……そんなの僕には分からない」

「自分のことなのに? でもそういうものか。人は自分のことが一番分からない」

「貴女って……」

 大人びた言葉を口にする桜。だが、良く考えれば年齢的には桜は自分よりも年上。そういうことなのかと天宮は思った。

「桜」

「えっ?」

「私の名前。教えたはずだけど?」

「……桜、さん」

 少し戸惑いながら、天宮は桜をさん付けで呼んだ。

「なんか凄く年取った気分。どう見ても杏奈さんのほうが年上だけど?」

「えっ? だって」

「天宮さんはそういう礼儀に厳しいんだ」

 実年齢は桜のほうが上。そう言おうとした天宮を遮って、尊が割り込んできた。

「そんな感じする。でも桜はそういうの嫌い。もっとフレンドリーにいかないと」

「……桜ちゃん」

「そうね。それが普通。お兄ちゃんのことはなんて呼んでるの?」

「えっと……」

 それを聞かれた時点で、天宮には嫌な予感しかしない。

「まさか古志乃さん? いやぁ、それはない。すごく他人行儀」

 他人だから、なんて言っても桜には通用しないことは天宮にも分かる。そうなるとどう呼べと言われるのか、不安になる。

「年が近いから呼び捨てかな。でも尊さんも良いかも。杏奈、尊さん、これどう?」

「……む、無理」

 桜の中で勝手な妄想が膨らんでいる。それを思った天宮の頭の中にも、妄想が湧いているということだ。

「あっ、でもな……それを桜が言ったなんて知られたら、月子ちゃんに怒られるかな?」

「……彼女を知ってるのね? 当たり前か」

 桜も月子と呼ばれた女の子を知っている。桜も『YOMI』にいたはず。当たり前のことかと思うが、なんとなく気分が悪くなる天宮だった。

「杏奈さんも月子ちゃんを知ってるの?」

 桜のほうが驚きだ。天宮が軍の人間であることを桜は分かっている。それで月子と接点がある理由が分からない。

「一度会った。お兄さんに会いにきたみたい」

「尊さん」

「だから、それは無理だから」

 尊よりも質が悪いかもしれない。桜のしつこさに天宮はそう思った。

「そっか。月子ちゃん会いに来たのか……あっ、そうだ。だったらミコトって呼べば良い。これなら月子ちゃんと同じ」

「あの、それって、その……仲間内での呼び名じゃなくて?」

 YOMIについて桜に、どう表現するべきか。それが分からない天宮は、出来るだけ差し障りのない言葉を選んでみた。

「そうだけど元々は月子ちゃんが呼び始めたの」

「それって、彼女に怒られそう」

 何を勝手に呼んでるの。たった一度会っただけだが、それを言う月子の姿まで、天宮は想像出来てしまう。

「大丈夫。皆呼んでるもの。まずはそこからだね」

「そこからって……」

 いちいち桜の言葉に反応してしまう天宮。これも桜にからかわれているのだと気が付いていない。

「そうなると杏奈さんは……餡子(あんこ)ちゃん?」

「……漢字違うから」

「えっ? 餡子ちゃん、他人の心が読めるの?」

「読めなくても分かるから!」

 かなり桜に馴染んできた天宮であった。

「冗談。杏奈さんは杏奈ちゃんで良いか。じゃあ、お兄ちゃん。はい」

「はい、じゃない。僕まで巻き込まないでくれる? それに桜。楽しい時間はそろそろ終わりだ」

「もう? 早いな」

 面会の時間は終わり。楽しい時間は短く感じるもの、というのもあるが、実際に面会時間はそれほど長い時間ではない。

「じゃあ、また来るから。それまで待ってて」

「……うん」

「桜。物事が動くには時間がかかる。だから焦らないで欲しい」

 真剣な顔でこれを告げる尊。これが次回の面会についての話なのか。そうではないと横で聞いている天宮は思った。

「……時間が経てば、物事は動く? それを言うお兄ちゃんは、もう分かっているよね?」

「桜。ここに来たのは僕の間違い。それは謝る。でも、これからだ」

「それはお兄ちゃんに任せるから。じゃあね。お兄ちゃん」

「……ああ、また」

 二人が何を話しているか天宮には分からない。ただ、まるで喧嘩をしているようだと思った。
 それに対して天宮は何も出来なかった。さっさと部屋を出て行く尊。桜も、さっきまでの態度はなんだったのかと思うくらいに、天宮の存在を無視している。
 天宮に出来たのは、無言で尊の後を追うことだけ。最後は後味の悪い結果となってしまった。

 

◇◇◇

 気まずい雰囲気で桜と別れた尊と天宮。その気まずさは帰路も続いている。前回は上機嫌だった尊だが、今回はムスッとした表情で黙り込んだまま。それを見ている天宮も不安そうな顔だ。

「……あの、ごめんなさい」

 沈黙を破ったのは天宮。尊に向かって、謝罪の言葉を述べる。

「えっ? 何が?」

 それに尊は驚いている。天宮に謝罪されるようなことをされた覚えがないのだ。

「二人の時間を邪魔したこと。尊……じゃない。君、桜ちゃんとほとんど話が出来なかった」

「杏奈ちゃん、じゃない、天宮さんってホント面白いね」

 わざとらしく呼び方を間違えた振りをする尊。天宮が尊と呼びそうになったのをからかっているのだ。

「……ふざけないで。僕は反省しているの」

「ふざけてはいるけど、杏奈が反省する必要はない」

「もう止めて」

「ちょっとしつこいか。でも反省する必要がないといったのは本心。桜は楽しそうだった。それで僕は満足」

「本当?」

 尊はそう言うが、それが本当であれば何故、不機嫌な表情を見せているのか。天宮はそれが気になる。

「本当。桜は貴女を、かなり気に入ったみたいだ」

「それは良かった、かな?」

 どこを気に入られたのかは、かなり気になるが嫌われるよりはマシだと思うことにした。

「でも、今日が最後。桜とはもう会わないほうが良い」

「……どうして?」

「桜が貴女を気に入るのは問題ない。でも貴女は、桜に情を移さないほうが良い」

「……桜ちゃんに何があるの?」

 嫌がらせとは思えない。自分が桜と親しくしてはいけない事情があるのだ。天宮は尊の言葉をそう受け取った。

「それを話せると思う?」

「……そうね」

 二人は本部に戻る途中。乗っている装甲車の中には、葛城陸将補も護衛の兵士もいる。他の人に聞かせられる内容ではないことは、聞かなくても分かる。

「少し疲れた。新鮮な空気が吸いたいな。悪いが車を止めてもらえるか?」

 二人が会話を止めたところで、葛城陸将補が装甲車を止めるように兵士に指示を出した。新鮮な空気が吸いたいなど、嘘であることは明らかだ。それでも兵士は指示に従わざるを得ない。
 装甲車が路肩に止まる。それを確認したところで、葛城陸将補は自ら扉を開けて、外に出た。天宮もそれに続き、尊は少し間を空けたが、結局は外に出てきた。

「……ふむ。意外と悪くない。普段吸っている空気がどれだけ汚れているか良く分かるな」

 大きく伸びをした葛城陸将補の感想がこれだ。口実に使った新鮮な空気。本当に気持ち良かったのだ。

「気温の問題だと思いますけど」

 否定的な意見を口にする天宮。確かに都会の空気は、ここよりもずっと汚れているかもしれない。だが、今初めて樹海の空気を吸ったわけではないのだ。

「……まあ、そうかもしれない。だが何が理由であっても、気持ちがすっきりするのは確かだ。君たちはどうだ?」

「装甲車の外に出たからって、話すつもりはありません」

 遠回しに話す葛城陸将補に、尊は直球で答えた。

「そんなことを言うな。一人で抱えていられることには限界がある。大した力のない私だが、それでも何か出来ることはあるかもしれない」

「そうじゃなくて」

「私が信じられないか」

「信用しているとは言いません。でも、それだけが話せない理由ではありません。皆、事の重大さを分かっていない。分かるはずがないけど」

「……そうか。そういえば、誰かに口止めされているなんて話があったな。だが、ここは信用してもらいたい。ここで聞いた話は決して口外しない。約束する」

 立花分隊指揮官が口止めの可能性を指摘していた。それを葛城陸将補は思い出した。ただ結局は、自分が信用されていないということ。そう思ったのだが。

「どこで話しても同じです」

「……もう少し装甲車から離れるか?」

「そういう問題じゃないです。それと、これ以上、これについて話すつもりもありません。どこで引っかかるか分からないから」

「……それは……いや、話せないのか」

 尊が受けている制約は、自分たちの想像以上のもの。それだけは葛城陸将補にも分かった。

「だから僕が一人でやるしかない。心配してくれたのは分かるから、それには御礼を言います。ありがとうございます」

「……君が何をしようとしているかは聞けないだろう。だが、これはどうかな? 上手くいかなかったら、どうなる? いや、これも無理か」

 失敗した時の結果を聞けば、尊が何をしようとしているか分かる。それでは答えなどもらえないと葛城陸将補は途中で気が付いた。

「無理というより、僕にも分かりません。分かるのは僕か桜。どちらかが死ななければならないということだけ」

「そんな!?」

 尊の答えに天宮が驚きの声をあげる。どうしてそういうことになるのかは、まったく分からない。だが兄妹のどちらかが亡くなるなんてことは受け入れられない。

「……これ以上は止めておきます。これでも少し話しすぎたくらいです」

「僕に出来ることは何もないの?」

「前から言っている。貴女に求めるのは強くなることです」

「……そうだったね」

 強くなれという尊の言葉。それは自分が思っていたのとは違う意味を持っていたのかもしれない。その可能性を天宮は知った。どういう意味かは聞けない。自分が考えているようなことであれば、話せないだろうと思う。
 聞く必要もない。自分は強くなれば良いのだ。ただそれだけなのだ。これが正しいことは、自分の友が教えてくれている。自分の内に住む、今はまだ友というには早いかもしれない存在が。