月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #51 違い

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 城内の食事室。かつてはメアリー王女と健太郎たち、そしてグレンが集っていたその場所は、今は面子を代えた話し合いの場になっていた。
 集まっている面子は健太郎と結衣、そしてジョシュア王太子と勇者親衛隊の副官であるマークの四人だ。
 ウェヌス王国にとって悲劇とも言える敗戦の後だというのに四人の顔は明るい。特に健太郎はご機嫌だった。

「僕が大将軍か。でも、そうなると親衛隊はどうなるのかな?」

「そうですね。我々の立場は微妙なものになりますね。大将軍に親衛隊というのもおかしなものです。我らの存在価値がなくなりました」

 口ではこう言っていても、マークの表情は明るいままだ。親衛隊など踏み台に過ぎない。より高い地位をこの機会に得られる。そういう期待に胸を膨らませているのだ。

「でも、せっかく仲間になれたのだからな。解散っていうのは寂しいな」

「そう言って頂けると嬉しいです。ですが」

「近衛っていうのは?」

 マークの思いを健太郎は分かっていない。望まない地位を口に出した。

「……さすがにそれは。近衛とは王族がたを守護する騎士のことですから」

 そして、近衛騎士は名誉だけで何の権限もない役職。マークが望むのはそういう地位ではない。

「そうか。何かないかな?」

「今後、軍をどうされるおつもりですか? その中でお役立ち出来るものがあればと思うのですが」

 ジョシュア王太子の手前、自分から露骨に求めることをマークはしない。あくまでも健太郎が決めたことという形を取るつもりだ。

「それは……僕の独断で決められるものじゃないよね?」

「しかしケン様は軍の頂点に立たれたわけですから」

「えっ? だって元帥がいるじゃないか」

「元帥というのは本来は名誉職なのです。前元帥であるトルーマン殿も元々は、そうでありました。それが突然に色々と口出しされるようになって。軍としては迷惑だったと思います」

「そうだったのか。そうだな。色々と考えていることはある」

 どうやら自分の思う通りのことが色々と出来るようだと知って、健太郎の顔にはこれまで以上の喜色が浮かんでいる。

「例えば?」

「騎士団と国軍という区分けはどうかと思うんだ」

「それは……」

 健太郎の口から出た答えはマークの予想外のもの。その意味をすぐに理解出来なかった。

「だって分ける意味がないよ。率いる将が騎士だってだけだろ? だったら騎士団と国軍なんて分けないで、将と兵に分ければ良いだけさ」

「……なるほど。そういうことですか。悪くはないですね。騎士団は今回の敗戦で大きく数を減らしました。あえて騎士団というものを作らずに騎士は将校として、国軍を率いるわけですね?」

「そうそう」

「いや、さすがケン様。すでにそんなことまで考えておられましたか」

「いや、まあ」

 これも結局、グレンとジャスティンたちが話し合っていた内容を盗み聞いて得た知識に過ぎない。それを行う本当の意味など健太郎には分かっていなかった。当然、それの弊害も知らない。

「そうなると国軍の中隊長、小隊長という制度は廃止して、それに騎士を当てることになりますね?」

 マークは自分の都合の良いように健太郎の意見を解釈する。

「……そうなるのかな?」

「兵を率いる将が騎士であるなら、そうなります」

「そうだね」

「なるほど、それであれば騎士たちからも不満は出ません。多くの騎士に役職が与えられることになります」

 多くの騎士を失った状況でこれを行えば、無能な騎士にも指揮官の役職が回ってくるかもしれない。一部の騎士にとっては実に有り難い制度だ。

「えっと、そうなるかな?」

「はい。良く考えられた制度ですね。騎士団の解散という鞭と役職という飴。人を統べるには、この二つが必要になります」

「そうだよね」

 本来の目的とは全く異なるものになっているというのに、健太郎は納得してしまっている。思いつきを口にするからだ。

「いや、そういった性急な改革はどうなのだろうな? 軍が混乱する事態にならないか?」

 愚か者と言われていても、さすがに、これくらいの常識はジョシュア王太子にもある。

「王太子殿下、改革には痛みが伴うものだわ。それを恐れては物事に変化は訪れません」

 ここで何故か結衣がマークの意見をフォローする。本人にフォローしているつもりは、それほどない。会話に入って、何となくそれらしい意見を言いたいだけだ。

「しかし、ユイ」

「元の世界でも後の歴史で名を残す人は、最初は批判を受けたものです。織田信長なんてそうよね?」

「ああ、そうそう。最初はうつけとか呼ばれていたらしい」

 結衣に問いを向けられて、健太郎は同意を返した。

「うつけ? それはどういう意味なのだ?」

「愚か者って意味ね」

「愚か者……それでその者は?」

 愚か者はジョシュア王太子にとって禁句に近い言葉だ。自分が陰でそう言われていることを本人も知っているのだ。

「小国の大名、国王ね。そんな立場から国を統一したの」

「おお! それは凄いな!」

「そうなの。だから、人の批判を恐れてはいけないと私は思う」

「そうだな。ユイの言うとおりだ」

 愚か者は所詮、愚か者なのか。歴史に名を残す人物の多くは他者の批判を恐れずに、自分の信念を貫いたことで何かを成し遂げたのだ。信念もなく他者の言葉に流される人はそれとは違う。

「組織の改革はまずはそんなところかな。次は調練のやり方だね」

「それについても考えがお有りなのですか?」

「まあね。まずはとにかく走りこみで体力をつけること。筋力トレーニングも取り入れたほうが良いね」

「トレーニング?」

「ああ、異世界の言葉。調練とか練習とかと同じだね」

「そうですか」

「基礎体力をつけるにも異世界のやり方のほうが効率的だよ。楽に効率的に鍛えることが出来るからね」

「それは兵が喜びますね」

 鍛錬の話ということで、健太郎が突拍子もないことを言い出さないか警戒していたマークだが、楽が出来ることに関しては全く異論はない。

「そうだろ? 今どき、スポ根なんて有り得ないよ。死語だね、死語」

「スポコン? シゴ?」

「えっと……まあそれは良いよ。あとは得意種目を徹底的に伸ばすことだね。そうだ、一度試験をしてみようか?」

「試験ですか?」

「今やっている兵種だっけ? それがその人に適しているとは限らないよ。その人にあった武器を持たせるべきだと思うな」

 健太郎は適正、才能を重視している。だが勇者である健太郎と異なる一般の騎士や兵士の中に、戦いの才能を持つ人がどれだけいるのかを考えていない。

「はあ……しかし、そうなりますと一から鍛えることになります。軍が整うのは、先の話になりませんか?」

 マークは健太郎の考えに否定的だ。普通に考えればこうなる。

「えっと、不味いかな?」

「アシュラムとゼクソンはどうされるのですか?」

「あっ、そうか。そうだよね、仕返しはしないと」

「今日明日にも出兵というわけではありませんので、少しは時間はありますが……」

「えっ? どうして?」

 ついさっきまで戦争のことなど考えていなかったくせに、再戦までに時間があると聞くと健太郎は不満な顔を見せる。
 勇者である自分が輝くのは、やはり戦いの場。そう考えているのだ。戦功として認められただけで、今回の戦いでも特に輝いたわけではないというのに。

「ゼクソンが裏切った証拠がございません」

「証拠? だって裏切ったのは確かじゃないか」

 確かではない。少なくとも健太郎はゼクソンが裏切った場面を見ていないはずだ。

「そうだとしても、国として確たる証拠を掴み、その上で攻め入らねばなりません。今はまだ、ゼクソンは同盟国なのです」

「……なんだかくだらないな。そんなことに拘っていたら先手を打てないよ。先手必勝。これ基本だよ?」

「ウェヌスは大国でありますので。他国の目というものを気にしなければなりません」

 ウェヌス王国が他国を圧倒しているのであれば、気にする必要もないだろう。だが少なくとも一国、並び立つ国がある。ウェヌス王国が信頼を失った結果、多くの小国がその国に靡くようなことになっては困るのだ。
 これを健太郎は分かっていない。健太郎が悪いのではない。大将軍にまでなった健太郎に、この世界の情勢を知らせていない周囲が悪いのだ。

「でもアシュラムに攻め入ったのは良いのかい? 宣戦布告なんてしていないよね?」

「アシュラムとは以前から交戦状態にあります。ゼクソンも元々はそうだったのですが」

「じゃあ、アシュラムを攻めよう」

 戦えば必ず勝つ。こう思っている健太郎は戦いたくて仕方がないのだ。それによって勇者として崇められたいのだ。

「いや、そういうわけには」

「どうして? アシュラムだったら問題ないよね?」

「まずは敗戦の痛手から回復せねばなりません。確かに我軍にはまだ余力がありますが、それは他国への備えとして残して置かなければ」

 マークは軍才など持たない分、慎重だ。今回の戦いで得られるであろう利権を、ろくに行使しないうちに、失敗したくないという思いもある。

「じゃあ、結局攻められないじゃないか? 時間はあるってことだよね?」

「まあ、そうなります」

「じゃあ、さっきのは出来るよね?」

「……出来なくはありませんが、時間がかかります」

「時間はあるって」

 マークと健太郎では軍の再編と鍛え直すのにどれだけの期間が必要かという考えが違う。この場合は、当然、マークの方がより正しい。

「何と言いますか。まずは回復、その時にアシュラムかゼクソンへの侵攻を考えます。それが時期尚早もしくは条件が合わないとなれば軍の改革。そういった手順が」

「それじゃあ、いつまでたっても改革なんて出来ない。思い立ったら吉日って言うよね?」

「……それも異世界の言葉ですね?」

 健太郎には残念なことに、この世界では言わない。

「……じゃあ、合宿とかやって一気に鍛えるのは? 一箇所に皆で集まって、泊まり込みで鍛える。そうすれば、かなり早く調練は進むよ」

「……それはどの程度の規模で?」

「軍全部に決まっている」

「いや、さすがにそれは。そんな場所はありません」

「じゃあ、作れば」

「作る……ふむ、なるほど」

 マークが健太郎の意見を真面目に考えようとしている。自分たちにも都合の良い内容だと感じたからだ。

「あっ、いや、冗談だから。冗談というかちょっとムキになって」

「全軍でなければ出来るかもしれません。とりあえず、ケン様が直接に率いる軍だけでそれをやってみたらいかがですか?」

「えっ?」

 意地になって発した意見が受け入れられたことで健太郎は驚きの表情を見せている。

「それでも万は集めることになります。その万の軍で軍制の改革も、調練のやり方も変えてみる。それが成功すれば一気に軍全体に広まっていくことでしょう」

「まずはやってみせるか……そうだな。それが良いかもしれない」

 マークの言葉で健太郎もその気になった。

「ち、ちょっと待て。そんな場所がどこにあるのだ?」

 そして、ある程度の常識のあるジョシュア王太子が焦って口出しをしてくる。

「街を一つ、それに使ったらいかがでしょうか?」

「何と? そのようなことが出来るはずがない」

「王太子殿下のお力があれば出来ないことはないと思います」

「……我が力?」

 街を一つ自由に出来る権限などジョシュア王太子にはない。これは本人が一番分かっている。

「それ凄いわ。一つの街を丸々、軍の調練場にするのよね。そんな所で調練したら、あっという間に強い軍になりそうね」

「ユイもそう思うのか?」

 すっかり聖女というより悪女ぶりが身に付いた結衣だった。これも持って生まれた才能なのかもしれない。

「ええ。ちょっと見てみたい。基地みたいなものよね?」

「キチ?」

「ごめんなさい。この言葉もないのね。えっと異世界では人の住む場所と軍隊がいる場所は別なの」

「そうなのか?」

「そうよ」

 嘘である。王都は外壁で囲まれた一つの街だが、それは広大なもので、住居と軍の官舎や調練場とは離れた位置にある。隣接地点だけでいえば、元の世界の一部の基地よりも、ずっと離れている。

「ふむ……しかしな」

「出来るか出来ないかは検討してみてから判断してはどうかしら? 何事もやってみないと始まらないわ」

「そうか……まあ、検討するくらいであれば」

「御願いします。ジョシュア様」

「ん、うむ」

 結衣に頼まれるとジョシュア王太子は嫌とは言えなくなる。ただ、この件を結衣が推す意味が分からない。本人も分かっていないだろうから当然だが。

「よし。それが出来れば一日中鍛錬に集中出来るな。あっという間に強い軍が出来上がるよ」

「健太郎、それはさすがに言い過ぎよ」

「ごめん、少し調子に乗った。でも何だか物事がどんどん進んでいくな」

 自分の考えを受け入れられることなど、これまでほとんどなかった。健太郎は嬉しくて仕方がない。

「ケン様がその権限をお持ちになったからです」

「そうだね。ちょっと荷が重いなって気持ちはあったけど、それで国が良くなるなら、やり甲斐はあるよね」

「その通りです。そしてケン様であれば、出来ると我らは信じております」

「ありがとう。マークたちみたいな信頼出来る仲間を持てて僕は幸せだよ」

「ケン様のそのお言葉こそ、我らにとっての幸いでございます」

「マーク……」

 どんな時でも健太郎を持ち上げることを忘れない。これがマークの身につけた健太郎との付き合い方だ。グレンがハーリー千人将に教えた健太郎に言うことを聞かせる方法の煽てと脅し。この煽てのほうをマークは実践しているのだ。

「ねえ、真面目な話はこれくらいにして、別の話をしましょうよ」

 軍の話など本来は結衣にとっては退屈なことだ。話を変えようと提案してきた。

「おお、そうだな。今日はどんな異世界の話を聞かせてもらるのだ?」

 ジョシュア王太子も同意する。これは結衣が言ったからではなく、本人も望んでいるからだ。ジョシュア王太子は休憩のつもりで、この場にいるのであって、本当の政務は別の場で行うことだ。

「あっ、今日はこれでお開きにしませんか? 今日はこの後、用があって」

 二人が雑談を望んだのに対して、健太郎はこの場を終わらせることを提案してきた。

「そんなの無いでしょ?」

 結衣が不満そうに健太郎の言葉を否定する。

「あるよ。今日は彼女が」

「ああ、フローラね」

 フローラの為だと分かって、結衣は呆れ顔だ。

「フローラ。おお、あの有名な」

 一方でジョシュア王太子は、興味津々といった反応をみせた。

「あら、ジョシュア様はフローラに興味がお有りなのですね?」

 それにすかさず結衣が突っ込みをいれる。

「い、いや、そういうわけではない。騎士共の噂を少し耳にしただけだ。少々、美人だが、ユイには劣ると聞いたぞ」

「まあ、お上手ね」

 ここでも結衣は見事な悪女っぷりを見せた。

「何だかな。とにかく僕は、今日はこれで」

「あっ、私も行くわ」

「「えっ?」」

 健太郎とジョシュア王太子が同時に驚きの声をあげた。言葉に込めた意味はちょっと違うのだが。

「私だってフローラの友達よ。というか私の方が先に知り合ったのよ」

「そうだけど」

「何よ? 下心でもあるの?」

「馬鹿なこと言うなよ。僕はグレンの親友として、フローラを慰めてあげようと」

 間違いなく、グレンが健太郎を親友と思ったことは一瞬たりともない。

「親友ね……それを言ったら私だってそうよ。ジョシュア様、ごめんなさい。今日は大切なお友達に会わなければいけません。お話はまた明日で」

「そうか……それは仕方ないな。友人は大切にしなければいけない」

 愚か者と呼ばれてはいても人は良いジョシュア王太子だ。人が良いから愚か者と呼ばれているというのもあるのが。

「ありがとうございます。じゃあ、健太郎、行きましょ」

「……ああ」

 席を立って食堂室を出て行く健太郎と結衣。そうなるとマークもこの場には居られない。ジョシュア王太子に丁寧に貴族の礼をすると食事室を出て行った。
 残されたジョシュア王太子はと言うと。

「しまった……付いて行けば良かったのだ。そうすればユイとも一緒に居られるし、フローラとやらの顔も見れたな」

 一歩遅かった気付きに後悔の言葉をつぶやいていた。

 

◆◆◆

 食事室を出た健太郎と結衣は足早に廊下を歩いていた。健太郎はフローラに会いたくて気が急いて。結衣の方はジョシュア王太子が後を追ってくるのを恐れてだ。

「……なあ、いつからジョシュア王太子にあんな態度を取るようになったんだ?」

 さすがに健太郎も結衣の態度には疑問を感じていた。
 
「仕方ないでしょ? 他に選択肢がないのだから」

「選択肢?」

「本命と思っていたグレンはあっけなく死んじゃうし、対抗にしていたエリックも。他に言い寄ってくる騎士なんてどれもモブキャラばかりよ」

 相変わらずのゲーム感覚。お互いの気持ちがどうなのかは今の結衣には関係ないようだ。
 
「酷い言い方だな」

「だってそうじゃない。そうなるともう私には王妃コースしかないのかなと思って」

「それでジョシュア王太子に? それって、何だか凄く悪い女みたいだ」

「だって……死んじゃったものは仕方ないでしょ? そういうことだったのよ」

 グレンとハーリー千人将の死は、結衣にとってはゲームイベント。あらかじめ決まっていたストーリーと捉えている。

「きっと僕のせいだな。今回の負けは僕への試練だったんだ。それに巻き込まれて多くの人が死んでしまった」

 健太郎も同じだ。主人公の自分の為に、周囲の人々が存在していると考えている。

「でも、それを乗り越えるのが勇者である健太郎の役割よ」

「分かっている」

「それでフローラなんてヒロインを手に入れる。健太郎の方がよっぽど酷いじゃない。グレンの死を利用しているようなものよね」

「そんな言いかたは止めてくれ。僕がグレンやエリックの死に何も感じていないと思っているのか?」

 結衣の言葉に健太郎の顔に怒気が浮かぶ。健太郎はグレンとエリックの死を本気で悲しんでいる。ただその死に、自分勝手な意味をつけているだけだ。

「そんなことは言ってないわよ。私だってショックよ。それが運命だと思っても、簡単には割り切れないわ」

「……そうは見えないけど」

「どういう意味よ?」

 今度は結衣が健太郎の言葉で怒る番だ。

「だってさ。急にジョシュア様に媚を売るような真似をして。横で見ていてさすがに引いた」

「……何よ、自分は良いわよね? フローラがいるもの」

 口を尖らせて結衣は健太郎に文句を言っている。

「別に僕は邪な気持ちを持っているわけじゃあない」

「じゃあ、どんな気持ちよ? 口説こうと思っているのよね?」

 結衣の健太郎への攻撃は止まらない。ずっと溜まっていた不満があふれ出してきているのだ。

「そういう言い方は止めてくれ。僕はフローラの支えになりたいだけだ」

「それが邪だって言うのよ。人の悲しみに付け込む最低の男ね」

「いい加減にしてくれないか! 結衣は最近ちょっとおかしいよ!」

「どうせ物語の主人公は健太郎で、私はただのおまけよ!」

 結衣の不満は結局はこれに尽きる。健太郎は勇者としての地位を着実に高めている。一方で自分は何も変わっていないという不公平感だ。

「そんなこと言ってないだろ!」

「健太郎は良いわよね。イベントが沢山あって。私なんて何もない。戦争に行ったって、聖女の力を活かす機会もなかった。何もしないうちに戦争は終ったのよ」

「そうだけど……人が死ぬのを目の前で見るよりは良いだろ? 力が足りなくて、仲間を死なせてしまう。そんな思いをするよりはずっとマシだ」

「……そうだけど」

 健太郎の言葉に結衣は一気に落ち込んでしまう。同じようなことをグレンに言われたことを思い出したのだ。

「とにかく、今は機嫌直せよ。これからフローラに会うのに喧嘩していたら、励ますどころか心配させてしまうだけだ」

「そうね。ごめん。ちょっと最近イライラしていて」

「何か気になることがあるなら聞くけど?」

「……さっきはあんな言い方したけどさ。私って案外、グレンのことが本気で好きだったのかも」

「えっ……?」

 健太郎の頭の中には全くなかった告白だった。

「これは物語。グレンはその登場人物。だから死んでしまっても仕方ない。そう思い込もうとしているの。でも……嫌だ、悲しくなってきちゃった」

 感情が高まってしまったようで、結衣の目からは涙が溢れてきた。

「な、泣くなよ。人を慰めに行くのに結衣が泣いてどうする?」

「そうだけど……もう、駄目。この廊下で何度かグレンと話したの。グレンは……いつも、そっけなくて……私をからかって……ばかりで……。どうして死んじゃったのよお!」

「……ちょっと泣くなって。他の人に聞こえるから」

「グレン……グレン……」

「参ったな」

 おいおいと涙を流して泣き続ける結衣。それを慰めながらも、健太郎の気持ちは急いている。
 フローラのところに早く行きたい。でも結衣も放っておけない。こんな思いの狭間で、ただオロオロとしているしかなかった。

◆◆◆

 ――ようやく結衣が少し落ち着きを取り戻したところで、健太郎はほとんど走るような勢いで、フローラがいる部屋へと向った。

「えっと、フローラは?」

 少し息を切らせながら、扉の前に控えている侍女に健太郎は問いかけた。それに対する侍女の答えはただ首を横に振るだけ。
 その意味も分からないまま、健太郎は扉を開けて部屋の中に入る。

「あっ、えっと、部屋はどう? 気に入ってもらえたかな?」

 ベッドにじっと腰掛けているフローラに向って声を掛ける。それに対する応えはなかった。

「……フローラちゃん」

 追い付いてきた結衣の問いかけにも応えない。ただ、すっかり表情が消え失せた顔のまま、宙を見つめているだけだ。
 顔を見合わせる健太郎と結衣。
 結衣が健太郎に先んじてフローラに近づいた。ベッドの隣に腰掛けても、フローラは結衣を見ることなく、人形のように固まってしまっている。

「フローラちゃん。お兄さんのことは残念だったわ。私もすごく悲しんでいるの」

「あの、フローラ。すまない。僕にもう少し力があれば、グレンを救うことが出来たかもしれないのに」

「…………」

 二人が言葉を掛けてもフローラに反応はない。生気を失った表情のままだ。

「フローラちゃん、グレンは死んでしまったけど、私達が側にいるから」

「そうだよ。元気を出して。これからは僕を兄だと思って、頼ってくれれば良いから」

「……兄?」

 フローラの口から小さな声が漏れ出した。

「そうだよ! これから僕が君のお兄さんになる! だから早く元気になって!」

 ようやく反応を見せたフローラに、健太郎は勇んで言葉を続けた。

「……何を言っているの?」

 生気が戻った瞳。その瞳が健太郎を睨みつけている。

「だから」

「……私にはお兄ちゃんなんていないよ」

「フローラ?」

「……私の側に居たのはお兄ちゃんじゃない」

「どうしたんだ? あんなに仲の良い兄妹だったじゃないか? 忘れてしまったのかい?」

 兄であるグレンの存在を否定する言葉を吐くフローラ。健太郎は訳が分からなくて戸惑うばかりだ。

「……忘れてないよ。忘れられるはずが無い」

「そうだよね」

「私の愛する人を忘れられるはずがない!」

 大声をあげるフローラ。その瞳はもう健太郎を見ていなかった。

「フローラ?」

「お兄ちゃんじゃない! 私が愛した人はレンよ!」

「何を言っているんだ!? グレンは君のお兄さんじゃないか?」

「兄妹じゃない! 血なんて繋がってないもの!」

「「えっ!?」」

 フローラの告白を聞いて、健太郎と結衣の二人から同時に驚きの声が出る。

「返して! 私の愛する人を返して! ずっと一緒にいるって約束したの! 私はレンの奥さんになるの!」

「……そんな」

「帰ってくるって約束したのに! ゆっくり時間を掛けて変えていこうって約束したのに! 約束したのにっ!!」

「…………」

『嫌ぁああああああっ!! 嫌ぁああああああっ!!』

 喉が張り裂けんばかりの叫び声をあげるフローラ。その表情からはまた表情が消え去っていく。

「フローラ! 落ち着いて!」

「フローラちゃん! 気をしっかり持って! フローラちゃん!」

 健太郎と結衣の呼びかけも虚しくフローラは糸の切れた操り人形のように、ばったりとベッドに倒れ伏して動かなくなった。もう、その後はいくら話しかけても、何の反応も示さない。

「何かありましたか!?」

 フローラの叫び声を聞いたのだろう。その場を離れたはずの侍女が部屋に飛び込んできた。

「……グレンのことを話したら錯乱してしまって」

「そうですか。あの、明日、医師を呼んで診てもらう予定ですが、しばらくは刺激しないほうが良いと思います。ここに着いてから、ずっと意思のない人形のようで。心の整理が出来ていないのだと思います」

「そうでしたか。でも、放っておくのも……」

「……メアリー王女殿下も同じなのです」

「メアリー様が?」

 ここで何故メアリー王女が出てきたのか結衣は分かっていない。

「すでに医師に診てもらい、その医師がそう言っていました。自分の心の中で整理が付くまでは放っておくほうが良いと。恐らく彼女も同じことを言われるのではないかと思います」

「それって……」

 メアリー王女とフローラが同じ症状。この意味を結衣は理解した。

「とにかく部屋を出て頂けますか? 彼女はこのまま寝かせた方が良いと思います。眠れることは良いことだと、これも医師が」

「……まさかメアリー様は?」

「今は眠られるようになっています。でも、グレン殿の死を知ってすぐは、じっと動かないまま、それでいて一睡もすることなく、何日も過ごされておりました」

「……グレンの死で」

 眠ることさえ出来なくなる想い。これを結衣は知らない。経験したことがない。

「あっ、今のは……その忘れて下さい。話したことが知れたら、私は……」

「……はい。決して口外しません」

「では、外に」

「はい……」

 力なく肩を落として、部屋を出る健太郎と結衣。これが現実を現実として、本当の意味で捉えていない二人との違い。これを二人は今も完全に理解出来ていない。
 ただ、フローラとメアリー王女の想いの強さに打たれただけだ。自分たちとは違う想いの強さに。