エカードが率いる六千の軍勢、花の騎士団=ブルーメンリッターは最短経路を選んでキルシュバオム公国に向かっている。ローゼンガルテン王国の西端近くから魔人軍が現れたというキルシュバオム公国、ローゼンガルテン王国領としても南西部にまっすぐ進む道を選んだのだ。
その点では西部方面軍から兵が割かれたのもそうおかしな話ではない。移動距離としてはローゼンガルテン王国中央の都から軍を発するよりも近いくらいなのだ。すでに戦っている最前線の軍の戦力を減らすという異常さは別にして。
ただ最短ルートを選んだにしても一、二週間で着く距離ではない。どれだけ急いでも一ヶ月を切ることはない。花の騎士団の足であればであって、これがリリエンベルク公国軍特別遊撃隊だとまた違うかもしれないが。
「どうして花の騎士団か?」
今は軍議の場。最初の頃こそ到着してからの戦略、戦術を語り合っていたのだが、ただ移動するだけの時間があまりに長すぎると、こんな雑談も始めるようになる。
「はい。なんか、他にもっとなかったのかなって」
エカードに質問したのはクラーラだ。彼女は花の騎士団という名称が気に入らないのだ。
「じやあ、薔薇と百合の騎士団にしましょう」
と発言したのはユリアーナ。何も考えていない発言ではない。ユリアーナの知識ではこの騎士団は『薔薇と百合の騎士団』という名称のはずなのだ。正しいものに改めようという考えからだ。
「それは出来ない」
だがユリアーナの提案はエカードにあっさりと却下された。
「どうして?」
また自分の話をまともに聞いてもらえない。そんな不満をもったユリアーナだが、これについては少し違う。却下する理由がエカードにはある。
「薔薇と百合はそれぞれ王国とリリエンベルク公国を象徴するものだ。王国騎士団の別名は薔薇の園騎士団、リリエンベルク公国軍は百合の丘騎士団だ」
王国軍、公国軍と区別をつけるのはローゼンガルテン王国としては望ましくない。すべてローゼンガルテン王国の軍という考えからつけられた名称だ。それがあまり使われていないのは逆の理由。公国側は公国軍、自分たちの軍だと主張したいからだ。
「キルシュバオム公国が桜花騎士団、ゾンネンブルーメが太陽花騎士団ね」
「知っていたのか?」
ユリアーナが他の公国の名称を知っていたことにエカードは驚いている。
「常識よ」
ユリアーナは常識として知っていたのではない。ゲーム知識だ。
「タイヨウカって何ですか?」
クラーラが太陽花の意味を尋ねてきた。彼女はそんな花の名を聞いたことがないのだ。
「ヒマワリのことだ」
「……どうして向日葵騎士団ではないのでしょう?」
何故、向日葵をわかりにくい太陽花としたのか。クラーラには理由が思い付かない。
「格好悪いからよ」
「「…………」」
ユリアーナの答えにクラーラは、エカードも呆れ顔だ。確かにユリアーナ個人の考えだが、意外と真実を突いていることが分かっていない。
「……ああ、もしかして最上級って意味ですか?」
「何が?」
いきなり話が飛んだようにしか思えないクラーラの質問の意味は、エカードには分からない。
「花の騎士団。他の騎士団が花の種類であるのに対して、花はその全てを指すものです」
「……だから最上級。ああ、それはあるかもな」
外れだ。他の騎士団の名称は国名から来ている。花の騎士団はどこにも所属しない騎士団。王国騎士団所属ではあるが自由に動ける騎士団。ジグルスたちの部隊の名称である遊撃隊と同じような意味合いだ。
「それだけ期待されているってことですね?」
「その期待に応えなければならない……難しい戦いになるだろうな」
十万の魔人軍とどう戦うか。キルシュバオム公国はラヴェンデル公国と同じで三軍一万八千の軍を持っている。これも同じく公都の守りなどに六千を残して、出撃するのは一万二千。中央から王国軍一万二千も加わり、二万四千。それにさらに花の騎士団六千が加わるのであるから、ラヴェンデル公国での戦いに比べれば味方の数は多い。
だが魔人軍の数も多い。質も上かもしれない。恐らく上だろうとエカードが考えている。
「大丈夫です。私たちは強くなりました。この先、もっと強くなれます」
「そうだな。もっと鍛えて、もっと経験を積んで、俺たちは今以上に強くならなければならない」
「……そう思うなら雑談なんてしていないで兵を鍛えたら?」
「なんだと?」
「その雑談もつまんない。散歩してこようっと」
本当に席を立って天幕を出て行くユリアーナ。その彼女を引き止める者は誰もいない。
「……最近機嫌が悪くてね」
ただレオポルドは言葉でユリアーナをフォローしようとした。
「気持ちにムラがあるのは前からだ」
ユリアーナが気分屋であることはこの場にいる全員が知っている。そうであるから軍議を放り出して、外に出て行ってもいつものことだと思ってしまう。サボり癖があることも分かっているのだ。
「そうだけど……新しい戦場が不安なのかもしれないよ」
「どうしてそう思う?」
「どうしてって……そう見えるからさ」
誘ってくることがない。レオポルドから誘ってみても「そういう気分ではない」と断られる。これまでなかったことだ。ただこれはエカードたちには理由として説明出来ない。
「新しい戦場が不安なのは皆同じだ」
「……リリエンベルク公国軍もいませんし」
「…………」
クラーラの無神経な言葉に黙り込むエカード。ただ一応、クラーラも少し気を使っている。ジグルスがいないと言わなかったのだから。
「鍛え上げられた部隊でしたね?」
「ああ、そうだな」
リリエンベルク公国軍となっているが、ラヴェンデル公国の戦いに参戦した特別遊撃隊はジグルスが鍛えた特殊な部隊であることをエカードたちももう知っている。
「どうすればあんな部隊になるのでしょう?」
「君は知っているのではないか?」
クラーラは学院時代、ジグルスたちと同じチームで合宿に参加している。ジグルスのやり方は知っているものだとエカードは考えていた。
「さすがに学院時代とは違うと思います。似たところはあるみたいですけど、学院の時と同じことをしていて、あそこまでになるとは思えません」
特にクラーラの得意な魔法は違っていた。それはそうだ。魔法部隊の基礎はジグルスではなくリーゼロッテが作ったのだから。それもクラーラのように才能溢れる魔法士ではない人たちを鍛えるという前提で考えられたものなのだ。
「学院時代よりもさらに上級な鍛錬か。それはそうだな」
この考えは少し間違いだ。兵士の鍛錬そのものは種類と量を増やしているだけで、質という点ではそう変わらない。質に違いがあるとすれば、戦術についての理解度を高める試みだ。
「強い部隊を作らないとですね?」
「そうだな」
「ただ移動しているだけでは勿体ないと思います。兵を鍛えながら移動する方法を考えてみませんか?」
「ああ、そうしよう」
花の騎士団を精鋭に鍛え上がる。これまでもそのつもりであったが、改めてエカードたちはその思いを強くした。魔人戦争の主役は自分たち。そう自信を持って言えるだけの実力と実績を手に入れる為に。
◆◆◆
天幕を飛び出したユリアーナ。そのままフラフラと野営地の外まで歩いて行く。それを止める者はいない。見張り役を担当している兵士たちにとってはいつものこと。それでもあえて止めようと思っても、きつく文句を言われるだけなのだ。
人目につかない場所まで来たところでユリアーナは足を止める。
「……いないじゃない」
人と待ち合わせをしているのだが、その相手はまだ来ていない。それはそうだ。ユリアーナは軍議となっている場を途中で抜け出してきた。待ち合わせの時間にはまだ間がある。
「仕方ないわね」
それはユリアーナにも分かっている。分かっていたが、一人くらいは早く来てくれていても良いのにと考えたのだ。
一人でただ立っていても仕方がない。ユリアーナは持ってきた剣を構えて、振り下ろす。空気を切り裂く音が鳴り響いた。
「……かなりいけてると思うけどな」
このかなりいけているはずの剣がジグルスには通用しなかった。本気で殺そうとまではしていなかったが、それでも手を抜いたとまでは言えない程度の実力は出したつもりだ。
「動きそのものは驚くほど速いわけじゃない。動き出しが違うのよね」
駄目人間であってもさすがは主人公。ジグルスの動きはあるていど見極めている。ジグルスは体の動きそのものが速いのではなく、反応が速いのだ。こちらの攻撃は全て読まれているのかと思ってしまうくらいに。
「……その彼を捉えようと思えば、さらに速く剣を振ること、で良いのかな?」
こちらの動きを読まれても避けられないくらい速く振れば良い。単純な考え方だが、間違いではない。実現出来るのであれば。
ユリアーナは先ほどよりも気合いを入れた様子で剣を構え直すと、思いっきりそれを振り下ろす。
「……力を入れれば良いってものじゃないわよね。さて、どうしよう?」
手応えはイマイチだった。どうすれば今よりも速く剣を振れるようになるのかを考え始めるユリアーナ。そんな自分を少し離れた場所に立つ木の陰から見つめている人がいることには気が付いていない。
(……努力を知る者ではあるか……いや、あれはジークの影響だな)
カロリーネ王女だ。カロリーネ王女はジグルスに言われたとおりに自分の目でユリアーナを見ようとしている。別にジグルスは盗み見をしろと言ったわけではないのだが。
(まったく……あの女たらしは……いや、ジークの場合は人たらしか)
リリエンベルク公国軍の兵士たちが持つジグルスへの想いをカロリーネ王女は知っている。尊敬や憧れではなく、惚れていると表現するのが一番相応しいと感じるものだ。
ジグルスには人を引きつける魅力がある。それをカロリーネ王女は知っている。それが、ジグルスとそれなりに深く付き合わないと気付けないものであることも。
(……父上には分からないか……本当にそうなのか?)
ローゼンガルテン王国は英雄を作りだそうとしている。それは国王である父親の意向もあってのことであるはずだ。その考えそのものはカロリーネ王女は否定しない。厳しい戦いの中で兵士たちの精神的支柱となる存在、そして国民の不安を少しでも和らげる存在は必要だと思う。
ただ何故、それがジグルスではなかったのかをカロリーネ王女は疑問に思っている。ラヴェンデル公国の戦いでは明らかにジグルスが中心となっていた。それは他の部隊も認めるところだ。このまま勝利を重ねていけば、兵士たちはジグルスこそを英雄と称えるだろう。
それが何故、父親には分からないのか。父親もジグルスを知っており、かなり気にしていたはずなのだ。
(……考えたくないが政治か。最初から決められていたかもしれないな)
英雄は政治によって選ばれた可能性をカロリーネ王女は考えた。キルシュバオム公爵家のエカードが王国騎士団の騎士となった。従属貴族家の子弟や他の取り巻きたちも一緒に。それはこの為ではないか。エカードという英雄を作ることが先に決まり、その為のお膳立てをしたのではないかとカロリーネ王女は思った。
英雄を作るのは国威高揚の為。政治だ。そう割り切る気持ちは王族であるカロリーネ王女は持っている。だが気持ちは湧かない。英雄とはそんなものかと思ってしまう。
「おそーい! 待ちくたびれたわ!」
耳に届いたユリアーナの声で、カロリーネ王女は深い思考から引き戻される。何が起きたのかと視線を向けてみれば、ユリアーナの前には見覚えのある騎士たちがいた。ユリアーナの取り巻き、その中でもカロリーネ王女がもっとも嫌う者たちだ。
エカードの側にいられるだけの実力が彼等にはある。だが彼等はエカードの側にいるというより、ユリアーナにベタベタと纏わり付いているだけ。欲情まるだしのその様子がカロリーネ王女は気持ち悪いのだ。
(……ジグルスが側にいないと、結局これか)
野営地を抜け出して何をするのかと思って見ていた。真面目に剣の鍛錬をしようとしているのかと思って、少しユリアーナを見直そうと考えたのだが、それは間違いだった。人目に付かない場所で彼女たちは、カロリーネ王女が想像出来ない卑猥なことを行おうとしているのだ。
そうなるとカロリーネ王女は一秒でも早く、この場から立ち去りたくなる。醜悪な、カロリーネ王女にとって、ものなど目に入れたくないのだ。
ユリアーナたちに気付かれないようにそっと野営地に向かって歩き出すカロリーネ王女。
「じゃあ、まずはスクワット千回!」
その足を止めたのはユリアーナのこの言葉だった。
「千回!? えっ、その前にスクなんとかって何?」
「簡単よ。ただしゃがんで立ってを繰り返すだけ」
「……それを千回。退屈そう」
「退屈かどうかはやってみないと分からないわ」
「……そんなことよりさあ」
もっと楽しいことがある。それを期待して彼等はこの場所にやってきたのだ。
「ええ? 私の言うこと聞いてくれないの? それって私のことが嫌いになったってこと?」
「えっ? いや、そんなことないさ。俺は君のことを誰よりも大切に想っている」
「……貴方だけ?」
上目遣いで他の騎士にも問い掛けるユリアーナ。その威力はさすがのものだった。
「もちろん俺も!」「そうだ。俺こそが誰よりも大切に想っている!」「何を言う!? 俺だ!」
という感じで慌てて他の騎士たちもユリアーナへの想いを口にする。自分こそが一番。そう訴えてくる騎士たちに対してユリアーナは。
「じゃあ、その想いを証明してみせて。誰が一番に終わるか競争だわ」
自分への想いをスクワットを一番早く終わらせることで証明しろと彼等に告げた。それを受けた騎士たちに当然、拒否するという選択はない。
それぞれ距離を取って立ち、その場でスクワットを始めた。騎士たちの数を数える声が周囲に響き渡る。
(あれは……ジークたちもやっていた……)
騎士たちが行っていることをカロリーネ王女は知っている。ジグルスたちが訓練の始めに行っていたものだ。体を温める為などとジグルスは言っていたが、実際にそれを行っている様子を見れば、そんな生やさしいものでないことは分かる。
(……なるほど……あれが彼女のやり方か……まあ、惚れさせているという点は同じだな)
言葉としての「惚れさせている」という点ではジグルスとユリアーナは同じ。その気持ちを意識して利用しているかどうかの違いはあるが、それによって辛い鍛錬の耐えさせているのも同じだ。
(……どうなることか……まあ、これはこれで面白くはあるな)
果たしてユリアーナの試みは結果を出せるのか。正直怪しいとカロリーネ王女は思っている。騎士たちの動機は明らかに不純なもの。ジグルスたちとは違うのだ。
だが動機が不純かどうかは、結果に繋がるかには深く関係しない。動機となる想いがどれほど強いかが大切なのだ。その点で騎士たちの想いは強い。それがたとえ不純であり、しかもユリアーナの能力によって強制されたものであったとしてもだ。