花の騎士団の行軍はかなりその様相を変えている。隊列を整えて進むのではなく。バラバラに走っているのだ。移動中も兵士を鍛えようというクラーラの提案を、エカードはこういう形で実現していた。
これにより行軍速度は大いに速まった、とはならない。永遠に走り続けていられるわけではない。大いに消耗した体力を回復する為に、歩いて行軍していた時以上の休憩時間が必要となる。エカードは一時、逆に行軍速度が落ちることを覚悟の上でそれを行わせている。
たださすがに実戦を経験した兵士たちだ。エカードが思っていたよりもずっと体力はあった。魔人軍との戦闘中に休憩なんてとれない。それを行えば永遠に人生を休ませられることになる。死にたくなければ戦い続けるしかない。それに耐えてきた兵士たちなのだから。
「思っていたよりも順調だな」
行軍は当初想定していたほどには遅れていない。エカードにとっては嬉しい誤算だ。
「もう少し体力が付いて、行軍の足が速まったら鍛錬を追加しましょう」
余裕が出来たのであれば、さらなる鍛錬を。クラーラはそう考えている。それがジグルスのやり方だったのだ。
「どのような鍛錬にする?」
「そうですね……動き回るのは難しいでしょうから上半身を鍛えましょう。長い棒を振るのとかはどうですか?」
走り込みの直後では足は限界に来ている。足を使わない鍛錬をクラーラは提案した。これも学院時代にリーゼロッテのチームが行っていたことだ。魔法担当のクラーラ自身は行っていないが。
「長い棒……用意するのが大変だな」
「あっ、そうですね……じゃあ、本物の槍を振れば良いじゃないですか。槍での戦いを想定した鍛錬ですから」
「そうだな。そうしよう」
クラーラの提案はリーゼロッテのチームが行っていたものを基にしている。それはジグルスが考えたものであるはずだ。それを拒否する気にはエカードはなれない。
「あとは……集団行動ですね。これはどうしましょう? ウッドくん、何か考えはある?」
「えっ? 僕?」
いきなり話を振られたウッドストックは動揺している。考えなどないのだ。
「だってウッドくんは前衛の人たちと一緒に練習していたじゃない。その時のことを思い出して」
「ええ……」
クラーラの言う通り、ウッドストックは前衛チームとして練習していた。後衛であったクラーラよりは詳しいはずだ。だがいきなり言われてもどうすれば良いかなど分からない。
「なんでも良いから」
「……連携かな。とにかく連携を気にしていた」
「連携。それは具体的にどういうものだ?」
連携の具体的な内容を尋ねるエカード。
「それは……」
それに対してウッドストックは固まってしまった。
「……そろそろ慣れてもらえないか? 話しかけるたびに、そんな風に緊張されては」
ジグルスはエカードに話しかけられると今も緊張してしまう。エカードに限ってのことではなく、この中で緊張することなく話せるのはクラーラくらいなのだ。
「あっ、いえ……今はそういうことではなくて……」
「ではどういうことだ?」
「……良く思い出せなくて。連携という言葉を訓練の中で何度も使っていたのは覚えています。でも具体的にどういう説明だったかが……」
「……そうか」
学院時代のジグルスについてのある時期の記憶は皆の頭から消えている。それをエカードは忘れていた。
「誰が言っていたかはどうでも良いの。ウッドくんはどういうことに気をつけていたの?」
クラーラは記憶が閉ざされていても思考するこつを得ている。ジグルスのことを思いだそうとする必要はない。誰がではなくその時にあった事実を思い出すようにすることで、多くのことが思い出せるのだ。ジグルスという検索ワードを使わずに、目的の情報を探す感じだ。
「……周囲の人の動きを気に掛け、それに合わせること。あとは……距離。周りとの距離に気をつけること」
ウッドストックが気をつけていたのはポジショニング。実際のウッドストックの位置は中盤だった。前衛や後衛、それだけでなく敵との距離も意識して、自分の位置を変えることをジグルスに言われていたのだ。
だからといって役に立たないわけではない。
「……部隊ごとの動きかな? 中隊の連携はとても真似出来るものではなかった」
位置関係の意識は個人だけではなく、隊にも当てはめられている。小隊、中隊がそれぞれ他の隊との連携をとる上で意識されているのだ。ただ特別遊撃隊の動きは距離だけを意識して真似られるものではない。一つの要素に過ぎないのだ。
「あれは……指揮官の能力もあると思います」
クラーラがやや遠慮がちにそれを指摘してきた。クラーラは戦場でのジグルスたちの鍛錬の様子を少し知っている。気になって何度か見学に行っていたのだ。
「指揮官……ジグルスだけの力ではないと?」
「はい。ただ……これは断言出来ませんが、やっぱり頭はジグルスさんだと思います。手足である彼等は頭が考えていることを実現しているのではないかと」
クラーラが断言出来ないのは、常にジグルスが命令を発しているわけではないのを知っているから。中隊指揮官はジグルスの命令が出ていないと思われる状況でも、たまに驚く動きを見せていたのだ。
「……しかし戦場で、しかもあの森の中では」
エカードも戦場での特別遊撃隊の動きは当然見ている。いちいちジグルスの命令を待っていて出来る動きではなかった。そもそも混戦の中で命令を届ける方法がない。
「ですから……これも断言は出来ないのですけど」
それでもクラーラにはジグルスが頭だと思う理由がある。それは戦場では分からないことだ。
「良い。教えてくれ」
「ジグルスさんが何を考えているか指揮官の人たちは分かっているのではないかと……」
「……すまん。意味が分からない」
相手の考えが、言葉を使わなくても分かる。それは超能力だ。ただテレパシーを使っているわけではないが、ジグルスたちはそれを、完璧だとは考えていないが、実現している。
「ずっと戦術について話しているのを一度だけ見ました。色々な想定を置いて、その中でどう動くのかを話し合うのです」
「それは俺たちもやっている」
「はい。でもジグルスさんたちのそれは、一から戦術を考えている感じではないのです。ジグルスさんの頭の中にはこうするというものがあって、それを他の人たちが当てるようなやり方をしていました」
「……当たるのか?」
ジグルスの能力はエカードも認めている。敵わない部分があることも。そのジグルスと他の指揮官が同じ考えに辿り着けるとしたら。エカードには信じられない。
「かなりの確率で当たります」
「そんな……」
中隊指揮官たちはエカードも知った顔だ。だが顔を知っているというだけの相手。その能力を評価したことは一度もなかった。
「ああいう人たちを育てなくては、いえ、私たちがならなくてはですね?」
クラーラも含めて、この場にいる学院時代からの仲間は皆、部隊を持っている。花の騎士団を編成するにあたってそういう形にしたのだ。身内を贔屓した、とまでは言えない。エカードを将として仰ぐことに内心では納得していない騎士は多かった。それはそうだろう。見習い騎士でもおかしくない年齢、そして入団年数のエカードがいきなり頂点に立つのだ。
そういった騎士たちを指揮官から外してラードルフ総指揮官の軍に移し、信頼出来る仲間たちと入れ替えたのだ。外された側にとっても望むところ。問題は生じていない。
「そうだな……」
問題は生じていないが不安は感じている。一騎当千の彼等ではあるが将としての経験はない。これからそれを学ぶことになるのだ。
しかもすでに将失格ではないかとエカードが思う人物もいる。
「着いたぁー! ああ、疲れた! じゃあ、休憩ね!」
他の部隊から大きく遅れていたユリアーナの部隊がようやく追いついてきた。それを知らせる彼女自身の声だ。
「……あの……彼女は……その、一騎士として活躍してもらうほうが彼女自身にとっても良いと思います」
遠慮がちではあるが、クラーラが言っているのはユリアーナを降格させろという厳しい意見だ。
「……そうだな。考えておく」
それについてはエカードも同じ考え。クラーラはエカードが言いにくいことを代弁してくれたようなものだ。他の人たちもユリアーナの降格に異議を唱えようとしない。外されるユリアーナ以外の指揮官全てが同意したとなれば、これは決定事項だ。
だがこの場にいる全員が同意しているわけではない。
「……考えることは他にもあるのではないか?」
ただ一人、カロリーネ王女が異議を唱えてきた。
「考えること、ですか?」
「何故、彼女の部隊だけが遅れるのかだ」
「それは彼女が……」
ユリアーナの責任。ただカロリーネ王女の雰囲気がそれを口に出すことを許さない。彼女がエカードたちの考えに否定的なのは明らかだ。
「王国騎士団で同じ鍛錬を行ってきて、同じ戦場で同じような実戦を経験した兵士たちが、ユリアーナが指揮官になった途端に落ちこぼれになったと?」
「…………」
カロリーネ王女の言葉にエカードは反論出来ない。
「お主等は何を見ているのだ? なるほどな。ジークが言っていたことが少し理解出来た」
エカードたちはユリアーナを見ようとしていない。彼女はこの中で孤立しているのだ。ユリアーナ本人にも問題はある。それはカロリーネ王女にも分かっているが、ジグルスが言っていた通り、気分の良いものではない。
孤立しているという点ではカロリーネ王女も似たようなもの。ただ彼女の場合は自らそれを望んでのことなので、何とも思っていない。今もこの場にいるのが嫌になっている。
「……妾も魔人との戦いには勝ちたいのでな。これは教えておく。さっきの指揮官たちの話だ。お主等は少し思い違いをしている」
「……王女殿下は、ご存じなのですか? そうであればもっと詳しく教えて下さい」
ユリアーナのことでは何も言えなかったエカードだが、軍を鍛えること、それもジグルスに関わることとなれば黙ったままではいられない。
「言われなくてもそうする。そこの彼女が見た戦術の打ち合わせだが、彼等はそれを学院時代から行っている。ジークの意見が通ることが多かったが、他の者たちもただの手足ではない。考える頭を持っている」
「……はい」
無意識のうちに特別遊撃隊の指揮官たちを見下していた。カロリーネ王女にはそう受け取られたことにエカードは気が付いた。カロリーネ王女が本当に文句を言いたい相手はクラーラだが。
「ただ彼等はジークと同じように戦術を考えられるわけではない。彼等はお互いを良く知っているだけだ」
「……お互いを知っている、ですか?」
「分からないか……そうであろうな。ジークも含めて彼等は相手であればどう動くかが分かるのだ。相手が分かってくれると信じられるのだ。学院時代からずっと同じ時を過ごし、何度も何度も話し合いを重ねて、今の彼等があるのだ」
「…………」
ジグルスたちが過ごしてきた時の重さ。時間だけであればエカードたちも負けていないはずなのだ。だが重みの違いをエカードは感じてしまう。だがエカードはまだ分かっていない。カロリーネ王女が言いたいのはそれではない。
「お主等に同じことが出来ると思っているのか? 妾が言っているのは時間の問題ではない。仲間のことを見ようとしないお主等に、信じる前に疑うお主等に同じことが出来るはずがない。妾はそう思う」
「…………」
カロリーネ王女が言いたかったことはこれ。全てを言い切ったところでカロリーネ王女は場を外そうと動き出す。今の彼等とは一緒にいたくないのだ。
振り返って歩き出したカロリーネ王女。その先には、呆然と立ち尽くしているユリアーナがいた。
「……勘違いするな。妾はまだお主を信じていない。ただ……ジークがちゃんと見てやれと言うのでな。友人の頼みを聞いてやっているだけだ」
「彼が……」
「ジークがいなくても妾がお主を見ている。良くも悪くもな。それを忘れるでない」
「……分かったわ」
言葉通りの意味なのだろうとユリアーナは思った。決して好意的なだけではない目で、カロリーネ王女は自分を見るのだと。それをあえて本人に言う意味も理解した。怠け者の自分にはそういう存在が必要なのだ。その必要な存在にカロリーネ王女はなってくれようとしているのだと。
◆◆◆
主人公が歩む物語に好転の兆しが生まれたその裏で、それから外れた物語はまさかの展開を迎えていた。ちょうど表裏であるかのように最悪の事態が襲っていたのだ。
ただまさかと思うのはそれに関わっている人だけ。物語はそのものは予定通りに進んでいる。
「どういうことだ!?」
「それはこっちの台詞だ! 何故、まだこんなところにいる!?」
ジグルスの問いに逆ギレしているのはアルウィン。逆ギレというのは正しくない。アルウィンにはきちんと怒る理由がある。ジグルスがアルウィンに怒りを向けたのが間違いなのだ。
「本当なのか? 本当にリリエンベルク公国に魔人軍が現れたのか?」
「驚くことじゃないだろ? いつか攻めてくるのは最初から分かっていた」
「それは分かっていた。分かっていたけど……」
ジグルスの視線が一緒にアルウィンの報告を聞いているラードルフ総指揮官に向く。その視線を受けたラードルフ総指揮官の顔は真っ青だ。
「どういうことかしら?」
言葉にしてラードルフ総指揮官に事情を尋ねたのはリーゼロッテだ。
「……分からない。嘘ではない! 本当に分からない! そんな情報は私にも届いていない!」
王国騎士団西部方面軍の所有していた飛竜を使って、リリエンベルク公国の状況を確かめさせていた。それから結構な時が経っているが、これまで侵攻の情報は届いていなかったのだ。
「……戻ってこないことを怪しむべきでした」
問題ないという情報も届いていない。それを疑問に思うべきだったとジグルスは後悔している。
「そうね……それでどんな状況なのかしら?」
「俺が発った時点では一次防衛戦は突破されて、魔人軍はシュバルツリーリエに向かって進軍していると聞きました」
「……シュバルツリーリエに。誘導ではないわね」
シュバルツリーリエはリリエンベルク公国の中心都市。そこを落とされるのは公国が落とされるのと同じだ。リリエンベルク公国は魔人軍の手に落ちることになる。
「……戻ります」
「えっ?」
「詳しい状況は現地に行かなくては分かりません。俺がリリエンベルク公国に戻ります」
「ジーク……」
偵察は自分をこの場に残す為の口実。リーゼロッテにはすぐに分かる。そして自分をリリエンベルク公国に近づかせないのは、それだけ危険な状況だとジグルスが考えているからだとも。
「戻ってこいという命令が届いておりません。部隊は残るべきです。当然、指揮官であるリーゼロッテ様も」
「ジーク!」
「公爵様はきっとそれを望んでいます! お父上も!」
「そうだとしても……」
アルウィンがここまで来られたのだ。帰還命令が届いていないのは、それが祖父であるリリエンベルク公爵の意思なのだろうとリーゼロッテも思う。だがジグルスだけを送り出すということは受け入れられない。
「ここでの戦いもまだ終わっていません。まさか本国からの命令もないのに戦場を放棄するつもりではありませんよね?」
「…………」
ジグルスはリーゼロッテの弱点を良く知っている。責任感を刺激すること。それも近い相手ではなく、他者に対する責任感だ。親しい間柄でないからこそ、リーゼロッテは我が儘を言えなくなってしまうのだ。
「……ジグルス。我々はそんなことは気にしない」
その責任を感じさせる一人であるタバートが、リーゼロッテに味方しようとした。
「あくまでも偵察です。状況を、公爵様の意思も含めてですね、確認したら連絡します」
「……戻ってくるとは言わないのだな?」
「それは公爵様次第ですから」
「そうだとしても……」
「タバート様。貴方には貴方が負わなければならない責任があります。優先すべきはそれ。それをお忘れなく」
ラヴェンデル公国のことを第一に考えろ、ということではない。リーゼロッテの婚約者として、彼女の安全を第一に考えろとジグルスは言っているのだ。
「……分かった」
それはタバートにも伝わった。初めから理解はしていたのだ。ただジグルスに全てを負わせることに気持ちが納得していなかっただけだ。
リーゼロッテもまったく納得していない。それが分かっているジグルスは、仲間だけになる時間を作ることなく、この場からそのままリリエンベルク公国に向かって発った。時間が惜しいので飛竜を使っての移動だ。
――物語は大きな局面を迎えることになる。主人公の物語に沿った局面だ。リリエンベルク公爵家は滅びる。これはゲームストーリー通りの展開。だからこそジグルスは、リーゼロッテをリリエンベルク公国に帰すわけにはいかなかったのだ。