月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第66話 交わった物語がまた分かれていく

異世界ファンタジー小説 異伝ブルーメンリッター戦記

 一軍六千を率いてキルシュバオム公国に転戦することになったエカードたち。だからといってすぐに移動出来るわけではない。軍の再編についてこの戦場に残るラードルフ総指揮官との調整が必要だ。
 兵士についての調整は簡単だ。エカードたちが所属していた軍の兵士をそのまま率いれば良い。だが問題は騎士、指揮官をどうするかだ。騎士は、魔人に通用するかは別にして、個として兵士に比べれば強力な戦力。そして兵士を統率する指揮官の役目も担っている。その騎士たちをどう分配するかによって戦力のバランスは大きく変わってくる。お互いに自軍の戦力を高めたいと考えている者同士が話し合っても、一、二時間で済むはずはないのだ。
 ラードルフ総指揮官とエカード、他の指揮官も含めての話し合いは毎日のように行われている。もちろん話し合いの内容はそれだけではない。キルシュバオム公国にどのような経路で向かうか。物資はどうするのかなど、決めることは山ほどある。
 ただそれはあくまでも指揮官クラスに限ってのこと。打ち合わせに入れてもらえないユリアーナは暇を持て余していた。

「……ねえ、最後に一度だけ私を抱いてみない?」

「遠慮します」

「少しは考えてよ」

「考えても結論は変わりませんから」

 昼間からジグルスとこんな話をするくらい。ジグルスは暇なわけでなく、鍛錬を口実に巻き込まれているだけだ。

「……もう会うことはないかもしれない。後腐れはないわよ? それとも抱くのも嫌なくらい私が嫌い?」

「あのですね、俺にだって性欲はあります。正直、貴女みたいな人を抱けるとなると気持ちは揺れます」

 中身を考えないで顔と体だけを見ていれば、ユリアーナはとても魅力的だ。妙な能力を使われなくても誘惑に負けてしまう男は少なくないだろう。

「じゃあ、その欲求に正直になってみない?」

「欲求を抑えるのが人ですよね? 理性を働かせて、これは駄目だって自分の気持ちを押しとどめるのです」

「理性……彼女に怒られるのが恐いだけのくせに」

「リーゼロッテ様のことを言っているのであれば、あの方は主であって彼女ではありません」

「でも好き」

「そういうことをこの状況で聞きますか? いや、抱く抱かないの話のほうがおかしいか」

 今は鍛錬の時間。周囲には特別遊撃隊の仲間たちがいる。そうだからこそ、こんなきわどい話が出来ているというのもある。その内容がどんなものであっても誤解される心配がないからだ。

「……どうして彼女だったの?」

「どうしてそんな話をしなければならないのですか?」

「私が知りたいから。いいじゃない。話す機会が残り少ないのは事実。最後くらい私の我が儘を聞いてよ」

「最後であっても我が儘を聞く義理はないですけど……まあ、良いか。分かりません」

 正直に答えても、これ。わざわざ隠すことではない。

「誤魔化さないで」

「誤魔化していません。俺はどちらかというと理性的なほうだと思っています。そんな俺が主筋である人を望んで……あれするはずがありません」

「アレって何?」

「聞かなくても分かることは聞かないでください」

 好きという言葉を口にするのは恥ずかしい。それこそ周囲に聞こえるかもしれないのだ。正しい判断だ。二人の会話の内容は周囲にとっても強く興味を引かれるもの。素知らぬ顔をしながら、皆、聞き耳を立てている。

「つまんない。彼女だったら恥ずかしそうに俯くところなのに。ああいうところは私も好きだわ」

「…………」

「手は出さないから……っていうか何を警戒しているの?」

「だって……貴女、アレですよね? これは言葉にしても良いですけど、どうします?」

 ユリアーナが恥ずかしい思いをする分には、無理に言葉を誤魔化す必要はない。ユリアーナが「女性もいける」を恥ずかしいと思うのかも分からない。ただ同性愛が認知されていないこの世界では引かれるだろうなとは思う。

「……そんなことまで知っていたのね?」

「実際に誰とかは知りません。想像したくなかったので」

 ユリアーナの周囲にいる女性たちは割とジグルスが良く知る人たちが多い。そんな人たちとユリアーナの関係を想像するのは嫌だった。

「……顔くらいは知っていると思うけど、わざわざ言う必要はないわね」

 女性に対してはユリアーナも積極的なアプローチはしていない。ほんの数人、女性にどれだけ通用するのかを試してみたくらいだ。

「……なんでこんな話に?」

「それは……貴方が私を受け入れてくれないからよ」

「受け入れられません、だと話が戻るか。そもそも何故、今そんな誘い方をするのですか?」

 何故、ユリアーナが自分を誘ってくるのかがジグルスには分からない。昼日中、周りに人がいる中で堂々と誘われては策謀の匂いも感じない。

「……難しいこと聞くわね」

「難しいのですか?」

「……言葉は悪いけど、ちょっと試してみたいの。貴方からは愛情を感じられるかなって」

「……無理ですね」

 愛情など感じられるはずがない。ジグルスはユリアーナのことを好きではないのだ。

「愛情は言い過ぎか。誠意?」

 ただユリアーナが求めているのは本当の愛情ではない。

「誠意のある人は好きじゃない女性を抱きません」

「だから難しいって言ったの……空しさを感じなくて済む……かな?」

「えっ?」

「……やっぱ違う。上手く説明出来ないから良いわ」

 ジグルスの反応を見て、ユリアーナは発言を訂正した。普段、空しさを感じていることが分かってしまう。そう思ったのだ。ユリアーナがジグルスで試したいのは自分の心を満たしてくれるか。愛情はなくてもジグルスには優しさがある。それは自分を満足させてくれるか知りたかったのだ。

「こういうことを言うと嫌がられると思いますけど」

「じゃあ、言わないで。やっと少し貴方に心を許せるようになったのに、嫌いになりたくないわ」

「そうですか……」

 何がユリアーナの心境を変えたのかジグルスには分からない。だがユリアーナが自分を誘ってきた理由は少しだけ分かった。彼女には心を許せる相手がいないのだと。そんな風に彼女が感じているなんてまったく思っていなかった。

「……運命ってどう思う?」

 いきなり話は運命になった。だがその理由はジグルスにはなんとなく分かる。

「大嫌いです」

「私も。やっぱり気が合うわね」

 それはそうだろう。同じ転生者。立場は大きく異なるがゲーム世界に縛られているのは同じだ。この言葉を口にすることは出来ない。ジグルスはそこまでユリアーナを信じ切れていない。

「……でも必ずしもそれに縛られるわけじゃない」

「間違い。やっぱり気は合わないわ」

 縛られているとユリアーナは感じている。望まない運命を強いられているのだと。

「結果は変わらなくても過程は変えられるかもしれない。いや、結果は変わらないのであれば、その過程では好き勝手にすれば良い」

 ジグルスはこう割り切った。どう足掻いても運命は変えられないとしても、足掻いてはいけないわけではない。思う通りに足掻き、それで結果を迎えれば良いと。

「……そうしているつもり。でも……楽しくない」

「それは……やるべきことと、本当にやりたいことを間違えているんじゃない?」

「……どういう意味?」

「頭に浮かんだ言葉をただ口にしただけだから、詳しく聞かれると困る。ただ……本当にやりたいことをやっていれば、それなりに楽しいと思う」

 実際に楽しい。モブキャラという役柄を無視して主要キャラに刃向かうことから始め、今は自分がやりたいと思っていることを行っている毎日は充実している。

「やるべきことをやる必要はないって言うの?」

「やってもやらなくても結果が変わらないのであれば。本当にやるべきことって、そうじゃないと思う」

 楽しいことだけを行っているわけではない。鍛錬の毎日はとんでもなく辛い。それでも楽しいのだ。

「……私は本当にやるべきことをやっていない。私がやるべきことって何かな?」

「それ俺に聞くこと?」

「参考までに」

「……人々を助けて英雄になること?」

 これが主人公の果たすべきこと。だがジグルスはそういう意味でこれを言ったのではない。

「もうなろうとしているわ」

「そうかな? ならされようとしているのだと思うけど?」

「…………」

 ローゼンガルテン王国は英雄を作ろうとしている。この話はユリアーナも聞かされている。憤慨したエカードが仲間たちの前で話しているのを聞いていたのだ。

「貴方には特別な力がある。それは何の為に使われるべきかを考えてみれば良い。人に与えられた名誉よりも、たった一人の貴女に救われた人の笑顔のほうが嬉しいかもしれない」

「……口が上手いわね。ああ、貴方に最初に会えれば良かった。そうであれば……私はもっと早くその気になったかも……」

 天を仰ぎ見て、これを言うユリアーナ。そうであれば、私は違う道を歩めたかもしれない。叶わない願望が彼女の胸を苦しくする。陽の光を避ける振りをして目の前に重ねた手は溢れる涙を見られない為。涙を流すのはいつ以来だろう。
 そんなユリアーナを見ているジグルスの心にこれまではなかった思いが広がっている。もっと早く彼女と、もっと深く話すべきだったのではないかという後悔の思いだ。

「……ジーク」

 そんなジグルスの思いをかき消す声。

「リーゼロッテ様」

「タバートが貴方もいれて話したいと言っているのだけど……」

 リーゼロッテは二人のただならぬ雰囲気に気付いている。といってもヤキモチをやくような雰囲気ではない。上を向いたままのユリアーナの横顔に残る涙が流れた跡が、そんな気持ちを打ち消している。

「……良いわよ。私はもう休みたいから」

 ジグルスに代わって、ユリアーナがリーゼロッテの問いに答えた。

「そんなに急いでいないわ」

「気を使わないで。なんだか惨めな気分になるから」

 何故、惨めな気分になるのか。ユリアーナには分かっていない。だが今はリーゼロッテに気を使われるのが嫌だった。

「……そう。分かったわ。ジーク」

「……はい。じゃあ、また明日」

「今夜のほうが良いな」

 落ち込む気持ちを振り払ってジークに向けてはこんな言葉を向ける。気まずいままで別れたくないのだ。

「それは無理。明るい陽の下であればいくらでも相手しますよ」

「あら、奇遇。私も日差しの中での行為は嫌いじゃないのよ」

 落ち込んでいた気持ちが軽くなる。普段は口にしないこんな言葉も口から飛び出す。

「剣の立ち合いであれば、を条件につけます。ああ、無駄話も追加しておきます。特別サービスですよ」

 こんな風にジグルスが受け止めてくれると思えるから。

「嬉しくないけどもらっておくわ。じゃあ、また」

「はい」

 笑顔のジグルスが背中を向ける。今はその笑顔は隣を歩くリーゼロッテに向けられている。お似合いの二人だと思う。この世界では許される関係ではない、きっと結ばれることもないのだろうがそれでもお似合いだとユリアーナは思う。そして自分が隣だと周囲はどう感じるのだろうかを考えてしまう。
 考えても無駄なのに。自分もまたジグルスと結ばれることなどない。ユリアーナの相手は決められているのだ。

 

◆◆◆

 夜の闇が広がっている。陣営のあちこちで焚かれている篝火の明かりを嫌って、ジグルスは少し離れた場所まで出てきた。何者にも邪魔されずに考え事をしたかったのだ。
 昼間のユリアーナの言葉はジグルスに衝撃を与えていた。話すようになってから少し感じていたのだ。自分が思っていたのと何かが違うと。それが今日、はっきりした。
 ユリアーナもまた運命に縛られている。おそらくは自分よりも深刻な状況だろうとジグルスは感じている。
 好き勝手しているのだと思っていた。主人公という立場を利用して、自分の思う通りに行動しているように見えていた。だが彼女は運命を恨んでいる。恐らくはこの世界への転生を恨んでいる。主人公の地位を謳歌しているのであればそんな風に思うはずがない。
 何が彼女を苦しめているのか。それを考えてみる。頭の中で、彼女の立場に自分を置いてみる。
 奔放な性生活。それが望んだものでなかったとしたら、どうなのか。好きでもない相手に体を与えることを運命に強いられているのだとすれば、それはどうなのか。少し考えただけで胸が苦しくなる。
 彼女が苦しみの中で手に入れた仲間との関係を、自分が壊してしまったのではないかと考えると、申し訳なさで胸が痛くなる。
 自分は彼女の何を見ていたのだろうと思う。主人公であることを羨んで、偏見の目で見ていたのではないかと考える。
 同じ転生者である自分には、自分だけが出来る何かがあったのではないか。考えても答えは見つからない。過去のもしもを考えても、正解にはならない。自分の求める答えに辿り着くだけだ。
 では未来はどうか。彼女の未来は変えられるのか。変える自信はジグルスにはない。それでも何か出来ることはないかを考えてみる。
 だが思い付くことはない。ジグルスは彼女の側にいられる立場ではない。所属だけが理由ではない。ジグルスには他にやるべきことがあるのだ。
 主人公とは関係ない場所で、ゲームに描かれているストーリーの外で、出来ることを行おうと考え、それを実行に移してきた。ユリアーナと進む道が重なることはない。今のように短い期間、重なることはあってもすぐに離れることになる。そういう道をジグルスは選んだのだ。
 結局、自分も主人公たちと同じで、目の前にいない人のことは切り捨てるのだという想い。力のない自分がそんなことを考えるのは思い上がりだという気持ちも湧く。
 結局この件はいくら考えても答えなど出ないのだ。それが分かっているから、迷走する思考に浸れるこの場所を選んだのだ。
 夜の闇はやがてジグルスの泡立っている気持ちを落ち着かせてくれる。ジグルスの体に流れる血はそういう性質を持っているのだ。

(……邪魔、はしてこないか。何なのだろう? こうして一人でいてもただ見ているだけ。それはそれで気持ち悪いけどな)

 自分と同じように夜の闇に溶け込んでいる存在。何度も陣営に近づいてきている敵の一人であることは間違いないと思う。戦闘能力はないのか。魔人にそんな存在がいるのか。これもいくら考えても答えは出ない。答えを得るには情報が少なすぎる。
 思考がユリアーナから離れた。それに気付いたジグルスは立ち上がって、陣営に戻る。気持ちの整理が完全についたとは言わないが、それでも明日はやってくる。やるべきことが多くある明日がまたやってくるのだ。

◆◆◆

 エカード率いる花の騎士団、ブルーメンリッターが戦場を離れたのはそれから二日後のこと。その間、ユリアーナが深刻な話をしてくることはなかった。彼女も彼女なりに気持ちを整理させているのだろうとジグルスは考えていた。
 出発の日。悩みながらもジグルスはユリアーナに言葉を送った。

「……運命に苦しんでいるのは貴女だけではありません。でも貴女ほど苦しんでいる人はいないのでしょう」

「……どういうこと?」

 ジグルスの言葉に怪訝そうな顔を向けるユリアーナ。だがその表情は続く言葉で一変する。

「貴女はこの世界の主人公。背負っているものは誰よりも重い」

「…………」

「その重い荷物を背負ってあげられないことを申し訳なく思います。俺には貴女を支える力がない」

「あ、貴方は……」

 自分がこの世界の主人公だと知っているジグルスは何者なのか。ユリアーナはまさかのことに動揺しすぎて、頭が回らない。

「貴女たちは勝てます。この結果は良いことのはずです。今は苦しくても貴女には良いエンディングが待っている。それを信じて頑張ってください。すみません。俺にはこんな言葉しか贈れないのです」

「……貴方は一緒に来てくれないの?」

「知っているはずです。俺は貴女と共に行動する立場にはありません。貴女の仲間は……決まっています」

「それでも私は……いえ、そうね。貴方を巻き込んではいけない」

 ジグルス・クロニクスの名はユリアーナの知る登場人物の中にはない。そういう人物を連れて行くことがどのような結果を招くのか。ジグルスに待つのは死かもしれない。その可能性は高い。だからジグルスの名はないのだ。ユリアーナはこう思う。

「戦いが終われば、貴女も自由になれます。なれるはずです。その時にまた、ゆっくりと話をしましょう」

「ええ。その時を楽しみにしているわ」
 
 ゲームストーリーがエンディングを迎えれば、それで役割からは解放されるはず。あとの人生をどう生きるかは自由だ。ジグルスの言葉をユリアーナは正確に理解した。
 その時が来るのが楽しみになった。元の世界について語り合える人がいる。思い出したくないことばかりの人生だが、それでも話せることはある。ジグルスであればきっと、かつてもっとも信頼していた人のように。そうユリアーナは思える。
 いずれくる二人の再会の時。はたしてそれはどのようなものになるのか。この世界を紡ぐ物語は一つではない。それを二人は理解していない。