翌日、何の先触れもないままにゼクソン国王は採掘場にやってきた。
それなりに豪奢な馬車を囲む騎馬がわずかに十騎。一国の王としては身軽な移動だろう。それを確認しながらも、グレンはいつまでも視線をそれに向けることなく、自分の仕事に取り掛かった。
グレンの今日の仕事は砕いた鉄鉱石を炉場まで運ぶ役目だ。比較的楽な仕事の部類と言って良い。組の中でも、こうやって仕事の分担を変えることで、体を休める日を作る様に取り決めているのだ。
仕事に集中していたグレンだったが、その集中を破るざわめきが近づいてきた。
青いドレスを身にまとった、ゼクソン国王と同じ灰色がかった金髪の女性が、一人の騎士に連れられて近づいて来ていた。騎士はグレンが一度会ったことがあるハインツだ。
近くでその姿を見たグレンは驚いた。瞳の色も同じ翠色、それだけではなく、顔の造りまでそっくりだ。違いと言えば腰まで伸びた長い髪と、柔らかな笑みを浮かべた表情くらい。
驚きを隠せないでいるグレンの目の前までくると、その女性は優雅にお辞儀をして、口を開いた。
「ウェヌス王国のグレン殿ですわね?」
「はい」
「初めまして。私はヴィクトリアと申します。ゼクソン国王の双子の妹です」
「ああ、貴女が」
ゼクソン国王に双子の妹がいることをグレンは知っていた。メアリー王女に聞いていたのだ。
「私のことをご存知でしたの?」
「ウェヌス王国にいた時に、ゼクソン国王には双子の妹君がいらっしゃるとお聞きしました」
「そう。少しお話をしたいのですけど、よろしいかしら?」
「……それにお答えする自由は自分にはございません」
グレンの心の中に警戒心が浮かんでくる。こういった展開はあまり良い結果にならないと思っているからだ。
「兄には来る前に許可は得ております」
「来る前に?」
「急な用事で兄は来られなくなってしまったのです。それで私が代わりに」
「そうですか。まあゼクソン国王の許可がなくても王妹であられる貴女様のご命令ですから、問題はないのでしょう」
「命令などと。これはお願いですわ」
双子といってもゼクソン国王とは随分性格が違うように見える。常に苛立っている印象のゼクソン国王とは異なり、妹であるヴィクトリアの表情には微笑みがずっと浮かんでいる。ゼクソン国王とは一度しか会ったことがなく、苛立っていたのもグレンの挑発のせいなので、この評価が正解とは言い切れないが。
「……いずれにしろ問題はないかと。お話というのは?」
「この採掘場のあり方を変えたのはグレン殿だとお聞きしました」
「私が変えたのではなく監督官の方々が為されたことです」
「それでも元は貴方が考えられた」
「少しだけ話をさせて頂いただけです。それを取り上げ、形にされたのはやはり監督官の方々です」
「謙虚ですわね?」
「事実ですから」
謙虚なわけではない。これを理由に変なことに巻き込まれるのがグレンは嫌なのだ。
「……ウェヌス王国はこういった点でも優れた制度を持っているのですね?」
「どういうことでしょうか?」
「ウェヌス王国では、この様な仕事の進め方をしているのではないのですか?」
ヴィクトリアは勘違いしている。さすがにグレンも採掘場での仕事のやり方など学んだことはなかった。
「存じあげません。ウェヌスの採掘場など見たことありませんから」
「……もしかして一から考えたの?」
「まさか。もともとの仕事のやり方を少し変えて頂いただけです」
「同じことはどこでも出来るのかしら?」
「それは分かりません。この場所は働く身としては良くなったと思っています。ですが他の場所ではもっと良い方法で行っているかもしれません」
「……そうね」
グレンは自分の成果を認めようとしない。それにヴィクトリアは戸惑っている。
「それに一つの場所でうまく行ったからといって、それが全てでうまく行くとは自分には思えません。それぞれ問題は別にあることも多いのではないかと思います」
「そうですわね」
「あの……仕事の進め方などの詳しい中身は監督官の方がご存じです。自分などよりも、余程良い話が聞けるのではないかと思います」
「……私と話をするのはお嫌ですか?」
わずかに目を伏せて、ヴィクトリアは悲しげな表情を見せた。だからといって、グレンにとってはどうということではない。興味を持つ相手以外には、この手の女性の仕草に全く反応を示さないのがグレンなのだ。
「嫌とかではなく、自分は王妹である貴女様と話をする立場ではございません」
「……そう。でも、この場合は私が望んでお話をさせて頂いているのですから」
「はい。ですから、こうして答えております」
「…………」
余りのグレンの無反応ぶりにヴィクトリアも言葉に詰まってしまう。それを見て、一緒に来たハインツも、少しハラハラした様子を見せている。
「お話は以上ですか?」
「いえ」
「まだ何か?」
「少し世間話などはいかがですか?」
「はい?」
「グレン殿には妹君がいらっしゃるのですね?」
戸惑うグレンに構わずにヴィクトリアは話を始めた。よりにもよってフローラについての話だ。
「はあ」
「とても大切にされていると聞きました」
「大切には出来ておりません」
「えっ?」
「自分は今、妹とは遠く離れてここにいますから」
フローラのこととなると、グレンは冷静さを欠くことがある。今もそうだ。言わなくても良い嫌味を口にしてしまった。
「……ごめんなさい」
「あっ、失礼しました。ちょっと言葉が過ぎました。妹のことで不満があると、ついキツイ調子になってしまうのです。お許し下さい」
「いえ……やはり大切に思われているのですね?」
「はい。たった二人の家族ですから。あっ、もう一人、家族のような人はいます。三人家族ですね」
グレンはローズも家族として話した。深い意味があってのことではない。一緒に暮らす間柄という程度の考えだ。
「ご両親は?」
「亡くなりました」
「ごめんなさい」
「いえ、そうやって謝られることに慣れたくらいに前の話です」
「御幾つの時に?」
「自分が十三、妹は十才です」
「そんなに早くに?」
「はい。でも貴女様も同じではありませんか? ご両親を病で亡くされたと聞いております」
「ええ」
ゼクソン王国の先王も早すぎる死を迎えている。現ゼクソン国王もヴィクトリアもまだ子供だった。
「立場は異なりますが、家族という意味では同じです。兄妹二人きりです」
「……ええ」
「変なことを申し上げてしまいましたか?」
「いえ。そうですわね。同じですね」
「ヴィクトリア殿下」
隣にいたハインツがヴィクトリアに声を掛けた。
「あっ、なるほど」
だが、それに反応して言葉を発したのはグレンだった。
「何か?」
「いえ、王妹の方はどういう敬称を使うのか分からなくて。殿下で良いのですね?」
「そうなるな。王女殿下でも良いのだが、我等は殿下とお呼びしている」
「そうですか。あっ、どうぞ」
「ああ。立ち話も何ですから、建物の中で話をされてはいかがですか?」
「はあ?」
騎士の提案にグレンが不満そうな声をあげる。
「……私はヴィクトリア殿下に話をしているのだが?」
「いや、自分でしたら妹が男と建物の中で二人きりなんて我慢出来ませんね。国王陛下もお怒りになるのではないですか?」
「誰が二人きりにすると言った。私は当然立ち会う」
「それもそうですね。しかし、そんなに話をすることがありますか?」
グレンの方はもうこれで終わりにして欲しいと思っているくらいだ。これ以上、まだ話すとなると、うんざりする。
「……ヴィクトリア殿下に色目を使わないことは褒めよう。だが、そこまで会話を拒否するような態度は無礼ではないか?」
「申し訳ありません。ただ、せっかくの視察なのですから、監督官の方々ともっとお話をされるべきだと思います。皆さんとても楽しみにしておられました。自分たちの仕事がきちんと成果を上げているという自負があるのです。それを褒めてあげるべきです」
謝罪の後に続いたのは諫言だ。これも無礼といえば無礼なのだが。
「……そうだな」
ハインツは文句を言わずに素直に非を認めた。
「本当は報償もと言いたいところですが国王陛下がいないのであれば仕方ないですか」
「報償? そこまでは陛下は考えておられないと思うが」
「そうなのですか? 彼らはちょっとした罪を犯して、ここに送られてきたと聞いております。罪に罰を与えるなら、功には賞をもって報いるべきだと思いますが」
「しかし……」
グレンの言い分は理解出来る。だがハインツはそれを決められる立場ではないのだ。
「そうですわね。兄には私から話をしてみますわ。それと監督官の方たちともお話をしてきます。それが終わった後で、お時間を頂けますか?」
口ごもったハインツの代わりにヴィクトリアが口を開いてきた。
「はい。お断りするわけにはいきませんから」
「おい。その言い方は」
「あっ、楽しみにお待ちしております」
ハインツに咎められて、グレンは慌てて言い直す。
「ふっ、グレン殿は面白い方ですわね」
そんなグレンを見て、ヴィクトリアは笑っている。
「そうですか? 失礼な男とはよく言われますが」
「そうね。そういうところもあるわね」
「……すみません」
「それも含めて面白い方よ。では後ほど」
「はい」
最後にまた優雅に一礼をするとヴィクトリアは、その場を離れて行った。
「何か変な感じ」
ヴィクトリアへのグレンの感想はこれだけだった。すぐにグレンはヴィクトリアのことなど頭から消し去って、仕事に没頭し始める。
◆◆◆
グレンがヴィクトリアに呼ばれたのは陽がかなり西に傾いた頃だった。
呼ばれた部屋は監督官が使う執務室。そうはいっても休憩所よりは、わずかにマシ程度な建物だ。
監督官の一人に手枷足枷を外してもらい、何度も何度も失礼が無いようにと念を押された後で、グレンは部屋に入った。
「お待たせして申し訳ありません」
そのグレンにヴィクトリアの方から声を掛けてきた。
「いえ、全然待って……いました」
ハインツの厳しい視線に慌ててグレンは言葉を変えた。その様子を見てヴィクトリアは笑みを浮かべている。
「不用心です」
「えっ?」
いきなり不用心だと言われて、ヴィクトリアは軽く驚いた。
「手枷足枷を外したことです。貴女様は王妹という立場なわけですから、もう少し用心するべきだと思います」
グレンは捕虜だ。悪意を持っていてもおかしくない。その本人であるグレンが忠告するのは、おかしな話だが。
「ハインツが守ってくれるわ」
「守れますか?」
「何だと?」
グレンの言葉にハインツは軽く怒気を発している。
「自分がハインツ殿よりも強かったらどうしますか? ハインツ殿が世界最強だというなら、自分の心配は無用ですが」
ハインツの睨むような視線など気にすることなく、グレンは言葉を続けた。
「それは……」
自ら世界最強を名乗れる性格ではハインツはないようだ。
「そうね。では貴方が守ってくれますか?」
ヴィクトリアが会話に戻ってきた。
「はい? どうして、その様なお話になるのですか?」
「グレン殿は相当にお強いとお聞きしました。それこそ、騎馬部隊の百や二百は御一人で倒してしまうくらいに」
「大分、誇張されています。自分にその様な力はありません」
誇張ではない。実際にグレンは退却戦で、アシュラムの騎馬隊相手に対して、それをやっている。
「そうだとしても強いことに変わりはないわよね?」
「そうだとしても自分はウェヌス王国の人間です」
「それへの拘りは持っていないと聞いたわ」
「……色々と聞かれているのですね?」
ヴィクトリアとは会うのも今日が初めてだ。そうであるのにグレンのことを随分と良く知っている。
「兄が話してくれました」
「では、自分が決して、この国に仕えないこともご存じのはずです」
「そこを曲げてお願いします。兄に仕えてください!」
ヴィクトリアはいきなり席を立つと、床に跪いてグレンに向かって深く頭を下げてきた。王族が行うような行動ではない。
「ちょっと!?」
唐突な行動に驚くグレン。
グレンが声を掛けてもヴィクトリアは頭を上げようとしない。まさか無理やり引き起こすわけにもいかず、グレンは後ろに立っているハインツに視線を向けた。
「止めてください。この様なことをされても自分は応えられません」
「……そこを何とか。私からも頼む」
そしてハインツまでがグレンに向かって、頭を下げてしまった。
「意味が分からない。どういうことですか? こんなことをされても追い込まれるのは自分の方です」
王妹にここまでさせて断っては、充分に罪に出来る。すでに罪人のようなものだが、死罪となっては困るのだ。
「仕えると。そう言ってください」
「言えません。例え、これにより罪に落とされることになっても自分にはそれは出来ません」
本音は死罪は困るのだが、これを言えば相手も、本心はともかく、死罪を交換条件のように利用してくる可能性があると思って、グレンは少し強がってみせた。
「そこを何とか!」
ヴィクトリアは諦めずに更に頭を下げてきた。グレンには、ヴィクトリアの行動の意味が全く理解出来ない。
「いい加減してください。理由もないのに人に頭を下げさせる趣味は自分にはありません。席についてください。そうでなければ、このまま部屋を出ます」
この状況はグレンにとって不利だ。そうであれば逃げだすのが一番だ。
「……どうしても?」
「どうしてもです」
「そうですか……」
これでようやくヴィクトリアは立ちあがって椅子に戻った。
「何でこの様な真似を? 自分には御二人がこんなことをする意味が分かりません」
「……貴方のことは色々と調べさせて頂きました」
「それで?」
「アシュラムとの戦いだけではありません。ウェヌス王国にいた時のこともです」
「……そこまで?」
ゼクソン王国に、そこまでの調査能力があるとはグレンは思っていなかった。
「トルーマン元帥の秘蔵っ子と呼ばれ、様々な助言をしていたと聞きました」
「それも誇張されています」
「トリプルテンと呼ばれていた落ちこぼれ部隊を精鋭に変え、さらにそれが所属する中隊も精鋭に変えたと」
「……それは自分ではなく、後任の人が行ったことです」
本当に、それもかなり詳しく調べてある。だが、それを認めるつもりはグレンにはない。
「惚けないでください! ちゃんと調べたのです!」
「どうやって? 国軍の一中隊のことをどうやって調べられたのですか?」
「銀鷹傭兵団の情報です」
ヴィクトリアは情報源を明かしてきた。グレンも納得の相手だ。
「あのくそ親父……」
情報元としては納得しても、情報を流したことにグレンは納得出来ない。
「一つ伺って宜しいですか?」
「……何でしょうか?」
「銀鷹傭兵団は何故、貴方に拘るのですか? 未だに彼らは貴方を引き渡せと言ってきています」
「……銀鷹傭兵団の前団長は自分の父親だそうです。恐らくそのせいでしょう」
ゼクソン王国では特に隠すことでもないとグレンは事実を話した。ゼクソン王国が銀鷹傭兵団と近い関係にあるなら、いずれはバレるという考えもある。
「貴方が?」
「そのようです」
「では、貴方は何故、彼らと行動を共にしないのですか?」
「何故、それをしなければならないのですか? 父親が団長だったからと言って自分も傭兵団に入らなければいけない義務はありません」
「そうですけど……」
「それに自分はその傭兵団を信用していません。確かに親を亡くした後、それとなく支援はしてくれていたようです。王都まで無事に着けたのも、住む場所を見つけられたのも、その手助けのおかげです。でも、それだけです」
「それは……」
これを聞くだけでは、十分に世話になったようにヴィクトリアには思えた。だがここまでの話はグレンの苦労の始まりの部分に過ぎない。
「働く場所もない。これから何をすれば良いかも分からない。危険な、ヤバい仕事に手を染めたこともありました。今でこそ思い出話として語れる……語れませんね。そんな状況に追い詰められていた俺達に彼らは何もしてくれませんでした。まだそれは良い。彼らにも助ける義務があるわけではありません。でも、彼らは俺に近付いてきた。ちょっと俺が力を持っていると分かった途端に、手の平を返すようにすり寄って来たのです」
「…………」
グレンの能力を知って、すり寄ってきたのはヴィクトリアも同じだ。
「そんな輩を信用出来ますか? 自分が役に立たないと思えば、彼らは俺を捨てますよ。そして貴方たちも同じです。ウェヌス王国で自分が少し認められるような存在だったから、その力を利用しようとしているだけです。違いますか?」
「……私は、それこそ平身低頭して貴方を」
「はい。自分を仕えさせる為です。貴女は目的の為なら大抵のことが出来る方だ。違いますか?」
「……どういうことでしょうか? 私には貴方が言っている意味が分かりませんわ」
グレンの言葉にヴィクトリアは戸惑った様子を見せている。
「正直自分にもよく分かりません。でも、何となく違和感があるのです。貴女はご自身を客観的に見ておられる。何かをする度に、それがどう周りから見えるのか意識している……やっぱり、よく分かりません」
「…………」
続くグレンの言葉にヴィクトリアは軽く目を見開いて固まってしまった。
「目的がどうかなどは関係ありません。自分は家族がいる限り、ウェヌス王国に敵対する側に立つことはありません。何度も言いますが、それで自分の命を失くすことになるとしてもです」
はっきりとグレンは臣下になることを拒否する。こういう面倒事はこれで終わりにしたいのだ。
「……そうですか。分かりましたわ」
「ご理解いただいて良かったです」
「今日のところは大人しく引き上げます」
「はい?」
グレンにとって残念なことにヴィクトリアはまだ諦めていなかった。
「兄には信頼できる臣下が必要なのです」
「貴方の後ろに一人いますが?」
ハインツはグレンが謁見した時に隣にいた騎士だ。その時の様子で、ゼクソン国王と近い関係にあるのだとグレンは思っていた。
「……それでは足りないのです」
「では自国から登用するべきです。いえ、他国でもかまいませんが。国王陛下が信頼できるのであれば」
「そんな方はそうそういませんわ」
「信用しようとしないからでは?」
「…………」
「すみません。また口が滑りました。知らない方のことを批評するのは、それが王でなくても僭越ですね」
「……そうですわね」
「これ以上は無礼を重ねるだけかと思います。これで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……ええ。結構です」
「では失礼いたします」
ウェヌス流の騎士の礼をして、グレンは部屋を出て行った。そのすぐ後に、監督官がグレンを怒鳴りつける声が聞こえてくる。中の騒ぎを聞いて、無礼があったに違いないと思ったのだろう。実際にかなり無礼はあったのだ。
「ねえ、ハインツ」
「何でしょうか?」
「あの方は私に何を見たのかしら?」
「それは……分かりません」
「……そうよね」
これでゼクソンへの仕官話は決着。そうでなくても、何度求められても仕官などするはずがない……はずだった。
その日が来るまでは――
仕事の時間が終わり、いつもの様に休憩所で寝転がっていたグレン。まさに眠りに落ちようとしたという、その時に、休憩所が一気に騒がしくなった。
眠りを妨げられた苛立ちに、上半身を起こして雑音がする方を睨んだグレンの目に映ったのは、場違いな服装をした金髪の不機嫌そうな顔をした美男子だった。
「休憩時間ですけど?」
「一国の王に向かって、最初の一言がそれか?」
「……ああ、忘れていました。それで……ていうか、何をしているのですか?」
寝ぼけていた頭が覚めたグレンは、慌てて、その場に立ちあがった。
「お前に話がある」
「それはなんとなく分かりますけど」
「俺に仕えろ」
ゼクソン国王の口から出てきたのはグレンがうんざりする言葉だった。
「……また、それですか? 先日、妹君であるヴィクトリア殿下にもはっきりと申し上げたつもりですけど?」
「それは知っている。だが、それでも俺に仕えろ」
「お断りいたします。理由の説明も不要だと思います」
「……その理由がなくなったとしたら?」
ゼクソン国王がただしつこく勧誘に来たわけではなかった。わざわざ、ここを訪れる理由があったのだ。
「どういう意味でしょうか?」
「それは……」
ゼクソン国王の眉がより一層しかめられる。だが、今の仕草は普段の不機嫌さを表すそれではない。なんとなく悩ましげな雰囲気を漂わせていた。
「……何かありましたか?」
「お前の妹だが……」
「妹が何か?」
「お前の妹は……亡くなった」
絞り出すように最後の言葉を口に出すゼクソン国王。その言葉にグレンの目が大きく見開かれた。
「……嘘だ」
そしてグレンも又、かすれるような声で、この一言を絞り出した。
「嘘ではない。事実だ」
「嘘だ! そんなことがあるはずがない!」
「嘘ではない! ちゃんと確かめた結果だ!」
「どうやって!?」
「分かるだろう? 銀鷹傭兵団からの情報だ」
「であれば信用出来ない。自分をウェヌスから引き離す為の策である可能性が高い」
銀鷹傭兵団からの情報と聞いて、グレンの気持ちは少し落ち着いた。偽情報である可能性が高いと考えたからだ。
「……裏付けを取った」
だが、ゼクソン国王はグレンの思いを否定する言葉を口にした。
「何だって?」
「こんな大事な情報をこちらだって鵜呑みに出来るわけがない。ちゃんと王都に忍ばせている密偵に調べさせた」
「……それで?」
「お前の妹は勇者親衛隊に攫われたそうだ」
「何だと?」
勇者親衛隊の名が出てきた。あのロクデナシ集団であれば、そうであって欲しくはないが、やりかねないことだとグレンは思った。
「身寄りを失った妹の保護。そういう名目だったようだ」
「ローズは? ローズがそんな真似を許すはずがない」
「一緒にいた女のことか? それであれば懸命に止めようとしたようだ。だが騎士に乱暴を受けて」
「なっ……」
さらにグレンに衝撃を与える言葉がゼクソン国王の口から紡がれる。
「何度も酷く殴られて、それで抵抗が出来なくなって。それで……止めることが出来ずに」
「ローズ……しかし何故そこまで詳しいことが分かる?」
胸の中は怒りと悲しみが入り混じった、何だかわからない複雑な感情が渦巻いているのだが、それでもグレンの思考は止まっていなかった。
「疑り深いな」
「当然の対応だ」
「付近で聞き込みをしたらすぐに分かった。慕われていたようだな。誰も彼も怒りを隠せない様子で話してくれたそうだ」
「……それで、妹は?」
話にどんどん信憑性が出てくる。グレンにとっては辛い状況だ。
「しばらく経って、勇者と女が二人で、ウェヌス王都にある墓地を訪れたようだ。その墓石も確かめた。フローラ・タカソン。そう刻まれていたそうだ。お前の妹の名だな?」
「……そうだ」
グレンの肩ががっくりと落ちる。タカソンの姓。それを銀鷹傭兵団が知っていた可能性は低い。グレンがとっさに考えた偽名なのだ。情報に真実味が増した。これはグレンにとって悲劇でしかない。
「亡くなった経緯までは分からない。だが城に連れて行かれて、しばらく経って人知れずに埋葬だ。城で何かがあったのだと思う」
「だろうな……しかし」
「俺に仕えろ。もうお前を縛るものはなくなった」
「ふざけた事を言うな! フローラは俺を縛る枷じゃない!」
両腕を拘束する手枷を突き出して、グレンは怒鳴り声をあげた。相手が国王であることなど、完全に意識から飛んでいる。
「……すまない。言い方が悪かった」
それに対してゼクソン国王は素直に謝罪を口にした。相手を気遣う側面も持っているようだ。
「そんな馬鹿な。そんなことがあるはずがない。フローラがいなくなったら……俺はどうやって生きていけば良いのだ……」
フローラを守ることが全て。ずっとこう思って、これを支えにグレンは生きてきた。それを失ってしまった。守ると誓った人を守れなかった。
「……不幸に付け入るようで悪いが、俺に仕えて欲しい」
「…………」
「俺に仕えれば、もっと詳しい情報を調べ上げてやる」
「……その必要はない」
「何だと?」
グレンの口から出てきたのはゼクソン国王にとって意外な言葉だった。グレンにとって何よりも大切なはずのフローラの情報を求めないとは思っていなかった。
ただこれはゼクソン国王の勘違いだ。
「俺が自分で調べる。それとも城内の出来事まで調べることが出来るのか?」
「それは……しかし、お前だって」
「伝手を当たってみる。完全には無理かもしれないが、ある程度のところまでは調べられるはずだ。だから……俺をウェヌスの王都に行かせろ」
「……何だって?」
グレンの口から出てきたのは捕虜の身としては非常識な要求だ。ゼクソン国王は怒るよりも耳を疑ってしまった。
「調べた結果、真実と分かったら手伝ってやろう」
「手伝いだと?」
「ウェヌスを滅ぼせば良いのだろ? 仕えようが仕えまいが、それをすれば良いのだろ?」
「お前……」
グレンの体から吹き上がる気。怒気であるのか、覇気であるのか、とにかくゼクソン国王はそれに圧倒された。
「ウェヌス王国がフローラの仇であるなら、俺はウェヌスを滅ぼそう。別にこの国で仕える必要もない。必ず俺はそれをする」
「……戻ってきてくれるのだろうな?」
「それは約束する。問題はこの国がウェヌスを滅ぼすのに利用出来るだけの力があるかだな」
「……ふざけたことを。良いだろう。出国を許可する。その目でその耳で真実を確かめて来い」
ゼクソン国王があっさりと出国を許可した理由。それがヴィクトリア殿下に告げた信用しなければ信頼できる臣下を得られないという言葉のおかげだとグレンは分かっていない。
「ああ……確かめるのは恐いが」
「それをしなければ、お前はこの先の人生を歩めない」
「……へえ。良いことを言うな」
フローラの死が真実であるかどうか。それによってグレンの未来は変わってくる。ゼクソン国王の言葉はグレンの胸に素直に入ってきた。
「お前、さっきから忘れているようだが、俺はこの国の王だぞ」
ゼクソン国王の指摘の通り、グレンは完全に忘れていた。言葉遣いが国王に対するそれではなくなっている。
「……忘れていた。では国王陛下。すぐに出立したいのですが?」
「ああ、行ってこい」
実際にグレンがウェヌスに向かったのはそれから数日後のことだ。旅の支度を整え、国境を越える段取りを整えるには、それなりに時間が必要だったのだ。
やがて大陸はグレンを中心に回ることになる。この日がその始まり。英雄は英雄としての道を歩み始めた。