フローラとメアリー王女のことを知っても健太郎と結衣の心情は大きくは変わっていない。二人のそれが変わる時は、このまま来ないのかもしれない。二人のどちらかがこの世界で命を落とすまでは。
夕食の後、そのまま食事室に留まって打ち合わせをしている二人。今日はいつもよりも出席者の数は多い。マーク以外にも勇者親衛隊の何人かが参加しているのだ。
「ケン様の直轄軍ですが、その編成はいかが致しましょうか? 具体的に物事を進める為に、今日はそれを決めようと集まりました」
「僕の軍か。それは精鋭が良いな」
「それはまあ、そうする為に集めるわけで」
いきなり精鋭軍など作れない。トルーマン元帥に騎士もどきと酷評されたマークたち親衛隊の騎士もさすがに分かっている。
「じゃあ、まずは選抜試験かな。全軍の中から優れた騎士や兵士を選りすぐって集める」
「騎士はどうでしょうか?」
健太郎の考えにマークが疑問を呈してきた。騎士が直轄軍に入ってきては困るのだ。
「えっ? 何か問題があるかな?」
「騎士は今の価値観に縛られております。そういった騎士を集めても、果たしてケン様の望む将校になるかどうか」
騎士団を廃して、国軍の中隊長や小隊長は騎士に任せる。こんな愚かな方針になったのはマークがねじ曲げたからのくせに、こんなことを言い出してくる。
「でも、それを変えていくわけだから」
「それは徐々にということで。まずはケン様の意思に忠実に従う者を選ぶべきかと思います」
「そうなると……」
考える様子をみせる健太郎。この時点でもうマークの術中にはまっている。忠実に従うかどうかでいえば、軍隊の一員である騎士は内心に不満は抱えていても上位者に従うに決まっている。誰が適しているかなど考える必要はないのだ。
「手っ取り早いのはやはり親衛隊ですね。親衛隊は解散することになるわけですから。あっ、もちろんケン様のご意向が一番ですが」
「いや、それで良いよ。やっぱり何と言っても信頼出来るのは親衛隊の仲間たちだ」
マークの望んだ通りの結論となった。
「そうですか。そう言って頂けると嬉しいです。親衛隊の騎士は二百名。一万の軍として、十大隊、百中隊、千小隊となります」
「全然足りないな」
「まずは大隊長と中隊長を親衛隊の騎士で埋めましょう。小隊長となる騎士は、それこそ、騎士団の中から抜擢することで埋めていけば良いのではないですか? 私個人としては若い騎士が良いと思います。経験は足りないかもしれませんが、小隊長ですし、新しい在り方という意味でも一から学ばせる方が良いでしょう」
「そうだね。そうしよう」
これで親衛隊の騎士は落ちこぼれの平騎士から、その多くが千人将、百人将になることが決まった。しかも実力のある、親衛隊の騎士にとっては面倒な存在になる、騎士たちの排除にも成功している。
「小隊長については、ある程度は我々で選んでみます。さすがに千名の騎士をケン様一人で選ばれるのは不可能だと思いますので」
「ああ、任せるよ」
「問題は兵ですね。選抜試験と言っても、さすがに二万、いえ、もっとですか、その人数で試験をやるわけにはいきません」
「そうか。数を考えていなかったよ」
「中隊単位で選抜しましょう」
「そう言えば、前回の戦いで。二軍と三軍はかなり減ったよね?」
「……はい」
マークの表情がわずかに歪む。望まない台詞が健太郎の口から出るのが予想出来てしまったせいだ。
「そうなると、まずは一軍の半分ということになるのかな?」
「一軍から半分ですか……」
「それも不味いのかい?」
「いえ、そういうわけでは」
親衛隊の騎士にとっては都合が悪い。第一軍は元々ウェヌス国軍の最精鋭。騎士団の影響力が強い軍なのだ。落ちこぼれである自分たちに心から従うかは、甚だ疑問なところだ。
「第三軍を全て直轄にしてしまえば宜しいのではないですか?」
ここで又、別の騎士が提案を持ち出してきた。
「えっ?」
「今や、第三軍は精鋭と呼べるだけの実力を持っています。ケン様の直轄軍に相応しいかと」
「グレンがいた部隊か……そうだね、それが良いかもしれない」
「おい! それをしては三軍の将が?」
そしていつもの様に少し常識があり、変な野心を持たないジョシュア王太子が、至極真っ当な疑問を投げかけてくる。
「でも、健太郎の軍を作るのだから、それは仕方ないじゃない。それとも全てを新しい兵士で作るの? それでは率いる健太郎が可哀想よ」
そしていつもの様に結衣がフォローに入ってくる。
「まあ、確かに……しかし、調整が大変だ」
第三軍の将から猛烈な反発が出ることは目に見えている。ジョシュア王太子が直接調整するわけではないが、それをする者からの苦言はかなり受けることになるだろう。
「そこは何と言っても健太郎は大将軍なのだから、その権力を使って。そう言えば将軍って何人居るの?」
「二人です」
実際は地方軍に左遷させられたドミニク・ハドスン元将軍を除いても三人である。親衛隊の騎士たちは二人を騙すことなど何とも思っていない。騙すための場であるのだから当然と言えば当然だ。
「じゃあ、丁度良いじゃない。三軍を無くしても」
「ユイ様のおっしゃる通りでございます」
「だって。ねえ、ジョシュア様、間違っているかな?」
「いや、そう言われると確かにそうだな。良いのではないか」
「ありがと」
悪女であることを楽しんでいるのではないかと思えるくらいになってきた結衣であった。実際に楽しんでいる。ジョシュア王太子を通せば、自分の思う通りに出来るという快感に結衣は酔ってきている。
これで本当にジョシュア王太子の妻、王妃になれば、歴史に名を残す悪女になるかもしれない。
「三軍は五千か。後の五千は、やっぱり一軍じゃないか?」
「そこは新たな兵を編成しましょう」
「ちょっと? 何だか、さっきから言っていることが二転三転してないか?」
さすがにマークの話がおかしいと気付いた健太郎だったが。
「二軍で三千。三軍で五千の兵士を補充しなければならないのです。それに更に一軍でも五千の新兵となれば、全軍が力を落としてしまいます。ここは、一軍は温存して万一の備えとするべきかと」
「……なるほど。それは言えてる」
すぐにそれらしい理由を説明されて納得してしまう。
「それに新兵と言っても地方軍からの補充です。全くのド素人というわけではありません」
「鍛えれば良いわけか。まあ、それも大切だな」
「編成は出来上がってきました。後、大隊長と中隊長の候補者になる者たちを記して参りました。確認して頂けますか?」
「ああ」
差し出された書類に健太郎は目を通した。すでにこれが出来上がっていることに疑問を感じている様子はない。
「二百人もいるとさすがに全員の名前までは覚えていないな。でも、マークの名前がない。僕の副官ってこと?」
「ああ、それについては、これからお話をしようと思っておりました。ケン様の軍を集める場所。それを仮に大将軍府と名付けました」
「元帥府の方が格好良いな」
言うまでもないが、健太郎は元帥ではない。
「……それは仕方ありません。そう言った場所を作ると軍政局のような組織も必要になります。その仕事を担当させていただこうと思いました」
「別に作るってこと?」
「いえ、軍政局の一部。出張所のようなものでしょうか?」
一から国の組織を作るとなるとそれは政治になる、出張所であれば軍の中での組織変更。これも政治が必要であるのだが、軍内部のことであれば、今はまったく負ける要素がない。
「それって何だか身分低くないか?」
「そうだとしても必要な仕事でございます。誰かがやらなければならないのです」
「でも」
「幸いにも私には少々経験がございます。ケン様のお役に立つことが出来て、自分の能力が活かせる。良い仕事だと考えております」
これをある種の何かで翻訳すると、戦いに出なくて済み、不正によって私腹を肥やせる、安全で美味しい仕事となる。
こんな翻訳機が存在しないことは健太郎にとって不幸だ。
「そうか。分かったよ」
当然、健太郎の耳には翻訳された言葉は届くはずがない。
「それで肝心の場所ですが、色々と検討した結果、王都にほど近いセンテストの街が規模的にも丁度良いのではないかと」
「おい。あそこは」
ジョシュア王太子がまた疑問の声を上げた。
「恐らくは大丈夫かと」
「あのランカスターが了承すると言うのか?」
マークの答えを聞いてジョシュア王太子は驚きに目を見張っている。
「もちろん代償は必要となります。そのあたりはご調整をお願い出来ればと思っております」
「我がやるのか?」
「王太子殿下はご指示なされば良いだけです。調整は我らと文官の仕事でございます」
「それもそうだな」
ジョシュア王太子はホッとした表情を見せている。ランカスターとはそれだけの存在なのだ。
「なあ、そのランカスターって?」
二人のやり取りを聞いていた健太郎は、そのランカスターが気になった。
「貴族家です。王国内ではかなり大きな領地を持っております」
「貴族か……」
マークの説明を聞いた健太郎の表情が曇った。
「どうかされましたか?」
「貴族って、権力を握ることとか私腹を肥やすことしか考えていないような奴らだろ?」
「…………」
まさに自分たちのことを言われて、さすがに面の皮の厚い親衛隊の騎士たちもすぐには何も言えなかった。
「どうかした?」
「……少し偏見があるようです。そういった者が全くいないとは申しませんが、極めて稀だと思います」
健太郎の考えもかなり偏見に満ちたものだが、マークの口から出てきた説明は逆に控えめ過ぎる。今この場にいる過半数。貴族でいえば全員が健太郎の言う私腹を肥やすしか考えていない貴族なのだから。
「そうなのかい? でも貴族ってそういうものだよね?」
「いえ、貴族とは国への尽力を認められて、その地位を与えられた者です。もちろん大貴族ともなれば、それなりに力もあり贅沢な暮らしもしていますが、それは逆にそれだけ多くの領地を治める苦労もあるわけです」
「……まあ、それはあるかも」
「領地経営は一国の経営と同じ。それは大変なものです」
これは嘘ではない。だが領地経営の大変さと不正行為を行おうという心根に関連はない。
「そうか……そういうのも良いね」
「はっ?」
「領地経営とか。そういうところでも異世界の知識って活かせると思うな」
どこからこの自信が出てくるのか。とにかくやる気だけは満々な健太郎だった。
「……それは戦功をあげればいずれ領地を賜ることもあるのではないかと」
「そうか。それは楽しみだ」
「……軍に話を戻しても宜しいですか?」
「もちろん。次は何?」
「軍の編成は素案が出来ました。これに基づいて、具体的に進めてまいります。その後のことですが調練についてはいかがいたしますか?」
「…………」
健太郎は気まずそうな顔をして、口をつぐんでしまった。
「あの、ケン様には考えがあると先日おしゃっていて」
「ごめん。忘れてた。次回までにはちゃんと作っておくから」
健太郎の場合、やる気と行動は必ずしも同期しないようだ。
「そうですか……」
「次は?」
「大体のところは。後は軍が出来上がってからかと」
「いやあ、今日も色々と進んだね。この調子だと、あっという間に自分の軍が出来上がりそうだ」
あっという間のはずがない。この場以外で多くの労力が費やされているのだが健太郎に見えていないだけだ。
「……そうですね」
その労力を費やしている一人のマークは浮かない返事をした。この先の利権の為とはいえ、人生初というくらいに忙しく働いている身としては報われない思いが少しあった。
「じゃあ、僕はこれで」
「はっ?」
「まだ何かある? もう遅いよね?」
「まあ……」
「じゃあ。また明日」
「……少し間を空けましょう。この先は色々と準備期間が必要になります」
「分かった。じゃあ、そういうことで」
さっさと席を立って、食事室を出て行く健太郎。その背中を見送って、騎士たちは大きくため息をついた。
「我儘な主を持つと大変ね」
お前もだ。こんな騎士たちの思いは結衣には届かなかった。
◆◆◆
食事室を出た健太郎が向かうのは、フローラの部屋だ。結局、毎日、健太郎はフローラの部屋を訪ねている。
フローラが何の反応を示さなくても構うことはない。ただ一方的に喋り続けているだけだ。それも徐々にフローラが反応しない分、大胆になっていた。
「ケン様。しばらくは安静にと」
「大丈夫だよ。フローラも落ち着いているし、少しずつ僕の声にも耳を傾けるようになっている。回復してきていると思うな」
「ですが医師は」
「この世界の医師に精神の病なんて分からないよ。医療だって異世界の方が遥かに進んでいる。僕に任せておいて」
侍女の忠告も聞きはしない。医療のイの字の知識もないのに。
「フローラ。待たせたね。打ち合わせが長くてさ」
「…………」
「いやあ、ちょっと疲れたな。隣に座って良い? 良いよね」
返事がないのが分かっていて、こんな問いをいつも繰り返す。
「……少しは元気になったかい? 僕は君に早く元気になって欲しい」
「…………」
「君と以前の様に楽しく話をしたいな。君の笑顔が見たいよ」
妄想もここまで来ると恐ろしい。フローラが口を利けば、そんなことをした記憶はないと言うだろう。
「もうすぐ僕の軍が出来るんだ。君にも見せてあげたい。強い軍を作るから。それが出来たらグレンの仇を……」
その言葉にわずかにフローラの肩が動く。健太郎は言葉を止めて、じっとフローラの様子を見つめている。
グレン、兄、そういう言葉にフローラが反応することを健太郎は、何度も話をする中で気付いていた。
フローラが騒ぎ出さないことを確かめて、健太郎はまた口を開いた。
「……大丈夫だね。ごめん。禁句だったね。もう口にはしないよ」
そして慎重に考えて、話すことを決める。
「異世界の医者がいれば良いのに。そうすればすぐに治してもらえるのに。自分にその知識がないのが悲しいよ。でも、僕は頑張るから。君の支えになると決めたんだ。ずっと君を支えるよ。だから、僕のことを見てくれないか?」
こんな言葉を吐いて、フローラの顔をじっと見つめる。
反応はない。表情を消し去った人形のような顔でじっと虚空を見つめているだけだ。
だが、その人形のような顔が凄まじく美しい。白く透き通った肌は、以前よりも透明さを増している。病気のせいではあるのだが、それでも美しかった。
少し乱れて頬にかかった金色の髪を健太郎は指の先で、そっと避ける。またフローラの、今度は頬がぴくりと反応を示した。
慌てて指を引っ込める健太郎。そして、またフローラの顔をじっと見つめ始めた。
「僕のヒロインは間違いなく君だよ。僕は君と出会うためにこの世界に来たんだ。そして君は僕と出会うために、この世界にいたのさ」
グレンが聞いたら、すかさず剣を振り下ろす様な台詞を健太郎は平気で口に出す。
「……フローラ。綺麗だよ。君はこの世界で出会った誰よりも綺麗だ。そんな君には僕が相応しい。フローラ、君の笑顔は僕に向けられるべきものだ。僕の隣でいつまでも笑っていて欲しい」
グレンがフローラに告げた言葉とは重なる単語はあっても全く意味が異なる、その言葉にフローラは反応を示した。それに健太郎は気がつかない。
フローラの反応は拳を強く握りしめることで示されたのだ。
「フローラ」
健太郎の顔がフローラに近づく。だが健太郎は、自分の唇を頬に当てることは出来なかった。
一筋の涙がフローラの頬を伝っていることに気が付いたからだ。
「フローラ……僕が君の悲しみを癒してあげるよ。君のことを大切に思っているのは僕だけなんだ。僕が君を永遠に守ってあげる」
「……嫌」
「フローラ?」
「…………」
「今の言葉で反応した? でも騒がないでね……フローラ、僕は諦めないよ。君の心を閉ざしている氷は、必ず僕が溶かしてあげるから」
「…………」
「……また来るよ。今度はもっと」
名残惜しそうにベッドから立ちあがって、その場を離れる健太郎。最後にもう一度フローラに熱い視線を向けて、部屋を後にしていった。
――健太郎がいなくなった部屋。フローラはベッドからゆっくりと立ちあがって窓際に向かう。
これがフローラの日課だった。悲しみの傷は癒えていない。だが正気を失うことはなくなっていた。その振りを続けているのは、健太郎が諦めて自分を解放してくれないかと考えているからだ。
だが状況はフローラにとって悪化する一方。健太郎はフローラが拒否しないのを良いことにどんどんと図に乗って、大胆に迫ってくる。さすがに触れられることは嫌で拒否の言葉を口にした。
だが、それでも健太郎は諦めないと言った。それはフローラにとって呪詛の言葉と同じだ。フローラにとって健太郎は自分の養父母を殺した貴族と同じなのだ。
そしてもうフローラを救ってくれるグレンはいない。フローラの心の中を絶望が覆っていた。
窓際に立って夜空を見上げる。雲ひとつ無い夜空には白銀に輝く月が浮かんでいた。グレンの髪を思い出させるような白銀の月が。
「お兄ちゃん。恐いよ。寂しいよ。一人は嫌だよ」
窓を開けて、届くはずもない月に手を伸ばす。
「……もう嫌だよ。一人は嫌なの……お兄ちゃん、傍に行くね」
フローラの体がゆっくりと前に傾き、窓の外に倒れていった。
◆◆◆
健太郎はフローラに、大切に思っているのは自分だけだと告げた。だが、そんなはずがない。ローズは必死でフローラを助け出せないかと動いていた。城内にいるフローラを助け出すことなど不可能だと分かっていても諦めないで。
そして、もう一人。もっと身近で、フローラが気付かないところで、その身を案じている人がいた。
いつもの時刻。その人は中庭から三階にある窓の一つを見つめていた。この時間になるとフローラが窓際に立って、夜空を見上げていることを知っているのだ。
窓明かりに人影が差す。気付かれないように、木の陰に隠れて、その人影を見上げる。
離れた場所からでも、その人の目にはフローラの顔がはっきりと映っている。実際に目で見ているのか、それともたった一度出会った時に目に焼き付いたその顔を思い浮かべているのか、その人にはよく分かっていない。
「……フローラ」
夜空に向って手を伸ばしているフローラの儚げな姿を見て、小さくその名を呟いた。
そのフローラの体が、ゆっくりと前に倒れていく。
「なっ!?」
「エドワード様!」
その人の名を呼んだのは後ろに控えていた騎士だった。その声に反応するより先にエドワード王子は全力で走っていた。
窓の手すりを乗り越えて、宙に浮くフローラの体。その体が真っ直ぐに地面に向って落ちていく。
まるでスローモーションの様なその映像に焦りを覚えながらも、エドワード王子の体もスローモーションの様に先に進まない。
「フローラ!」
叫び声を上げたところで宙に止まるわけもなく、フローラの体は音を立てて地面に激突した。
「そんな……そんな……馬鹿な。何故だ……」
目の前でぐったりと動かないフローラを見て、エドワード王子は意味もない呟きを口にしている。
「エドワード様。落ち着いて下さい」
「……私のせいだ。私が陰でそっと見守るなんて愚かな考えを持たなければ」
「エドワード様が責任を感じる必要はありません」
「助けることは出来た。少し勇気を持って、踏み出せば私は助けることが出来た」
「しかし相手は勇者で、その後ろ盾は王太子殿下です」
エドワード王子とその側近の間では、こういうことになっている。実際には、ジョシュア王太子の気持ちの中に後ろ盾なんて思いがあるかは、かなり疑問だとしても。
「恨まれたからといって、それが何だ。もう憎まれているではないか」
「とにかく遺体を」
「……私が持つ」
騎士を制して、エドワード王子は地面に倒れているフローラの体を自ら抱え上げた。
「……フローラ?」
「エドワード様?」
「ちょっと待ってくれ。少し時間が欲しい」
「……はい」
フローラの体を抱き上げたまま、少しの間、エドワード王子は考え込んでいた。やがて顔を上げると騎士に向って小さな声で囁いた。
「頼みごとを聞いて欲しい」
「エドワード様のご命令であれば何なりと」
「遺体を……」
「……はい」
「焼いて……そのまま埋葬……」
「……分かりました」
「すまない。嫌な仕事だ」
「いえ、お気になさらずに。では私はすぐに仕事にとりかかります」
「ああ、頼む」
その場を去っていく騎士。その後を追うように、エドワード王子はゆっくりと中庭を離れていった。
◇◇◇
王都のはずれには墓地がある。そこには白い石に故人の名を刻んだ多くの墓石が地面に埋められて並んでいた。
その一つの前で健太郎と結衣はしゃがんで手を合わせている。結衣が立ちあがっても、健太郎はその姿勢のまま、じっと動かない。
「健太郎……」
「どうして? どうして自殺なんて?」
「……グレンが死んだことを受け入れられなかったのよ」
「だからって自分の命まで」
「それだけフローラにとって、グレンは大切な人だってこと。その気持ちは分かるわ」
「結衣も死にたいと思った?」
この質問は結衣に酷だ。
「……そこまでじゃないけど」
健太郎の質問に結衣は正直に答えた。さすがにフローラと同じ気持ちだと言えるほど厚顔ではないようだ。
「じゃあ、気持ちが分かるなんて言うなよ」
「好きな人を失った気持ちは分かるって言っているのよ」
「……これも僕のせいだな」
結局、ここに戻ってしまう。こう考えては、全ての気持ちが意味のないものになると健太郎は分かっていない。
グレンの死、フローラの死を本当に悲しんでいても、それが勇者である自分への試練なんて妄想を理由にしては、その気持ちまで虚構になってしまうことに気づいていない。
「そうかもね。これも健太郎への試練かも」
「……結衣。僕は負けないよ。フローラを失った悲しみになんて負けない」
「そう」
「僕は強くなる。強くなって、この世の中から戦争なんてなくしてみせる」
「そうね。それがフローラの為ね」
「もう二度と、フローラの様な戦争の犠牲者を出さない為に、僕は強くならないと」
「……ええ」
健太郎のしつこさに結衣の気持ちからフローラの死への悲しみが消え、健太郎への苛立ちが広がってしまう。
「フローラの、グレンの無念を背負って僕は強くなるから」
「分かったわよ」
うんざりした気持ちがとうとう声にも表れてしまう。
「……そういう言い方はなくないか? 結衣にだってやることはあるはずだ」
「だから、分かっているって」
「結衣は冷たいな」
「いつまでも亡くなった人への悲しみに暮れていたら先へは進めないもの。頑張って前に進まないと」
「……そうだな。今日が最後だ。もう涙は見せない。僕は強くなる」
「…………」
あまりのしつこさに、結衣は言葉を発するのも億劫になってしまう。
「フローラ。お別れだ。君のことは忘れない。君も天国で僕のことを見守ってくれ」
もしこの場にフローラがいたら、間違いなく答えはノーだ。
「……どうして、そこまで思い込みが激しいの? フローラが好きだったのはグレンよ」
思い込みの激しさでは負けないはずの結衣だが、健太郎のこれには驚いてしまう。結衣本人には自分は思い込みが激しいという自覚はないので尚更だ。
「……そうだけど、僕だってフローラの心を少しは癒やして」
「癒やしたね……フローラは自殺したけど」
「何てことを言うんだ!」
「……ごめん。ちょっと言い過ぎた。でも健太郎があまりに女々しいから」
「だから、強くなるって」
「分かった。強くなりなさい。愛するフローラの為にね」
「ああ。フローラの為に僕は強くなる」
結衣の嫌味も健太郎には通じなかった。こんな下らない話をしながら墓地を去っていく二人。そんな二人を陰でそっと見つめている目があった。
二人の姿が完全に見えなくなったところで、その女性は二人がいた墓石の前に立つ。
「フローラ・タカソン? そんな!? 嘘よ!? フローラ! いやぁあああああっ!」
ローズの泣き叫ぶ声が、墓地に響き渡る――。
そのまま、どれくらい立ったままでいたのか。ローズの目からはもう涙は流れていない。その顔からは悲しみの色もすっかり消え去っていた。
「……殺してやる。絶対に許さない。勇者、私はお前を許さない!」
真っ赤に充血した目でローズは遠くに見える城の影を睨んでいた。